画家 齋藤芽生の日記
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2018年11月の日記
2018年11月の日記
11月1日
11月1日
どうしようもなく気持が腐る。こんな時には何故かいつも、ネットでロシアの地方都市の風景を検索して見る。
とくに極寒の閉鎖都市ノリリスク。世界のニッケル産出のほとんどを占める工業都市だが公害のため外部の人間の立ち入りを禁じているロシアの町。零下何十度の雪と氷のなかに古びた高層住宅と黒い工場街が陰鬱に立ち並ぶ。何故かそんな温度の中で人々は海水浴をしている。海水の方が温かいのかもしれない。気温差からか湯気の立ち上る水に老人が浸かっていて、背後に煙突と煙の黒いシルエット。
その写真を見るたび、何故か心身にあやしい力が漲ってきて、生きよう、という孤独の拳を強く握りしめる。そこに生まれた訳ではなく行ったこともないのに、突き抜けるような郷愁の哀しみを感じる。その悲哀が自分の糧になる。
11月5日
政治家のていたらく、意地の悪い世間の風潮、職場の重苦しい場面や忙しさ、自分自身の性格問題など、落ち込む要素は山ほどある。
しかし、だ。
三時間の帰路を経てやっと辿り着いた近所のローソンの商品棚からパウンドケーキが消え、何故かドラ焼きばかりが山ほど売っていて、ムッとしながら移動したセブンイレブンにはパウンドケーキの影どころか4種類もの変り種ドラ焼きが棚を埋め尽くし、なんと冷蔵棚にまで5種類目のクールドラ焼きが詰まっているのを見る…そんなことの方が、確実に心を修羅にさせる。
なんだ、ドラ焼き流行っているのか?日本中ドラえもんになったのか?
ほかのおかしも売ってくれ!
11月6日
カンボジアから先生と学生が3人ずつ来日している。先生がたはもう何回か会っている方々。ベトナムの先生方とはまた違う味わいがある。男性的というのかな…。
3月にカンボジアを訪れた時にお世話になった優しいSAM先生が今回は初来日。歌が好きなようで、私達の研究室のギターを見つけて弾きだした。合わせて他の先生もサビ部分を歌う。情緒的なマイナーコードの曲を歌い出したので「演歌みたいだな」「カンボジアの曲は日本と似てるんですかね」と話していたら、サビの部分で「エスパニョーラーッ!」と絶叫していた。どうやらフラメンコの曲らしかった。
某美術館で日本絵画を見学しに行った。SAM先生ともう一人の先生、うちの研究室のg先生と私は、途中でヘタってきてしまい、四人で押し合いながら座席で休んだ。「うちらもう40代だから疲れるね」というような会話をする。「あなた幾つ?」とカンボジアの先生が聞くので、「45」と答えると、「セイム(同い年)」と喜んで握手を求めてきた。しかし少し盛り上がっただけで、美術館の監視員がすっ飛んで来て「静かに!」と四人で怒られてしまい、シュンとした。
この某美術館は入口の所でも非常に感じが悪く、海外の学生達が学生証を持っていなかっただけで10人くらいの職員を呼んできて私達を囲み、まるで悪いことをしているかのような感じで入場を制止された。差額を払えばいいことなのに、学生証を持っていないというだけで大変に迷惑そうな感じで突っかかってきた。
展示はよかったが、2度と行きたくない、と感じてしまった。
11月7日
ホーチミンから、大学四年のカインちゃんが留学してきている。
英語が堪能だが多少シャイな性格でもある彼女とは、私はの英語力の無さゆえ中々話の糸口が見つからず、コミュニケーションがあまり出来ずにいた。
しかしふと彼女が「めお先生は歌が好きだと聞いた、私も好き」と話しかけてきた。
そこで、今日、研究室の学生とともにカラオケに彼女を連れていった。
カインちゃんは小柄で可愛らしいが、そのイメージと違いトーンの低い知的な声である。素晴らしい発音の英語の歌を聴かせてくれた。
「先生この歌を知っていますか」と彼女がスマートフォンの画面を見せてくる。天童よしみと島津亜矢の画像を見て、すぐにあのベトナムのカバー曲だとわかった。【美しい昔】のことだろう。
私が初めてベトナムを訪れた時に、ホーチミンのレストランでかかっていた暗い曲調の、古いベトナム歌謡曲の数々。それが忘れられず、その後ベトナム女性歌手の懐メロを買い集めた。一番心に刺さったのはカイン・リーという歌手である。亡命を余儀なくされた人生や、鋭く澄んだ歌声に惹かれた。
彼女が日本語で70年代に歌った歌が、【美しい昔】という邦題の歌だ。島津亜矢らがのちにカバーした。
「赤い地の果てに…」という出だしの訳詞でもう心を抉られる、静かな悲しみを秘めた曲である。
ひとりカラオケで何度か歌ったことがあるが、知る人も少ない曲だ。周囲とカラオケに行ったとしても、誰かに聴かせることもないだろうと思っていた。
聴いてくれる人が現れ、嬉しかった。密かに胸に秘めている曲の一つだ。
画面には、ベトナムの川の行商の船が映し出される。他国人の私のセンチメンタルな旅愁に過ぎないかもしれないが、それだけでウッと泣きそうになる。
ベトナムの子はどういう心でこれを聴いているのか、知りたかった。まあ私の聞き苦しい歌ではあるんだが。場に応じてどんな歌を互いに歌い合うのかがカラオケの醍醐味だと思う。研究室のエリの歌う沖縄民謡も、痛快なほど素晴らしかった。
あなたはよく歌を知っているね、とカインちゃんに言うと、「自分はよく知っているが、周りの同年代の子達は、古すぎる歌だからこれを知らない」と答えた。
私はようやく、歌によってカインちゃんと心が通じたような気がした。それ以前に研究室の学生達が彼女を支えていることが、何より嬉しいけれど。
ミン先生は歌が好きでよく歌いに行くのだ、とも彼女は言った。次にホーチミンに行くときは、是非一緒に歌をうたいたい。
11月8日
最近よく眠れるようになった気もするのだが、同時に悪夢をまた見るようにもなった。
自分にとっての悪夢は死の夢でも血の夢でも試験の夢でもない。
ひたすら逃げている、逃亡の夢。いつからかそれが常に、私の悪夢になっている。
日常の根底にいつも泣きたいほど逃げたい気持があるし、なにから逃げたいのかは解っているので、夢を分析しようなどとは思わない。ああ、あの人間関係か、あの仕事か、などと目覚めて笑いたくなることもある。
しかし目覚めてのちも打ちのめされ、引きずっているのは、逃げる道行の侘しいリアルな風景である。草をかき分け、道路を履い、石垣を登り、様々な物陰に隠れ、息を潜め。いやというほど具体的に侘しい風景に、具体的に身をやつして逃げ続けるのだ。
昨夜の夢では、海近い地方都市のあばら家から隙を見て逃げ出した。夜明けである。
暗い真珠色の曇天の坂を全速力で駆け上がると、宅地造成中の広大な殺風景が広がる。赤土とコンクリートの合間には、まだ掘り返されていない野生の葦野原がある。そこを、草を揺らさないように身を潜めて掻き分けながら低い体勢で逃げている。朝露に身体が濡れて冷える。
凍える息をきらせながら辿り着いたのは、灰色のモダニズム風建造物である。「半盲学校」と小さな字で書いたぬ静かな門の中に逃げ込む。
まさかここ迄は誰も追って来ないように思う。校舎に入るとコンクリート製のエスカレーターがある。その下のひんやりとした待合では、石のベンチに清らかな中学生男子たちが黙って行儀よく座っている。その無垢な姿にビクッとする。汚い逃亡者の私をどう見ているのか恐れるが、なにも見えていないように反応しない。しかし心のすべては見透かされているようだ。
エスカレーターや階段でどんどん校舎を登って行き、ホールの舞台裏に辿りつく。
流石にここを見つけるひとはいないだろう。と安心して、照明機材に身をやつし天井から逆さまにぶらさがっている。
しかしその視界に、遠い下界の舞台上の光景が映る。幕間に追手が来て、私を既に探しているのだ。しかも追手は敵でもなんでもない人物だ。なにも関係もなく、私のことをよく知りもしないカインちゃんなのである。誰かの悪意が、あんな無垢な存在を追手として差し向けたのかと思うと、急に情けなくて涙が出てくる。
もうすぐ自分は、外れた照明機材としていくつかの階を通り越して落下し、舞台上で粉々に割れるだろう。観客はそれ見たことか、ここにいたかと、あらん限りの嘲笑をするだろう。
夢の結末はそんなだったが、それはまあいい。
それよりも風景の暗さにやられる。あの曇った早朝の宅地造成中の殺風景は夢のなかに常在している。夕暮の時もある。同じ石垣やダムの表面、芝生や赤土の斜面をよじ登って逃げている体の負荷が、朝起きるとリアルに疲れとして身体に残っている。
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特急電車で帰宅。新宿駅に着いたとき、テレサ・テンの【愛人】を携帯からかなりの大音量で流しながら乗り込んでくる、割と若いサラリーマンがいた。
おおッ!と思った。
11月9日
朝、雪虫が飛んでいた。そういう季節だな。
11月10日
昼飯の腹ごなしに散歩をし、複雑な坂を登り下りするうち、あまり普段行かない京王線の駅の陸橋に来る。非常に高い場所で遠くまで景色が見渡せた。
雲が厚いが、光は満遍なくものに当たっている。高尾山の奥の山梨の山並みや、奥多摩の方の山稜まで、かたちがはっきりと浮き出して見えている。
「近所にも関わらずよく知らない街」はまるで夢の中の風景のような感覚があるな、と思った瞬間、ハッとする。いつも悪夢に出て来る寂しい高台の宅地に、ここはあまりに似ている。でもその因果はよくわからない。
今度は街を逆に下っていく。坂も石段も急だ。
面白いほど鋭角な階段を通った。中学生のころやはり散歩でここに辿り着き「鋭角三角形階段」と心で名付けていたが、その後どう行こうとしても行き当たらなかった。なにか感動があった。
階段を降りてもまだまだ高台であり、街並みがよく見渡せた。様々なところで秋を感じた。
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いまの日本に「殺伐」は余るほどある。しかし「荒涼」が足らない。もっと徹底的な荒涼を私は切望する。ロシアの広大な凍土にそれ相応の荒涼が在るのは当然だろうが、国土の広さや気候だけの問題でもないと思う。
風景の荒涼を荒涼のままにさせておくのは、ひとの懐の深さがあってこそだ。それはもしかすると平和だとか愛だとかに全く関係のない懐の深さかもしれないが、詩の生まれる深みであることは確かだ。
11月12日
大学。カンボジア、ベトナムチームの招聘も最終日。取手校地の石材工房に実習をしに行く。
校地のあちこちに蔓延る蔓植物も大きな葉の木も次第に色づき始めていた。取手の枯葉や野花は東京の2.5倍ほど大きさがあるような気がする。
取手から柏にかけての風景は、自分の青春の大半が詰まっていると言っていい。しかし今は、その記憶に手を伸ばすことは殆ど無くなってしまっている。億劫で思い出さないのではない。大事なものをしまった箱の鍵を取り上げられ、目の前にあるのにこじ開けることが出来ないような、自分の記憶なのに近付きあぐねているような状態を過ごしている。
そう言えば、通算で十数年間も取手で過ごしたにもかかわらず、大型の工房群の中に入ったことも、登り窯や彫刻の仕事場に足を踏み入れたこともなかった。カンボジアチームとともに海外から来たような新鮮な気持で見学した。
黒い御影石の厚さ10mmほどの板にマスキングシートををしておき、その絵柄のところにだけ砂を吹き付けて細かく削る。マスキングを剥がすと黒地に灰色の絵が浮かび上がる。巨大な機械の立ち並ぶ中の謎の箱に手を突っ込み、箱の中で砂を吹き付ける操作をするのだ。のぞき穴から見る砂は銀色の電光石火のようだった。
朝から集中してカッティングをし、出来上がってシートを剥す瞬間の達成感が心地よかった。
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取手を歩き回りながらここ十数年間のことを思い返す。この荒涼、この平野。取り戻したいものはここにある、それを喪わせたものも同時にここにある。
土手に寝転がってみた花火、夜の遠い工場の灯、冬の川を登る朝霧、暗い田畑の野焼の火。思い出せよ、と一つ一つ思い出すたび、記憶たちに平手打ちされるような気分がする。
11月13日
教員室に、どこかの小鳥が迷い込んで来たという。助手達が調べるとどうも野生種ではないらしく、安易に空に放っても、外で生きていけないかもしれないらしい。それでまだ部屋の中で飛び回ったり植木に止まったりしている、という。
教員室に入って見ると、たしかに会議室のほうに小鳥が一匹いる。助手が棚の上に置いた水を飲んだり、とりえをついばんだり自由にしている。
一人の助手の女の子がずっと静かに小鳥を見守っている。私も腰掛けてしばらく観察していた。助手は手製の鳥籠を廃材で工夫して作っている途中だった。
「キンカチョウという飼い鳥で、皆でキンちゃんって呼んでます」と彼女が言った。
いま階下には元助手のギンちゃんが来ていると思うと、何かおかしかった。
時折発する声は、電子音のような少しダブルトラックぎみのビッビッビッという鳴き声だった。
11月14日
久しぶりに荒井由実を聴きたくなっている。取手や武蔵野線の枯野を見たりしたからだろうか。それとも喪失の季節だからだろうか。
晩秋の揺れ動く「喪失感」、停滞するシーズンオフの憂鬱を歌うのだったら、やはり若い頃のユーミンの右に出る者はいない。これが冬になり喪失感すら風化して孤立していくと、その「隔絶感」を歌う若い頃の中島みゆきにかなう者はない。
二人を比べるのは意味ないことかもしれないが、彼女たちこそが、若い私の先生だった、と言っても過言ではない。彼女たち二人は特別だ。
少女から女になるときに、自らの言葉を持つということ、その上、自らの心身から自分だけのメロディが作り出されること…
その可能性に、本当にどれたけ若い私は憧れ、支えられて来ただろうか、と今更ながらに思う。
こんな創造の世界にいるにもかかわらず何度、自分なりの世界観を持つことを軽々しく嗤われできただろう。思い返せば色々あるけれど、ああいう女性の表現者たちがいるじゃないか、と指針にしながら生きてきた。人とのすれ違いや別離、棄てられたり嫌われたりしたそのあとに、実はさらに歩くべき荒野がある。私にもあった。それを絵にも描いてきた。
孤独を宝石のように磨き上げる信念も余裕も、自信もあった時代だったとも言える。
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上野公園の夕明り。人の群れがおなじゴミを揉みくちゃに踏みしだいて歩いていくな、と思って、自分も踏んで通ったら、気の毒な飛行機だった。
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静かな夜。ベッドの上でぼんやりしていると、何処か外の遠いところから【遠き山に日は落ちて】が聴こえる。
かすかで、空耳くらいの遠さだが、たしかに鳴っている。
よく、市役所や小学校から夕暮れに流れてくるチャイム音の曲だが、夜の9時半なのに鳴っていると、不思議な感覚がする。
どこから聞こえるのだろう?
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Iさんが、肩掛けを編んで送ってくれた。寒さを気遣う言葉と、毎日私の夢を見ることが書かれた葉書もきた。
もうかなり前のことだが、数年間の月日、彼女とは毎週土曜に食事を一緒にしたあと、女学生同士のように色々な話をして過ごしたものだった。
春の夕暮れ桜並木がぼんやり渦巻く道の、奥の奥の方にいるような、そんな存在だった。
昼間に思い切って電話をかける。息子さんが出てしばらく話す。Iさんはもう耳が遠いので繋ぎ直してもらう。Iさんの歳が幾つになったか一瞬聴きたくなったが、やめた。
最後に話してから15年ほどの月日は流れている。繋がる前は多少緊張した。
電話の向こうの声は変わらずに懐かしい、落ち着いてふくよかなあの声のままだった。
そう口にはしないのに、「おかえり。待っていたわ」と言ってくれているような声だ。暗い闇の室内の奥にぱっと真昼の外光が一筋、映写機のように差している感覚にも見舞われた。
あたしは大丈夫、なんとかまだこんな風に生きていくわ、と言っていた。あまり多くを語らないのは、昔のままだった。が、何も言わずとも私の今の悩みを瞬間的に全て把握しただろう、というのも、昔のままの印象だった。
声を聞いて、このところの茫然自失感のあった心身に、すこし質量と匂いが戻ってきた気がした。
11月16日
今は手元に無い卒業制作の作品群。20年以上の月日を経て、対面する機会を得る。
自分の手から繰り出されたものであるが、我ながら鬼気迫るものを感じ、また目を背けたくなるような青臭さとエロさを感じ、ウッとのけぞってしまう。小さい連作、しかし気迫というか狂気じみた集中力に、今の私は吹き飛ばされそうである。
今に繋がる描画の密度になった頃だ。アクリルガッシュの細い線で描かれているが、手で触れるとちゃんと描画の凹凸がある。なんか恐い。
卒展以後の展示では初めて公開することになるかもしれない。これに負けない新作、あるいはこれの内容に対応して答える新作を考え始める。
11月21日
暗黒のジャズ・アンビエントグループ「Bohren & Der Club of Gore」が素晴らしく、何作かダウンロードして持っていたのだが、流石の私にも暗過ぎて、聴く気分になる此処ぞという時がなかった。
「夜」というプレイリストにそんなアルバムばかり溜め込んで、ときどき深い夜にじっくり聴こうと試みるのだが、即座に眠りこけてしまって、10時間に及ぶラインナップの全貌を全く知らない。ブラックホール・プレイリストになっていた。
けれどこれをipodsにいれ、昼間の電車で聴くととても良いことを発見した。暗いロードムービーの道路に意識がワープするようである。
疲れて東京駅から500円特急券を買い特急電車で帰る夜にも良い。何処かアジアの大都市の廃れた雑居ビルの青白い蛍光灯のような車内の灯りが、黒い水の中を潜っているようだ。超ハードボイルドである。
Bohren…は特に【Piano Night】がいい。まあほとんど全曲同じ風で区別はついてないような気もするけど。
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最近つくづく考えるのは、若い頃にはこれほど「話の合う人のいない人生」を送ると思っちゃいなかった、ということだ。
11月22日
【ソ連歌謡 共産主義体制下の大衆音楽】蒲生昌明著、というマニアックな音楽ガイドが発売されるらしい。欲しい!
著者は、鉄のカーテンと言われた体制下のソビエトに、あの時代実際に足を運んで音楽を収集したという筋金入りのマニアらしい。twitterでそれを知ったのだが、反応している人々が口々に「あの頃のモスクワ放送の雑音越しに共有していた、遠い同時代感」のようなことを呟いていて、「ああ、同じことを考えていた人はやはりいるんだな」とジンワリした。
自分がはまったのは10代の時だが、やはりアラ・プガチョワだけは日本でCDを手に入れられたので、買ったなあ。しかしそのCDより、自分でラジオから録ったほぼ雑音のなかの曲たちのテープばかり聴いていた。
東南アジア〜中東の60年代70年代歌謡は、一時期発掘ブームになっていたのか「辺境サイケ」としてCDがよく出ていた。濃厚な人工甘味料の空気の抜けた炭酸飲料みたいな、ドスが効いていそうでずっこけてしまう音声のポップス群が素晴らしかった。
けれど旧共産圏の本丸ソ連の関係は探しても、茫漠とした情報しか見たことがなかった。90年代からのお手軽ダンスミュージックではない、60年代70年代のぬくもり溢れる音楽が聴きたい。
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「漂流感」というよりは多分「迷子感」というなのだ。自分が何かを作るときに必要なのは。アイディアがあってもなかなか描く気にならなかったのはその辺の感覚をどこかにやってしまっていたからかもしれない。日々の暮らしでも、きちんと自分の状態に合った音楽や本をチョイスすれば感覚は戻ってくる。ネットがなかった頃は、そういう自分に本当にしっくりするものを探し求めることに長い時間を費やした。町を歩き回って探したわけだ。その距離こそが迷子感だった。「途方に暮れる寂しさ」と「まだ見ぬ憧れ」とが共存する感覚だ。
11月24日
密林というとアマゾン、ジャングルのことを指すことが多いのだろう。
けれど、故郷の団地裏手に広がっていた「雪の雑木林」こそが、私にとっての初めての密林だ。
早く雪が降ってくれないか。白で全てを凌駕してほしい。この世が汚く見え過ぎる。
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雪の外界から帰ってきて、室内でじんわりと凍えた体が潤むとき。
幻から現世に帰ってきたような帰ってきかたではなく、厭世から厭世に直行で帰ってききたような感覚がある。現世を経由しない。かといって夢の世に行って帰ってきたわけではない。
:::
久々に何の気がかりもない休日。昼寝。
雪山、5000メートル級の高度を旅する夢を見る。
永遠に続く灰色のレンズ雲が右肩側にかぶさり、その下を這うように断崖の道を進んでいる。レンズ雲の縁をちょいとめくると、左側は青天と氷柱だけの白銀世界が広がる。
落ちたら死ぬどころか遺体など粉々に霧散しそうだが、怖さよりも美しさがまさっている。
途中、凍った遭難者の友人を発見し話しかけ解凍させたり、雪の広場でヒップホップのようなダンスを、雪国の子供らに披露したりする。
よくは覚えていないが、往年の女性人気歌手に依頼された「蘭の花の30種カード」の挿画の仕事が、この旅に関係があった。
ふと、巨大な雪獣の背を下界の氷柱の森に目撃してしまったので、急いで森林保安局に逃げ込んだ。そこではレンズ雲も分厚くなくなり、普通の針葉樹林地帯であった。
古い静かな木造建築の部屋に達磨ストーブがあり、昭和20年代くらいの出で立ちの男たちが、白いまるいパンのようなものを静かに焼いていた。雪獣のニュースがラジオから聞こえているが、そこは木漏れ日に満ち、静謐で平和だった。
ここ最近では珍しい、崇高なほど美しい光景の夢だった。
11月25日
夕飯の材料を買いに、夫と夕闇のなかスーパーマーケットへ行った。スーパーを出ると、遠い高台の途中の家の上に、何かの光が張り付いているように見えた。チーズバーガーのチーズのように黄色く付着している。やけに光度が強く、その黄色だけ目に飛び込んでくる。しかしまあ、新しい街灯でも出来たのだろうと目をそらす。
途中の家からトマトスープを調理する匂いが漂ってきて、夫がそういう献立を食べたいと言い出したので、スーパーに引き返しまた具材を買う。
またスーパーを出たところであの黄色い光は目に飛び込んで来る。今度は夫が怪訝そうに「あの光は何だ」と言う。今まではなかった。カマボコのような形の天辺だけ見えている。なにか未確認物体的なメロウな薄気味悪さがある。マルホランド・ドライブ感というのか。
近くに行って確かめようかと思ったが、がっかりするのが嫌でやめた。何ならがっかりしないのかと言われたら、分からないけど。
:::
正体のわからない遠いネオンでもいいし、外国の郊外で夜風に揺れている矢印や星の形に編んだ見すぼらしいイルミネーションでも良い。
なにか唐突に、この脳裏に物語をもたらして来る光があるのだ。情けない光で、ブルースひとつ歌えないヘロヘロの声のような、無意味な灯であるほど良い。
:::
未来に関するありとあらゆるネガティブな想像でこの2日ばかり鬱々としていたが、黄色い光を見てから、なんだか不思議と、歪んだ気持ちが定型に戻ってきた。
自分にはよく、そういうことがある。ダンプカーが通り過ぎるときのキロリロリン…という機械音を聞いた時とか、暗い雨の電車から、山の端に神社の鳥居の赤がふと見えた時に、唐突に我に帰る。グニャグニャと多分裂したプラナリアが一斉にビシーッと一つの形に戻るような、磁石がザーッと砂鉄を集めるような、そんな感じで。
私は本当に、いろいろな人からいろいろな注文を受けていろいろな役割を出来るような人物ではないんだ、と、我に帰りシンプルな脳細胞で過ごす時には、思い出す。
11月26日
偏頭痛で枕に顔を埋めっぱなし。
瞼の裏になにか、薄桃色の糸菊のようなもの、歌舞伎の土蜘蛛が放つ白いしだれたようなもの、真昼の号砲花火のけむりのようなものが、何回も何回も浮かんでは漂う。頭が痛くなければエスキースに使いたい映像だが、頭がいたい。
11月27日
自分の琴線に触れる、涸れた暗ーい曲を徹底的に集めて、「夜」プレイリストにぶち込む。
ダウンロードなのでジャケ買いの楽しみはないと思いきや、イメージを一画面に集めて至近距離で見ると、自分の絵に通じる共通点が、ありすぎるくらいある。本当は一枚一枚、CDでちゃんと欲しい。
妄想の情景が映画のように動き出し、そのなかに放り込まれた語り手の役のような気分になる。
11月28日
by meo-flowerless
| 2018-11-01 09:18
| 日記