画家 齋藤芽生の日記


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タイの田んぼのルークトゥン

タイの田んぼのルークトゥン_e0066861_1126815.jpg


電線にカミナリが落ち紫色の火花がバババッと走る凄まじい光を見たことがあるが、音にもそんなものがある。
タイの田んぼに突然流れた、忘れられない音楽。海外を旅行する時などに、「観るべきアートシーンを観る機会」よりも私が待っているのは、ひょっとすると、「忘れられない音楽に出会う」瞬間のほうである。
音というのは、記憶を突き破る。爆音であれざわめきであれ遠い反響音であれ、感覚の防護膜を貫通してこっちにくる。



今から数年前、二月。はじめて東南アジアを訪れた。
現地では初夏。訪れたチェンマイは、タイ北部の農村地域だ。
緑の草の濡れたような光。天国に着いたと誤解しているようなダレた犬たちが、埃っぽい道路のそこかしこに横たわる。
タイの現代美術家との交流は、仕事というより、ユートピア探訪という感じだった。
カミンさんはタイ人の現代美術家だ。複数の広大な邸宅や拠点を、チェンマイに持っている。
森林の崩れそうな二階建てロッジで風に吹かれたり、誰が乗るのかわからない蔓草ブランコの蔓を引っ張ってみたり、コンテナを使った「茶室」に人々が持ち込んだその辺のコップの「美」を説明されたり、渦巻型の座布団がちょこんと置いてあるひんやりした小屋で「瞑想」を試してみたりして、日を過ごした。



その日の行程の最後が、田園地帯に彼が展開した「land」という、建築家たちの半芸半農コミュニティのような場所だった。
しかし今は、建築家たちも去り、田んぼの真中の屋敷森のようなところに櫓のようなものの廃墟や、農具的な巨大作品や、放置された池や畑が残っているだけだ。
農作業のリヤカー式トラックを止めた横で、痩せたおじさんが一人こちらをのんびりと見ている。
「今はあの地元の人が、辛うじてここを管理しているだけなのさ」とカミン氏は言った。



疲労感のつのった私と同じくらい疲れていそうな七面鳥が、茫然とした顔で一匹池のほとりに佇んでいる。放っておかれたアヒルやニワトリが時々空気に何を感じ取るのか、一斉に騒いだり黙ったりする。夜には蛍なんぞが出るのだろうな、などと思いながら私は、ぽりぽりとヤブ蚊に刺されたところを掻いていた。
とそのとき、激しい山びこのような大音量の歌が田んぼ中に響き渡った。暗くなりかけた空に青い雷電がバババッと見えた気がした。
何?と振り向くと、先ほどのトラックのおじさんが爆音のラジオをスイッチオンした音響だった。



聴いたことのない異様にボルテージの高い民謡が、高速変拍子ドラムにのせて空に放たれる。
男声なのか女声なのかわからない舞踊ロック。メランコリックかつ太く低くてまた高くもある発声のテンションに、機関銃のような打楽器がズデデデデン、ドドドコドンとまとわりつく。
そして歌の間に、時々叫ぶような喋るような早口の台詞を入れる。ラップでもライブのMCでもないその感じ。演歌と中東の祈りの入り混じったようなこぶしに、東南アジアらしい熱病的なエコーがやかましくかぶさる。何もないこの田んぼのどこに反響していいのかわからないその音たちが、上空高くハイトーンで泣き叫んでいる。
何かのお祭り歌フェスの音源か。中高年の村人の歓声も解き放たれる。聞きながら佇んでいると、
「ああ、あれは、タイの北部ルーツの歌だよ」とカミンさんが言った。



同行した人々は思い思いに散策していたが、私はいつまでもそのラジカセ音声にこだわり「いいなあーこの音楽」と何度も呟いて、訴えていた。しかし皆まったく興味も示さない。
やがておじさんは大爆音をならしたまま、あぜ道をオートバイトラック走らせて行ってしまった。目に見えない蛍光色の雷を引き連れながら鬼が去る、みたいな感じだった。



帰国してからもその音楽が忘れられず、youtubeで「タイ 北 歌謡」などで検索しまくった。
通りすがりに聴いた音楽を「もう一度絶対に聞きたい」と強く思ってしまう。
インターネットは言葉から名前を逆引き辞書のように探すことが出来ても、五感から名前を逆引きで探して言葉に行き当たるができない。
タイの歌謡曲が「ルークトゥン」と呼ばれるということくらいは分かった。「モーラム」というジャンルになると、演劇を伴った民謡形式のようだ。雷がひらめいたようだった中性的な声のあの名曲は、アジアショップのcdなども漁ったがいまだに行き当たらない。



音楽の記憶のなかでも、ただ気に入ったというレベルと、人生に刻み込まれるときとがある。
琵琶湖温泉のホテルのCMソング、モスクワラジオのある深夜の賛美歌、油壷の崖下から聞こえてきた空気オルガン、京都来迎院の声明、ポーランド映画【夜行列車】のスキャット、そしてこのタイのルークトゥン。曲がいいからという理由とは違う、過去の稲妻と通電したような、知らないどこかの未来と電気力強めの電話が繋がったような、「他人とは思えない」が音楽たち、がたまにある。



懐かしさにも種類があり、自分と他者の記憶が交錯し、過去も未来も混濁するような感覚の、往来感のある懐かしさというのがある。そういう懐かしさを、感じているのだろう。
音楽や匂いが、記憶の時空を飛ばしてくれる力はすごい。「経験」ということの、ほんとうの自由な内実を差し出されている気がする。



チェンマイのその日の夕食、夜の屋外のレストランで舌鼓を打った。風には、もう日本では山でしか薫らない本当の夏の匂いが入り混じっていた。
雨上がりに立ち上る甘い葉やコブミカンやレモングラスの料理臭に包まれて、夜の木に引っかかる涙の雫のようなイルミネーションの白い流れを見つめていた。
五感の喜びの質が全て一致する土地だ、と思った。
はじめの瞑想的美術体験は少し眠かったけれど、段々うなりをあげるように、タイ人の心に響く幽遠なエコーが伝わってきた日だった。懐かしく思いだす。

by meo-flowerless | 2019-02-26 05:50 |