画家 齋藤芽生の日記


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2022年11月の日記

2022年11月の日記



11月某日


待ちに待った東京国立近美での「大竹伸朗展」が始まる。
内覧会を拝見できるという光栄な機会に恵まれ、ご本人のライブも目撃することができた。久しぶりの熱気にぼうっと巻き込まれ、幻を見ているような感もあり。
その恩恵とは逆に、一日の内覧会で会場全ての作品を見るのは時間的に不可能。
展示の雰囲気を感じ始めたすぐ最初から、これは五日間くらい...いや一週間はたっぷり通わないと網羅できないかも、という感が襲ってきた。


MOTの「全景展」の時の、人間の偉業に襟を正したくなるような感激とはまた別の、知らない異国に迷い込み全く知らぬ路地裏の光を見つけ夢中になる、そういう実際の旅の「没入感覚」を感じた。近美の天井高の低さが、逆にその密度の凝縮に一役買っているのかもしれないし、作品同士の色彩が反響して乱反射し、いつにも増して網膜に何色とも言えない色の残像が残った。


まだ全て見ることができず、一度に見たらぶっ倒れるような気がするので、6章立てをじっくり分けて堪能したのちに、また全体を見に行こうか、などとも思う。
恐るべきは、今までの制作量と人生の密度のはてにあるのが分別や枯淡では全くなく、解き放たれた軽みでもなく、息を呑むような妖艶さであるということだ。一つ一つの物質性が映し返す立体的な艶も、色香とさえ形容したい気がした。


自分も頑張らなくては、などという邪念もあっけなく吹っ飛び、ひたすら痺れる音楽を見つけて何度も聴く時のように一つ一つの作品の細部にあかず集中していられる。視覚からいろんな音を自由自在に近距離で聴き、耳で触ることができるかのようだ。
好きな音美しい音を聴きにいくような気持で、または異世界の路地裏を彷徨う気持ちで幾日か通おうと思う。



:::


古今東西の好きな絵についてコラムを書いて欲しいという依頼がかつてあって、話をもらった時はとても嬉しくはしゃいだが、やはり実際文章に書くことは簡単なことではなかった。自分が描き手であるが故に、絵画についてはどうしても主観客観の忙しく交錯する問答に陥る気がする。しかし非常に勉強になり、得難い経験だったと今も思う。


好きな音楽について、好きな本について、好きな映画について教えてと言われると、絵の時より倍くらいは小躍りして張り切るのは何故だろう。一冊の本になるくらい書きそうだし、琵琶法師のように節回しに乗せて延々と語りそうである。
無責任になれるからか?決していい加減には情報を書かないつもりだが。


たまにブログに一人で向き合ってそういう「好きな〇〇」を嬉々と書いていると、ふとそんなことをどこの誰が読むのか、自分だけで独りごちて.... と急に虚しくなったりもする。
しかしこのブログも思わぬところから文章執筆の機会に繋がったりするので、あながち無駄ではない。





11月某日



どんなジャンルかという内容はここには書かないが「好きな〇〇」について記憶を総動員する数日だった。頼まれ仕事のためである。
依頼内容は決して「好きな」という指定ではなくもっと広範囲に考えて良いものだったが、とりあえず好きなものからまずピックアップする。そして結果的に「好きな」という選択基準を外すことになるのが、自分の選択の流れだ。
「とても好きとは言えないが人生に決定的に楔を打ち込んだ」とか、「その業は自身の中にあるものでどうしても忘れるわけにいかない」とかいうことが基準になる。
そんな複雑な基準で選んだものが他者に伝わるのかどうかは微妙だが、やはり人生50年も生きてきて「好きなこと」を無邪気に語れる範疇は限られている。せいぜいお菓子の種類などだけである。どんな好みでももはや背後にそれなりの物語を引きずっている。


今日は奇妙な朽葉色の空で、その重たい雲から夕方の雨が激しく降った。
雨の中、夫と川を見ながら散歩。私はだいぶ視力が落ちていて暗い川面の鴨の姿が見えなかった。
夢の中をぼんやり歩いて居るような感じで、しかし「人生に楔を打ち込んだ〇〇」の話を互いに考え合った。多くの部門や選択肢の中で二人共通するのは一つの小説、松本清張の【ある小倉日記伝】だった。


「あのジャンルで今回選んだのと、同じ基準で『歌』を選ぶとしたらたとえば何なの」と言われたので、考えてみる。
ちあきなおみがカバーした【雨の夜あなたは帰る】はすぐに浮かんだ。中島みゆきの【エレーン】は今書きながら考えついた。そして外してはいけないのは仲宗根美樹の【川は流れる】なんではないだろうか。絶対に【川の流れのように】ではない。決して私のような人間が歌わない曲。でも流石に歌というものはどん底までを歌わないものなのだと感じる。
とにかく暗い。古いだけでなくいまだに暗いんだな、私の感覚は。


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展示を見にくる若い人にも学生たちにもよく聞かれるのが「今まで旅をした土地の中で忘れられないのはどこですか」「日本の旅先でおすすめの土地はどこですか」である。本当によく尋ねられる質問なのに、いつも答えを用意しておらず、その時々浮かんだままに答える。


答えられなさ、が怒涛のように私を押し流していく、そんな質問でもある、私にとっては。旅の記憶や記録は自分にとって最も「重荷」な財産なのだ。観光で行っているにもかかわらず、のちの余韻は観光の範疇をはみ出し、人生に食い込む。一つの土地を語るときにその土地の情報だけを切り取ることができず、その時の自分の状況や思いや人生の節目のことがつらつらとくっついてきてしまう。だから忘れられない場所なのだ、と。


それでも単純に光景だけで選ぶとしたらどこなのだろう......
今はどうなって居るかわからないが尾去沢炭鉱、佐渡突端の賽の河原、三宅島阿古の溶岩流跡、鹿児島の山川と坊津、福岡の海の中道、那智勝浦の祭りの船、岡山の金光と玉島などは、夢の中のような記憶がまだ鮮烈に残っている。




11月某日



自分の表現したものの感想について、「絵を見たら旅をしたくなった」「(展示を見たり本を読んだ後で)町の風景が作品世界の続きに見えた」などと言われることが一番嬉しい。褒め言葉より、ふと言われるとなお。それ以外に望みもない。


先日、列車の切符が取れないまま、気まぐれで立ちんぼの旅をしたことがあった。
2時間近く列車に揺られ車窓の風景を見ているのはきついのだが、結局こういう立ち位置は私の数少ない居場所なのだ、と感じた。
西日にあたった自分の顔半分が映し出される硝子窓から、過ぎゆく山々の色を見ている。赤や黄色や緑の流れを黙って心に通過させる。


私一人と向き合うようでもあるし、私自身を嘲笑するようでもあるし、やっと私という名のなにかから解放させるようでもある、列車の窓際。
誰かと目が合うことが万が一にもあるとすれば、駅のホームの降客くらい。それもゆきずりの偶然。それ以外にまなざし、まなざさされるのは、ひたすら風景だけ。



赤や黄色が韻を踏む。

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11月某日


休日。朝起きた途端、すでに目覚めていた夫が「森に行こう、森」と元気よく言っているのが聞こえる。
森とはなんだ?裏山のことかしらんと思っていると、そうではなく、夏に散歩した御陵奥の森林公園のことだった。


バスで行く距離ではあるのだが迂回して煩わしいので、川をわたり直線に突っ切り、延々と歩いて行くことにした。
御陵までは普通に歩き慣れているので、結局、遠くは感じなかった。
閑静な新興住宅地に隣接した森林公園。いや隣接というより、この森林を切り崩してあの住宅街を宅地造成したのだ。幼い時からここに住んでいる私には、新興住宅地の方が異質な感じがする。


森に足を踏み入れた途端、耳の受信の周波数が変わる気がする。微細なノイズに焦点が当たってゆく変化を感じる。
鳥の声は盛んなのだが、静寂の中目立つのは、パラパラ、パラ、と雨粒のように断続的な優しい打音だ。枯葉が枝を離れ、他の木々に当たりながら、旋回して地面に落ちる音だった。
しばらくあずまやに腰掛け、そのかそけき音に耳を済ます。
静聴ほど人の心を洗うものはないな、と実感する。


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杭打たれた段に足をかけつつ山を登り、森の中を散策する。
心ゆくまで落葉を踏んで体重を柔らかい地に委ね、葉の乾いた質量のある音を聴き、立ち込める香りの終末感を味わうこと。苔や土の冷気を肺まで吸い込むこと。
人はやはり、自身の血を作った風土の季節感を通じて生かされているのだ、と感じる。精神だけ切り詰まって行くような日常でも、体で季節を測る時間さえあればわれに帰ることができる。



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巨大な朴葉の落葉は見事で、はるか上の梢からまるで生物のように地面に落ちる。朴葉を見ると、気持ちがスッとして、古神道的な何かを感じる。
道すがら、足元にはさまざまな小さい世界の表情がある。よく見るキノコしかなくとも、不思議なレースのようで綺麗だ。
立て札には「猛毒カエンタケに注意」とあったが、流石に出会わなかった。

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イカルが美しい声で口笛を吹いている。それに混じって聞いたことのない、切迫したカジカガエルのようなクルクルクルという鋭い鳥の声もする。
後で調べると、カッコウの地鳴きだった。カッコウの普通の鳴声を聞いても驚いたと思うが、地鳴きは珍しかった。
多分キツツキも木を叩いていた。先日上野公園でコゲラが仕切りにコツコツやっていた音に似ていた。


:::



昔住んでいたアパートのあるN町を通って実家に向かう途中、夫がふと道を逸れ小藪の中の細坂を登っていった。藪の中で「この道どこに続くんだろう」と言い消えていった。
私は疲れ気味なので下で待っていたが、いつまでも戻ってこないので、とうとう坂を登ってみた。「どうせよく知るお寺の裏手に出て突き当たるだろう」と思っていたのだが、全く違う光景が広がっていた。
開けた高台のきわ、芝草の道がずっと続いているのだ。
そこから見下ろせる屋根屋根や団地の全ては、30年住んで知っているものだ。しかしそのポッカリした鄙びた芝草道は、全く存在を知らなかった。


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桃色の山茶花が、静けさの中でハラハラと花びらを落としている。春ならぬ秋の桃源郷のようで、しばらく立ち止まって眺める。
芝道と十字で交差するように細い階段と参道が横切り、左手に真赤な小型の鳥居がある。地元の旧称、三軒在家稲荷というらしかった。この神社のことも知らなかった。そこから歩いて5分ほどのところに住んでいたのに、だ。


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道の奥は行き止まりだったようで、夫は折り返し戻ってきた。古い墓がポツポツあったという。斜面の下は自分の住んでいた街の住宅地だが、道の左の空間はなんとなく漠然と広がる畑地。おそらく昔からずっとそうだったような、日当たりの具合。
団地と住宅地の間に、エアポケットのようにこんな空間が広がっていたとは。自分はよく歩く趣味があるのに、目が節穴だった。


帰宅してから夫が、1960年台までここを走っていた電車の「京王御陵線の廃線跡だったんじゃないか」と言ったが、調べてみるとどうやら線路は神社の裏側あたりを通っていたらしい。
いずれにせよ今はひっそりとした住宅街と団地があるだけの活気もない集落に、かつては終着駅の「御陵駅」があり、電車がガタンゴトンと通っていたり神社に参拝する村人がいたり、という光景を思うと、信じられないような気がする。


不思議な、手応えのあるような散歩だった。




11月某日



東京育ちの自分にとって、雪は遠い憧れのものだ。
具体的な懐かしさを感じるためには、過去の雪国への旅の写真を見返したりするしかない。


でも今日目覚めぎわの布団の中で瞬間的な「雪の夢」を見た。なんてことのない夢だ。
白い雪の表面に、松葉や土粒、落葉のかけらなどがポツポツと黒い斑点模様になって付着している。
それを黙って至近距離で見る。そして少し触ると手の中で雪だけが溶け、葉屑だけが残る。
それだけの夢だったが、屑の感触、匂いや冷気まで感じ、なぜかものすごく懐かしかった。
幼いときの感知力がみるみる蘇るような。


「細部に宿る神」が結局、生涯自分を守ってくれるのかもしれないな、と思う。


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大風邪をひいて散々な一週間だったがなんとか自力で治癒させた。
いや本当は治っていないのかもしれない。風邪初期のような透明な鼻水がまた出てきたから、2ラウンド目に行くのかもしれない。そうしたら完全に疲労困憊だ。
一週間に2回もPCR検査をしたがどちらも陰性だった。夫も2回受け陰性。これで無事に旅に送り出せる。


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風邪前と風邪後の車道沿いに見つけた、晩秋の色。


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夫の買物についてホームセンターまで歩いてみたが、やはりまだ病み上がり感があり、じっとりと嫌な汗を描く。肌は冷え切っているのに芯では熱が上がっているような。
川原の階段で休むか、と夫が言う。「花も咲いてるし....あの立葵が咲いてるとこ」
「立葵じゃないね、立葵は夏の花だから」と私はいう。
「芙蓉か」「芙蓉も夏の終わりね。なんだっけ、クリスマスローズ?秋明菊?...」
言いながらどちらも違った気がする。二つとももっと丈が低く華奢なはずだ。
帰って調べたら”皇帝ダリア”だった。いつも忘れてしまう。皇帝というだけに大きい、と覚えればいい。


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この一年の紆余曲折を経てようやく最近良い話がやってきた夫と、近い未来についての話をする。
彼も一度体を壊し全てをキャンセルして、自分の新しい側面として文筆の作品に向き合った時期があったからこそ、確実な何かに繋がってきているのだと思う。
制作への自覚、生活への自覚、健康への自覚は等身大であったほうがいい。しかし能力への自覚だけは重く見積もったほうがいい。重い「荷」を背負うイメージではなく、「浮遊に惑うとき、地に足をつけるだけの重みが自分にはある」という静かな矜持。歳をとるごとに能力への確信を風船のように空に放して行ってしまうのだから。




11月某日



山の夢を見るようになった。何故かはわからない。
山頂ケーブル駅のような高所から、見知らぬ外国人青年二人を伴って、中空の道を渡ろうとしている。
いくつもの丸太や板切が束になった吊橋が高所にかかっていて、それがどこかにつながっているらしい。
立って渡るのではなく、一人につき1丸太の上に尻餅をつき、お尻をずるずる滑らせながら渡る。丸太は山の露にじっとり濡れてよく滑る。


左は深い渓谷の底、右には聳える山肌が立ちはだかっている。右手に逸れていく急峻な山道を指しながら「あっち登ると山頂ね。今日は登らないけど」と私は偉そうなことを言っている。
調子に乗ってはっと気づくと、私が滑っている丸太だけが急激に下降し、今にも透明な湖の底に水没していく寸前ではないか。青年二人は私を見捨て先に行ってしまう。


悲鳴をあげて尻を止め、隣の丸太に捕まりながら必死で後退りして戻る。
目前には知床のオンネトーのような青い透明が死へと誘っている。水底にいくつもの落下した丸太が見える。


しばらく長い時間、必死で足掻いてなんとか後退りし、起点の場所に戻ることができた。
「やはり丸太は危ないから、歩いて橋を渡ろう」と決める。
ただ歩道の橋はあるにはあるのだが、延々と長いコンクリート建ての公衆便所の中を歩き続ける橋なのだ。
非常に薄暗く汚れていて、億劫である。それでも公衆便所橋を渡り始める。


歩きながらふと気づいたのだが、脇の小窓のところに蜘蛛の巣があり、透明に干からびた巨大な蛾が引っかかっている。
場所は汚いが、その蛾の透明な様は非常に綺麗なので、思わず手を伸ばして取る。
しかしやはり手にとって後悔する。蜘蛛の巣を払おうとするほど手にベトつき、透明な羽も見る間に壊れていくし、よく見ると透明な羽に付着していた無数の白黒の蛾の卵がびっしり手についてしまう。
また悲鳴をあげて駅構内にまで戻り、登山客が屯する中をかき分けて、簡易な洗面台で必死で手を洗う。
蛾の卵は取れたけれど、それが付着したところがみるみるうちにむず痒く赤く腫れてくる。


腫れてきたところで、目が覚めた。
当たり前のことだが、しばらく手のひらを見つめたが、何もなかった。
かなりの高所恐怖症の自分、蛾と毛虫が怖い自分がそんなことをするのは断じてあり得ないのに、夢の中では平気なのだ。なんだったのだろうか。


それに、あのケーブル駅のようなところ、前も出てきた。温泉から出て脱衣場のすぐ脇に改札のある駅だった。どんぐりを下足箱の穴に落として改札を抜けるのだが、私の持っている実が大きすぎて穴に入らず、登山電車に乗り遅れる夢だった。































by meo-flowerless | 2022-11-02 01:01 | 日記