画家 齋藤芽生の日記 Twitter/ @meosaito


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四十路【今さら】スケッチ道②




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「こんな山のなかに池がある」と夫が寝床で地図を眺めながら呟く。
等高線の山上部に水色の丸い区画、記名もない池だ。
休日はどこに出かけるかと思案していた私に、夫は「この謎の池に行きたい」と訴えでた。彼の惹かれた謎の無名池は二箇所だそうだ。県境の、そう深くはない山林の中にあるらしい。
というわけで、バスを乗り継ぎ、終点まで出かける。





山がちの土地に広がる、某大学。
広大な敷地の校舎群も、今日は休日で静まり返っている。
運動部の学生は登校して、競技場や体育館を行き来している。その体育館食堂だけは休日も開店しているというので行ってみたが、拍子抜けするほど素朴な、昭和の一銭食堂めいた看板だ。中も閑散としていて、メニューも簡素だ。
カレーをよそいながら、食堂のおばさんが衝撃的なことを教えてくれる。
30年続いているこの古い学食、なんと、「今日この日をもって」学校の命により閉鎖させられるのだそうだ。
よりによって、初めて来た私達は最後の日に来たのだ。おばさんとしばし立話をし、外来客なれども、にわかに食堂の歴史を惜しむ。


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大学敷地の桜並木を潜り抜け、殺伐とした郊外山林の街道に出る。
どこまでいっても、街道の脇にあるのはカヤやススキの枯地、瓦礫・産廃の解体場、廃車捨場、資材置場などの「吹き溜まり」風景ばかりである。



途中、リサイクルショップに立ち寄ってみる。
今までの経験上でも、三本指に入るくらいのガラクタカオスな店である。
大型の盆栽や庭用骨董から、使えるのか使えないのかわからぬ工具や資材の山、いびつな手作り遊具、レーザーを放つ仏像、ホログラム光る水晶玉が滝の水にコロコロ回り続ける岩場の置物、オーロラフィルムで出来たフニャフニャのシャンデリア、マゼンタカラーの色光の水槽の中に泳ぎ回るプラ水母、底の抜けそうな二階エリアの半分を占める使用済みの布団の山、廃屋達を丸ごとひっくり返したような家具とその中身の山…
古物商のプロでもなさそうな爺さんやおばさんたちが店番で見回っており、彼らのローカルな大声会話を、音声リピートぬいぐるみが一字一句子供の声で繰り返している。



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夫は丹念にガラクタの山を見回っていたが、私は店を出て、隣の雰囲気の良い畑をスケッチ。桜、菜の花が麗しい春の畑だったが、その感じは出ず。



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殺伐とした街道を外れ、山沿いの集落をしばらく歩く。
夫は、彼の目的地の「謎の池」のあるであろう山の位置を探している。
私は正直なところ、股関節も悪いし根性がないので、果たして山道や崖道など行けるかどうか怪しい。どこか適当なところで止まって、スケッチしていたい。
が、夫はそれを立ち止まっていちいち待つのが億劫なようで、先にどんどん行く。




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何回か遅れをとって距離を離されながら、野山ののどかな集落を歩く。
殺伐街道から、一気に桃源郷的集落に突入する。


途中の小さなお堂に、古い鐘楼と巨大な銀杏があり、長机を出して地域の長老や若旦那や子供まで揃い、飲み物や軽食を囲みながらなにかの集会をしている。
都市部の花見のような下品さは全くなく、しっとりとした時間のなかで熟成した酒をちびちび分け合っているような大人たち。
自分は幼時に地域性強い経験をせずに育った。美しい砂絵の図柄でも見入るような繊細な気持ちで、その光景を見る。



やがて夫に追いついた。彼はいよいよ、急な山道のほうに分け入っていく。
体力がない私は愚図ったが、最終的には黙って息を切らせながら、急激な山道を上がる。登山道ではないがハイキングのコースではあるらしく、尾根道のアップダウンは激しい。息が切れるどころか心臓のぶら下がってる糸が切れそうだ。
しかし、ほどなく着いた頂上の茂みからは、よい眺めが見下ろせた。
木のテーブルで休息しながら、一枚風景を描く。
夫は、携帯アプリの地図ではでてこない無名の「謎の池」を求め、ひとり道なき道を散策に行った。
晴れ渡った下界の町は、青と赤の燻んだ斑模様。ルーベンスの絵のようなオレンジの巨大な雲影が、山林から高層団地の広域覆い尽くす様を追う。
今日のなかでは、一番できのいい一枚かもしれない。


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30分ほど過ぎて、夫は戻って来た。彼はとうとう、望みの池に辿りついたようだ。
撮ってきた写真には、驚くほど神秘的な青色の池が映っているではないか。興味を惹かれ、私も行けそうかと尋ねると、斜面が危険だから無理だろう、と言った。
道無き道を行かなければ辿りつけず、具体的な形容は避けるが非常に謎めいた美しい場所。夫は、あまり通常のハイキング客などに知られないように、などと願っている。



夫の目的の秘境を訪ね当てたので、西日のなか帰路につこうとしたが、夫はもう一箇所の山林の池も諦めきれないようだ。
歩けば6-7kmはありそうだ。一瞬また私は渋る。が、どのみちどんなバス停からも遠い地点に居て、ましてや鉄道の駅などはさらに遠い。どうせ行くなら、と、思い切ってもう一つの謎池に向かい、殺伐街道をまた辿りはじめた。


地図で見たときに予想したとおり、山林の陰になって薄暗く、ひたすら一つの店などもない道だ。あるのは、例えばガサツに建てつけたブリキ版の仕切り。その中に押し込められた都市ゴミの最終形態。地域ならではの車高低いヤンキー車のジャンクたちと埃。時々菜の花やスミレ。砂利場の向こうに立ちはだかる低い山の上部、雑木林の金色の繊毛。


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空気は淡い金茶の光に満たされているが、空の色は雷でも来そうなほど暗い。
幼い頃に住んで居た場所の空を、いつもこのような重みで思い出す。実はこの場所は、私の故郷からほど近い地点にある。
しかし、いくつもの曖昧な山林や丘陵に隔てられ、故郷に繋がる感じはしない。
そしておそらく故郷の団地も今は、あの頃無数にいた若い家族たちの幻影なども蘇らせず、ひっそりとゴーストタウン化しているに違いない。



夫が目星をつけている第2の謎池は、さきほどよりは緩やかな林の高地の、どこかにあるようだ。
人の気配のない集落を突き進み、砂利道から枯葉道に踏み込む。広葉樹林の隙間を、鮮やかな夕陽が映写機の光のように突き抜けてくる。
はるか下方の茂みの奥に、用水路がありそうな気配がするが、枯草深くとても辿りつけない。
ひたすら柔らかい落葉の絨毯と枯木の枝を、ときに柔らかくときに硬く、踏み音に楽しみを感じながら歩く。しかし、池らしきものはとうとう二人の行手に現れなかった。


夫はしばらく、別の隘路を探索しに行った。後で聞くと、どうやら第二の池は用水池で人工的なものらしい、とは推測できたようだ。
私は彼の探索中、山道の入口にもどり、下る舗装路と登る野道の隣り合った複雑な道の風景をスケッチした。


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夕暮は、濃密な液に溺れたような桃色である。
最近、暗くなると私の目は、急に視界が効かなくなる。住宅の屋根屋根や木々の茫漠とした影のなかを、随分のあいだ夫と彷徨う。
疲れてもいて、道選びが当てずっぽうだ。
年季の入っていそうな石垣に囲まれた暗い坂があり、そこに迷い込むようにして上っていく。桜花の影になって暗い道なのだ。桜の下の視界は、ほとんど目を閉じた瞼の裏のような紫である。なんとなく、ずっと化かされたように眠い。



いつの間にか、ポカンとした畑地が横手に見えて来ている。
この丘は小さいが、すべての人種にとっての懐かしい丘のイデアのような丘である。
薔薇色の雲。一本の大きな木。いくらかの花の咲いた簡素な畑と、その周囲の茫漠とした野の広がり。


けれど、不意に前方の竹藪の暗がりをみて、さらに心を鷲掴みにされた。
小暗い竹薮が、しっとりとした草地を抱くように囲み、まるで誰もいない庭のようになっている場所。
その草地のど真ん中に、なぜか唐突に、巨大な棕櫚の木がたった一本、すっくとまっすぐに屹立しているのである。


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あらゆる森の童話、不可思議な民話、桃源郷のイメージであれ、神隠しのイメージであれ、それらは虚構の向こう側で創られただけの作り話ではない。
現実に、そのような半眠半覚の瘴気が漂い入り込む場所や時間が、あるのだ。
黄昏のことをむかしのひとは「逢魔が時」とも言った。そんな瞬間を、一本の暗い棕櫚の前で味わい続ける。どうしようもなく安らかで、同時にこの物悲しさの理由もわからず、解決のない永劫の怖さに満たされるような気持ちである。
なにかの粒子に侵食されて、自分がだんだん意思のない粒子にまで解体するような感覚を感じる。



私は今日は夫の誘う謎の池には行かなかったが、その代わり、この棕櫚に辿り着くための一日だったように思う。












by meo-flowerless | 2019-03-31 22:04