画家 齋藤芽生の日記 Twitter/ @meosaito


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ソフト・リゾート


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実家の正月テレビで、バブル期を振り返る特集をしていた。
ハウステンボスや新潟ロシア村、戦国村…
「この時代、テーマパークの建設が大流行!」とのナレーションに、真徳が「なんでこの時代にそんなに流行ったんだ」と呟く。9歳上でありバブル期には成年になっていた自分は「それはね」と、知ったかぶって答えようとした。
が、明確には答えられずかえって「?」と考え込んでしまった。




日本初ディズニーランド建設以来の遊園地巨大化ブーム。地方創生の金の流れ。核家族のレジャーに対する意識変化。色々要素はあるだろう。けど何かはっきりしない。
そこで携帯で検索してみて、久々に「リゾート法」というキーワードを思い出したのである。リゾート法.....そのあたりのことをきっちり抑えておかないと、最近モチーフにしているような「痴情と稚情に満ちたデザインの廃墟」の裏が取れない、と改めて思わされる。




正確に言えば、私の好きなドライブインやモーテル建築は70~80年代くらいのもので、80~90年代「リゾート法」施行下で乱立したフルーツ型バス待合室・カッパ橋・カブト型の駅、のような一連のキャラクター風デザインのものではない。そのあたりのデザインの変化の背景、心性をわかっておきたい。
私にとって、両者は全く方向性が違うのである。



今また、破綻したテーマパークのリニューアルブームだというが、インスタ映えSNS映えする、写真の後背・書割としての需要が見直されていることもあるのだろう。この平面的なリニューアルブームがまたいつか成れの果てを迎える時にはどのような有様になっているのか、興味はある。
しかしやはりいまの私が当分魅かれるのは、バブル前後のリゾート観やレジャー感の時差的な違いである。



バブル後期に「リゾート法」「ふるさと創生」などに呼応して出来た巨大テーマパークやその周辺のレジャー施設のデザインには、圧倒的に「エロさがない」と感じる。
いや、エロを目的にして欲しかったなどと言いたいのではない。
国民に課せられた息苦しい余暇、意識的な拝金、遊戯の強制感。「遊ぶこころ本来のゆらゆらした不安定感」を拒絶するようなデザイン性に陥っているのが、あの時期のテーマパークの特徴、と思うのだ。
役場の人々がやれやれと思いながら片棒を担がされているところもあったであろう。行政が家族の余暇と幸福を奨励しているところに、一抹のいかがわしさも生じるわけがない。



最近私がとくに思いを馳せているバブル前夜のエロさ・いかがわしさとは、単純に性産業的なニュアンスではない。「そのへんのカップルのプライベートな」「ソフトな下心」のエロさである。たまの休日だから「あの娘と」「チョット」「はめをはずす」非日常の草いきれ。
レジャーも性慾も、目的の価値というよりは気分に価値があったのかもしれない。
そのものズバリのラブホなどよりむしろ、普通のレストランやファンシーな土産屋のほうが、そこはかとなくソフトポルノ感があった、と思う。



70年代後期だったか80年代初頭だったか。とにかく自分の幼時、清里など高原リゾートが流行っていて、レイヤーカットの女子大生グループが女3人旅行などをこぞってしていた。
子供目線ながら、あの頃流行したメルヘンな白い建物やレースのカーテンに、どこか少し吐気混じりの淫猥さを感じていた。盛り場のイカニモという暗さより、高原のそよかぜにスカートが翻って生じるパンチラの「誘う眩しさ」。ソフトリゾートは、うたかたの青春の甘酸っぱさとおしっこ臭さ、観光向け牧場の乳臭さのいりまじった甘い匂いがした。



ちなみに、このレースの白さは、当時のスケ番女子高生などの奇妙な妖艶さ、赤さが対になっている。暴走族全盛期のスケ番の色気というのは、その前の和田アキ子や杉本美樹などの不良性ともおそらく違い、いまのヤンキーのわびしい感じとも違い、異様に際立った夜叉のような妖気を放っていたように思う。



しかし、中学生高校生くらいになると、アレ?というほど文化にも風景にも淫猥な匂いが消えた。
あれはどういう世の流れだったんだろうか。
テレビでも、どこにでもいる隣家の高校生のような子(そのくせ純潔性は普通に喪っている)、内輪うけで手を叩いて笑っているだけのタレントなどを毎日見ていなければならなくなり、憧れもなくなりテレビを消した。
ちなみに、ミッキーマウスなどのディズニー的価値・サンリオのファンシー価値からエキゾチックな臭いが消え、よりローカルにドメスティックに意味を再生産されていった気がするのも、その頃だ。サンリオは国産ブランドであるが、初期のハローキティや、もう廃れ果てたパティ&ジミーなどにはもう少し、敢えて演出された外国感があったのだったが。



90年代後期、自分の大学生時代には、書店に「廃墟本」が並んでいた。あれも一種のブームだったように記憶している。世紀末に合わせたというのもあるだろう。自分もその影響は、多分に受けていたと思う。
廃墟には魅かれ続けたものの、バブル崩壊に伴い破綻したテーマパーク廃墟のアフターユートピア感、ディストピア感というのは、その後のゲームやマンガ世代に受け継がれて行った。新たな「ファンタジーの戦場」として舞台になって行くのである。そこまで行くと、もう私の好みでは追う気になれない、別の文化圏のものになる。
ディストピア戦士感に満ちたゼロゼロ世代の手で、ソフトなへその緒にくっついていた白いレース付きテニス用パンティーは、いったん断ち切られて行ってしまった。



リゾート法前夜の、「プライベート・ソフトリゾート期」のような感覚。そんなものがあったのかなかったのか正確な時代性など解らないが、私の心の襞にはそう刻み込まれている。
あの頃眩しく思えたレースの白さは、今や表面的には、100均の写真立てにくっついているちっさいイミテーションカーテンなんかにささやかに受け継がれている。
妖艶なスケ番の髪の赤さもまた、何回も消費されたイミテーション和風な「紅」となって、ヨサコイの衣装に息づいているが、鬼気迫る輝きはさすがに喪ってしまっている。



しかし「プライベート・ソフトリゾート」は実は、中高年のこころと身体の水面下に俄然続いているんだ、と私は信じているところがある。いろんなかたちで、しぶとくね。

by meo-flowerless | 2018-01-03 16:57 |