画家 齋藤芽生の日記


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mama!milk ミュージアムコンサート


昨日は目黒区美術館【齋藤芽生とフローラの神殿】と併せたミュージアムコンサートが開催された。
出演は、アコーディオンの生駒さんとコントラバスの清水さんからなるユニット「mama!milk」のお二人。
春からコンサート担当のKさんと相談。様々な音楽を知っているKさんが引き合わせてくれた御縁だった。私はそれまでmama!milkの活動を知らずに来てしまったのだが、サイトで視聴できる音源を2秒くらい聴いた時点で既に「うわ!好みのど真ん中だ…」と動揺した。そして敢えて予備知識で先に聴きこんだりせずに、昨日の生演奏当日まで聴く楽しみを待つことにした。



美術館内のワークルームに再現された、真赤なコタツの仕事部屋。飴色のコントラバスと黒赤のアコーディオン、それを取り巻くように私のドレスを纏ったマネキンボディが配置されている薄闇の演奏空間。観客の方も非常な静寂と緊張感のなかで椅子に身を固めて二人の登場を待っている。



やがて、部屋の後方から黒いシックな衣装に身を包んだ男女二人が静かに歩いてくる。姿からしてもう絵になる二人だ。
黙って微笑みながら楽器を構える、その僅かな音から、もうすでに音楽が始まっていることを感じる。
そして、本当に密やかな呼吸のような弦の掠れ、アコーディオンの空気音が、夜の大気のあてどなさを伴いながら空間に解き放たれる。情景そのもののような微音。
それがやがて楽器の強い声に高まってゆき、激情を抑制した音楽に変わって行く。


たった2つの楽器の編成でこのような複雑な表現が出来ることへの驚きと、音楽性そのものが私がずっと抱いていた絶対的好みであることの安堵が、不思議に入り混じる。
「未知の不安な道に迷っているのに、いつか来たことがある懐かしい既視感もある」
というこの感覚。何処かで知っているぞ…と考えたら、自分の絵だった。
特に【密愛村】シリーズのために自分が費やした実際の旅、空想の道、構想の迷路を、ずっと辿るような気持になって来た。


演奏される音楽はタンゴともミュゼットとも言えそうで言えない、単身の移動遊園地のような佗しさを持った曲調。しかしただ曲が掻き鳴らされるだけではなく、コツコツと僅かに楽器を叩く足音やドアの音、吹き抜ける風の音、遠いこだまのような記憶の通信音(ピーンと何かを思い出す時のような)……心の音や身体の音の微細なニュアンスに満ちている。
ああ、旅先で道を辿るときにこのような足の踏み出しかたで歩むなあ、心に風が吹き荒ぶようなときにこんな音が身体にするなあ、などと堪能しているうちに、感覚移入して涙が滲んでくる。


自分は絵描きだが、昔から音楽や映画や文学のほうにむしろ憧れていた。
特に音楽は、自分でやってみたいと強く憧れながらその素養がないため、今でも深い憧れを持っている。
自分が出来ることは絵しかなかったからこの道を今でもやっているが、私の中では絵がロードムービーのように映像的に動いたり、空想の音響も伴っているのだ。その世界観を小さな絵筆でしか出せないことが、強いコンプレックスでも抑圧でもあるのだが、まるでその憧れの音を言い当てるような音楽が目前で繰り広げられ「やっと抑圧から解き放たれ解ってもらった」ような気分になった。
そんな思いや、過去の旅の記憶などがドッと押し寄せてくる。また、今のなかなかまだ観客に来てもらえない自分の表現の発信力や挫折感も思い出したり、音楽そのものへの純粋な憧れに動揺したり、最後の方はドッと涙が溢れてしまって止まらなかった。



演奏の後、お二人に御礼と感激の思いを言いに行ったのだが、自分でも珍しくて驚くくらい泣き顔のままで挨拶してしまい、恥ずかしかった。
どのように曲を作るのか、との質問に答えてくれた生駒さんの言葉に、やはり音楽家にしかわからない技術と勘所の絶妙さを知り、さらに私の絵に対峙してイメージを高めて下さったことを聴いて、また泣ける…という鼻水混じりの邂逅だった。取り乱してすみません、
特に、私が技術を駆使しながらイメージを統御しているときのシビアな入魂の時間について、その部分に共感しながら今日に臨んだ、と言ってもらったことが、本当に表現者冥利に尽きる経験だった。



静かで深い、言葉のない音に満ちた旅。男女の道行。あらたな絵が浮かんでくる。
闇に消える行手に、未知の場面がいくつも展開してくる。そんな音楽に触れ、これからまた彼らの世界観を追いかけたい、と思った。


by meo-flowerless | 2019-11-04 05:36 | 告知