画家 齋藤芽生の日記


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東京マケット

東京マケット_e0066861_2254993.jpg

油画科の一年生に『東京マケット』という課題を出した。
一ヶ月の期間で、各自東京の自由な場所と歴史などをリサーチし、自分にとっての東京を立体模型=マケットに表現し、更に東京のイメージを平面作品に展開するという課題。
実体験、三次元のシミュレーション、二次元への解釈、を三本立てで盛り込んだのである。



一見難しそうに見えるが、そんな難しいことを要求するのではなく、
とにかく歩いて、感じて、手を動かして、考えて、というフル回転をしてもらいたかったのだ。



が、課題を出してみてから私の懊悩と迷いが始まった。
やはりこのてんこもり状態は難しすぎるのではないだろうか。時間が足りないんじゃなかろうか。彼らにとって何の価値ある経験にもならなかったらどうしよう、と。



以前の記事にも書いた『隅田川展』企画でも、母校の大学院生から学部二年までの選抜メンバーに東京隅田川流域をリサーチし、作品を作ってもらった。
が、同じように出品者としてリサーチした自分の苦労とモタツキと迷妄を身にしみて感じていたので、これらの「リサーチから作品制作」という一貫した流れに難しさも感じていた。



『東京マケット』の課題では40人超の学生の作品講評を二日間にわたって私一人で行った。
本当は第三者を作品講評会に入れた方がいいのだろう。
私の一面的な感想だけを五分やそこらで言い放つことは、頭も感性も若すぎる彼らにどんな傷を与えぬともしれないからだ。



立体模型と絵画の組み合わせによる『東京マケット』課題作品群は、一見ぎごちなく、少ない時間でアガききれなかった、苦悶と失敗の後が残っていた。
完成度よりも、思考と試行の密度を求めていたのでショボくてもしょうがないとは思っていたが、もし彼ら自身による話を一人一人聞いていなかったら私はつい、バッサリ美的観点技術的観点で作品をけなしていたかもしれない。



が、彼らが一つ一つ確認するように語る自分なりの体験、東京の把握と掴みがたさ、生活圏としての私的感情などをひとつひとつ聞いていると、逆にこっちが授業を受けているような、ぐいぐい引き込まれるような気分になった。
彼らが課題の中で、手を動かすことよりも、体験と思考にかなりの比重を置いていたのが解った。
ある学生は東京中の高速道路という高速道路の高架下を一夏かけて歩き、ある学生は澱んだ神田川の水面をひたすら見つめ、ある学生は生活圏の新宿繁華街を通して自己の見える一歩手前で立ち尽くし、東京郊外のベッドタウン、秋葉原、高架下に今も残るバラック、神田秋葉原の再開発、いろんな東京の姿がそこに見えて、そちらの話の方が、生きる視線の密度を孕んでいた。



我が身を振り返ると、『隅田川展』の自作品には、私のこの夏の浅草体験の濃厚な密度は、表現しきれなかったと思う。
あんなに激しく歩き回り思考した夏だったのに。
体験が即そのまま作品のネタになるほど、体験というものも作品というものも軽々しいものではないのだ、と身にしみて自分で感じる。



もう一つ私がこの展示で苦悩したのは、企画者として出品者として、誰に見せるのかという問いに最後まで自分が正直な答えを出し切れなかったことだ。
もっと正確に言えば、市民との対話とか、美術市場への売込とか、美術という枠組みを超えた場の生成などといったなんらかの展覧会戦略をする以前に、私の人生自身が浅草という一つの内的風景にのめり込んでしまったのだ。作品と私、という問題に没頭してしまったのだ。


何か一つの展覧会戦略に学生の作品制作を乗っけたくなかったという実情もある。
作品という問題を語る上で徹底的に「個」の内面から始めなければ気が済まない私の癖と、観光促進の一翼を担うというミッションが闘い、混乱が私の中にも外にもおこった。



一つ明快な提示があるとするなら、結果的には隅田川も東京も、作る私たち本人の人生のためには確実に立ちはだかった場所の記憶だったということだ。
「自分のため」という一方通行の回収だけでは、展示行為の発信者として弱いということを頭では解っていながら、しかし、それでいいじゃないか、とも言いたい。
社会に何らかの意味をなす目的で作ろうが、自我の内部に盲目的に没頭した作品だろうが、受手も様々な人生を背負った人間である。誰の感性に何がシンクロするのか明確に操作などできない。
表現の行き場のどうしようもなく見えづらい霧散に悩む私自身の、時代に対する正直な心の現れでこれらの企画を貫いた気がする。



考えてみれば私的な世界に唾吐きかける一部の文化の風潮に、真向から相反するような世界である。
しかし、私的世界を肯定に肯定しまくりたい私がここにいる。
表現は社会のために在るだけのものでも、自分のためだけに在るだけのものでもない。
個人的な語り口が、社会の風とたった一人の誰かと、どちらをも同時に満たすことことだってあり得る。


......と信じる。




作品を人に見せる目的と、作品を作り出してしまう私の生とは、必ずしもパラレルには行かないのだ。この苦悩を私は一生生きるだろう。


そして学生達の幾人かもやはり同じような苦悩に突き当たることがあるだろう。
突き当たらずにスーッと時代の一部の波に乗っかる学生はもう多分ここいらで道を違えるだろう。


本当に何のために私は生き、何で歩き、何で感じてしまい、この感覚は一体どこに行くんだろう。
私の作品は誰のためにどうして在るんだろう。何で作ってしまうんだろう。
誰が受け止めてくれるという何の確約も保証もないのに私は生まれてきて、そして、生み出す。



講評を終えた翌日の夕暮れ、疲れた体を引きずり東京駅のホームに立った。
ぼんやりと、いくつもの白い光のグリッドに細分化する万華鏡のビル群を眺めた。
今まさにあのオフィスの中にいる私と同じサイズの人間、あのビルの裏にある今という時間。
とりとめもない微視的巨視的想像。
社会の中にいながら社会の何者でもないかもしれない焦燥。目の前にある風景に何ら関わっていない惨めさ。
人が作り出し人が守っているとはとても思えぬ都市の膨張。逆に、圧倒的なそれにのまれていたいエクスタシーのようなもの。
そんな妄想にくる日も駆られつつどうしようもなく居場所を求めて東京中を徘徊した青春を思い出した。
このどうしようもなさと同じ彷徨を、あの一年生達ももしかすると一人一人していたのか。
そう思うと、それぞれの風景と体験が腹の底に重い鐘をつくように響いてきた。




「東京、と言われてもなかなかピンとこなくて、とりあえず歩いてみた」
そういう学生が多かったように思う。
私も学生になりたての頃は、東京の東京たる表情なんてイメージを全く持たずに、ただそこにある雑踏に巻かれていた。
しかし次第に、他者を知り、孤独を知り、生きることの難しさを知るようになって、突然「東京」が在る人格を持った顔のように表情を持って見えてきた時期があった。
そんな時、東京をモデルに、あるいは様々な都市の顔をイメージの源泉に、作品がふとできた。
今改めて思えばあの頃、都市たち風景たちが見せたと思った表情は、そのままそっくり自分の茫然とした表情だったのだと思うと納得できた。納得し、意味もなく切なさにかられた。



『東京マケット』という課題を出したのも『隅田川新名所物語』という企画を行ったのも、元を辿れは私の奥底の切実な願いなのだろう。


「情」景が表現としてシンプルに観る者の人生に突き刺さる、そんな表現の土壌の復権を想っているのだ。
だからまず受手の反応や社会に対する効果を考えることより先に、作り手の情を動かしたかったんだと思う。
不況であろうが、非効率的だろうが、何の徳にもならなかろうが、何の役にも立たなかろうが、銭にならなかろうが、
美しい体験を美しいと素直に言いたい、孤独感を誰かに告げたい、そして受け取る側にとってもそういう他者の自我の陰を認め自分の陰をも許容したいという、誰にも邪魔されない静かな感情の出入口が、まだまだこれから先も、美術や文学や音楽を通してであってほしいからだ。
by meo-flowerless | 2010-10-31 02:58 | 絵と言葉