画家 齋藤芽生の日記


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2018年5月の日記

2018年5月の日記



5月2日

一日仕事を休み母の病院に同伴。様々な判断をして来たが、結果なんとなくホッとしてもいる。久しぶりに実家に泊まり母と沢山話した。
そのせいかこれもまた久しぶりに、熟睡することができた。心配の種は尽きぬがとにかく側にいればホッとするのだろう。


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上野公園の楠の花が盛りで、なんとも爽やかな檸檬石鹸のような香りが立ち込めている。母に一房持って帰りたい、と木の周りを探したが落花はなかった。



5月3日


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ウズベキスタンから一ヶ月かかってようやく送られてきた注文品の布。包みを開けた時点でネットの画像と大分違う。商品自体が違うのもあったが、ま、気にしない…
そのうえ大方のアジア布はやはり一度水洗いして基本的染料を落としておかないと、目も当てられないほど色移りする。水洗いは手でやるので面倒だし、干す頃にはもうなんだか注文した時とは別世界の布に変容しているものもある。まあそこが楽しいんだけど。洗うのは綿だけ。絹は縮むだろうから洗ったことはない。


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ウズベクのアトラスは日本の絣や着物にもよく合う織物だが、しかしこうして俯瞰して見ると日本人はあまり見たことのないような世界観である。



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買物がてらひさびさに母と川沿いを歩く。昼間に荒天だったからか、そのあとの夕焼が幻想的な日である。母は、もうしばらく夕焼なんて見ていなかったと言った。毎日買物に出てはいるだろうが、ゆっくり空を仰ぐなんてことをしていなかったようだ。
上野が楠の花盛りだという話をしたら羨ましがった。今特に胸一杯にあの匂いを嗅ぎたいだろう。
某高校の塀際に一本だけ楠の木があるというので、二人で花が咲いているか確かめに行った。しかし花盛りどころか、大掛かりに枝を剪定したあとで、ぶった切られた枝にわずかな若葉と枯葉がチラホラしているだけの侘しい木の姿だった。枝は適宜剪定しなけりゃいけないのだろうが、切り過ぎているようにも見えた。



5月6日


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この歳になってやっと母から洋裁を伝授。一昨日は裁断、きのうは一日縫製をして最初の一作が出来上がる。次作も途中までは出来ているが、まだ袖グリやファスナーなどは、もう一度聞かないとわからない。
自分の料理を初めて作って食べた時を思い出すような、微妙にいいのか悪いのかわからない気持ちで、出来上がった服を見る。

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二着目完成。同じ型で、ちがう赤の花柄を4枚くらいは縫いたい。
たどたどしい手跡だけど自分で着る分にはいいや。
ウズベク絣や着物の反物巾のを継ぎはぎしたり、テロンとした絹物を縫えるようになるにはまだ時間かかるだろう。
次は襟なし七分袖ブラウスと巻きスカートを型紙製作から習う。


5月7日


最近あまり利用しなかった世界堂新宿店に、ふと思い立ち朝から買物に行った。
店を出て映画館あたりを歩いていたところ「先生!」と呼び止められた、それだけでわっと驚いたが相手の顔を見て思わず何回も「あー!あー!」と叫んでしまった。



カンボジアのシェムリアップで子供達のために独自に美術を教えている笠原知子先生だった。二月末にカンボジア渡航した際にお世話になったばかりだ。私はあまり飛び跳ねたりしないのだが不意の再会に吃驚して思わずピョンピョンと跳ねてしまった。笠原さんの手もしっかり掴んでいたような気がする…
ちょうどご用事で日本に一時帰国し画材を買いに行かれるところですれ違ったのだ。何というタイミングだろう。



我に返りあらためて二月の授業体験の御礼をした。またいらっしゃいと笑顔で言って下さった。そしてまたいつでも会えるかのように実に自然に颯爽と別れていった。
私はちょうど連休中に実家で母に笠原さんやスモールアートスクールのことを話し、あのさりげなく懐かしいふところの深さに、想いを馳せていた。それだけに感慨深い再会であり、しばらく嬉しさの余韻に浸っていた。


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昨日まで心置きなく、母と過ごした。いい連休だった。洋服も初めて挑戦し二枚縫った。要するに私は、最近ずっと「母欠乏症」「母不足」だったのだと思う。新宿にせっかく来たので母が喜んで飲みそうな胸がスーッとするハーブティーを探した。修道女の絵のついた、呼吸に効果のある箱パックを買って帰った。




5月11日


パトカーのサイレンの向かう先には何かしらのトラブルや事故があるのだろうから、そんなサイレン音などは、なるべく聴かない日々である方がいい、
しかし個人的には、5〜6月頃の冴えた夜空に遠い高速のパトカーサイレンが反響している音に、何故か曰くいいがたい情緒を感じてしまったりする。もちろん暖かい情緒ではなく悲愴感なのだが、はっと「生きている」我が身を思い出して震えるのである。
場所は外環道あたりのイメージ。外環道をパトカーなどが通るかどうかは知らないが、あの辺の夜空は、ことあるごとに脳裏に蘇り、なぜか自分を覚醒させる。


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ふと今朝の6時ころ、いったん目が覚めたことを思い出した。
「10」
窓のすぐ下で、すごく澄んだ子供の声が突然叫んだのだ。男の子だと思う。
「9……8……7……6……」
何なのか興味を惹かれて耳だけ完全に覚醒する。
「3……2……1……」
のところでもう何だか大変なことが起こりそうな期待と不安が一気に高まった。
「……ゼロ!」
そのあとにはただひたすら静けさが続くだけだった。起きて窓の下を覗きに行こうかな、と思った瞬間に急激に睡魔が戻って来て、それから先の記憶なし。
私への麻酔のカウントダウンのようだった。




5月12日


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珈琲があまり飲めないかわりに、様々な紅茶を数年来あつめては嵌ってきた。イチゴやローズなどの香料をつけた甘いフレーバーティーから始まり、アッサムやダージリンやヒマラヤ紅茶の茶園もの、日本の茶園が作る和紅茶、様々な中国の省の紅茶、台湾の蜜香紅茶、そして今はハーブティーを飲んでいる。
お茶の趣味は恐ろしく、油断しているといくらでも金が飛ぶ。カメラのレンズ沼も怖いが茶沼も怖い。しかしながらやはり色々飲んでみてしまうと、美味いものは高く、高いものは美味い。かなりの数を試した後は、好きなものを数少なく絞り込んで細々と絶やさずにいたい。


今までで「これは…!」と頷いた紅茶を売る茶舗は奈良の【心樹庵】。中国、台湾、日本の紅茶や青茶や緑茶を幅広く紹介している。金駿眉という中国の名紅茶の花果香、ラプサンスーチョン本来の燻香無しの花香正山小種、鳥東単叢紅茶杏仁香など、それぞれの特徴のある奥深い香りが素晴らしい。ジャスミンの花茶などとは全く違った、茶葉自体の深い甘い香りである。
近所のお米パン屋【マゴメ】に置いてある様々な種類のヒマラヤ紅茶も奥深い香りで、より澄んだ味がする。キリッとした山岳の冷気を連想する。ヒマラヤン・ワイルド・イエティという伝説の雪男の名前の青茶が特に気に入っている。
【bellocq】は、オーガニックにつきものの薄味健康志向などと対極の、物語や風土の情景を感じさせる濃密なオーガニック茶で、Ashram afternoonやHindu holidayなどの、爽快な通り雨みたいなインド系を、最近はとくに新鮮に感じる。
一番最近に入手した【お花茶】の、びわの葉ジャスミン、黒豆レモングラスなどは和のハーブティーで、一つ一つの素材の香りと味がきっちり際立った傑作だった。
また【プランツェン アポテーケ】のハーブティーのSPRINGは、飲む沈丁花という感じの強いレモン風味・花風味で、丁寧かつゴージャスなオーガニックを堪能出来た。


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ストレス発散に一人カラオケに行こうと思っていたが、買物に出るついでに母と一緒に行くことになった。七、八年ぶりに母と歌いに行くので嬉しい。と言っても随分前から母自身は歌わなくなってしまったが。細い美声で倍賞千恵子などを歌ってくれた頃が懐かしい。
一曲ごとに「聴き疲れてない?」「退屈してない?」と訊くが、大丈夫だよと椅子に足を伸ばして聴いてくれている。母に聴かせたことのないベトナムの曲【美しい昔】天童よしみバージョン、【かもめの歌】中島みゆき、【海猫】北原ミレイなどは、いい曲だなと感心していた。母の好きな【いつのまにか少女は】井上陽水も歌った。歌唱自体を「この曲はあなたの声に合ってる」といってくれたのは【そして神戸】クールファイブ、【舟歌】八代亜紀。自分にとっては難しい歌なので意外だった。【舟歌】は三本指に入るほど好きな曲だと言うので、他二曲は?と訊くと、うーん….わかんないけど、と答えた。【東京砂漠】もかなり好きかな、とも。津軽海峡冬景色ではないらしかった。あと一曲はどれだろうな?




5月14日


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御茶ノ水橋の橋梁と新緑の色の組み合わせが良いので、思わず駅で途中下車してホームから写真を撮る。褪せたターコイズブルーにはとても惹かれる。




5月16日


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大学生の時に描いた自画像が出てきた。痩せてたな。背景は福岡の西戸崎に向かう、砂州の上の線路。



5月18日

奈良にある大学の研修施設に三年に一度引率で訪れる。施設ではもう長いこと、朝の起床時に西城秀樹の【ヤングマン】がかかる仕様になっている。今ではYMCAのフレーズは私のなかで奈良公園の芝生と鹿の群れの光景と切っても切り離せないものになっている。
今も油画科の学生は研修旅行中だが、起床のヤングマンを亡くなった歌手追悼の感覚で聴いている学生なども、もしかするといるかもしれない。


西城秀樹は特別ファンだなどとと思ったことはないのだが、しかし歌唱力も人柄も華も文句なしの「中身あるスター」と感じていた。アイドル時代には歌唱力に合った曲に恵まれていた方だろう。しかし御三家の頃の「アイドル」は余りに記号化していて、もしかすると西城秀樹の人間臭い歌唱のいろんな部分を削いでいた可能性もあるかもしれない。


西城秀樹がライブでキングクリムゾンの【エピタフ】を歌っている音源がネットにある。雷雨の大阪球場だったか、曲が盛り上がるにつれ雨脚の激しくなる音や雷鳴が入っていて臨場感がある。そして何故かしみじみと、心で泣ける。彼が亡くなった今は尚更だ。学生時代に聴いていたなどというのではないのに、青春の様々な影が蘇ってくる歌唱だ。



5月21日


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土日いっぱい大学の受託事業の視察・会議でみなかみ町へ。例年訪れもう6回目くらいになるだろうか。天気のせいか風景が例年に増して、鮮やかに瞼に焼きつく。
赤谷湖というダム湖の周りをバスは走ったがこのルートは初めてではないか。鯉のぼりが湖面を横断して提げられているのを学生が歓声をあげながら見ている。
ダム湖はどこの湖でも、どことなく人口の不気味な美しさを持っている。溢れる天然水ではなくてカップに半分溜まった青いブラックコーヒー、という感覚でいつも見ている。しかしきのうの赤谷湖には晴れ晴れした自然の懐かしさも感じた。


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湖畔の古びた観光施設群…大好きなトンガリ屋根のドライブインや剥落したホテル、数日置いたショートケーキのような白い建物などが、新緑の間にしずかに身体をやすめるように埋もれていた。自分のなかの孤独の針が、うれしさに震えていた。



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鳳凰単叢という広東省の烏龍茶の茶葉は、幾十の香気の種類やフルーティさで名を馳せている。鳳凰単叢・蜜蘭香の茶葉を持っていたが、最初に飲んだときにはただ平凡な焙煎香しか感じず多少がっかりして、数カ月手が伸びなかった。しかし思い出して最近淹れてみたら、目がさめるほどのマスカットそっくり香に変化していたので、遅ればせながら感激した。調子に乗って芝蘭香、杏仁香、柚花香、鴨屎香を取り寄せ、試飲をしているが、やはり蜜蘭香の初体験の時のように、平凡な焙煎香にしか感じられない。
一つ一つの風味の違いは明確なのはわかる。蜜蘭香はねっとり底に張り付いたようなドライフルーツ香、芝蘭香はガーデニア系香水のハイトーンな白花香、柚花香はすっきりした陳皮の雰囲気、杏仁香はゴボウ経由のスイートポテト、鴨屎香は青々しいミルキー。私の体質や味覚から考えるとどれも夏にすっきりとした冷茶にした方がよさそうだ。


同じ中国烏龍茶でも、試飲した限りでは武夷岩茶の方が体質に合っていそうな気がする。のり茶漬けみたいな雰囲気で、始めは美味しいとも思わなかったが、後に喉や口や食道に残る戻り香がじんわりとした滋養分を感じ、暖かく気持ち良い。武夷岩茶は普段に飲めるような値段でもないのだが、なにせ一つ一つの名前が白鶏冠、酔貴妃、水金亀、夜来香、石乳、半天妖、黄観音、鉄羅漢…など、もう自分がハマっていくしかない絢爛なイメージに満ちている。



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湖畔のほとりのレジャー施設やレストランの雰囲気、私のなかでは勝手に「湖畔文化」ともいうべき一定の美学とテンション(弛緩のほう)をどこも保っている。
忘れ去られた山の湖畔にみなぎる五月は、本当に美しい五月である。五月は都会の五月病のためにあるわけではない。厭世に自然に理由を与えてくれ、圧倒的な逃亡力を後押ししてくれるのが五月の光と影である。…と思いたい。
そんなわけで私は半永久的にあんな湖畔に隠棲したい。若葉萌える頃に忽然と人の前から消えたい。それが夢でも妄想でもさ、湖畔文化の廃れた甘さのなかでしずかに生きて死ねたらいい。夏になったら舞台は廃れた海辺に変わるんだけどさ。


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五月を漢字一文字で表すとしたら「幽」がいい、とふと思う。真昼の山のトンネルの手前にゆれている陽炎、みたいな字である。
幽といえば霊….と連想するときの幽より、「幽」一文字の方がずっと不可解でイメージを掻き立てる。





5月22日

ずっと眠れなかったが、明け方10分くらいだけの眠りにみた夢。

母と夫と何処か旅先の旅館に居る。白々とした畳の間の蛍光灯の下に一匹の蛾が迷い込んでくる。明らかに蛾だが、見たことないほど不思議な美しい羽の色をしている。
上翅は枯葉色にオレンジ色の目玉紋だが、下翅は真白地に光る青藤色のマダラ模様である。青藤色には細い黒の縁どりがある。形も色も類い稀なエレガントさである。しかし何故か私に執拗に止まろうとする。初めは手を差し伸べて眺めて見入っていたが余りに追いかけてくるので逃げ回る。隣室に逃げ込んで戸を閉め隙間から見ていると、捕まえたよ、と言いながら夫が蛾を食べてしまっている。私がアッと叫ぶのと、夫がマズイと吐き出すのが、同時であった。


昼になり、母と木漏れ日眩しいバスに揺られ湖畔沿いの木々の道路を走っている。
「ここが南仏だよ」と私は説明している。「湖も綺麗な藤色だし、昨日も青い蛾がいたでしょう。フランスだね」と意味の通らぬ知ったかぶりを私はする。しかし母は車窓から漏れ来る光に目を細め楽しそうだ。
ふとバスの外、山のカーブのところで、色鮮やかな子供の玩具が所狭しと並べられている古い木造の家が見えた。フランスの雑貨屋は可愛いな、と一瞬言おうとするが、どうも日本語の文字のついたガラクタが置いてある。牛乳瓶受け、銭湯の電話番号入り押しぐるま、ロンちゃんとそれの入っていた日本語の箱。誰か日本人家族が遥か昔移りすんだまま廃墟化したようだ。ふと席の反対隣をみるとまだ身体のしっかりした父が座っている。父をこんな旅に連れてこれるのは最後かもしれない。
「とうとうヨーロッパまで来れたね。夢みたいだね」と声をかけると黙って私の肩を抱いた。



また先ほどの宿のひんやりした三和土に戻っている。母、夫と話していると白い子猫がニャーとやってきた。猫だ、と他の二人は喜んだ。私も手を差し伸べるが、いち早く子猫の目が真ん中に一つしかないことに気づき、ああ…と複雑な気持になる。抱き上げた夫がやっと気付き、ああこいつ目がなあ、といたわるように言った。それぞれ目のことは気にしないように可愛がるが、なにか猫の方から只ならぬ執着と妖気を感じ始めた。夫が気づき「気をつけな。もう、目を合わせない方がいい」と言い「分かってる。さっきから目を合わせていない」とは答えるが、猫は執拗にぎらぎらと私だけを見ているようである。やがて地面から飛んで私の手に爪を立ててぶら下がる。ものすごく痛いが、血はでない。冷静に振り解き、あるいは爪を抜こうとするが、いつまでも激しく爪を食い込ませて手にぶら下がり、隻眼で一心にこちらを見つめてくる。これは根負けした方が負けだ、と私も痛みながらじっとそっぽを向いている。





5月23日



「夢」や「希望」の押売りに煽られない冒険者の資質。「共感」や「影響」から距離を取る覚悟を持つ表現者の資質。「活性化」とか「刷新」とか空疎な政治用語を警戒しまくる芸術家の資質。
資質というもんは持って生まれるものか環境から備わるものか。逆の資質…というより体質はよく見かけるけど。


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ネット上のニュースや文字情報をつい見てしまうことによる、結構な疲弊。
こんな糞な世界、こんな鬱々とした私がもう生きてる意味なんかもう無いな、とふと思いさえする。
しかしそんな時には何故か、ボケっとただただ「地図」を見ていると、それがポケット日本地図であろうがGoogle mapであろうが、めきめきとパワーが復活する。あと百年くらい生きられる、くらいの勢いになる。何故だろうか。むかしからそうだ。



ただでさえ「価値」「評価」などの言葉の鬱陶しく絡みつく美術界に片足(の親指くらい)突っ込んでいるうえに、この自己愛氾濫時代に生きなくてはいけない。どこをみても「誰かが何かを物申し、ノタマっている」情報で全ての余地が埋められ…とついノイローゼにもなる。
そんなときに逃げ込む【地図】の大半を占めるただの山林、海、何があるかわからない余白の地域。情報の本質も価値の意味も、この無記名無言の余白にこそあるんだな、という気がしてきて、意識がスウッと吸い込まれていく。


完全に無人の大自然や大海原に憧れるのではない。こんなとこにもぽつんと灯台があるとか、山奥に途切れた一本の道があるとか、そもそも無人の荒野の地理を黙々と地図に編纂する人の目線とか、僅かな一点の人の営みの気配に惹かれるのだろう。
仮に自分がそのような地図の余白、そのような過疎の場所に住んでいたなら、そもそも表現やら美やらに意味を見出せるのか、と自問自答もしてみたりはする。



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自問自答の果てに、しかし待てよ、と思いつく。
私の表出の欲求の大半は「記録」することにある。美術でなくとも文学でなくとも、とにかくわたしは記録するだろう。どの土地に生きていても、超・無意味でも、一人でも。絵を描いているのでもなく、文字を書いているのでもなく、私の筆先はとにかく緻密に記憶を刻印するためにあるように思う。だから何処でもいつでも何かを綴っているだろう。
しかもその記憶の刻印は、なにかの目的というより、あの地図の余白にも似た空隙にむかっていくエネルギーで為される、我ながらそんな気がする。全くの空白ではない、僅かな一点の営みの気配のために、だ。



そう言えばこの二週間ほど、作家にとっての「線」について考えてみて、との課題を頂き、結構しっくり来ずに苦しんでいた。が、私にとっての「線」とは表面的なドローされた線ではなく、こういう綴るとか紡ぐとか結ぶとか、記録を丁寧に繋げていく所作として実感している線なんじゃないか、と思いあたる。メモ。


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地図上のそんな余白の地に、一点の営みの痕跡があれば愛おしくもあるが、反面、そのような地がどんどん無意味な金銭の取引の対象になり、誰かが権利のみを主張して排他する無人の土地になり、そこにいたかもしれない人の痕跡も消え、そうして人は自由に住む場所を選ぶ余地もなくなり、ただ便宜上押し込められるように一箇所に詰められ…となっていくのかもしれない。そういう流れや構造は昔からあったとしても、それにいまもう圧倒的に人間は気力で負けている。土地だけの話ではない。精神そのものにも当てはまる。「動いて、感じて、自然に痕跡を残す人生」ではもはやなくなっているんではないか。




5月25日


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休憩にパンでも食べようかな、と研究室の裏庭に出てみたら、椅子に先客カップルが居たので、もうゆっくりしていただくことにした。無粋なあたしはただパン食べるだけなので退散。

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教員室でパンを食べながら水槽を見ていると、どうも一匹病気のやつがいる。小指くらいの小さな魚だが、よく見るとエラが赤く腫れ、身体は痩せていっていて、斜めになりながらずっと一箇所をぐるぐる回って泳いでいる。
何とかしてやらないと…。



5月27日

父が介護施設に一時入所して2日目。今どんな気持でいるのだろうか。
母は明日から治療始まる。こちらは、どうなっていくのだろうか。
そして私自身いつのタイミングでどの病院に行けばいいのか。不健康という気はしないけれど満身創痍という感じもする。これが歳をとるということなのか、それともストレスか。まあ…しょうがないな。誰もが通る道か。

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夕暮れ川原に出て、桑の木になっている黒い実をひとつ取って食べた。なんとみずみずしいんだろう。小指の先ほどのものだけど、求めていたもの。

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うちにはテレビが無いので普段は観ないのだが、実家のテレビで【ポツンと一軒家】を観て大分元気が出た。人間の尊厳について思いを馳せる。




5月29日

母に付き添い海沿いの巨大な病院へ。前のところにもお世話にはなったのだが、正直「病院を思い切って変えてよかった」と実感。行き届いていて明るい。
術後のために呼吸の練習をしておいてください、と看護士さんにシリンダーのような呼吸器具を渡されてやってみたが、どうも母は呼吸そのものがヘタである。
息苦しさの症状も病源とは関係ないようだ。前から家で複式呼吸の練習や横隔膜を伸ばす感覚を教えているのだが、わからないらしく、どうしても肩で小さく小刻みに息をする。
ウタの呼吸を思い出しな、と私は説き、ネットで往年の歌手…森進一とか青江三奈とかの息継ぎをじっくり母に鑑賞させる。しかしだんだんジュリーや来生たかおや桑田佳祐など「この時代のウタはほんっとにカッコイイ」という流れになり、本来の目的を全く忘れて映像に見入った。


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夕方、母をカラオケに連れて行って歌わせる。ちゃんと歌えているのに、非常に自信なさげな冴えない顔をしてばかりいる。ザ・ピーナッツなどを横で私がハモる時には結構思い切った声を出しているのだが。ほんの数曲しか歌いはしなかったが、他人の歌を聴いて心で一緒に歌って、いるだけでも呼吸は整うのだと気付いたらしい。


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ファミレスで夕食。母は父の介護、私は仕事や家事で、二人で外食するなど長いこと考えられなかった。雨の駅を窓越しに見ながら、暗くなっていく夕景を飽かず自由に眺めているこの気分が不思議である。


ふと私達の席の後方から、なにかホワーッと異質な人々の、オーラか香気のような感覚が近づいてくるのを感じた。ふと見ると、深紅の法衣に身を包んだアジアの僧侶が二人と、世話役の多人数の外国人の一団が私のすぐ横を過ぎた。
このオーラの気高さは何だ…と呑まれていると、正面に座っている母が、私よりさらに目をパチクリさせて放心している。
「…微笑みをくれた」
と母が言った。
高僧と不意に目があった時に優しく笑みをかけられたらしい。
「見たことのないような微笑みでびっくりした」


僧侶は一人は老人、一人は初老の方で、目が覚めるようななんともいえない気高さがあった。通訳や世話役が喋りながら食事を摂る中、二人は気配のないくらい静かに後ろすがたを見せていた。背の陰で食事しているかどうかも定かではなかった。やがて二人だけ隅の席に移り、何も言わず静かにオレンジジュースを宅に置いたまま座っていた。
母はまだ微笑ショック冷めやらず、小さな声で言った。
「今日は新しい事を知ったな。目から鱗が落ちた」
「とは?」
「宗教というものの力がこの歳ではじめて、いまの微笑でわかったような」
それほど優しく全てを受け入れられているような一瞬の邂逅だったという。私はなんだか、自分も目の合う瞬間を待っていたいような、目が合うのが怖くて姿から視線を逸らしていたいような落ち着きなさで居た。
やがて彼ら一行は静かにファミレスの隅で記念写真を撮ると、店を出て雨の駅前に流れて言った。深紅の法衣が傘を差しかけられ車にゆっくりと乗り込む所作までを二人で窓越しに見送り、勝手ながら有難い気持に包まれた。恐らくミャンマーの僧ではないか、と話し合った。



5月31日

本物の岩茶の味がまだわからない。これは一度は岩茶の専門店に行かねば、と、空いた時間に中目黒の「岩茶房」へ。余程のことがない限り縁のない、自宅から遠い街。
八王子では見かけない洒落た花々の咲き乱れる石塀。品の良い住宅地の道を進むと、一軒家の一部屋を解放するような店舗「岩茶房」があった。板敷の店内では、いかにも世界事情に詳しくインテリそうなお客達がゆるりと岩茶を楽しんでいる。


物凄く優しい女主人に話しかけてもらいながら、ひとり茶を頂く。
白牡丹か石観音か迷ったが、石観音を注文。飲んでみると、香ばしく喉越しがスムース、内臓に吸い込まれるような感覚がある。
私は茶の三煎目程度で何故か味覚に変化をきたしたりする体質のようだが、この石観音は大丈夫だった。非常に体が火照り汗が出てきて、酒に酔ったように気持よくなった。岩茶をしっかりと体験出来た気持がした。
店で飼われている看板猫は毛並みのいい茶猫で、頻りに喋るような甘え声を出している。気持が手に取るように分かる声でおかしい。
不意に姉妹らしき少女が店に入ってきて奥座席に腰掛けると、厨房で茶の給仕をしていたスリムな黒人青年が手を止めて出てきて、英会話の先生に早変わり。姉妹に向けて授業をやっていた。
自分は薬膳粥も食べようと思って来たのだが、茶で満たされてしまい、ふらふらしながら何も食べずに店を出た。しかし目的であった石観音と白牡丹の茶葉は購入した。


駅前で急に茶酔いから醒めたのか、ポッと我に帰った。やはりおかゆが食べたい。
中華屋のカウンター席で、ピータン粥と椎茸シュウマイにありつく。これが驚くほど美味い。粥に入っている多量のショウガによって、紡錘型に弛んでいた心がシャキッと長方形になったり、また旨いシュウマイによってまん丸くなったりしながら、大事に食べた。
中目黒もいいなと思いはしたが、途中、恵比寿駅のラッシュで何本も電車をやり過ごしつつ、やはりこんな遠い都心にはしばらくは来ないだろう、と予感した。


:::


高円寺あたりの高架を走る電車の中から見渡す、宵闇の杉並区。
鉄塔の影。薄暗いアパートの階段の灯。ライトアップされている虚無的な広告塔。
五月と六月の初夏の季節は特に、この風景を見て、自分の人生の変わらぬ通奏低音を思い出す。意識が、暗く澄んだ水のようにリセットされる。
動体視力でキャッチする、白い蛾が街灯に照らされながら頼りなく飛んでいる様も、マンションの一室でジムの器具のいいなりになりつつ固まっている筋トレ男も、いちめん割れガラスのように銀色に広がる自転車置場も、全てがハードボイルドな映画の中にあるように見える。

by meo-flowerless | 2018-05-03 01:18 | 日記