画家 齋藤芽生の日記 Twitter/ @meosaito


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相模湖斜陽遊覧


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梅雨に入るとは思えない、爽快な晴天。
実家に母と居て「川原を散歩でも」と話していたが、それよりも少し足を伸ばし、バスで高尾駅周辺まで行く気になった。
最寄りのバス停で待っていると、思ったよりバスが早く来た。あれ?と、行先表示を見上げると「相模湖駅」行きと書いてある。なるほど…日に数本しか来ない神奈中バスに偶然遭遇したのだ。咄嗟に「相模湖に行こう!」と母を促して、乗り込んだ。



どの位の時間がかかるのか、母は少し不安そうだった。母は長くこの土地に住んでいるが、神奈中バスで高尾を越えて先に行ったことはないのである。30分以上はかかるように思う。私も、以前相模湖駅から高尾駅まで帰ってくるときに数回乗っただけだ。
高尾山を横目に通り過ぎ、その先の大垂水峠をうねうねと越えて行くバスだ。








大垂水。バイク乗りには伝説的な峠道だそうだ。鄙びたドライブイン廃墟の多い、心霊譚や都市伝説にもたまに登場する昭和的な峠道が、私も好きである。
駒木野、小名路、高尾山口を過ぎるあたりから、母もようやく遠足気分になってきたらしい。
ピンクのフルーツケーキのような建物を、わあ、と楽しそうに見送りながら、何故か無邪気に「あれはラブホテルかな?」と私に訊いてきた。
そうだと思うよ、と笑って答える。



右の山岳の遥か高みに圏央道の高架がそびえ立っているのを見てギョッとしつつ、左の緑の谷底の地獄のような深さにもぞっとする。
近所のバス停から気まぐれに乗り込んですぐに、こんな奥深い山林に突入している不思議な気分。いくつもの秘境的料亭の看板、スプレーの落書き激しいオートレストラン廃墟、ひっそり繁盛していそうな洋風家屋のカラオケ屋、「美女谷温泉」の看板、サーキット的な急カーブの数々などを巡って、バスは深い峠を越えた。
麓を走る時、白黒世界の宿場町の家屋が建ち並び、繊細で大胆な建築の黒々とした「本陣」の建物を見かけた。




相模湖駅から湖畔までは、徒歩で静かな家並を抜けていく。
大きな屋敷の何処からか、天上の音のように不思議な、鉄風鈴が何重にも重なるような音が聞こえる。以前も、ここでこの音にハッとしたような気が、しないでもない。
車道添いのパチンコ屋廃墟は、私が来るたびに無残な荒廃とツタの占拠に見舞われている。落書きだらけのドラえもん人形も、一層煤けている。母はツタの野生に何か感動したようで「ああ、植物はいい」と嘆息を漏らしている。


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最後に父母と一緒に相模湖に来たのはいつだったのか、と話し合う。父がまだ健康だったから20年以上前のはずだ、と母は言う。私はたかだか7-8年前のように感じて居たがそんな訳はない。湖畔の食堂で父はカレーを食べ、スプーンが水のコップに差されて運ばれてきたこと、赤い額縁の船の絵が壁にかかっていたことなど、生々しく思い出す。
湖畔の売店街は、ますます侘しい佇まいになっている。変わらないのは、遊覧船乗り場の老人達の盛んな呼び込みと、ゲーム機だけ。射的場と食堂一軒以外は店を閉めていた。更地になってしまったところもあった。


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母が遊覧船に乗ろう、というので、船着場の板をギシギシと渡り歩き、出港間近のスワン丸に乗り込む。
二階の露天席に腰掛ける。客は私達以外、二組の家族だけだ。船着場にいくつも繋いである足漕ぎ船は白鳥だけではなく黒鳥もあり、また恐竜サガシーの船はもうディテールを無視してピンク一色で塗り潰されたまま、20艘ほど浮かんでいた。
かつてはきっと女三人組で軽井沢に旅行などしていたような、ヒラヒラ7-80年代を引きずった年輩おしゃれ主婦達が、地味な手漕ぎボートに乗り込んで湖面に繰り出していた。
トボけて古びた遊覧船にもかかわらず、大変おおきな霧笛をボーッと鳴らすので、吃驚した。希望に満ちたイージーリスニング音楽に乗せ、女声のガイド放送が流れ始める。その音の風情と心地良い風に、身を任せる。


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湖面の反射は、水のそれというよりも、良く磨かれた古刹の黒い床面のような光にも感じられる。船着場辺りから遠く臨むだけではわからないが、湖岸の森の入江のひとつひとつがひっそりと懐深く、青暗くて不気味さすらある。
湖には、渓流にも海にもない特別なタナトス、独特な死の気配を感じる。飲料水になる湖にそんなことを言っては失礼だが、まあ生物の死というよりも時の死のようなものを感じるのだ。


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遥か遠くから憧れるだけだった、桃色の巨大ホテル廃墟に初めて近づくことが出来た。西陽の暗さもあって、すべての亡霊的な斜陽感覚に、非常に胸騒ぎがした。高いところにある青い看板に「中国料理」と白い文字が並ぶのを見て、何故か切なさが倍増した。
実際はホテル兼、式場兼、料理屋という建物だったろうが、桃色に塗られそびえ立つ閉鎖的な城のような体積のすべてを中国料理に捧げていたというシュールな妄想が湧いて、ロマンティックだった。



湖面を淑やかに滑りつつ、スワン丸の女声放送は、この地域の歴史の深いところまでを詳細に語り続ける。
京都に地形が似ているため、桂川、嵐山、吉野、高尾などの地名があり、弘法大師開山伝説を裏付けていること。遥か昔から数多の宿場町に通じる言わば「裏街道」がこの地にあったこと。



また、この湖の底には、日本で初めて強制的に退去・水没させられた村の歴史があるのだった。日連村勝瀬集落は、往時は様々な施設や醤油問屋などの立ち並ぶ山間のユートピアのような場所だったが、戦時の国策により、無理やりダムにさせられる運命を辿った。
幕末には、近藤勇や土方歳三らが、日野から甲陽鎮撫隊として出征する際に、裏街道の要所であった勝瀬集落に立ち寄ったという。集落から人が溢れ出てきて新撰組の青年達に声援をかけたのだそうだ。
歴史の逸話でありながら、すぐそばに皮膚や血や体温があるように当時の人間たちの確かに生きている時間を、感じた気がした。単に切ないだけではなく、水底にまだ近藤勇や土方歳三が居て、集落の人がわあわあと囲み続けているような、誰もが死に切れずまだ居るような、何かぞっと震えるような気分もした。


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湖畔にはほかにも謎の「願掛けの注連縄」があり、水辺からしか行けないであろう瀟洒なヴィラ廃墟があり、また湖上には、遥か昔から気になっていた孤島の無人の建物があった。近づいたところで、それらの近付きがたい謎めきがなにか明らかになるような気もせず、妖気を西陽に発散しながらじわっと在るままだった。

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別の遊覧船クジラ丸にもほとんど客はいないようだったが、乗客のカップルがぽつんと一組、こちらの船にいじらしいほど熱心に手を振り続けているので、ちょっと手を振り返すと、倍くらいの熱心さで振ってきた。知り合いなどではなかった。


船から降り、食堂に入って食事をした。以前父と入った食堂とは違ったようだ。昔の食堂によくあった星占いの置物がテーブルにあった。干支占いは初めて見た。
客は勿論私たちだけ。夏が近づいているがまだダルマストーブが出してあった。冷やし中華を食べたのだが、手作りのタレだったのか甘酸っぱく濃厚な胡麻油が良く絡んで、驚くほど美味しかった。ほとんど閉店したこの並びに居残っている理由がわかったようだった。


湖畔の風情を腹一杯胸いっぱい堪能し、私だけではなく母も相当満足したようだった。帰路、またパチンコ廃墟を通る時に母は全くさっきと同じように「ツタ…植物はいいね」と嘆息した。鉄風鈴の幻想音がしていたお屋敷の横を、黒い服を着た老婦人が歩いていたが、巨大な胡蝶蘭を折った花房を握りしめていた。西陽に照らされ、絵になる、と思った。


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フワッとバスに気まぐれで乗り込んだ末、何か遥か遠くの未知の世界に運ばれ、歴史の深いところまで感じながら旅行をしたような気持にもなった。しかしまたタイムマシンでワープするように中央本線でたった一駅を移動し、家路に着いた。



by meo-flowerless | 2018-06-03 02:01 |