画家 齋藤芽生の日記 Twitter/ @meosaito


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カテゴリ:旅( 92 )

カカシ山

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東京の端の市、そのまた奥地、というようなところに十年前は住んでいた。
薄暗い山を切り開いた丘陵地の団地。建築群をカードみたいに差し込んだような風景がずっと続く。
牧歌的な地元農家暮らしもごくたまに見受けられるが、土地を団地向けの大型スーパーや駐車場に明け渡す家も多い。
殺伐さにさらに山林が陰影を加えている、それが八王子だ。


そんな風景の中、幾年も前の散歩の途中に、とてもインパクトのある山の畑を見つけた。
狭い斜面を無理矢理段々にしたような畑のそこここに、ハロウィーンの後始末のようなカカシが点在していた。


「うわー、手作りなんだろうな」....って、カカシは大体持ち主の手作りだが。
創意に満ちた人形たちに茫然としていると、畑の上のほうの小屋にいたおじさんに「良かったらゆっくりしていけ」と呼ばれた。
小屋でお茶をご馳走になりながら、世間話をしたりしてぼんやりした。
しかし何を話したか全く覚えていない。
烏骨鶏やニワトリが小屋で大騒ぎしていたせいで、その音の記憶しかない。
おじさんはその並びの小屋にベンチと座布団を置き、変わりゆく団地の丘陵を眺めて暮らしているのだった。  
畑の背後は山になっていて、おじさんとともに山を歩いた記憶がある。タケノコの夥しさに手を焼いていた。


日本のいろいろなところを旅するが、時折通りすがりのカカシのなまなましさやズレた創意工夫に心奪われることがある。
これが「カカシコンテスト」とか「時事ネタを織り込んだカカシ作品」とかになってしまったら、もうだめだ。
純粋に烏や雀を除ける道具でもなく、カカシの造形性を芸術性と言い切ってしまうのでもない、その間がいい。
人がお化け屋敷を必要としダッチワイフを必要とする....のとおなじところのハリボテへの情愛に魅かれる。


ずっとここを再訪したかったが、隣町に引越してから、行っていなかった。
さすがに畑もカカシも取り払われたかな、と十年の月日を経て、冷たい雨のそぼ降る中、今日訪れてみた。
カカシはひとまとめになっていたが、まだあった。
そして、雨のせいなのか、記憶よりずっとホラー感覚が色濃かった。おじさんはいなかった。烏骨鶏はまだ騒いでいた。
山の入口のカカシはもはや、道ゆく人を怖がらせるためとしか思えなかった。


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by meo-flowerless | 2016-03-14 17:45 |

八丁堀

この間、夜の運動場に水の反射がただ揺らめいている夢を見た。
ナイターの灯に照らされる何かの運動場。80年代のB級映画にはそんなテニスコートや夜のプールがたまに出て来る。12チャンネルでよくやっていたようなSF・エロ・ホラーの要素がいい加減にはいった映画。


その夢から覚め、「八丁堀」に、そんな夜のバスケットコートがあったような記憶が蘇った。
八丁堀。江戸前な土地の名と、B級SFの欧米人感覚のミスマッチ。
無人のバスケットコートは集光灯の白光をさえざえと照り返していた。宝石のないショーケースのようだった。
誰かの家に夜お邪魔する途中だった気がする。川もあり、水の照り返しの上ゆらゆらと橋も渡った。


なぜ八丁堀の記憶があるんだったか。経緯の記憶というのは本当にか細く淡い。
意識を遡ると、「Burnableごみ」という下手な字とともにその夜の記憶がある。
あの辺にあった外国人向けアパートの階段下に、誰か留学生が英語と日本語のチャンポンで書いていた貼紙だ。


そういえば、イタリア娘のフランカの下宿だった。
なぜか同い年くらいのイタリアの女の子の家に三回だけイタリア語を習いに通った。
油画科の級友が数人いた。その中の誰かが、殆ど行きずりのようにたまたま知り合ったイタリア人だった。それ以上の経緯が全く思い出せない。
青く浮遊する町と、下宿の壁にあった子供の落書きみたいな外国人たちの貼紙、ささやかなパーティーの残骸の折紙装飾の色彩だけが、次元スリップした別の星の記憶のように残る。


普段寡黙で訥々と喋る親友のワッコが「あなたの喋り方はイタリア語ではなくスペイン語に向いている。まるでスペイン人のようだ」とフランカに妙に褒められていた。フランカの作るカルボナーラスパゲッティに期待していたが、本場のイタリア人のパスタはこんなにまずいのかと思うほどまずかった。
確か三回しかレッスンがないままフランカが帰国してしまったので、イタリア語も全く上達なんかしなかった。ワッコが数を3まで数える「ウーノ、ドゥエッ、トレッ!」という叫び声が浮かぶから、そこまでは習ったのだろう。
そしてそれだけの記憶である。


そんなことを不意に思い出したあとに、たまたま永代橋から近代美術館のフィルムセンターまで歩いて散歩した日があった。
八丁堀も通った。この土地を歩くことは普段滅多にない。真昼の光景から何の記憶も辿れはしない。
あの不思議な時空、宇宙の星のようだと思った空間は夜の光のなせるわざだったのか、それとも土地自体が変わってしまったのかさえ、わからない。たしかに川はあるが、あれはこの橋を渡った記憶ではない。


バスケットコートなんかももうどこにあるのかわからないだろうな、と思った瞬間、斜めに伸びている細い庶民的な道が、急に目に入った。
おそらくここがフランカのアパートのあった路地だろう、と直感した。
赤いクレヨンの「Burnableごみ」の文字が、脳裏にまた揺らめいた。
連れが先を急いでいたので行ってみはしなかったが、記憶の本丸だけが、むきだしの果実の種みたいに最後に残されている気がして、不思議だった。


あの時のまずかったフランカのツナカルボナーラのスパゲッティの味だけはよく覚えている。これを書いてみたら、それが妙に食べたくなった。
自分も幸い料理はそんなにうまくないし、今日は一人だし、ぼそぼそスパゲッティにしてして作ってみようかと思う。
by meo-flowerless | 2016-03-06 12:19 |

ホーチミン日記8.18-2

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午後は、念願の「チョロン」地区へ。
チョロンとは地名ではなく、大きい市場街というような意味の地域で、屋根つき施設の大きな「ビンタイ市場を」中心とした、中華系問屋街の総称だ。
東京で言えば合羽橋やら蔵前やら浅草橋と、横浜中華街が合わさった感じ。
でもその熱気と言うか混沌の風景は、とてもとても日本人が自国で今の時代お目にかかれるようなものとは違う。


昨日は市の中心部の「ベンタイン市場」へ行ったが、これは観光客にも対応したスレっからしたところのある綺麗な市場だった。
けれどチョロンは、本当の中華系ベトナム庶民の生きる場としての問屋街だ。
タクシーが市中心部からはずれチョロンに近づくごとに、夢のなかで見たような捩じれた猥雑さを持つ混沌景が繰り広げられていく。
ありとあらゆる声の出し方のクラクションでお互いを牽制し注意をしあって、轢かれそうになっても何も気にせずバイクと車が進路を絡ませる。
日本人が住みついてもまずこの交通事情でストレスに陥るだろう。日本の硬質なスピード感覚、真直ぐな進路感覚で道を歩いたり走ったりすると、かえって危険だ。


バイクと同速度でゆく自転車のドラえもんガール。ドラえもんはベトナムで根強い人気キャラクター。

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by meo-flowerless | 2014-08-19 08:43 |

ホーチミン日記8.18-1

午前中のうちに、ホーチミン市立美大にて、このプログラムの開会式があった。
ベトナム、タイ、カンボジア、ラオスはそれぞれ近いので各美大同士の交流もある。極東から滑り込むような形で、芸大はこの東南アジアの交流に名乗りを上げたのだ。
芸大の偉い先生方は「東京芸大がいずれアジアのリーダーになるべく、交流の礎石を置いてこい」みたいなことを一応私に言っていたんだけど、そんなたやすいことじゃないし、そういう感覚ではいずれ何もかもから取り残されるような気がする。



ベトナムを初めとした東南アジアの国々が経験している様々な他国からの蹂躙と干渉の歴史、少数民族の存在、その結果による複雑な文化の絡まり具合。
一方、自国の文化が奇跡的な形で温存されているタイの人々の優雅さと誇り高さ。
背景を知らないまま近づいたところで、本当の意味での交流はなされないだろう、と感じる。

この市立美術大学にしても、「国立」ではないのは社会主義の国だからだ。国家は自由な芸術活動を奨励するわけがない。ベトナムの美術家たちは先鋭的であればあるほどアンダーグラウンドでの作家活動を余儀なくされていると言ってよい。
学生たちの作品は大まかに言ってやはりソビエト時代の美術の影響を受けたものがほとんどで、素朴な写実油彩や、労働や戦争をテーマにしたプロパガンダ的彫刻などが主だ。
そのなかでベトナムの伝統として温存されているのが「漆絵」「絹絵」のジャンルで、これの専門セクションは芸大で言えば日本画のように、絵画科の一部になっている。


かれらは頑なに自国の歴史をこちらに突きつけるような硬い態度を取るわけではない。
柔らかく細くしなる竹。それが東南アジアの第一印象だ。



日本のメンバーは私の他に、通訳のジャック、彼は米国からの留学生で博識な博士三年生。
高倉君はレバノンから帰国したばかりの第四研究室の卒業生、通訳可能なほど英語は堪能。
後藤さんは技法材料研究室の非常勤講師の女性。
西岡さんは日本画家の教育研究質の女性。


現地へ来てやっとその日その日の細かい時間スケジュールが発表された。
10日間のうちの初めのほうは、午前中に合同で様々な施設を見学、午後は自由、と言った形。
それでも朝、昼、晩はホテルに帰って食卓につくということが基本。
日本の旅館の食事つき宿泊とはまた違うのだろうが、食事に関しては外食抜きではなかなか不便ではある。

ベトナム料理は日本人の口に合うだけではなく、とにかく味のセンスがいいと言うか、何を食べても美味しい、と感じる。
すぐ隣にあるでかいスーパーで買うポテトチップの味付けまでもが、程よくガーリック、程よく肉パウダーが効いていて美味い。
二度目に訪れた漠然とした感想から言うと、悶絶するほど上手いレストラン飯を毎色食べて胃が疲弊するよりも、一汁一飯三菜を毎日違う形で簡易に出してくれるホテル飯のほうが健康的でいいのかもしれないけど。
by meo-flowerless | 2014-08-19 08:29 |

ホーチミン日記8.17-2

四時ちょうどくらいにお約束のスコールが降ってきて、またお約束のように止んだ。
私達のいる二階建てのホテルは、ビジネスでグループ宿泊するときの離れのヴィラのようなもの。
一日中となりのテニスコートから誰かのプレーする声が聞こえてくる。
赤いカーペットの廊下に新しい旅行客の男性陣、あれはきっとカンボジアの美大の先生方だ。
手を振ってみたら物凄く人なつこくみんなよってきて、お互い挨拶を交わした。


私達日本のグループは、ホテルでの夕食前にちょっとでもいいから、とタクシーで、市の中心部ベンタイン市場へ。
カラフルな虫のようなバイクの光景は、二度目の目にはもう珍しいというより包装紙の模様のようなデザイン的なものに見える。



味のわからない味つき煙草かなにかのエキゾチックな紙箱と銀紙をくしゃくしゃっとしたような、アジア的アルファベットの看板群。
フランスの植民地時代の名残のアパート建築群はどんなボロ屋であっても麗しい感じ。水色にひしゃげたリンドウの花のアールデコ調鉄柵に、安いお菓子色した洗濯物が引っかかっている。
コンクリートの壁がはげて結露とともに腐れ落ちそうだ。しばらく土の眠りから覚めることのない静まりきった過去の怨念を感じる。

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by meo-flowerless | 2014-08-18 00:58 |

ホーチミン日記8.17-1

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最近偏りきっているtwitterからじゃないのは、ここがベトナム・ホーチミンだから。
wifi環境はあるしネットは繋がり放題だが、twitterだけはアクセス出来ないのは、社会主義国ゆえの制限が掛かっているとかいないとか。
でも、久しぶりに旅行の手記を書くには、ブログのほうがいい。
最近長い文章を書く暇も書く気持ちも持てなかったけれど。ぼつぼつ再開するか。
去年も今ごろ小豆島の手記でブログ再開したんだよな。


観光旅行ではなく、完全に大学の仕事である。
学長が七月に訪越した際に、ホーチミン市立美術大学での、アジア各国美大・絵画系教員サマーセミナーの参加を決めてきた。
けれど、夏休みひと月前に急に東南アジア出張を決められるような余裕のある教授は、あまりいない。
私は話を伺って、二つ返事で承諾したのだが、他の四人の招待枠は教授たちではなく、卒業生、助手、非常勤講師、博士三年の若いチームとして構成された。
ので、気楽で楽しい。


夜中の一時に羽田を発って、タンサンニャット空港についたのは朝の五時。
それでも、先方の漆画のミン先生が、自ら車でホテルに送り迎えしてくださる。
事前にはあまり知らされなかった日程と、10日間の内容が、何となく今朝になって明らかに。
明日から芸大、ラオスの美大、カンボジアの美大、タイのシュラパコ−ン美大各5名ずつ計20名の先生が、同じホーチミンのホテルで寝起きと三食をともにし、ホーチミン市立美大で絵画制作と展示、そして最終的に3日間のセミナーを行うのだ。
自由な観光旅行ではなく、本当に学校の交流のため。
今日だけが完全にフリーな日だ。


早朝からホテルで残りの睡眠を取っていたが、私と同室の日本画の助手の西岡さんは、けっこう自分とも似通った気質があるのか、そわそわしてすぐ起きてしまった。
ので、炎天下の正午前に近所のスーパーまで二人で出て、初買物。
観光客としてまだ緊張感はあるものの、二人ともすぐにカラフルでキッチュな混合アジアグッズの世界に心奪われ、いろいろ買い込んでしまう。

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by meo-flowerless | 2014-08-17 14:34 |

超絶光速バスツアー

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物凄い風圧と排ガスに自分も布袋みたいにばくばく靡いていた。
空っぽの布袋に透明な光る絵巻がループして貫通していく。
百台ぐらい絡み合った巨大な宇宙シリンダーオルゴールの無数の穴や突起を、延々と自分の頭がギラギラ弾かされていく感じ。
夜の首都高中空を、生身で爆走してきた!


大学の授業で学生を連れて、というよりあの「工場萌え」を世に定着させた大山顕さんに連れられて、この一週間、都市への視覚が激変するような旅をさせてもらった。
集中講義のゲストで大山さんを御呼びしたが、講義も含め二つの都市ツアーは、視覚の切り取り方だけでこんなに高密度の体験が得られるのか、と、圧倒されるものだった。

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by meo-flowerless | 2013-10-13 00:58 |

島日記16

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湿っぽく別れを惜しむような感傷には浸らせない男気のようなものを、なぜか小豆島の海が発散してるから、浸らないことにする。
それでもこの今日は二度ないことも知ってるので、やはり何かを見ておきたいとも思う。
で、夕暮れ立ち寄ったのが白浜の海岸だ。


三都半島の突端、原生林を抜けて辿り着く最後の浜。
大きなフェリーやあらゆる船が眼前で航行する近さに驚いたことを、思い出す。
砂上に流され果てた漂着物たちがみな、静かな白骨のような終末感をたたえていたことも。


五月の陽射しの下で、私は黙々とこの浜で漂着物を採取した。
はじめは真徳の作品の素材集めを手伝うつもりで遊んでいたが、次第に漂着物拾いは麻薬のような快感を私にもたらした。
ものごころもまだないような、小学低学年の無我夢中のなかに精神が帰っていた。

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by meo-flowerless | 2013-08-22 01:36 |

島日記15

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銚子渓のジョンに会いにいく。
ジョンは山のドライブイン「銚子茶屋」に繋がれている犬だ。
愛くるしく見えて実に複雑な素っ気なさで対応する。おそらく老犬なんだろう。
毛玉がごちゃごちゃになった中に、白い下歯が二本だけ目立つのが赤塚不二夫的だ。

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by meo-flowerless | 2013-08-21 01:38 |

島日記14

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この海で泳げるのももう今日くらいか、と。荷物が減り暗くなった部屋で思い立つ。
陽に乾いた緑の森を車がくぐる。
毎日めまぐるしいカーブの揺れにも酔わず、海上を飛んで行くような車との一体感に馴染んだ。
小蒲野の浜に降りていく。
黒ずんだ電柱一本。萎れた夏草。深紅の鶏頭。墓前の造花の薄緑。

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by meo-flowerless | 2013-08-20 09:47 |