画家 齋藤芽生の日記 Twitter/ @meosaito


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2018年9月の日記

2018年9月の日記



9月3日

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やっと夏休みをしにきた。ああー。


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越中八尾の「おわら風の盆」に行ってきた。
江戸の元禄時代からからある、古い盆の踊り。笠を目深に被り顔を見せない男女が、非常にゆっくりと抑制された動きで踊りながら、通りを流し歩く。踊りの後からは地唄、三味線、そして胡弓の音曲隊が続く。この胡弓の入った音色が独特で、有無を言わさず人の心を掻き立てる哀愁がある。
九割はほぼ人混みだけを見るだけの混雑のなか、一瞬垣間見られる各町の小さな踊りの列。桃色にぼんやり照らされた、息詰まるような静かな時空である。はるばる困難をかいくぐりながら「たった一瞬の夢を観に来た」という感覚がもの凄くあった。


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行きと同じく親不知の海辺で休憩。これから東京、横浜まで行かねばならない。さよなら日本海。非常に印象的な粟津潔のタイル画にも別れを告げる。


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うまい言葉で表現できないのだが、こう…「魔法にかかったような」旅というのが、自分の経験なりにある。何もファンタジックなことが起こるとか、絶景だったとかは関係ない。魔女の魔法とは違う類の、夢幻感といった方がいいか。
今回の越後妻有-富山への夫との旅は、日常から夢幻感へ突入していく濃いスイッチをかなり感じた。
いつものように二人とも口数少ないし、淡々と殆ど喋らないのだが、夫も「今回の旅は濃いなあ」とボソっと言った。しかも一番強く印象に残ったのが、川のほとりのさびれた簗場の食堂だったと言う。それを私も感じていた。いつか手記に書いとこう。


奇妙に淡く幻影のようで、今そこにまさに居るのにもうまぼろしとして消えてしまいそうな悲哀感のある眩しさや、逆に自分の身元をふと忘れさせる、脳天打つような光と陰のコントラストの強い場所。本当に色々な土地に旅をしているが、いくつかある。いくつか。何が起こったわけでもないのに、一生心に残っていそうな場所。



9月5日


来年の展示の話がだんだんリアルになってきた。二度目の軽い打ち合わせ。まだ未定の部分が多いので人には話せないが。参考資料として、久しぶりにごく初期の20代のドローイングや、大学の所蔵庫に眠る卒制に関する資料なども引っ張り出してきた。
うまく行けば…というか自分が制作頑張れば、個展二つ。腰痛を治して全力投球したいものだ。


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わが職場の芸大にあったショップ「アートプラザ」が、図書館と同時に今日リニューアルした。そのオープンに合わせ、油画OJUN先生、版画の三井田先生、壁画の工藤先生、技法材料の私で、銅版画と立体作品の小さなコラボレーション。
版画の研究室で「ためしにどーぞ」と銅版を渡され、お喋りしながら15分くらいで作ったインモラル看板の版画も、三井田先生の手で丁寧なグラデーションを施され、画面に配置されていた…


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四人の作品を配置した版画一枚と、各自の立体とがセットで展示されている。
私のおウチの背後の版画は女性の姿のものが多いが、レイアウトした三井田先生の考えがあるのかな。
おウチ作品は、今回それぞれ鬼の棲家(といってもドライブインぽいが)という設定。
赤は【鬼女紅葉】に捧げられていて、白は伊勢物語【芥川】の白玉の和歌に捧げた。
だから、背後の女性像たちが不思議と私には女神というより鬼神に思える。
冷房の風で小さなススキが揺れに揺れ、だんだん位置も移動していたな。
先生方の作品もなんか妙な新鮮さがある。独り言を聞いてしまったような感じ。



9月7日


来週の海外出張の前に、腰痛の診察をしてもらわないとヤバいと思い、病院へ。しかし腰のヘルニアより悪いのは股関節だったらしく、それを庇って起きる腰痛らしい。
股関節の方はこれから長期で運動リハビリしないと駄目だと言われた。
すぐに理学療法士の居るリハビリ室に回される。体幹の歪みやクセを徹底的に調べ、三種類のストレッチを教わった。少し体は楽になった。
リハビリ、ということを生まれて初めておこなった。持続させないといけない。


9月8日



海外出張の大事な仕事が来週に迫っているし、それが済んだら猛然と制作に入らないといけない…と分かっているんだけど、いま頭のなかは「股関節症」で埋め尽くされている。考えてもしょうがないからとにかく体重を減らし筋力をつけることに集中するべきなのだ。しかし見かけの軽症感と反し、起居の形態を全て洋式に替えるとか、いずれ来るかもしれない手術による費用や仕事の休止など、調べれば調べるほど深刻さに気づく。つい数年前までは足腰に何一つ違和感を感じたことがなかったのに。
今までの生き方が雑過ぎたんだ。ま、悲観的になってもしょうがないや。骨の摩滅は取り戻せないので、慎重に付き合っていくしかない。



9月14日

今後、歩けば歩くほど股関節が悪化する一方らしい。重いものをもう持ってはいけないらしい。地べたに座るのが一番だめらしい。
でも、そんなこと可能かよ?こんな人生を選んだ人間に。1日普通に10000歩以上歩いてしまう。荷物も…軽くならないなあ。軽くしようとカバンにあれを入れたり出したりして迷っている荷造りの時間に一番腰痛が出るし。
と、嘆きながら、どデカいスーツケース持ってベトナム出張に旅立つ。


9月24日

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ベトナム出張から帰還。一週間のうち前半がホーチミン、後半が初めて行くハノイという日程だった。
初めて訪れたのは2012年だっただろうか。3度目のホーチミンは、以前の印象よりもずっと「大都市」だった。間にカンボジアやラオスの体験が入って、その印象ど混乱してホーチミンの方が大都市に見えるのか、それともやはり都市化に拍車がかかっているのかわからない。とにかく、こんな凄まじい交通量だったか?という疲れが初日から襲って来る。


ホーチミン市美大では「ベトナムの絹絵技法に日本の絹本の描画材料を応用する」という実習を行う。これは自分がやらなければいけなかったので神経を使い果たした。二人の通訳も難しそうだったし、それ以外に自分でも直接英語で先生たちとその場で会話しながらやらなければ成り立たないので、無い語彙力を総動員して説明した。
しかし懐かしいミン先生やヴィン先生、大好きなネップ先生とたっぷり楽しい時間を過ごせた。もうホーチミンで満足しきって、後半は体力を残していなかった。


初のハノイ。動的な都会のホーチミンに比べ、静的な旧都市、植民地時代の西洋感覚をよく残した、木々の多い美しい町並だった。経済力豊かでモノに溢れているというホーチミンと比べレトロなのだが、目にとまるアオザイのショーウィンドウもカフェの佇まいも、私にはホーチミンよりも魅力的に映った。



ハノイでは初訪問のベトナム美大でリサーチとレクチャー。学生と旧市街の職人街を歩くリサーチでは漆絵の材料店、布問屋、漢方材料店で少し色材などを見ることが出来た。向こうの学生もあまり町歩きはしないらしく、歩き方もあまり慣れているという感じはしない。この国の都市の学生は圧倒的にバイク移動が多いのだろう。
レクチャーの日は体調を崩し猛烈に腹を下した。しかしA先生に講義をお任せすれば絶対に大丈夫なので、申し訳ないが一日中眠った。


美しく古びたハノイで探検しまくりたかったが、疲れが溜まっていてそれは叶わず。しかし、個人旅行でまたすぐに来たいと思った。ここは街並みを保護する心があるので、景色が急激に変わる感じもしない。
対するホーチミンは激動のなかにあり、景色も人も数年で激変して行くのだろうと思われる。古い街並みはもちろん好みだが、逆にホーチミンや、カンボジアのプノンペンなど、否応なく時代の変化を背負った都会というのには、旧都市にない種の切なさがある。ロードムービーのさなかに居るような気がするのは乾いた大都市だ。



10年前くらいまで、自分の人生には日本の光景しかあまり必要もなく、海外の人々と自ら縁を作り心を交わすなどとは、想像していなかった。そもそも人見知りだし、社交が苦手、独りでいたいし、語学もあまり出来ない。いつもガラスケースの中のことを外側から見つめる遠さと隔たりがある、それが自分の旅だった。どんな海外に行ったとしても、孤独な観光の繰り返しだろうと思っていた。
今回、ホーチミンの人々との暖かい時間を過ごし、自分自身で作った人間関係なのだという実感を強く感じ、自分の変化も同時に感じた。



9月29日

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雨の河原を歩く。人の気配はない。
細い草の穂に無数の水滴が光っているのを静かに見ている気持ち。すべてのことにこういう静かな気持ちで臨みたい、と思ってみるが、ままならなさばかり思い出して憂鬱にもなる。


澄んだ鳥の声がしたのでハッとすると同時に夫が「カワセミだ」と言った。雨の河原をエメラルドグリーンの光るものがさーっと渡っていく。しばらく草の穂に止まったが、また泣きながら行ってしまった。
先日雨の無かった月の夜は川に降りて夫がススキや彼岸花や秋の花々を摘んで、お月見の花として生けた。団子は好きではないので買わなかったが、こういう時節を大事にする気分は良い、と思った。
ベトナムでも先生方が中秋節のムーンケーキを買ってきて、即席の茶会を開いてくれた。短いが幸せな時間だった。

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ムーンケーキは中国圏の菓子の月餅のことだ。ベトナムでも色々な種類があるようだった。実習の合間の休みにミン先生が切り分けて下さったムーンケーキのいくつかは甘かったが、中に一つ、甘辛の挽肉にアヒルの卵黄が具として入っているやつがあり、とても忘れられない美味しさだった。


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午前の休憩にはムーンケーキでお茶をし、昼食の後はヴィン先生やネップ先生が沢山の種類のフルーツを買ってきてまた茶会をした。
ロンガン、マンゴスチン、ランブータン、釈迦頭、目の覚めるほどみずみずしいグリーンマンゴー。釈迦頭という果物は初めて食べたが、まるで香水のムスクのようなねっとりした香味があった。
いちいち色々な反応をする私たち日本人を、先生たちは楽しそうに見ていた。

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ベトナムではうちの学生が作ったムーンケーキももらったし、帰国してまたある会の頂き物で月餅をもらった。短期間で月餅尽くしである。私はなんでも丸いものが好きだが、巨大なまん丸な梨も食べ、月見バーガーも食べ、大いに満月を想う一週間となった。


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ベトナム語の姓はあまり種類が多くはなく、姓、ミドルネーム、名前の三パートに分かれている。ミン先生はグェン・ヴァン・ミンであるが、グェン先生とは呼ばれず皆名前でミンと呼ぶ。多分漢字に置きかえたら明、である。ベトナム名は漢語と関係させた意味のものが多いようだ。
しかしネップ先生は面白い。彼女の名は変わってんだよ、とヴィン先生も言っていた。
もち米、という意味だそうだ。教室の壁にも、もち米料理の落書きの上にnepと書いてあった。



9月30日

自宅まわりは風速三十米越え。かつて聞いたことのない轟音と振動に怯えている。外を覗くと、隣の住宅の屋根屋根に当たって白く飛沫をあげる水煙は、現実感がなく、映画の撮影のようだ。怖さで言えばこの夏のゲリラ豪雨の雷の集中砲火が恐ろしかったが、いつ窓が外れるか気が気ではない怖さがある。


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ラジオを聴いていて、十年以上、正体を知りたかった曲が不意にかかり声をあげてしまった。
ザ・ピーナッツが【モスラ】の挿入歌と言った気がしたがタイトルは聞きそびれた。主題歌とは違う暗いバラード。イントロの不安定なコーラスからして魅力的だったが、
「明るい歌を歌っていても…」の歌詞で、探していた歌だとわかりびっくりしたのだ。
Black Cat Orchestra というグループ、どこの国のインディーズかわからないが古いクレズマーのようなユダヤジャズのようなテイストのCDを持っていた。女声ボーカルが頼りない細い声で、片言の日本語で歌う歌があり、惹かれた。
明るい歌を歌っていても、ココロハイチュモ¥%○〒☆…… と聞き取り不能になっていくのだが、何故か忘れられない哀愁があったので、探していた。
ピーナッツの歌は途中までその歌と同じなのだが、サビや全体の流れは全く別の曲だった。しかし、何故今まで知らなかったのか、と思うような哀調の名曲だった。
調べたら【インファントの娘】というらしかった。


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歌手・渚ようこが急逝したと聞き悲しい。
【京都慕情】の渚ゆう子とは別人、知る人ぞ知る当世の昭和歌謡歌手である。年齢を明かしていないが、私より少し上か、同世代くらいなのではなかったか。


だいたい昭和歌謡リバイバルものは表面的で、何か本家より偽物感を免れないので、私は食指が動かされないのだが、彼女は別だった。アルバムやライブで選曲する歌謡曲のチョイスの素晴らしさ…音楽に留まらず映画、文学、美術あらゆる類のカルチャーの底に澱む芳醇な何かをちゃんと知っている感じがあった。
晩年の阿久悠が彼女のために書き下ろしの曲集のアルバムを手掛けたのも、納得するものがあった。


廃業の前の新宿コマ劇場のリサイタルも観に行った。非常に小柄な女性だった。
自分の中に渦巻く「東京」の凶々しい血膿や反吐や造花や殴打のにおい、安マニキュアや煙草の脂や埃塗れのアメをねっとり練り合わせた延べ棒を舐めているような、ウッとえずくような懐かしさを感じた。



彼女のうたったなかで最も好きな曲は【ここはしずかな最前線】(実際には【ウミツバメ】)、これは若松孝二の映画『天使の恍惚』の挿入歌である。過激派の断末魔の夜明けの、路上の火炎瓶の残火をモノクロ視野で見つめているような曲。大好きな曲である。
そしてもう一曲、阿久悠作詞の【どうせ天国へ行ったって】。低い泣き笑いの歌である。自分も一人これに浸りながら自嘲まじりに、涙なく泣いた夜がある。
しかし、阿久悠ばかりか、彼女まで、この退廃的なレクイエムの自分の声に弔われるように亡くなってしまった。どのような死も美化する気にはなれないのだが、それにしても、この歌のむこうに燃えさかる彼女の生死は、どうにも美しい悲しさである。


友も恋人たちも みんな地の底にいるわ
そこで私のことを ずっと待っている
おいでおいでをする おいでおいでをする



by meo-flowerless | 2018-09-02 12:50 | 日記