画家 齋藤芽生の日記 Twitter/ @meosaito


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北陸行記 1

2018年9月の日記



夫の居る新潟・十日町におもむき、つかの間の夏休みを過ごす。
大地の芸術祭の【方丈記私記】展に出品している夫の作品に対面するためでもある。

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苗場


雨の越後湯沢駅で待っていると、白い軽トラックで真徳君が迎えに来た。
十日町に向かう前にどこか行くか、と、反対方向の苗場スキー場に車を走らせる。苗場に何があるのか、と聞くと「さびれた土産屋とか旅館とか」というので、とりあえず行って見ることにする。
時折日光の射すなか、シャワーのように飛沫を立てる、金色の雨。陽が高いからか、虹は出現しなかったが、自分達が今虹の根元にいるような乱反射感覚がある。山一つ二つ越える間に、幾つかのスキー場を見かける。もちろんシーズンオフなので閑散としている。


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苗場の景色は、他のスキー場のさびしさと違う独特のシュールさがある。白々とした80年代豪華さが、誰にもかき回されることなく沈殿している。建物という建物が豪雪仕様の鋭角の三角形屋根だ。どういう構造かわからないような不思議なメルヘンを醸しているロッジも多数ある。
人っ子ひとりいない巨大なホテル群の遠景は、なにか中央アジアの独裁国家の風景のようでもある。



白く禿げた塗装の壁に「ファンシーなクマが虹を背負ってテニスしている」パステルカラーのイラストがあるような、この感じ....取り敢えずなんでもソフトクリームと雲と三色の虹と半ズボン姿の動物を描いておけ、というような80年代デザイン感覚。そして当時の女性の耳にキラキラしていた三角ミラーのイヤリングにも似た鋭角三角形のカッティングの家並み。
松田聖子やユーミンがかつて歌いまくっていたスキー場ラブ世界観の中のゲレンデというのは、苗場だったんだろう、と妙に確信を持った(違ってもまあいい)。
作品を描く資料のために写真を撮る。夫がいちいち車を停めてくれ、その度車から降りて天気雨の中を撮影に走った。






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十日町


電話で聞いている限り、夫の滞在制作している十日町がいったい田んぼなのか山なのか町なのか、風景のイメージがわかなかったが、要するに田んぼと山と町がどれもあった。
駅付近の街道沿いは簡易なアーケイドがあった。さびれてはいるが余裕のある、洋品店などは潰れずにある感じ。規模は違うが自分の故郷八王子と同じ匂いがするぞ...と思ったら、やはり絹織物でかつて栄えた町なのだった。


夫はこの町の幾つかの施設に拠点を構えながら半年近く制作に費やし、町中のホール「キナーレ」に四畳半をベースにした方丈の作品を作り上げた。他にも同じテーマで作品が集まっているのだが、ほとんどは建築系の取り組みらしい。
夫の【狗鷲庵】はそのなかでも濃密な匂いを放っていた。威嚇するように翼を広げた、杉皮の羽根を葺いたイヌワシがそのまま家になっている。

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プラン発案当初は、このスペースで「農業用・害獣よけグッズの様々なアイディアを、地元の人々と語り合う」と言っていた。
が、おそらく夫自身が、「ひと」よりも「獣」のがわに感情移入する性質なのだろう。最終的には、大きなイヌワシは害獣の長というよりも、古くからの農作業と自然の共存にまつわる土地の守り神のような佇まいになった。
外側は全てたった一人で設計と作業をしたのだが、部屋の内部には、畳・いろり・建具を地元の専門店に頼み、庵の雰囲気をきちんと作った。


最後の最後、その部屋で何をするか思い悩んだ末に、ふとあるゲームを思いついたのだった。
将棋をベースにした【農棋】である。
飛車、桂馬、歩兵等の代わりに猿、狸、狐、鴉などの「獣がわ」と、百姓、鳥飼、猿引、犬、鈍牛など獣の上に立とうとする「人間世界がわ」のコマがあり、両者の里山での闘いを盤上でくる広げるというもの。
観客が畳の上で憩いながら【農棋】に興じ、勝った方には部屋の中から続いているトマト菜園からプチトマトが一粒貰える。私が来た時にはもうトマトは一個もなかった。客が勝手に食べてしまったようだ。そもそも私は将棋があまり出来ないのでいとも簡単に夫に負けたのでトマトを貰う権利は無いのだ。【農棋】、かなりおもしろい。ちゃんと商品化したいくらいである。

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夫がずっと作業場に使っていた旧公会堂の舞台で休憩をする。昨年の珠洲の時も一大工房のように広範囲に作業場を展開していたが、今回もその再現のようになっていた。
今回は去年のように、土地で世話をしてくれた様々な人々とや友人も無く、相当に孤絶の半年間だったようだ。山の方につくったビニールハウスの菜園でつくった紫蘇でジュースを作っていて、それを呑ませてもらった。私の呑んだのは本当に最後に残った一口だったが、ウワーと声を上げるほどに美味しかった。そしてその酸っぱい美味と同時に夫の長い孤独をグッと感じてしまった。



春から5ヶ月。
今回は彼の滞在制作経験の中でも、いつもより気持の維持が困難そうだった。私も今年は様々なことが重なり予定も心身もともにきつく、一度も作業の手伝いなどに来れなかった。
しかしここでたった一人手伝いも要請することなく、彼の手だけで向き合ったことの密度ほ作品から漲っている、と感じた。
作者本人が自分の手だけで作るという意地と矜持は、観者に対して何の自慢にもならないのは百も承知だ。私もそんなことは別に口にしないし、夫はもっと口にはしない。しかし、この大規模芸術祭流行のご時世、作家本人の存在が空洞化し工務店やサポーターの丸投げされて短期間で仕上げられてゆく作品も多い。もちろん作品の善し悪しとそれは関係がない。しかし、そんななかで、夫も様々なことを思わされたようである。


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雲蝶


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夫は今は寺の座敷に宿を借りている。この二日は私もそこに転がり込む。
張り裂けそうな不穏な大雨の音を聴きながら、一夜が明けた。


なおも雨が降る中、この日は、南魚沼の二つの寺へむかう。
夫が劇疲労の滞在中に一度この寺を訪れ、元気を貰ったという、幕末の名工「石川雲蝶」の木彫を私も見に行くのだ。石川雲蝶、私は無知でまったく知らなかった。近年「日本のミケランジェロ」などと呼ばれているらしい。


西福寺開山堂。建築も凄みがあるが、とにかく堂内の、天井から欄間から.....至る所を埋め尽くすマニエリスティックな透し彫りの氾濫に、度肝を抜かれる。こんな鬼気迫る代物が、さりげなくこの山間の田んぼの中にあったとは。近年よくいわれる【超絶技巧】という言葉を撥ね付けるような何かがある。技巧的であるのはわかるんだけれど、なにかワザの範囲を大きくはみ出て行くような、言語にし得ない執念を感じる。
幕末的というか、「何でもやってやろう見てやろう精神 + 人の手の技術で作れぬものなどない精神」の洪水である。彫刻だけではなく襖絵、鏝絵まで雲蝶が手掛けているのだ。39歳からの数年間、いまの私と同じ45歳までで、石川雲蝶がこれを全て仕上げたのだときき、つい自分の人生のトロさと中身のなさに、ゾッと焦燥を感じた。


二軒目の寺は永林寺。ここにも雲蝶作の堂内木彫がある。
さきほどの偏執狂的な装飾の氾濫とは少し違い、ここのものは彫られている対象の姿がゆっくりと楽しめる感じである。
欄間の天女の透し彫りを見るなり、身がぞくっとした。うまく言えないが、ずっと思い描いていた「女」に出会ってしまって息が停まるような感覚があった。
圧倒されたのは先に見た西福寺の天井彫刻だが、こちらの天女の妖艶さこそは、筆舌に尽くしがたいものがある。平仮名の「おんな」の匂いを立ち上らせる肉感、しかし小股の切れ上がった江戸人らしくもある涼しい顔だち。いい具合に中肉のついたむちむちした腕、両面透し彫りの後ろ側から少し覗いている背中の淫靡さ。汗ばんでいるかのようにも見える。天女というのは、表現者に撮って、女の二面性の凄絶美を表現したくなる対象なのだろうか。自分が男になって恋しい人にあってしまったようなへんなきもちがした。
楽器を奏でる天女の細い指は柔らかくもぴんとしなっている。その指に、媚態のかたちというよりも、音をかき鳴らす時の繊細な身体の緊張感を感じて、おんなのひとの声音も、どんな音曲なのかも、心にはっきりと聞こえる気がした。



by meo-flowerless | 2018-09-02 04:01 | 日記