画家 齋藤芽生の日記


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夢のミルクホール

夢のミルクホール_e0066861_283228.jpg


「ミルクホール」という言葉を初めて小説かなにかで見たときに、なんていい言葉なのだろう!と思った。
それは明治時代発祥の、牛乳を飲ませる喫茶店のことなのだが、小学校で無理矢理飲まされた牛乳とは絶対に違う、甘い冷たい天上のミルクを想像してしまうのだった。


同じように「水菓子」という言葉。乾き菓子と区別した生のフルーツ等の呼び名だが、消えてしまった日本の夏の塵、埃、光と影のすべてがそこに凝縮しているみたいな涼しさがある。


夢のミルクホールで飲みたい、私の中での極上の飲み物達を集めてみた。
もう二度と口にすることはない、もしかしたら夢だったかもしれない、あの日の喉の潤いと、甘さ。
思わずごくりと唾を飲み込む、すてきな甘露のご紹介。



○拓殖大学プールのメロンソーダ

住んでいた団地は、東京、山梨の境の山地にあった。
谷間の街道を挟んで手前が漂白された人工の集合住宅群、すぐ向こうは高尾山に連なる暗い山影だった。
遠い私立の小学校に通っていた私は、付近に遊び相手がいなかった。夏休みも、団地内の公立小のプールに行く訳に行かない。

隣の山陰の中腹に白い建物群が見えるのは、拓殖大学のキャンパスだった。
夏、父が、そこのプールの開放日に私を泳ぎに連れて行ってくれた。
そんなはずもないと思うのだが、泳ぎにきている人はいつも、何故か誰もいなかった記憶がある。
しんと水音のこだまする山峡に、父と私の、会話もまばらな二人貸切りの夏があった。
東山魁夷の暗い緑の山中に突如、ホックニーの明るいプールサイドが開ける。そんなシュールな感じ。
泳いだあとはそこの自販機で『トレッカ』のメロンソーダを飲んだ。
静寂を占有している清々しさと孤独とが入り交じった心に、どこまでも濃い透明の緑の液体が沁みて行った。
あのときのあれよりも、深く甘く物悲しい飲み物は、私にとっては他にない。
プールの水も深緑のメロンソーダで満たされいて、その激しく冷たい炭酸の中を、いつまでもいつまでも自由に泳ぎ回っていたような気がする。


○竜舌蘭の白濁酒

引っ越した一軒家の裏は川だった。鬱蒼とした夏草の河原沿いを、夏休みは当てもなく毎日歩いた。
何となく夕闇が重たいな、と思う日には、空の下の方にぞっとするほど大きな赤い月が出る。
赤い月を背に巨大な鈴蘭のような植物が生えている。
勝手に私はそれをたぶん竜舌蘭だと思った。ほんとはユッカ蘭なのだが。
褪せた乳白色、肉厚なカップ状の花は、何か母乳的な、麻薬的な、白酒のような液腺を持っていそうに見えた。
あれはきっと飲んだら美味しいだろうと思った。
いつしか私の中で、最も理想の空想飲料の味は、練乳が酒になって甘く甘く凝固する寸前の、白濁した竜舌蘭の蜜の味なのだった。

大学時代書いた小説『剥落園名所巡り』の中にも、幻の酒としてその飲料が出てくる。
竜舌蘭は実際本当に糖を煮詰めて菓子にしたり、テキーラやメスカルなどのメキシコのお酒になるということをを知ったのは、結構最近だ。
あ、やっぱりそうなのだ、と不思議だった。


○カーネーション牛乳

千葉に昔から住んでいる方には聞いてみたい、カーネーション牛乳の存在。
1970年代の終わり頃である。飲んだことある人に、確かめてみたい。
今でも夢でうなされるほど迷ってしまう、碁盤の目のような、似たような家並みつづく迷路住宅地。
千葉市のある町に従姉一家は住んでいた。
たまに親と訪れ、一人っ子の私は従姉達と遊んでもらうことが、非常に心躍ることだった。
ある時、私だけその家に置いて、両親は東京に帰ってしまった。
小さい私の初めての外泊で、伯父と伯母は川の字の真ん中で寝かしつけたはずの私が夜中もピッカリ目を見開いて眠れずに居るのを、半分笑いながら必死でなだめた。
静かな私の母と違って伯母はよく喋る人で、朝食のときもあれを食べろこれを食べろといろいろいうので私は若干緊張してしまった。
その食卓に、桃色の字に赤いカーネーションのイラストが書いてある「カーネーション牛乳」というパックが置いてあった。
何と、なんと、美味しそうな飲み物だろう、と思った。
飲んでみると、苺ミルクよりもう少し薄い桃色で、梅味とも桜味ともつかぬすーっとした薄甘さが牛乳に一筋混ざったような味だった。
その牛乳を飲んだのはあとにも先にもそれきりだ。

母がよく風呂上がりの顔の火照りを鎮めるのに使う、「資生堂カーマインローション」を見るたびに、飲めないけれど、仮にに飲んでみたら、カーネーション牛乳の味だったりして、と思った。
瓶を振って白濁させる粉っぽさ、薄甘いパウダリーな匂い。少し青みがかった薄桃色の、磨りガラスの中で冷えている化粧水。
そのローション自体も非常に懐かしく、もう一度手にしてみたい。


○スーパーマーケットのバイオレットフィズ

八王子のNという町は、三本の川の境に広がる広大な荒野の河原を含む、少し場末感の匂う町だ。
私の家からは若干離れているが、少し冒険をしたいので、あるとき母と自転車で遠出した。
絡まり果てた夏の蔓、木々の荒れはてた中に、誰かの不法の畑や家があった。
棄てられているのか駐車しているのか分からない産廃用トラックも沢山あった。
人の出入りのない養鶏場からの臭気が、草いきれに混じった。
唐突に人工的な高速道路の付近にバイパスがあり、ぽかんとたたずむ角のスーパーマーケットで、のどを潤すことにした。
チープな白い椅子が投げやりにおいてあるスーパー内のスタンドに、何故か「バイオレットフィズ」なんて洒落た飲み物が置いてあった。
本当のカクテルのバイオレットフィズではなく、アルコールも入っていないスミレの香りもない、しかし妙に魔性のある気がする炭酸水だった。
何かに化かされているような、夢の中の飲み物のような気がしてきた。

スーパーレジの脇によく置いてある、300円くらいの安っぽいミックス花束がここにもあったが、
そのうちの一つをよく見ると、内側が白、表側が赤の、珍しい花びらの薔薇だった。
その頃良く眺めていた園芸書に載っていた「ラブ」と言う名の園芸種の薔薇によく似ていた。
よその高級花屋でもあまり見たことがない。さらに、狐につままれている気がしてきた。
今でもあの町は何となく禁忌感のある場末であり、行ったら行ったで、時空歪んだ道を一本勝手に増やされ迷わされるような感覚がある。


○ミルクピッチャー一気飲み

フェルメールの女が絵の中で注ぐミルクも美味しそうだが、もっと飲んでみたいのは、喫茶店でミルクティー用についてくる、極小の銀のピッチャーの中のミルクだ。
アイスティーに混ぜて結局飲んでしまうのだが、あのミルクだけ、きらりと冷えた銀の小さな容器に口を付けて飲んだら、きっと牛乳でもなく、クリームとも違う、ミルクセーキの一歩手前のコクのある、不思議な乳味がしそうなのだ。
が、その行為を実際行った方がいらした。
親友H君が、どういう理由がお義父さん(舅)とちょっとした日本行脚の旅をしたことがあるらしい。
私も知っているが、ごま塩頭の、古き良き日本の父、という感じのひとだ。
何度も外食でテーブルを挟む中、H君が面白いなあとつくづく思ったお義父さんの癖は、出されたアイスコーヒーのミルクピッチャーを、まず必ず最初に一気びクイッと飲み干してしまうことだそうだ。
H君もミルクを使いたいと思おうがなんだろうが、お義父さんがミルクの一気飲みするので、とうとうその旅中、ミルク珈琲もミルクティーも飲めなかったという。


○スミレ珈琲

国立市の私立小学校に通っていたのだが、入る迄はお受験をさせられたのである。
子供が通う受験塾のようなところに通っていた。
一橋大学の学生の匂いのする国立の大学通を、イメージトレーニングで何回か歩かされもした。
小さい私の脳には何となく切ない孤独な日々でもあった。
けれど大学通の、洋書ばかり置いてある銀杏書房で西洋の着替人形を買ってもらったことや、紀伊国屋スーパーで舶来の「スミレの砂糖漬け」を母が買ったことは、今でも心躍る思い出だ。
小さなアルミの白いタブレットケースには、1900年代初頭風のクラシックな黒のアルファベットが印字してあり、ペン画に紫の着色の菫の絵が書いてあった。
濃紫の四角く小さな粒は、噛むと、頭の中いっぱい香水のような海草のようなあのスミレ独特のにおいで満たされるような、苦い強烈さがあった。
子供の時はなんでこんなものを、と思ったが、今、無性にあれに憧れる。
茶や紅茶でなく、珈琲に数粒落とす、そんなのが似合う大人になってみたかった。
珈琲を飲まぬ人に育ってしまったが。
by meo-flowerless | 2010-11-04 02:26 | 匂いと味