画家 齋藤芽生の日記 Twitter/ @meosaito


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2018年7月の日記

2018年7月の日記



7月1日


たまたまファミレスの待合で居合わせた、見知らぬ奥さん。黒いピチッとしたTシャツの中年美人ぶりをなんとなく見ながら、しきりに「他県の小さな町の酒屋の奥さん」というイメージを思う。


例えば、昔は栄えていただろうが今はわずかしか開店していないような、ローカルな店並を想像する。そこには、かろうじて古くから潰れず続いている小さな酒店。表は地酒のブリキ看板など掲げた老舗風だが、ガラス戸を開けるとピンポーンと軽薄な電子音が鳴る。
酒屋にふと入ると、そこにあんな「黒ピチTシャツの奥さん」がいるような気がする。スナックのママとは違う、しかし近隣の八百屋や日用品屋のおかみさんよりはどこか小粋な感じのする、活発そうな女性。
完全に思い込みのイメージで、具体的な人を思い出すのではないが。(ちなみに店主である旦那は日に焼けていて髭剃り跡も濃く、小ざっぱりした白Tシャツで愛想よく、ガタイがよく、草野球する)
奥さんは、日頃はよく井戸端会議をしていて、他の土地からの訪客に割とフトコロ深く親切である。レジにいるときには周りに2人ほどの小さな子供がうろちょろしている。息子?と思ったら孫だというのでびっくりする。お若いですねえ、と褒めると若作りな可愛い顔で笑うが、声はハスキー…
別に具体的な知人ではない。
とにかく夏が来たのでふらりとそんな町に旅がしたいんだろう、私は。


酒屋の奥さんは肩がムッチリしているが、薬屋の白衣の女店主は、何もひっかからないくらいの撫で肩。
髪が細く少なく、ショートとおかっぱの間。目の色が茶色。音も立てずスリッパでゆっくり歩く。嫁ではなく、跡取り娘…
妄想の地方商店街が、どんどん脳裏に構築され始めている。


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西日に透けたグラジオラス。夏花はなにか劇的だ。





7月2日


飲みの席で「もしもこの世の終わりにあと一曲しかカラオケで歌えないとしたら、あなたは何を歌うんだ?」と質問された。それなりに緊張感ある席だったので、なにかわかりやすい気の利いた答えをするべきなんだろうが、ウタのこととなると私はどうしても嘘をつけない。「しばたはつみの【化石の荒野】ですかねえ」とふと口をついて出たのはかなりのマイナーソングであった。冒頭を歌ってと言われ、赤面しながら、
冷めた男の胸板に 耳を当てれば聴こえてくる…
と歌い、さらに恥ずかしかった。が、歌いながらやはり、阿久悠の作ったこの詞の冒頭のインパクトに改めて納得してしまった。


あとから、他に候補があったのか考える。
どうも、自分にとってのカラオケラストソングはよく歌う藤圭子や八代亜紀ではない、中島みゆきでもちあきなおみでもない。まあ他人にゃどうでもいいことなんだけど。
かろうじて挙げるなら【いいじゃないの幸せならば】【時の過ぎゆくままに】【アカシアの雨がやむとき】と、どれも諦念感の塊のような曲ばかりだった。


しかしやはり【化石の荒野】と口をついて真っ先に出てしまう、あの曲の魅力はなんだろう。自分にとっては何ものにも代え難いな。
【化石の荒野】を女唄としたとき、私の中で対になる男唄は桑田佳佑【東京】かとふと思いつく。【化石の荒野】の方が多少は若い時代の諦観、【東京】の方には老いの孤独と悔恨があり、男女の過ごしている時間の感覚はずれているが。



7月4日


毎夏。白く照り返す真昼の町を汗かきかき歩いていると、なぜか或るロゴ文字の追憶がやって来る。
赤地に白ヌキの【ワリコー】【ワリチョー】【ワリトー】、緑地に白ヌキの【リットー】【リッチョー】【リッシン】などのロゴである。


幼い頃の1980年代、そんなロゴが町のいたるところに出現していた。なにかの商品名かサービス名だと理解できても、やはり何の意味だかさっぱりわからん、似たような名のロゴマーク。
夏だけに連想が蘇るのはなぜか。通学の電車内の広告にまずそれらを見つけ、よく見ると吊り革にも貼られ、扇風機のカバーにまで出現していたのを思い出す。それで夏に記憶が蘇るのかもしれない。
ワリ.....リツ.....。少し苛立つような執拗さのある、そのくせ意味不明なナゾの言葉だった。



それらはいわゆる割引金融債の名前だったのだが、当時の幼い視線にとっては、呪文か暗号かというようなそこはかとなくミステリアスなものだった。
割引金融債は80年代の大ブームだったようだが、政治家の汚職、やバブルの崩壊、金融危機等の積み重なった90年代の大学時代以降、しばらく経って「あれ?ワリ…とリツ…は何処へ行った?」とふと気づいた。(というくらい金融に疎かった)


【ワリ…】【リツ…】の文字列が道路に立ち並ぶ看板の前を、白いサックドレスと白日傘、白ハイヒールの女が汗かきながら歩いて行く…という場面の8ミリ的カタカタ映像が、いつも夏の脳裏に繰り返し蘇る。
無意識のうち、昭和という言葉の冠と尻にはつねにワリとリツを一緒に思い浮かべていたりもするかもしれない。ワリ☆昭和☆リツという感じで…


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もう一つ七月になるとよく蘇る記憶が、70-80年代頃の「銀行の冷房の匂い」だ。
今の銀行にはああいう匂いが、残念ながらそれほど無いのである。
独特の、穀類的な、水浸しマットの汚れの臭いも少し混じった、しかしひんやりと清潔感はある、甘い古紙のようでもある匂い。「これがおカネの匂いだな」と小さい頃は思ってはいた。今ならば、郵便局に近い匂いだが、でも違うのだ…何というか。


銀行の自動ドアの開閉音も独特で、「ンゴ〜」と間抜けな重い機械音がする。扉の硝子が頑丈で重かったのかもしれない。あれが好きで何度も出入りを繰り返し、よその大人に睨まれながら、銀行で用事を済ませる母を待っていた。
それら音や匂いや皮膚感覚と「来る夏のまぶしい期待感」が、今もセットで私の中に生きている。
夏の東京、というと必ず「ンゴ〜」という音とともに夏の自動ドアが開き、古甘い冷気に巻かれる気がする。




7月5日


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版画の三井田先生がグラウンドを引いてくださった銅版を、ハイっと渡され、版づくり。「落書きみたいに版を作れるなら、それは本当は最高なんだよね」との言葉。
私はどうしても自分の何時もの細密な描きかたで銅版画もリトグラフもやってしまい、結果かたくなる。会議などでつい手元でやってしまう球体や雫や貝のような、もっとラフな落書きを、版にしてみようかと考えた。
しかし…結局スケッチは必要だった。ぶっつけ本番の線でトライするのはかなり難しい。何を描くかは決めてはいなかったのだが、そうかと言って行き当たりばったりには刻めなかった。
なんだかヘッケルの海洋博物画のような版になった。しかし是非、刷ってもらおう。


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大学近くの非常に美味しい手づくりパン屋【アタリ】に久々にパンを買いに行くと、生垣が七夕の気分に満ちていた。
紙花の水色や橙色がなかなかいい色なので、夢中で色んな角度から写真を撮る。写真に満足して、さあパンを、と思ったら、最奥のパン屋はなんとつい最近、店を辞めてしまっていた。隣のオリーブオイル屋はやっているのに。
がっかりして肩を落とし、手持ち無沙汰なので、自転車を漕ぎだす前にひとしきり垣根のふわふわしたネムの花を撫でてから帰った。


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研究室裏の神社は昨日は一日、祭囃子の笛太鼓の練習だった。研究室のオトメ達が祭囃子に浮かされたのか、庭木に水をやるついでに水を派手に掛け合い、ずぶ濡れになっていた。
今日は夕刻、西日が一番金色になると同時に、神社の木々からほぼ同時にヒグラシとミンミン蝉と油蝉がわっと鳴き出した。「あっ!」と指を指すともう一人の先生が「そう、もう鳴いてんだよ」と言った。ヒグラシまでとは。本式の夏だ。




7月7日


メロディ、リズム、ハーモニーに重きをおく西洋音楽と違い、日本の歌は「うなり」であり、または本質的に「語り」がベースになっている、という。漂流する琵琶法師や説教師から伝播した語りとも歌とも言える芸。逆に全く移動することが少なかった貴族たちが和歌の中に読んだ観念の旅。日本人の歌と旅のとの関係を調べていくと、きりもなく知っておかなければいけないことがある。


自分が惹かれる戦後の「演歌」は日本風味の西洋音楽に他ならない。しかしその精神は「語り」であり、優れた歌手に限ってその節回しは「うなり」であるだろう。とはいえ、何かまだしっくり繋がるには先が長いそ…と色々本をパラパラめくっている。


【鉄道と旅する身体の近代】野村典彦著のあるページに、昭和30年代観光ブーム時に旅館などの記念品で配られていた、フォノシート(写真付きソノシート)の「バスガイド名調子」録音についての記述を見た。
「〈めぐる〉身体、〈たずねる〉身体がバスによる周遊の旅と出会ったところに、ガイドの歌声が無聊をなぐさめる。バス観光には、風景の語り、伝説の語り、さらには民謡の披露といったガイドの《声》が寄り添っている。ソノシートというメディアが歌声を添えながら、絵はがきとして風景が持ち帰られていた」


その一文になにか得るものがあった気がして深くうなづいた。うなづいて持論が出てくるわけではまだないが、自分の中にあるバスガイドさんへの記憶、八代亜紀がバスガイドだったことなど、自分の突き止めたいことが「バスガイド」の身体性の中で交錯している感覚がした。


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中3の修学旅行は東北。岩手や秋田への旅だった。中学校の修学旅行先としては少し変わっているのだが、初めて、東北の底知れぬ美しいなにかに触れた機会でもあった。
北上、遠野、東和町、尾去沢、小岩井、平泉…どの場所にも知られざる魔法のようなものを感じた。


その旅で世話になった若いバスガイドさんが、私達生徒との別れぎわに、朗々と【北上夜曲】を歌ってくれたのだ。いい声だった。
東京に帰る列車の窓から、延々と続く重い雲と一面の田を黙って見つめている時、ふいに車内オルゴールが、北上夜曲のあのメランコリックな旋律を奏でた。
その瞬間、吹き出た涙と、涙の向こうに延々と見え続けた田んぼの「トクホン」の広告塔。20年続けていた日記のごくはじめのほうに書いたのは、その歌と光景のことで、自分の今の作品世界の何かには強く繋がっていることなのだ。




7月9日

あの規模の大災害を、テレビや新聞が、いつもの台風程度にしか報道していないように思うのだが。何かの報道規制でもあるのか。国が動いている様子も見えてこない。なんと不気味なのだろう。どうなってるんだろう。



7月10日

じっくりと腰を据えて、日本の歌謡の歴史、歌舞音曲の伝播の歴史をちゃんと勉強したい。中世の遊行者や芸能民については学生時代にいちおう色々な本は読んだはずだが、具体的な歌や言語活動と芸能史との絡み方を知っているとは、とても言えない。
勉強したところでほとんどいまのアートには関係なさそうだとは解る。しかし私自身にはやはり関係がある。


巫覡的、託宣的なもの。土地褒めの枕詞。みくじと和歌の関係。絵解比丘尼。
説話の貴種流離と「やつし」。浄瑠璃の道行。柳田国男や泉鏡花の世界にある冷たい靄。戦後演歌のなかの漂流と北限の暗さ。やんわりといつしか自分が世界観に取り入れてきたことたちだ。今私の少ない知識のなかではばらばらだが、長い時のなかでは当然の如くそれらは繋がっている気がする。


直截的な現代の光景からのインプットと、作品としてのアウトプットのはざまに、無数の役に立ちそうもないグレーな知識、逸脱史や雑学、もどかしく手が届かない過去の謎、を通過しなければ、自分の人生には意味がない気がする。




7月11日


Iちゃんが沖縄から出張に来た。彼女は数年前に院を出た、韓国からの留学生。
互いに仕事の帰り、一時間くらいしかなかったが束の間の邂逅を楽しんだ。彼女の存在は肉親のようだ。娘なのか、妹か。寧ろ彼女の包容力に癒されている方が私か。彼女も私も必要以上にある局面で母性を期待されている、また自分でそう気負ってしまう、そんな疲労を抱えている。そういう痛みの解る戦友のようにも思う。
「お互いがんばろう」と若干カッコつけて私は握手をしたのだが、彼女の手があまりにも大きく柔らかく気持ちいいので、「うわぁ」と言いながらプニプニと揉んだ。自分の手もでかくて柔らかい方だが、そんな私の手をも吸い込む餅のような温かい手。すごい手があるものだ。
特急に乗り込む私を駅のホームまで送ってくれた。もしまた東京で暮らすことがあるなら、過去の思い出の中の東京を生きるのではなく、二度も三度も生まれ変わった東京を生きなと私は言った。
というよりも自分が沖縄で生きてみたい気持がした。



7月13日


仕事に追われ生活に追われ、という苦しみは、それでもまだなんとかなると思う。何とかするさ。そうではなく、自分のなかのエロスもタナトスも裏切りながら生きる、ということが本当に許しがたい。何のために表現の道を選んだのか解らない。


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こと私に関して言えば、呪術性のない表現など目指す意味はない。作品だけではなく日常の言葉に至るまで。直接的に目に見える見返りやわかりやすい言葉の報酬を、期待される謂れもなければ答える義理も何もない。…と内心思っているのだけど。



7月15日

レクチャーの準備をしており、カーッとテンションが上がっている。歌謡曲とワタシ、という楽しい主題(自分にとってのみ)からさらに、古代和歌や祝詞の言霊、雑芸能や漂泊者という内容に手を伸ばしたくなって来て、脳味噌の容量を超えて気持がテラバイト規模になっている。このカーッを抑えないと大抵レクチャーはうまくいかない。聴かせる相手はそもそも同じ興味を共有していないからだ。実際は、さわりの入門的なところで90分などあっという間に終わるだろう。

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テンションが下がっているゆえ独りになりたい、というのはしょっちゅうある。しかしテンションが上がっているからこそ誰にも会いたくない、というのはごくたまにしかない。この三連休のタイミングに感謝をする。言葉量の爆弾が爆発するおそれがあるし、漏らしたくはないので、独りで籠るべきである。



by meo-flowerless | 2018-07-01 22:44 | 日記