画家 齋藤芽生の日記


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島日記13

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「あれがあの人の魂だ」と一目で見分けるために、ひとつひとつ色を違えているのだろうか。
と思うほど、夜の海を漂う精霊舟は、虹みたいに思い思いの光を放つ。
赤い和紙の灯籠の舟、桃色の提灯の舟、青くて既に幽霊みたいな舟、早くも引火して燃え始める舟、海水にあえなく萎れる弱い舟。
生前その人たち一人一人にまったくちがう性格、違う営みがあったように。
家族は思い思いの光をのせて十五日の今夜あの世に魂を送り出す。





湾の対岸で花火が始まる。八時半開始とは遅いようだけれども、この西村地区に流される精霊舟の送りの時間に合わせて、船出を賑やかすんだろう。
初盆の家族たちが埠頭で順繰りに自分の舟に火を入れ、それを紐で繋げて一つ一つ海に送り出していく。鈴を鳴らして地区の老女たちが一斉に御詠歌でそれを送る。
舟たちはおとなしく仲良く列になって沖に流れていく。手を取って、自分が死んだ事をお互い納得し合うみたいだ。


けれど観客が花火に気を取られているつかの間に、ふと海を見ると、舟はもうばらばらに暗い水面に散っている。
入れられた火がいよいよ心細い光になって震えているのが、本当に人の心の動きのように見える。
泣いている者あり、潔く沖に向かう者もあり。 
今こそ本当に一人で死んでいくんだ、と思っているだろう。そして遠い花火を見てどんなに悲しかろう。
でもなんでそんな事が私にわかるというんだろう。



島日記13_e0066861_22131416.jpg



はじめは、馴染みの浜条という地区で送り舟を見るつもりだったが、僅か二家族ばかりが静かに舟を流しているところだった。
それだと他家の法事の中に入り込むようだったので、もう少し大きい精霊流しのある、西村という地区に移動する。
西村の精霊流しの場所からは対岸の花火大会も見える。


着いた時間にはまだ、公民館で初盆を迎える家族たちが読経の最中だった。
薄緑の暗い灯の下に、光る電気の蓮が咲き乱れていて、精霊舟がお経を読んで線香上げてもらっている。
誰も、それほどうちひしがれても泣いてもおらず、淡々としているのに、むしろ盆踊り会場を後ろに控え賑わっているのに、なんかピーッと何かに連なる糸に引っ張られるように、心が痛い。


島日記13_e0066861_22115450.jpg



遺族たちが、舟を防波堤まで持って運んでくる。
ここの精霊流しは島の名物なのか、花火大会と一緒に見るのが恒例なのか、堤防沿いに観客がたくさんいる。それでもやはり一抹の緊張感が漂う。


老人が若夫婦を見守るように、若夫婦は子供を見守るように、子供は舟の火を最後に覗き込み、ひと家族ずつ舟を送り出す。
沿道で一斉に始まる御詠歌に、思わず全身の毛がぞっとする。本当の御詠歌を直に聞くのは初めてだ。
これ以上これ以下の虚無もありえない絶対零度の歌。
歌っている人たちはすぐ傍にいるのに、有らぬ方から時を超えて聞こえてくる声。暖かく寒く。深く浅く。
始まった花火とともに、いつしか御詠歌も終わる。
舟は散って暗い沖に消える。泳いでいるときなどよりもずっと海の深みをかんじる。


島日記13_e0066861_22123916.jpg



今まで何度も花火大会を見てきて、その都度歓声をあげたりもするのだけれど、いつでも花火を見ている時間の自分の心は笑っていない、と今日も思う。
悲しいからじゃない、いやだからじゃない、空しいわけではない。
何か遠いとこからピンと糸に引かれて意識が張りつめていくのだ。何に引かれて痛むのだか。


特に今日の、すべての海上の光には。
「いよいよ私も、地球の別の側の半球を見てんだな」
と何故か唐突に言葉が浮かぶ。ここは日本なのにも関わらず。


ふだん花火に全く興味を示さない真徳が、珍しく最後までその場を立ち去ろうとしない。
何度も終わったかのように思える花火は、幾度かぶり返す。
もう九時を回って、私たちは車にいる。
真徳は何で名残惜しいのか知らんけれど、いつも通らない海の断崖の道を走らせて、真暗闇の中もっと遠くなった花火をまだミラーの中で見ている。
小豆島の地形は複雑なので道を曲がるたび、思わぬ死角や思わぬ木々の向こうに海面が現れ、花火のかけらも、再び違う方向に現れる。
神出鬼没の花火に気を取られているうちに、島に来て初めて車に酔う。
by meo-flowerless | 2013-08-16 00:13 |