画家 齋藤芽生の日記


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金峯山寺秘仏開帳

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桜に煙る、ではなく、「緑に燃える吉野の山」を訪れた。
トコトコと、短い近鉄電車が山河の中を切り分けて進む。
以前の関西の旅でも思ったが、近鉄電車の車窓風景はどこも、自分の夢の中の迷子感覚に近い風景なのだ。ここは夢で訪れたな、とよく思う。
奈良の山河。
陰鬱な山の緑、青黒い川の反射、やけに縮尺の小さい黒ずんだ木造の家並み。
物憂さと不穏さの先に、痛切な懐かしさが一本貫き通る。



東京でのある日。
電車の中吊り広告で、見たこともない青い肌の鬼神像三体の美しい写真を見た。
どこかの暗い堂内の闇。あやしく壮絶な色彩が浮かび上がる。
アジアのどこかの神々かと一瞬思ったが、まぎれもない日本の仏像らしい。



「金峯山寺」。修験の山奈良・吉野の、国宝級寺院の秘仏開帳だという。
あんな大きな、しかも晴れ晴れとした仏像が日本にもあったなんて知らなかった。
観に行きたけれども吉野は遠し.......と、遠く眺めていた。
が、勤め先の大学で、古美術研修旅行の引率として代理で「奈良に行け」とのお達しが。





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冬のような冷え込みから一転して晴れ上がった自由研究日。引率の同僚二人を誘って、吉野にやってきたのだ。
気心の知れた晴れやかな人達との旅で暢気なものだが、車窓の山陰が深くなって行くにつれ、言いようのない焦がれるような既視感に襲われる。
製材所、林業関係の廃れた施設、割箸工場、山のカーブ。
面影も遺さず廃材と化したそのままの廃屋、閉ざされたままであろう一軒の食堂。
そんなものが、迫った山肌と深い河との間に延々と続く。
そのうち、鉄橋を渡る為に電車はほぼ直角なくらいに急角度で曲がった。
対岸に見えていた割箸工場の奇妙な建物のラインが、手に取るような近さになり、また過ぎて行った。それも夢の中のようだった。


三角屋根に覆われた新緑の終着駅を出る。真っ赤なテントビラがはためく土産屋が、目前に。
吉野らしく「桜」ソフトクリーム等売っている。


ここから更にロープウェーで高所に上ったところに、金峯山寺がある。
私の記憶で最も小さい車体のロープウェーに、既に人が犇めきあっている。
係のおばさんがやたら数多くいて何度もベル短くならして、遅れて来る乗客を少しでも収容しようと急かす。小さいくせに三十人くらい収めギシギシいいいながら山を登るので、おっかない。
おばさん達は発車ベルをまたなぜか四回くらい余計にならして念を押し、ロープウェーを送り出すと同時に、裏の物置に何かの獣の死骸がある!と騒ぎながら皆走って行った。



緑は本当に心を濯ぐ。
遠い山の若葉や地味な木花の様々な斑が遠視の私には細かくぶつぶつと見えるのだが、それらが自分の細胞の一粒一粒を打ってゆくようで心地いい。
国宝の山門。修験の寺だからか、華美ではない。材の色が微妙で美しい。


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壮大な蔵王堂の中に出会いたかった不動達がいるのだ。修験の祖、役行者が修行の末に感得した蔵王のお姿だそうな。
しかし役行者自体があまりに伝説的で超人イメージがあるので、目前の立派な堂と直接結び付きがたい。



香の匂う段を上がって行くと、物凄くでかい蓮の花の飾りの向こう、さらに物凄くでかい!体の上に真青なお顔の乗っている三体が、生々しく姿態を決めている。
見得を切って停まっているというんじゃなく、青蛇が水の中からザバーと出てきた瞬間のように動きがある。
青黒い磨き抜かれた体に真っ赤な火焔を背負い、金の壮麗な首飾りが火の粉みたいに光る。
全体として青い炎のような印象で記憶される。
写真も撮っちゃいけなかったから、ここで見せられないが。こんな感じ。


しばらく口を開けたまま座って仰ぎ見た。
こんな青い仏像、見た事ない。ずっと緞帳の中に隠した本尊だからこそ、保てた色彩なんだ。
剥落した仏達の古色の神聖さとは、まったく違う何かがある。



昔からこの土地一帯、修験者達が山から山へと伝い歩く。
霧の中、水の上、岩肌の凡ての気配に感覚のすべてを極度に研ぎすませて。
疲弊し切った感覚の頂点、青々とした山頂でこの烈しい鬼神に対面したら、怒濤のようななにかに、精神が洗われるに違いない。
最後に一度手を合わせて、お別れする。


目的を果たし、私と同僚二人は思案に暮れる。
緑萌える伽藍の向こう、何か奇妙な法螺貝の法要をやっている。
変わった音楽だな.....と石段の下に目をやると、数人で法螺貝を吹く練習をしていたのだった。
ピゴーッっとか、プォンーッとか、どうりで間抜けな音だと思った。
法螺貝は、普通の人じゃ音を出す事さえ叶わないほど難しいという。


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様々なお店。法具を売る店も。神仏の混交した何かの鬼神のような像が置いてあったり。


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参道脇の料理屋の窓はどこも開放され、暗い鄙びた店内が青々とした光に染まっている。
せっかくだから、「吉野豆腐尽くし」を食べる事にする。
窓際の野草の緑も相まって、すみずみまで「清い」感じに満ちたお食事に、満足である。
同僚ふたりも端正な日本的好男子なので、更に良い具合である。


が、店のおばさんが彼等に、
「ご兄弟?」
とにこやかに話しかけ、応え終わるか終わらないかのうちに私を見て
「あ、もしかしてお母様?」
と言い放ったので、気分撃沈した。
同僚はあーあという顔をしながら、いやじっさい俺たち同い年すからね...とニヤ付いていた。
おばさんは最後まで恐縮し、ほんまににごめんなあごめんなあと繰り返した。



食事も終え、もうどうにも参道に用が無くなったので、土産屋を見るが、さしたる収穫も無し。
桜アイスをペロつきながらゆくと空地で、髭の長い仙人=団塊老人が、ガラクタものを売っていた。
仙人、いや、風来坊、自由人......格好は何となく、60年代アングラとロックを通り抜けたその後、と言う感じ。



ジュースの空缶で誰かが工作したらしいポンチな車の玩具が、目に飛び込み、ほしくなってしまった。
髭のおじさんが、私の鞄につけっぱなしだった名札を見て「東京芸術大学」と呟き、
「僕は岡倉覚三(天心)が、すきなんですよ。ファンなのです」
とインテリな雰囲気で言った。
「日本の歴史上屈指の、いや一番のと言っていいかな、美術人といっていいでしょう」
とまた彼は続ける。
私は、空缶で作ったボロ車のオモチャを手に、そういや私の立場はかの天心の後裔だった....と我が身を恥じた。
何となく唐突なので面食らっていると、影から、もう一人まったく同じような仙人が現れた。
またぎょっとしたが、「.....兄弟ですか?」ときいてみた。
いや、となぜか面映そうに口ごもってから、
「仲間で、一緒に店やってて」(段々似てきて遂に同じ顔になってしまった、と言いたげ)


結局そんなには値切ってもらえなかったが、ぽんこつ玩具を買った。
店を離れた途端、同僚のM君が
「こんなところでヒッピーだぜ.....吉野で、まさかの本物のヒッピー」と感嘆していた。
ヒッピー達の昔日の姿を想像してみて、結局、ヒッピーヒッピー言ってるM君こそ将来、同じようにいつまでも青年な自由爺になりそうだ、と思って何となく可笑しかった。


この日の吉野土産と言えば、ヒッピーの売ってた埃まみれの玩具二つだけだった。
しかし、宿舎の布団で瞳を閉じてもまだ、胸に迫るような緑や金剛蔵王の青さが、心にしみたままだった。
大学の仕事は普段はきついが、いつまでも青春の鮮やかさや胸苦しさを味わわせてくれるから良い。


仏像という「物体」、ましてや「美術品」としてだけそれらを見学して回る...そんな古美術研究旅行だったら、正直私の心には残らないと思う。
そこへ辿り着くまでの風景、空気、孤独、出会い。凡てひっくるめて初めて、自分だけの美の体験というものが出来上がるのだ。
それは古美術研修旅行専属の、仏師の矢野先生に教わった事でもある。



自由研究日をそれぞれの出先から戻り終えた学生達の顔というのは、どこか違うと、いつも思う。
それぞれの見てきたものの自由な色がはっきりと瞳に現れると言うか、生きた顔になっている。
古色で統一された仏像の尊顔のイメージとはまったくかけ離れた、蔵王堂の鬼神達が生々しい青い色の顔をしていたみたいに。
by meo-flowerless | 2012-05-16 03:04 |