画家 齋藤芽生の日記


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2019年7月の日記

2019年7月の日記




7月某日


二、三年ぶりに豊橋駅付近の「水上ビル」を訪れる。夫の父の13回忌法要に向かう前日。このビルは水上という名前のとおり、暗渠のうえに建てられている昭和遺産の商店ビルだ。
アーケードのシャッター通りも胸詰まる憂愁があるが、こういう団地の一階部分店舗型の造りは、自分の幼年時代を思い出して感慨深いのだ。
前に訪れたときは愛知トリエンナーレの会場になっていて、小鳥放し飼いの問題作品などが展開されていた。件の小鳥を提供したらしい小鳥店は、今回見当たらなかった。


いまは静まり返り現役感はだいぶ無い。しかし踏みしだいて住みたおした建材の残臭を窓の外観から感じる。年季の入った集合住宅の窓は、渋いインスタレーションのような見ごたえがある。


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一階の店先も、ひと区画ごとになかなか素晴らしいデザイン性を感じてしまう。それはそれで職業病なのかもしれない。

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水上ビルはかろうじて残されているが、トリエンナーレで会場になっていた古びた商業ビルディングが壊され更地になっていた。


ほとんど通行人もない商店ビルのどこかから、なんだか地中海の古楽器みたいなBGMが聞こえている。
キンキンとしたテンポの速いエキゾチックなメロディが何度も繰り返される。誰も客がないのに洒落た風情のBGMとは、廃れた商店街にはよくあることだ。



なんか大正琴の練習みたいだな、と思った途端に、実際それは、二、三固まっている日本家屋からの大正琴の練習音なんだと理解する。
「この曲は絶対にどこかで聴いたことがある」沼に嵌ってしまい、思い出すために静止画のように足が止まる。なんだっけ…民族音楽集のどれかか…?
旅路、という文言がスナック看板フォントで脳裏に点滅し始めると同時に、地中海か中東音楽と思い込んでいたエキゾチックメロディの上に「旅路の果ての〜 孤独な街で〜おれは悲しき恋を知ったの〜さ」と歌詞が乗っかってきた。
ブルーコメッツの【青い瞳】の冒頭を、えんえんと大正琴で繰り返しているのだと解った。ブルコメか…
毎度、自分の音楽追跡力(昭和歌謡限定)には我ながら感心する。


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預かっていたトライアルの保護猫、コロ猫がとうとう正式にうちの実家の猫になった。
旅路のはてでもおれの頭は八割コロ猫のことでいっぱいだったのさ。


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愛知の夫の実家から東京に戻り、自分の実家に。さすがに疲れてソファベッドに布団掛けて昼寝をしようとすると、布団好きの猫は足元に潜り込んできた。
私の左足を探し当てると足の甲のうえにドンっと体ごと乗っかる。暖かくて重くてくすぐったい。時々息がフンとかかる。そして右足の親指を自分の前足で持つように挟んで眠り始める。足指のあいだに猫の肉球をプニッと射し込んでくるのである。
起きるときは思い切り足の甲に爪を開いて伸びをしながら布団をでてきいった。夢のような猫との暮らしだな。




7月某日


線香花火をとくに好んで夏の楽しみにしているわけではない。線香花火の火に見惚れ光を愛でる時間は、私のでなく他人の団欒の時間だと感じる。
でも火花の消えた後の喪失感は、黒い余韻は、いつも自分のもの、と言ってもいい気がする。



7月某日

どんな発言内容であろうがSNS上での言葉は結局いつかポピュリズムに集約されていくとしか思えない。
「義憤」至上主義なんだよ。いつしか自分自身が天の声でもあるかのように、大多数の代弁者のように、見えもせず関係もない他人の救済者のように、不思議に実体のない正義を身に纏う。そんな、自分だけは何かを免れていられるという思い込みは、つかのまの脳内麻薬の作用でしかないんじゃないか。

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砂のような暗黙が欲しい。砂金のような実質の重さが欲しい。それだけ。


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実家のコロ猫は、どんくさい割にはプライドが高く、人懐こいように見えて実は気分を掴ませないところがある。まあ猫だからそれはそうなのだが。
私などとうに飼主認定から却下され、適当にしかあしらわれていないように感じられる。


しかし一晩実家のソファベッドで泊まった明け方。
その日は母の部屋にも夫の宿泊部屋にもいかず私の寝室の隅で寝ていた猫が、気がつくと、ズンという重さでベッドの足元に乗ってきている。
そのときの見たことない陶然とした顔に、ん?と目がさめる。



おいでと一応言ってみると、トットッと「笑いながら」突進して顔に近づいてくる。
いや、実際笑ってはいないが、笑っているとはっきり思わせてしまうような何かを発散している。「ダルマさん転んだ」の接近のくすぐったさと寒気にも似ている。
ゴロゴロ喉を鳴らしながら顔のそばで猛烈に甘えてくるので面食らう。頬を撫でていると嬉しさエスカレートしたのか、柔らかい前あしでドンと私の胸に乗っかる。苦しい、と思うがもう一つの足まで乗ってきて、上半身を完全に私の胸に乗せて、まじまじと私の鼻に鼻を寄せて顔を見つめる。征服されたとしか思えない、説得力ある猫の半目。
ウッ、人に対してこんな変な気分になることあったか?と、冷汗をなぜか感じる。
猫はどんなに鈍臭くても、やはり妖艶な生き物なのだと身にしみる。


by meo-flowerless | 2019-07-08 10:25 | 日記