画家 齋藤芽生の日記
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神保町徘徊
神保町での戦利品。『ミセス全集7 くらしのセンス』文化服装学院出版局 昭43
1000円だったが素晴らしい、ハードカバーの本。
『ミセス』はうちの母も昔買っていたファッション雑誌だが、その連載コラムなどのアンソロジーなのだろうか。
他にファッション、料理などの巻もあったが、これが一番欲しかった。
コラムの内容は、「私信、贈り物、紅茶のもてなし、夫の母、哀しみ、髪の表情、唇、眼鏡、微笑、うしろ姿。ポーズ、印象、人形、宝石、家庭博物館、辞書好き、絵ごころ、綴る、旋律、花作り=東洋蘭、カラジウム、活ける、旅情、小さな旅、海、町、家事とは。捨てること、機械、季節前の一日、太りすぎやせすぎ、ミセスの憂うつ、たばことお酒、眠り、行きつけの病院、捺印、プライバシー.....」
生活に関するありとあらゆる心得と切り抜けのセンスへの言及。
執筆陣は渋沢秀雄、江崎誠致、土岐雄三、佐藤愛子、三浦朱門、有馬頼義、中原祐介、深尾須磨子、尾崎秀樹、竹西寛子、白州正子、福永武彦、加藤秀俊、星野立子、なだいなだ、邸永漢....等々。
母にあげることにした。
盟友ZCと久しぶりに回遊。彼女は高校の同級生だった。
最初は銀座で待ち合わせたが、神保町を結果的にうろつくことに。
高校の時はせいぜい、席が近かったので授業中に無駄話をする程度の間柄だった。
急速に近い存在になったのは数年前、ニューヨークのギャラリーでのグループ展に参加することになった、その時のことだ。
他の参加者と別スケジュールにさせていただき、私は自分で滞在先を探した。
折しもその当時、日本での私の画廊での個展時に突然来てくれたZCが、日頃はニューヨークに住んでいるということだったので、転がり込んだのだった。
わずか数日のことだったが、彼女に案内してもらった(&何日かはサバイバルのため放置された)ブルックリンの日々は、あまりに濃厚で忘れられない。
すぐにここに書いたりできない思い出である。
十数年のNYの暮らしにいったん片を付け、彼女は今日本で音楽活動している。
私は彼女の作る音楽教材の、挿画の仕事をさせてもらったりした。
この教材の音源は、素晴らしい内容。子供向けと言いつつ、大人にとっても聴き応えがある。
お互い忙しくて会うとしても短時間だったりしたのだが、久々にゆっく東京歩きしよう、ということに。
銀座をぶらぶらするが休日ゆえ歩行者天国は人が多く、とらやも千疋屋パーラーも混雑が見込まれた。
たまの贅沢に、とハーゲンダッツの高級版カフェのようなとこに何分も並んで入った。
アイスクリームの豪華二千円コースにお澄まししていた私たちだが、長居すると次第に素地が出てくる。すましていられなくなる。
次第に、高級すぎる店の作り等に一言二言違和感を口にするようになる頃が、店の出どきだ。
団地育ち、教育的両親、左翼的雰囲気、芸術志向、国立という町、驚くほど共通する幼少時代を持つ同い年。
高校の頃は部活の話や先生の噂くらいしかしなかったので、かつてはお互い共通するバックボーンに気付かなかった。
今は、悩みも、時代に対する違和感も共有できる、不思議な間柄だ。
会話の行き着く先は大体、自分たちの価値観は今の世の中の王道に対しては圧倒的に少数派かもしれんと言うこと、
その挫折感敗北感を軽くすっ飛ばして、もう何を後ろ指さされても好きに生きようよ、という宣誓のようになってくる。
瀟洒なカフェの二階から、向かいの靴屋の二階部分の窓があけすけに見えていた。
靴職人の若者が、靴に囲まれ、小さな工房に机置いて、修繕の仕事をせっせとしているのが見える。
「あれだよ、あれが『幸福』だよ」
としばし感嘆の目で、勝手に二人で見とれる。
この洒落た雰囲気の中に浸かっているのは何となく落ち着かぬため、タクシーで神保町まで夜の東京観光。
私たちの掛け合い漫才に時折タクシーの運転手が笑っている。
日本橋について運転手さん含めトリオの語りになってきた辺りで、駿河台下、一軒の古い作りの古本屋の前につく。
「アッ、ココで止めてください」
コンパクトで綺麗な建築書専門店だった。私がいずれ欲しいと思っていた本は大体古本から新刊までそろっていた。
彼女も母上が建築関係のせいか長い時間本を探しまくっていた。
銀座より、どうも神保町は、私たちと相性がいいらしい。腹を空かせているZCも、
「ご飯どころじゃない、本見たい、もっと店回りたい」というので、閉店時まで夕暮れ迫る街並を古書探して歩き回った。
夕食は、混んでいたが『さぼうる』で。私にとってはごく親しい少数の人とのいざというときの食事店である。
ここは時が停まっているというよりは、変わらない時間を提供してくれる店だ。
何でこんなにもいまだに60-70年代なんだろう、と思うが、客も素晴らしく自然に、昭和そのままの時間の中にいる。
木でできたギシギシ言う内装の狭い店内いっぱいに人がひしめき、ドライフラワーやアイヌの木彫りや民藝こけしや古い土産物が雑多に並ぶ暗い灯の下、
グラシェラ・スサーナの「アドロ」やら「夜霧のしのび合い」が響き渡る。
ZCの哲学者祖父と私の教育的父が、似たような教育を私たちに施していたという話、
私の世代の丙午的な何かの話(ホリエモンやらイチローやらキムタクやらと同世代のメンタリティについて)、
少女の頃、国立の銀杏書房で偶然どちらもが目を付けていた、塗絵や着替絵本や「匂いの出る絵本」の話、
自分たちの「表現」に対する姿勢、のようなこと。
前にも食べたナポリタン、ピザ、それにバイオレットフィズがあったので、二人で頼んだ。
数日前に「バイオレットフィズもどき」の記事を書いたが、本物を飲むのは初めてだ。
スミレの香りのする紫のリキュールを、ソーダと柑橘で割ってある。
飲み干し、ZCが一言
「幸せだ...」
幸せというものは、私や彼女にとっては「本物」に付随して存在するものだ。
名誉とか財産ももちろん魅力的ではあるけれども、仮にそれを手にしたところでストレートな幸福を与えてくれる訳ではない気がする。
何についての本物でもいいのだが、ああこれは本当にいい仕事だ、とか、密度があるとか、他にはない、とか思える瞬間なら、なんであっても幸福を感じる。
彼女とは、いつも「本物」とはなんだ、という話をしているような気がする。
自分たちのことを買いかぶる訳ではないが、でも少なくとも時代の言いなりになって模倣の中で軽く出てきたものか、
時代が過ぎてもはっきりした骨格を持って残るいい仕事か、というぐらいの眼は、ある気がする。
いい仕事をしようや....とまた、暗い照明の下の宣誓になって、夜は更けた。
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むかし国立の大学通りの洋書屋、銀杏書房で確か買ってもらった幾何学ぬり絵である。
実物は実家の本棚の奥底だろうが、同じ物がまだアマゾンで売っていることにびっくりし、買った。
私と母はよく塗り絵に興じていたが、母は性格上キャラクター物やサンリオなどでは飽き足らず、
コンパスや定規を使いやたらジオメトリックな手作りぬり絵を作り始めたことがあった。
私はそれが楽しくてしょうがなくて、「クーピーペンシル60色」で塗りまくった。
いま、自分でつくろうともするが、私はあまりうまい図形が作れないので、明日母にもう一度作ってもらおうかなと思っている。
by meo-flowerless
| 2010-11-23 01:21
| 本