画家 齋藤芽生の日記 Twitter/ @meosaito


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岐阜日記


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春は久々に旅に出かけようよ、と夫に誘われたが、金欠と休息を理由に「一人で行っといで」と送り出した。
しかし、結局寂しくなったので、一人旅の夫を追いかけて、汽車に乗る。
レンタカーで旅をする夫に私が拾われたのは、岐阜の多治見駅だった。
岐阜への旅は初めてだ。全都道府県中、自分にとって41県目の探訪地になる。
「多治見、夏は暑いところだなあ、39度とか…」というくらいのイメージしかなかったのだが、来てみるとなんとも町並が良い。窯業の町らしい褪せた色彩の町だ。夏は暑いらしい多治見、しかし今は花曇りの寒さの中にある。


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# by meo-flowerless | 2019-04-16 03:35 |

2019年4月の日記

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# by meo-flowerless | 2019-04-02 11:44 | 日記

四十路【今さら】スケッチ道②




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「こんな山のなかに池がある」と夫が寝床で地図を眺めながら呟く。
等高線の山上部に水色の丸い区画、記名もない池だ。
休日はどこに出かけるかと思案していた私に、夫は「この謎の池に行きたい」と訴えでた。彼の惹かれた謎の無名池は二箇所だそうだ。県境の、そう深くはない山林の中にあるらしい。
というわけで、バスを乗り継ぎ、終点まで出かける。


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# by meo-flowerless | 2019-03-31 22:04

四十路【今さら】スケッチ道①


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スケッチをあまりしない人生を、画家としては見直さなくてはいけない。
私は、言葉によってイメージをメモする半生を送ってきてしまったのである。
言葉のイメージ自体に後悔はなくとも、最近色々と、人生やり直しの反省点に立ち竦んでいるのである。
何にでも、地道な迂路を考えたり、滋味が出るまでゆっくり噛みしだくようにならなくては、空虚な余生しかないのではないか。
とにかくじっくりと、じわじわと実感して生きていきたいのだ。感受性の癇癪玉を自分にぎっしり充填していきたいのである。


まあ、そういう思いが最近強いので、夫を誘ってスケッチ散歩に出る。
夫がいい場所を思い出してくれた。家の前のバス停から不意にバスに乗って終点の街まで気まぐれに行ったことがあるが、その時に偶然出会った風景である。



家からバスで20分強。
......




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# by meo-flowerless | 2019-03-17 23:06 | 絵と言葉

2019年3月の日記

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# by meo-flowerless | 2019-03-05 12:17

メモ・憑依力のある言葉 ② 〜安永蕗子【魚愁】

安永蕗子全歌集(河出書房新社)を枕元に置いている。
最近、メモとして彼女の歌の憑依力について書いた。
ただし、二年前の北陸への旅に抜粋の歌集を持参して、風景の中で読んだからこそ、その憑依力を感じた部分も大きいかもしれない。


そこで、改めて歌に向き合う。憑依力についての話はいまは措く。
歌一首の意味や彼女の人生について解釈など出来はしないので、とにかく琴線に触れるものを何度も読む。
まだ膨大な歌のすべてなど読みきれはしないが、私が惹かれる歌の多くはは処女歌集【魚愁】なかのものだ。安永蕗子が42歳の時に満を持して世に出した歌集だ。



歳を追うごとの円熟や滋味がその後の歌集には現れてくるようだが、やはり処女歌集の抉るような悲哀、抑制の内に感じる絶唱感は、特別なものを感じる。
肺病を持っていたため縁遠く、独り身を貫いた。この処女歌集の頃は特別、その孤独の境遇の暗さを溜息のようにダイレクトにうたう「細い声のブルース感」があるように思う。



ただ、同じ歌集の中でも、Ⅰ.孤独の室内で自我を見つめる懊悩から、Ⅱ.外界に身を運び風景に紛れて無我を知り、Ⅲ.やがて風景を自分の魂のうちに取り込み、自我無我の一体感を歌の身体として屹立させる......ような歌いぶりの違いが見て取れる。
歌を詠んで歌集【魚愁】を編むまでの彼女の、対象、言葉との距離を、しばらく読み返し読み返しして、掴んで行こうと思った。



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# by meo-flowerless | 2019-03-03 00:10

メモ・憑依力のある言葉 ①



憑依力のある言葉、ということについてたまに考える。
自分の表現のどこにどう役に立つのかはさておき、おそらくは自分がこれからずっと惹かれ続ける問題だろう。
そういうものに触れるたびに、小さなことでも思ったことをを書き残していこうと思う。



私が探す「憑依力のある言葉」とは、あくまで個人の表現における内的なものであり、世界に対する主張や煽動などとは別のところにあるものだ。まして承認欲求の横溢や自尊心の罷り通りに満ちているいまの混沌とは、一線を置いて探したい。
言葉との格闘と本人の人生とが、じわじわと見えないところで絡み合い、なにかの律を発している…というようなことを、自分の表現のために考えてみたい。


::::


近年、惹かれて読みはじめた昭和の歌人・安永蕗子の短歌。短歌の技術や歴史には詳しくないので、あくまで印象まで。




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# by meo-flowerless | 2019-03-02 12:31 | 絵と言葉

タイの田んぼのルークトゥン

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電線にカミナリが落ち紫色の火花がバババッと走る凄まじい光を見たことがあるが、音にもそんなものがある。
タイの田んぼに突然流れた、忘れられない音楽。海外を旅行する時などに、「観るべきアートシーンを観る機会」よりも私が待っているのは、ひょっとすると、「忘れられない音楽に出会う」瞬間のほうである。
音というのは、記憶を突き破る。爆音であれざわめきであれ遠い反響音であれ、感覚の防護膜を貫通してこっちにくる。



今から数年前、二月。はじめて東南アジアを訪れた。
現地では初夏。訪れたチェンマイは、タイ北部の農村地域だ。
緑の草の濡れたような光。天国に着いたと誤解しているようなダレた犬たちが、埃っぽい道路のそこかしこに横たわる。
タイの現代美術家との交流は、仕事というより、ユートピア探訪という感じだった。
カミンさんはタイ人の現代美術家だ。複数の広大な邸宅や拠点を、チェンマイに持っている。
森林の崩れそうな二階建てロッジで風に吹かれたり、誰が乗るのかわからない蔓草ブランコの蔓を引っ張ってみたり、コンテナを使った「茶室」に人々が持ち込んだその辺のコップの「美」を説明されたり、渦巻型の座布団がちょこんと置いてあるひんやりした小屋で「瞑想」を試してみたりして、日を過ごした。



その日の行程の最後が、田園地帯に彼が展開した「land」という、建築家たちの半芸半農コミュニティのような場所だった。
しかし今は、建築家たちも去り、田んぼの真中の屋敷森のようなところに櫓のようなものの廃墟や、農具的な巨大作品や、放置された池や畑が残っているだけだ。
農作業のリヤカー式トラックを止めた横で、痩せたおじさんが一人こちらをのんびりと見ている。
「今はあの地元の人が、辛うじてここを管理しているだけなのさ」とカミン氏は言った。



疲労感のつのった私と同じくらい疲れていそうな七面鳥が、茫然とした顔で一匹池のほとりに佇んでいる。放っておかれたアヒルやニワトリが時々空気に何を感じ取るのか、一斉に騒いだり黙ったりする。夜には蛍なんぞが出るのだろうな、などと思いながら私は、ぽりぽりとヤブ蚊に刺されたところを掻いていた。
とそのとき、激しい山びこのような大音量の歌が田んぼ中に響き渡った。暗くなりかけた空に青い雷電がバババッと見えた気がした。
何?と振り向くと、先ほどのトラックのおじさんが爆音のラジオをスイッチオンした音響だった。



聴いたことのない異様にボルテージの高い民謡が、高速変拍子ドラムにのせて空に放たれる。
男声なのか女声なのかわからない舞踊ロック。メランコリックかつ太く低くてまた高くもある発声のテンションに、機関銃のような打楽器がズデデデデン、ドドドコドンとまとわりつく。
そして歌の間に、時々叫ぶような喋るような早口の台詞を入れる。ラップでもライブのMCでもないその感じ。演歌と中東の祈りの入り混じったようなこぶしに、東南アジアらしい熱病的なエコーがやかましくかぶさる。何もないこの田んぼのどこに反響していいのかわからないその音たちが、上空高くハイトーンで泣き叫んでいる。
何かのお祭り歌フェスの音源か。中高年の村人の歓声も解き放たれる。聞きながら佇んでいると、
「ああ、あれは、タイの北部ルーツの歌だよ」とカミンさんが言った。



同行した人々は思い思いに散策していたが、私はいつまでもそのラジカセ音声にこだわり「いいなあーこの音楽」と何度も呟いて、訴えていた。しかし皆まったく興味も示さない。
やがておじさんは大爆音をならしたまま、あぜ道をオートバイトラック走らせて行ってしまった。目に見えない蛍光色の雷を引き連れながら鬼が去る、みたいな感じだった。



帰国してからもその音楽が忘れられず、youtubeで「タイ 北 歌謡」などで検索しまくった。
通りすがりに聴いた音楽を「もう一度絶対に聞きたい」と強く思ってしまう。
インターネットは言葉から名前を逆引き辞書のように探すことが出来ても、五感から名前を逆引きで探して言葉に行き当たるができない。
タイの歌謡曲が「ルークトゥン」と呼ばれるということくらいは分かった。「モーラム」というジャンルになると、演劇を伴った民謡形式のようだ。雷がひらめいたようだった中性的な声のあの名曲は、アジアショップのcdなども漁ったがいまだに行き当たらない。



音楽の記憶のなかでも、ただ気に入ったというレベルと、人生に刻み込まれるときとがある。
琵琶湖温泉のホテルのCMソング、モスクワラジオのある深夜の賛美歌、油壷の崖下から聞こえてきた空気オルガン、京都来迎院の声明、ポーランド映画【夜行列車】のスキャット、そしてこのタイのルークトゥン。曲がいいからという理由とは違う、過去の稲妻と通電したような、知らないどこかの未来と電気力強めの電話が繋がったような、「他人とは思えない」が音楽たち、がたまにある。



懐かしさにも種類があり、自分と他者の記憶が交錯し、過去も未来も混濁するような感覚の、往来感のある懐かしさというのがある。そういう懐かしさを、感じているのだろう。
音楽や匂いが、記憶の時空を飛ばしてくれる力はすごい。「経験」ということの、ほんとうの自由な内実を差し出されている気がする。



チェンマイのその日の夕食、夜の屋外のレストランで舌鼓を打った。風には、もう日本では山でしか薫らない本当の夏の匂いが入り混じっていた。
雨上がりに立ち上る甘い葉やコブミカンやレモングラスの料理臭に包まれて、夜の木に引っかかる涙の雫のようなイルミネーションの白い流れを見つめていた。
五感の喜びの質が全て一致する土地だ、と思った。
はじめの瞑想的美術体験は少し眠かったけれど、段々うなりをあげるように、タイ人の心に響く幽遠なエコーが伝わってきた日だった。懐かしく思いだす。

# by meo-flowerless | 2019-02-26 05:50 |

2019年2月の日記

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# by meo-flowerless | 2019-02-02 04:38 | 日記

2019年1月の日記

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# by meo-flowerless | 2019-01-04 01:44 | 日記

冬の香水

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冬には冬らしい香水を使いたい。抑制の効いた、枯れた感じのだ。
最近は気分的にもまったく、花の咲くような気分ではない。
香木、煙、灰や粉。燃え尽きた気持、燻る年月。冷め果てた肌合い、新鮮な乾燥、粒子化して砂に化ける湿気。そういうものの匂いを欲する、乾いた心身がある。



雪の来る前、空が真珠色になってなんとなくキーンとはりつめた電気的な音が聞こえるくらいの日。アトリエコロンの【バニラ・アンサンセ】をつけるだろう。
甘さのあまりない突き放したようなバニラで、香木のトーンもある。
かちこちに凍ったバニラアイスの丸い頭の上で、これももまた身動き出来ないほど固まったホワイトチョコレートのコーティングが霜を吹いている。その上にわずかに乗っているピスタチオの欠片だけをつまんでみる。




雪が微かに舞うくらいの日。新たに手に入れたアンドレア・マークの【ソフト・テンション】をつけたい。
その名の通りの、曖昧な白の匂い。霧のなかで鼻がツンとするときの、「ツン」の匂いである。苔むした石の感じもある。清潔な病院の感じもある。形容しがたいが、ムスクは感じる。
どこかで競技大会があった後の花火かピストルか、残る幽かな硝煙の匂い。しばらく開けていない理科室の棚の薬品の匂い。暗い高校の廊下の向こうから一番怖い男性教師がスリッパをパスパスさせてやってくる影。身が強ばるが決してその教師が嫌いではない感じ。
その時の校舎裏に見える、雑木林と白い空と鳥。



大雪で雑木林が白く煙ったら、パヒューメリエ・ジェネラーレ【ボワ・ブロン】。白い森、の意。
たとえば、寒い外界で新鮮な木の切屑香を散々嗅いでから、暖かい室内に戻ったときの、部屋の古い家具の甘い匂い。アンダートーンにとても落ち着くアンバーとムスクの匂いがある。
厚手のタートルネックの首の折れ目に鼻の半分を埋めてその水平をじっと保ちながら座り、ストーブの前に座っている。足にしもやけが出来ている。
木っ端からにじみだして冷えて固まった松の樹脂を、ビーズのように剥がして取り、キラキラと眺めて、やがて鼻先に持っていって嗅いで、さらに指ですりつぶす。



普段の枯れた林や野を見ながら結局いつもつけるのは、ルタンスの【ロルフェリン】だ。
サイトには「灰の乙女」と和訳してあるが、ロルフェリンとは「孤児」の意味である。フランス人はこういうところ、凄い。日本人だったら「孤児」なんて、香水や化粧品にネーミングしないだろう。美術作品の主題のようだし、そのまま詩のタイトルだ。
「父は木で、母は炎。星屑のように優美で純粋。けれどもやがて塵にまみれ、霞んでいく人生の軌跡」と、香調の説明に書いてある。訳が分からないようだが、纏うと、そのまんまの香りだと思う。灰色の上に紫とローアンバーでうっすらグレーズを重ねたような色合。
冬の早朝の一番空気の澄んだ冷気のなか、かじかんだ鼻が充血している向こうに、うっすらと他人の煙草のひと吸い目を感じる、ような匂いだ。
どこかの野の、夕暮の煙の匂いでもよい。晩秋、かじかんだ足で枯草を踏みしめながら楽しんで歩く。孤独ではあるが、まだ心の底には信念も憧れもある、一抹の温もり。




もう一つ、冬の香水として、最高に冷ややかでシンとした冬の水のような、ウッディな胡椒の、エルメス【ポワーヴル・サマルカンド】の携帯サイズを持っていた。
これがいくら探しても見つからない。残念でならないが、かわりに宝物の棚の奥に(毒の植物のタネなども入ってる)、ここのところずっと探していた本、北原白秋の【雪と花火】をやっと見つけたので、喜んで読むことにした。

# by meo-flowerless | 2019-01-03 21:14 | 匂いと味

2018年12月の日記

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# by meo-flowerless | 2018-12-02 10:00 | 日記

湖畔展望純愛ホテル


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いつも、遠くから望んでいるだけの建物。
そういう建物の得体の知れない影に向かって、下調べもせずに、何となくふらふらと近付いてみたい......
渇いた秋の陽射し射す今日は、そんな気分のする休日だった。



相模湖は高尾山とともに、自宅から一番近い観光地だ。高尾山が中高年で賑わうのに比べ、完全なる「斜陽」のレトロリゾートである。
以前から、相模湖畔遠くに見えている、崖にポツンと日光を受けて立つ巨大な建物が気になっていた。
この初夏に母と遊覧船に乗ってかなり近付き、それがピンク色の外壁のラブホテルだということを知った。
今日は水上ではなく陸路でそこに近付いてみよう、と歩きはじめた。
薄々知っている噂によればその建物はもう廃墟なのだが、そこへの道順も建物の情報も、今日は敢えて事前に調べない。



この地域の風景は、湖畔を底とすると、そこから一段上の道の集落、二段上の道の集落、三段上は甲州街道の宿場町、四段上は中央本線の線路、そこから遥か上に中央高速の恐ろしく足長の橋脚、そして山稜、というように段階的になっている。夢の景色のように、複雑な高低差がある。
家々は湖面を見下ろすように作られていて、各家の思い思いの畑地に果実やススキが揺れ、一面に西日を受けている。
終末的な静けさである。
一輪だけ咲いた冬の薔薇、一つだけ残った柑橘の実、そこだけ白い一群れの白菊、突然赤い気まぐれな紅葉。けだるい金色の空気の中に、そういう唐突な色彩が、不審火のように閃いてみえる。

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土蔵もあちこちにあるようなローカルな家並を歩いていたが、ふと、白いモダンな邸宅の廃墟を見かける。
鋭角の宇宙船じみた、二階部分に比重のある、60年代旧共産圏のようなモダンさだ。石の張りかたや、玄関の化粧板の模様などが、あの時代のデザインの暖かみを感じさせる。
【東京少年少女合唱団】、と書かれた小さな札が外壁に掲げてあった。
裏手の日だまりにはテーブルとパイプ椅子が残されている。合唱団の関係者がそこで憩っていたのだろう。誰かが遺した雨傘が幾つも、破れた壁の隙間からのぞいている。
二階の部屋からは、いつも子供の合唱の声が聞こえていただろう。風が葉を揺らす音しかない空間に、籠ったピアノ伴奏の空耳も聞こえそうな気がした。


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細い石段や、橇のワダチのような草むらの私道を、何回上り下りしたか。
進めども、全て人の家にいきつくばかり。どこも、桃源郷のマヨイガめいた気のする門前だ。
山並や高速の橋桁の死角になり、ホテルの形はいっこうに見えて来ない。相模湖駅を出てからひたすら、何となく勘で方向を見定めて歩いているだけだ。
しかしやっと、畑地のススキの向こうに、桃色の建物が遠く見えてきた。
残念ながらどの私道もこの辺で行き止まりのようで、もうこの先、人家の間をたどってそこまで辿り着けそうにない。
しょうがなく道を変え、交通量の多く殺伐とした甲州街道を辿ることにする。



山のカーヴは完全に車のためのサーキット状態で、歩道は作られていない。そんなところをとぼとぼと歩く歩行客がいると、車の人間がびっくりしてハンドル操作を誤りそうな道だ。山と中央高速の影になって、陰惨な感じもする。
とうとう、歩きであのホテルまで到達することは、諦めた。
急激にスピードも落とさずにカーヴを曲がって来る車の、どれかに轢かれることしか思い浮かばなかったのだ。


三十分ほど歩き、湖畔の船着場に引き返した。
何年も同じことを叫んでいるであろう、おじさんの呼び込みだけが賑やかだ。
クジラ丸やスワン、怪獣型の脚こぎ舟など、湖面の面々は案外レパートリーがある。免許がなくともハンドルで運転出来る「簡易モーターボート」を借り、夫に運転してもらうことにした。
目指すは、はるか西日のなかに屹立する、ピンクのホテルだ。湖面からは、本当に良くあのホテルが見えるのだ。



湖水は、溶かした金属のようにとろみがある。山と山の間にも、黄金の夕陽がある。
まがまがしいくらいの美しい景色なのだが、まがまがしさを垂れ流しっぱなしの調整弁ナシのような中途半端さが、ここを過疎のリゾートにさせるのだろう。
船は緩い水の抵抗にあいながら、まっすぐにホテル下を目指す。
逆光になりながら、鴨や川鵜が湖面を走り飛びしている。水の重みを身体の近くに感じると、遊覧船の何倍も、死が近いように感じる。
そのウラ悲しさも良い。


桃色ホテルの妖気は、やはり素晴らしかった。
西日の金霞をひと刷毛塗られ、すうっと空気の向こうにぼやけた姿は、怪物的な巨大さというよりも、妖精感を帯びて見える。
この建物のウラ悲しい素晴らしさの理由のひとつは、その巨軀と色彩のミスマッチだ。
十階建てくらいの威圧的な直方体は、幽閉のための高楼という感じがする。しかし「苺味のウエディングケーキ」のような桃と白のカラーが、その威圧に空虚なトリップ感覚を与えている。
しかもてっぺんのターコイズブルーの大看板には、白文字で【中国料理】と自信を持って書かれている。上に小さく【ローヤル】とも書かれており、そのやさぐれたラブホテル的命名と自信ありげな【中国料理】とが、どうも合致しない。

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湖上から目を凝らすと、最上階に幾つものアーチ窓が並び、ガラス窓が破れているのが見える。
さぞ、巨大で優雅な「展望式中華レストラン」だったと思われる。
近辺の他のラブホテルのインスタントな享楽感とは一線を画す、生真面目に観光を提供している重さを感じる。
廃墟ホラーの怖さというよりも、童話の怖さとメロドラマの怖さと三面記事の事件の怖さを、ひっくるめて一手に担っているような建物である。



私がこういう建造物にジリジリと焦がれ憧れるのは、実生活でラブホテルが好きだからでも、廃墟マニアかだらでも、じつはない。
確かに自分は【密愛村】などの絵に、こういう地方の山林の歓楽施設を描く。しかしそれは、そういう状況での享楽が自分の人生に根深く繋がっているからではない。
むしろ、その逆である。
とくに、ラブホテルの「車のスピード+性の享楽」という要素は、自分の人生とずっとまじわらない、ねじれの位置にあるような要素だった。
ラブホテルが現実のものとして現前する時には、自分は亡霊のような、関係のない存在である。逆に、自分が生身の現実である時には、ラブホテルは役目を終えた廃墟でしかない。
そういう関係なのである。
どちらかがあの世のものであるような、一択しか無いような怖さがある。魅力的でも、何か致命的な不相性を感じるのだ。



小さい頃、家に車が無かったからかもしれない。まずは、車に対する屈折した憧れと倍の恐怖感がある。
それと、周りに親戚や知人などのお兄さんやお姉さんの若いカップルを見かけたことが無かったこともあるだろう。昔から、道ゆくレジャーの車中にカップルを見かけてでさえ、毒の実を食べたような吐気を感じるのである。他人の性に対するちょっとコントロールしかねる羨望とショック反応のようなもの。空腹時のげろのような、情けない吐気。その吐気が嫌いなのではないが。
仮にローヤル中国料理のラブホテルがいま経営していたところで、やはり私自身が面白半分に入ることは無かったのではないか。
孤立した抜け殻であり、森の中遠く見るしかないからこそ、あの建物が急に、自分の世界のものとして入り込んでくるのだ。嫌悪感混じりの羨望も、誰のものでもなくなり過ぎ去った価値になってから、しみじみとした親近感を帯びてくる。


よく、私の絵を見て矢鱈に「怖い」「怖い」という人がいる。情念が怖いのか、夜闇感が怖いのか、孤立感が怖いのか。そのときだけは心の中で、怖くも何ともねーだろうが、と突っ張ってみるのだが、じつは、自分自身が一番怖いのである。
ありきたりのホラーや怪談のような怖さなど何も興味は無いが、そういう怖さではない別の怖さに、ずっと昔から、そして今も、自分は怯えているのだと思う。それは、上に書いた他人の性へのショック反応と関係があるし、もっと自分の根源的な対人恐怖感からも来る。
そしてその「怯えの距離」を正確に感じながら手綱を取っている時、にしか、自分はうまく絵が描けていない。
他人を驚かせたり魅了したりするための表現的な怖さではなく、私は私自身のこの怯えと一生やり取りするためだけに足掻いて、描いたり書いたりするのだろう。



モーターボートを切り返して、船着場へ帰る。夫も私も身体が冷えきっている。
極端に睡気に襲われ無口になった夫が「甘酒が呑みたい....」と呟いているので、ひなびた湖畔の店並みの一つに入る。
三匹の、置物のように動かない愛玩犬が椅子の上で出迎える。
いそべ巻きが美味い。地酒で作ったという甘酒はウッとむせるほど濃い。
店奥にエマニュエル籐椅子が置いてあり、時代を感じさせる。何故かそこから奥に続く廊下がスロープになっていて、ダックスフントがその奥を黙ってじっと見ているのが気になった。

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餅を食べつつ、携帯のサイトで、先ほどのホテルを調べてみる気にやっとなる。
「廃墟マニアには垂涎の廃墟だが、警備会社のガードが厳しく、入ることは難しい」という情報は、何となく知っていた。しかし自分は、廃墟探検としてあそこを訪れてみたいわけではなかった。



ラブホテルになる前は、普通の観光ホテルとして経営をはじめた建物だった、という情報を初めて知った。
それであの建物の荘重な造りに、納得がいった。それを知った瞬間に何故だか、いままでの倍の悲哀が押し寄せた。
誰かが誰かの情報を又書きしたものを読んだだけだが、「ラブホテルに経営体制を変えた後でも、夕食はそこの最上階の中国料理レストランで取らなければならず、朝食もそこでするようになっていた」とか。
ご清遊のように品良く景色を楽しみながら、たっぷり性愛も満喫しろ、ということか。
しかし、それが可能な奥深い♨︎温泉地のようにはいかない、中途半端なリゾートの娯楽感に、どのくらい客が身も心もまかせられたか、は、非常に微妙だ。



しかしだ。
そのキチッとした「夕食付き朝食付き」の一夜の火遊びシステムが本当だったとしたら、なんと自分にとっては、魅力的だっただろう。
そこには、普通の軽やかなラブホとも、湿気を帯びすぎた温泉地とも、まったくちがった「うまくはいかない屈折した童話」が感じられるではないか。
単に肉体関係をしに来たはずのに、その前にに食膳がしみじみうまかったり妙にまずくて苛立ったり、景色に気を取られて黙り込んだり.....とにかく、そういう悠長な時間とは、とてもじれったくて奇妙ではないか。
でも、その悠長な馬鹿馬鹿しさは、さっき書いた他人の刹那的な性に感じる「空腹時のげろ感」とは対極にある、「涙で胸が詰まる純愛感」に通じるのだ。
欲情の隙に膨大な風景が入り込んできてしまう、風景を背負いこんでしまってぎごちなくなった男女の光景にしか、自分は惹かれないのだと思う。


客のニーズと一致しない、経営者のどこかにきっとあった気がしてならない「純愛」へのロマンチシズムのようなものに、自分は最大限の、物哀しい敬意のようなものを感じるのだった。


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# by meo-flowerless | 2018-11-25 22:32 |

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北陸行記 1

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# by meo-flowerless | 2018-09-02 04:01 | 日記

2018年8月の日記

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2018年7月の日記


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# by meo-flowerless | 2018-06-03 03:11 | 日記

相模湖斜陽遊覧


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梅雨に入るとは思えない、爽快な晴天。
実家に母と居て「川原を散歩でも」と話していたが、それよりも少し足を伸ばし、バスで高尾駅周辺まで行く気になった。
最寄りのバス停で待っていると、思ったよりバスが早く来た。あれ?と、行先表示を見上げると「相模湖駅」行きと書いてある。なるほど…日に数本しか来ない神奈中バスに偶然遭遇したのだ。咄嗟に「相模湖に行こう!」と母を促して、乗り込んだ。



どの位の時間がかかるのか、母は少し不安そうだった。母は長くこの土地に住んでいるが、神奈中バスで高尾を越えて先に行ったことはないのである。30分以上はかかるように思う。私も、以前相模湖駅から高尾駅まで帰ってくるときに数回乗っただけだ。
高尾山を横目に通り過ぎ、その先の大垂水峠をうねうねと越えて行くバスだ。




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# by meo-flowerless | 2018-06-03 02:01 |

2018年5月の日記

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# by meo-flowerless | 2018-05-03 01:18 | 日記

2018年4月の日記

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# by meo-flowerless | 2018-04-01 10:46 | 日記

2018年3月の日記

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# by meo-flowerless | 2018-03-06 01:01 | 日記

御礼


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齋藤芽生【暗虹街道】展も、昨日2月25日で会期終了致しました。
沢山の方にご来場頂き、嬉しく思います。
ご高覧頂いた方々に、あらためて御礼申し上げます。


今回の作品群は自分を癒す甘いケーキ(しかもいっぱい種類があって迷う)のような気持で制作しました。展示自体、今迄と少し毛色が違ったものになったかもしれません。
絵画的には、今迄の、状況設定に終始し苦しげになっていた描画から少し解放されたくて、平面上の色彩構成や抽象的なバランスを大切に、即興で考える部分を多く残しつつ描き進めることを意識しました。こういう抽象的な作図の基礎に立ち返ることは自分には大事。楽しい感覚を取り戻せた一年でした。


次はまた打って変わって、ハードボイルドな感じでいくと思います。



# by meo-flowerless | 2018-02-25 12:39 | 日記