画家 齋藤芽生の日記


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涯バスツアー

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菜種雨の頃、鹿児島を旅した。親友と二人、理由も目的もない。今いるところからからただ遠くへ行きたかっただけだ。
友はどう思っているかは知らないが、私は、半眠の夢の中をまさぐるような虚ろな旅が好きだ。






薩摩半島のいくつかの土地を回ったが、交通の便がどんどん悪くなっているのか、殆どが一時間に数本の長距離バスでの移動だった。列車でも車でも大きな幹線が開通する恩恵の影で、誰からも忘れられて廃れてゆく町が日本にどれくらいあるだろう。

地方の長距離バスは、何となく青ざめて虚ろな感じがして良い。土地の人が黙々と生活の足に使う、抜き差しならぬ日常がある。電車ほど行楽的でなく、車ほど密室空間でもない、一番自分の「異人感」を感じられるのが、バスの旅かもしれない。

鹿児島市内の宿から、長距離バスに乗ってかなり離れた知覧の町に、日帰りで行く行程。
奇怪な意匠の庭を持つ武家屋敷の街並・知覧と、海からのカツオ風に吹きさらされる日本南端漁港の枕崎。そして気怠く廃れきった「日本のギリシャ」指宿温泉。全く風景も方向も違う三つの町へ行くのに、必ず鹿児島市からは同じ車道を途中まで通らなければならないらしかった。
それらの道の途中に必ず通る「平川動物園」というバス停があった。動物園の詳細は知らない。
町を外れたバスがやがて山に差し掛かり遙か下に錦江湾を見下ろす地点にそれはあった。海の絶景に気を取られ、そんなバス停のことは気にもとめなかった。が、動物園客らしき人なども特別乗降していなかった気がする。

墨絵のように厳粛でこぢんまりとした知覧の町。雨後の甘い冷気。
次から次へと続く美しい模型のように幾何学的な武家屋敷の庭が、奇妙な借景を描いていた。「不思議の国のアリス」のトランプ庭園を磨硝子の瓶底に詰め、武士の味を付けたような、静かな閉塞感と無人感。
白く乾ききって人のいない、一応「町」らしき車道沿いを延々と歩き、山頂の「特攻会館」へ。戦争時、無数の青年たちが特攻兵としてこの知覧で最後の時を過ごし、ここから各々の爆撃機で飛び立ったという丘。
二度と帰って来ぬ為の、行きの分だけの燃料を積まされて飛びたったのだ。
草の先まで追いつめられた虫が先端まで来てフッと飛び立つのを見るといつも、その羽の自由さからはかけ離れた言いようのない悲哀感を感じるが、こういう特攻機を思い出すからかもしれない。
幾千もの青年たちの軍服姿の遺影が陳列された異様な重い空気の中、外の静けさからすると意外なほどの人数の老人たちが、自分の兄弟か親戚かをその写真の列に見出そうと、館内を彷徨っていた。

夕暮、バス停には私と親友しかいなかった。
あの特攻会館で戦時中の思い出を密やかに語り合っていた老人たちは、みんなどこへ消えたのか。
これから二時間以上かけて鹿児島市内へバスで帰る。
虫のように目を光らせつつひっそりとバスが来て、私達だけを乗せる。
バスの中はなぜか妙に暗い緑じみた電灯だけがついている。運転手が、まるで自分の夕食時か何かと同じ感覚のように「春のセンバツ高校野球ラジオ」を車内放送で流し続けている。
疲れ果て、座席でいつしか眠りの世界へ。

ラジオの音響でたまに我に返るが、しばらく走っているらしいバスにはいつまでたっても私と親友の二人しかいない。親友も正体なく眠りこけている。
神隠しに遭うように、こんな時にふと異界へ連れ去られて行方不明になるのかもな、などと夢うつつで思っている。
二、三十分眠っていただろうか。信号すらないような延々と単調な山道を走っていたバスが突然止まる気配がして、また我に返った。
運賃電光表示が「平川動物園」を示している。
いつのまにか車内ラジオは消されていた。
乗ってきたたった一人の乗客を何となく振り返ると、コート姿の女性だった。特別その人の顔も見ぬまま、眼を窓硝子に戻す。
辺りは既に暗闇だった。

が、何となく気になった。
こんな山の闇に本当に動物園なんかあるのだろうか。
客の気配すらない架空の黒い動物園から、こんな夜にひっそり一人だけ乗ってくる女性。今まで闇の中で何をしていたのか。職員か。職員は一人だけしかいないのか。
あんな山と海の狭間の夜の中に残された動物。
それはこの世のものといえるのだろうか。
ふと考えが「現世」を外れた気がして、なんとなく慄然とした。
が、振り返ってもう一度その乗客の顔をちゃんと見てしまったら、この半眠状態の夢幻のような異界バス感が消えてしまうので、私はまたそのまま夢のなかへ戻っていった。

夢の中で思ったのは、六、七年前、夜行バスで新潟港へ向かっていた、雪の夜明けのことだ。乗客は皆眠り、私もバスのイヤホンラジオをつけたまま半分眠っていた。
イヤホンの中で、機械的な男のアナウンサーの声が言う。
「国道*号線で事故がありました。トラックが横転して薬品が流れ出し、一時通行止めとなっています。薬品は劇毒物に指定されている「リンデン」の為、回復にはなお時間がかかる見込み」
リンデン。私も使うポスターカラーの色。リンデンバウムのリンデンだから美しい若葉色なのだが、あの絵具も毒なのか。その道路に流れ出した毒は、美しく緑に光るのか。

とりとめもない夢からすうっと青白く覚め、窓の外を見る。一面に張りつめた夜明けの紫の雪の中、燐光生物群のような長い建造物の光が眼に飛び込んできた。
燕三条、TSUBAME-SANJO。新幹線の駅の凍りつくような電光文字が光る。
夜明けの米処。一面何の障害物も見あたらぬ雪の田が敷かれている光景。民家の影は遙か遠く、田の作業小屋、広告塔、鉄塔、未明の鳥だけがぽつぽつと黒い影を雪に刻んでいる。

涼しい光に眼がすっきりと醒め始め、乗客が眠りこけるバスの内部を見渡すと、前方に一人目を覚ましているらしい女の人がいた。コートを着ていた。
そのコートの女の人がおもむろに、次降車のブザーを押した。
こんな長距離バスに市内バスのようなブザーがあること、新潟港直通だと思っていたのに途中で降りるという人がいることに少し驚いた。
皆が眠り私と運転手だけが見守る中、音もなくバスは止まり、雪の中にコートの女はポツンと降り立った。
両手に旅行鞄と紙袋。トボトボと小さい足跡を雪の中に踏み入れる女の背を、バスは追い越した。
畦道のようなところを、まっすぐに、永遠に何処にも着きそうもない方角に向かっていく。
ぞっとするような、哀切なような、新鮮なような、茫漠とした薄暗い孤独感。
民家の影もない雪の田の中、こんなまだ暗い未明に一人でバスを降り、家人を起こすこともなくひっそり家へ帰るのか。
それともこれからどこかへ行くのか。

雪国のその人もコートだった。この九州の涯の、暗い動物園からも、コートの女だ。
誰も知らない果てへ向かうバスに、どこからともなく乗ってきて、どこへともなく降りてゆく人。
普段気づかぬ闇には、常にそういう存在があるのかもしれない。
そしてそのコートの影は、九州であろうが雪の新潟であろうが、おそらく同じ影なのだ。私達が気付かないだけで、いつでも彼女は、私達の人生をふと横切りながら、彷徨しているのだ。

窓の下には小さく固まった宝石箱のような漁港の灯と、錦江湾の夜の海。
一面白の雪の夢と、目前の南の涯の黒い海が交錯する。
「同じ人なのだ、そうに違いない」と思いたくて、バスの半眠夢の中、何度も慄然としていた。
by meo-flowerless | 2005-10-21 00:20 |