画家 齋藤芽生の日記 Twitter/ @meosaito


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ローレライ



真夜中、深夜ラジオ便から、日本人混声合唱の【ローレライ】が小さく聴こえて来た。
久しぶりに耳に蘇らされたこの歌に、急に涙が込み上げてきた。思い出に結びついて涙が込み上げるというのとは、少し違う。そもそも「歌を聴いただけで無条件に涙が浮かぶ経験をした初めての曲」が、この辺りだったというわけだ。(それがその歌だったという候補は3、4曲ある)


入日に山々 赤く映ゆる


小学校低〜中学年だった気がする。その一節のハーモニーに急にウッと感情の塊が込み上げた。それは、ノド飴のCMの中に使われたたったワンフレーズだった。
合唱団員の女性「ゴホンゴホン、風邪かしら」
男の声「ハイそんな時にはこれ。患部に作用し早く効きます…」
のような文言のあと、合唱団で朗々とその人が歌う 〽︎入日に山々… のフレーズ。
確か、それくらいシンプルなCMである。



三歳からバイオリンを習わされ、楽器をいじることにはついぞ慣れることはなかったが、音楽を楽しむことだけは小さい頃に覚えたのだろう。
ある日、父か母に「ノド飴のあの歌を教えて」と頼んだのだった。すぐに全曲を通しで教えてもらえた。
ハモリパートは母が担当し、それからはよく、台所で一緒に二部合唱するようになった。
歌いながらいつも、有無を言わさず泣きそうな何かを感じた。諦念感も含んだ眩しい懐かしさ。「郷愁のようなもの」のはじめての痛みだった。
故郷遠く離れた経験などなくてもその感覚を知りそめたのは、そうやって父に母に教わって覚えた曲によってだった。


父も母も音楽をやっていたわけではないが、歌うことは好きで、日本の唱歌を沢山私に教えてくれた。小学校低学年くらいではまだ父と風呂に入っていたので、浴槽で【荒城の月】【早春賦】などを父に教わり、風呂から上がって夕食を作る母にその歌の合唱の下部パートを教わるのだった。おかげで今でも、誰かと歌う時にはある程度つられずにハモり、二重唱できる。バイオリンやピアノをやっていたから歌が好きだというよりは、やはり小さい頃からかなり実際ウタを歌っていたのだ。



同じ頃、【ローレライ】のほか、【灯台守】にとても心動かされた
灯台を見たことはなくとも、「灯台守」という存在の孤独を歌から知ることが出来た。

激しき雨風 北の海に 山なす荒波 猛り狂う
その名も 灯台守る人の 尊き真心 海を照らす

ゆったりと長調の旋律自体は幸福感さえあるのに、このような孤絶の言葉がそれに乗っていることが、逆に泣かせるのである。



父が、熱く文学的にこの歌詞の説明をしたことがある。冬の荒海を知らなくとも、情景を思い浮かべることは不思議と出来た。
「冬の吹雪にね、波がゴーッと高く荒れ狂う。そういう誰ひとり近づくこともしない果ての海に、灯台守はたった一人でそこに閉じこもって、そこで暮らして、海の灯を守る。海の上には心細い気持で嵐の中にいる船がいる。それを迷わせないように灯台は光るんだよ」
【喜びも悲しみも幾歳月】の映画で、灯台守の佐田啓二が妻の高峰秀子に同じようなことを語る台詞のところで泣けてしまうのは、その時の父の熱すぎる情感をも思い出すからだろう。今でも、旅をして何処かの灯台を遠く眺め、【灯台守】を口ずさんで涙を浮かべることはたまにある。
 


しかしよくよく思い出すと、あの何ともいえぬ愁いや郷愁については、歌詞の「意味」を「説明されて」知った、というのだけではないのである。
まずはメロディの圧倒的な説得力にすなおに心打たれて興味を持ったことが、自分には強烈だったのだ。歌詞の深みは自分の経験や父の人生に絡めつつ、あとからボディブローのように知っていったのだ。
歌、というものはそもそもそういうものなのかもしれない。はるか昔、それが信仰的な朗詠であったような時代から、言葉に示された意味よりも、音程の揺らぎやバイブレーションのほうが先んじて人間の身体に「情のなんであるか」を教えて来たのかもしれない。


メロディだけではなく、ハーモニーの説得力も、少し違う質のものとして存在する。
【ローレライ】の原曲をドイツ語独唱などで聴いて果たして幼い自分の心が動いたかはわからない。大人になればやがて旋律のよさも理解したとは思うが。
あの小さい時分に、ノド飴の味とともに出会った「あの」日本人合唱の訳詩の一節とその旋律とハーモニーの絶妙な組み合わせでなければこの私の場合は、あの郷愁らしきものの強烈なイデアを感じなかったかもしれないのだ。分析しても言語化は出来ないような、何かがそこにあった。
とくに「〽︎山々」から六度のハーモニーで低く分岐していくあの低音部の包容力が、自分の音楽の好みの一つとして備わったのははっきりしている。【灯台守】の下のパートにも多く印象的な六度や五度の和音が登場する。
例えば空の鳥ががゆっくり二羽で飛びつつ、急にその距離を離して岐路を違え、またどこかで合流するような、孤高で飄然とした印象がそういう三度以外の和音にはある。



【ローレライ】伝承については、ずいぶん大人になってからちゃんと読んだ。船乗りを惑わせる、水の精霊というよりは「少女の幽霊」のような仄暗いイメージ。に番、三番の歌詞など今まで詳しくは知らなかったが、読んでみると妖艶で恐ろしい。私があの1フレーズに感じた郷愁のようなものとはかなり違う内容である。
【灯台守】の「船乗りを護る」尊さとは真逆なのも、自分にとっては偶然で面白い。
けれどどちらの歌もメロディラインは、歌詞の情景や意味をそのままデッサンしているのではない。旋律自体が悲しみを通過した明るさとたおやかさを持っているのである。それにまず打たれたように思う。わざわざ言葉で描写される前からすでに情感は音韻の中にあるのである。



そんなことを思い出して真夜中ラジオの【ローレライ】を聴き終わると、夫が暗闇の中でボソっと「【ローレライ】いいな」と呟いた。
「青松園にかかってたんだよ。ずっと流れてるの」
青松園とは、瀬戸内海の小島にある、かつてハンセン病に罹患した人々が回復後今も生活する国立療養所である。
夫は旅の途上で、そこを訪ねたことがあるのだ。


今までも夫はその記憶について多くを語りはしなかった。言語以上に感じたものが多すぎるからだろう。
「目の見えなくなった療養者が歩けるように、園内のあちこちに【ローレライ】のメロディが、もう一日中流れてたんだよ。それがずっと耳に残ってる」
そこに暮らす人々にとって、その旋律がどのような情を伴って聞こえているのかは私達などには到底はかり知れない。故郷の漠然としたイメージに甘い想像の涙を流すようなものでは有り得ないだろう。直接は彼らの感覚に手が届くことはなく、その場所に漂っていた情緒の予感が乱反射して夫に届き、またいまここにいる私に届いてくるだけだ。


おなじ【ローレライ】ながらも、私の人生、夫の人生、また他者の人生には、全く違う絡みかたで歌が絡み付いている。もともとは私はノド飴CMの日本合唱、夫は療養施設の幽かな電子音から知っただけの歌なのである。
しかしなにかえも言われぬ「愁いのイデア」は共有しているのだ。
何ががそうさせるのだろうか。歌詞の意味や歌の背景の伝承より、やはりまず旋律なのではないか。
夫の場合は経験内容じたいへの情動は大きかっただろう。しかしそれはたとえば【ふるさと】や【瀬戸の花嫁】ではまた少し違う情動に繋がるのではないか。【ローレライ】でなければ感じない本質的な何かは、私のも夫のも同じところにあるのだ、と何か確信したくなる。


甘い郷愁から厳しい苦しみまで、あらゆる感情を、意味を越えて吸収し尽くすのが歌であり音楽である。それらは何処にでも入り込む。空気が水分を内包するように感情がそこここに潜在し、それが旋律の雨になって降り注ぎ、さらに川や海のように、つまり歌や音楽という在り方を得る。その川や海の乱反射がさらに新しい感情を生む。
音楽は水に似ているものなのかもしれない、と思いながら夜の眠りについた。






by meo-flowerless | 2018-01-30 10:24 |