画家 齋藤芽生の日記


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島日記5

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変な夢で目覚める。




勤めている大学の上野校地にいる。夏の淡い光が満ち学生達が楽しそうに行き交う。しかし何か様子がおかしい。
「音響技師が夏の旅に出てしまったので、きょう講義室は使えないんです」と聞き慣れぬことを言われ、自分の絵画創作概論を休講にしなければならない。休講の張紙だけでもと壁を探すが、どこも他科の学生の作品、しかも昆虫にまつわるものばかりで壁が埋め尽くされている。
仕方なく自分の所属する油画科の絵画棟に戻ろうとしたが、さらに驚愕する。八階建ての絵画棟が工事され、半分はダイエーのようなスーパー、半分はカトリックの大教会という建物に変わっている。
焦ってアトリエを探す。エスカレータもろくに無いスーパーの階段を駆け上がると踊場の休憩所に学生達が居心地悪そうに荷物など置いている。アトリエはどうしたかと訊くと、化粧品売場の床なら少し使っても良いと言われた、という。フロアには安っぽい店舗音楽が流れ、婦人物夏帽などが置いてある。
「誰がそんなこと言った」
「枢機卿が」
さらに階段を上がるが六階から上が無い。油画の学生達があきらめきったような顔で踊場に座っている。一つのドアを開けるとそちらはもう半分のカトリック教会だった。深赤の偉そうな服を身に纏った大勢の西欧の神父達が講堂で会議している。取手の事務のKさんが神父達に設計説明などを嬉々としている。
私は怒り狂って大声で叫びながら外に出る。とてつもなく理不尽な思い。よく見ると上野校の土壌自体が浮島状態で、美しいエメラルドの珊瑚礁の上を漂っている。東谷先生がいたので涙が出て来て「こんなのおかしい!」と訴える。東谷先生も哀しそうだし、場所を追われあぶれた学生達も膝を抱えてたむろしている。私は先生達やら枢機卿やら化粧品売り場の売り子に向かって、切々とアトリエの大事さを訴え、奔走する。



ああもうただ絶叫したいと思った時、自分の声より先に、鶴の一声みたいに別の凄く通る声が、右耳から左耳抜けてアーッと響き渡った。
その声のリアルさにびっくりして目が覚めた。
誰だ。
夫は別に寝言を言ってる様子も無く向こう向いてすやすや寝て居る。
少し怖かった。



いつ誰にいわれなくとも、学校では何かしら板挟みで奔走し叫びたい気持ちでいる。
馬鹿みたいにその奔走は気持ちだけに終り、心労は泡沫と消える。
きもちがいつも空回りしてるのである。端から見れば進歩もなんの動きも無い。
島の朝の蝉時雨が我に返らせる。ここはおそろしくしずかに「現実」である。
蝉は今だけを生き、島中をリアルな情念で焼き尽くす。
東京生まれのくせに、私にとって東京での暮らしはいつまでも浮遊感のある不安定な夢のようだ。
その夢の中にいずれ帰る、ということが不思議だ。


昨日から小豆島に来ている、真徳の母と姉夫婦を、今日は案内して廻る。
昨夜はライトアップされているヤノベケンジの作品なども見た。
私以外は四国本土で落ちあい、金比羅参りなどした一日だった。
義母たちは夜中の二時に愛知を出て車で淡路島経由でやって来た。
私の母は一昨日帰って行った。今日はまた違ったにぎやかな雰囲気で案内する。


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恋人達の願掛け名所であるエンジェルロードは、干潮の時のみ道の出来る砂州だ。
掛ける願も無いので私ら夫婦は全く無関心であるが、この場所のシュールな風景は好きだ。
住民も観光客も含め年齢層が上の小豆島の中で「ここだけが若いよね」と義兄が言う。
姉夫婦は仲が良くていつも並んで歩いているが、私たち夫婦はまず一緒に並んで歩かない。
夫の背中しか見たことない気がする。でもそれに慣れきってる。


昼はセルフうどん。民家の中にぽつんとあるプレハブ小屋、讃岐流の。
地元の人が行列するほどの人気で、私たちの家族で肉うどんはもう売り切れる。
昨日食べた香川本土の中西うどんが極上に美味かったそうで、その記憶を残すかやはりもう一回別の店にチャレンジするのか、を昨夜真剣にホテルで家族会議したのだが、小豆島自慢を食してみた結果普通だった。



真徳の展示を義母さんたちにみせる。
讃岐地方、小豆島を自作の自転車小屋引いて遍路しながら、収集したその土地の廃棄物だけ使って自作の土産を作り続けた記録だ。
小豆島池田浜条地区の元米屋だった廃屋全体を使ってこの四ヶ月の遍路生活のすべてを表現した。
俺には2%くらいしかわからんけど、芽生さんはやっぱり真君の作品のよさはわかる?
と義兄が言うので、それはもちろんわかると言った。

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「普通に見りゃあそりゃ、言葉は悪いけどただのがらくた集める人じゃんね。でもなんか真君にしか無いこだわりは、ようやく最近わかって来た気が俺もするわ」
と義兄がまた言った。
彼は口では、わからんとはっきり言うが、この義兄と長姉の夫婦は、7人兄弟の中で真徳の本質を一番直感的に分かっている人のような気がする。
レトロなものとか味があるものとかは多分真徳は絶対に目指してない。
もっと誰も見向きもしないものを選び、一見不毛と思われる真空地帯の中に突入して行く。
しかし手応えを体に覚えながら変わってく。
きのう義母さんがしみじみ話していた、生後結構早くにこの子は歩行しはじめたと。
言葉より先に勝手に自分の足で立って一人で行こうとするのは今と変わりない。
「誰にわかってもらえなくても構わない、というのが力の源だとおもう」と私も言った。


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展示見たあとは長勝寺。
真徳が滞在中一番お世話になったお寺である。彼の展示場所から一番近い所にある。
作品の一部として彼は香川の遍路と小豆島遍路の旅を二回したが、小豆島遍路の時に初めて訪れたという。
「最初はなんかうさんくさいのが来たなと思ったけどな。最近あまり見んチンドン屋が来たいうて。けどだんだん知るごとにな、これはええっていうんではまってしまったんやわ。しょっちゅう見に行かしてもらって、寄るたびにどんどん出来上がって行って、作品の最後の追い込みで初めて凄さがわかってもうこれは全力で応援しようってなったんよ」


何が伝わったのかは言葉では言えないが、確実に真徳の姿勢が響いたのだろう。
最後は彼の展示周りは長勝寺の方々の全面協力で、瞬く間に完成度を高められた。
「街全体で何となく餌付けしている野良犬」と真徳が言う言葉通り毎昼食お相伴に預かっていたそうだ。
遠くで何も出来ない自分からは、本当に頭が下がる思いで、何度もお礼を言った。
無口で自分から話すことは下手な真徳が、いつも人に受け入れられ大事にされることが嬉しい。
命懸けで生を生きてるということを、きちんと生を送る人に、見抜かれる。自分には出来ないことのように思う。
浮遊している。私という人間は。最後には信頼されもしないしさせもしない気がする。


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小豆島の古刹の樹齢千年以上のシンパクや蘇鉄を見て、精気をもらう。
特に、小柄な体に一生懸命パワーをみなぎらせる長姉にもっと生命力を送って欲しいと祈る。
大橋さん、越後さんの作品を見てフェリー乗り場に家族を送る。
最初にイチゴさんと勘違いしたせいで、家族内では勝手に越後さんは人気である。
両作品とも人をしんとさせるオーラがあってレベル高い。


出港五分前の船着場で、転がり落ちる様に私ら夫婦だけ車から降り、見送った。
自分にとっては二度目の島からの見送り。
池田港に寄せる二隻のフェリーはキリンの柄とパンダ柄の二種類あるが、義母さんたちはパンダで帰って行った。
白い朝の空気の中を出港した私の母、青い午後の海を出港した真徳の家族、どちらもそれらしいと思った。
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by meo-flowerless | 2013-08-03 17:44 |