画家 齋藤芽生の日記


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十二月文庫の『悪魔のトリル』

十二月文庫の『悪魔のトリル』_e0066861_634930.jpg


今から十年少し前、池ノ上という町に住んでいた。
いつもライブ後の酔いのようなまったりした空気の下北沢から、坂を上がって下ってまた階段を上がる、夕陽が強く差す高台。



迷路のような東京の町の、あらゆる道の通り方を試し、迷子になりながら暮らした。
夜は新宿方面の赤い灯を反射し、いつも珈琲の底に沈んだような色の空をしていた。
家に辿り着く最後の坂のてっぺんからは真正面に小さく東京タワーが見えた。
ケーキに付いてるアンゼリカの砂糖漬けのような色に感じた。



閑静な住宅街の道の途中に、『十二月文庫』という小さな古本屋があった。
入り口はふたつありとても狭いが、中で珈琲を飲めるようになっている。
古い石油ストーブとやかんと、いつも同じ女の人が店番をしながら本を読んでる、恐ろしく静かな感じの店だった。
住んでしばらく家の近辺にそんな店(向かいも確か古本屋だった)があると気づかずにいたことが、かえって不思議に思えた。


はっとするような品揃えの本がある。いつもLPのクラシックを掛けている。
本の並びかたの、気取らない、ある程度雑味の混じった、けれど読み取れない複雑さ。
どういう趣味なんだろうか、とその店番の女の人に話しかけたいけれども、あまりに静かで、話しかけられなかった。
「孫娘が祖父の書斎の蔵書を大事に、その空間に埋もれながら、それでも思い出を少しずつ手放しながら過ごしている特別の期間」
という感じがした。


非現実感のある日暮れや、ぽっかり暇になった十五時頃に、恐る恐る一人で入った記憶がある。
しかも今のように多数の本を買い込んだりせず、じっと本棚を隅から隅まで眺めているだけのことが多かった。
色褪せた文学全集、ポケット判の心得書、一冊だけ何処かから拾ったような哲学書、編物の本、山の本....
他人が勝手に切り崩すのが惜しいように思える、そんな本の並びだった。



ある日黙ってまた文庫に入ると、『悪魔のトリル』がかかっていた。
バロック期のジュゼッペ・タルティーニ作、ヴァイオリン・ソナタ ト長調の通称である。
夢の中で出会った悪魔に魂を売り渡して手に入れた旋律だ、という逸話がある。
先日書いたミルシテインの楽曲集の中にも入っていた。初めて聴いたときには、その逸話のためでなくとも魔物的な何かを感じた。
捻切った吊るし紐を一気に説いて回転させる極刑の拷問みたいな、これでもかとトリルがつづく超絶難曲だ。
昔の少女漫画の中なんかの、難曲に取り憑かれ永遠に音楽家生命を奪われた怨念のヴァイオリン奏者が浮かぶ。



端正なミルシテインの演奏しか知らなかったが、十二月文庫でかかっていたのは、全く違う『悪魔のトリル』だった。
レコードのせいか、かなり前の時代の演奏に聴こえる。メロディーも思っていたのと違う。
或る瞬間、狂気の分岐点から破滅に突入して行く、暗いドライヴ感。



本の背を眼で追っていたのだが、次第に曲に集中して立ち尽くし、誰の盤なのかを店の女の人に聞こうかな、と思った。
ふと眼をやると、常連のような人と、静かに親しげにその人が話しこんでいた。
そういう瞬間の、自分のようにシャイな客の、あの何とも言えない塩辛い悲哀ったらない。
どうしてか、話しかけたい気持ちを引っ込めてしまい、レコードプレーヤーの付近にあるLPの文字をちらっと見るだけで店を出た。
白地に朱色と黒のシンプルな文字で演奏家らしき名が書いてあった。
しかし、ロシア文字だった。全く読めなかった。
大きいCD屋でいろんな人の『悪魔のトリル』を片っ端から探したが、有名でもマニアックなな曲ゆえ、あまり様々な人の収録したものが流通してないのか、ようやく2枚くらいは見当つけて買ってみてもその演奏家の演奏ではなかった。
それから4、5年は見つかりはしなかった。



ただあるとき、ふと、あの演奏者名らしきロシア語の8文字くらいの並びからすると、『オイストラフ』ではないかとようやく気づき、それからまた探した。
最終的にオンラインの輸入店で見つけた十枚組のオイストラフの中に、悪魔のトリルがちゃんと入っていた。
それをかけてみる一瞬前のちょっとしたふるえ!
結果、勘は当たってようだった。たぶん。
超絶ストイックなミルシテインがあっさりとすら聞こえる(好きだけど)、濃厚なオイストラフの、男の情念のトリルなのだった。
ただ、確信が持てるほど記憶は定かではなかった。
素人音感には多少自信あるのだが、さすがにあの数分のシャイなちぢこまった耳に入ってきた音は、細部を確認できるほど覚えちゃいなかった。
もったいなくて、頻繁には聴かないことにした。
聴かないうちに家も仕事先も変わり、十二月文庫にも行かなくなって、また数年が過ぎた。



先日のブログに書いた「学生時代の変奏曲好み」の話題から、ミルシテインを思い出し、悪魔のトリルを思い出し、オイストラフをひっぱりだし、聴いてみもした。
そしてあの、YOUTUBEという現世の悪魔の魅惑でつい『悪魔のトリル』を検索してしまい、
あれっ.....?と、数年のオイストラフ幻想を覆しそうな演奏に、出会ってしまった。
ヴァーシャ・プシホダ。
パガニーニの再来と言われた技巧の、チェコ出身のこれも天才バイオリニストの演奏。



支離滅裂になる一歩手前の脱線。この妄想的ボヘミアン具合。
かなり活動感のある悪魔である。
またしても最初に聴いたのとは全く違うメロディーだ。というよりもはや完全に違う曲に変化して行く。楽譜を見たことがないけれど、本当は最後の部分、どういう曲なのか。
このダブルストップとか私には絶対ひけるわけない重音トリルの連続箇所は、楽譜も真黒に見えるそうである。



あのとき聴いたのはひょっとすると、この人だったんじゃなかったかという思いがよぎる。
曲の流れ自体は多分このオイストラフ版と同じだった記憶なんだけどなー....しかしなんか奇襲攻撃みたいな驚愕感はこのプシホダという人に近かったような....今思えば会場の拍手も入っていたような.....
店の女性に尋ねることもしなかったあの日の自分に、蹴りを入れながら、どうせならちゃんと記憶してなよ、ともう一回問いたい!
これを機にまた、あの十二月文庫の悪魔的/悪魔のトリルを捜す日々が、はじまるな。



いいのだ。誰のでも。
聴きながら眠りに誘われ、夜ごとに別の悪魔に逢える。



自分の音源から作ってたので画像は何も映らないけど、音だけ。真黒になるくらい複雑な楽譜のイメージってことで。
最後の部分がこれだけ違う。最初がミルシテイン、二番目がオイストラフ、三番目がプシホダ。
各3分ずつくらい。



     


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おまけだ!私の永遠の名曲もう一つ、バッハ『二つのヴァイオリンのための協奏曲 第一楽章』。
もう小さい頃からこれに憧れてこれに憧れて....。
「短調、追いかけっこ、バッハ」という私の鉄板三拍子が揃った、華やかな曲。
狭い家の廊下のちょっとした反響音でホールで弾いてるつもりになって、まずへたくそ第一バイオリンをカセットに録音して、それに合わせてまた自分でへたくそ第二バイオリンを弾く喜び。
でもリズム感がないので、第一バイオリンの私は早すぎるのだ。「はやいよ!あたしめ!」と怒りながら付いてく第二の私....


中学生の時、発表会の曲を言い渡されるとき、『二つのヴァイオリンの....』ときき、色めき立ったが、第二楽章のことだった。それも美しいけどね!
もう十年くらいヴァイオリン弾いていない。淋しいことだ。ヒケナクナッテイルダロウ。


メニューインとオイストラフという凄いのがあったので、こっそり拝借させて頂きます。
よくよく聴くと二人のテンポが必ずしも一定ではない部分があって、それゆえに何か、良いです。


by meo-flowerless | 2010-12-02 17:13 |