画家 齋藤芽生の日記


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みずうみ原野

みずうみ原野_e0066861_21594496.jpg


多摩川や浅川のススキ野原が幼時の原風景としてあるせいか、
何もない殺伐とした荒れ地感覚に、憧れを常に抱く。


東京の外郭を沿うように走るその電車で、初めて三時間通勤した時の感動。
どんな季節でも常に冬枯れと薄日の中に茫漠と滞っているような、ほったらかしの荒野を、ぶっきらぼうに突っ切ってゆくのだった。


電車が最も長く殺風景にさしかかる枯草地帯が好きだったのだが、
何年も通っているうち、その広大な平野をブルドーザーが整地し始めた。
そうか、ニュータウン造成のための敷地だから空けっ放しになっていたのか。
ここが凡庸な住宅街に埋め尽くされるのは少々残念だけど、という程度でいつも電車から見ていたのだが、次第にマンションや大型商業施設がまだ人のいない土地に巨大な面積を陣取り始めた。


そして、休みを挟みしばらくぶりに車窓から見た或る日、びっくりした。
突然荒野の中にでっかい青い湖がポッカとあらわれていたのだ。
なんだ、この草木の影もない枯れ地にあの唐突な水分....
要は、人工湖を取り巻くように作られる大規模な居住街を作ろうとしていたのだった。



みずうみ原野_e0066861_21311040.jpg



やがて「レイクタウン」と言う名の新しい駅もでき、商業施設利用者も含めて結構な乗客が乗り降りもするようになった。
けれど、当然ながらそんなに早く緑の森や草花に覆われるはずもなく、依然、荒れ野原に突然現れた蜃気楼のように青い湖と高層住宅がぽつねんとある殺風景は変わらなかった。


ずっと気になっていたのだが、時間があったので、初めて下車してみた。


アントニオーニの`60年代の映画、『太陽はひとりぼっち』や『赤い砂漠』に出てくる無機質な高層住宅群や工場群の風景を思わせる、街灯のシルエットに胸がキュッとする。


弱々しい芝の上でそこだけ鮮やかに高校生が球技しているのがスローな映像作品のようだ。
高校生じゃなくて俺を見てほしいとでも言うように、ジャグリングの練習を一人でしている孤独な男の人もいる。
あまりに人工的な配置の街路樹の間を、目前の青い人工湖に向かって突っ切って行く。
ゲームの駒のように小さくファンシーな人影が、侘しくぼつぼつ水辺で戯れている。
水際までいくと、一応なみなみと寄せては返す水がある。申し訳のように水中から顔をのぞかせる二、三の岩もある。
湖の真ん中には中途半端な噴水。
誰の眼も手も届かぬような距離の向こう、水を噴き続けている。



みずうみ原野_e0066861_2534731.jpg




もう今日はたっぷりと空虚と孤絶と無言とを楽しんでいる。お腹いっぱいなくらい。
とぼとぼと湖をあとにし、延々と続く商業施設の横を歩き、ガードをくぐって、まだ造成していない駅の反対側の荒れ地に立つ。



すすき、枯野、ブルドーザー、灯の付いていない信号機、遠い道路高架。
そして、水たまりのような池と、二羽の陰鬱な白鷺。
人の住めない手つかずの土地なのに、道路だけが新しく何処までも平野の中を延びていて、何処へ向かおうとしているのか、その道を黙々とたどってゆく人もいる。


二つとなりの駅で、ふたたび下車した。
その駅舎も私が学生の頃には、荒野の中に埋もれていた。
ただ荒野の中なのではなく、上りホームと下りホームが恐ろしく離れていて、枯草と資材置場の遥か彼方に対岸が見えるくらいの感覚のシュールな駅舎だった。
駅前に何がある訳もなく、道すらあるのか疑わしい気がするぐらいで、
鉄道資材の作る無機質な影を全景にして遥か遠くに蜃気楼のように高層住宅群のシルエットが浮かび上がる風景が、無性に好きだった。
いっさいの理由のわからないほどの強烈な殺風景だった。
通りすがりの風景は、気になればなるほど深入りできないと言うか、十何年も私はその気になる駅で下車せずじまいで過ぎた。



そうしたらとうとう巨大な家具店『IKEA』が最近突然その荒野に出来てしまい、私の「荒野の果てに」の夢はついえた。



そのIKEAに訪れてみることにした。
若い乗降客が団地やマンションや商業施設に向け次々と列を作る金色の逆光の風景が、何故だが一瞬埃のなかの北京のように思えた。
日本の原野の中の、埃の中の、にせの北京的な光の中の、造られたおもちゃの家のような、「北欧」。



赤や白の原色の家具は遠い幼年時代の70年代の時代の夢を思い出させ、それなりに心躍った。
しかし自分が手に取って愛でたいと思うようなものはなく、というより見ることもせず、カフェテリアでやけに美味しいローストビーフを食した。
別段不幸せでもないのだが、何となくひとりぼっちで、溜息付きながら、
自分自身に対してメリークリスマスと早めに独り言を言ってみたくなった。
何も買わなかったが、カフェテリア特有の肉にかけるソースの「学食」臭のようなものが、もうそれだけで幸せで、満足した。


IKEAを出て、またひたすら殺伐の中を一人歩き、
かつてあの離れた駅舎を結んでいた緩い大きな立体交差の山を延々と上って、下りてみた。
そういうことの一つ一つがどうしようもなく意味がないことにとても悲しくなるのだが、
そういうある種の悲哀が、いまは何よりも欲しいものだったことを思い出した。



剥ぎ取って、埋め立てて、漂白して、塗装する。
DIYの精神で作られた人工のオアシス。
自分に懐かしい故郷の山河があるならばこの玩具の荒野は耐えられない風景なのだろうが、
本当にこういう場所を浮遊しているのが痛いほど身にしみる私は、根無草なのだとつくづく思う。

みずうみ原野_e0066861_21315347.jpg

by meo-flowerless | 2011-12-13 21:33 |