画家 齋藤芽生の日記 Twitter/ @meosaito


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2018年10月の日記

2018年10月の日記



10月3日

中国からの研究生の陸くんの最終日。研究室の皆で「送る会」を開く。
誰にもオープンで信頼をおける人柄であり、研究室のムードメーカーだった。兄のように皆を見守り引っ張ってくれた。半年しかいないのに、二年間くらいの時間を過ごしたようだった。
学生や助手も彼を見送る会のために何が出来るか、自然に体が動くようで、あの料理を作ろうとか、あれをあげようとか、数日前からあちこち走り回って準備。
結局、陸くんが一番好きな日本料理ということで、手打ちで蕎麦を打つことに。練って切るまではそれらしかったが、箸につままれた食物はすこし違うものになっていた。


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私は久保さんとヴァイオリンで「カノン」を合奏し、陸くんはあの素晴らしいベルベットヴォイスで「愛燦々」を皆に歌ってくれた。
彼はまさに、博愛の人というのが相応しい人柄である。彼や、去年の劉君や、今いる留学生たちはみな情に厚く懐の深い人柄で、不思議な包容力がある。自分本位だけで立ち騒いだり排他したりすることは、決して無い。それでいながら自分の視点の筋は通っていて、安定している。こちらが学ぶことが多い。人間って本来こうだよな…と、感情感覚の原点に帰ってともに時間を過ごすことができる。本質的に大事なこと、を彼らは体得しているように感じる。
研究室というものは、通り過ぎていく学生や助手達がその時その時自分達の力で作っていくものだ、ということを、つくづく納得させられる。

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記念写真を撮ってみたら、前列に写った私含め三人の女が、体型や髪質や眉毛など雰囲気が似ていて「ここだけ親類の集まりみたい」と学生が笑っている。肝っ玉と腕っ節、みたいな三人だ。「この三人だけ朝の連ドラ感を感じる」とも言われている。「タイトル考えようよ」「【なんとか家族】」【お母ん】」と言いたい放題であるが、一人の学生が「【まっかっか】」と言ったので思わず吹き出した。なんか分かる。それがいいと思う。




10月6日


駅前の町は、栄えている方とうらぶれている方とで、明暗分かれていることが多いという。そんな言い方は失礼なんだろうが実感はある。
しかし、裏だと感じる側の方角で思わず、味のある食堂やレストランに遭遇することがある。決してリピートしたいほど名店ではないが、淡い記憶が残り続けるような。
今日もそんな洋食店にふらりと入った。



昭和40年代頃から変わっていないだろう店内の雰囲気。赤系のクロスを貼ったやたら重いクラシックな椅子とインベーダーゲームテーブルとのミスマッチ。くたびれたプーさんもどきのぬいぐるみや窓際の七夕的レース飾り。白シャツをきっちり着た老人が一人で丁寧な店番をしていた。かしこまったベテランのボーイであると同時に、手早くランチ盛りを調理するシェフでもある。
デカめの三角ナプキンをしいてやたら丁寧にフォーク、スプーン、ナイフを並べる。しかし皿は小さめである。その皿から溢れそうな乾いたナポリタンの山の横には、不定形で豪快なハンバーグ。肉は美味いがソースは薄い。味噌汁がついているが、箸はないのでワカメをフォークで掬う。



腹がへっているから美味しいといえば美味しいが、まあなんてことはない洋食である。
けれどそのように何十年も変わらず、時間を無理に進めようとせずただそのままに浮遊しているような佇まい。最近のえげつない御時世のなかでそのような佇まいに出会うと、深呼吸のようにしずかに感激してしまう。



10月7日

夫が「9マス将棋」という簡易なゲーム盤を買ってきて、やろう、と言う。
が、どうにも気がすすまない。目一杯眉間にしわ寄せて「え”ーっヤダー!面白くも何ともない。ギャー!」と全身で拒否を表明するが、いまここに夫の遊び相手はもっかのところ自分しかいないぞ…と腹をくくって、しぶしぶ将棋盤に向かう。
しかし9マスしかないので二、三手で詰んでしまう。基本的な駒の性質までよく分かっていない自分には、もう何の意味もない世界だ。



それなら、と夫は本式の将棋盤を持ち出してきた。やはりこのくらい複雑じゃないと、経験者はまず物足りないだろうし、初心者にとっても間を持たせてあれこれ失敗しながら遊ぶという余地がない。
とにかく小さい頃からありとあらゆるゲームが嫌いな自分だが、将棋は胃が痛くなりながらも、ハマる要素を感じる。
さしたあとしばらくは、何か物をパチリと据えるのでもケータイのボタンをポチリと押すのでも一瞬「ここにさしたら取られるかも」とか「斜めに動けるかも」の反射神経が一瞬働いた。意味ない反射神経だが。


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一人っ子は争いごとが嫌い、という文章をどこかで見た。平和主義という気もしないが昔から自分は確かに勝負事に関してはあまり興味がない。他者との駆け引きに時間と頭脳を使うのが非常に苦痛だ。そういう頭脳や忍耐力にに欠けているのだろう、
絵に関して慎重に二手先三手先まで計算することは厭わずやるが、遊びやゲームで勝敗が絡むと途端に面倒で逃亡したくなる。そんな遊びは時間の無駄である。ケータイ、パソコン、電子機器を使うゲームなどもってのほかである。(wiiのスキー以外)
昔ゲームセンターに連れていかれても、何をやってもだめで、パンチの重量を計測する機械ばかりひたすら叩いていた。腕っぷしはかなり強いのである。
将棋は流石に奥が深いと感じる。これに人生費やす人間がいるのもわからなくはない。勝負事以上の何かを感じはする。


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ブラームス【弦楽六重奏曲】第1番第2楽章、この宿命づけられた美の感じ。有無を言わさないロマンスの嵐。出だしの一音だけで、今の世のくそ下らない風潮やうす汚ない戯言の全てを瞬時に吹き飛ばしていくな…
そしてそこに、街道を歩いていく夜の焼き芋屋の呼び声が重なる。とくにこの近辺の焼き芋屋ヴォイスはかなりビブラートの聴いたテノールのおじさんの声で、哀愁に満ちている。
いい季節が来た。根性いれてブラームスに入れ込む秋、スイッチ全て切ってフォーレに身をまかせる秋、が来た。



10月9日



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私のカリキュラム【東京マケット】のフィールドワーク(まあ、遠足).で、浅草から船に乗る。隅田川を下って東京湾に出て、行き着く先はお台場である。本当は合わせ技で横浜港からの夜の工場地帯クルーズをすると、東京圏を側面の海側から見る面白さが増すのだが今年は叶わず。しかし、午前の船のデッキもそれなりに気持ちよい。

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今春、有明の病院に入院していた母を訪ねるときに、モノレールの車窓のビルの隙間から、気になる水辺が一箇所あった。おそらく人工の、静かそうな砂浜。
都市の隙間の一瞬のシュールだった。それを見た一瞬を忘れられずにいた。
フィールドワークのために調べていたら、その砂浜が「お台場海浜公園」なのだった。
解散後、念願の砂浜へ。完全に埋め立て感があるが、やはりシュールさはその場に立ってもあった。学生にも散策を一応進めたが、みな午後の学科授業があるのか、帰ってしまった。
ひとり砂浜に座って、束の間の休息。
いいなあ。なんとなくマンハッタン感がある。
こういうときにはもちろん、スパゲッティミートソースである。謎の南国感のあるフードテリアで惣菜スパゲティを食べる。結構美味しくて、満足した。


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船で通った築地市場は、そう思って見るからか、ぞっとするようや寂しさがあった。
箱だけが移動したのではない。人間の地が一つぽっかり無くなった、ということなのだろうと思う。互い内臓や血液のように機能していた人々の繋がり。なににせよ、社会や人間を機械のガワのようにしか見ない人種には、そういう有機的な繋がりの価値など見出せないものなんだろう。



10月10日

モノレールから眺める臨海都市の構造。上に下に入り乱れるジャンクションや港のセメント工場、貨物船、入道雲のように白く天に伸びようとする遠い高層ビル群…都市の巨大さを感じるためには、モノレールはなかなか良いアトラクションだ。


臨海の無機質な光景は好きなのだが、それでも自分が昔から感じていた「東京」の巨大さとは別物のように感じる。
広い海上から眺めても、丸の内のビル街を歩いても、新宿で買物三昧をしても、最近、かつて感じていたはずの「東京の大きさ」を全く感じなくなってしまった。
勝手な感覚だが、東京はしぼんでいきつつある、という印象がある。


自分が歳をとったから、かつては身体自体も経験の幅も小さかったから、今の東京に慣れて大きさを感じないのかもしれない、と思ってもみた。
しかし、1960-80年代の東京を映したNHK制作のDVDをずっと観ているうち、本当にかつての丸の内は、銀座は、新宿は、無数の人生がパンパンに詰まって物凄い重量のある複雑な巨大都市だったんだ、と否応なく感じさせられてしまった。
全ての明かりは人間の営みの光であり人生の炎だったし、立体の全てにはずっしりした質量の陰鬱さがあった。あらゆる色彩が街の骨格のいたるところに刻印され、しつこくこびりついていた。


ちょっと映像を見ただけで、ウワッと怒涛に押されるようだった。昔の映画のなかの都市もそうだ。たとえ東京でなくとも、地方都市であっても、都市の大きさを感じる。
野口五郎うたうところの「都会は海 人は砂漠 愛は蜃気楼」の地球を俯瞰するダイナミックさがある、というか。
つくづく身にしみた。そういう感覚はなくなってしまったな。凶々しいくらい密集していた雑居ビル街も、いまはみな空の頭陀袋みたいに萎んでいる。



今後決して、この寂しさの穴は埋められることはないだろう、と予感する。
ひとことで言えば、都市が「記憶を内包する」ものではなくなったのだ。東京はもう膨大な記憶機構である理由を失った。
記憶ななのか記録だかわかんない、そんな価値もないような無駄騒ぎの文字が、ネットの虚構の場所に膨大な堆積をしてゆくだけなんだろう。



10月12日

先日のこと。
夫が久しぶりに都心に出て、Yさんと飲んでいる、という。仕事帰りに自分も合流することになり、某駅近くの、指定された店を探す。
Yさんのことだからきわめて渋い呑み屋のチョイスをするだろう。前には日暮里の落ち着く小料理屋S(座敷でカラオケをする)に連れて行ってくれた人である。
案の定、暗いガード下に点在しているらしい飲食街の青白い電光掲示アーチに、その店の名を見つけた。
しかし上野ガード下のように客に溢れ焼き鳥の煙がモウモウ、という雰囲気はなく、潰れた店を塞ぐベニヤや工事のフェンスにつぎはぎされた飲食街だ。
なかなか店を見つけられず、線路周りを2周して、やっと店を見つけられた。


昭和を感じさせるどころか「戦後」のヤミ感すら感じさせる一角。電車の轟音と振動の真下に揺れる、、カウンターと数席の卓の小さな店だった。
着いた時には夫とYさんは小豆島の思い出話をしていたようだ。瀬戸内芸術祭の滞在制作時の盟友なのだ。カウンター内で料理する70代くらいのおかあさんが明るくその話に割って入っていた。他のカウンターのお客も席をずらして私の椅子を開けてくれた。
ぼろいはぼろいが、現役で繁盛している温かい店、という感じ。


夫たちのカウンター上にはまだ、店名物の牛乳スープのワンタンの皿は乗っていない。ひたすらビールを飲み、とろろや漬物やおろしの小鉢が続々と運ばれてくる。おかあさんは「コースよ」と言った。その言葉の通り続々とシンプルな小鉢料理が出し続けられた。Yさん曰く「お通しが延々と続く」ような。しかしスープ類はなんとも優しい味だ。


「小豆島、いいなあ。行ってみたいわ」とおかあさんは自分の旅の経験談など少し話した後「私はうまれは能登でさ」と料理をしながら呟いている。夫と思わず顔を見合わせる。「おかあさん、能登のどちらですか」
「先っぽよ。もう、はしっこ、先端」
「もしかして珠洲すか?」
「あらあんた珠洲知ってるの?」
「いや、俺は去年ずっと珠洲で暮らしてたんすよ」


時空が二重三重に捻れる。現代の都心にいながら戦後東京に居て、小豆島にいながら珠洲に今いる、ような気分がした。珠洲のどこですか、とおかあさんと夫ははなしあっている。どこの街を知ってる?挙げてみて、とおかあさんが言うので、夫はまず「蛸島!」と言ってみた。Tちゃん一家が目の前に浮かんで来た。
「惜しい、近い」「正院、飯田」などとやりとりしていたが、最後に「モヅ」と教えてくれた。あーつ!モヅか!と二人で大声を出してしまった。
モヅは雲津と書く。車で山から町に出る時にいつも通った集落だ。
ポツンとある煙草屋兼雑貨屋ではアイスを買って食べていた。その付近の家並みは、ただでさえ美しい珠洲の黒瓦の家並みのなかでも特に立派で美しい佇まいをしていた。


「そう。うちはその瓦を作っていたのよ。前は海沿いに瓦の登り窯が並んでたんだよ」と聞いてなおさらびっくりする。知っている旧家や建物の話をすると「あそこもうちの瓦だよ」と言った。


夫が様々に徘徊した珠洲の集落が全て、すぐ店を出たら荒海と雪とともに広がっている気がする。小泊の灯台、Sさんの製材所、宇治の煙草組合公民館も、あああそこか。と全て通じる。地元の人だから当然か…
へえ、いいなあと聞いているYさんにも、いつか絶対訪れてほしいと思った。狼煙の灯台やドライブイン、きっとYさんは好きですよ、と話していると、
「昔は狼煙の灯台の裏に和裁の先生がいて、皆で通ってたの。なかに入って灯台守を手伝ったりもした。雷がなるとみんな灯台に逃げ込んで過ごしたよ」とおかあさんが言った。
おかあさんは溌剌とした綺麗なひとで、娘時代の姿格好が容易に眼に浮かぶ感じがした。顔立ちは違うが高峰秀子のような健康的な娘時代を勝手に想像した。


鮭のハラスや串焼き、私の大好物の納豆チャーハンまで出て来て満腹のところに最後の名物料理。牛乳スープにワンタンやレバーの入ったもの。薄甘く、肉が特に美味だ。
この店は先代から70年以上続いている。戦後みなが栄養不足の時に、先代店主が考案した料理で、話題になったそうである。ショーの踊り子さんたちが栄養補給に食べに来たよ、と昨日のことのようにさりげなく話す。古い映画のなかに入り込んだ気分がする。


こんな縁もあるのだな、と感慨に耽る。無口だが優しい店主の親父さんは能登の人ではないようだが、黙って料理の合間に、珠洲の地図など私たちに持って来てくれた。指で地名と道を辿る。記憶が鮮やかに町ごとに蘇った。
楽しいだけでなく、これぞ魔法にかかったような、狐に少し摘まれて時空の旅をしたような、不思議な東京ガード下の一夜だった。

:::

そんなガード下の夜を思い出しながらこれを書いているいま、また新たにふと迷いこんだ渋い喫茶店に居る。
駒込駅裏のP。茶色のガラスで中は見えない狭い間口の扉。店頭にはナポリタンの写真もあるが、ランチメニューはサバとかシューマイとか、おっさん和定食ばかりだ。なかに入って実は店が広く大きいのにびっくりする。
全体が暗いのをシャンデリアでキラキラと内装した簡易キャバレー感…いや、昔の談話室はみなこんなかんじか。


ローズ色ビロードの座席が、歪んだ鏡(アルミ?)張りの壁沿いにずっと設置されている。そこにびっしりと6-70代のお父様が腰掛けている。私と店のおねいさんの二人以外
皆おじさまである。自分も心はおじさんなので、まあ、要はここはオッさんの店だろう。
渡されたメニューは、使い古しのカレンダーに手書きで書いてある。あこうダイ、文化干し。私の頼んだ生姜焼き定は米の量が多かった。卓上にのりたまふりかけ常備。なかなか良い店を見つけた。ちと高すぎるけど。

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暗い隅っこの席で最近の疲れを癒す。昨日は、狭心症かと勘ぐるくらい胸と背中に疼痛があり、今日は仕事を休もうかと思ったが、なんとか出て来てよかった。小石川植物園から東洋文庫へ見学行の授業で、解散後にまた一人、こんなとこに辿り着いた。孤独のグルメか、これも…


前の日記に、東京に大都市感を感じなくなった、と嘆いたが、自ら穴蔵のようなところに潜り込めば、まだ人生がディープに交錯する東京坩堝(るつぼ)は、のこっているのだ。



10月13日


すべてのものが磨りガラスの内部でじっとしている感じ。秋の曇天には密閉感がある。無音にさえ感じる住宅地の静けさのなかを歩いていたら、ハッと我に帰るような高い笛の音が、何処かの家から聞こえて来る。ピッコロだろうか。何かの唱歌を吹いている。


♪………いろり端…という、最後の歌詞の部分だけ思い出したが、なかなか題名が思い出せない。
音から遠ざかっても心で口ずさみ、♪静かな静かな…里の…を引き出せて、【里の秋】だと理解した。
本当に静かな良い休日だ。




10月15日

高熱を出す。
風邪かインフルかはまだ医者に行っていないのでわからず。風邪だろう。
今朝は10分刻みでビッシリと面談のスケジュールを入れていたので、多少でも無理して行こうとしたが、電車が八王子駅まで来たときに、これはやばいと勘がして、全てキャンセルした。学生さん本当にごめん。しかし伝染したらもっとよくないし。


帰宅後は39度台に上がってから、激しい体の痛みとせん妄状態で、ほぼ記憶がない。
夜9時頃に突然我に帰る。少し汗をかいてすっきりしたのだろう。すっきりはしたが、依然38度5分はある。食欲はまったくないので、粥を少し食べ薬を飲む。
夫が心細そうに自分で飯を作って一人食べていた。ごめん。
40歳代に風邪引くと、大人だから対処はしっかりとしてくるけど、症状は若い頃の数倍つらく激しいように感じる。怠くてキモチイイ熱なんかは一切なくなった。
寝。




10月17日

本調子ではないが夕刻、大学へ。いったい何リットルかという気のする量の汗を上野までの道のりでかいて、アトリエで着替えた。
打ち合わせ、真っ当な感覚持った人との会話は短時間でもスッキリする。汗も咳もあまり出ず。
しかし帰りの電車で、別件のイヤなメールなど見始めると、また発熱を感じ始め咳も止まらなくなった。東京駅で呼吸苦しくなり、休憩。なんだ精神的なものか?いや多分風邪だよ。
帰って純豆腐チゲを作り、オロシ生姜と落とし卵をしこたま入れて食べた。ひいてしまった風邪に効く薬はないから食べものでなんとかするしかない。亜鉛も一粒舐めた。


:::


声は出ないがココロの鼻歌でなぜか【琵琶湖就航の歌】ばかり歌っている。
よく思い出してみたら、ここ数日のいつかのラジオ深夜便で、BEGINのボーカルの人がソロで歌っていたのだ。朦朧と熱にうなされながら「しゃくって歌わないで欲しいな」「沖縄民謡の節がかなり入ってるなあ」と勝手な感想を巡らせていた。
普段からBEGINはあまり聴かない。しかしあとからふと、なんとも暖かく、ふところ近くにその歌が蘇る。台所でネギを切りながら、思い出し泣きすらしそうになる。
好みかどうかは別として、やはり自分の声、自分の唄を持っている歌い手なのだな、と思った。


あとは歌の良さ、である。なんと名曲なんだろう、と改めて深く噛み締める。
あの青々とした「晴れた翳り(矛盾しているが)」は、どの愛唱歌にもあったわけではないだろう。青年期を過ぎていくことの哀感とも思える。歌詞の意味だけではなく、メロディの持つ痛みじたいがもう、そうなのである。




10月18日

風邪をひいたら、初動は内科に診てもらったとしても、症状が出始めたら耳鼻咽喉科なり呼吸器科なり、専門的にもう一度診てもらった方がよい、と今回はつくづく思った。
病名を言われたわけではないが、どうやら普通のウィルス性の流行り風邪ではなかったようだ。鼻水は全くなく喉の奥に腫れた患部が特定出来そうな、いつもと違う辛さがある。咽喉科にいかなくては、と勘が働いたのだ。
喉にスコープ通して見ると、既に炎症が声帯まで及んで真赤に腫れていた。唄や喋りはしていないから、喉の腫れの進行だろうし、栄養つけようとミカンや韓国鍋など一生懸命食べて、荒れてしまったのだろう。


7つも処方された私の薬を出しながら薬剤師が「えっ、声帯まで行ったんでしたか」と真面目に言うので心配になってくる。「人と話す職業ですか?」と聞かれる。「はい、でも今週は…」「しばらく声を出さない方がいいかもしれませんね」
景気付けにニトリでどでかい枕を買って、帰って横たわったのだが、相変わらず、横たわると、気道が塞がってしまうような嫌な感覚がある。そのせいで前夜は一睡もしていない。いつ、安静にして眠れるのだれうか。

:::

夫の観ているヒッチコックのDVDを、自分も横から何となく眺める。
【知りすぎていた男】。ドリス・デイの歌う【ケ・セラ・セラ】ありきの映画。流石にヒッチコックだから映画らしい魅力に満ちてはいるが、呑気というか脇が甘い設定に突っ込みたくなることもしばしば。


しかしケ・セラ・セラも筋立てもさて置き、何でもないシーンで、異様に自分の心の針が振れた。
主人公夫妻の子供が、政治的暗殺を企てる活動家一味のアジトに幽閉される。そこはロンドンの小さな町の何でもない教会で、普段は近所の老人たちが礼拝の賛美歌を歌う。牧師である活動家の夫婦、その下で働く若いさえない女はオルガンひきであるが、実は活動家一味である。



その活動家一味の顔付き、佇まいだけに、奇妙に惹かれたのである。
質素な紺の服の老女の張り詰めた空気、垢抜けない若い眼鏡女の野暮ったい感じ、女にがら骨格だけ悲しくでかい感じ。色気も水気もなく、使命感と終末感だけがある表情。髪がベトッとしている感じ。
一味に共通する、悲哀を押し殺したような無表情な目。雇われた殺し屋の馬面と、笑った時のやけに本数の多い黄色い歯。そして礼拝の賛美歌の調子っ外れの暗い旋律。本筋に絡むケ・セラ・セラやオーケストラより、その賛美歌にドーンと心が沈む。



自分の琴線は、脇のそういうとこに反応する。惹かれるワケを書けば長くなるので書きはしないが、…要するに私にとっての「これだ、これ」があった。覚えとこう。



10月20日

声を発さず安静の日々。痛みと呼吸しづらさは引いたが、24時間、狂おしいような咳との闘い。一緒に暮らす夫はよく黙って我慢していると思う。煩くて申し訳ない。

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また古い映画のDVDを観る。
マレーネ・ディートリッヒの【嘆きの天使】だ。写真等では憧れのマルレーネだが、映画じたいを未だろくに観たことがなかった。無名の彼女が大抜擢された映画なので、まだ洗練された能面のようなディートリッヒではない。ガタイがガッチリして垢抜けなさがある。しかし観ていくうちに、やはり、膝を打ってオッと叫びたくなるような個性的な魔性を感じた。


当時の猥雑なキャバレーの雰囲気、馬鹿馬鹿しいような電飾や大衆音楽の雰囲気がよくわかる。場面設定は、キャバレー、主人公の教師の部屋、教室の3つくらいしかないが、そのなかに時代性がコンパクトに詰め込まれていた。


バカにされるくらい堅物で小者の、丸々と太ったドイツの高校教師…という分かりやすい人物像である。教授という肩書きの空虚な権威だけしかない、あとは不器用なだけの男だ。
大した心情の疎通もないのに、酒場の売れっ子歌手に瞬く間にのめり込んでいってしまう。これぞという愛のエピソードなど、無い。その辺、歌舞伎の吉原遊廓での「見初め」といわれる、花魁の一瞥と同じである。歌手ローラ(マレーネ)の目の一瞥と、投げやりな脚と歌の指し示す予感だけで、すべての運命は決まってしまうのだ。
その色気も、今からすると、オンナやメスの匂いというのではなく、淑女の秘められた香りでもない。中性のピシャッとした魅力であり、男の振るう鞭のような色気に近い。或いは任侠の歯切れすら感じる。
そうしてなんとも早々と主人公の男は、名誉職を追われ、破滅していく。早すぎ。そこまではドタバタ、説明的、カンタンである。


しかしその後。なんの魅力もなかった主人公男が、零落してからの不気味な鬼気に呆気に取られる。かえってまともな台詞など無くなっていくのだが、胸糞が悪くなるほど惨めであり、またリアリティがある。デカダンスは豊かな愛情の土壌になど永遠にならない。デカダンスを伝染させることしかできないのである。
ごくたまに世話女房然と、こざっぱりした普段着姿で男を一応は庇うマレーネの、一瞬の眼差し、絶望と軽蔑と寂寥が、最後になって演技として際立ってくる。あの顔。野生の表情のはざまにちゃんと怜悧な知性で判断を下すそういう目つき。困ったことに同時に深い情もある目つき。
ファム・ファタールはこういうもんであってほしい、と痺れた。(本家フランスのジャンヌ・モローとかましてやBBの猫的ファム・ファタール加減は、私にはあまり理解できない)
しかしとにかく、最後の最後で、不気味な後味の悪さを残す映画だった。



10月21日

ここ2、3日の夜間の咳の出方は、もう風邪のそれとは違い「喘息」に近いようなものになってきた。激甚な気管支喘息ではなく、いわゆる「咳喘息」。これを長引かせるとそうなっていくだろう。咳と一緒に吐いてしまうことを何とか踏みとどまり、色んなものに捕まったり体の様々な箇所を自分で締め付けたり叩いたり、歩き回ったり息を止めたりしながら、悶え回りながら発作をやり過ごす。発作がやむとケロッとして眠りに入るが、また同じことの繰り返し。眠れるどころではない。しかし今朝はだいぶ、治りかけ特有の痰の切れる咳になってきて、楽である。
今回の一連の咽頭炎の流れで、風邪をひくとか感染するということが本当に怖くなってしまった。喉と気管支は慢性的に弱っているんだと思う。


:::

沢田研二が妖艶で煌びやかなアイコンだった頃、私はまだ幼稚園児でしかなかった。1980年頃は、ピンクレディーにも増して、記号的で実在感を感じられない存在だったように思う。
当時の完璧なエンターテイメント性を持った楽曲作りゆえ、一曲一曲の浮き沈みというのは、子供の自分でも見えてしまうところがあった。【TOKIO】の次からの数曲を母が「イマイチ甘い」とこぼしていたが【ストリッパー】は「こりゃいい。こうじゃなきゃ」、【6番目のユウウツ】「これは変わってて面白い」…などと、浮き沈み感を勝手にコメントするのを、私も鵜呑みにしていた記憶がある。


その後、数年でジュリーのパフォーマンスの斜陽感はどんどん増していき、ああ…アイドルはこういう長い潜伏期間の間に大人の歌謡歌手への手続きを苦労してしていくんだろうか、などと勝手に想像した。本人や、真のファンにとっては別の時間が流れていたのだろうが。


大学時代の夏に、松戸か何処かの花火大会を観に行き、川の土手に座っていた。そこからは見えないが下方には有料の仕掛花火会場があり、誰か歌手がコンサートをするらしかった。花火も盛り上がった終わりの頃、赤紫に光る下方の仕掛花火会場あたりから流れ聞こえてきた歌声はジュリーの声だった。ビジョンでも観たんだったか?忘れたが、アマポーラか何かを歌っていた。
ああ、あのジュリーなのか…うーん…。
雑音のなか、音響がこだましすぎて何だかよくわからない音声は、哀愁をそそる花火景のBGMでしかなかった。たいくつな歌ばかり歌っている感じもした。



その時しかし、「今の沢田研二はどう思い、何を目指して、歌手を続けているんだろうか。きっと今なりの時間を過ごしているはずなんだ。歌手は、往年よりヒットがなくなっても、セールスが落ちても、その時々にそれぞれの歌の時間があるのだろう」と花火の光をよそに、勝手に深く考えはじめたのである。
急に現実の自分に引き戻り、「絵描きもそうだ。きっと。どんな表現者もそうなのだ。人気や話題性や評価の回数などはある意味、一過性のものでしかない。周りがどうなろうが、誰にも見られない時間であろうが、私の表現は、私の孤独かもしれない人生にひたすら裏切らず付随してくる」という実感に、ひとり真面目に沸き立っていた。
大スターと比べてもしょうがない。だが、妙にその時の歌の主がジュリーだったことに深い感慨があったのだ。


久しぶりに見る沢田研二のニュースにそのことを思い出した。
人生の時間と歌をどのように考え生きているのか、つい、興味を惹かれる。近年は、ハードスケジュールで日本じゅうを回って勢力的に歌っているらしい。昔のヒット曲をやらないと嗤う輩もネットで見たが、それはそれで当たり前ではないか、と思う。ある人物の「過去の栄光」とやらを勝手に作っておもちゃにするのは、周囲の他人。一方で、本人の人生に付随したその時の表現に、ちゃんと対峙したい他人もいる。そういう人が足を運んで聴きにいくのだろう。



会場キャンセルの顛末について「昔のスター時代の我儘を、老いた今でも傲慢にゴリ押ししている」などと貶すネットのコメントを多く見かけ、それはさすがに違うだろう、と溜息をついた。全盛期から数十年、雨の日も風の日もステージから客席をみてきたプロの表現者の人生の時間の長さ苦さ、紆余曲折を、少しも想像しないんだな、と思った。スターだった時代から一足飛びにあの老いたおじさんが出現してるわけじゃないだろうよ、と。一つの事件だけを垂れ流しのニュースで見て、その焦点の人物の全てを瞬く間に火焙りにかけ、あるいはゴミに消費する。つくづく日本人のいまの平均的論調というのは、ネットやテレビの前で刹那的な消費者側だけの価値観を膨れあがらせているだけの論調だな、と感じた。
しかし、それを機に、私もいちど今の沢田研二の歌を聴きに行きたい、と思うようになった。

:::

映画【モロッコ】ジョセフ・フォン・スタンバーグ監督、DVDでようやく観る。15歳の時にマレーネ・ディートリッヒの写真の載った本を持ってから、ずっと観たいと思っていた。30年何してたんだろう。しかし今観るので良いのだ。
納得。全て無駄がない。格好いい。もちろん昔の映画のシンプルさはあるが、この他に何の飾りもエピソードも説明的な台詞もいらないだろう。
「男と女」のイデアのようなものしかないのだ。マレーネ・ディートリッヒでなければ駄目だろう。この不思議な原型的な顔を隣に置くと、綺麗な花も宝石も涙すらも、よけいな説明やいらぬ装飾にしか見えない。微妙に揺れるニュアンスが奇跡的に均衡をもって結晶しているような女である。逆にゲーリー・クーパーは、単純な良い男以上のなにものでもなく、人格や人生の複雑なニュアンスが無いところがまた良い。女は男のゴタクに後からくどくどついていくようには惚れないのだ。


たったあれだけの見初めの会話、あんな男、淡い一夜さえ過ごさなかったのに、運命は決まっていくものなのか?という疑問と、灼けた砂漠に足を踏み出して死にゃしないか(それ以前に裸足で足裏を火傷しないか)という愚問が、つい生じても、マレーネ・ディートリッヒの鬼気迫る決意の顔を見ていると、「いや、ありだ」と納得させられてしまう。




10月29日


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仕事の下見のために小石川後楽園を歩く。大都会のど真中に囲われた小さな森林、日本庭園。
高低差があり、深い山の参道の石段を上り下りしているような暗がりもあるが、森閑というまでにいかないのは、遊園地のジェットコースターから絶えず聞こえてくる轟音や悲鳴のせいだ。木々の隙間にアトラクションのアタマが少し見えていて、時々非現実的なその宙空に乗り物が見え隠れする。ギャーという人間の黄色い声を気にしないのか、池には野鳥も集まり、カワセミなども訪れる庭園だ。
来るたび不思議な場所だと思う。ひとり、何かに癒されようかと思ってベンチに腰掛けていた。が、今日はむしろ、虚ろな気分になってしまった。何があった訳でもないんだが。
シュールな池と空。この世の汚れた奥底に、大事な鏡を落としたような。かえって、取り返しのつかない気分に。何だろう。



10月30日


自分がなにを「本物」と感じるか、などという話は、今や容易に漏らすべきではない。とくにネットのなかでそれを口にしても瞬時に他者に覆され、偽物の誹りを受け、互いにとっての真実の価値に泥を塗りあうだけだ。
だからと言って「結局、本物なんてものはどこにも存在しない。あるのは千差万別の勝手な主観だけだし、そもそも本物であることの価値などどうでもいい」などと割り切ることが、私には出来ない。いまどんな舌戦をも超えて横溢しているのはこの、価値基準に対する無欲さ、真実という言葉への無頓着さ、長い時を掛けてジャッジすることへの嘲笑だ。これが一番やりきれない。



「これは本物だ」という本能的な直感に打たれ、その事物の迫力に圧倒された経験が一度でもあれば、本物と出会う衝撃はおそらく一生ついて回る。避けて通れなくなる。自分のなかに何らかの基準や指針が刻み込まれてしまったからだ。でもその避けて通れない刻印に震えるからこそ人生なんだとも思う。



黙って、本当にひとり黙って、目の前の事物や体験が自分自身にとって「本物」であるかを判断する。ひとに漏らさなくてもいい。他人にとっての本物と競わせることなどない。自分の厳密な感覚においてのみ、確実に信じられる「本物」の基準をもつ。
という経験が、今の時代はあらゆる理由で、稀薄になり過ぎているのではないかと思う。他人にとやかく足を引っ張られるのを怖がっている時間は無駄だ。その暇があるなら、自分においての「本物」と邂逅する旅を自分自身のなかで黙って重ねていった方がいい。
「本物」もそうだし、「真実」とか「感動」もそうかな…言葉にすれば胡散臭いことだ。けれど、言葉で証明しようとするから胡散臭く思えてくるだけで、じつはやはり生きるうえで決して手放してはいけない何かであることを忘れちゃいけない。これらへの欲動がなくなってしまったら、なにが残るんだ。



by meo-flowerless | 2018-10-04 10:43 | 日記