画家 齋藤芽生の日記


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françois de roubaix /フランソワ・ド・ルーベ

françois de roubaix /フランソワ・ド・ルーベ_e0066861_421792.jpg


少々の長旅、宿の部屋に洗濯物干したりするのにも慣れた頃。
深夜聞く異地のラジオやテレビの雑音に、突然、旅愁の寒気を感じることがある。

自分の帰属も名も忘れ、突然ぽつんと点のように孤立するのだ。

現代の曲を流していても、遠い昔の曲のように聞こえる。
自分だけ急速に年老いて、今という時を恐ろしく遠い彼方に押しやってしまったような妙な寂寥。



記憶喪失に近い放心状態の目に映る、他人顔の青いブラウン管。
何言っているのか解らない異国語や方言の、名調子のアナウンスの催眠術。
雑音、空気の抜けたような軽さ、妙な深刻さ、けだるさ、
それらが一定の虫の音テンションの中に、模様のように織り込まれ、淡々と続く入眠感覚。


怒濤のように流れてくる不可解な言語の発音、文化の雑音。
全くの他人達の凡庸な日々の積に、そしてその中で孤立しきっている自分という存在に、
気付いてしまう、それを旅愁と呼ぶんだろう。


物凄く懐かしいのに全然親しませてもらえぬ、土地の音楽たち。
流行音楽にもその土地土地の引きずっている時代感覚のズレが各々あり、
さらに自分の存在する時間を曖昧にさせる。
共産圏のださいロック、ごく普通にラジオ番組のジングルに使われている古くさいミュゼット、日本の漁村のお昼に響き渡る『恋はみずいろ』。


私にとって、旅愁は、生きてることの愁いよりも、死(非在)の不安に似ている。
その不安が呼んでくる説明できない痛烈な哀しみが、実は好きだ。
その不安感は、場所の喪失感よりもむしろ、時代の喪失感と深く関係している。
土地が変わるたびに、時代のテイストが混迷する感覚に呑まれ、
そしてどんな時の流れにも全く関係なくいる自分の非在感に、
揺さぶられる。


フランソワ・ド・ルーベの映画音楽は、柔らかく、エレガントなのに、
そういう種の旅愁の、ぞっとする戦慄と、遠さの感じを持っている。

そして洒落たアレンジでも、明るい曲調でも、優しいメロディーでも、そこはかとない死を感じる。
使われた映画のイメージのせいなのか。青春の客死。
それは不吉というよりも、美なのかもしれないけど。


初めて彼の音楽を聴いたとき、日本の自宅に居ながらも、孤独な時空を夜間飛行できた。
物凄く遠く帰れない旅先のラジオで聴いている感じ。
タイムスリップし、平和な古き良き時代の洒落た流行音楽に耳傾けながらも、
実は私だけ一人未来の殺伐とした行末を知ってしまっているような、淋しさの錯覚。
醒めた近未来の感覚。


音楽ではないけれど、
アフガニスタンの60年代の写真...ヨーロッパのハイソな近代都市みたいだった頃の写真を見た時の、
驚きと寂寥を思い出す。
今のテレビに映し出される瓦礫と砂と信仰との黄色い空気とは、
似ても似つかぬ街路樹の緑、カラフルな帽子やワンピース。
サイケなミニスカートをはいたビンラディンの娘達の写真とか。
時代っていったいなんだろう。人にとって文化っていったいなんだろう、と言う。
どちらがいいかとかではなく。

小さなシェルターのような光の玉手箱に守られた平和と夢の時代、経済成長期、
それを一回素手から落としてしまったあとの地球の荒野を、現代の私たちはもう知ってしまっている。


いまでもときどき、
枕元の灯とラジオだけが生存感覚を残す、孤立した秋の夜長に聴くのだ。
小さい電子音の60-70年代ぽい冷たさ。まだ人が完全に絶望しきっていなかった叙情。
宇宙が少し近く思えながらも、世界はまだまだ遠かった頃。
電子千一夜な頃。ジェットストリームな頃。若者が口笛ふいた頃。
科学の毒気が匂いながらも、まだ時代が壊死していない頃。

なんて自分は遥か遥か遠い彼方に旅をしてきてしまっているんだろう、と迷子になる夜に。


極めて物静かだった、ハンザムなド・ルーベは、海を愛して、1975年、
36歳で、海にのまれて事故で死んだ。




by meo-flowerless | 2010-09-11 04:28 |