画家 齋藤芽生の日記 Twitter/ @meosaito


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2019年6月の日記

2019年6月の日記



6月某日


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夫が仕事から帰宅したのち、二人で夜のバスに乗り込み遠い町外れに行く。
蛍を見に行くのだ。
以前に探索した山の方に、とても懐かしく牧歌的な田地と小川があった。
農家の住民以外は人の気配もない田舎で、時折産業トラックが向こうの道路を通るのみ。観光地でも保護緑地でもないが、蛍が出るという旨を書いた簡易な看板だけは立っている。
私達の何れもがその小川がギュッと90度に曲がっていく、とあるポイントが大変気に入った。私はスケッチもした。その辺りの桃源郷感は、確かに蛍の棲息していそうな雰囲気があった。




侘しい郊外の団地街や丘陵地を延々バスで行き、終点からは暗い街道の殺伐した闇をひたすら歩いて、例の田地と小川までやっと辿り着く。
田んぼには水が張ってあり、ありとあらゆるカエルのボイストレーニングが繰り広げられている。オーケストラの音合わせのような感覚だ。
畦道や農道の闇を山に向かいすすむ。脇には小さな川の流れ。しかし、水のきらめきや遠い車のライトを蛍と錯覚するのみで、なかなか出会わない。




私はこの歳まで蛍の群生は見たことがないので、さすがにこんな都市近郊で蛍を見るのはまぐれか運なのかもしれない、と諦めそうになった。
しかし暗さの曖昧に任せてなんとなく進むうち、何か「ここだよ」と語りかけてくるような優しいひかりの点滅にやっと出会った。1匹…2匹、いや3匹が呼応して、ゆっくりと遊び回っている。
よく目をこらすとその場所は、二人が気になっていた、小川が直角に曲がっているあの小さな橋のところだった。
その場所で出会えた、ということの感動で、しばらく黙り込んで見つめていた。
その後も川沿いや竹藪に、小さな小さな亡霊のように懐かしい遠さで、時折蛍の光を見た。





幾組かの静かな見物客とすれ違ったが、あまりの闇で顔はおろか、人数分も形もわからなかった。しかし遠方からの物見遊山客という感じではなかった。
地元の人らしき老人同士が闇のなかで、「どこそこから今来たがあちらは沢山いた」と話しているのが風に乗って耳に入ってきた。
私達は家に帰るバスがなくなると困るので帰ろうとしていたが、その老人の言った「どこそこ」という名の十字路にふと行き当たったので、あえて小川の暗いほうに向かってその十字路を曲がった。





森蔭に古い民家の並ぶ小川のほとりを歩くと、蛍の溜まり場に行き当たった。
固まって草のなかに14-5匹ほどいて、伸びやかに漂い遊んでいる。
1匹1匹が光るため、恋模様がはっきり縮図になって見えるようだった。交渉成立、或いは三角関係、集団見合い、あぶれ者…
しかし、どの蛍もどこか平安貴族の恋を感じさせるような優雅さだ。





このわずかな水のせせらぎ、草葉の揺らぎ。
蛍の点滅の小さいが満ち足りた光度と、ゆっくりした動き。
この世に必要なものは、今目の前のここに凝縮してこのようにある。これ以外の人間の思惑や創造や破壊などそもそも何一つ意味などないのではないか、と思った。
この生は一度きりしかない、ということを切実に知っているのは人などよりも蛍の方なのかもしれない。焦燥を掻き立てあう蝉の生ともまた違う、言わず秘めて死んでいく霊魂の緊張感がある。生殖と死が隣り合いつつ種を繋いでいく厳粛さに人間が還ることはないだろう。




初めて見たにもかかわらず、ずっと同じ場所で自分を待っていた祖先の魂のような当たり前の懐かしさで、蛍の群生と出会った。ここの蛍は野生であり、養殖でも放虫でもない。このままの静けさで。さりげなくここに住まい続けていてほしい。




6月某日


本江先生が亡くなったと知り、呆然としている。
つい最近お会いして、仕事の合間の短い時間にお茶をご馳走になり、色々話した。
僕は仕事によって何か意味のあることを成そうなどとは思わない。勉強が好き、それだけで、生きていられる。だからこれからも勉強する。と淡々と語ったあと、
「あなたもおそらくそうだろう。似てるんだよ」と仰った。
私が勉強しているかどうかは別として、会話するたび、私自身が奥歯の底で噛み締めている人生の苦さをはっきり言い当ててくれたように思う。
あれが私には最後の会話だったのだ。


かつては顔も名前も覚えてはくれなかったし、私もそういうご縁のない人だと思って近づきもしなかった。
が、先生の勤務先の美大で数年前に講義をさせてもらったのを機に、急速に話せるようになった。世界観、人生観を非常に面白がってくれた。先日、目黒区美の個展が決まったことを告げたら、それはいい話が来た、楽しみだと言って下さった。
縁の無い期間が長かっただけに、話せるようになってのちもっと本江先生から学べば良かったと悔まれる。本江さんの著書を読んで自分の授業のための勉強をしていたところだった。とても、悲しい。




6月某日

先日の蛍見物の余韻が後を引いており、多摩地方の蛍の情報など探してしまう。だいたいが地域養殖、園での飼育、放虫など、人の手で管理されているものだ。管理されている蛍だから価値がないということは全くない。しかしやはり、日常のなかでさりげなく蛍の光とすれ違うような自然さ、には憧れてしまう。


ネット上に誰かが書いている情報に、思わず目を疑う。自宅近く、実家にはさらに近い某所に、毎年蛍が現れているというのだ。実家の圏内なので、幼時から知り尽くしているような場所だが、蛍が生息しているなどとは聞いたことがない。
夕食後、某所まで歩き確かめに行くことにする。
書いてあった某所は確かに市街地の谷間のように、夜はひっそり人気がなくなる。カジカの大輪唱は聴こえている。しかし蛍はいそうに無い。
しばらく青い夜闇のなかを散策するが、整備された場所が多いので、蛍情報はどうせ見間違いか嘘だろうとしか思えなかった。


やはりいるわけないのだ、と踵を返して帰路につく。右手は暗い水辺がずっと続いている。どうしても暗い水路の方をまだ横目で気にしながら歩いてしまう。



すると、某所から少し離れた暗がりに、ファーッと意志強く点滅しながら漂う光があるではないか!
目視で3匹、別の場所に2匹、さらに歩いてまた2匹、草むらを漂っている。初めに見た場所では、正面の木々のなかでフクロウが鳴き出した。やはりそれほど静かな場所なのだ。数百メートル歩けば直ぐ大型幹線道路があると思えない場所だ。
さらに歩いていくと、実家から近いところにまた一匹、寂しそうなのがいた。



個体数は本当に少ないだろうが、確実に生育していることがわかった。
母に電話をし、今度はもっと早い夕暮から見に出かけることを約束した。父が車椅子に乗れるまでに病院で回復すれば、連れて来たいものだが、蛍の季節の間には叶うかわからないし、来年の体調はさらにわからない。しかし、よく父とも遊びに行ったあの場所にどうか連れて行きたいと思いを強くする。



6月某日

近所のまた違う場所。鬱蒼とした茂みに、三たび蛍を見る。
一度に確認できるのは8-10匹ぐらいだろうか。昨日見た場所の蛍たちより固まって生きているようだ。感動よりも、狐に化かされたような朦朧とした不思議な感覚の方が強い。断続的にではあるがこの町に40年近く住んでいる。自分の出身地が「蛍の里」とは知らなかった。


「泣かぬ蛍が身を焦がす」との言葉が合っていたのは、先日のバスで乗り継いで行った小川沿いの蛍。場所じたいが桃源郷感があり、夢か祖霊かというような幻想性があった。近所の蛍はもっとうら寂しい。




6月某日


そう言えば、なにか今日は外の鳥の声がうるさいな、とは思っていた。出かけるため玄関を出ると、アパートメントの通路で、一匹の椋鳥がビイビイ鳴いている。
椋鳥には比較的冷淡な自分は、おうムクちゃんよ、と挨拶はしたが素通りしようとした。
しかし大騒ぎしながら私に向かってきたり逃げたりしながら、階段キワまで来る。
バサバサっ、と一段だけ、羽ばたきながら落ちる。飛べないようだ。
「おまえ、ヒナか…困ったな…」



この通路は二階。
手を伸ばせば捕まえられそうだが、捕まえて一階に放しても、車が激しく行き交う通りが危険だ。近くに親もいるのだろうから、遠くの山や畑に連れていくのも駄目だ。
ヒナはなんとかまた一段だけ飛んで、何かしきりに言いながら廊下の奥に必死で逃げて行った。
しばらくそこにいるのが安全だろう、帰って来る頃にはなんとかなるだろ、とそのまま出かけた。



数時間後帰宅し、階段から二階の通路を見通すと、すでに椋鳥はいなかった。
なんとか階段を降りたか、飛べたのか、まあよかったと自宅の鍵を開けようとする。
と、うちのガスの配管の隙間にちょこんと止まって、黒い目でこちらを見ている奴と目があってしまった…。
また、ビイビイと弱々しく鳴いている。目に見えて心細げで、憔悴している感じさえする。


いよいよ困ったが、取り敢えず部屋に入り、台所にある料理用ヒマワリのたねを砕いて通路に戻る。飛べるようになるまでここで餌をやろうと思ったのだ。
しかし、少しの間にヒナは配管から消えているではないか。
代わりに親鳥らしき椋鳥が、屋根のアンテナで狂わんばかりに鳴いている。ヒヨドリがオナガかというくらい、絶叫している。



まさか、無理に飛び上がってアパートの下に落ちたのでは?と慌てて手すりから下を覗いた途端、すぐ私の顎の下の手すりの隙間から、
「ビイーーーッビャーーーッ」と渾身の絶叫をしながらヒナが飛び立った。
同じように、ギャーと言いながら、親もアンテナから子を追いかける。
「おお!飛べたじゃん!頑張れ!」と思わず私も声が大きくなる。



ヒナは、なんとか付近の屋根まで辿り着いて無事に止まった。ほどなく、親がぴたりとその隣に着地した。親は子供に何か語りかけるように、見つめていた。
さっき私が帰宅して部屋に入った本の瞬間に、奴は本気で決意したに違いない。自分で飛ばなきゃ、一生、ここだ。
気持の揺れまで感じるような巣立ちの瞬間を目の当たりにして、感動した。



6月某日

母の日々の癒しのために猫を飼いたい。と言っても、保護団体の開催する猫交換会などにいる子猫などは、まず70歳超えの両親のもとに譲られることはない。
「猫ちゃんの方が長く生きることもありますからね(というか絶対そうだよね)」という保護団体の方々の一様に厳しい口調に、何度か落ち込む。
しかしある程度歳のいった行先のない猫ならば譲渡の可能性もある、という人がいて、
五日市の交換会に出掛けてみた。


秋川渓谷に沿って広がる古い山の集落は、自宅付近よりさらに本格的な山の香りが立ち込め、ちょっとした旅行気分だ。
古い家屋をリノベーションした建物の二階に、かごに入れて猫が数匹連れられてきている。
私と夫は迷わずそのうちの一匹の茶白のオスに引き寄せられる。名前はコロというらしい。他の猫が怯えきって顔をほとんど出さないこともあるが。コロは人懐こい性格らしく、撫でさせてもくれるし、わたしが指で耳のあたりを掻くとかなり体重を預けてくる。口が締まらない猫でずっとよだれは垂れるらしい。でかい、丸顔、のんびりや、鼻の下が長く口がちょっと空いている、目つきはちょっと悪い、しかし憎めないおじさん猫だ。家族一同、距離感が必要で子猫を甘やかしスリスリするような感覚を持っていないので、話の合いそうな渋いおっさん猫が来るのはいいかもしれない。
母も可愛いねとは言うので、取り敢えず数週間のうちにトライアルでうちに来てもらうことになりそうだ。


帰り、少し渓流の河原を歩く。大々的にバーベキュー客用のテントが広げられていたが、霧雨なので人は少ない。清流には鮎の群れがあちこちに蟠っている。釣人や焚火の番をする少女がシュールな風景画のようだった。
いつか行きたいと思っていた河原の古い料亭は、なんとなく外観の雰囲気が変わっていた。


:::


小雨が時折舞うなか、家の近所まで帰ってきた。駅からの帰路、普段逢わない珍しいやつに二匹遭遇。二匹とも脇の住宅からノコノコ困ったように出てきた。
一匹目は知らないとり。首から上がブルーグレー、胸から下は綺麗な赤茶色のかなりずんぐりした鳥だ。非常に迷子感のある顔で歩く。話しかけると一瞬マジっとこちらを見て何かいいたそうな顔をしていたが、ほどなく飛んで行った。


もう一匹は子ダヌキ。黒いもさついた塊がゆっくり困ったように住宅から出て来る。
こいつは完全に私たちの前で立ち止まって、非常に困った顔で「さあ…どこへ行ったらいいんでしょう…」という表情をする。
「迷ったの」
「どこ行くんだい」
「山はあっちだよ」と話しかけるたびに立ち止まって話は聞くのだが、トボトボと別の家の庭に入っていった。
心配である。



6月某日

腸の内視鏡検査をした。初めての体験だった。
前日二日間ほどは「素うどん」「白粥」「豆腐」のようなものしか食べてはいけない食事制限がつらかった。少しは減量になるから良いかとたかを括っていたが、大好きな「海苔」「ねぎ」「胡麻」「納豆」がいかん、というのは、たった2日でも拷問のようだった。


検査当日は朝四時頃から起き、最終的な検査用下剤を作って飲む。2リットルの薬を、さらに水でどんどん流し込んでいかなければいけない。そしておなかの内容物が水になるまで出す。面倒だし不味いが、腹はすっきりした。


朝一の検査予約に走って駆け込む。専用着衣を着せられ(然るべきところだけ丸く穴があいている)、腕から鎮静剤を点滴する。
すぐ鎮静する性質なのか、朝一で眠かったのか、そこからの記憶は朦朧としている。
うっすらとした記憶では、画面で自分の腸を見たが荒れてはおらず割と綺麗で、寝ぼけながら「水族館の水槽見てるんだよな」と思っていた。大腸憩室といって変なところに空洞がある腸らしく、それが不思議な珊瑚のようだったのだ。


それ以降は全く記憶にない。どうやって仮眠室に戻ったのかな?
後でハッと目覚め診察室に呼ばれて聞かされたところによると、どうやら「このままポリープを今日取るか」と聞かれ、眠りながら「明日仕事があるので取りません」と言ってしまったらしい。覚えていない。
一年以内には取りなさい、とのことだった。




6月某日

夕飯の献立にoisixかパルシステムを使い始めようと思っている。
2時間かけて帰宅し、手を洗ったら休みもせず夕飯を作る毎日。制作や自分の時間は22時以降にやっと始まる…という生活なのだが、もう年齢的に少しでも楽をしたい。
私の体調を気遣って友が、ネット上で注文できるシステムのoisixを勧めてくれた。様々な食材が夕飯の献立ぶんだけ組み合わされて宅配されてくる。帰路にスーパーに寄る手間が省け、しかし自分のレパートリーも増やせるかもしれず、野菜をよく摂取できる。



試しに頼んだ第一陣のボックスが昨日運ばれて来た。なかから選んだのは「大葉バターのなんとかかんとかなんとか…」である。
「もやしと小松菜をレンジ蒸しして白胡麻を和えた下野菜の上に豚こま・玉ねぎ・しめじを胡麻+しょうゆ+味噌タレで炒め大葉とバターをからめたものを乗せて食べる…」
…手間は簡単なのだが頭が非常に混乱する。いつも単純なレシピしか作れない人間だからな。



料理とはなんなのだ?どこまで深く貪欲に味を探せばいいのか?と、初めて考えるような事柄を考え始めてしまう。時短のために買った食材なんだけど。
自分が何を調理しているのかよくわからないまま作るのは結構精神力が要る、ということを知る。結果、美味しかった。しかし「外食」を自力で調理しているような奇妙な気分だ。



6月某日


キンキンの蛍光灯の真下で製作中に歯軋りしながらケミカルブラザーズが聴きたいのと同時に、真暗い部屋の片隅に転がって放心しながらブラザーズ・フォーなども聴いていたい。それが6月だ。



:::


朝5時、夫が腹をすかせ冷蔵庫を探り始めたので、自分も起きて早い朝食を作る。
やはりoisixは量が少ないのだろうか…でも夫婦共々、もう少し胃袋を縮小しないとね。



早朝散歩の途中、若い野良猫と行き合う。ちゃんとしていたら珍しい縞の美猫かもしれないが、飢えた目、やつれて毛並も荒れている。
ちょうどちゅーるの袋を持っていたので、こっそり、少しだけ舐めさせようとしたが、手元を少し動かしただけで強烈な警戒猫パンチを受けた。



近所の森は野生の匂いに満ちている。ありとあらゆる土の匂い、木の匂いのニュアンス。雨上がりの湯気のなか、木漏れ日が目に見える強い光線になって、空間を貫いてくる。
メタセコイアの見える高台の墓地付近から、また描く。湿気のある雲が山を隠し、裾野が青くぼやけているのが美しかった。今日は夫もスケッチしていた。


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夜、近くの某所に蛍見物。
雨が多く降ったせいか、居場所がかなり変わっていた。
広範囲ではあるが、蛍たちが悠々と飛び交い遊んでいた。今日はかなり近くまで蛍が飛んで来て、静かな青い夜のなかで蛍と存分に戯れる気分を味わった。
三脚がないので写真はうまく撮れなかった。しかし写して見ると、蛍の光というのは本当に蛍光グリーンなのだな、と納得する。


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6月某日


山の淋しい湖に
ひとり来たのも悲しい心

…という高峰三枝子【湖畔の宿】が深夜ラジオでかかった時。形容し難いようなゾッとする距離感を遡り、記憶の限りのすべての「高原の避暑地」のディティールが押し寄せてきた。
曲調も歌詞も古い古い曲ではあるんだが、自分にとっては、ある記憶体系の鍵を解く呪文のような曲である。



幼い頃に連れていかれた戸隠や霧降高原や尾瀬や…軽井沢や箱根や伊香保や草津のような有名地…北海道の山の温泉、毎年仕事で行く妙高高原や谷川岳山麓まで、通りすがったすべてのダム湖や別荘廃墟まで、湖底の腐った落葉が撹拌されて水位が上がって来るように記憶が波立つ。
そして自分の人生に余りある、他人の人生のぶんまで背負わされたような「取り返しのつかない懐かしさ」に鳥肌がたつ。



「高原霊」のような独特の霊魂の吹き溜まりがあるんじゃないか、とたまに考える。
具体的な山岳事故者や心中者の霊などという感じよりは、小さい頃「山びこ」に感じていた怖さ、昔話の怖さの感じである。
あるいは何故かわからないが、戦争の記憶とその風化に対する畏怖、のようなものも混じっている。
その感じがいつか描ければ、と思うのだが。




6月某日


裏山と呼んでいる緑地の向こうにはM公園の森があり、そのもっと向こうにはJ神社の森がある。J神社の森は40年この土地に住んでいながら一度も行ったことがなかった。
鬱蒼とした山頂に赤い幟が何十本も突き刺さっている。ゲートボール場のある静かな境内。

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境内から降りて行く坂の途中になんともいい味出している柴の老犬がいた。鍋の蓋やらトタンの破片やらが糸で吊り下げられている不思議なガラクタ小屋が犬小屋だった。
猫屋敷と化している紫陽花の廃墟。女子保養所と銘打たれた古い鉄筋コンクリのぼろぼろの建物。それなりに静かな衝撃を感じる物件を二、三発見した。


:::


夫が夜勤直前に日本海側の地震の報が聴こえてきて、二人で気が気ではなかった。珠洲に津波が来るというので、じっとラジオの情報に耳を澄ましていた。夜中、津波警報は解除された。



6月某日

好きな季節なのだが、気圧の変化のせいか疲れは溜まりやすい。身も心も静かな保護区を求めている……高校の保健室のような。
最近疲れのせいでコケたり包丁で指を切って消毒液を吹くことが何度かあったが、そのたびに「ハァー保健室」と思い出の香にひたり。または虫さされや頭痛で救急箱を開けるたび、漏れ出るスンとしたハーブ臭にまたひたり。



あまりに身体が保健室を求めているのか、ラベンダーの天然香水がどうしても欲しくなった。
サンタマリアノヴェッラ薬局に行ったら、「アンバーラベンダー」のコロンが廃番前最後の一本だというので、買った。
もう、もう…素晴らしいほどに保健室の、脱脂綿の、ヒビテンの、仮眠の静けさの香り。ラベンダーは鎮静作用があるのだ。
満足。


by meo-flowerless | 2019-06-04 00:20 | 日記