画家 齋藤芽生の日記


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2018年6月の日記

2018年6月の日記



6月3日

目がさめてしまい、真夜中の音を聞いている。午前2時。ホトトギスが鳴きながら遊び廻る時間である。たくさんいるわけではないから、いつもの決まった奴だろう。
今夜はいつにも増して喋るように騒がしい。騒がしくとも余韻があり、情趣と捉えられる。
入れ替わるように、街道遠く、バイクの群れがドドド…と夜をひた走る音が聞こえてくる。ホトトギスは黙ってきいているのかもしれない。バイクの音が遠ざかると、また思い出したようにキキョキョキョと歌い始める。


きのうは、大垂水峠をバスで越え、相模湖に行ってきた。今回は真昼に行ったが、夕暮れや宵闇の大垂水峠の道の暗黒感は、かなり精神に沁みる。ツーリングの名所で、事故も絶えない峠道である。仄かな死臭をその名に感じてみたりもする。バイクはドドド…とこんな夜中に、あの大垂水峠の真っ黒過ぎる闇を越えていくのだな。



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距離は近い筈なのに遥か遠くに旅に出た気分になる、そんな散歩をしたい。私の住む地元は、そういう気分になれるような要素をたくさん持っている。
が、歩き過ぎては疲れて立派なハイキングになってしまうし、バスに乗っただけでは殺風景な幹線道路沿いの町にしか行けない。エアポケットのような風景にふっと時空を越えてワープする感覚の散歩は、なかなか簡単には出来ないものである。
しかし充分にコースの吟味をして…牛のいるあの場所にまず、母を連れていくことにした。
最寄の駅からはただ一駅の場所だ。が、異国の果樹畑か北海道の大地のような広さが急に目前に広がる面白い町である。いつかの散歩中に初めて、平凡な市街地からこの広がりに出くわした時には、新鮮な感動があった。


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私はたまに夫と目的もなくふらふら来る牧場だが、母はここに来るのは初めてである。たいそう喜んでいた。「青々とした田圃が見たい」などと先ほどまで言っていたが、田ではなくとも、牧草地で充分のようだった。

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さらに南進すると、今度はのどかな畑地に出る。
常に耳をくすぐる小川のせせらぎの音。いくつもの畑地の土の畝。畑の一角に思い出したように現れる小さな水田。こじんまり固まって生えている梅などの果樹。緩やかに曲がりながら伸びて行く、舗装されていない農道。
「道の曲がり具合が完璧だ」と母が呟く。


坂のカーブに、姿の良い桑の木がある。二人で立ち止まって桑の実を摘んで頬張る。桑の実は美味しいのに、誰も摘まないし鳥も食べないから不思議だ。
トラクターで土を耕す人、実のなる木を収穫している人…農作業の人々がちらほらと動いているのが見渡せる。私達の通りすがり、梅の黄色い実を摘んでいる老婦人が、挨拶をするでもなく、しかし私たちに照れるように笑いかけてきた。
丘の上には、ポシャポシャした低い灌木並木と一面の空しか見えない。あの向こうに、延々と野山が続くだけのような心持がしてくる。
暑くてバテそうだったので、北へ引き返すことにする。


宅地の合間にふと現れる木立。ひっそりとした神社にお参り。
母は寺でも神社でも適当な信心しかないので、礼や柏手の仕方が無茶苦茶である。然し病気の平癒を祈ったようだ。私もである。
御堂の装飾がなかなかハイセンスである。もみじの青葉を渡る風が美しい。私は境内で蚊に刺されながらも、小休止にコンビニのカツサンドをカプついた。

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森の坂道を抜けて上にあがると、京王線の線路切り通しに沿った畑道に繋がる。右手はT少年院、左手は空広い大根や芋の畑。
少年院は人がいるような気も全くしないほど、静まり返っている。塀の内側に鬱蒼と棕櫚らしき木があるように見え、一瞬、南国の植物研究施設のような空気感を感じる。
しかし流石に場所柄、線路と塀と空しかない道はとても侘しく、乾ききっている。
線路の柵に食い込むように唐突にたった一つ、廃れた自販機があり、「一体人通りもないここで誰か利用するのか」と思うと、なにかしみじみと青い哀しみを感じた。
しみじみと歩きつつ、光る空にゴルフ場のネットが浮かび上がるあたりを目指す。

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ゴルフ場横には、無人コイン式バッティングセンターがある。二、三人の客がいる。私は90kmカーブと70kmスローボールの機械で計40球やってみたが、今日はあまり当たらなかった。母はバッティングセンターも初めてなので、ベンチで黙って目をしばたたかせながら私を見ていた。

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帰路、母がずっと昔から気になっていた森閑とした臨済宗の寺に立ち寄る。人っ子ひとりいない。杉木立の中に黒ずんだ山門や講堂の様な建物があった。冬、雪の日にまた来たいと言った。近いのに遠い寺。旅先での有難い参詣気分を味わうことが出来た。


今日の散歩では、そもそも人にあまり遭遇しなかった。農作業をする人々は、人間の臭みが抜けた、半分カカシのように不思議な存在に思えた。
敢えて人に遭遇しないように道を選んで「町歩き」をする。遠方の山などに行かずして遠さを堪能する。日常の疲れを霧散させるにはいくつかの感じ方歩き方のコツがいるなあ、と改めて思うのだった。



6月5日

グレープフルーツ、梨、黄色メロン…
黄色い丸いものが食べたい。



6月8日


自分たった一人の、誰にも知られない、私だけの小さい小さい幸福を切実に取り戻したいのだ。
すごく平凡な味のルーのカレーを作り置きして朝昼晩、たった一人でそればかり食べる、とか。朝から晩まで、放送大学の分かりもしない講義を流してボヤッと無為に過ごすとか。夜にふらっと外出して、アパートなんかの消えかけの蛍光灯の写真ばかり撮って歩くとかな。
なにか、そういうふとしたココロが年々消えていく。

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【孤独のグルメ】は、やはり「旨いもの」寄りだったのだろうが、自分が好きな【孤独食】は「侘しいもの」寄りだ。【ワビシ飯】と別名つけても良い。
とても他人には見せられないが、ワビシ飯は何故か幸せなのだ。インスタント塩ラーメン(卵とじ)の底にたまった胡麻と卵カス。チルドうどん&缶詰ミートソースにしこたま粉チーズをかけたやつ。湯葉のパックの底の乳汁と醤油垂らして食べる飯。賞味期限間近と気づき夜食にする非常食の乾パン。小腹減ったが何もない時に棚から見つける缶詰ランチョンミート(スパムみたいなやつ)と海苔だけで作るチャーハン。安いほうのノザキ馬肉のコンビーフ。粉末のポタージュスープを湯で溶かして「おっとっと」を入れて食べる。夜中にサーっと袋から食べるのりたまふりかけ(だけ)……


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今日、研究室の水槽であの弱った小魚が、ひっそりと土管の中で白魚のようになって死んでいた。
ここ数日物陰に潜んで極力動かないようにしていて、ああ彼なりに死に場所を選んでいるのだな、と思った。ふてぶてしく肥えた健康な他の魚が時折意地悪に来る。しかし次第に「あいつキモい」とでもいうように自然に水槽のすみの草の根のねぐらに放置されていた。
動かないので死んでいるのかと思っても、餌は必死で食べにくる。そしてまた物陰にひっそりと帰る。それが二、三日前の状態。
魚用の薬浴剤も買ってはいたが、じっと様子を見ていて、何故かわからないがやめた。




6月12日

「森田童子、死去していた」との報。三十代から下は、誰よそれ、と思うか。
70年代にリアルタイムで聴いていた層とは別に、四十代の私くらいの中年は「ああ…」と思い当たる歌手だろう。【高校教師】という大ヒットドラマの主題歌として突如、廃盤同然のフォーク棚から引っ張り出された【僕たちの失敗】という曲。
ドラマを真剣に見ない性質の自分は例によって【高校教師】も見ず、【僕たちの失敗】も特に好きなわけではなかった。しかし凄まじいような名曲ではあった。
卒業式の季節のあの気だるい、青春時代が壊死するのをじっと見つめている感覚を体現していた。


自身の青春期に鮮烈な、70年代フォークの鉤針を刺された歌声のひとつだったのだ。あとになって、CDでたまに聴くようになった。
【春爛漫】という少し前衛的な、尺八風フルート入りの激しめの曲が好きだった。
青く 青き 青の 青い 青さの中で… というような詩が、切々として、印象的だった。
かきたてられる焦燥感を、鳥の雛のようなか細い声で、苦しげに歌いあげていた。


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いま聴いてやはり彼女の歌は、表面的なナイーヴさにとどまらないスリリングさを感じる。
あの時代全体、ひりひり痛いほどの「喪失」への感受性があったのだと思われる。
何をそんなに失わなければいけなかったのか、何がそんなに取り返しがつかなかったのだろうか、と若いときは気になってしょうがなかったが、いまはわかる。暗黙裡に。


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実家の食卓の上に、とても小さなクチナシの花が活けられていた。母が、裏庭のクチナシだと言った。裏庭というか通路である。そんなところにも母は一生懸命好きな花を植えている。
クチナシの香はどの花の香とも比べられないほど官能的である。ジャスミンのように直接に動物的なのではなく、しかしテイカカズラのような花らしさよりは肉感がある。もうちょっと植物の域を抜け、夜の生きもののような気がする。
それでいて奥の方にある香りでもどかしい。仄か、仄白い、仄暗いというときの「仄」の字が似合う。
仄…この字の、まるで半乳色の白餡入りおまんじゅうのような美しさ。白い蛾の身体のようなふくよかさ、消えかけの黄ばんだ白の門灯の薄明かり感。



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薄いし一分もしないうちに消えてしまったが、虹の片鱗は見逃さなかった。




6月15日
 

実家に行ったら食卓の小さな花瓶の花が代わり、クチナシから薄青紫の薔薇になっていた。葉が勢いよくて花弁も所々傷んでいて、野性的な薔薇である。
薔薇の花弁には青い色素は無いので、正確にはブルー要素は無いのだが、佇まいで充分に青白く見える。よくブルーローズと称して売られているインクに染められた花は、もう造花の域なので、論外である。
「ブルー・バイウって品種なんだって」と母が言った。
「バイウってなんだろ」と私はしばし考え「あっ梅雨だよきっと」と言ってみたが、微妙な顔をして母に「ん?そうかな.....」と首をかしげられた。バイウってなんだろ。





6月16日

母が入院中の暇潰しに、とラジカセを買ってきた。
しばらく忘れていた「カセットテープ」への情熱を少し思い出す。しばらく、ラジカセはどんどん廃れる運命を辿り、家電屋で買い求めようとすると店員に鼻で笑われたことすらあった。しかし今、テープ人気が再燃しているらしいのである。
「USBでカセット音源をデータ化できるのも売っていたよ」と母に言われ、明日私もさっそく買いに行こうと俄然、元気が出てきた。
押入の奥に山のように眠っているカセットテープの山を母とともに引っ張りだし、悦に入る。
私は本業は画家だが、絵にまつわる思い出よりも音楽にまつわる思い出の方が圧倒的に濃い。


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カセットレーベルに書かれた偏執狂的な細かい文字。編集魔だった学生時代からなんども繰り返し作った「昭和歌謡」のコンピ。90年代に作った最終版がこれらで、30曲ずつくらいのものが20本ほどあった。手持ち音源だけでなくレンタルショップや図書館の貸し音源、古いレコードの音源も混じっている。どちらかといえば知られている曲が中心ではあるが、中には渋い隠れ名曲もある。あの収集の情熱を考えると、これらは非常に貴重な集成だ。


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「モスクワ放送」音源集は、最大の宝テープのうちの一種。
まだソビエト連邦だった頃のモスクワ放送のラジオ音源から、音楽だけを編集した。夜な夜なラジオにかじりつき、波音のようなノイズの向こうの古いロシア民謡やソビエト歌謡に耳を傾けていた。曲名など未だにわからないが、全て口ずさめるほどに聴いた編集テープである。
それをしていた時に馳せていたあの遠い旅愁を思い出すだけで、どっと切ない気持になる。
これは是非とも音源データにしたい。
また、手前のやたら凝ったカセットレーベルは、市販の「ソビエト赤軍合唱団」「アルゼンチンタンゴ」のテープだったが、レーベルは自分で書いている。宿題や勉強がイヤで、「勉強が捗る音楽探そ」→「その音楽のための素敵なラベル作ろ」→「今日は勉強やめて音楽聴きながら絵を描こ」の流れのなかに、私のクリエイティブ魂は育って行ったのだった。



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もう一つの宝テープ。50-60年代ヨーロッパ映画のテーマ曲集。市販品だった。
選曲が素晴らしく趣味に合致していた。思えば私の音楽嗜好の一端を作り上げたのがこの一本のテープだったかもしれない(と、何度でも色んな曲に対して言ってはいるのだけれども)。
1000円くらいで買えたのだが、そんな値段だけで時代の空気のマニアックな襞まで体験できるような気がしたものだ。それなりの値のするCDでも、これより好きな映画音楽の選曲の並びに出会ったことはその後なかった。
【スウェーデンの城】【女と男のいる舗道】のジャズから【女王蜂】の妖艶なラテンへの流れなど、私には鳥肌ものである。
色気と緊張感。そして突き放したようなクールな残酷さ。黒い香りはいつの時代から消え失せて行ってしまったんだろうか、と思う。




6月17日


遠い所で微かに囁く、くぐもった音声のモスクワ放送テープ。
ただでさえ割れた音質のピアノの響きが、 人形の家の内部で鳴らされているかのように凝縮されて聞こえる。
曲の多くは1950-60年代の録音なのではないか…と勝手に推測しているが、もしかすると間近でちゃんと聴いたら現代のポップスだったりするのかもしれない。しかしクリアな音源で聴いたら、案外、興醒めするような気もする。


遠いソビエト時代のノイズを聴いているうち、数年前の海外渡航中、夜間飛行で見下ろしたロシア真夜中の平原を思い出した。
季節は秋だったが、下界は雪に覆われていた。雲のない夜で、永久に薄白い地球の地表が続くように思えた。
しかしよく見ると遥か遠くまで、ひたすら一直線を描いて、わずかな点々の光が結ばれている。何もないような厳しい雪の地表にも、人の道がこびりつくように在るのだ。目でそれを追い続けるうちその道が白く明るんでゆき、綿棒の先の膨らみくらいの規模の小さなどん詰まりに辿り着く。そこにわずかな集落があるのだ。しかしそれもまた遠ざかる。飛行機から見えるのはただ闇と、雪の青さのみになっていく。


泣くともなく泣きたい。なんとも言えない気持でずっと、そんなわずかな集落の光を下界に探していた。
孤絶の光のもとには、知らぬ異国の人の普通の夜がある。こんな荒野にも電気は来ていて、テレビは何かロシアの番組を映しだしているだろう。茶のための湯も沸いているだろう。カーテンに花柄があり、そんな花柄をデザインした名もない職工もまた、別の土地の何処かに暮らしているだろう…
マトリョーシカを俯瞰しながらどんどん蓋を開けて行くように、奥へ奥へ凝縮の中へ、と想像がすすむ。


モスクワ放送テープの曲の数々は、あんなロシア原野の集落の住人たちも「ああ、あの曲だな」と知っていたかもしれない。80年代まだ平原一帯が当然の如くソビエト連邦だった頃、同じその集落のその家で、私の聴いたのと同じ放送を聴いていたことだってあったかもしれない。
近づきようもないはずなのに、何故か僅かには繋がっている。不可思議な時空を経由した「遠い他人の営み」たちだけが、今日も私の生を駆り立てているように思う。


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考えると辛くなることばかりなので、もう考えないようにしている。しかし考えないように生きていることはまるで、薄皮一枚の嘘に包まれただけの中身は廃人、のようにも思える。



6月20日

母の手術無事終わる。この3日くらい心細さを通り過ぎ、感情が鈍磨していた。
しっかりしないとな。

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病院というのは何と凄い場所なのだろう、とあらゆる意味で考えさせられる。



6月23日

介護施設に入院している父に会いに行く。元気そうで、今日あたりからリハビリに挑み、帰還の日までに歩く練習を再開したようだ。しかし私が顔を出す直前にちょうど派手に尻餅をついたらしい。
母の手術の経過、奇跡的におおごとにならなかったことなどを報告。非常に安堵しているようで、父はここ最近ないくらい饒舌で沢山話をした。
母の病院。父の介護施設。スタッフの人々が信じられないほどまめにケアをしてくれ、的確に対処してくれる。感謝してもしきれない。
あのような場所であんなに人のために働く人々を目の当たりにし、一人帰宅してから自分の屑っぷりにまた落ち込んだ。そもそも、いちいち落ち込むところが屑なんだが。



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夏のサンダル。見てくれが良くても激しく靴擦れを起こさせるやつもある。そんなサンダルを買ってしまって脚を傷つけると、もう数年はサンダルを新しく買う気になれず、簡単なビーチサンダルなどで幾夏かを過ごしてしまう。
逆に履きやすく気に入ったサンダルを一つでも見つけると、また欲しくなり一夏にたくさん集めてしまう。ことしはそういう夏のようだ。
あまりに華奢なサンダルはもう履かない、と決めてから、かえって気に入ったものに出会うようになった。


気に入ったサンダルを履くと、学生の頃に河原の花火大会などに友達と繰り出す夜の大気の匂いが、何処からか蘇る。そして堪らない気持になる。
夜気に響き渡る、皆のゾーリを引き摺る音。友人宅の玄関のたくさんの靴の中にある、自分のサンダルの色。飲み屋の下足箱に脱いだ新しいサンダルを持っていれる時のあの重みと、形のまとまり感。
青春期では、靴擦れの想い出さえ甘く蘇る。好きな人と何処までも歩いたりして出来る、そんな靴擦れだったからか。


もっと遡り、七歳くらいの時に両親が突然、洒落た美しいサンダルを三足も買いそろえてくれたことを思い出す。
それまでガッチャマンとかのキャラクターのズックやサンリオのビーサンなどを履いていたが、外出用のきちんとした大人びたやつを買ってくれたのだった。
子供の時は面倒なフォーマルな衣服がうっとうしかったものだが、そのサンダルは別で、子供心にも美しいと思ったし、三足が一つ一つ個性が違うのをしげしげ眺めていた記憶がある。詳しくは思い出せないが、白は二つ、黒が一足だったような気がする。
あのときの、三足をいっきに買いそろえたような贅沢な感覚が、結局今の自分の買物の悪癖にも繋がっているかもしれない。ついでに、三足じゃすまない。悪癖なのだが、夢のような幸福感がいまだにある。



6月25日


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母退院。
回復はしたが、まだ帰路の長さが辛そうなので、ホテルに一泊させることを決める。
付き添う自分にとっても、不意に降ってきた「不思議な旅の気分」。どこか知らない国に来たようである。
長年、家に縛られて自由に外泊など考えられなかった母にとっては「この一泊は贈り物みたいだなあ」と。


ホテルの15階から見下ろす海、モノレール、虹色に光る観覧車。美しい橋の灯、結婚式場の西欧の城じみた佇まい。
無機質で巨大なビル群の窓には、光はまばらだ。湾岸には夜には人がいなくなるのだろう。
反して、道路には車のテールランプが眩しい。街灯の澄んだ光はマスカットの実みたいに丸く滲む。人工的な緑地の周りを縁取る無人の車道は、夜明けの産業道路か工場地帯のひんやりした路面を思いださせる。


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新潟の田園地帯で滞在制作の夫は、「蛍がいる。昨日は何十匹もいる場面に遭遇して、感動したな」と電話で話していた。その電話口の向こうで夜の田んぼのカエルがゲコゲコ騒いでいた。


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ホテルではたっぷり時間がある。不思議な時空に母と浮かんでいる。
30分くらいずつ交互にうつらうつらしている。闇の部屋に浮かぶテレビ画面では飽きもせずずっと「ユーグレ菜」の促販番組が延々と無音で流れている。
午前一時頃二人ともいよいよ目覚めて様々な話をする。


奥の窓にはきっちりと湾岸の夜景が、映画のスクリーンじみて貼り付いている。窓辺に椅子を置いて「夜」を鑑賞する。
海辺の大きな観覧車も消灯時間になり、眠りについたようだ。
対照的に、夜中にも絶え間無く光の列を作る物流のトラックたちは、いつまで見ていても飽きない。胸ぐら捕まれるような感動がある。日本に溢れる必需のモノ、食、サービス、来る日も来る日もああやって運ばれ、動き続けている。その蠢く乗り物が何か別の生きものの生態のように感じられもするし、逆に運転席の人間一人一人の人生をドラマティックに妄想させもする。
華やかな繁華街ではない、裏舞台の夜景ほど、その情報量は多く思える。




6月26日


二時間ほど掛けて無事に、実家まで母を送り届ける。今日は完全に夏の空気だな!

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70年代臭漂うローカルな喫茶店に入って400円くらいの安いケーキセットを注文すると、「いかにも業者から仕入れたケーキがさらに冷蔵庫の奥に入れっぱなしにして一部が凍ってしまっているようなヤツ」が運ばれてきて、非常にやりきれない気分がしたりする。凍ったケーキなんか食べれっかよ、と腹立たしく思いつつ口に詰め込む。上にのっかってるロールチョコに結露がついていたり、チーズケーキがジャリッと音を立てたり、クリームにキラキラ霜がおりていたりする。
しかし今、無性にそういうケーキが食べたい。


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モノレールで海をつかの間渡ると、臨海副都心がある。数日間母の病院に通った今回の体験には、異国に行ったような錯覚を起こした。不思議なスケールの、方形の隕石がただ散在しているような、灰色のボール紙で作ったいつかの近未来のような、不思議な場所だった。
橋を戻って芝浦あたりまで来てしまうと「いつもの東京に帰って来てしまった」感覚があった。離れてみると、病院もホテルも巨大な無人のエリアを徘徊した記憶も、淡く白く、蜃気楼じみて感じられる。


有明の船着場に海上保安庁かなにかの人々の群れが集合しているのが、モノレールから見下ろせた。何かあったのだろうか。
たぶんニュースでも話題になっている、「東京湾に入り込んで来たクジラ」の巡視や対策ではないか、と思った。
車窓から、タワーマンションの林立する合間に静かに波打ち寄せる人口の砂浜、なども見えた。
日常に疲れたとき、この耐えられないほど人工的なのに何故か胸のせいせいする臨海副都心に、フラッと旅をしに来ようかな、と思った。




6月28日


長年住んでいながら気付かなかったが、最寄駅に向かう道に、小規模なマンションかと見紛う介護老人施設があるのに気づいた。住宅地でスーパーやコンビニが目と鼻の先にある町中。そのような立地条件の施設もあるんだな。最近になって家族が弱ってきて、やっとそういう場所の有難さに敏感になるようになった。


いつも中は暗く、流行らないホテルのような佇まいだが、ある日のその施設の内部に、存在の気配を確認した。
ペパー君のようなロボットがぽつんと暗いロビーの中央に居て、そのすぐ前に職員の女性が立って、なにか妙に親密にロボットと会話しているのだった。ロボットもジー…と腕を上げて応えたように見えた。介護用ロボットなのだろう。しかしれっきとした職員のように一瞬見えた。
なにかシュールで印象的な光景だった。



6月29日


暑い。アセモの季節になった。油断していると汗でかぶれてアセモが出る。
シッカロールを棚から出してきて枕元に置いておく。日本名は天花粉。その名のイメージ通りの古臭いパウダリーな香りは、相撲取りの鬢付け油の匂いにも似ている。
ああいうパウダリーな匂いの成分はかなり古くからあるはずだが正体はなんだろうと、昔から気になっているが調べたことはない。
高校の校舎の裏手がシッカロール工場だったが、漂っているのは不思議とパン焼くような調理臭だった。


シッカロールをパフパフと皮膚に叩きこんで川向六畳間で仮眠をし、川から聴こえる夕方の河鹿ガエルの鳴き声を聴いているのが好きだった。
今は実家では母がその部屋で寝ているが、河鹿の声は聴こえるだろうか。


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夢のように掘り出し物のアクセサリーがある衣服店を近所に見つけた。絶妙にレトロなペンダントやブローチの値段を訊くと、どれもこれも「500円でイイヨ」と中国系のマダムが言う。
綺麗にかざってあったこのブローチに目が行った。手描きのツバメが三匹、ペンダントトップにもなる。今度は「2000円でイイヨ」と言われたが、「でイイヨ」の投げ売り感についほだされてしまい購入。しかし気に入った。







by meo-flowerless | 2018-06-03 03:11 | 日記