画家 齋藤芽生の日記 Twitter/ @meosaito


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# by meo-flowerless | 2019-01-04 01:44 | 日記

冬の香水

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冬には冬らしい香水を使いたい。抑制の効いた、枯れた感じのだ。
最近は気分的にもまったく、花の咲くような気分ではない。
香木、煙、灰や粉。燃え尽きた気持、燻る年月。冷め果てた肌合い、新鮮な乾燥、粒子化して砂に化ける湿気。そういうものの匂いを欲する、乾いた心身がある。



雪の来る前、空が真珠色になってなんとなくキーンとはりつめた電気的な音が聞こえるくらいの日。アトリエコロンの【バニラ・アンサンセ】をつけるだろう。
甘さのあまりない突き放したようなバニラで、香木のトーンもある。
かちこちに凍ったバニラアイスの丸い頭の上で、これももまた身動き出来ないほど固まったホワイトチョコレートのコーティングが霜を吹いている。その上にわずかに乗っているピスタチオの欠片だけをつまんでみる。




雪が微かに舞うくらいの日。新たに手に入れたアンドレア・マークの【ソフト・テンション】をつけたい。
その名の通りの、曖昧な白の匂い。霧のなかで鼻がツンとするときの、「ツン」の匂いである。苔むした石の感じもある。清潔な病院の感じもある。形容しがたいが、ムスクは感じる。
どこかで競技大会があった後の花火かピストルか、残る幽かな硝煙の匂い。しばらく開けていない理科室の棚の薬品の匂い。暗い高校の廊下の向こうから一番怖い男性教師がスリッパをパスパスさせてやってくる影。身が強ばるが決してその教師が嫌いではない感じ。
その時の校舎裏に見える、雑木林と白い空と鳥。



大雪で雑木林が白く煙ったら、パヒューメリエ・ジェネラーレ【ボワ・ブロン】。白い森、の意。
たとえば、寒い外界で新鮮な木の切屑香を散々嗅いでから、暖かい室内に戻ったときの、部屋の古い家具の甘い匂い。アンダートーンにとても落ち着くアンバーとムスクの匂いがある。
厚手のタートルネックの首の折れ目に鼻の半分を埋めてその水平をじっと保ちながら座り、ストーブの前に座っている。足にしもやけが出来ている。
木っ端からにじみだして冷えて固まった松の樹脂を、ビーズのように剥がして取り、キラキラと眺めて、やがて鼻先に持っていって嗅いで、さらに指ですりつぶす。



普段の枯れた林や野を見ながら結局いつもつけるのは、ルタンスの【ロルフェリン】だ。
サイトには「灰の乙女」と和訳してあるが、ロルフェリンとは「孤児」の意味である。フランス人はこういうところ、凄い。日本人だったら「孤児」なんて、香水や化粧品にネーミングしないだろう。美術作品の主題のようだし、そのまま詩のタイトルだ。
「父は木で、母は炎。星屑のように優美で純粋。けれどもやがて塵にまみれ、霞んでいく人生の軌跡」と、香調の説明に書いてある。訳が分からないようだが、纏うと、そのまんまの香りだと思う。灰色の上に紫とローアンバーでうっすらグレーズを重ねたような色合。
冬の早朝の一番空気の澄んだ冷気のなか、かじかんだ鼻が充血している向こうに、うっすらと他人の煙草のひと吸い目を感じる、ような匂いだ。
どこかの野の、夕暮の煙の匂いでもよい。晩秋、かじかんだ足で枯草を踏みしめながら楽しんで歩く。孤独ではあるが、まだ心の底には信念も憧れもある、一抹の温もり。




もう一つ、冬の香水として、最高に冷ややかでシンとした冬の水のような、ウッディな胡椒の、エルメス【ポワーヴル・サマルカンド】の携帯サイズを持っていた。
これがいくら探しても見つからない。残念でならないが、かわりに宝物の棚の奥に(毒の植物のタネなども入ってる)、ここのところずっと探していた本、北原白秋の【雪と花火】をやっと見つけたので、喜んで読むことにした。

# by meo-flowerless | 2019-01-03 21:14 | 匂いと味

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# by meo-flowerless | 2018-12-02 10:00 | 日記

湖畔展望純愛ホテル


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いつも、遠くから望んでいるだけの建物。
そういう建物の得体の知れない影に向かって、下調べもせずに、何となくふらふらと近付いてみたい......
渇いた秋の陽射し射す今日は、そんな気分のする休日だった。



相模湖は高尾山とともに、自宅から一番近い観光地だ。高尾山が中高年で賑わうのに比べ、完全なる「斜陽」のレトロリゾートである。
以前から、相模湖畔遠くに見えている、崖にポツンと日光を受けて立つ巨大な建物が気になっていた。
この初夏に母と遊覧船に乗ってかなり近付き、それがピンク色の外壁のラブホテルだということを知った。
今日は水上ではなく陸路でそこに近付いてみよう、と歩きはじめた。
薄々知っている噂によればその建物はもう廃墟なのだが、そこへの道順も建物の情報も、今日は敢えて事前に調べない。



この地域の風景は、湖畔を底とすると、そこから一段上の道の集落、二段上の道の集落、三段上は甲州街道の宿場町、四段上は中央本線の線路、そこから遥か上に中央高速の恐ろしく足長の橋脚、そして山稜、というように段階的になっている。夢の景色のように、複雑な高低差がある。
家々は湖面を見下ろすように作られていて、各家の思い思いの畑地に果実やススキが揺れ、一面に西日を受けている。
終末的な静けさである。
一輪だけ咲いた冬の薔薇、一つだけ残った柑橘の実、そこだけ白い一群れの白菊、突然赤い気まぐれな紅葉。けだるい金色の空気の中に、そういう唐突な色彩が、不審火のように閃いてみえる。

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土蔵もあちこちにあるようなローカルな家並を歩いていたが、ふと、白いモダンな邸宅の廃墟を見かける。
鋭角の宇宙船じみた、二階部分に比重のある、60年代旧共産圏のようなモダンさだ。石の張りかたや、玄関の化粧板の模様などが、あの時代のデザインの暖かみを感じさせる。
【東京少年少女合唱団】、と書かれた小さな札が外壁に掲げてあった。
裏手の日だまりにはテーブルとパイプ椅子が残されている。合唱団の関係者がそこで憩っていたのだろう。誰かが遺した雨傘が幾つも、破れた壁の隙間からのぞいている。
二階の部屋からは、いつも子供の合唱の声が聞こえていただろう。風が葉を揺らす音しかない空間に、籠ったピアノ伴奏の空耳も聞こえそうな気がした。


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細い石段や、橇のワダチのような草むらの私道を、何回上り下りしたか。
進めども、全て人の家にいきつくばかり。どこも、桃源郷のマヨイガめいた気のする門前だ。
山並や高速の橋桁の死角になり、ホテルの形はいっこうに見えて来ない。相模湖駅を出てからひたすら、何となく勘で方向を見定めて歩いているだけだ。
しかしやっと、畑地のススキの向こうに、桃色の建物が遠く見えてきた。
残念ながらどの私道もこの辺で行き止まりのようで、もうこの先、人家の間をたどってそこまで辿り着けそうにない。
しょうがなく道を変え、交通量の多く殺伐とした甲州街道を辿ることにする。



山のカーヴは完全に車のためのサーキット状態で、歩道は作られていない。そんなところをとぼとぼと歩く歩行客がいると、車の人間がびっくりしてハンドル操作を誤りそうな道だ。山と中央高速の影になって、陰惨な感じもする。
とうとう、歩きであのホテルまで到達することは、諦めた。
急激にスピードも落とさずにカーヴを曲がって来る車の、どれかに轢かれることしか思い浮かばなかったのだ。


三十分ほど歩き、湖畔の船着場に引き返した。
何年も同じことを叫んでいるであろう、おじさんの呼び込みだけが賑やかだ。
クジラ丸やスワン、怪獣型の脚こぎ舟など、湖面の面々は案外レパートリーがある。免許がなくともハンドルで運転出来る「簡易モーターボート」を借り、夫に運転してもらうことにした。
目指すは、はるか西日のなかに屹立する、ピンクのホテルだ。湖面からは、本当に良くあのホテルが見えるのだ。



湖水は、溶かした金属のようにとろみがある。山と山の間にも、黄金の夕陽がある。
まがまがしいくらいの美しい景色なのだが、まがまがしさを垂れ流しっぱなしの調整弁ナシのような中途半端さが、ここを過疎のリゾートにさせるのだろう。
船は緩い水の抵抗にあいながら、まっすぐにホテル下を目指す。
逆光になりながら、鴨や川鵜が湖面を走り飛びしている。水の重みを身体の近くに感じると、遊覧船の何倍も、死が近いように感じる。
そのウラ悲しさも良い。


桃色ホテルの妖気は、やはり素晴らしかった。
西日の金霞をひと刷毛塗られ、すうっと空気の向こうにぼやけた姿は、怪物的な巨大さというよりも、妖精感を帯びて見える。
この建物のウラ悲しい素晴らしさの理由のひとつは、その巨軀と色彩のミスマッチだ。
十階建てくらいの威圧的な直方体は、幽閉のための高楼という感じがする。しかし「苺味のウエディングケーキ」のような桃と白のカラーが、その威圧に空虚なトリップ感覚を与えている。
しかもてっぺんのターコイズブルーの大看板には、白文字で【中国料理】と自信を持って書かれている。上に小さく【ローヤル】とも書かれており、そのやさぐれたラブホテル的命名と自信ありげな【中国料理】とが、どうも合致しない。

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湖上から目を凝らすと、最上階に幾つものアーチ窓が並び、ガラス窓が破れているのが見える。
さぞ、巨大で優雅な「展望式中華レストラン」だったと思われる。
近辺の他のラブホテルのインスタントな享楽感とは一線を画す、生真面目に観光を提供している重さを感じる。
廃墟ホラーの怖さというよりも、童話の怖さとメロドラマの怖さと三面記事の事件の怖さを、ひっくるめて一手に担っているような建物である。



私がこういう建造物にジリジリと焦がれ憧れるのは、実生活でラブホテルが好きだからでも、廃墟マニアかだらでも、じつはない。
確かに自分は【密愛村】などの絵に、こういう地方の山林の歓楽施設を描く。しかしそれは、そういう状況での享楽が自分の人生に根深く繋がっているからではない。
むしろ、その逆である。
とくに、ラブホテルの「車のスピード+性の享楽」という要素は、自分の人生とずっとまじわらない、ねじれの位置にあるような要素だった。
ラブホテルが現実のものとして現前する時には、自分は亡霊のような、関係のない存在である。逆に、自分が生身の現実である時には、ラブホテルは役目を終えた廃墟でしかない。
そういう関係なのである。
どちらかがあの世のものであるような、一択しか無いような怖さがある。魅力的でも、何か致命的な不相性を感じるのだ。



小さい頃、家に車が無かったからかもしれない。まずは、車に対する屈折した憧れと倍の恐怖感がある。
それと、周りに親戚や知人などのお兄さんやお姉さんの若いカップルを見かけたことが無かったこともあるだろう。昔から、道ゆくレジャーの車中にカップルを見かけてでさえ、毒の実を食べたような吐気を感じるのである。他人の性に対するちょっとコントロールしかねる羨望とショック反応のようなもの。空腹時のげろのような、情けない吐気。その吐気が嫌いなのではないが。
仮にローヤル中国料理のラブホテルがいま経営していたところで、やはり私自身が面白半分に入ることは無かったのではないか。
孤立した抜け殻であり、森の中遠く見るしかないからこそ、あの建物が急に、自分の世界のものとして入り込んでくるのだ。嫌悪感混じりの羨望も、誰のものでもなくなり過ぎ去った価値になってから、しみじみとした親近感を帯びてくる。


よく、私の絵を見て矢鱈に「怖い」「怖い」という人がいる。情念が怖いのか、夜闇感が怖いのか、孤立感が怖いのか。そのときだけは心の中で、怖くも何ともねーだろうが、と突っ張ってみるのだが、じつは、自分自身が一番怖いのである。
ありきたりのホラーや怪談のような怖さなど何も興味は無いが、そういう怖さではない別の怖さに、ずっと昔から、そして今も、自分は怯えているのだと思う。それは、上に書いた他人の性へのショック反応と関係があるし、もっと自分の根源的な対人恐怖感からも来る。
そしてその「怯えの距離」を正確に感じながら手綱を取っている時、にしか、自分はうまく絵が描けていない。
他人を驚かせたり魅了したりするための表現的な怖さではなく、私は私自身のこの怯えと一生やり取りするためだけに足掻いて、描いたり書いたりするのだろう。



モーターボートを切り返して、船着場へ帰る。夫も私も身体が冷えきっている。
極端に睡気に襲われ無口になった夫が「甘酒が呑みたい....」と呟いているので、ひなびた湖畔の店並みの一つに入る。
三匹の、置物のように動かない愛玩犬が椅子の上で出迎える。
いそべ巻きが美味い。地酒で作ったという甘酒はウッとむせるほど濃い。
店奥にエマニュエル籐椅子が置いてあり、時代を感じさせる。何故かそこから奥に続く廊下がスロープになっていて、ダックスフントがその奥を黙ってじっと見ているのが気になった。

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餅を食べつつ、携帯のサイトで、先ほどのホテルを調べてみる気にやっとなる。
「廃墟マニアには垂涎の廃墟だが、警備会社のガードが厳しく、入ることは難しい」という情報は、何となく知っていた。しかし自分は、廃墟探検としてあそこを訪れてみたいわけではなかった。



ラブホテルになる前は、普通の観光ホテルとして経営をはじめた建物だった、という情報を初めて知った。
それであの建物の荘重な造りに、納得がいった。それを知った瞬間に何故だか、いままでの倍の悲哀が押し寄せた。
誰かが誰かの情報を又書きしたものを読んだだけだが、「ラブホテルに経営体制を変えた後でも、夕食はそこの最上階の中国料理レストランで取らなければならず、朝食もそこでするようになっていた」とか。
ご清遊のように品良く景色を楽しみながら、たっぷり性愛も満喫しろ、ということか。
しかし、それが可能な奥深い♨︎温泉地のようにはいかない、中途半端なリゾートの娯楽感に、どのくらい客が身も心もまかせられたか、は、非常に微妙だ。



しかしだ。
そのキチッとした「夕食付き朝食付き」の一夜の火遊びシステムが本当だったとしたら、なんと自分にとっては、魅力的だっただろう。
そこには、普通の軽やかなラブホとも、湿気を帯びすぎた温泉地とも、まったくちがった「うまくはいかない屈折した童話」が感じられるではないか。
単に肉体関係をしに来たはずのに、その前にに食膳がしみじみうまかったり妙にまずくて苛立ったり、景色に気を取られて黙り込んだり.....とにかく、そういう悠長な時間とは、とてもじれったくて奇妙ではないか。
でも、その悠長な馬鹿馬鹿しさは、さっき書いた他人の刹那的な性に感じる「空腹時のげろ感」とは対極にある、「涙で胸が詰まる純愛感」に通じるのだ。
欲情の隙に膨大な風景が入り込んできてしまう、風景を背負いこんでしまってぎごちなくなった男女の光景にしか、自分は惹かれないのだと思う。


客のニーズと一致しない、経営者のどこかにきっとあった気がしてならない「純愛」へのロマンチシズムのようなものに、自分は最大限の、物哀しい敬意のようなものを感じるのだった。


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# by meo-flowerless | 2018-11-25 22:32 |

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相模湖斜陽遊覧


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梅雨に入るとは思えない、爽快な晴天。
実家に母と居て「川原を散歩でも」と話していたが、それよりも少し足を伸ばし、バスで高尾駅周辺まで行く気になった。
最寄りのバス停で待っていると、思ったよりバスが早く来た。あれ?と、行先表示を見上げると「相模湖駅」行きと書いてある。なるほど…日に数本しか来ない神奈中バスに偶然遭遇したのだ。咄嗟に「相模湖に行こう!」と母を促して、乗り込んだ。



どの位の時間がかかるのか、母は少し不安そうだった。母は長くこの土地に住んでいるが、神奈中バスで高尾を越えて先に行ったことはないのである。30分以上はかかるように思う。私も、以前相模湖駅から高尾駅まで帰ってくるときに数回乗っただけだ。
高尾山を横目に通り過ぎ、その先の大垂水峠をうねうねと越えて行くバスだ。




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# by meo-flowerless | 2018-06-03 02:01 |

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御礼


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齋藤芽生【暗虹街道】展も、昨日2月25日で会期終了致しました。
沢山の方にご来場頂き、嬉しく思います。
ご高覧頂いた方々に、あらためて御礼申し上げます。


今回の作品群は自分を癒す甘いケーキ(しかもいっぱい種類があって迷う)のような気持で制作しました。展示自体、今迄と少し毛色が違ったものになったかもしれません。
絵画的には、今迄の、状況設定に終始し苦しげになっていた描画から少し解放されたくて、平面上の色彩構成や抽象的なバランスを大切に、即興で考える部分を多く残しつつ描き進めることを意識しました。こういう抽象的な作図の基礎に立ち返ることは自分には大事。楽しい感覚を取り戻せた一年でした。


次はまた打って変わって、ハードボイルドな感じでいくと思います。



# by meo-flowerless | 2018-02-25 12:39 | 日記

珠洲再訪日記

珠洲再訪日記 2018.2.3~2.6

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旅路。

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# by meo-flowerless | 2018-02-08 20:58 |

2018年2月の日記

2018年2月の日記

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# by meo-flowerless | 2018-02-03 10:21 | 日記

ローレライ



真夜中、深夜ラジオ便から、日本人混声合唱の【ローレライ】が小さく聴こえて来た。
久しぶりに耳に蘇らされたこの歌に、急に涙が込み上げてきた。思い出に結びついて涙が込み上げるというのとは、少し違う。そもそも「歌を聴いただけで無条件に涙が浮かぶ経験をした初めての曲」が、この辺りだったというわけだ。(それがその歌だったという候補は3、4曲ある)


入日に山々 赤く映ゆる


小学校低〜中学年だった気がする。その一節のハーモニーに急にウッと感情の塊が込み上げた。それは、ノド飴のCMの中に使われたたったワンフレーズだった。
合唱団員の女性「ゴホンゴホン、風邪かしら」
男の声「ハイそんな時にはこれ。患部に作用し早く効きます…」
のような文言のあと、合唱団で朗々とその人が歌う 〽︎入日に山々… のフレーズ。
確か、それくらいシンプルなCMである。



三歳からバイオリンを習わされ、楽器をいじることにはついぞ慣れることはなかったが、音楽を楽しむことだけは小さい頃に覚えたのだろう。
ある日、父か母に「ノド飴のあの歌を教えて」と頼んだのだった。すぐに全曲を通しで教えてもらえた。
ハモリパートは母が担当し、それからはよく、台所で一緒に二部合唱するようになった。
歌いながらいつも、有無を言わさず泣きそうな何かを感じた。諦念感も含んだ眩しい懐かしさ。「郷愁のようなもの」のはじめての痛みだった。
故郷遠く離れた経験などなくてもその感覚を知りそめたのは、そうやって父に母に教わって覚えた曲によってだった。


父も母も音楽をやっていたわけではないが、歌うことは好きで、日本の唱歌を沢山私に教えてくれた。小学校低学年くらいではまだ父と風呂に入っていたので、浴槽で【荒城の月】【早春賦】などを父に教わり、風呂から上がって夕食を作る母にその歌の合唱の下部パートを教わるのだった。おかげで今でも、誰かと歌う時にはある程度つられずにハモり、二重唱できる。バイオリンやピアノをやっていたから歌が好きだというよりは、やはり小さい頃からかなり実際ウタを歌っていたのだ。



同じ頃、【ローレライ】のほか、【灯台守】にとても心動かされた
灯台を見たことはなくとも、「灯台守」という存在の孤独を歌から知ることが出来た。

激しき雨風 北の海に 山なす荒波 猛り狂う
その名も 灯台守る人の 尊き真心 海を照らす

ゆったりと長調の旋律自体は幸福感さえあるのに、このような孤絶の言葉がそれに乗っていることが、逆に泣かせるのである。



父が、熱く文学的にこの歌詞の説明をしたことがある。冬の荒海を知らなくとも、情景を思い浮かべることは不思議と出来た。
「冬の吹雪にね、波がゴーッと高く荒れ狂う。そういう誰ひとり近づくこともしない果ての海に、灯台守はたった一人でそこに閉じこもって、そこで暮らして、海の灯を守る。海の上には心細い気持で嵐の中にいる船がいる。それを迷わせないように灯台は光るんだよ」
【喜びも悲しみも幾歳月】の映画で、灯台守の佐田啓二が妻の高峰秀子に同じようなことを語る台詞のところで泣けてしまうのは、その時の父の熱すぎる情感をも思い出すからだろう。今でも、旅をして何処かの灯台を遠く眺め、【灯台守】を口ずさんで涙を浮かべることはたまにある。
 


しかしよくよく思い出すと、あの何ともいえぬ愁いや郷愁については、歌詞の「意味」を「説明されて」知った、というのだけではないのである。
まずはメロディの圧倒的な説得力にすなおに心打たれて興味を持ったことが、自分には強烈だったのだ。歌詞の深みは自分の経験や父の人生に絡めつつ、あとからボディブローのように知っていったのだ。
歌、というものはそもそもそういうものなのかもしれない。はるか昔、それが信仰的な朗詠であったような時代から、言葉に示された意味よりも、音程の揺らぎやバイブレーションのほうが先んじて人間の身体に「情のなんであるか」を教えて来たのかもしれない。


メロディだけではなく、ハーモニーの説得力も、少し違う質のものとして存在する。
【ローレライ】の原曲をドイツ語独唱などで聴いて果たして幼い自分の心が動いたかはわからない。大人になればやがて旋律のよさも理解したとは思うが。
あの小さい時分に、ノド飴の味とともに出会った「あの」日本人合唱の訳詩の一節とその旋律とハーモニーの絶妙な組み合わせでなければこの私の場合は、あの郷愁らしきものの強烈なイデアを感じなかったかもしれないのだ。分析しても言語化は出来ないような、何かがそこにあった。
とくに「〽︎山々」から六度のハーモニーで低く分岐していくあの低音部の包容力が、自分の音楽の好みの一つとして備わったのははっきりしている。【灯台守】の下のパートにも多く印象的な六度や五度の和音が登場する。
例えば空の鳥ががゆっくり二羽で飛びつつ、急にその距離を離して岐路を違え、またどこかで合流するような、孤高で飄然とした印象がそういう三度以外の和音にはある。



【ローレライ】伝承については、ずいぶん大人になってからちゃんと読んだ。船乗りを惑わせる、水の精霊というよりは「少女の幽霊」のような仄暗いイメージ。に番、三番の歌詞など今まで詳しくは知らなかったが、読んでみると妖艶で恐ろしい。私があの1フレーズに感じた郷愁のようなものとはかなり違う内容である。
【灯台守】の「船乗りを護る」尊さとは真逆なのも、自分にとっては偶然で面白い。
けれどどちらの歌もメロディラインは、歌詞の情景や意味をそのままデッサンしているのではない。旋律自体が悲しみを通過した明るさとたおやかさを持っているのである。それにまず打たれたように思う。わざわざ言葉で描写される前からすでに情感は音韻の中にあるのである。



そんなことを思い出して真夜中ラジオの【ローレライ】を聴き終わると、夫が暗闇の中でボソっと「【ローレライ】いいな」と呟いた。
「青松園にかかってたんだよ。ずっと流れてるの」
青松園とは、瀬戸内海の小島にある、かつてハンセン病に罹患した人々が回復後今も生活する国立療養所である。
夫は旅の途上で、そこを訪ねたことがあるのだ。


今までも夫はその記憶について多くを語りはしなかった。言語以上に感じたものが多すぎるからだろう。
「目の見えなくなった療養者が歩けるように、園内のあちこちに【ローレライ】のメロディが、もう一日中流れてたんだよ。それがずっと耳に残ってる」
そこに暮らす人々にとって、その旋律がどのような情を伴って聞こえているのかは私達などには到底はかり知れない。故郷の漠然としたイメージに甘い想像の涙を流すようなものでは有り得ないだろう。直接は彼らの感覚に手が届くことはなく、その場所に漂っていた情緒の予感が乱反射して夫に届き、またいまここにいる私に届いてくるだけだ。


おなじ【ローレライ】ながらも、私の人生、夫の人生、また他者の人生には、全く違う絡みかたで歌が絡み付いている。もともとは私はノド飴CMの日本合唱、夫は療養施設の幽かな電子音から知っただけの歌なのである。
しかしなにかえも言われぬ「愁いのイデア」は共有しているのだ。
何ががそうさせるのだろうか。歌詞の意味や歌の背景の伝承より、やはりまず旋律なのではないか。
夫の場合は経験内容じたいへの情動は大きかっただろう。しかしそれはたとえば【ふるさと】や【瀬戸の花嫁】ではまた少し違う情動に繋がるのではないか。【ローレライ】でなければ感じない本質的な何かは、私のも夫のも同じところにあるのだ、と何か確信したくなる。


甘い郷愁から厳しい苦しみまで、あらゆる感情を、意味を越えて吸収し尽くすのが歌であり音楽である。それらは何処にでも入り込む。空気が水分を内包するように感情がそこここに潜在し、それが旋律の雨になって降り注ぎ、さらに川や海のように、つまり歌や音楽という在り方を得る。その川や海の乱反射がさらに新しい感情を生む。
音楽は水に似ているものなのかもしれない、と思いながら夜の眠りについた。






# by meo-flowerless | 2018-01-30 10:24 |

個展【暗虹街道】 2018.1.19より

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画像:齋藤芽生【暗虹街道】より  (各 32×32cm 紙・アクリル)
撮影:加藤健  禁転載


個展 齋藤芽生【暗虹街道】

日時/ 2018年1月19日(金)- 2月24日(土)
営業/ 13:00-19:00
休廊/ 日、火、祝日(2/11-/13は連休)

ギャラリー・アートアンリミテッド
107-0062 東京都港区南青山1-26-4 六本木ダイヤビル3F www.artunlimited.co.jp

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齋藤芽生【密愛村】(みつあいむら)は、歌謡曲に歌われるような男女の湿った恋愛と、国道の果てのドライブインやモーテルなどの建築群から触発され、作者の脳裏にいまも広がり続ける仮想の歓楽地。
2016年秋、その【密愛村】シリーズの現時点での集大成の個展を倉敷・大原美術館の有隣荘で展開しました。


今年のギャラリー・アートアンリミテッドでの展示は、その歓楽地から少し脇道にそれた、新たな世界の小さな建物群を、【暗虹街道】(あんこうかいどう)の絵画シリーズ12点、【小箱町】(こばこまち)の立体模型シリーズ6点で展開します。
暗い虹は「玉虫色の煌めき」から発想を得ています。これまでイメージの源泉となって来た日本の旅というよりも、今回はアジアの様々な国で見た極彩色の景色や玉虫色の品物たちに触発された部分もあり、通常の絵画よりはカラフルで楽しげ(?)。
また、ピカピカ灯りが点灯する立体作品【小箱町】の小さな縮尺感が基本となっているので、自分でも、小動物になって小さな巣に出入りするような気持で制作しました。


遠方で展示をご覧頂けない方。展示される作品のブックレットのご用意がございます。今回のブックレットは【暗虹街道】+【小箱町】+【密愛村Ⅳ】と三作品を掲載し、テキストも多数ありますので、興味のある方はギャラリー・アートアンリミテッドまでお問い合わせください。
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# by meo-flowerless | 2018-01-09 14:27 | 告知

夜歩く

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制作の大詰め、気分転換に近所の和食処で夕食。気力を出すためにウナギを食す。
食後、夫が腹ごなしに夜の散歩をしたいと言う。夜歩きが嫌いなはずだが今宵は珍しい。



澄んだ夜である。灯ひとつひとつの存在感が透徹している。
夫は作品の案を巡らせているためか、いろいろなものを探すように丁寧に目を向ける気分らしい。こんなところにこんな店があったか、といちいち立ち止まる。
ここは東京の郊外も郊外、場末中の場末の町。私自身が育った場所であり、愛着もなくはないが、うらぶれすぎていて、何の発見も今さらない。
しかし久しぶりにじっくり歩いてみると、暗い街道に時折光る各店の佇まいに、それぞれの人のドラマが垣間見えるようである。



海外に行って最も旅愁を感じるのは、その都市の「郊外の夜」である。
ベトナム、韓国、台湾、カンボジア、ずっと前に行ったドイツもアメリカも。どこの大都市でも、車や電車で幾つもの町を通り過ぎたころ、やっと旅の恍惚と浮遊感がやってくる。
暗い街角にポツンと灯るスタンドや、どうでも良いような飲食店、何故そんな時間帯にやっているのか解らぬ美容院、地元の人が何もせずたむろしているよくわからないたまり場。そんなわびしい乏しい光であるほど、惹かれるのだ。
この今いるわが故郷も、海外から訪ねて来たとしたら、まさにそんな町だ。
私がたったいま旅人であったなら、都心の観光色から逃れ、心ゆくまでこのわびしい埃と闇と一抹の澄んだ光のなかを浮遊しているといったところだろう。こんな気持で近所の町を歩くことが、あらためて新鮮に思えた。


ワインと珈琲を飲ませる感じのクラシックなカフェの【A】。私の小学生時代からあるそこそこの老舗だ。
店舗の位置が変わって新しくなった店構えは、蔵のように白とマホガニー色で統一されていて、覗き込むと本棚一杯の本かレコードが見え、居心地が良さそうだ。しかし、客がいつもほとんど居ない。自分も入ろうと思うが入ったことがいまだにない。


一つの理由に、中学校時代の【A】の記憶がある。
ある早朝、通学途中に【A】の急店舗の前を通ったとき、シャッターに大きくスプレーの殴り書きがしてあり、面食らったのだった。
そこには「良識派をきどる連中の店」と書いてあったのである。その文言のインパクトはけっこう強烈に心に刺さった。
普通の暴走族のスプレー書きも多い町だが、その文字は明らかにもっとオトナの客、もしかするとそこそこインテリな人間のに描かれたものだと推察出来た。それが薄ら怖かった。いかにもその店に合っているようでもあり、気の毒なような、近寄り難いような。その近寄り難さを壊したくないような気持で、今まで自分もその店に行かずに来た。
今夜も同じように居心地の良さげな灯りの下、質の良さげな材のたくさんのテーブルにも、客の気配はなかった。


バス停付近のゴチャゴチャした、造花の木の実のようにすずなりの小さなスナック長屋。歩道橋の階段の影の通りにくいところに入口があり、年中日も当たらず、どうしようもないくらい場所が悪い。
しかし小学校時代から潰れずに灯りを点している。いや、潰れては新しい店の名前で誰かが入りまた潰れては、を繰り返しているのを、私が記憶していないだけか。二人くらいしか客が入らんのじゃないかと思うくらいだが、ちゃんとどの店舗からも歌声や話し声が幽かに漏れている。小さすぎるし場末すぎる、こんなスナックの時空。非常に興味はあるものの、自分にはまだ何か遠い時空でもある。


幼少期からずっと駅の線路際にあった、平屋の日本家屋にオレンジテントの【O編物学院】。大好きな佇まいだったが、今夜見たら、建物も柿の木も庭も、全てが鉄骨の足場の中に覆われていた。近く壊されるのだろう。
テントに書いてある「ブラザー編み機」の文字。大きな編み機は昔、憧れの機械だった。手芸屋で一二度いじったことがあったようなないような。ジャーッと音がしていた記憶。子供心に「しかしこの機械が流行ることはないだろうな」と何故か思っていた。
毛糸の匂いと鉤針の金属の匂いは、まぎれもなく「昭和」ならではの匂いである。その匂いも大きな編み機も一緒にこの町の記憶から消されて行くのだ。



その通りの数軒先、数ヶ月前に店を構えた小さなカウンター三席しかない角地のラーメン屋【K】の灯り。やけに白々とした蛍光灯の簡素な店で、飾りが一切無い。そして客が入っているのをこれまで見たことが無い。
「ああ、今日も客がいない」と夫がつぶやく。「来ない客のために毎日仕込みをする気分はどんなもんだろう」
暖簾の隙からそっとのぞくと、独りの老爺が突っ立ってカウンターの中で客を待っている。夫はここに来ると、いつも心配そうにそっと外から客をチェックするが、自分ではその客になろうとはしない。
しかし今夜は、「じゃあ、こんど入ってみるかな。応援するか」とボソッと言った。



灯りを煌煌とつけ、いかにも哀愁のあるいじらしいような店舗に限って、いつもそんな風に客がいない。店の外装や内装は何となく不揃いなままにしている。店灯りが暗すぎたり明るすぎたり。中が見えすぎたり見えなさすぎたり。看板の文字体と灯りに書かれた店名の文字体が違ったり。「歌とお酒と手料理&おしゃべりの店」「歌えるスナック&ワインの店」など文言がゴチャゴチャして焦点がぼやけていたり。
そして一年くらいで消え、また同じような「中途半端に手作り感のある」「冷たいような暖かいようなちぐはぐな」別の店灯りに取って代わる。そういう町である。



いまはちょうど、店じまいの前後の時間帯。
店主が一人わびしく暖簾を片付けている。或いはじっとカウンターでテレビを一人見ている。もの静かな老夫婦だけが洋食をすすっている。店の中国人家族とその仲間が灯りを半分消してカウンターで喋っていたりする。そんな一つ一つの物語が見えた。それを今日は、とくに異邦人のような遠い気持で眺める。
駅裏の通り、この町にしては大きめのビルに【国際学院】という文字が見える。新しい外国人向け学校だろう。そういえばここ一二年で東南アジア系の人々をよく見るようになった。年末に郵便局に行ったら外国人の青年たちが故郷に荷物や手紙を送るので込み合っていた、と夫が言った。彼らから見るこの町はどんなふうに見えるのか。



「明日から俺少し夜歩こうかな」と夫がふと言う。運動のためもあるが、夜の空気には新鮮な発見があると思ったのだろう。
「夜歩く、という小説があるね」と私はふと思い出して行った。「誰の」「横溝正史の」
横溝正史ならたぶん幽霊とか夢遊病者の夜歩きのことなのだろうが、読んだことはまだない。しかし良いタイトルだと昔から思っている。「【夜歩く】だけか。良いな。そういうシンプルなタイトル俺好きだ」と夫もつぶやいている。








# by meo-flowerless | 2018-01-07 21:56 |

ソフト・リゾート


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実家の正月テレビで、バブル期を振り返る特集をしていた。
ハウステンボスや新潟ロシア村、戦国村…
「この時代、テーマパークの建設が大流行!」とのナレーションに、真徳が「なんでこの時代にそんなに流行ったんだ」と呟く。9歳上でありバブル期には成年になっていた自分は「それはね」と、知ったかぶって答えようとした。
が、明確には答えられずかえって「?」と考え込んでしまった。




日本初ディズニーランド建設以来の遊園地巨大化ブーム。地方創生の金の流れ。核家族のレジャーに対する意識変化。色々要素はあるだろう。けど何かはっきりしない。
そこで携帯で検索してみて、久々に「リゾート法」というキーワードを思い出したのである。リゾート法.....そのあたりのことをきっちり抑えておかないと、最近モチーフにしているような「痴情と稚情に満ちたデザインの廃墟」の裏が取れない、と改めて思わされる。




正確に言えば、私の好きなドライブインやモーテル建築は70~80年代くらいのもので、80~90年代「リゾート法」施行下で乱立したフルーツ型バス待合室・カッパ橋・カブト型の駅、のような一連のキャラクター風デザインのものではない。そのあたりのデザインの変化の背景、心性をわかっておきたい。
私にとって、両者は全く方向性が違うのである。



今また、破綻したテーマパークのリニューアルブームだというが、インスタ映えSNS映えする、写真の後背・書割としての需要が見直されていることもあるのだろう。この平面的なリニューアルブームがまたいつか成れの果てを迎える時にはどのような有様になっているのか、興味はある。
しかしやはりいまの私が当分魅かれるのは、バブル前後のリゾート観やレジャー感の時差的な違いである。



バブル後期に「リゾート法」「ふるさと創生」などに呼応して出来た巨大テーマパークやその周辺のレジャー施設のデザインには、圧倒的に「エロさがない」と感じる。
いや、エロを目的にして欲しかったなどと言いたいのではない。
国民に課せられた息苦しい余暇、意識的な拝金、遊戯の強制感。「遊ぶこころ本来のゆらゆらした不安定感」を拒絶するようなデザイン性に陥っているのが、あの時期のテーマパークの特徴、と思うのだ。
役場の人々がやれやれと思いながら片棒を担がされているところもあったであろう。行政が家族の余暇と幸福を奨励しているところに、一抹のいかがわしさも生じるわけがない。



最近私がとくに思いを馳せているバブル前夜のエロさ・いかがわしさとは、単純に性産業的なニュアンスではない。「そのへんのカップルのプライベートな」「ソフトな下心」のエロさである。たまの休日だから「あの娘と」「チョット」「はめをはずす」非日常の草いきれ。
レジャーも性慾も、目的の価値というよりは気分に価値があったのかもしれない。
そのものズバリのラブホなどよりむしろ、普通のレストランやファンシーな土産屋のほうが、そこはかとなくソフトポルノ感があった、と思う。



70年代後期だったか80年代初頭だったか。とにかく自分の幼時、清里など高原リゾートが流行っていて、レイヤーカットの女子大生グループが女3人旅行などをこぞってしていた。
子供目線ながら、あの頃流行したメルヘンな白い建物やレースのカーテンに、どこか少し吐気混じりの淫猥さを感じていた。盛り場のイカニモという暗さより、高原のそよかぜにスカートが翻って生じるパンチラの「誘う眩しさ」。ソフトリゾートは、うたかたの青春の甘酸っぱさとおしっこ臭さ、観光向け牧場の乳臭さのいりまじった甘い匂いがした。



ちなみに、このレースの白さは、当時のスケ番女子高生などの奇妙な妖艶さ、赤さが対になっている。暴走族全盛期のスケ番の色気というのは、その前の和田アキ子や杉本美樹などの不良性ともおそらく違い、いまのヤンキーのわびしい感じとも違い、異様に際立った夜叉のような妖気を放っていたように思う。



しかし、中学生高校生くらいになると、アレ?というほど文化にも風景にも淫猥な匂いが消えた。
あれはどういう世の流れだったんだろうか。
テレビでも、どこにでもいる隣家の高校生のような子(そのくせ純潔性は普通に喪っている)、内輪うけで手を叩いて笑っているだけのタレントなどを毎日見ていなければならなくなり、憧れもなくなりテレビを消した。
ちなみに、ミッキーマウスなどのディズニー的価値・サンリオのファンシー価値からエキゾチックな臭いが消え、よりローカルにドメスティックに意味を再生産されていった気がするのも、その頃だ。サンリオは国産ブランドであるが、初期のハローキティや、もう廃れ果てたパティ&ジミーなどにはもう少し、敢えて演出された外国感があったのだったが。



90年代後期、自分の大学生時代には、書店に「廃墟本」が並んでいた。あれも一種のブームだったように記憶している。世紀末に合わせたというのもあるだろう。自分もその影響は、多分に受けていたと思う。
廃墟には魅かれ続けたものの、バブル崩壊に伴い破綻したテーマパーク廃墟のアフターユートピア感、ディストピア感というのは、その後のゲームやマンガ世代に受け継がれて行った。新たな「ファンタジーの戦場」として舞台になって行くのである。そこまで行くと、もう私の好みでは追う気になれない、別の文化圏のものになる。
ディストピア戦士感に満ちたゼロゼロ世代の手で、ソフトなへその緒にくっついていた白いレース付きテニス用パンティーは、いったん断ち切られて行ってしまった。



リゾート法前夜の、「プライベート・ソフトリゾート期」のような感覚。そんなものがあったのかなかったのか正確な時代性など解らないが、私の心の襞にはそう刻み込まれている。
あの頃眩しく思えたレースの白さは、今や表面的には、100均の写真立てにくっついているちっさいイミテーションカーテンなんかにささやかに受け継がれている。
妖艶なスケ番の髪の赤さもまた、何回も消費されたイミテーション和風な「紅」となって、ヨサコイの衣装に息づいているが、鬼気迫る輝きはさすがに喪ってしまっている。



しかし「プライベート・ソフトリゾート」は実は、中高年のこころと身体の水面下に俄然続いているんだ、と私は信じているところがある。いろんなかたちで、しぶとくね。

# by meo-flowerless | 2018-01-03 16:57 |

瑣末で切実な望み

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他県の県庁所在地のバスが見知らぬ大通りをなんども曲がるうち、初めて乗っている私は「あれ、まだ曲がるのか」と完全に方向感覚がわからなくなる。
やけに甲高い女声放送が、「○○通り二番」とか「○○町四丁目」と似たようなバス停を二度ずつ連呼する。
その声はまた、停留所案内の合間に「銘菓は何々屋」「贈答品のご用命は○○町、何デパート」などと、地元ならではのローカル商店情報をも早口にアナウンスする。



生花を白紙に包んで持った和裁の先生のような着物の老女がバスに乗っている。生花には猫柳と、何か1本くらいは香る花が混じる。
その人のもう一方の手に提げている紙袋の文字を眺め、私は「ああ、今放送で言った何々屋の銘菓だな…」とぼんやり思っている。
その人からなのか、他の老女からなのか、かすかにナフタリンの匂いがする。



.....というような、何てことはないのに懐かしい一連の感じを味わいたい。



そのようなバスを降りた先の、宿か知人宅か、とにかくよそ様の日本家屋に泊まるとする。
夜まだ眠くはないが、客間の六畳の布団に寝かせてもらう。
目が暗がりに慣れて来た頃、部屋の襖に書いてある山水の模様を眺めているうち「実際、あの中にいたらどんな距離感か」とか「あれは何処の山なのか」などと考え始め、さらに眠れなくなる。



朝見ると、その家の電話のそばに「何々屋の銘菓」の文字の入ったカレンダーかメモ帳が貼ってある。路線バスの時刻表も貼ってあるが、随分昔のものである。
また、そんなメモ用紙にボールペンで走り書きしてあるタクシー会社の電話番号などをとても風情があると感じる。古くからありそうな油性ペンの黄ばんだメモには、局番一けたの電話なども走り書きしてある。



そういう経験がしたいのである。切実に。
いつかむかし確実に経験済みのようでいて、いつ何処でとは言えず、別人の記憶が乗り移っている錯覚を起こすくらい遠く、しかし近い将来にそんな経験を不意にまたしそうな。



ああ、こういうことが本当にしたいなあ、と思うことが、大抵他人にはどうでもいいことが多い。しかし、他人にはどうでもいいのだろうと思えば思うほど、そんなどうでもいい経験の望みが愛おしく感じるのである。
しかしそれは、わざわざそれをしに出向くような事柄ではない。日常の隙間にはらりと落とす塵紙のような、いつかの儚い経験の薄い積層が、ふとした風にもう一度動くのである。


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どこか関東の僻地のだだっ広い国道の十字路に、バスから降りてポツンと1人残される。
十字路の四角はそれぞれ広大な工場、トラック出入りする広大な資材置場、産廃処理場まわりの銀の塀、田んぼである。
店など一軒もないが、遠くにつぶれた道産子ラーメンの廃屋はある。
雨がボソボソ降ってこの上なく陰惨である。自分も用事を済ませるまで、そんな寂しい道を辿るのが憂鬱である。


雨の野のドラム缶から煙がくすぶっていて、何か人工物を燃やしているのが匂う。ああこれがダイオキシンの匂いだな、となんとなく思う。
二度とこんなさびしいところには来たくはないと思いつつ、何故かそういう記憶は鮮やかで、時間が経つともう一度経験したくなる。夜の夢の合間に、遠く懐かしくその雨の暗さを思い出す。



そういう国道沿いの殺伐とした中に、奇妙なほど優しげな洋菓子屋がちょっと奥まって店を構えていることがある。白い80年代的な店構えである。
恐る恐る入ると、太りじしで暗い瞳の中年男性が、白い上っ張りで静かに店内にいる。客に少し驚くような感じで、高い小さな声でいらっしゃいませ、という。



丁寧な手作りの洋菓子はクッキー系が多く、生ケーキは二種類くらいしかない。しかし手描きの貼紙を見ると、ロールケーキは自慢のようだから、買ってみる。店主の暗い目が少し潤んだような錯覚がある。ケーキを静かに渡してくれる店主の腕毛が、物凄く濃い……悲哀感をもって、腕毛を思い出しながらロールケーキひと巻を自宅でモソモソと食べるのである。



…というような妄想の旅を、この正月は楽しむぞ。

# by meo-flowerless | 2018-01-01 21:43 |

2018年1月の日記

2018年1月の日記




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# by meo-flowerless | 2018-01-01 08:18 | 日記

【何も死ぬことはないだろうに】北原ミレイ

雪が降る 雪が降る

涙こおらせ 雪が降る

あとでみんなはこう云うだろう

何も死ぬことはないだろうに



北原ミレイの歌う【何も死ぬことはないだろうに】というタイトルを見るたびに、なにも何も死ぬことはないだろうになんていう歌を作ることはないだろうに…とニヤリとしてしまう。

普通の歌謡曲タイトルに「死」という言葉を平気で使うのは、現代では考えられない感覚かもしれない。しかし6-70年代には割とあった。



歌謡曲に凝り始めたころ。

カセット懐メロコンピレーションに、弘田三枝子【私が死んだら】、カルメン・マキ【私が死んでも】、北原ミレイ【何も死ぬことはないだろうに】を続けて編集して聴いたりした。【死】とはいってももちろんリアルな苦悩は描かれず、さしたる理由も語られず、とにかく恋の相手に(と一緒に)美しい死をほのめかす、どれもそんな歌詞世界である。



最初は冗談のように連続して入れたのだが、全て佳曲で絶唱でもあり、聴きこむうちにその三曲のところで、必ず涙が浮かんでくるほどになった。失恋した時などには聴かない。幸福な状態の時ほど逆説的にしっくりくる三曲だ。その方が悲劇にたっぷり酔えるのである。

「幸福とはしょせん薄氷、いつか無惨にも美しく破れるのだ…」と、なんだかんだ言っても若気の至りで思い込んでいた。



年取った今は、やはり「死ぬほどのことかいな」と心でツッコミながら聴く。しかし何故この不幸志向の感性が存在したのかはいまでこそ心底、理解できる。

男が人生の中でヒーローの幻影と戯れずにいられないのと同じく、女はヒロインの呪縛からどこかで逃れられない。特に「悲劇の」ヒロインでなければ納得できない本能が若いときには働いていた。自分が老いて庇護の対象から次第に外れていくことに、本能的に抗うのだろうか。

同じ死ぬなら劇愛の顛末のはてに死にたい.....愛された者としての烙印を刻んで散りたい....そういうベタな憧れの数々を、今も私は決して、自らに恥じることが出来ない。



「見ていてくれないならもう私、死んじゃうから!」

あの、ヒロイズム的駆け引きの激情。ひょっとすると恋愛がらみというよりは、そもそもは、幼児の「母親との分離体験」の名残なのでは、とも思ったりもする。メメント・モリ(死を思え)の指令は他者から観念で教えられるのではなく、成長過程の分離不安をもって自らの身体で自覚する指令だ。各自がその意味と折り合いを付けながら死を知り死に憧れ、死を諦め死を越えて、やがて死んで行くものなのだろう。




6-70年代頃までは、若く鬱陶しい悲劇の駆け引きを、充分にさせてくれる温床が文化のなかにあったのだ。

しかし21世紀の日本、若年層の間でこれら悲劇のヒロイズムは【中二病】などの一言で揶揄され、嘲笑される。

「自分に酔う」「悲しみに酔う」「感情に溺れる」ということは、ありえないほどダサく、ウザく、恥ずかしいことなのだ。彼らはいやというほどモラトリアムの曖昧な長さに人生を埋めながらもモラトリアムの質的価値のほとんどを否定してしまう。

【中二病】という言葉は特に、大人からの愛ある目線というより、若い人自身の自嘲「ww」「笑」を帯びて定着してしまった厄介さがあるように思う。今の若い人にとって、死への情動やタナトスの発散は、大人の愛や庇護を引きよせる目的より、若い同世代間の牽制のために働くのだろうう。


「自分に酔える」余地の広さ、迷いの道の長さ、逡巡のしつこさが、若さに許された重要な「距離」だったと思う。かつては。その距離は、実際の死への長い遠い距離と等しかったはずだ。

しかし今はもしかすると、砂浜無しのいきなりの海のように、その実際の死への距離が唐突に近いのかもしれない。一歩先には、本当に笑うことも酔うことも出来ない乾いた絶望が、ただ広がっているのかもしれない。



【キラキラ女子】【インスタ映え】という近年の言葉や文化。不幸自慢に対抗して、こちらは幸福自慢や充実自慢の類いか。

とすると【中二病】を毛嫌いする人々が肯定的に使いそうな感じだが、何周か回って結局肯定的な言葉になるのか自嘲的な言葉になるのかを、私は把握できていない。ので、これらの語を私などは使えない。

不遇を覆すきらめきというより「不幸に酔ってはいけない時代の、まやかしでも言い張るべき保守的な幸福の正当性」という....ややこしい構造を感じる。うわべのリッチさや明るさへの陶酔にむしろ、実際の悲劇の底恐ろしさを見るような気がする。



「惜しまれたい」は押し殺されても「褒められたい」は我先にとひしめきあう時代なのである。しかし考えてみれば「惜しむ」とは心で感じる真の情であり、「褒める」というのは単なる言語行為をさすに過ぎない。

惜しまれたい人と褒められたい人、行き道がはっきり別れるかもしれない。


# by meo-flowerless | 2017-12-25 23:14 |