画家 齋藤芽生の日記


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2019年8月の日記

2019年8月の日記





8月某日


10月の【齋藤芽生とフローラの神殿】展。カタログ冒頭に記載予定の9000字論文にずっと取り掛かっている。9000字なんて大変なのでは、と一瞬思ったが、書いてみれば文字数が少なく思える。削ったり抑制したり、エピソードを差し替えることに多くの時間を費やしてしまっている。
しかし以前より肩肘張らずに書けるようになったのでは。肩肘張らずに、渾身の、が理想だ。人から見ればあまり変わりはないか。


他人や世論に何かを言わされる、ような気分には一瞬でも染まりたくない。そして、自分自身でも自分に何かを言わされるようなことを、阻止したい。
上はなんとか染まらず居られるが、下は案外難しいことだ。
微塵も変節のない言葉を述べ続けられる人に、私はなりたい。

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朝の時間は、ラジオの子供電話科学相談を流している。
ある子が「イソギンチャクは、なぜいつも急いでいるんですか」と、たどたどしい口調で質問していた。たいへん感受性を感じる質問だったのか、答える先生が、素晴らしい質問だねと褒めながら、一生懸命イソギンチャクの生態を教えている。
隣の夫がボソッと「…音に注目して答えてやればいいのに」と呟く。一瞬わからなかったが、その言葉で初めて、この子はイソギンチャクを「急ぎんちゃく」と思っている可能性に気づいた。先生たちは、気づいていなかったようだ。



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どれだけ我儘に甘やかされた過去があるのか、わからない。遊びも食事もヘトヘトになるほど一日中付き合ったとしても、なお何かを要求して目で訴えかけてくる。いや目だけではなく、か細いンーとかアーとかいう声で、常に満たされないようになじってくる。
本物の雑草やネコジャラシ、蝉の脱け殻を与えた途端顔つきが変わり、狂ったように一人遊びをし、身体の周りにワーッと草いきれのオーラを発散するように見える。
飼ってみるとただ可愛いだけなのではなく、猫には猫の半生の深淵があるように思えて、色々考え込む。せめて外界にもっと触れさせたいのだけど。さらなる野山に引っ越そうか。


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By Kilianの香水には決して手を出さないだろうと我ながら思っていた。【Love, don't be shy(恥じらわないで愛しなよ)】【Good girl gone bad(良家の子女が汚れてく)】など臆面もなく思春期に溺れるような名前、御曹司の戯れのような金満感、フランス人がアメリカ西海岸で羽目を外したような気取ったミーハー感。値段の深刻さ(高額)をせせら笑うような何故か若向けのフルーツ香。と、完全に偏見を持っていた。
しかし一旦所持してしまうと、有無を言わせず嵌まりこまされる。コイツは凄い。ルタンスやマルの哲人感も無いのに、トム・フォードのモード感も無いのに、その間を軽々貫く麻薬感はある。


【Voulez-vous coucher avec Moi(今宵わたしと寝ませんか)】【Playing with the Devil(悪魔と一緒に遊ぶコト)】などというストーリーがそのまま美味しいジュースやお肉(女体)やケーキや花ワインのフルコースで再現される。最高級の海辺のコンドミニアムの広いベッド、美しい白のシーツ、美女とドラッグ。国際手配されるインテリマフィア。
時によっては非常に平板なのに、別の時には何層にも変化する。ある時はポマードおじさんの油のようなのにある時は全身が熟れた果実の香気を発する。つけやすいが、難しい。とんでもないプレイボーイに何故か一途な愛を捧げられたり、とんでもなく可愛い猫と24時間付き合わされたりするような戸惑いを感じる。
そして高い。


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自由と不自由ということが、水掛け論のうえの空虚な記号になっていくことの方を、自分は危惧する。抑圧と抵抗についても、もっと人間の本質の根深いものだろう。異議申し立てとクレームだけが楽しいゲームになってしまっている状況はおぞましい。静かな声は批評のうちに入らないのだろうか。静かな怒り、静かな哀しみ、静かな喜びの表現はこの世界にはもう無効だとでも言うんだろうか。



8月某日



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母、夫と河原で花火をする。青い炎の出る藍色花火というやつを。ほかに、江戸伝統のスボ手花火という線香花火。火薬の匂いが良い。月は朧月だった。



8月某日


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夫が弱ったクワガタを拾ってきて、せっせと虫籠なども用意し手厚く看護していたが、なんとか生き延びている。
よかったねと思っていたのと前後して、弱っていた私のノートパソコンがフッと真っ黒になり、そのまま逝ったようだ。
どうしよう。呆然。





8月某日


自ら計画立ててプライベートで行く旅の時は、それほど香水など持参しなくて平気のだが、出張の時は必ず香水を持っていきたい。仕事用でもあるが、それよりは精神的なもののためみたい。気つけ薬とも言えるか。小指より小さいガラスの容器に少しずつ何種類かを入れて行く。月末の北欧、木の匂いのものだけ持っていきたい。
スウェーデンのストラスクガンの「Moonmilk」、米ポートランドOLOの「冬至」、コムデギャルソンの「檜」「セコイア」。それぞれ試しに手首などにつけたら、「記憶の混在したどこかの国」のホームセンターの木材売場で働いている気持ちになる。




8月某日

夜明け方、夫に起こされる。
「裏山にヒグラシの声を聞きに行こう」
遠く物悲しい啜り泣きの大合唱のように、ヒグラシの声は聞こえている。
まだ寝ぼけて目が €€ な形のままだがふらふら外に出る。雨の匂い、一降りしたらしい。
山の入口まで3分くらいだが、もう他の油蝉の声が主体になってきているので、ヒグラシはあやういと感じる。上り始める頃には鳩が鳴き始めた。これが始まる頃にはヒグラシの声は鳴り止むと知ってる。案の定、ヒグラシはもう鳴かなかった。


夫が木々のなかに敏感に樹液の匂いをかぎとり茂みに分け入ると、たくさんのカブトやクワガタのくっついている木があった。このスイカみたいな匂いを頼りに昔は虫を採った、という。かすかにしかわからなかった。
クワのメスを手にとって夫は持って帰りたそうにしていたが、やめていた。
昨日はオスのクワを高尾まで自転車飛ばして返しに行ったばかりだ。しかし、クワガタの放虫はどこまで元の位置に厳密でなければならないか、わからないので、あとからもやもやした。高尾で捕獲した虫なので大丈夫だとは思うけれど。



8月某日


小さい頃の数少ない海水浴で知った、あの海の匂いを嗅ぎたい。8月終わりの寂寥感とともにある匂い。日焼け止め+塩の匂いといえばそうなのだが、例えば今コパトーンの匂い漂うビーチに行っても、あの時の匂いとは違うと思うだろう。雲行きが悪く波間でポツポツと肌を打った夕立の匂いも混じるし、肌寒い風の匂いもまじる甘さ。自分はこれが貝殻の匂いだと思っていた。海というよりは。
同じような匂い連想で、テニスコートの地面が干上がるコーラみたいな匂いを、ヒグラシの匂いだとずっと思っていた。
夏の匂いをこれでもか、と体いっぱい吸うような機会がなかなか無くなっている。




8月某日


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黙々と過ごす休暇。
このまま描きたい、と直感的に思う風景。

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深夜ラジオ。「海」にまつわる映画音楽特集。好きな【いるかに乗った少年】など。
【いそしぎ】を聴いて、百万光年の孤独の彼方に懐かしく逆行するような気持ちにひたる。うまく言えないがなんだろ?この遥かな、取り返しのつかないような慕情感。
どこかからこの曲の懐かしいフレーズが流れてきても【いそしぎ】という題は思い出せず、【いそしぎ】はどんな曲だったか思い出そうとすると、このメロディは思い出せない。
昔からモスクワ放送とか、異国の途切れ途切れのラジオを聴くのが好きだった。一言たりとも意味のわからない異国語に挟まれて流れるイージーリスニングの聴きなれたメロディ。その音楽だけが急に素手で触れ合ったような親密さを感じさせる。【いそしぎ】はそういう曲だ。
遠い場所に、私と同じような等身大の人生が営まれている… そういう無名の人恋しさを連れてくるイージーリスニングが好きである。




8月某日


夕刻から朝まで制作しながら、NHKラジオをずっと聞いている。ずっと戦争についての様々な特集を静かに流している。戦後昭和20年代の歌謡特集も、普段なら古い味わいとしか思えないが、今日は戦争のあとの日本人の様相として聞こえ、はっとさせられる。
明け方北海道支局からのインタビューで、北方四島のいずれの島かの出身の男性の話を流す。島を退去するまでのロシア人との共存の日々が非常に生々しく身近に感じられる語り。船に詰め込まれひしめき合いながら根室に強制的に送られていく航路でも、すぐに島に帰れると思っていた少年。


歴史について、政治について、とにかくかしましい表層的な言葉の応酬をしながら今の人間は、生々しい実際の誰かの人生の痕跡を、無神経にふみしだいているんじゃないか。ネットもテレビもやめてこういう深夜のラジオに静かに耳を傾けてみたらいい。人の声を聞く。人の歌を聴く。人の詩を噛みしめる。そういうことで身につける地道な本質的な想像力が今は欠落しすぎだ。欠落したまま喪われていくだろう。
NHKはこうだからこそ意味があるんだと思う。静かに証言をつきつける姿勢であってほしい。黙って独りで色々噛み締めながら聴くし、そのために受信料を払う。テレビがなくともね。



8月20日

明日からフィンランド出張だ…しかもラップランド地方。
去年までは南へ、南へと向かい、カラフルなアジアの国々を知ったけれど、北欧に行くことになるとは、今年の仕事の志向が真逆だな。
もう人々はマフラーを巻き、厚めのジャケットを着ているほど寒いらしい。葉っぱも紅葉しているらしい。
寒さに弱い私が初めて寒い国へ行く。8月とはいえ、寒さにやられないようにしないと。





8月21日


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クールなフィンエアー。機内品にさりげなく登場するマリメッコ。
到着から10日間のあいだで作品制作をし、展覧会をしなければいけない。私はやはり絵描きなので絵を描く。ただ、フィンランドのイメージを描こうという予定はなかなか難しそうでもある。東南アジアの国々のようにカラフルで花に溢れ雑然とした喧騒があればイメージも湧くが…どうやら木とトナカイしか無いらしい。


少しでもフィンランドの風土や生活を知りたいと思い、機内ではフィンランド映画と思われる映画をいくつか観た。そして、そのどれもがとても良い映画で、一気に引き込まれた。
中でも「IHMISEN OSA」という映画が秀逸で、英語字幕だが2度観た。
本当は破産同然で、取り壊し中の廃墟ビルに棲みつくという境遇ながら、スーツやパソコンや名刺だけで成功者のフリをし続けてしまう孤独な男。田舎の父母が不意に会いに来ることがきっかけで、バラバラに都会暮らしをしていた男とその妹二人とが再会することになる。

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主役の俳優は野性爆弾のくっきーに市民ケーン風味を足したような、個性的な風貌。ホームレス同然で都市を彷徨し、小さな詐欺を繰り返しタダ飯を貪り食べながらも、表では独立会社のCEO身分の紳士を取り繕う…そんな人物の複雑な演技が絶品だった。
北欧の都市の、整然としていながら投げやりで陰鬱な廃墟ビルや道路、幸福なはずの整備された社会に実は存在する一人一人の口に出せない疎外感が伝わってきた。


幸福度世界一の福祉国家であるという国の評判には何の匂いも雑音も感じられず、かえって無機的なイメージしか持てずにいたが、深く秘めた沈思や哀しみ、ままならない人間生活の臭みのようなものを、最初に映画で感じられたのは、とても良かった。


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ラップランド地方の町、ロヴァニエミに飛行機が着陸するという時間になっても、いつまでも窓の外はひたすら針葉樹林と湖。まさかと思ったら、空港もこの森林の中にあり、滞在先のラップランド大学もゲストハウスも森林の中にあった。まだ町を見かけていない。
珍しく晴れている夕刻だと迎えに来た助手さんが言っていたが、それでも空気はぴんとつめたい。
そして、まるで栄養分が補給できるかのような美味さで、空気がおいしい。甘く清々しい樹木の呼気、混じりけが全くない。

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ついてから視界が白いことに驚き、目が曇ったのかと思ったが、先に滞在している女性に聴いたら、これがフィンランドの空気と光の特徴らしい。
大学のゲストハウスの美しさと整備環境に舌を巻く思い。ロッジタイプの棟である。内装にも抜かりはない。
つくづく、モノと情報に溢れ消費に疲労しながら生きる、東京生活の最近のいじましさを思い返す。
夜はスーパーで買ったハムやチーズを持ち寄り、日本メンバー五人で食べた。海外滞在で自炊出来る環境がある、ということは何より有り難く、美味しく感じる。




8月24日


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昨日は午後から完全に各自の制作時間に入ったので、眩しい晴天のなか外へ繰り出した。
町まで歩くと1時間かかるようなので、もう少し近くの巨大リサイクルショップまで独りトボトボ歩いた。
さすがにこんなだだっ広い風景なかを歩くのは北海道以来だ、と思ったが、北海道よりは武蔵野線沿線の雰囲気に満ちている。モダン建築、青い湖、高速道路、材木を運ぶトレーラー。歩いている人は殆どいない。秋の空気が胸にしみてわけもなく泣きたくなる。この殺伐と天国感が混じった不思議なカタルシスは何なのか。
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秋の雑草を積んで、リサイクルショップで買った100円くらいのデッドストック花瓶に挿した。
夜も暗い明かりで必死で描き、早朝も起きて描いた。その間に、積んで来た雑草の桃色の莢がはじけて、信じられない量の綿毛が部屋に漂い始めてしまった。
じぶんも綿毛まみれになりながら、あわてて花瓶の花を外にすてに行った。


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やけに美しい昨日だったが、その後の今日。
やむを得ない事情で私だけが急遽、日本に帰国することになった。
ラップランド大の先生に理解してもらい、助手のOさんと通訳のYさんが色々動いてくれて、手こずったが結局明日の便の航空券が取れた。逆に代理店の対応が氷のように冷たく、何一つ役にたつ情報や指示はくれなかった。
複雑な感情のまま、とりあえず明日のフライトまで一枚だけでも絵を仕上げて、ここに残していくことにした。


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短い間だったが、ゲストハウスの窓の景色に礼を言う。
絵も仕上げた。様々な思いの詰まった絵だ。
昨日父の危篤の報を受けたわけなのだが、意識は戻らないが血圧は安定し始めたと言う。日本に辿り着くまで待って欲しい、


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何もないロヴァニエミの空港を記念に描く。
中央本線の山梨県の無人駅みたいな雰囲気の空港前。
自販機とトイレはある。小さいカフェは土曜で休み、トナカイのモニュメントがある。





8月27日


北欧から帰りつき、まるで待っていたかのような父の床に駆けつけ、翌朝、見送る。
納棺を済ませ、実家に帰る。父がずっと見ていたであろう天井とテレビを見ながら夜が来る。秋雨がぱらぱらと振り込める。こういう寂寥なのか、そうなのか、と何度も同じような言葉ばかり浮かぶ。


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けれども、本当に不思議なくらい父は私の帰国の一日だけを、安定した血圧で過ごしてくれた。
翌朝逝ってしまうとは思わなかったが、いよいよ血圧が下がり始めてからしっかり父の肩につかまり、父と手を繋ぎ、家族三人で顔のぬくもりを触り、息の一つ一つを見守り、最後の瞬間の指の動きをずっと感じていられたのは、本当に有り難く、これ以上ない見送りだったと思う。病院の方々とフィンランドで私を送り出してくれた先生たちに感謝をするばかりだった。
心停止してもまだ呼吸はあり、嚥下も一生懸命続け、指もピクピク動いていたのをゆっくり見守り、それにも一つ一つはい、はい、と答えて励ました。不思議な気分だった。死の10分前くらいから自然に私の体もなにかを理解して涙がこぼれはじめ、泣いてしまったなと思った直後に死を迎えた。
親の体は私の体に繋がっている。私が死ぬ時、最後の父の生身から感じたものを内部から思い出しながら逝くだろうと思った。





by meo-flowerless | 2019-08-04 05:31 | 日記