画家 齋藤芽生の日記 Twitter/ @meosaito


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2018年7月の日記


2018年7月の日記





7月1日


たまたまファミレスの待合で居合わせた、見知らぬ奥さん。黒いピチッとしたTシャツの中年美人ぶりをなんとなく見ながら、しきりに「他県の小さな町の酒屋の奥さん」というイメージを思う。


例えば、昔は栄えていただろうが今はわずかしか開店していないような、ローカルな店並を想像する。そこには、かろうじて古くから潰れず続いている小さな酒店。表は地酒のブリキ看板など掲げた老舗風だが、ガラス戸を開けるとピンポーンと軽薄な電子音が鳴る。
酒屋にふと入ると、そこにあんな「黒ピチTシャツの奥さん」がいるような気がする。スナックのママとは違う、しかし近隣の八百屋や日用品屋のおかみさんよりはどこか小粋な感じのする、活発そうな女性。
完全に思い込みのイメージで、具体的な人を思い出すのではないが。(ちなみに店主である旦那は日に焼けていて髭剃り跡も濃く、小ざっぱりした白Tシャツで愛想よく、ガタイがよく、草野球する)
奥さんは、日頃はよく井戸端会議をしていて、他の土地からの訪客に割とフトコロ深く親切である。レジにいるときには周りに2人ほどの小さな子供がうろちょろしている。息子?と思ったら孫だというのでびっくりする。お若いですねえ、と褒めると若作りな可愛い顔で笑うが、声はハスキー…
別に具体的な知人ではない。
とにかく夏が来たのでふらりとそんな町に旅がしたいんだろう、私は。


酒屋の奥さんは肩がムッチリしているが、薬屋の白衣の女店主は、何もひっかからないくらいの撫で肩。
髪が細く少なく、ショートとおかっぱの間。目の色が茶色。音も立てずスリッパでゆっくり歩く。嫁ではなく、跡取り娘…
妄想の地方商店街が、どんどん脳裏に構築され始めている。


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西日に透けたグラジオラス。夏花はなにか劇的だ。





7月2日


飲みの席で「もしもこの世の終わりにあと一曲しかカラオケで歌えないとしたら、あなたは何を歌うんだ?」と質問された。それなりに緊張感ある席だったので、なにかわかりやすい気の利いた答えをするべきなんだろうが、ウタのこととなると私はどうしても嘘をつけない。「しばたはつみの【化石の荒野】ですかねえ」とふと口をついて出たのはかなりのマイナーソングであった。冒頭を歌ってと言われ、赤面しながら、
冷めた男の胸板に 耳を当てれば聴こえてくる…
と歌い、さらに恥ずかしかった。が、歌いながらやはり、阿久悠の作ったこの詞の冒頭のインパクトに改めて納得してしまった。


あとから、他に候補があったのか考える。
どうも、自分にとってのカラオケラストソングはよく歌う藤圭子や八代亜紀ではない、中島みゆきでもちあきなおみでもない。まあ他人にゃどうでもいいことなんだけど。
かろうじて挙げるなら【いいじゃないの幸せならば】【時の過ぎゆくままに】【アカシアの雨がやむとき】と、どれも諦念感の塊のような曲ばかりだった。


しかしやはり【化石の荒野】と口をついて真っ先に出てしまう、あの曲の魅力はなんだろう。自分にとっては何ものにも代え難いな。
【化石の荒野】を女唄としたとき、私の中で対になる男唄は桑田佳佑【東京】かとふと思いつく。【化石の荒野】の方が多少は若い時代の諦観、【東京】の方には老いの孤独と悔恨があり、男女の過ごしている時間の感覚はずれているが。



7月4日


毎夏。白く照り返す真昼の町を汗かきかき歩いていると、なぜか或るロゴ文字の追憶がやって来る。
赤地に白ヌキの【ワリコー】【ワリチョー】【ワリトー】、緑地に白ヌキの【リットー】【リッチョー】【リッシン】などのロゴである。


幼い頃の1980年代、そんなロゴが町のいたるところに出現していた。なにかの商品名かサービス名だと理解できても、やはり何の意味だかさっぱりわからん、似たような名のロゴマーク。
夏だけに連想が蘇るのはなぜか。通学の電車内の広告にまずそれらを見つけ、よく見ると吊り革にも貼られ、扇風機のカバーにまで出現していたのを思い出す。それで夏に記憶が蘇るのかもしれない。
ワリ.....リツ.....。少し苛立つような執拗さのある、そのくせ意味不明なナゾの言葉だった。



それらはいわゆる割引金融債の名前だったのだが、当時の幼い視線にとっては、呪文か暗号かというようなそこはかとなくミステリアスなものだった。
割引金融債は80年代の大ブームだったようだが、政治家の汚職、やバブルの崩壊、金融危機等の積み重なった90年代の大学時代以降、しばらく経って「あれ?ワリ…とリツ…は何処へ行った?」とふと気づいた。(というくらい金融に疎かった)


【ワリ…】【リツ…】の文字列が道路に立ち並ぶ看板の前を、白いサックドレスと白日傘、白ハイヒールの女が汗かきながら歩いて行く…という場面の8ミリ的カタカタ映像が、いつも夏の脳裏に繰り返し蘇る。
無意識のうち、昭和という言葉の冠と尻にはつねにワリとリツを一緒に思い浮かべていたりもするかもしれない。ワリ☆昭和☆リツという感じで…


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もう一つ七月になるとよく蘇る記憶が、70-80年代頃の「銀行の冷房の匂い」だ。
今の銀行にはああいう匂いが、残念ながらそれほど無いのである。
独特の、穀類的な、水浸しマットの汚れの臭いも少し混じった、しかしひんやりと清潔感はある、甘い古紙のようでもある匂い。「これがおカネの匂いだな」と小さい頃は思ってはいた。今ならば、郵便局に近い匂いだが、でも違うのだ…何というか。


銀行の自動ドアの開閉音も独特で、「ンゴ〜」と間抜けな重い機械音がする。扉の硝子が頑丈で重かったのかもしれない。あれが好きで何度も出入りを繰り返し、よその大人に睨まれながら、銀行で用事を済ませる母を待っていた。
それら音や匂いや皮膚感覚と「来る夏のまぶしい期待感」が、今もセットで私の中に生きている。
夏の東京、というと必ず「ンゴ〜」という音とともに夏の自動ドアが開き、古甘い冷気に巻かれる気がする。




7月5日


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版画の三井田先生がグラウンドを引いてくださった銅版を、ハイっと渡され、版づくり。「落書きみたいに版を作れるなら、それは本当は最高なんだよね」との言葉。
私はどうしても自分の何時もの細密な描きかたで銅版画もリトグラフもやってしまい、結果かたくなる。会議などでつい手元でやってしまう球体や雫や貝のような、もっとラフな落書きを、版にしてみようかと考えた。
しかし…結局スケッチは必要だった。ぶっつけ本番の線でトライするのはかなり難しい。何を描くかは決めてはいなかったのだが、そうかと言って行き当たりばったりには刻めなかった。
なんだかヘッケルの海洋博物画のような版になった。しかし是非、刷ってもらおう。


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大学近くの非常に美味しい手づくりパン屋【アタリ】に久々にパンを買いに行くと、生垣が七夕の気分に満ちていた。
紙花の水色や橙色がなかなかいい色なので、夢中で色んな角度から写真を撮る。写真に満足して、さあパンを、と思ったら、最奥のパン屋はなんとつい最近、店を辞めてしまっていた。隣のオリーブオイル屋はやっているのに。
がっかりして肩を落とし、手持ち無沙汰なので、自転車を漕ぎだす前にひとしきり垣根のふわふわしたネムの花を撫でてから帰った。


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研究室裏の神社は昨日は一日、祭囃子の笛太鼓の練習だった。研究室のオトメ達が祭囃子に浮かされたのか、庭木に水をやるついでに水を派手に掛け合い、ずぶ濡れになっていた。
今日は夕刻、西日が一番金色になると同時に、神社の木々からほぼ同時にヒグラシとミンミン蝉と油蝉がわっと鳴き出した。「あっ!」と指を指すともう一人の先生が「そう、もう鳴いてんだよ」と言った。ヒグラシまでとは。本式の夏だ。




7月7日


メロディ、リズム、ハーモニーに重きをおく西洋音楽と違い、日本の歌は「うなり」であり、または本質的に「語り」がベースになっている、という。漂流する琵琶法師や説教師から伝播した語りとも歌とも言える芸。逆に全く移動することが少なかった貴族たちが和歌の中に読んだ観念の旅。日本人の歌と旅のとの関係を調べていくと、きりもなく知っておかなければいけないことがある。


自分が惹かれる戦後の「演歌」は日本風味の西洋音楽に他ならない。しかしその精神は「語り」であり、優れた歌手に限ってその節回しは「うなり」であるだろう。とはいえ、何かまだしっくり繋がるには先が長いそ…と色々本をパラパラめくっている。


【鉄道と旅する身体の近代】野村典彦著のあるページに、昭和30年代観光ブーム時に旅館などの記念品で配られていた、フォノシート(写真付きソノシート)の「バスガイド名調子」録音についての記述を見た。
「〈めぐる〉身体、〈たずねる〉身体がバスによる周遊の旅と出会ったところに、ガイドの歌声が無聊をなぐさめる。バス観光には、風景の語り、伝説の語り、さらには民謡の披露といったガイドの《声》が寄り添っている。ソノシートというメディアが歌声を添えながら、絵はがきとして風景が持ち帰られていた」


その一文になにか得るものがあった気がして深くうなづいた。うなづいて持論が出てくるわけではまだないが、自分の中にあるバスガイドさんへの記憶、八代亜紀がバスガイドだったことなど、自分の突き止めたいことが「バスガイド」の身体性の中で交錯している感覚がした。


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中3の修学旅行は東北。岩手や秋田への旅だった。中学校の修学旅行先としては少し変わっているのだが、初めて、東北の底知れぬ美しいなにかに触れた機会でもあった。
北上、遠野、東和町、尾去沢、小岩井、平泉…どの場所にも知られざる魔法のようなものを感じた。


その旅で世話になった若いバスガイドさんが、私達生徒との別れぎわに、朗々と【北上夜曲】を歌ってくれたのだ。いい声だった。
東京に帰る列車の窓から、延々かと続く重い雲と一面の田を黙って見つめている時、ふいに車内オルゴールが、北上夜曲のあのメランコリックな旋律を奏でた。
その瞬間、吹き出た涙と、涙の向こうに延々と見え続けた田んぼの「トクホン」の広告塔。20年続けていた日記のごくはじめのほうに書いたのは、その歌と光景のことで、自分の今の作品世界の何かには強く繋がっていることなのだ。





7月10日


じっくりと腰を据えて、日本の歌謡の歴史、歌舞音曲の伝播の歴史をちゃんと勉強したい。中世の遊行者や芸能民については学生時代にいちおう色々な本は読んだはずだが、具体的な歌や言語活動と芸能史との絡み方を知っているとは、とても言えない。
勉強したところでほとんどいまのアートには関係なさそうだとは解る。しかし私自身にはやはり関係がある。


巫覡的、託宣的なもの。土地褒めの枕詞。みくじと和歌の関係。絵解比丘尼。
説話の貴種流離と「やつし」。浄瑠璃の道行。柳田国男や泉鏡花の世界にある冷たい靄。戦後演歌のなかの漂流と北限の暗さ。やんわりといつしか自分が世界観に取り入れてきたことたちだ。今私の少ない知識のなかではばらばらだが、長い時のなかでは当然の如くそれらは繋がっている気がする。


直截的な現代の光景からのインプットと、作品としてのアウトプットのはざまに、無数の役に立ちそうもないグレーな知識、逸脱史や雑学、もどかしく手が届かない過去の謎、を通過しなければ、自分の人生には意味がない気がする。




7月11日


Iちゃんが沖縄から出張に来た。彼女は数年前に院を出た、韓国からの留学生。
互いに仕事の帰り、一時間くらいしかなかったが束の間の邂逅を楽しんだ。彼女の存在は肉親のようだ。娘なのか、妹か。寧ろ彼女の包容力に癒されている方が私か。彼女も私も必要以上にある局面で母性を期待されている、また自分でそう気負ってしまう、そんな疲労を抱えている。そういう痛みの解る戦友のようにも思う。
「お互いがんばろう」と若干カッコつけて私は握手をしたのだが、彼女の手があまりにも大きく柔らかく気持ちいいので、「うわぁ」と言いながらプニプニと揉んだ。自分の手もでかくて柔らかい方だが、そんな私の手をも吸い込む餅のような温かい手。すごい手があるものだ。
特急に乗り込む私を駅のホームまで送ってくれた。もしまた東京で暮らすことがあるなら、過去の思い出の中の東京を生きるのではなく、二度も三度も生まれ変わった東京を生きなと私は言った。
というよりも自分が沖縄で生きてみたい気持がした。




7月13日


仕事に追われ生活に追われ、という苦しみは、それでもまだなんとかなると思う。何とかするさ。そうではなく、自分のなかのエロスもタナトスも裏切りながら生きる、ということが本当に許しがたい。何のために表現の道を選んだのか解らない。


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こと私に関して言えば、呪術性のない表現など目指す意味はない。作品だけではなく日常の言葉に至るまで。直接的に目に見える見返りやわかりやすい言葉の報酬を、期待される謂れもなければ答える義理も何もない。…と内心思っているのだけど。



7月19日

【歌謡道〜さすらう女と堕ちる歌】と銘打って90分の講義。
阿久悠作【津軽海峡・冬景色】【北の宿から】のなかの、女のさすらいかたの違い。【時の過ぎゆくままに】の「堕ちる」について。そこから万葉集、歌枕、中世の遊行芸能者について、梁塵秘抄と閑吟集、夢幻能の物狂い、浄瑠璃の心中…などについて次々触れて行った。


だが、もう開始数分で「またやっちまった」感。こういう専門的なことに触れる内容の講義は以外と学生は興味を持って聞きやしないのだ。自作を語って適度に笑いと説教を入れ、画像をふんだんに見せれば、飽きないらしい。でも今回は、それをするのがなぜか絶対嫌だった。



みな退屈しているんだろう、と悲しい気持で、しかし負けずに最後までやりきった。賽の河原和讃「♪一つ積んでは父のため 二つ積んでは母のため…」とか、琵琶法師による平家物語「♪祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響あり…」などの暗い音源をかけて、シンとしてしまい、最後が【船頭小唄】「♪俺は河原の枯れすすき…」の歌からの「ヒグラシの声」で締めたので、完全にお通夜の暗さ、お盆の法事のチーンという肌寒さに教室が覆われた。


夜に頭抱えこみながら猛反省し、銭湯で身を一掃して、なんとか寝たが、寝ても講義を失敗する夢にうなされた。
しかし今日、学生Kさんが「先生、昨日は凄く面白かった」と一言、たった一言言ってくれたのだ。もう、どれだけ救われた気持ちになったか。ただ一人のためだけにでも話した甲斐はあったのだ。深々と礼をしたい気分だった。
Kさんは絵だけではなく音楽をやるので、解ってくれたのかもしれない。

しかし講義の準備に、本も相当読んで、自分にとっては次の何かをつかめそうな機会にはなった。


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能についてふれるのには、迷った。本当にくわしくもなんともないからである。話しちゃいかんだろう、と初めの予定では自制しようとしたが、よく考えるにつれ、世阿弥が物狂いについて書いたことには、これからの自分自身のために触れなければ、と決心して話題に出した。


信仰心を民衆に広げるべく、歌や語り、踊り、明るい集団狂気をもって「陽動」していくような当時の宗教の様相。それと対局のように、能の【物狂い】は薄暗い。人間ひとりの抱える狂気の構造を見、狂気を飼いつつもそれを「制御」していく方に向かう。
制圧ではない。制御。「御する」んである。
「狂気に気づかせないようにそれを利用していく」のが政治なら、「狂気の姿を露わにさせつつ、それを御することができるのは他ならぬ人間本人であること」を見せるのが芸術。と常々思っている。
なので、もっとこれから能を観に行こう。と意を決する。



7月20日


万葉集、好きな歌。


君が行く海べの宿に霧立たば吾が立ち嘆く息と知りませ
戀繁み慰めかねてひぐらしの鳴く島かげにいほりするかも
生死の二つの海を厭はしみ潮干の山をしのひつるかも
人魂のさ青なる君がただひとりあへりし雨夜の葉非左し思ほゆ


葉非左、は解読が出来ていないらしい。

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職場裏に香舗「香源」が出来て嬉しいので買う。伝統的な煉香の季節の香をイメージした線香。春の蕾。夏の雨。秋の声。冬の星。箱が何かに似ていると思ったが、今使っている付箋だった。


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自分が和歌に興味を持つ理由に、ふと合点がいった。今の短歌界に興味がある訳ではない。昔の和歌はある種、決まった人に向けての私信でもあり暗号でもあり、その人にしかかけない魔除の呪文のようなものだったこと。惹かれる理由はそれに尽きる。一対一の口説きであり、相聞歌であるところの歌表現の密室性、密度に惹かれるし、自分にとっても表現とはそのようなものだ。


世界全体にスピーカーで宣言するような言葉にはなんの魅力も感じないし、そういう放射状の思考回路で表現行為をしたいと思ったことは一度も無い。今だに本当に興味を持てない。そういう人物にも。気持悪い。



7月21日


出張。気心知れた人々との仕事だから良いが。
今日は東京に居たかった。
何の試練なのか。波の花こそ間なくよすらめ、か。


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妙高高原夏の芸術学校始まる。
山も猛暑だけれど、ヒグラシの輪唱に、身のうちのどこかが鋭く涼む。
講師の皆さんと夕飯を食べながら、毎年のように蛇男先生の日本画-蛇論に耳を傾ける。いつもは難しいのでボーッと関心して聞いているだけだったが、今日は、いま自分の中で知りたいことと全てが繋がりそうで、めまぐるしく脳をイメージが駆け巡った。


縦横に重なり奥を構築していくような漢字、紙上を滑り平面を這ってゆく仮名文字、その両者の空間性。同じように、中国の水墨画と日本の絵巻の空間性の違い。縦構図と横構図、図と画の違いの話などを聴き、成る程と思う。
自分が平筆で塗るだけではなく細面相の線を使って面を描かずにいられないあの身体感覚、連歌のひたすら横に繋がって続いていく増殖、などについて色々考え込む。


大観の朦朧体に対し、江戸の例えば広重の雨の線には「雨滴がさっきそこを通り、いまここにあり、そして数秒後の未来にそこにある」過去、現在、未来を繋ぐ時間感覚があるはず、という蛇男先生の言葉は、感覚として感じたことがある気がした。


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夜、見晴らしの良い温泉街の広場にある足湯へ散歩。以前助手を務めたCさんと熱湯に足をつけたまま、木葢の上に手を広げて寝そべり、満天を仰ぐ。
夜空に対峙してからだを広げると、胸のなかに百合がワッと開くような感覚を覚える。花開くような解放感。


色々な話で夢中になっている間じゅう、遠く黒い山影のあたりから破裂音が聞こえていた。害獣避けか工事の発破と思って聴いていたが、よく考えるとこんな夜にそんなはずはないぞ、と体を起こして山の方を見たら、小さくも明るい花火が次々重なり合って浮かんでいた。その数秒後、余韻のように音が追ってきた。しかしそれが最後の連打だったようで、その後山はしんと静まり返った。


夜空は曇っていたが、滲んだ半月と人工衛星だけは見えた。




7月22日


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笹ヶ峰の高原、標高1300M。涼しい。
耳元に様々な虫の羽音が語りかけてくる。


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いもり池、空が暗くなり始め風が騒ぐ。西日は不穏な白さ。ゴールデンタイムではなくシルバータイム。
どうでもいいが、アリンコが三匹ものすごい勢いで私の足の薬指を噛んでいるのは何故か?





7月23日



今日はものすごく空も山も美しい日だったが、到底筆は及ばず。でも風景に対峙して絵を描くというだけでも身体の何かは変わる気が。

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新リーダーのTさんは本当に芸達者、弁舌爽やかな節回しの話術だけではなく、地元赤倉に関する知識も豊富。
私の歌に完璧な歌謡ナレーションを即興で入れてくれたと思えば次の瞬間にはポポポポと口で鼓や太鼓の音。キレのいい田原俊彦風の踊り、ブレイクダンスも。久々に腹抱えて笑い転げる夜を、素敵な仲間達と過ごした。
人柄の素晴らしい講師陣や温泉街の人々と話しながら、ああ、もっと自分も貢献しないと、と気持ちをあらためた。




7月25日


山中の水辺。これ以上ない、というほどの暗いエメラルドグリーンを見た。
みぞおちのあたりに深く差し込まれる感覚の色。
呼吸は胸の臓器でするだけのものではない、ような気になる。ああいう色が眼から浸透してくるのも深い吸気。


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横浜で、「三菱アジア子ども絵日記フェスタ」の絵日記コンクール授賞式。審査員として今年から加わる。24か国のアジアの国々から子どもたちがやってきた。皆、それぞれの民俗衣装に身を包み、カラフルで可憐で、色とりどりの宝石のようだった。


上位になった子どもたちの絵日記(五日分の規定)は、絵の完成度も文章内容も高いクォリティだった。全6万点の応募のなか、各国ですでにふるいにかけられ置き去られた作品の中にも野生の傑作はあったはずだとは思うが。
このコンクールは二十数年続いていて、最初期から審査に関わっているC.W.ニコルさんは「本当に状況が変わったよ。このコンクールの歴史をドキュメンタリーにしたら、世界の変化が見える。初めは戦争の日記、暗い日記ばかりだった」と言っていた。


今はどの国の生活も日記の中では幸福に見える。そう見せる体制が国として整備されつつあるのか。
日本の縁日の遊戯や飴細工に興じて、国籍を越えて交流している子供ら。その周りで携帯写真を撮りまくる着飾った各国の親御さんが、写真映りのために子供に口角あげて笑うよう指示。どこでもステージママ心は変わらない。


心にずっと浮かんでいたのは、2月に訪れたカンボジア、スモールアートスクールの生徒達だった。彼らの感受性は謂わば野に咲く花の野生。あの経験があったことは自分のなにかの楔には確実になってゆくだろう。


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帰路、横浜から都内まで車、写真家の大石芳野さんと同乗する。
ごく自然でありながら凄く惹かれる方だった。人生のなかで見てきた世界の情報量、身体に浸透した経験値が違い過ぎ、自分なんか人間として生まれてすらいないような気になったが、非常に自然体で接していただき、あれこれ話をさせて頂いた。


妙高での一郎先生もそうだが、やはり圧倒的に経験値、知性、含蓄のある本物の大人と同じ場で仕事をさせてもらえることのありがたさが、いまこそ身にしみる。



7月26日


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先日作った銅版を刷っていただく。まだ描線の密度のバランスが分からない。これから影をつけてみたりしたい。複数組で作りもしたい。落書きの浜辺というイメージ。



7月27日


【歌謡道】の講義では「自分の言いたいこと」があったわけでは多分ない。むしろ「自分の知りたいこと」のために口にしてみた内容だった。


生者が不意に死者に出会い此の世に残した執念の述懐を聴く、という構造が能の世界観にある。また、平曲の語りは敗者の悔恨の共有のためにあるかのようである。「亡者敗者の悔恨の言葉に立ち会う」こと、現代人の狭い感覚で考えれば「哀しく、不気味」としか捉えられそうもないことが、なぜ長い時を越えて人々の娯楽…というか慰撫に成り得たのか。それが知りたい。
マゾヒズムじみた嗜癖から負の世界観に酔う、というのでは説明つかない、もっとどうしようもなく深いものがあるように思う。自分が感じ得る「幽玄」なるものがあるとしたら優美さより、そのどうしようもない因業感だ。


歌謡曲とそれがどう私のなかで繋がっているか。多分演歌そのものに惹かれているのではなく、カラオケで歌い騒ぐという祝祭感に惹かれているわけでもない。優れた歌謡歌手には、敢えて負わされた負の霊魂と、それが憑依して宿るために必要な空のからだ(その巫覡性)を感じる。その魂と形代の感覚に惹かれて、自分でもそのような歌を口ずさんでみたく、その歌手の身体を感じてみたい、のではないか。そこに必要なのが、受信する霊感や鋭敏さのみではなく、発信するための芸と表現力を要する、ということも重要だ。


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梅原猛【地獄の思想 日本精神の一系譜】読む。数時間で一気に読んだ。一言一言が今の自分の教科書として、強力ガンタッカーでガチャン!ガチャン!と身体に繋ぎ止められるような感覚。文体が断定的で強い。
自分にとって難解な第一部の仏教的見地より、第二部「地獄の文学」から先に読んだせいか、深くうなづくことの連続だった。
「煩悩の鬼ども(源氏物語)」「阿修羅の世界(平家物語)」「妄執の霊ども(世阿弥)」「死への道行き(近松)」「修羅の世界を越えて(宮沢賢治)」「道化地獄(太宰治)」。ああやはりこのような系譜を編もうとする人間がいていいのだ、と深く納得する流れ。
客観的な地獄の思想の研究書を読むというよりは、梅原猛ひとりの主観的情念に完全に身を任せて読んだ。
若い時に読めばよかったと思ったものの、仮にそうしたところで理解は表面的だったかもしれない。本や言葉というものは然るべき時に自分の前にバサっと降ってくるものなんだろう。ここ二週間ばかりで、急に自分の世界観が強力な糸で補強されていっているような気がする。





7月28日

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公開講座でクロッキー指導。前回ザザッと描いた資料が出て来たので使う。
「人間の頭はおだんごのように串刺しではない」「てっぺんはまんまるではない」…?


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【津軽海峡・冬景色】の歌詞の視点は、川端康成【雪国】の冒頭描写を思い出させる。旅人の目に映る「感情移入を抑制した情景絵巻」によって、まず風景の中に突入するのだ。…というようなことを前の講義で話した。
今お能についての本を粛々と読みながらハッとするのは、【雪国】は夢幻能のようだということ。語り手であり旅人である島村がワキ、シテは表は駒子、裏は葉子という二面性。ということで考えると【津軽海峡】も能なのか。それは無理があるかしら。
いや、強ちズレた意見でもないか。つまり演歌の中の「北をさすらう女」というのは、現世的な語り手=旅人=ワキの役割と、謎のさすらい女=死を匂わせる不安定な存在=シテの、ひとり二役を女が請け負っている構造なんじゃないか。
とふと思った。また、私自身が自分の絵や小説を思い描く時の基本構造は全くそれなのである。


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自分が歌謡曲に惹かれた始めのきっかけとして記憶しているのが西田佐知子【アカシアの雨がやむとき】、ザ・ピーナッツ【恋のバカンス】だが、もっと前、小学生頃に衝撃を受けた曲があることを、不意に今思い出した。
奥村チヨ【終着駅】。大人になってカラオケでもよく歌うから忘却していたが、幼い頃に初めて触れたあの曲の歌詞のイメージが、実は相当ショッキングだったのではなかったか。


最終列車が着くたびに よく似た女が降りてくる
そして今日もひとり 明日もひとり 過去から逃げてくる


奥村チヨの人形じみた顔が駅のプラットホームにマネキンみたいに置かれ、増産されていくイメージ。それに加え、コートの女に対する一抹の恐怖感(口裂け女などのイメージか)。
ド演歌らしいド演歌のなかの「さすらいの女」のイメージのずっと前に、この、「駅に溢れかえる、行き場を喪った、同じ顔の女」へのゾッとするような荒涼を知っていた。こちらの方が自分の漂流感覚には直結している。


源氏物語の宇治十帖の浮舟について書かれた文を読んで泣けてきたその時に、「そして今日もひとり 明日もひとり 過去から逃げて来る…」の歌声が何故か急に心に響いて、思い出した。
ほうぼうをさすらうことより先に、行き場をどこにも喪っていることがまずあり、どこに居ても皆他人…いや「自分自身がだれにとっても他人」でしかない、という空虚がある。そこにこそ自分は感じ入るのではないか。
人と対峙しているときには次々と役割を課せられるばかりでなんの余地もなく、自己像のイメージを自分のなかにどうしてもつかむことが出来ないのに、茫漠とした独りの風景に対峙して初めて、暗い色彩の自我の片鱗がふっとすり抜ける。そういう感覚。



7月31日


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佐賀の高校生に行う講座、今年は「私だけの博物学」。ちょっと今年は難しいな。
面白く出来るはずだが、まだ私自身が素材を活かしきれない分野。圧倒的に勉強不足。博物学の歴史の本というのは、案外読んでいても虚しいところがある。タイトルに惹かれ目次に惹かれ買っても、全然読み進まないのだ。自分には、真実と実証をめぐる闘いの話は疲れるらしい。虚構と妄想を遊び倒す闘いの話なら疲れない。
課題のほうは、生徒が勝手に面白くしてくれれば、それでいいんだけど。

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無作為で抽象的な図形に、自由に立体的なディティールを与えてみる練習。
自分で遊んでいて楽しいが、なんか限界もある。べつに爬虫類が描きたいわけではなかった。もうすこし抽象の立体化を心掛けた方がいい気が。






by meo-flowerless | 2018-07-01 22:44 | 日記