画家 齋藤芽生の日記 Twitter/ @meosaito


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カテゴリ:旅( 93 )

相模湖斜陽遊覧


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梅雨に入るとは思えない、爽快な晴天。
実家に母と居て「川原を散歩でも」と話していたが、それよりも少し足を伸ばし、バスで高尾駅周辺まで行く気になった。
最寄りのバス停で待っていると、思ったよりバスが早く来た。あれ?と、行先表示を見上げると「相模湖駅」行きと書いてある。なるほど…日に数本しか来ない神奈中バスに偶然遭遇したのだ。咄嗟に「相模湖に行こう!」と母を促して、乗り込んだ。



どの位の時間がかかるのか、母は少し不安そうだった。母は長くこの土地に住んでいるが、神奈中バスで高尾を越えて先に行ったことはないのである。30分以上はかかるように思う。私も、以前相模湖駅から高尾駅まで帰ってくるときに数回乗っただけだ。
高尾山を横目に通り過ぎ、その先の大垂水峠をうねうねと越えて行くバスだ。




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by meo-flowerless | 2018-06-03 02:01 |

珠洲再訪日記

珠洲再訪日記 2018.2.3~2.6

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旅路。

:::



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by meo-flowerless | 2018-02-08 20:58 |

夜歩く

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制作の大詰め、気分転換に近所の和食処で夕食。気力を出すためにウナギを食す。
食後、夫が腹ごなしに夜の散歩をしたいと言う。夜歩きが嫌いなはずだが今宵は珍しい。



澄んだ夜である。灯ひとつひとつの存在感が透徹している。
夫は作品の案を巡らせているためか、いろいろなものを探すように丁寧に目を向ける気分らしい。こんなところにこんな店があったか、といちいち立ち止まる。
ここは東京の郊外も郊外、場末中の場末の町。私自身が育った場所であり、愛着もなくはないが、うらぶれすぎていて、何の発見も今さらない。
しかし久しぶりにじっくり歩いてみると、暗い街道に時折光る各店の佇まいに、それぞれの人のドラマが垣間見えるようである。



海外に行って最も旅愁を感じるのは、その都市の「郊外の夜」である。
ベトナム、韓国、台湾、カンボジア、ずっと前に行ったドイツもアメリカも。どこの大都市でも、車や電車で幾つもの町を通り過ぎたころ、やっと旅の恍惚と浮遊感がやってくる。
暗い街角にポツンと灯るスタンドや、どうでも良いような飲食店、何故そんな時間帯にやっているのか解らぬ美容院、地元の人が何もせずたむろしているよくわからないたまり場。そんなわびしい乏しい光であるほど、惹かれるのだ。
この今いるわが故郷も、海外から訪ねて来たとしたら、まさにそんな町だ。
私がたったいま旅人であったなら、都心の観光色から逃れ、心ゆくまでこのわびしい埃と闇と一抹の澄んだ光のなかを浮遊しているといったところだろう。こんな気持で近所の町を歩くことが、あらためて新鮮に思えた。


ワインと珈琲を飲ませる感じのクラシックなカフェの【A】。私の小学生時代からあるそこそこの老舗だ。
店舗の位置が変わって新しくなった店構えは、蔵のように白とマホガニー色で統一されていて、覗き込むと本棚一杯の本かレコードが見え、居心地が良さそうだ。しかし、客がいつもほとんど居ない。自分も入ろうと思うが入ったことがいまだにない。


一つの理由に、中学校時代の【A】の記憶がある。
ある早朝、通学途中に【A】の急店舗の前を通ったとき、シャッターに大きくスプレーの殴り書きがしてあり、面食らったのだった。
そこには「良識派をきどる連中の店」と書いてあったのである。その文言のインパクトはけっこう強烈に心に刺さった。
普通の暴走族のスプレー書きも多い町だが、その文字は明らかにもっとオトナの客、もしかするとそこそこインテリな人間のに描かれたものだと推察出来た。それが薄ら怖かった。いかにもその店に合っているようでもあり、気の毒なような、近寄り難いような。その近寄り難さを壊したくないような気持で、今まで自分もその店に行かずに来た。
今夜も同じように居心地の良さげな灯りの下、質の良さげな材のたくさんのテーブルにも、客の気配はなかった。


バス停付近のゴチャゴチャした、造花の木の実のようにすずなりの小さなスナック長屋。歩道橋の階段の影の通りにくいところに入口があり、年中日も当たらず、どうしようもないくらい場所が悪い。
しかし小学校時代から潰れずに灯りを点している。いや、潰れては新しい店の名前で誰かが入りまた潰れては、を繰り返しているのを、私が記憶していないだけか。二人くらいしか客が入らんのじゃないかと思うくらいだが、ちゃんとどの店舗からも歌声や話し声が幽かに漏れている。小さすぎるし場末すぎる、こんなスナックの時空。非常に興味はあるものの、自分にはまだ何か遠い時空でもある。


幼少期からずっと駅の線路際にあった、平屋の日本家屋にオレンジテントの【O編物学院】。大好きな佇まいだったが、今夜見たら、建物も柿の木も庭も、全てが鉄骨の足場の中に覆われていた。近く壊されるのだろう。
テントに書いてある「ブラザー編み機」の文字。大きな編み機は昔、憧れの機械だった。手芸屋で一二度いじったことがあったようなないような。ジャーッと音がしていた記憶。子供心に「しかしこの機械が流行ることはないだろうな」と何故か思っていた。
毛糸の匂いと鉤針の金属の匂いは、まぎれもなく「昭和」ならではの匂いである。その匂いも大きな編み機も一緒にこの町の記憶から消されて行くのだ。



その通りの数軒先、数ヶ月前に店を構えた小さなカウンター三席しかない角地のラーメン屋【K】の灯り。やけに白々とした蛍光灯の簡素な店で、飾りが一切無い。そして客が入っているのをこれまで見たことが無い。
「ああ、今日も客がいない」と夫がつぶやく。「来ない客のために毎日仕込みをする気分はどんなもんだろう」
暖簾の隙からそっとのぞくと、独りの老爺が突っ立ってカウンターの中で客を待っている。夫はここに来ると、いつも心配そうにそっと外から客をチェックするが、自分ではその客になろうとはしない。
しかし今夜は、「じゃあ、こんど入ってみるかな。応援するか」とボソッと言った。



灯りを煌煌とつけ、いかにも哀愁のあるいじらしいような店舗に限って、いつもそんな風に客がいない。店の外装や内装は何となく不揃いなままにしている。店灯りが暗すぎたり明るすぎたり。中が見えすぎたり見えなさすぎたり。看板の文字体と灯りに書かれた店名の文字体が違ったり。「歌とお酒と手料理&おしゃべりの店」「歌えるスナック&ワインの店」など文言がゴチャゴチャして焦点がぼやけていたり。
そして一年くらいで消え、また同じような「中途半端に手作り感のある」「冷たいような暖かいようなちぐはぐな」別の店灯りに取って代わる。そういう町である。



いまはちょうど、店じまいの前後の時間帯。
店主が一人わびしく暖簾を片付けている。或いはじっとカウンターでテレビを一人見ている。もの静かな老夫婦だけが洋食をすすっている。店の中国人家族とその仲間が灯りを半分消してカウンターで喋っていたりする。そんな一つ一つの物語が見えた。それを今日は、とくに異邦人のような遠い気持で眺める。
駅裏の通り、この町にしては大きめのビルに【国際学院】という文字が見える。新しい外国人向け学校だろう。そういえばここ一二年で東南アジア系の人々をよく見るようになった。年末に郵便局に行ったら外国人の青年たちが故郷に荷物や手紙を送るので込み合っていた、と夫が言った。彼らから見るこの町はどんなふうに見えるのか。



「明日から俺少し夜歩こうかな」と夫がふと言う。運動のためもあるが、夜の空気には新鮮な発見があると思ったのだろう。
「夜歩く、という小説があるね」と私はふと思い出して行った。「誰の」「横溝正史の」
横溝正史ならたぶん幽霊とか夢遊病者の夜歩きのことなのだろうが、読んだことはまだない。しかし良いタイトルだと昔から思っている。「【夜歩く】だけか。良いな。そういうシンプルなタイトル俺好きだ」と夫もつぶやいている。








by meo-flowerless | 2018-01-07 21:56 |

ソフト・リゾート


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実家の正月テレビで、バブル期を振り返る特集をしていた。
ハウステンボスや新潟ロシア村、戦国村…
「この時代、テーマパークの建設が大流行!」とのナレーションに、真徳が「なんでこの時代にそんなに流行ったんだ」と呟く。9歳上でありバブル期には成年になっていた自分は「それはね」と、知ったかぶって答えようとした。
が、明確には答えられずかえって「?」と考え込んでしまった。




日本初ディズニーランド建設以来の遊園地巨大化ブーム。地方創生の金の流れ。核家族のレジャーに対する意識変化。色々要素はあるだろう。けど何かはっきりしない。
そこで携帯で検索してみて、久々に「リゾート法」というキーワードを思い出したのである。リゾート法.....そのあたりのことをきっちり抑えておかないと、最近モチーフにしているような「痴情と稚情に満ちたデザインの廃墟」の裏が取れない、と改めて思わされる。




正確に言えば、私の好きなドライブインやモーテル建築は70~80年代くらいのもので、80~90年代「リゾート法」施行下で乱立したフルーツ型バス待合室・カッパ橋・カブト型の駅、のような一連のキャラクター風デザインのものではない。そのあたりのデザインの変化の背景、心性をわかっておきたい。
私にとって、両者は全く方向性が違うのである。



今また、破綻したテーマパークのリニューアルブームだというが、インスタ映えSNS映えする、写真の後背・書割としての需要が見直されていることもあるのだろう。この平面的なリニューアルブームがまたいつか成れの果てを迎える時にはどのような有様になっているのか、興味はある。
しかしやはりいまの私が当分魅かれるのは、バブル前後のリゾート観やレジャー感の時差的な違いである。



バブル後期に「リゾート法」「ふるさと創生」などに呼応して出来た巨大テーマパークやその周辺のレジャー施設のデザインには、圧倒的に「エロさがない」と感じる。
いや、エロを目的にして欲しかったなどと言いたいのではない。
国民に課せられた息苦しい余暇、意識的な拝金、遊戯の強制感。「遊ぶこころ本来のゆらゆらした不安定感」を拒絶するようなデザイン性に陥っているのが、あの時期のテーマパークの特徴、と思うのだ。
役場の人々がやれやれと思いながら片棒を担がされているところもあったであろう。行政が家族の余暇と幸福を奨励しているところに、一抹のいかがわしさも生じるわけがない。



最近私がとくに思いを馳せているバブル前夜のエロさ・いかがわしさとは、単純に性産業的なニュアンスではない。「そのへんのカップルのプライベートな」「ソフトな下心」のエロさである。たまの休日だから「あの娘と」「チョット」「はめをはずす」非日常の草いきれ。
レジャーも性慾も、目的の価値というよりは気分に価値があったのかもしれない。
そのものズバリのラブホなどよりむしろ、普通のレストランやファンシーな土産屋のほうが、そこはかとなくソフトポルノ感があった、と思う。



70年代後期だったか80年代初頭だったか。とにかく自分の幼時、清里など高原リゾートが流行っていて、レイヤーカットの女子大生グループが女3人旅行などをこぞってしていた。
子供目線ながら、あの頃流行したメルヘンな白い建物やレースのカーテンに、どこか少し吐気混じりの淫猥さを感じていた。盛り場のイカニモという暗さより、高原のそよかぜにスカートが翻って生じるパンチラの「誘う眩しさ」。ソフトリゾートは、うたかたの青春の甘酸っぱさとおしっこ臭さ、観光向け牧場の乳臭さのいりまじった甘い匂いがした。



ちなみに、このレースの白さは、当時のスケ番女子高生などの奇妙な妖艶さ、赤さが対になっている。暴走族全盛期のスケ番の色気というのは、その前の和田アキ子や杉本美樹などの不良性ともおそらく違い、いまのヤンキーのわびしい感じとも違い、異様に際立った夜叉のような妖気を放っていたように思う。



しかし、中学生高校生くらいになると、アレ?というほど文化にも風景にも淫猥な匂いが消えた。
あれはどういう世の流れだったんだろうか。
テレビでも、どこにでもいる隣家の高校生のような子(そのくせ純潔性は普通に喪っている)、内輪うけで手を叩いて笑っているだけのタレントなどを毎日見ていなければならなくなり、憧れもなくなりテレビを消した。
ちなみに、ミッキーマウスなどのディズニー的価値・サンリオのファンシー価値からエキゾチックな臭いが消え、よりローカルにドメスティックに意味を再生産されていった気がするのも、その頃だ。サンリオは国産ブランドであるが、初期のハローキティや、もう廃れ果てたパティ&ジミーなどにはもう少し、敢えて演出された外国感があったのだったが。



90年代後期、自分の大学生時代には、書店に「廃墟本」が並んでいた。あれも一種のブームだったように記憶している。世紀末に合わせたというのもあるだろう。自分もその影響は、多分に受けていたと思う。
廃墟には魅かれ続けたものの、バブル崩壊に伴い破綻したテーマパーク廃墟のアフターユートピア感、ディストピア感というのは、その後のゲームやマンガ世代に受け継がれて行った。新たな「ファンタジーの戦場」として舞台になって行くのである。そこまで行くと、もう私の好みでは追う気になれない、別の文化圏のものになる。
ディストピア戦士感に満ちたゼロゼロ世代の手で、ソフトなへその緒にくっついていた白いレース付きテニス用パンティーは、いったん断ち切られて行ってしまった。



リゾート法前夜の、「プライベート・ソフトリゾート期」のような感覚。そんなものがあったのかなかったのか正確な時代性など解らないが、私の心の襞にはそう刻み込まれている。
あの頃眩しく思えたレースの白さは、今や表面的には、100均の写真立てにくっついているちっさいイミテーションカーテンなんかにささやかに受け継がれている。
妖艶なスケ番の髪の赤さもまた、何回も消費されたイミテーション和風な「紅」となって、ヨサコイの衣装に息づいているが、鬼気迫る輝きはさすがに喪ってしまっている。



しかし「プライベート・ソフトリゾート」は実は、中高年のこころと身体の水面下に俄然続いているんだ、と私は信じているところがある。いろんなかたちで、しぶとくね。

by meo-flowerless | 2018-01-03 16:57 |

瑣末で切実な望み

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他県の県庁所在地のバスが見知らぬ大通りをなんども曲がるうち、初めて乗っている私は「あれ、まだ曲がるのか」と完全に方向感覚がわからなくなる。
やけに甲高い女声放送が、「○○通り二番」とか「○○町四丁目」と似たようなバス停を二度ずつ連呼する。
その声はまた、停留所案内の合間に「銘菓は何々屋」「贈答品のご用命は○○町、何デパート」などと、地元ならではのローカル商店情報をも早口にアナウンスする。



生花を白紙に包んで持った和裁の先生のような着物の老女がバスに乗っている。生花には猫柳と、何か1本くらいは香る花が混じる。
その人のもう一方の手に提げている紙袋の文字を眺め、私は「ああ、今放送で言った何々屋の銘菓だな…」とぼんやり思っている。
その人からなのか、他の老女からなのか、かすかにナフタリンの匂いがする。



.....というような、何てことはないのに懐かしい一連の感じを味わいたい。



そのようなバスを降りた先の、宿か知人宅か、とにかくよそ様の日本家屋に泊まるとする。
夜まだ眠くはないが、客間の六畳の布団に寝かせてもらう。
目が暗がりに慣れて来た頃、部屋の襖に書いてある山水の模様を眺めているうち「実際、あの中にいたらどんな距離感か」とか「あれは何処の山なのか」などと考え始め、さらに眠れなくなる。



朝見ると、その家の電話のそばに「何々屋の銘菓」の文字の入ったカレンダーかメモ帳が貼ってある。路線バスの時刻表も貼ってあるが、随分昔のものである。
また、そんなメモ用紙にボールペンで走り書きしてあるタクシー会社の電話番号などをとても風情があると感じる。古くからありそうな油性ペンの黄ばんだメモには、局番一けたの電話なども走り書きしてある。



そういう経験がしたいのである。切実に。
いつかむかし確実に経験済みのようでいて、いつ何処でとは言えず、別人の記憶が乗り移っている錯覚を起こすくらい遠く、しかし近い将来にそんな経験を不意にまたしそうな。



ああ、こういうことが本当にしたいなあ、と思うことが、大抵他人にはどうでもいいことが多い。しかし、他人にはどうでもいいのだろうと思えば思うほど、そんなどうでもいい経験の望みが愛おしく感じるのである。
しかしそれは、わざわざそれをしに出向くような事柄ではない。日常の隙間にはらりと落とす塵紙のような、いつかの儚い経験の薄い積層が、ふとした風にもう一度動くのである。


:::


どこか関東の僻地のだだっ広い国道の十字路に、バスから降りてポツンと1人残される。
十字路の四角はそれぞれ広大な工場、トラック出入りする広大な資材置場、産廃処理場まわりの銀の塀、田んぼである。
店など一軒もないが、遠くにつぶれた道産子ラーメンの廃屋はある。
雨がボソボソ降ってこの上なく陰惨である。自分も用事を済ませるまで、そんな寂しい道を辿るのが憂鬱である。


雨の野のドラム缶から煙がくすぶっていて、何か人工物を燃やしているのが匂う。ああこれがダイオキシンの匂いだな、となんとなく思う。
二度とこんなさびしいところには来たくはないと思いつつ、何故かそういう記憶は鮮やかで、時間が経つともう一度経験したくなる。夜の夢の合間に、遠く懐かしくその雨の暗さを思い出す。



そういう国道沿いの殺伐とした中に、奇妙なほど優しげな洋菓子屋がちょっと奥まって店を構えていることがある。白い80年代的な店構えである。
恐る恐る入ると、太りじしで暗い瞳の中年男性が、白い上っ張りで静かに店内にいる。客に少し驚くような感じで、高い小さな声でいらっしゃいませ、という。



丁寧な手作りの洋菓子はクッキー系が多く、生ケーキは二種類くらいしかない。しかし手描きの貼紙を見ると、ロールケーキは自慢のようだから、買ってみる。店主の暗い目が少し潤んだような錯覚がある。ケーキを静かに渡してくれる店主の腕毛が、物凄く濃い……悲哀感をもって、腕毛を思い出しながらロールケーキひと巻を自宅でモソモソと食べるのである。



…というような妄想の旅を、この正月は楽しむぞ。

by meo-flowerless | 2018-01-01 21:43 |

風景


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風景の酸欠状態、いや風景自体の欠乏状態をここ数年感じる。
風景など何処にでもあるし、いま目の前にあるのも風景だろ、と言われても、それは違う。



旅などから帰るたび、東京の息苦しさに気が滅入る。しかし東京という土地のせいだけでもない気がする。
旅の浮遊感からもとの生活に戻ると結局ネット生活に依存したり、携帯から流れる一方的なニュースに感覚が支配されていく。つい過剰に受け取ってしまう、時代の同調圧力、伝染性。息苦しさにはそういうものが入り混じる。


社会というものが、あたかも大きな一枚岩の塊のように君臨しているように思えてくるのだ。実際に「社会」とは一つの目に見える単体なのではなく、無数の小さな人間のつながり、地域、微細な局面一つ一つが別々に連動しているものなのに。
それにも関わらず、同じ質のメディアの情報を毎日受け取りながら暮らすうち、「一枚岩の塊に組み込まれるか、組み込まれないか」という苦しい決断を迫られているかのような錯覚に陥る。


結局どこにも居ないしなにも見ていない時間、が、非常に長くなるのである。そうして「あらゆる別個の場所のどこかしこにこんな風景がある」いう想像の余地が、次々と薄れていってしまうのだ。


:::


花札の通称「坊主札」。あの何もない禿げ山の札を棄てるとき、「要らない札だけど、この札が一番カッコいい」と思う。他のはただの不動の絵柄だが、禿げ山はもしかすると、揺らぎ続ける「風景」のようなのである。あのニュートラルな空隙にはちゃんと幽かな風が吹いているのだ。それは何か、想像を託せるような余白に満ちているのだ。飛び込んで行けそうな余地、静寂があるのだ。


「風景」とはたぶん、棄て札であるべきなのだ。社会という大きな虚構の塊イメージからピッピッとはねられる、何の役にも立たず大義不在のよりしろこそが「風景」なのだ。


禿げ山の札には、佐渡島の突端、つかみ所のない大きな乳型の丘・大野亀を思い出す。冬の曇天。金色の海面の光。黙りがちな青年たちの寒そうな背。過去からずっと旋回して吹き続けているような重い風。無国籍な地の果ての空模様。
本当に何一つないところだった。枯れた草や石ころががポシャッとあっただけだ。
大学に入って目的もなく行った旅である。


最も風景の怒濤の恩恵を受けていたのはいつだったか、と思い出すと、大学一、二年の頃だとはっきり言える。
住んでいた柏から大学のある取手まで一帯の荒涼とした平野がベースになり、夜の東京、日本の果てへの旅、大学をさぼって流れて行く海辺....愛の鞭のように毎日毎日「風景」に自分は打たれていた。
あの頃の「風景」の総体が記憶にある限り、この先自分の魂は死なない気がするのだ。別に美しい景色ではないが、感情と感覚の全ての温床のようにそれらは今も私の圧倒的な拠り所になっている。


:::


「場所」という言葉には、皆の知っている土地などのイメージだけではなく、自分だけしか知らぬ所在不明の地点の孤絶感も含まれるように思う。しかし「場」という言葉はそれより多くの共有的性質をおびて、みなの場、あらゆるものの交錯ポイントのイメージを纏う。
いまの学生と話していると多くの子が、「場所」を語るより「場」について言及する傾向がある、と感じる。しゃべり場、社交場、のような感覚で。
伝わらなくてもいいから、みなで共有する「場」の話よりも、各々しか知らないそれぞれの「あの場所」の風景を語って欲しい。くどくどと描写して欲しい。
そういう願いがある。

:::


たとえば「思いを馳せる」といったときに、その人の思いは一体どんな天地どんな時空を駆けて飛んでいくのか。どんな距離でどんなスピードなのか。
そんな想像の一連の中にある天地、時空、距離の総体が私にとっての「風景」であるとも言える。


20年前のある湖畔から、たくさんのヘリウムガス風船を身体に装着して空に舞い上がり、アメリカ行きを決行したもののそれ以来消息を絶ったままの【風船おじさん】。都市伝説のようだが、リアルタイムで普通の夕方のニュースになっていたことをぼんやり思い出す。
彼のことをたまに私は考えるのだ。
一度、海上保安庁の飛行機が太平洋上の【風船おじさん】を追跡したのだそうだ。救助のサインをしたのだが、おじさんは装着していた荷物や重しをどんどん身から放して落とし、逃げるように高度を上げていったのだという。救助を拒絶する意志を見て取ったため、海保はそれ以上追跡をせずに戻ったのだという。国家の判断というのがときどき信じ難いようなものにおもえることがあるが、この伝聞にもそれを感じる。


高度を上げて行った時の彼の心に映っていた風景、身体が次第に冷え暗い天空に下界が見えなくなって行く風景、風船が一つ一つ萎み割れていくたびに覚悟とともに反芻したかもしれない人生の風景。
彼のその一連の「風景」について、自分の知る限りの記憶の山河を飛び越えつつ、私はたまに思いを馳せてみるのである。


by meo-flowerless | 2017-12-16 21:05 |

珠洲日記1 2017.8.22~9.5

8月22日


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金沢発、バスで3時間。片側に続く日本海。能登半島の先端の珠洲市へ向かう。今日からまた、海のそばでの生活。



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by meo-flowerless | 2017-09-05 12:52 |

佐賀日記〜波戸岬講座


8月4日



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新幹線で九州へ。長旅の始まり。飛行機じゃなくても、列車の旅はまあ楽しいからいいや。何もせず景色見て、食べて、寝て。内田百閒みたいだ。
弁当は必ずカツサンドで今日は浅草ヨシカミのもの。凄く美味しい。ウズラのたまご燻製もちゃんと買った。
この旅も、仕事ではあるのだが、兎にも角にも夏休みなのだ。あー夏休み、何と幸せなんだろう。何と有難いのかしら。リラックスして、背が10センチくらい伸びたように感じる。
音楽を聴くのに夢中になっていたら、あっというまに九州入りしてしまった。いつ海を渡ったのか波をくぐったのか…大学から家は死ぬほど遠く感じでも、不思議と東京から博多まではそう遠く感じないものだ。
しかしここからさらに唐津まで。そちらの方は流石に距離を感じそうだ。


ようやく車窓から海が見える。ぎらつく午後の波頭、千切れながら進む雲、九州特有のぽこぽこした山や島並み、濡れたような色の深い木立、全てが立体的だ。
かつて、白い砂浜を自慢していた九州女の母を連れて来たい浜。
そして自分自身が来たかった、理想の夏景色の只中に確かに来たことを感じる。



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by meo-flowerless | 2017-08-07 23:22 |

カンボジアの絵看板

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本屋の少ないらしいカンボジア。
私はプノンペン滞在中、ちゃんとしたハードカバーの本が充実しているという「モニュメント・ブックス」に立ち寄った。しかし噂通り、洋書ばかりの品揃え。カンボジア史に関する本は、アンコールワットとポルポトのジェノサイドについての本しかない。
そのなかにまぎれて、ふと心をくすぐるスキ間的な脱力系写真集があった。「カンボジアの田舎クラチエ州の手描き看板」(Hand-Painted Signs of Kratie /Sam Roberts)の写真集だ。

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なんと、痒いところに手の届いている本なんだ(私にとって)。
プノンペンをトゥクトゥクで走り回りながら一瞬道路沿いに見かける、なんともいびつなイラスト・クニャクニャした飾りクメール文字の看板にとても魅かれていた。しかしなかなかトゥクトゥクの速度から、それらをカメラに収めるのはきつい。そしてまた「のんびりプラプラと看板探しさんぽ」など、カメラ片手に徒歩で出来そうな安全な街では、絶対にない。



近隣の国と比べるのはナンセンスだとは思うのだが、やはりその国独特の何かを感じ始めると、他と比べることによって妙に感心したくなる。カンボジアに来てすぐ、ほんのたまに目に飛び込んでくる看板の絵のいびつないじらしさ、工具や家電などをいちいち図で示す独特さなどは、気にはなっていた。ホーチミンやチェンマイでは感じなかったことである。ベトナムは思い切り社会主義国のプロパガンダ看板が目立っていたっけ。


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ベトナム・ホーチミンのプロパガンダ看板。ある意味でふるめかしい味はあるが、かわいくない。



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タイ・チェンマイも印象薄い。





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上のこれらは【Hand-Painted Signs of Kratie】の中に出てくる、カンボジアの手描き看板。他のやつも一つ一つ見ていくごとにカラーといい文字の剥げかたといいヌケ感のあるタッチといい、デヴィッド・サーレ感たっぷりで、プロパガンダ看板のイラストよりもずっとコンテンポラリーアートを感じる。
この本には、看板職人の制作中写真などもあり、日本で言うところの銭湯の壁画職人などの独自の技法を身につけている職種であることが伺える。




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これは自分が出会った看板たちだ。もはや手で直接ブリキに描いてはおらずプリントなのだろうが、朴訥な味わいは絵の中に残っている。郊外の洗車屋には、秀逸なのがいくつかあった気がする。
歯医者は、このような「歯の断面」を看板にすることが多いようだ。また人の顔の看板は、どこか眼が焦点が合っていないと言うか、「目を黒く縁取りすぎた小さな眼の奥村チヨ」みたいな顔つきが魅力的である。
しかしこういう手描き看板がどこにでもあるというわけではなく、もうあまり見かけることはないのだろう、と推測される。


カンボジアの看板で思い出したのは、日本のローカルな街の床屋や美容室の硝子戸にカッティングで貼られたりしている、線描の外人ぽい男女の顔だ。都会のヘアサロンではお目にかからないイラスト。見かけるたびに反射的に撮ってしまう。カンボジアのイラストと似ているわけではないが、なんとなく心根はどこかで繋がっていそうな気がするのである。
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ネットで何となく情報を集めていると、やはり同じような興味を持っている人がいた。カンボジアの絵看板は、要するに「識字率の低さ」と関係しているらしいことが書いてあり、なるほど、と思った。
カンボジアの国民の平均年齢は20歳代後半という。私のような40歳代以上の年輩者の人口は、極端に低い。ベトナム戦争余波の大国からの爆撃または度重なる内戦で没したか、ポルポト時代に強制労働と貧しさで命を落としたか、国外に逃げたか、大量の知識人・教育者・技能者の虐殺の中に入れられてしまったか。そして生き残っていたとしても、その時期の一切の教育の断絶によって、とくに40歳代は今でも文字が読めない人が多いのだそうだ。東南アジアでも識字率の低さが突出していることの背景にはやむにやまれぬ歴史の被害がある。
だからこの本のなかにあるような懇切丁寧な「釣りをしてはいけない池の様子の図」看板やいちいち絵や図に示して客を呼ぶ看板は、大昔のレトロな様式なのではなく、教育を受けて字も読める今の若者向けのものでもなく、私ぐらいの歳の人間が見てそれが何を指し示しているかわかるように80-90年代に濫発した様式らしい。
そう思うと、深く考えさせられてしまう。


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コダック島で見かけたちょっとした看板に描いてあった、おおらかな味わいの図...
上の写真の青いペンキだけでスッスッと描いた山と川、その水面の処理など絶妙にセンスとバランスがいい。クメール文字の波打つ形、飛ぶ鳥の波形、山並みのウェーブがリズムよく呼応している!
絵心というものは切ない。どんな人のも、自分のだって、絵心はその人が日常を精一杯生きているいじらしさの宝庫、のような気がするときがある。下手とか上手とかが絵心の所在を決めるのではない、とも思う。

by meo-flowerless | 2017-05-14 01:55 |

プノンペン日記 2017.5.4~9

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プノンペン日記 2017 5/4~9

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by meo-flowerless | 2017-05-10 09:35 |