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カテゴリ:音( 45 )

ローレライ



真夜中、深夜ラジオ便から、日本人混声合唱の【ローレライ】が小さく聴こえて来た。
久しぶりに耳に蘇らされたこの歌に、急に涙が込み上げてきた。思い出に結びついて涙が込み上げるというのとは、少し違う。そもそも「歌を聴いただけで無条件に涙が浮かぶ経験をした初めての曲」が、この辺りだったというわけだ。(それがその歌だったという候補は3、4曲ある)


入日に山々 赤く映ゆる


小学校低〜中学年だった気がする。その一節のハーモニーに急にウッと感情の塊が込み上げた。それは、ノド飴のCMの中に使われたたったワンフレーズだった。
合唱団員の女性「ゴホンゴホン、風邪かしら」
男の声「ハイそんな時にはこれ。患部に作用し早く効きます…」
のような文言のあと、合唱団で朗々とその人が歌う 〽︎入日に山々… のフレーズ。
確か、それくらいシンプルなCMである。



三歳からバイオリンを習わされ、楽器をいじることにはついぞ慣れることはなかったが、音楽を楽しむことだけは小さい頃に覚えたのだろう。
ある日、父か母に「ノド飴のあの歌を教えて」と頼んだのだった。すぐに全曲を通しで教えてもらえた。
ハモリパートは母が担当し、それからはよく、台所で一緒に二部合唱するようになった。
歌いながらいつも、有無を言わさず泣きそうな何かを感じた。諦念感も含んだ眩しい懐かしさ。「郷愁のようなもの」のはじめての痛みだった。
故郷遠く離れた経験などなくてもその感覚を知りそめたのは、そうやって父に母に教わって覚えた曲によってだった。


父も母も音楽をやっていたわけではないが、歌うことは好きで、日本の唱歌を沢山私に教えてくれた。小学校低学年くらいではまだ父と風呂に入っていたので、浴槽で【荒城の月】【早春賦】などを父に教わり、風呂から上がって夕食を作る母にその歌の合唱の下部パートを教わるのだった。おかげで今でも、誰かと歌う時にはある程度つられずにハモり、二重唱できる。バイオリンやピアノをやっていたから歌が好きだというよりは、やはり小さい頃からかなり実際ウタを歌っていたのだ。



同じ頃、【ローレライ】のほか、【灯台守】にとても心動かされた
灯台を見たことはなくとも、「灯台守」という存在の孤独を歌から知ることが出来た。

激しき雨風 北の海に 山なす荒波 猛り狂う
その名も 灯台守る人の 尊き真心 海を照らす

ゆったりと長調の旋律自体は幸福感さえあるのに、このような孤絶の言葉がそれに乗っていることが、逆に泣かせるのである。



父が、熱く文学的にこの歌詞の説明をしたことがある。冬の荒海を知らなくとも、情景を思い浮かべることは不思議と出来た。
「冬の吹雪にね、波がゴーッと高く荒れ狂う。そういう誰ひとり近づくこともしない果ての海に、灯台守はたった一人でそこに閉じこもって、そこで暮らして、海の灯を守る。海の上には心細い気持で嵐の中にいる船がいる。それを迷わせないように灯台は光るんだよ」
【喜びも悲しみも幾歳月】の映画で、灯台守の佐田啓二が妻の高峰秀子に同じようなことを語る台詞のところで泣けてしまうのは、その時の父の熱すぎる情感をも思い出すからだろう。今でも、旅をして何処かの灯台を遠く眺め、【灯台守】を口ずさんで涙を浮かべることはたまにある。
 


しかしよくよく思い出すと、あの何ともいえぬ愁いや郷愁については、歌詞の「意味」を「説明されて」知った、というのだけではないのである。
まずはメロディの圧倒的な説得力にすなおに心打たれて興味を持ったことが、自分には強烈だったのだ。歌詞の深みは自分の経験や父の人生に絡めつつ、あとからボディブローのように知っていったのだ。
歌、というものはそもそもそういうものなのかもしれない。はるか昔、それが信仰的な朗詠であったような時代から、言葉に示された意味よりも、音程の揺らぎやバイブレーションのほうが先んじて人間の身体に「情のなんであるか」を教えて来たのかもしれない。


メロディだけではなく、ハーモニーの説得力も、少し違う質のものとして存在する。
【ローレライ】の原曲をドイツ語独唱などで聴いて果たして幼い自分の心が動いたかはわからない。大人になればやがて旋律のよさも理解したとは思うが。
あの小さい時分に、ノド飴の味とともに出会った「あの」日本人合唱の訳詩の一節とその旋律とハーモニーの絶妙な組み合わせでなければこの私の場合は、あの郷愁らしきものの強烈なイデアを感じなかったかもしれないのだ。分析しても言語化は出来ないような、何かがそこにあった。
とくに「〽︎山々」から六度のハーモニーで低く分岐していくあの低音部の包容力が、自分の音楽の好みの一つとして備わったのははっきりしている。【灯台守】の下のパートにも多く印象的な六度や五度の和音が登場する。
例えば空の鳥ががゆっくり二羽で飛びつつ、急にその距離を離して岐路を違え、またどこかで合流するような、孤高で飄然とした印象がそういう三度以外の和音にはある。



【ローレライ】伝承については、ずいぶん大人になってからちゃんと読んだ。船乗りを惑わせる、水の精霊というよりは「少女の幽霊」のような仄暗いイメージ。に番、三番の歌詞など今まで詳しくは知らなかったが、読んでみると妖艶で恐ろしい。私があの1フレーズに感じた郷愁のようなものとはかなり違う内容である。
【灯台守】の「船乗りを護る」尊さとは真逆なのも、自分にとっては偶然で面白い。
けれどどちらの歌もメロディラインは、歌詞の情景や意味をそのままデッサンしているのではない。旋律自体が悲しみを通過した明るさとたおやかさを持っているのである。それにまず打たれたように思う。わざわざ言葉で描写される前からすでに情感は音韻の中にあるのである。



そんなことを思い出して真夜中ラジオの【ローレライ】を聴き終わると、夫が暗闇の中でボソっと「【ローレライ】いいな」と呟いた。
「青松園にかかってたんだよ。ずっと流れてるの」
青松園とは、瀬戸内海の小島にある、かつてハンセン病に罹患した人々が回復後今も生活する国立療養所である。
夫は旅の途上で、そこを訪ねたことがあるのだ。


今までも夫はその記憶について多くを語りはしなかった。言語以上に感じたものが多すぎるからだろう。
「目の見えなくなった療養者が歩けるように、園内のあちこちに【ローレライ】のメロディが、もう一日中流れてたんだよ。それがずっと耳に残ってる」
そこに暮らす人々にとって、その旋律がどのような情を伴って聞こえているのかは私達などには到底はかり知れない。故郷の漠然としたイメージに甘い想像の涙を流すようなものでは有り得ないだろう。直接は彼らの感覚に手が届くことはなく、その場所に漂っていた情緒の予感が乱反射して夫に届き、またいまここにいる私に届いてくるだけだ。


おなじ【ローレライ】ながらも、私の人生、夫の人生、また他者の人生には、全く違う絡みかたで歌が絡み付いている。もともとは私はノド飴CMの日本合唱、夫は療養施設の幽かな電子音から知っただけの歌なのである。
しかしなにかえも言われぬ「愁いのイデア」は共有しているのだ。
何ががそうさせるのだろうか。歌詞の意味や歌の背景の伝承より、やはりまず旋律なのではないか。
夫の場合は経験内容じたいへの情動は大きかっただろう。しかしそれはたとえば【ふるさと】や【瀬戸の花嫁】ではまた少し違う情動に繋がるのではないか。【ローレライ】でなければ感じない本質的な何かは、私のも夫のも同じところにあるのだ、と何か確信したくなる。


甘い郷愁から厳しい苦しみまで、あらゆる感情を、意味を越えて吸収し尽くすのが歌であり音楽である。それらは何処にでも入り込む。空気が水分を内包するように感情がそこここに潜在し、それが旋律の雨になって降り注ぎ、さらに川や海のように、つまり歌や音楽という在り方を得る。その川や海の乱反射がさらに新しい感情を生む。
音楽は水に似ているものなのかもしれない、と思いながら夜の眠りについた。






by meo-flowerless | 2018-01-30 10:24 |

【何も死ぬことはないだろうに】北原ミレイ

雪が降る 雪が降る

涙こおらせ 雪が降る

あとでみんなはこう云うだろう

何も死ぬことはないだろうに



北原ミレイの歌う【何も死ぬことはないだろうに】というタイトルを見るたびに、なにも何も死ぬことはないだろうになんていう歌を作ることはないだろうに…とニヤリとしてしまう。

普通の歌謡曲タイトルに「死」という言葉を平気で使うのは、現代では考えられない感覚かもしれない。しかし6-70年代には割とあった。



歌謡曲に凝り始めたころ。

カセット懐メロコンピレーションに、弘田三枝子【私が死んだら】、カルメン・マキ【私が死んでも】、北原ミレイ【何も死ぬことはないだろうに】を続けて編集して聴いたりした。【死】とはいってももちろんリアルな苦悩は描かれず、さしたる理由も語られず、とにかく恋の相手に(と一緒に)美しい死をほのめかす、どれもそんな歌詞世界である。



最初は冗談のように連続して入れたのだが、全て佳曲で絶唱でもあり、聴きこむうちにその三曲のところで、必ず涙が浮かんでくるほどになった。失恋した時などには聴かない。幸福な状態の時ほど逆説的にしっくりくる三曲だ。その方が悲劇にたっぷり酔えるのである。

「幸福とはしょせん薄氷、いつか無惨にも美しく破れるのだ…」と、なんだかんだ言っても若気の至りで思い込んでいた。



年取った今は、やはり「死ぬほどのことかいな」と心でツッコミながら聴く。しかし何故この不幸志向の感性が存在したのかはいまでこそ心底、理解できる。

男が人生の中でヒーローの幻影と戯れずにいられないのと同じく、女はヒロインの呪縛からどこかで逃れられない。特に「悲劇の」ヒロインでなければ納得できない本能が若いときには働いていた。自分が老いて庇護の対象から次第に外れていくことに、本能的に抗うのだろうか。

同じ死ぬなら劇愛の顛末のはてに死にたい.....愛された者としての烙印を刻んで散りたい....そういうベタな憧れの数々を、今も私は決して、自らに恥じることが出来ない。



「見ていてくれないならもう私、死んじゃうから!」

あの、ヒロイズム的駆け引きの激情。ひょっとすると恋愛がらみというよりは、そもそもは、幼児の「母親との分離体験」の名残なのでは、とも思ったりもする。メメント・モリ(死を思え)の指令は他者から観念で教えられるのではなく、成長過程の分離不安をもって自らの身体で自覚する指令だ。各自がその意味と折り合いを付けながら死を知り死に憧れ、死を諦め死を越えて、やがて死んで行くものなのだろう。




6-70年代頃までは、若く鬱陶しい悲劇の駆け引きを、充分にさせてくれる温床が文化のなかにあったのだ。

しかし21世紀の日本、若年層の間でこれら悲劇のヒロイズムは【中二病】などの一言で揶揄され、嘲笑される。

「自分に酔う」「悲しみに酔う」「感情に溺れる」ということは、ありえないほどダサく、ウザく、恥ずかしいことなのだ。彼らはいやというほどモラトリアムの曖昧な長さに人生を埋めながらもモラトリアムの質的価値のほとんどを否定してしまう。

【中二病】という言葉は特に、大人からの愛ある目線というより、若い人自身の自嘲「ww」「笑」を帯びて定着してしまった厄介さがあるように思う。今の若い人にとって、死への情動やタナトスの発散は、大人の愛や庇護を引きよせる目的より、若い同世代間の牽制のために働くのだろうう。


「自分に酔える」余地の広さ、迷いの道の長さ、逡巡のしつこさが、若さに許された重要な「距離」だったと思う。かつては。その距離は、実際の死への長い遠い距離と等しかったはずだ。

しかし今はもしかすると、砂浜無しのいきなりの海のように、その実際の死への距離が唐突に近いのかもしれない。一歩先には、本当に笑うことも酔うことも出来ない乾いた絶望が、ただ広がっているのかもしれない。



【キラキラ女子】【インスタ映え】という近年の言葉や文化。不幸自慢に対抗して、こちらは幸福自慢や充実自慢の類いか。

とすると【中二病】を毛嫌いする人々が肯定的に使いそうな感じだが、何周か回って結局肯定的な言葉になるのか自嘲的な言葉になるのかを、私は把握できていない。ので、これらの語を私などは使えない。

不遇を覆すきらめきというより「不幸に酔ってはいけない時代の、まやかしでも言い張るべき保守的な幸福の正当性」という....ややこしい構造を感じる。うわべのリッチさや明るさへの陶酔にむしろ、実際の悲劇の底恐ろしさを見るような気がする。



「惜しまれたい」は押し殺されても「褒められたい」は我先にとひしめきあう時代なのである。しかし考えてみれば「惜しむ」とは心で感じる真の情であり、「褒める」というのは単なる言語行為をさすに過ぎない。

惜しまれたい人と褒められたい人、行き道がはっきり別れるかもしれない。


by meo-flowerless | 2017-12-25 23:14 |

深夜のポール・モーリア


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NHKラジオ深夜便、こんやの午前2時代のロマンチックコンサートは「ポール・モーリア」特集だ。ヒーコラヒーコラしたストリングス、急ぎぎみのリズム、人工的なベースライン。それが、なんだか妙に良い。記憶の触手が夜空にざわざわ揺らめくような懐かしさがある。


ポール・モーリア音楽など普段から好んで流しはしない。どこにでもかかっているからだ。人通りが朝も夕暮れも同じくらい閑散としている、商店街のスピーカーからスカスカと聴こえていたり。水族館のイルカショーで、曲にのせてイルカが輪を飛び越えていたり。三級ホテルの一階によくある、喫茶レストラン(おかっぱのベテランウェイトレスが一人暇そうに突っ立っている)にかかっていたり。



時代感のせいもあるが、水中花のような音楽だと思う。ただ造花だというだけではなく、安硝子のひんやりした水に漬けてあるはかなさが、とても似合う。【オリーブの首飾り】などはもうマジックショーの記憶にまみれ過ぎていて、音楽として耳に入ってこないのだが、改めて聞くと名曲だ。



学生時代の研修旅行先で、深夜に皆で那須の施設を抜け出し、夜歩きをした。本来なら門限を守らせる役目の助手のK野さんが一番はしゃいで先導していた。そして星空に響くような声で「なんかほら!ポール・モーリア【恋はみずいろ】って感じの夜じゃんね!」と言った。その感じが理解出来たのはそのとき私だけだったな。ふと思い出した。



学生気分のまだ抜けない新任助手の、過ぎ去った学生という身分への微妙な思いというのがあったのではないか。教員になって助手を見ながら、初めてそんな彼らの揺らぎを垣間見ることがある。それがポール・モーリアとなんで結びつくのかはわからないけど。K野さんが言ったのは、青春の夜の淡さみたいなことだったんじゃないか。



自分の人生のテーマ曲には、じつは歌謡曲でもクラシックでもなく、風景のどこか遠くから漂ってくるペナペナに薄いイージーリスニングの方がいい。そんな感覚は今もつねにある。イージーリスニングのBGMとセットの「薔薇やスワンが似合う愛」には、全くズレたところにある自分自身の孤独な愛がかえって浮き彫りになる。そういうのがいい。

「なんとなくよかった時代、へのうっすらした喪失感」がボディブローみたいに効いてくる…そんな夜にはポール・モーリアはピッタリなのだ。



by meo-flowerless | 2017-03-03 02:50 |

混線電話

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中学生の頃から寝床で深夜ラジオをよくつけていた。
聴きたかったのは内容ではなく、一種のノイズ音楽のような心地よさだった。
受信しづらい異国のラジオ局が特に好きだった。当時まだソビエトだった頃の「モスクワ放送」や中国語放送が、大風のように寄せくる雑音のなか、切れ切れに聞こえてくるのなど、たまらなく良かった。
周波数が安定せず、音声が異国に寄ったり日本に寄ったり、どちらも遠ざかって雑音に戻ったりする。雑音は激しい荒波を思わせた。
ザッと突然主張してくる北朝鮮らしきハングルの乱数放送など聞こえてくると、当時その目的を知らなくとも、なにか自分の空間をジャックされたような小さな非常感とスリルを感じた。



ラジオの雑音から派生した憧れは、混線電話に対する憧れだ。
初めて混線電話に当たったのは、大学に入り長電話するようになった頃だった。
携帯もない、アナログ回線の時代ならではの話だ。
友と話しているはずなのに、誰か女が口を挟んできたのでドキッとした。友は何も気にせず会話を続けているが、時々「ふん」とか「たっ」とか意味不明の女の相槌が聞こえる。
「ねえそこに誰がいるの?」と聞いても友には何も聞こえないらしく、君はなんかのまぼろしを聞いてんのかと怖がるばかりだ。



そのうち、その女が相槌を打っているのではなく別のおしゃべりをしているのがわかるようになってきた。これこそが混線電話なのだと気づいたときに異様なくらいに感激し、拍手したいくらいの気持ちになった。あのときの感激はいったいなんだったのだろう。暗い台所の闇の中で電話していた、その光景も克明に覚えている。その音声だけをじっと聞く為にしばし友を黙らせた。



友は全く混線の声が聞こえないので苛々し始め、また私たちは会話に戻った。すると今度は混線の向こうの女がどうやら混線に気づき始めた雰囲気だった。
女は「もしもーし」を繰り返し始めた。こちらに語りかけているようだ。とんでもなく遠くの望遠鏡のなかの手の届かない人々が、こちらに向かって必死の手を振っているような気がした。
この奇妙な切なさは「遭難」感覚だな、と思った。
ラジオの雑音に感じていたのも、難破船の音信のような不安感と悲哀だった。この電話の女も、今どこかの時空に置き去られて迷子になっているのかもしれない。
「もしもーし、聞こえますか?」と試しにこちらも言ってみたら、それだけが聞こえたようで、女が一瞬黙った。



雑音に阻まれ、その後混線電話の主と意思疎通出来たということはなかった。
その後二度ほど、混線電話を経験をした。向こうがなにか深刻そうな話をしている声音を、こちらだけ聞いてしまうようなことがあった。はっきり内容までは聞こえないのだが、自分という存在が消え、他人の人生の背後の壁にに塗り籠められているような怖さがあった。



混線の感覚は、いまでも好きである。日常にふと通信が混濁するような状況の中で、自分の位置をひととき見失いたい気持がある。
「漂流をする」感じが自分には大事なのだとは、別のことから自覚していた。修士論文もそんなことを書いたが、あの頃はまだ言葉の上っ面でしかそれを書けていなかったように思う。
自分がなぜ漂流者の不安を持ち続けたいのか、遭難の不安定さのなかで途方に暮れたいのか、は簡単に理由を説明できることではない。実際にそうなったら、小心な私は心細さに衰弱死するかもしれない。惹かれるのは「実際の」漂流や遭難では、ないんだろう。



自我から逃れる漂流、忘我の海での遭難、のことを、私は執拗に書いたり描いたりしているのかとも思う。自分の記憶以外の他人の記憶に通信ジャックされているような感覚、雑音の荒波の上で人生の難破船が交錯するような想像に、いまも胸がうずく。
by meo-flowerless | 2017-02-04 16:42 |

【みちのくひとり旅】 山本譲二

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一緒にテレビを見ていた父母が北島ファミリー推しではなかったので、1980年に山本譲二が【みちのくひとり旅】をヒットさせたときも7歳児の私は、一見シレッと黙って、その歌が流れる画面が移り行くのを見ていた。
しかしいまになって思う。その時は好きとは思わなかったその歌こそが、自分の心に歌・男・女の色濃い三角形を刻み込んだのだと。



「お前が俺には最後の女」
はっきり覚えている。この一言は7歳児の心をも、ズギューンと撃ち抜いた。
他の歌詞の部分は覚えはしなかったが、彼が歌を盛り上げていき、クライマックスで繰返し絶叫し最後に呟くこの一言は、恋愛だの流浪だのの意味が分からなくとも、叫びとしてストレートに伝わってきた。



同じ頃に流行った【雨の慕情】の「雨雨降れ降れもっと降れ 私のいい人連れてこい」、【異邦人】の「貴方にとって私 ただの通りすがり」、【ダンシングオールナイト】の「言葉にすれば 嘘に染まる」などの歌詞も、子供心に気になりはしたが、結局「んまあ大人はいろいろうまくいかないこと多いんだね」というくらいにしか思えなかった。
しかし、譲二の唸る「最後の女」は、腹にパンチを受けたようなインパクトで、納得させられた。「そう言われたら女は本望だ」というのを、なんらかのもっとかんたんなコドモ語で、心に呟いたのだった。
父母が流れ者だったわけでもなく、円満な静かな家庭しか知らぬ自分が、何故その言葉に動かされたのかはわからない。



思春期のある日、本の中に「男は最初の恋人になりたがり、女は最後の恋人になりたがる」という一節を見いだした。
「...みちのくひとり旅じゃん」と呟く。それが、かのオスカー・ワイルドの有名な一言であることも知った。
そのときなにか、とても不機嫌な気持になったのである。うまいこというなあ、さすがだなあ、と頭では感心しても、譲二の叫びを最初に聴いてしまったこの身体が、それを許さん。
「文学者が気取ったこと、わかったように言いやがって」というむかつきがほんの少し、よぎったのだった。オスカー・ワイルドの言葉から【みちのくひとり旅】の歌詞が生まれたように推測出来るのだが、私には違うのだった。



いま改めて【みちのくひとり旅】を聴いて、考える。一見共通点のあるようなオスカー・ワイルドの言葉との、しかし決定的な違いはどこなのか。オスカー・ワイルドの言葉が、上からの俯瞰視線で男と女をわざわざ対置させていること、余裕しゃくしゃくな皮肉を帯びていること、恋愛における生物学的ズレのみを言い当てていること、違いの理由はいくらもあるだろう。
でも私自身の感じた違いは何なのか。お前、と私だけが名指されているように感じることか。でもそれだけでは足りない。



オスカー・ワイルドの言葉の中の男女は瞳がかち合ってないでズレている。しかし譲二と女(私)の心の瞳はかち合っているのだ。
譲二が、これが最終女と認定した女を「背中の目」で見つめながら暗に言っているのは、「俺はお前の最後の男、と今だけは信じさせてくれ」である。
その後の女が実際に貞節を守りきるか信じてはいなくとも、「今だけは」 信じさせてくれる心の瞳のかち合い、を譲二は求めているんである。



月の松島、しぐれの白河。歌前半には、男の彷徨の長さが簡潔に凝縮されている。
譲二の長い足がとぼとぼと海岸を歩き、町に流れ着いて誰かと束の間の所帯を持ち、またふらりと出て行ってしまう夜明けの駅。高倉健の映画等に重なって場面が浮かぶ。
高倉健の徘徊の世界は、俯瞰して見てしまうと「なーにをこの男はまた同じことワンパターンに繰り返して」なのだが、絶対に絶対に俯瞰してはいけない。いわゆる母性本能なぞが働いて「ほんとにしょうがない人」などと包み込む心理も、いけない。女は線路の際に黙って立ち、列車が去った方向を「水平」に見送らなくてはいけない。
男は長く孤独でいると獣に近づく。獣が極限で求める他者の視線というのは、たとえ相手が女であっても同じ「獣」のものなのではないか。それは俯瞰しても雌伏してもいけない、同じ高さの目線の、沈黙のやり取りなのだと思う。



サビの訴えかけるような繰返し。
例えどんなに恨んでいても、例えどんなに灯が欲しくても。
例えどんなに冷たく別れても、例えどんなに流れていても。
このボディブロー。譲二はパンチドランカーの痛々しい姿の最後の煌めきを放つ。運命はそうやって、留まる所のない襲い方で人を襲い、翻弄する。
血みどろでやられっ放し、ふらふらの男を見て心引き裂かれながらも、本能的にそれを「止めてはいけない」とわかっている女心が、「お前が最後の女」の一言で、瀕死のボクサーの腕が絡み付いたリングのように黙って男を受け止める......
いつしか【あしたのジョー】の話になっている。



要するに、自分の言いたいのはこういうことだ。
なにも女(私)は「自分こそが最愛の人になりたい」わけではない。なったら嬉しいけど、それで満たされるのはプライドだけなのだ。
それは、男の何かに惹かれ目が離せぬ女の本能とは、関係ない。



男の人生を、見ていること。じつは、容易なことではないと思う。
結婚しさえすればその権利を得てまたその気持を維持出来る、というわけでもない。流れ着いた最後の愛人だからといって、男のそれまでの彷徨を理解出来るわけでもない。それは、男女が互いのどの位置に収まることでどういう価値を守り合っていけるとか、という話では無いのだ。
男には何かを「見せる執念」と迷いが残り火のように残っていなくてはいけないし、女にはその残り火の光を「見ぬく執念」と勘が要るのである。演歌ではそれを、未練と言う。未練とは、グズグズとした情の縺れなんかであるよりも、人生の本気の「執念」の別名である、と思いたい。これは男女の問題というより、人間の烈しさや密度の問題なのだ、と。
仮に「お前が最後の女」と言われ、自分の心が本当に報われる部分がどこなのか、と言えば、お前が一番魅力的だったとか、お前の懐にようやく帰り着いたとか、お前が好きだから一緒に生き死にしたいとか、のニュアンスではない。
それは、単純なようだが、「お前には俺を見る目がある」というたった一言の意味だと思う。


まあでもやっぱり、何で7歳児にそれが響いたのかは、わからないなあ。
とにかく昔の演歌は、いいですよね。
by meo-flowerless | 2016-12-26 01:11 |

八月の砂、九月の砂

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焼ける熱い砂の上をビーチサンダルで歩き、波打際で裸足になって立つ。熱さと冷たさの入り混じる中に足が崩れ溶けていく、不思議な感じ。
これをするなら盛夏ではなく、八月と九月の境目の今ごろがいい。日射にひりついた頬を涼しい秋風が撫でていくような、矛盾ある気候のなかがいい。砂の熱さと冷たさ、優しさと残酷さを両方感じる。
「砂の優しさと残酷さを両方感じる」。たとえるならそういう経験で一生を埋め尽くしたいし、そういう経験によって一生をほどきたい。



もし砂というものに自我があったら。それは岩とも水とも違う感情を持つだろう。
陽にも水にも馴染み、熱くも冷たくもある。何かをきつく埋めもし、何者にも掴ませずに散りもする。その変幻自在さは、自我というもののイメージからはほど遠い。けれどそのように存在する自我というのもあるんじゃないか。何をも静かに偲び、ぎっちりと埋め、虚しく風化させる。そういう最終形態のような自我、というのにずっと憧れ続けている気がする。
人らしく暑苦しく蠢かずとも、砂のようでありさえすれば関われる世界もきっとあるはずだ。と、そんなことばかり考える。



八月と九月の境目にはよく、二十代前半の頃を思い出す。様々な場所への旅は、大体この季節に行った。孤独の密度を吟味していた頃。あの孤独は実は、青春を過ぎた今も続いているのかもしれない。
石川セリの【八月の濡れた砂】の、「あたしの夏は明日も続く」という歌詞のように、身体の老いや時の進行とは裏腹に、永遠に時も経ず取り残されたままの自我が、いまもどこかにある気がする。



この歌が、甘い青春の痛みを歌っているのには違いない。が、「あたしの夏は明日も続く」という歌詞の不滅感と不死感には、静かな凄まじさを感じる。打ち捨てられた船や取り残された人の、季節に焼き尽くされる側の痛みではなく、何をかもを焼き尽くしてしまってまだなお残る、太陽の側の孤独を感じる。
「あたしの海」「あたしの夏」、それらを所有するのと引き換えに、この歌の「あたし」は決して、「あたしのあの人」や「あたしの幸福」のようなものは所有出来ないのではないかと思う。



あたしの海を真っ赤に染めて
夕陽が血潮を流しているわ
あの夏の光と影は どこへ行ってしまったの
悲しみさえも焼き尽くされた
あたしの夏は明日もつづく



この曲が大好きで、この晩夏の情緒で一生を生き抜きたい、と思っていた。明るくはじけたりはしない、暗く焦げ付く灼熱。光と影のコントラストの強い、夜のような真昼。不気味に眩しい時間。青春という虚構に冴え渡る孤独。濡れた砂のように、熱さと冷たさ、堅さと柔らかさの入り混じる情緒。



中島みゆきの【船を出すのなら九月】という歌もまた、自分の世界の形成の底にずっと横たわっている一曲である。八月の灼熱が醒めたあとの世界だ。
歌詞の夢幻感だけでない、冷たくはりつめたメロディー、遠い他人の夢の中みたいな声、世界への拒絶や距離をそのまま音にしたような編曲、すべて醒め果てている。
【八月の濡れた砂】の「あたしだけの海」は、つまり「誰もいない海」なのだ。「あたし」のすべては「残骸」のようなものの全てに等しい。濡れて熱い八月と、渇いて醒め果てた九月、この二曲は、自分の中で対のような曲だ。



二十代のころ、薄ら涼しい九月の北海道へ船旅をした光景が、この曲に重なる。
台風後の黒く荒れた海原。銀色のイルカクジラの群れ。遠い国後の島影。ロシア語の混線ラジオ。蜃気楼か国籍不明の難破船か、遠い白い船の影。青々した幻灯のように、脳裏に残っている。



あなたがいなくても 愛は愛は愛は
まるで砂のようにある
人を捨てるなら九月 誰も皆冬を見ている頃の九月
船を出すのなら九月 誰も皆海を見飽きた頃の九月



中島みゆきの歌には、さいはての土地で孤独に生きる時間感覚、たとえば灯台守や誰も来ない山の観測所勤務や、海原の船上で日誌をつけている人々などの持つであろう、ぎっちり密度の詰まった孤独な時間を感じる。
いわゆる「世間」のペースについていけないようなときがたまにある。時勢の雰囲気や様々な風潮に押し流される。そんなとき彼女の歌を聴くと、自分の中の時間の流れ方、ものの見つめ方が、ふと変わる。



この曲もまた「砂」的だ。延々と砂時計で時間が測られている感じ。
砂の凝縮感だけではなく、その脆さや、あらゆる密度が結局無に帰する無常感、も、この歌の底に流れる。
人情の不安定さ、愛の永遠ではなさ、に嫌気がさすとき、無機物や殺風景の非人情にかえって心を寄せたくなる。自分の存在よりも遥か時を超えて残り続けるものたちは、想像を絶するような優しさを持って感じられることがある。風化しようと、言葉なきものであろうと。



これらをよく聴いていた二十代のある日に思ったのだ。
砂のように緻密な孤独を観察することに、一生を賭けよう。徹底的に個と対峙する、そういう人生がこの世の片隅にあることくらいは許されているはずだと。何かを見失いそうになったら、砂を裸足で踏みにいけばいい。
そういう感覚は、今も喪われずに自分にある。
by meo-flowerless | 2016-08-29 08:10 |

Clusterとマリン・サイエンス

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勤務先の大学まで、公園の道を十分弱。よく公園の前でipodをリセットしてClusterの『Grosses Wasser』や『Sowiesoso』に、音楽を切り替える。
するとなぜか白紙の気持で大学の仕事に従事できる気がする。シリアスなのかふざけているのかわからない内省的な電子音を聴きながら、「仕事だ、私は一応先生だ」という精神統一をはかる。



Clusterの音楽が連想させる「研究機関」感覚が好きだ。ラジオ放送大学のジングルのようにも思える。自分はピコピコいうテクノになってしまうともうあまり聴かないが、Clusterの音楽は何とももどかしい密閉的なミコミコ電子音なのがよい。
NHK教育チャンネルの科学番組の、シャーレのカイワレ大根の芽が伸びる早回しとか、蟻の巣の断面の早回しとか、菌が増殖したり黴が繁茂するようすの映像とか、そういうものが映し出されるときの音楽を思わせる。



「研究機関」感覚には昔から淡い憧れを持っていた。いま技法材料研究室にいて感じるのもそれなのかもしれないが、まあ、もっと理科系の研究機関への憧れである。なぜならば私は理数系が壊滅的に弱く、ほんとうに小学校三年生程度の知識しか頭に残せなかった人間だからだ。研究という雰囲気だけが、大人の世界のものとして、憧憬を呼び覚ますのだ。



きょう母校の中学高校一貫教育校をひさびさにたずねて、教育実習の見学などをさせてもらった。
懐かしいというよりも苦く蘇ったのは、自分の大学四年時の教育実習の記憶ではなく、中高の生徒だった頃の自分のほうだった。
高校時代は特に理科の時間を、睡眠かドローイングにしか使わなかった。上の写真は高三の時のノートであるが、書き留めている学術用語は全く頭には入っていない装飾的な文字である。



高校三年時。
窓の外に深紅のネムの花が揺れていたのを今も覚えている。五時間目の眠さと、ネムの花という響きがシンクロする。
私と似たような馬鹿どもばかりが教室の後部を閉めていた「生物特講」では、高校の先生とは思えない学者然・教授然とした平林先生が、不真面目な生徒といつまでたっても言葉を発さずにダンマリ対峙していた。
スマホこそないものの、私達はこれ以上ないほどやる気のないからだの形で、それぞれ思い思いのことを勝手にやっていた。最低の生徒だった。



ある時、平林先生は【Marine Science】と、それはそれは巨大な美しい字で黒板に板書した。
それは先生の本来の専門分野の呼称だったのだろうと思われる。
それだけで、以降は黙って哀しげに生徒たちを睨みながら、一時間過ごした。もう授業の最終回に近いときだった。
落書きばかりしている不真面目な生徒のひとりでありながら、内心、どんなに先生はやるせないだろう、と胸がきりきり痛んだ。
胸が痛みつつ、その平林先生の細い剥げメガネ姿をデッサンしていた記憶がある。【Marine Science】という、たったひと言の授業の板書も、そこに添えられた。



休み期間など家で絵を描く時に、「ラジオ放送大学」を流す習慣がついたのは、その頃だ。
無機質な電子音のジングルが、学校のチャイムのかわりに、授業の間合いを区切る。全く意味の分からない様々な「学問」が、誰も邪魔されることのない密閉された静けさのなかで、淡々と語られていく。全ての声の主が、平林先生のように思えた。
心の中の学者先生への罪滅ぼしというわけでもないのだが、神妙にその放送の静けさを享受していた。平林先生のような学者先生は、本当はここまでの静けさの中で話したいだろう、と思った。



大学受験のとき、センター試験の会場は東京農工大学だった。
おそらく農工大の教授と思われる学者らしい人々が、ヨレッとしたトレンチコート姿で試験監督にあたっていた。
古い木造の校舎には達磨ストーブの匂いがし、一つ一つの教室には、「家畜病棟」「硬蛋白質研究室」とかいう(イメージ)、筆字のプレートがかかっている。
学問。研究。静けさ。密度。大学の研究室空間への憧れが決定的なものになった。


その試験日は、雪が静かに降っていた。
聞こえてくるわけではないけれど、各研究室のストーブのジジジという音を空想の底に感じながら、センター試験を受けた。
放送大学の静けさを、頻りに思い出した。
一浪してもまた芸大受験を頑張ろうと思えたのは、もしかして芸大そのものではなく、その日の東京農工大の校舎や研究室の雰囲気に「大学」というものを憧憬したからかもしれない。



飛込み台みたいなのがポヤッと描かれた、無機質でとぼけた音楽のジャケット。
Clusterの音楽を聴くとまず放送大学を聴いていた悶々としたデッサンの白昼を思い出し、静かな学問空間への憧憬を思い出し、平林先生の影に行き当たる。
このジャケットも含めたCuster世界の白さと密閉が連れてきてくれるものは、あの試験日の雪と、先生が黒板に残して去った学者らしい文字【Marine Science】と、プランクトン的な「見えない涙」の哀しみだ。



e0066861_18135081.png 『Grosses Wasser』 Cluster 1979
by meo-flowerless | 2016-06-11 22:29 |

夜行列車の中島みゆき

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昨年、夫と四国まで夜行列車の旅をした。二十二時に東京駅を出発し、早朝に香川の坂出に着く列車だった。その列車の便が無くなってしまうというので人気があり、駅員に発券のタイミングを頑張ってもらって幸運にも切符が取れたのだった。
何度も東海道本線で通っている景色を深夜に目撃するのは初めて、それだけで心が躍った。
いよいよ発車し、こじんまりした個室の寝台に腰掛けて眺めると、景色が一連の黒い絵巻のように感じられた。



夜が好きだ。一日の出来事の終焉と同時に、記憶と気配の世界が立ち上がる。この時間があるだけで、自分はもう一つの別の人生を持っているような気になる。
闇によって化けた風景は素晴らしい。夜のほうが、その土地の地霊が語りかけてくれる気がする。
谷間に落としたウェディングケーキみたいな熱海の灯。静岡の青暗い茶畑の影。瞬間的な踏切音の余韻。あらゆる夜についての図鑑を、ひもとくようだ。
やがて、どことも分からない単調な田園の闇に列車は突入した。平坦な暗さの中、時折列車と並走するトラックのライトや、線路から斜めに延びる農道の青白さに、感情のどこかがぐっと掴まれる。



田の中にポツンとある農家を目が捕らえる。
階段の窓だけが開いていて、暖かい灯が点っている。家の匂いまで伝わってきそうだ。
階段には何らかの色紙か絵が、申し訳程度に飾ってあるだろう。かつて小さい兄弟が遊びで穴を開けた壁にベニヤ板が貼ってあるかもしれない。銀ラメの混じった砂壁の仏間。部屋の冷たい御座の匂い。母親が階下から「◯◯、電話」と呼ぶ声。
旅先で出会う家の灯は、みな何故か遠い親戚の家のように思える。その家族の佇まいを、既に知っているような気にさせられる。



窓枠に突っ伏して、いろいろなことを考える。
夜はなぜこんなに、様々なことを蘇らせるのだろう。自分の記憶だけでは収まらないほど、深い見知らぬ過去が私の中で溢れる。死ぬ前には脳裏に走馬灯のように過去の場面が流れる、と言うけれど、本当は人は、生きながら何度も記憶の走馬灯に襲われるのじゃないか。



例えば夜風に、横断歩道の鳩の音に、踏切を過ぎ去る電車に、止めどもなく情景が次々と蘇る。あまりに過去が流れるので、もうじきポックリ死ぬんじゃないかと不安になっても、今まで無事に死なずに来れた。
失恋にせよ卒業にせよ、あらゆる別れは小さな死なのだ、とも思う。はっきりした訣別の儀式などなければないほど、喪失の度合いは深い。あれはもう遠い彼方に去った、いつのまにか帰れなくなったと思うたび、「喪」の感覚が止めどもなく走馬灯を流し始める。



受信状態が悪く波音のような列車ラジオの向こうに、女の声の無性に懐かしい歌が聞こえていた。聴き取れないくらいの音声が、遠い土地にいて手の届かない人のように、寂しく優雅だ。
また旅愁の走馬灯が押し寄せる。知床の薄青い霧の民宿。小さい頃に訪れた高原。サーチライトの見える川のほとり。海の宿の赤いカーペット。初めて乗ったフェリー。宮沢賢治を読んだ夏の夜の蒲団.....



聞こえているのは中島みゆきの【歌姫】だった。地味な歌で印象になかったが、切れ切れのサビで分かる。
どこか古き良き日本映画音楽のような曲調だ。白黒の記録映画に残り続ける汚れのない海を思う。彼女は歌詞だけではなく、メロディでも旅愁を表現出来る。遠いラジオと中島みゆきの曲調は合う。特に情景喚起力のあるのが、彼女の故郷の北海道を感じさせる歌だ。原野や農場のイメージではなく、北の海の道という文字通りの、はるかな海原のほうを思い出す。




自分が青春時代にした友との車旅が北海道だった、というのが大きい。
私が歌謡曲十五巻テープを自分で編集し、三台の車でそれを分け合ってかけまくった。そのテープにも中島みゆきは入っていたし、カーラジオから中島みゆきの特別DJ番組が流れていた。土地柄、サハリンかどこかのロシア語の放送が混線して混じってきた。
札幌、小樽、帯広、中標津、別海、襟裳、釧路......何百キロの道のりは、歳のいった男の先輩たちの運転に任せ、ガキの同級生どもと私は、無責任に眠りこけたり景色を見たりしていた。
運転する男達の横顔にはじめて、大人というものの骨格を見た気がした。
知床の夜、あの流転感を感じたい一心で私は、その後も旅をして、人に出会っているのだという気さえする。以後の数知れない旅のディティールは、いつもその北海道旅行の原型の中に収納されていく。収納された記憶の箱を開梱するように、中島みゆきの歌は日本中の見返られない「普通の風景」をひもといてゆく。



松任谷由実のメロディは都会をさすらう逡巡で、中島みゆきのメロディは日本を流転する移動距離だ。自分の中の、東京郊外の逡巡風景から日本各地の流転風景への移行は、聴く曲が松任谷由実から中島みゆきへ移行したのに重なる。熱烈なファンのような聴きかたはしないがそれらの歌は、常に心のどこかにある、
僻地にひとり赴任する男の孤独とそこで男がみる女の亡霊の両方を兼ね備えたように、中島みゆきの歌は両性具有的だ。怨念的であり女神的でもあるそのイメージを総じて考えると、中島みゆきはつまり「地霊」的なのだ、と感じる。その在り方は自分の永遠の憧れでもあるかもしれない。



あの時北海道に一緒に行った人々は、旅景の守り神のような感じでもあり、うらぶれた歌謡曲の音源のようでもあり、懐かしい親戚のイメージの集約のようだった。よく歌い、旅をし、それがなければこの今の私はない。自分にとってのある種の決定的な切なさの原型、私の走馬灯をまわす存在なのだろう。
列車ラジオの遠い雑音の混線感覚が、あの旅行のカーラジオのロシア語や、薄暗い北国の空を蘇らせた。【歌姫】が終わるか終わらないかのあたりで、私は列車の寝台に横たわりながらうつらうつらしていた。
by meo-flowerless | 2016-05-27 22:22 |

【Yes It Is】 The Beatles

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中学生から高校生にかけて、帰宅中に延々と続けた、夕暮の街の徘徊。
あの頃の途方に暮れた心情にしみる音楽は、今なら幾らも見つけられると思うが、当時は当時で、この曲こそは、と思うものがあった。
ビートルズの【Yes It Is】である。ビートルズの中でも、地味な曲ではないだろうか。



小さい頃バイオリンを習っていたこともあって音楽の「イロハ」と言えば、詳しくこそないけれどクラシックだった。「チリヌルヲ」の部分は大人になってから集めた歌謡曲。その間の12-16歳くらい、「ニホヘト」にはビートルズがある。洋楽的な目で見れば有り得ない流れかもしれないが、音を広く考えれば、クラシックと歌謡曲の間にビートルズにハマったというのは自分には自然なことだった。



戦後ベビーブーム&全共闘世代の母親の影響が絶大なため、60-70年代の文化や音楽を、母の思い出をなぞるように浚ってきて、今の嗜好がある。小学生まで自分で松田聖子なんかの歌謡曲のレコードを買っていたのが、60年代アメリカンポップスやイタリアンポップスのテープ購入に変わり、その流れがビートルズにいった。自分の青春から脱線して、親の青春を追いかけるようなことをしていたのだ。



ギリギリCDではない時代だったから、良かったのかもしれない。赤い透明の特別LP盤が出ていたので、ひと月に一枚買い足していった。
入口が初期の曲だったこともあって、自分が好きなビートルズは、初期から中期までの曲が多い。ちなみにロック好きが必ず筆頭にあげる『Sgt.Pepper`s....』だけ、持っていない。
今ではビートルズはitunesでもかなりマニアックなスタジオのアウトテイク曲なんかまで売っているが、その頃は丁度、レコードからCDへの移行期で、シングル盤が手に入りにくかった。ので、LPに収録されていない「B面曲」が、割と手の届かない幻の曲だったのだ。
そのなかで一番追い求めたのが、【Yes It Is】という渋いB面曲だった。



ラジオか映画でか、【Yes It Is】をたった一度だけ聴いて忘れられなかったわけは、もうほとんど不協和音に近いくらいの絶妙のハーモニーの移行感だった。色のグラデーションのような音の流れだと思った。脳裏に夕方の空の暮色が押し寄せた。
ビートルズ好きにもいろいろあるだろうが、自分はとにかく、圧倒的に和音とその転調の美しさに魅かれた。



あてもない帰宅前の彷徨の時間にレコード漁りなどもしていたが、その時にも、忘れられぬ幻の【Yes It Is】をしきりに探し求めていた。【涙の乗車券】の裏面だったと思うが、それだけたまたま手に入らなかったのだ。結局、在るはずがないと高をくくっていた近所のぼろぼろのレコード店で見つけるという、青い鳥のような状況で手に入れた。



手に入れたシングル盤に針を落とすときの、雫を一滴落とすような緊張感を覚えている。
プカプカいうたよりないイントロはオルガンかと一瞬思うが、ジョージのギターだった。
無邪気なだけの青年から大人の男になっていくかげりが曲を覆い尽くしていて、蒼ざめた色彩感覚があった。朴訥だけど複雑で、情景が浮かびそうだった。
「赤い色は別れたあの娘の着ていた色だから今夜は着ないで、ブルーになるから」という、残り火みたいな歌詞が、曲の印象を絵画的にさせたのかもしれない。
中途半端な濁ったメロディから、地味に感情のボルテージが上がっていき、しかしまた曖昧な感じで終わる。「殺風景、というものは、本当は物凄く美しいのではないか」と思い始めていた時期で、そのような感情のフィルターで世界をまなざすようになっていた。その殺風景の叙情に似合う曲だった。



その頃【ランブルフィッシュ】という映画をビデオで見た。マット・ディロンとミッキー・ロークが確か兄弟役で組み合わせが魅力的だったのだが、曖昧なさまよえる視界が、印象的な映画だった。
面白いかと言ったら面白くないのだが、緊張ではなく弛緩の方に神経がすり減っていく感覚が忘れられなかった。ずっと白黒だった画面に一度だけ、赤か青かの熱帯魚がカラーで写される。その心象の色が、その頃の自分にぴったりとハマった。
その頃からなのか、たまたまそこから気付いたのか、自分の見る夢の多くは、夕暮の蒼ざめた色彩だ。この三十年、夢は九割九分と言っていいほどどこかを彷徨していて帰る当てがなく、途方に暮れている。
夢に出てくる青い夕暮の視界と【Yes It Is】は、印象として分ち難く繋がっている。



停滞感覚のある不機嫌な曲がすきで、前期ならこの【Yes It Is】、【I`llBe Back 】【No Reply】がしっくりきていた。ビートルズはとにかく長調のような短調のような揺らめくメロディラインが素晴らしい。甘酸っぱいとかほろ苦い、という複雑な味覚のミックス感のようなものがある。
ビートルズの殆どの曲が傑作だが、自分にとってはこの三曲の青春の停滞感のようなものは忘れ難い。三曲それぞれに思い出す、自分がうろついた場所の殺風景がある。今聴いても悶々とひたってしまう。
by meo-flowerless | 2016-05-11 00:26 |

マドンナの宝石

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脳天に降り注ぐ夏の陽ざし。
親も子供もまぶしさに眉をしかめ、歯茎まで出して、気怠い表情をしている。
白昼の遊園地、動物園でもいい。白い灼熱から、一気にひんやりとした闇のアトラクションに入る時の立ちくらみは、脳裏が緑色になる感じがした。
アミューズメント施設のギラギラ眩しい圧迫の中で、暗いアトラクションは、数少ない「好きな場所」だった。



プラネタリウム、水族館、夜光虫園、水中バレエ、ジオラマ。
「ひんやりとした闇のアトラクション」には色々あった。
キンとした冷房に、よどんだ意識が回復する。漆黒の地に浮き立つ見世物の色彩に、感覚が覚醒していく。
白昼の一角に区切られたアトラクションの暗がり、その冷たい秘密の宝石箱の感覚、その悲哀は、自分の原風景のひとつだ。そういう場所に流れていた曲の記憶もまた、音の嗜好にいまなお食い込んでくる。



「何億光年の彼方の光が、今、はるかな時を越えて、私達の地球に届いているのです....」
という感じの悠長な女の声の、室内アトラクションの館内放送が大好きだ。
別宇宙から夏のお中元として送られてきたような遠い声。くぐもりつつも、よく通る響き。
33回転を45回転にしたような甲高さ、それでいて不思議と心を癒してくれる、その名調子。
ナレーションもいいが、背後に流れているBGMが素晴らしかった。世界残酷物語の【モア】みたいなのもあるし、モーグ系電子音のようなのもあるし、ピアノのイージーリスニングの場合もあった。
どんな楽器を使っていても、ああいうナレーションの奥の音楽には、ポポピポポロン...みたいな「乙女の竪琴」感覚があった。宇宙と竜宮城は音楽的には繋がるんだなぁ、という感慨に浸る音楽だった。



私のなかに君臨している室内アトラクション館内的音楽は、【マドンナの宝石】だ。
弦を静かにはじく、「乙女の竪琴」感覚に始まる曲。水族館より、秘宝館むきである。
すばらしく、「女」を感じる曲である。
昔の結婚式場のホールにかかっていた、というイメージもまたあるのは、フルートのせいだと思う。この曲の最初のフルートの入り方が、まるで雅楽だ。聴くたび脳裏に、神主とお嫁が登場する。
実際には、暗い曲だから、宴席ではかからないだろう。



フルートの音には何故か、追い立てられて花を散らされていく女の哀しみと言うか、おねえさんの白い肌に秘められた思い、みたいなものを感じる。
和洋折衷な婚礼。鶴の柄の赤い絨毯。滝のある竹薮付き中庭。カマボコ味に似たフランス料理のオードブル。嫁いでしまう色白のお姉さん。式典の緊張から来る子供の吐気を、ゾワっとなでていくような、バロック弦楽奏と、フルートの震え。
自分があの曲【マドンナの宝石】を聴いて感じるそぞろな気持、肛門に重点を置いたような独特の切なさは、他人にこの音楽を聴いてもらっても共有が不可能な気がする。



ウチにはその昔「クラシック名曲大全集」10枚組レコードが二種類あって、子供の独断的な興味をもとによくかけていた。おきにいりは多摩テック(地元の遊園地)でいつもかかっていた【口笛吹きと犬】だった。
それらのレコードジャケットは、19世紀ヨーロッパの名画がそれぞれ表紙になっていた。なので今でもあるクラシック名曲を聴くと、名画が反射的に思い浮かぶ。
その中に一枚、ルノアールの裸婦と思われる表紙の盤があった。
それに【マドンナの宝石】というタイトルがついていて、アダルトめクラシック名曲10曲くらいが入っていたのだ。



ルノアールの、晩年の焼けたパンみたいな裸婦ではなく、初期のまだ締まりのある女の絵が好きだ。
ウチにあった画集で見て初めて「エロス」というものに気付いた、幼い頃の性典のようなものだ。
暗い緑のなかで煩悶するような少女の胸の辺りの光を見て感じる「ああこりゃ見ちゃいかん、でも見たい」の動揺は、今も変わりない。
ジャケット絵の少女は本当に玉(ぎょく)を磨いたような肌合いをしていたように記憶している。まさにマドンナの宝石だった。
家にあるルノアールの画集には、巻末の白黒の参考図版として【浴女 Femme Baigneuse】というタイトルで、横顔の裸婦のその絵が小さく載っている。しかし、ネットで今検索しても、その絵が絶対出て来ないのが謎だ。もしや後年、ルノアールでないと認定されでもしたのか。



暗いアトラクションの秘め事感、結婚式場のフルート音楽の悲哀、ルノアールの裸婦.....を連想させる要素が合わさって、【マドンナの宝石】に、官能的なものの目覚めのいくらかを知らされた、と思う。
by meo-flowerless | 2016-04-20 08:03 |