画家 齋藤芽生の日記 Twitter/ @meosaito


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【春雷】  ふきのとう

     突然の雷が 酔心地 春の宵に
     このままじゃ夜明けまで 野ざらし ずぶぬれ
     春の雷に 白い花が散り
     桜花吹雪 風に消えてゆく



今宵は雷が鳴っていた。春雷である。
春雷に必ず思い出す男友達がいる。大学時代の仲間。
一番近いようで一番遠い、という感覚が残る限り、一対一の「親友」とは呼ばせてはもらえないだろう。
彼は誰に対してもそう、誰からも愛されて、誰をも振り回して、誰からも遠かった。
夏の雷には思い出さない。カラオケで【春雷】を歌ったか、一緒に春の雨に降られでもしたか、それすらも思い出せないが、春雷と言えば彼であり、彼と言えば青春だった。


常に近くにいながら、決して恋人同士などにはならなかった。
飲んで管をまく典型的な泣き上戸で、たまに私も手厳しいことを言って泣かせたりした。
常日頃その酒、パチンコ、煙草、銭湯、雑魚寝の姿を間近に見て、今でも克明にデッサン出来るくらい、浮腫んだ朝の顔も、ごわごわした髪の感じも、服のよれよれした皺も、覚えている。
夜の雨に濡れて飲みの席に転がり込んでくる時の、湿った身体の匂いも覚えている。
そのお腹を枕に何度も眠り、向こうも飲んだくれた末にこっちの膝枕で泣寝入りをし、しかしついに何事も起こらなかった。それはそれで運命だったのだろう。


大学一年の春の夜、彼が自分に投げかけた言葉が今も、青春の始まりの号砲みたいに響き続ける。
夜の墓地や暗い海を無軌道に走る仲間たちの車の中で、どこまで行くのかいつ帰るのか、苛立ちを口にした私に向かい、
「身をまかせなよ、この時に」
と彼はふりむいてきつく言ったのだ。


常識的な時間や空間に拘っていた視界が開けて、星の海に繰り出したような気がした。
あの言葉から、夜の本当の長さを知らされた気もする。人と人の近さの不可解、も同時に。
友達の教えた夜の長さは、朝になりゆく空の色調を、人と向き合うまでの曖昧な距離を、言えない言葉が落ちていく深淵を、風にかき消された未遂の出来事を、たくさんはらんでいた。


面倒くさい彼のような男、面倒くさい私のような女、他の仲間もそれぞれに癖があり面倒くさかったが、共通してどこかのんびりと浮遊していられた。時代がそうだったのだろう。
あの私達の身勝手な時空に、無くてよかったと思う今の時代の言葉、例えば「リア充」「中二病」「ボケと突っ込み」。
もしそんな揶揄的な一言でもあったなら一度に霧散してしまうくらい脆弱な私達は、ほんとうにくだらない夜のかけひきを飽きもせず、緻密にしていたと、思いだす。


e0066861_2292835.png『人生・春・横断』 ふきのとう 1979
# by meo-flowerless | 2016-03-29 00:20 |

卒業修了式

昨日は大学と大学院の卒業式。宮田学長の卒業式での最後のパフォーマンスを見る。

読む
# by meo-flowerless | 2016-03-26 12:05 | 日記

一橋大学

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他校の学食を食べたくなるお昼がたまにある。今日もそんな日だった。
立川に出る用事があったのでそれならばどうせ、と国立まで足を伸ばす。
国立の大学通りは思い出の道だ。小学校六年間この通りにある私立小に通った。
大学通りは桜が咲き始めていた。むかし珍しい青いスミレが咲いていた苔むしたモルタルの長屋は、バーミヤンに変わっていた。


大学通りの「大学」とは、一橋大学のことだ。
今も三十数年前と変わらぬ門の佇まい。変わったのかもしれないが、同じような文字、同じような色の学生の立て看板がある。大学祭前後には[◯◯ at 兼松講堂]などと書かれたライブの告知の大きな手書き看板がいくつも並んでいた。松任谷由実、大貫妙子なんて名をそのタテカンで知った気がする。


一橋大学の校舎の素晴らしさは、全てが煉瓦で出来ていることだ。古びているようでもあり新しい外国のアパートメントのような趣もある。
首を曲げなくては天が見えないほど背のひょろ長い松が煉瓦の隙間に伸びている。


グラウンドで陸上部がトレーニングしているのが見える学食で、カレーとポテトコロッケを食べる。
一橋大学は昔から「質実剛健」という感じがする。というかオトナっぽい。
自分が小学生の頃のお兄さんたちは、80年代でも長髪にサンダルという、昔の学生感覚をにおわせていた。決して美大のようなルーズな派手さ(イメージ)ではなく、何気に英語の小説くらいはポッケに入れていそうな知的雰囲気があった(イメージ)。


文学部志望だった頃に都心の大学に見学に行ったが、自分が小さい頃に抱いていた「大学」と何かが違い、規模がでかすぎるわなんかチャラいわで憧れがさめ、英・国・社の勉強に身が入らなくなっていくと同時に、美術志望に傾いていった覚えがある。
そのとき比べていた「大学」らしい「大学」は、幼い頃通った道の「一橋大学」だった。


「深い緑があり、建物が奥ゆかしく、アンツーカーのグランドで部活動をしている人がいて、学食で勉強している人がいて、学園祭はDEEPで、ユーミンまで来て、そんな学問空間が賑やかな町中にある」というイメージを全て裏切る、芸大の「取手校地」の一期生になった。体育の時間はグランド(草原)の草むしりだった。学食からは、赤いミニスカートからパンツ出してダンボールを敷き、崖を芝滑りしている同級生が見えた。


今日は食堂の窓際で、ひとりでゆったり勉強をしている渋いおにいさんがいた。横顔が美しい。
おにいさん、と思ったのだが、考えてみれば仮に院生にしたって、私より十以上は年下なんだな、と思い複雑だった。自分は何も成長していない。
# by meo-flowerless | 2016-03-23 20:19 |

2016年3月の日記

2016年3月の日記

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# by meo-flowerless | 2016-03-23 04:56 | 日記

2016年3月の夢

2016年3月の夢

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# by meo-flowerless | 2016-03-23 04:54 |

保健室ホテル

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昨日、茨城県で催されるアートプロジェクトの話し合いをしながら、ちょうど去年の今頃このプロジェクトの下見で茨城北部を訪れた時のことを思い出していた。


昨年三月。マイクロバスに揺られ大学の先生方と一緒に、日立鉱山跡や五浦の海など昼間のうちに十カ所ほどを訪れ、夜になってようやく北茨城市のビジネスホテルに辿り着いた。
夕飯時、どうも先生方の会話がちっとも頭に入ってこない。思えばその時からぐったりしていたのだ。このヒトは無口なのか?と怪訝そうな顔をされつつ、その日は各部屋に引き取って寝た。


胃痛に苛まれ始めたのは、その夜中だった。
付け放しの枕元の灯のなかでパチっと目覚めた。熟睡から突如目を覚ますということは身体がおかしいということだ。胃液の中に溺れているのかというくらいに、おなかが気持が悪い。関節痛がしてきて急激に発熱、吐くこともできず一晩中苦しむ。火のような胸焼けに、逆流性食道炎とはこういうものか、と初めて知る。
苦しみ抜いて一睡も出来ず、朝を迎えた。
同行の事務の方がフロント経由の電話で知り様子を見に来た時には、海老のように腹を丸め、二三歩歩くのが精一杯だった。


心配する先生方に謝り、結局私はそのビジネスホテルに寝付くことになり、皆はマイクロバスで帰路についた。朦朧とした意識でフロントからタクシーを呼んでもらい、一時間弱かかる病院へ一人で行った。
雪が降っているわけでもないのに青白い、関東の平野が延々と続く。体調のせいで視野が青く染まっていたのかもしれない。
よくあるおなかの風邪なので、まあ二、三の薬を呑み、治るまで安静に、と病院で言われた。
灰色ボール紙で造った模型のような病院のロータリーで悪寒に震えていたら、行きに呼んだタクシーの人が遠い駅からまた来た。言葉少なだが事情を察し、心配してくれた。


病院に行ってやはり少し安心し、さて、と考える。あの過酷な出張からも、自分は開放されたのである。
休もう。休むのだ。人間を休む!
ビジネスホテルは本当に簡易で、新しくもなく広くもなく、かと言って不潔でもない、要は私が一番好きなタイプの、「ほっといてくれる」宿だ。
夫にも電話をして、治癒するまでビジネスホテルで安静にしていることを伝える。迎えにくると言ってくれたが、こちらのほうが東京まで四、五時間かけて帰る体力はないので、当分ホテルに留まることになった。


遠い知らない町でたった一人、病床に埋没する。
胃腸の症状は治まってきたが、高熱の疼痛が酷くなり、寝返りを打つ時もいちいちうなる。タクシーの途中で買ったポカリスエットを一口飲んでは寝、一口飲んでは寝、を繰り返す。
白い天井を見ながら、何だか透明な涙がすうっと流れてしょうがない。不思議な涙だ。ものすごく心細いのだが、不安とも違う、逆に幸福感のある心細さなのだ。
何の音もしない、何の動きもない、何の存在理由もない。ただ白い天井と、白い蒲団と、動かない身体と、気怠い涙の感覚だけがあるこの感じを、どこかで知っている。と考えて、小中高校の「保健室」だ、と思い当たった。


常連でこそなかったものの、保健室にたまに眠りにいっていた生徒だった。心の悩みで、という日もある。その時のあの、水槽の底のような密室感。
白いスクリーン衝立ての向こうから休み時間ごとに聞こえてくる、保険医先生と生徒との会話を聴きながら朦朧とする時間。ずっと何かの装置が、ムーンと気怠げな音波を放つだけの静けさ。消毒液の匂い。具合は悪くても、あの解放感と幸福感はなんだったんだろう。最も得難い上級の孤独、という感じだった。
大学以降にはずっと忘れていた独特な幸福の感覚、それを今、この知らない町の知らないホテルの一室で味わっている。こうやって倒れることによって今、手に入れることが出来たのは、時間でも空間でもない。私だけの「時空」という不可思議なヤツだ、と思った。


ようやく熟睡し目覚めた時には、暗い部屋のテレビがもうテストパターンの虹色画面になっていて、「ぷーん」という発信音波が漂っていた。
それを薄目に見て、ああなんて幸せな孤独なんだろう、とまた変な涙をチョロっと流し、眠りに落ちる。
「旅に病んで夢は枯野を駆けめぐる、だ」と何度も夢の中で、松尾芭蕉の辞世の句を思っていた。


結局私は、そこに三日くらい居た。
ぎすぎす軋む身体で、本当に何もない殺風景な町を歩いて、粥や水などを買ってきて、ホテルのレンジでちんして食べた。
こういうときこそのビジネスホテルである。いいホテルや旅館では、このように病で寝付くことは出来なかったかもしれない。ホテルの人は何も干渉をしてこなかったが、とにかく身体を休めたい私の事情を察し、それとなく助けてくれた。


歩いて初めて、そこが磯原という駅の傍だと知った。
人っ子一人歩いていない、白い埃の中のような町をとぼとぼ行くと、何となく岸が荒んだ感じの川があった。なぜこんなに河川敷が荒れているのか、と考えてようやく、この土地が津波にやられた町なのだ、と思い当たった。


三日目の早朝、大学の仕事に戻るため、私はホテルのフロントの人に礼を言い延滞分の料金を払って、その町を出た。
駅で列車の時刻を見ると、十五分ほど時間がある。病み上がりの身体だが、走って、最後にこの土地の海を見に行こうとした。しかし海は遠かった。歩道橋に上がって、海から来る朝の光を見た。
これまで見た中で一番金色な金色だな、と思った。
病気で寝付いて人にも心配をかけたにもかかわらず、極めて満足の行く一人旅をしたあとのような気持で、列車に揺られて東京に向かった。
# by meo-flowerless | 2016-03-22 11:11 |

事情

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顔まで変えてしまった経歴詐称の人への袋叩きが、メディアで繰り広げられているらしい。
「そいつは昔から嘘つきだった」と、今まで出番の無かった知人たちが過去を広める。
その人物の昔の滑稽なあだ名を記事で知ってしまい、かえってやるせなさを感じる。



ふと読んでいた新聞記事の下のほうに、あるドラマの広告が載っていた。
寺島しのぶ主演の、ある女性犯罪者のドキュメンタリードラマだった。
その女性と言えば、顔の整形を繰り返しながら逃亡を続け、時効ぎりぎりで捕まった有名な犯罪者だ。彼女の人生は、【顔】と言う映画にもなっていた。



片方は本物の犯罪者だ。上の二人の罪の重さを、同列で語ってはいけない。
とにかく外野の人間には、「過去を書き換えてまで実人生から逃げ続けること」への興味が潜んでいるようだ。罪からの逃避度、逃亡の距離、嘘の飛躍具合、が大きければ大きいほど、映画化したり伝説化したりする。



某野球監督夫人の経歴詐称が話題になって、周囲の芸能人たちが手のひら返したようにバッシングをしたことがある。
雑誌広告の見出しでそのさわぎを見ながら、母がボソと言ったことが忘れられない。
「まわりで罵倒する人間に、きれいごと言ってんじゃないよ、って思う。あの時代はみな色々やって生き抜いてきた世代のはずで、経歴の秘密の一つや二つある人も多い。その裏には抜き差しならない事情もある。人なんて後ろ暗いところも探せばあるのよ。けどその嘘の部分だけ取り出して、鬼の首を取ったみたいに優位に立とうとする人間は、必ずいるね」
母は穏やかに見えても、こういうことに関して苛烈な物言いをする。
たいてい、世間のゴシップの騒ぎ方とは逆の視点だ。



母のその言葉を聞いた頃だったと思うが、私は松本清張に魅かれていた。
断罪以前に被害者と加害者含めた人間たちの「人生を網羅する視点」に興味を持った。



いろんな大人を知って生きてきたからかもしれないが、「あの人の正体は結局何者なんだろう」と不明を感じさせる存在に、魅かれることがある。
人の嘘と謎。演出でもなく詐欺でもない、「やむにやまれぬ」「人には言えぬ」が絡んだ不分明もあるということを、よく考える。
【ゼロの焦点】に出てくる、失踪夫の二重生活など、今実際には想像がつかないが、父母の時代や祖父母の時代のさまざまな人の話を思い出すと、さぞそういうこともあっただろうと思うのだ。



何一つうしろ暗いところの無いきっぱりと清廉な人、それはそれでいい。けれど、うしろ暗くないのが全ての正しさの基準みたいになって、その価値観でしかものを見れない人となると、苦手だ。
人は生きていると、何かしら「立場」というものを手に入れる。手に入れ、それから逃れられなくもなる。
自分が「立場」から逃れられない圧迫を、私達は、無意識に小さな逆襲に変え、どこかで晴らす。
その矛先として格好なのが、「立場」に脆弱な嘘がある人、「立場」をそもそも持てもしない人、なのだろう。



野村芳太郎の【砂の器】の映画はビデオで見るずっと前の幼い頃から、母からイメージを刷り込まれてきた映画だ。
「ピアニストの青年が最後のピアノを弾くその音楽にあわせて、父親とたった二人で日本中をさすらい歩いた記憶の風景がずっと映し出される。暗い日本海の波打ち際とか風に揺れる草原がね」
一度思春期に観たとは思うが、改めて昨日観た。いつのまにか泣きながら観ていた。



日本人が日本の風景を知る映像として、【砂の器】を観るといい、と思った。
この背景に横たわる事情は、一人の人間の思いや屈辱を越えている。
戦後の日本を現すドキュメンタリーで素晴らしいものはあるだろうが、松本清張というフィルター、さらに野村芳太郎が映像詩にしたというフィルター、が「一つの時代のどこかに視点として共有されていた」という点に興味がある。
この風景を見、この親子を見て、「実際観たことの無いものであっても確かに知っている」と言える人はいると思う。しかし、表面上の差別的言論統制と引き換えに、この種の甘い涙に誘われることもかえって許されない。今はそんな時代だ。



人間は、生きていれば何かしら、逃げ隠れしなければならない事情が出来るかもしれないのだ。
何が起こるかわからない。
「逃げ隠れるその先は、もう人間界からはみ出し、亡き骸と成りさがる」
と世論は幻想する。
けれど、逃げる人間、隠れる人間の、その漂流のときにしか見ていない強烈な光景は、確実に存在するのだろう。
# by meo-flowerless | 2016-03-18 18:25 | 日記

カカシ山

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東京の端の市、そのまた奥地、というようなところに十年前は住んでいた。
薄暗い山を切り開いた丘陵地の団地。建築群をカードみたいに差し込んだような風景がずっと続く。
牧歌的な地元農家暮らしもごくたまに見受けられるが、土地を団地向けの大型スーパーや駐車場に明け渡す家も多い。
殺伐さにさらに山林が陰影を加えている、それが八王子だ。


そんな風景の中、幾年も前の散歩の途中に、とてもインパクトのある山の畑を見つけた。
狭い斜面を無理矢理段々にしたような畑のそこここに、ハロウィーンの後始末のようなカカシが点在していた。


「うわー、手作りなんだろうな」....って、カカシは大体持ち主の手作りだが。
創意に満ちた人形たちに茫然としていると、畑の上のほうの小屋にいたおじさんに「良かったらゆっくりしていけ」と呼ばれた。
小屋でお茶をご馳走になりながら、世間話をしたりしてぼんやりした。
しかし何を話したか全く覚えていない。
烏骨鶏やニワトリが小屋で大騒ぎしていたせいで、その音の記憶しかない。
おじさんはその並びの小屋にベンチと座布団を置き、変わりゆく団地の丘陵を眺めて暮らしているのだった。  
畑の背後は山になっていて、おじさんとともに山を歩いた記憶がある。タケノコの夥しさに手を焼いていた。


日本のいろいろなところを旅するが、時折通りすがりのカカシのなまなましさやズレた創意工夫に心奪われることがある。
これが「カカシコンテスト」とか「時事ネタを織り込んだカカシ作品」とかになってしまったら、もうだめだ。
純粋に烏や雀を除ける道具でもなく、カカシの造形性を芸術性と言い切ってしまうのでもない、その間がいい。
人がお化け屋敷を必要としダッチワイフを必要とする....のとおなじところのハリボテへの情愛に魅かれる。


ずっとここを再訪したかったが、隣町に引越してから、行っていなかった。
さすがに畑もカカシも取り払われたかな、と十年の月日を経て、冷たい雨のそぼ降る中、今日訪れてみた。
カカシはひとまとめになっていたが、まだあった。
そして、雨のせいなのか、記憶よりずっとホラー感覚が色濃かった。おじさんはいなかった。烏骨鶏はまだ騒いでいた。
山の入口のカカシはもはや、道ゆく人を怖がらせるためとしか思えなかった。


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# by meo-flowerless | 2016-03-14 17:45 |

子守唄とパラソル帽

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綺麗な声の子守唄はどこか怖い。それは心霊談などが広げてきたイメージだろう。
実際にそういう唄を聴いた。別に怖い話ではない。
いまの季節の匂いとともに思い出したから、聴いたのは春のことだったんだろう。



大学時代。
アパートの台所で夕飯を作っていて、ふとガスの火や水を止めた無音の一瞬だ。
どこからともなく、女の子守唄が聞こえてくる。
しばらく聞いていても、どこから聞こえているのかはっきりしない。壁の中からのようでも、天井の上からのようでもある。
そこはかとなく寒気がしたのは、心霊的な怖さではない。むしろ時代感がずれた怖さのほうだった。



恐る恐る小窓を開けてみると、夕闇の表通りに、どうもネンネコ姿の女がいるようだ。
暗くてよく見えないが、確かに人はいる。
住宅に隣接した畑のところで、おぶった子供を揺すって歌っているような気配だ。
鼻歌とも笛の音とも違う、細いゆらゆらした声。
単なる鼻歌ではないと直感したのは、語りかけるような歌い方のせいか。
今どきの若い母親があんなネンネコを着て子守唄なんか歌うか、といぶかったが、祖母が孫をあやしているのかもしれなかった。それならば年の割に声が美しい。
短調の、暗い子守唄だった。何かの春の花の匂いとともにそれを覚えている。



その子守唄を、その後も数回聴いた。
偶然だろうが、なぜか私の台所の小窓のすぐ傍で歌っていたときがあり、その時はさすがに気分的に窓から覗けなかった。
通学の通りすがり、そのネンネコらしき姿が普通に近所の人との話の輪にいたような気もした。大体アパート住まいの学生の私はそんなにしげしげと近所の人の顔を確認することもなかった。
どこの誰かは確定しないまま、声の存在だけを知っているのだった。



夜風に消えるか消えないかのそれが伝わって来ると、はっとして私は一切の音を止めた。
五木や島原の子守唄のような、たぶん同じ哀調の歌だった。ああ、となにか言葉にいえない説得力で、その妙な哀調を受け止めている自分がいた。
自分への子守唄ではないのに、自分を呼んで自分に語りかけてくるような気に、ついなった。
赤ん坊は、あんな暗い歌でいつも眠りにつくのだろうか。
私自身は「ねんねんころりよ」という、母の子守唄に育てられた。母はそれを祖母から受け継いだようだ。
他の家庭ではどうなのか。子守唄を歌うか歌わないかは、家伝のようなものかもしれない。



そのネンネコが立っていた畑のあたりには、ごみ捨場があった。
たまに夜遅くその横を通ると、一人の爺さんがそのごみ捨場に一人でいるのを見かけた。そのたび、びっくりして一瞬冷水を浴びたような気持ちになった。
その老人は、ごみの不法な捨て方をしにくる輩を見張って、そこに居るらしかった。一人で怒りまくりながら他人のごみを深夜に整理していた。



雨の深夜。まさかそんな濡れた場所にはいないだろうと思っていたごみ捨場に、また老人がいた。
土砂降りに降られたままパイプ椅子に、人形のように身じろぎもせず腰掛けているのだ。麦わら帽みたいなものをかぶっている。思わず悲鳴がもれそうになった。
それだけではなく、その麦わら帽の頭の中心から、縞縞の「小型のパラソル」が、天に向かってピョコッと伸びているのだ。傘をささずに監視出来るように、自分で帽子に傘を取り付けたのだろう。
滑稽な彼の姿を見てもとても笑うに笑えず、ああ…という気持になった。



今思えば、その畑は変な地場を持ったような、住宅地のエアポケットみたいな場所だった。
私の中では勝手に、子守唄の女とパラソル帽の男は、同じ家族だと思ったりしていた。
子供や老人の声はするが、若い父親や母親の影の不思議とない、通りの一角。
推測に過ぎないが、若い父母は働きに出ていて、子供の小さい間、実家の祖父母(変わり者)に面倒を頼んでいる。やがて子が小学校に上がると同時に、別の場所に住み、祖父母を次第に忘れていく。
大きくなって何かの拍子に誰かの歌声を聞いて、急に子守唄のことを思い出す。
勝手な妄想である。
しかしあのネンネコ姿が若い母親なのだとしたら、それはそれで別の妄想が広がる。



かすかな声を鼻歌ではなく子守唄だと思ったのは、延々と語りかけるようなうわの空な歌い方のせいだ。
揺さぶりすぎてかえって眠れない、祖父母の孫への愛撫にも似た感じ。
赤ん坊が、親からのはっきりした愛情のほかに、うわの空の呪文のような「親族の誰か」の愛の記憶を持って育つ。
近い愛とは違う、おぼろな霊に近いくらいのそんな愛の記憶に限って、あとから胸が痛むような懐かしさを感じる。そんなこともある気がする。
# by meo-flowerless | 2016-03-11 21:46 |

カスドース

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「カスドース」の包みが、うちに届いた。
長崎の平戸の湖月堂からわざわざ取り寄せたお菓子だ。
もう自分の誕生日に関心もなくなると、その日はいつもの日とともにスッと過ぎるのだが、何か特別なものを食べたいという思いはふと生じる。
それは高級な食物でも珍しい食物でもない。「遠い」食物だ。


昔っぽい素朴な包みを開ける。カステラの元祖、というよりは、砂糖のつぼに落っことしてしまった卵焼きのような、手に持ちにくい外観。味も、そうだ。
この「甘いだけ」、の味の描写は、難しい。
塩ではなく砂糖まじりの涙を流しながら疲れ果てて枕に顔を埋めるときのズブズブ感、そんな印象は健在だった。


「カスドース」は、遠いお菓子だ。
今スーパーで買ったポッキーについては何も書くことがなくても、あの長崎平戸の薄暗い店で眠っているようだった原始的なカステラの淡い甘さについては、どうしても留めておきたい、遠い美を感じる。


自分が何かを書く対象は、過去や失われたことに対するものが多い。
過去がただ魅力的だからではなく、私にとって形容の掴みやすい「遠い」ものごとだからだろう。
私は、遠いもののことは、よく記憶する。
景色でも人間でも遠くから、美しい、手に入らぬと思ったことは、刺しこまれるようなような痛覚とともに残り続ける。
痛覚を、私は書き残したいと思う。
日常に大事なことは多くあるが、妄想の助走距離があまりない、慕情の射程距離が短い、それら「近い」ことは、言葉にはしづらい。


十年前、子供向けの「カステラ」についての絵本の挿画を頼まれた。
私は編集者のFさんと長崎の文章家Aさんに連れられ、長崎の平戸まで十時間くらいかけて、日本におけるカステラの歴史について取材に行った。
平戸はかつて長く異国との交易に賑わった土地だが、東京が首都となった今では西の果てのようにも感じられてしまうところである。
その東京からの道中はとにかくもう、遠かった。感覚では、ヨーロッパなどより遠かったくらいだ。


二人の初老の紳士とともに黙々と、今は寂れたさいはての貿易港を歩いた。
松浦屋敷を見、丘の上のキリシタンの礼拝堂も見た。礼拝堂の中は今は滅多にはいる人もないようで、古い小学校のような優しい匂いがした。簡素だが美しい緑のステンドグラスの十字架から光が漏れていた。博識のAさんがさまざまな歴史の解説を、静かにし続けた。


古い商店街の暗くて簡素な洋菓子屋でAさんが、
「これは珍しいから絶対に食べて。ここにしかない、これが本家のカスドース」と言った。
「カステラじゃなくて、カスドースですか?」
「そう。日本でいうカステラになる前の過渡期にあった原型みたいなお菓子。平戸のこれだけが、今手に入る本物のカスドースなんだ」
こんな薄暗い菓子屋が本家か....と思いながら、そのお菓子を買った。


それは、あわあわとしたタマゴの味を良く感じる、黄色の砂糖まみれのカステラの滓のような菓子だった。その単純で素っ気ない甘さの感想に、一瞬悩んだ。まずいのではない。
なんとも美味しい。ただ、「遠い」美味しさなのだ。言葉の形容から遠く遠く離れた味なのだ。
「わかる?これがそもそものポルトガルのパン・デ・ローや、江戸時代に作られていた素朴な釜のカステラに近いものなんです」


弾圧の前のつかの間の時代、長崎に流れてきてキリスト教を布教したポルトガルの宣教師たちが、自ら焼いて、信者の子供たちに配ったかもしれない食物。
カスドースは平戸藩主の御用お菓子として甘く洗練されたものだが、この甘い感覚というのは、もっと素朴なタマゴ菓子であった中世の頃の庶民も、もしかしたらこっそり経験した感覚のはずだ。
手に入り難い砂糖やタマゴの食物を、はじめは遠巻きに見守りながらやがて口に頬簿って、怖くて眩しい海の果ての西洋に思いを馳せたであろう、戦国時代の人々を思う。
私と同じように身体を持ち、丘に登り、海風を吸い、その菓子を口に含んでしばらく黙った....
そう、同じ人間なのだな。
「時間の距離」ということを、今までにない感覚で感じさせられた。
今ある語彙にも経験的背景にも、この甘さを形容するにふさわしいものが見つからなかった。


遠い記憶ばかりを変に捕まえるこの頭が今も覚えているその旅は、長崎から平戸までの沈黙のバスの距離、佐世保やハウステンボスの寂れた道路の凹凸、金色の残光に溶けていたキリシタンの生月島の島影、
宿の水仙の花の香が暖房で気化して眠れなくなり、外に出て崖上から海の夜明けを一人で見ていたこと、そしてあのカスドースの形容しがたい遠い甘さ.....そんなものたちだ。


船着場で見えない貿易船を幻視するかのように海を眺めていた、AさんとFさんもまた、「遠い」ことへはせる想像力、の話をしていたような記憶がある。
その後幾度か年賀状などやり取りしたが、いいかげんな私はまた音信を怠っていて、お二方がどうしているか知らない。
# by meo-flowerless | 2016-03-08 14:06 | 匂いと味

『The Black Light』  Calexico

今でもはっきり覚えている。
大型CD店の視聴のヘッドホンの中で、この一曲目の暗いギターのイントロが、ジャララーンと胸の琴線を強烈にかき鳴らしたこと。


アメリカの夜の原野で、親指を立ててヒッチハイクをしようとしている幻想。
ヘッドライトに照らされた私の顔はホワイトアウトして、目鼻だけが記号のように辛うじて印象に残り、通過する運転手をぞっとさせる。
夜の雲なのか荒野の岩なのか、青い羊のようなものが過ぎる車窓。鉄で出来ている冷たい月。
いつまでも遠ざからぬ山並を背に、やっと辿り着く蛍光緑色の小さな町。風の夜のワン・ナイト・スタンド。棺桶のようなモーテル....
新宿で勤めていた予備校講師の仕事のスキを見て、三丁目に当時あった「ヴァージン・メガストア」に視聴をしに行き、気を紛らわせるのが日課になっていた。
最初の一音で、新宿三丁目のCD屋から「アメリカメキシコ国境」に意識が飛んだ。



映像喚起的な音楽に、何かの映画のサントラだろうか、と、改めて手に持ったジャケットを見ると、ステンシルグラフィティのような味わいの車の絵に、「CALEXICO /THE BLACK LIGHT」とあった。
脳裏に継続中のテキサス妄想風景のなかで、誘蛾灯のようなブラックライトがプンッと点灯し、「テキサコ」と書かれたトラックがブーンと過ぎる。
しかしサントラでもないようだ。



映画がそこにないのに映画的な音楽を作る人には、興味がある。
自分の絵も「一枚の絵画に絵画的に向きあう」というより、「背後のストーリーを妄想しながら」作るからなのかもしれない。
エンニオ・モリコーネみたいな実際の映画音楽も聴くが、あちらはヨーロッパ的かマカロニウェスタン、こちらはハードボイルド化したマリアッチだ。
有名無名に関わらず、ついそういう映像喚起的な音楽を手にすることが多い。
余技のようにローカルな音楽性を取り入れているものは全く好きではないけれど、このアルバムの大音量でかき鳴らす見立て的映像世界は、別の奇妙な宇宙に繋がっていく予感がした。



「CALEXICOはカリフォルニアとメキシコの合成語、もともと老舗バンドのジャイアント・サンドの二人の、アリゾナ州を拠点にしたユニット」とよく書かれている。
中でもこのBLACKLIGHTは、その後のボーカル的な展開に比べ、楽器がボコボコいうインストゥルメンタルが多い。なまじ深みのある歌より、インスト曲のほうが、歌い、泣いているように思う。
雰囲気的には似ているトム・ウェイツの酒場的澱みより、むしろ「ホテル・カリフォルニア」とかTORTOISEの「Along The Banks Of Rivers」のような、店外のはてしない夜に連れ出してくれる、硬質な空気感がある。



ロードムービーという枠組み、というか観念は、私にとってはつねに、魅力的で不思議な存在だ。
「他人の旅」というものを通じて人は、おぼろげな「私の道」ということを考えることがあるのではないか。もしかすると、自己など問題にされることのなかった、はるか昔の宗教巡礼の時代から。
多数のロードムービーを見ているわけでは全然なく、ましてや本物のアメリカを走破したことないのに、アメリカの荒野を車で放浪する風景を、絵巻のように知っている気がする。
別の国の郊外で感じた砂漠感覚と、観たロードムービー系映画の記憶が相互に響きあって、私の中には勝手な「無国籍アメリカ」が存在する。



ローカルの悲哀、という定番化した虚構の部分を、この人たちの音楽は敢えて請け負っているように感じられる。
しかし、誰かの胸の酔いどれ音楽にも、特有の土地の田舎臭い民俗音楽にも流れないで、抽象化された無国籍の荒野にギリギリ踏みとどまっている。
「誰のものでもない誰かの旅」。  私がこの音楽にインスピレーションを受けた部分だった。
どこかにあるような、しかしどこにもない夜の道の、果てしないドライブ。
彼らのこの、徹底して夜しか感じさせない音のように、自分も黒を背景にした「夜の旅」をいつか絵に描いてみたいと思い始めた。



そんな思いや歌謡曲への思いが入り混じって出てきたのが、2003年の『踊場酒場』や、2006年頃から今も続く『密愛村』のシリーズだ。
とくに『密愛村』は、自分の国内外問わない旅の夜の記憶と、今まで「夜の旅」を感じた全ての音楽や映画への思いをミックスした、オムニバス映画のような気持で、描き続けている。



CALEXICOをイヤホンで聴きながら、google mapのストリートビューで、アメリカだけではないフィリピンの田舎や、イスラエルの砂漠などを旅すると、時空が変に歪んだ荒涼感で、なにか胸に迫るものがある。
マフィアや保安官も流血をせず月を眺める、イージーライダーも思わずバイクを止めて闇に歩き出す、虚構性の荒野。
今も引き続き描き続けている『密愛村』の、「誰のものでもない誰かの旅」を想定した車に音楽を積ませるとしたら、その中に入れたい一枚だ。


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『The Black Light』  Calexico 1998
# by meo-flowerless | 2016-03-07 12:49 |

八丁堀

この間、夜の運動場に水の反射がただ揺らめいている夢を見た。
ナイターの灯に照らされる何かの運動場。80年代のB級映画にはそんなテニスコートや夜のプールがたまに出て来る。12チャンネルでよくやっていたようなSF・エロ・ホラーの要素がいい加減にはいった映画。


その夢から覚め、「八丁堀」に、そんな夜のバスケットコートがあったような記憶が蘇った。
八丁堀。江戸前な土地の名と、B級SFの欧米人感覚のミスマッチ。
無人のバスケットコートは集光灯の白光をさえざえと照り返していた。宝石のないショーケースのようだった。
誰かの家に夜お邪魔する途中だった気がする。川もあり、水の照り返しの上ゆらゆらと橋も渡った。


なぜ八丁堀の記憶があるんだったか。経緯の記憶というのは本当にか細く淡い。
意識を遡ると、「Burnableごみ」という下手な字とともにその夜の記憶がある。
あの辺にあった外国人向けアパートの階段下に、誰か留学生が英語と日本語のチャンポンで書いていた貼紙だ。


そういえば、イタリア娘のフランカの下宿だった。
なぜか同い年くらいのイタリアの女の子の家に三回だけイタリア語を習いに通った。
油画科の級友が数人いた。その中の誰かが、殆ど行きずりのようにたまたま知り合ったイタリア人だった。それ以上の経緯が全く思い出せない。
青く浮遊する町と、下宿の壁にあった子供の落書きみたいな外国人たちの貼紙、ささやかなパーティーの残骸の折紙装飾の色彩だけが、次元スリップした別の星の記憶のように残る。


普段寡黙で訥々と喋る親友のワッコが「あなたの喋り方はイタリア語ではなくスペイン語に向いている。まるでスペイン人のようだ」とフランカに妙に褒められていた。フランカの作るカルボナーラスパゲッティに期待していたが、本場のイタリア人のパスタはこんなにまずいのかと思うほどまずかった。
確か三回しかレッスンがないままフランカが帰国してしまったので、イタリア語も全く上達なんかしなかった。ワッコが数を3まで数える「ウーノ、ドゥエッ、トレッ!」という叫び声が浮かぶから、そこまでは習ったのだろう。
そしてそれだけの記憶である。


そんなことを不意に思い出したあとに、たまたま永代橋から近代美術館のフィルムセンターまで歩いて散歩した日があった。
八丁堀も通った。この土地を歩くことは普段滅多にない。真昼の光景から何の記憶も辿れはしない。
あの不思議な時空、宇宙の星のようだと思った空間は夜の光のなせるわざだったのか、それとも土地自体が変わってしまったのかさえ、わからない。たしかに川はあるが、あれはこの橋を渡った記憶ではない。


バスケットコートなんかももうどこにあるのかわからないだろうな、と思った瞬間、斜めに伸びている細い庶民的な道が、急に目に入った。
おそらくここがフランカのアパートのあった路地だろう、と直感した。
赤いクレヨンの「Burnableごみ」の文字が、脳裏にまた揺らめいた。
連れが先を急いでいたので行ってみはしなかったが、記憶の本丸だけが、むきだしの果実の種みたいに最後に残されている気がして、不思議だった。


あの時のまずかったフランカのツナカルボナーラのスパゲッティの味だけはよく覚えている。これを書いてみたら、それが妙に食べたくなった。
自分も幸い料理はそんなにうまくないし、今日は一人だし、ぼそぼそスパゲッティにしてして作ってみようかと思う。
# by meo-flowerless | 2016-03-06 12:19 |

ミートソース感

スパゲッティをパスタと呼ぶようになって久しい。
けど、パスタという語感ゆえに失ってしまった何かがある。
「ミートソース」感だ。


母がひき肉から手作りするミートソーススパゲッティ、場末の喫茶店で出てくるピーマンとタマネギといためてあるミートソーススパゲッティ、スーパーで買える甘ったるい缶詰のミートソーススパゲッティ、どこかの学食のフカフカのウドン麺にかかったほとんど煮こごりのようなミートソーススパゲッティ。
それぞれの位相で全部、好きである。


何か日常で思うところあるときは、必ず何らかのミートソースを食べる。
三歳くらいのときからあれは特別な食べ物だ、と思っていた。


団地の商店街に「春乃屋」という喫茶レストランがあって、そこのミートソースを食べさせてもらうことが子供のころの楽しみだった。 
赤いパンチパーマの、男みたいなきさくなお姉さんがウェイターをしていた。
男かな?と思ったことがあるが、子供心にも、白い上っ張りのすきまの鎖骨を見て、やっぱり女だ、とわかった。
その人は私にとってミートソースの化身だった。今でもオーマイミートソースの缶を食べると、その人の髪の色を思い出す。


ようするに私の「ミートソース」感は、床屋のガラスにカッティングシールで貼ってある「アイパー、パンチパーマ」の情緒に通じる。
それは演歌とも違う「歌謡曲」であり、ヤンキーというよりはいまは死語の「ツッパリ」に通じる。
あらゆる駅の改装工事前の、暗い地下通路のクサい匂いと、「ミートソース」は友達だった。
「ミートソース」にとっては、イタリアという国の名前はきいたことがあっても「イタリ×アン」なんて言い方は知らないし、ましてや、「−ゼ」「−ネ」「ーニ」なんて語尾は別の宇宙の言語である。



孤独になりたいときと、孤独だなあと思う時に、食べる気がする。
孤独というよりは、私の幼い日の何らかの「自立の芽生え」の記念食なのかもしれない。
仕事の隙にも出張の隙にもそこを抜け出し、よく、どうでもいい喫茶店でどうでもいいミートソーススパゲッティを食べる。


もうひとつ私の恥部を言うと、「クラフトのパルメザンチーズ」を、小缶ならば一食に一缶くらいザーッとかけて食べる。
春乃屋でも、どこの喫茶レストランでも、店の人に眉をひそめられていたと思う。


「ミートソース」はスパゲッティの気の置けない相棒であるが、「ボロネーゼ」なんか、高飛車なパスタの奴隷で、駄目である。
腹へった。今日は自分で作って食べよう。
# by meo-flowerless | 2016-03-05 12:33 | 匂いと味

薔薇と瀬川

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夕闇迫る新宿紀伊国屋付近。
なにか他とは気配の違う花壇がある。埃カスのようなパンジーの群れのなかに、変に屹立する鮮やかな色彩。
薔薇の花が、紅白交互にぐさぐさと花壇の土のうえに挿してある。まるで、笑いながら意気消沈する複雑な年頃の娘、みたいなしおれ方で萎れている。
誰かが、もらった花束を解体して挿していったんだろう。謝恩会か送別会か。そんな花束をやり取りする季節だ。知らぬ誰かの別れの夜更け、もしかすると夜明けの旅立ち、そんな場面を想像する。


この季節、前にもそんな風に置き去りに挿された花を見たことがある。それも薔薇だった。
二次会など渡り歩くうちに萎れてしまう花を、帰宅して家の屑箱に捨てるにはしのびない微妙な気持、は自分にも記憶がある。
私はそういう、微妙な人の心理が乗っかった花が好きだ。生花であれ造花であれ、野に咲く花とは違う美しさを感じたくなってしまう。


そこから数メートル先、ふと人混みに見慣れた顔を見つける。
瀬川さん、今年卒業する大学院生だ。出会うはずのないような場所で出会った私に、いつもの独特な仕草の軟体動物みたいな体で何度も飛び上がっている。


瀬川。学生のなかで私が史上一番プニプニと触り、じゃれついた娘。一番恋の話をきいた娘。素晴らしい色彩と眩暈のするようなスピードの絵を描く娘。
あの赤い薔薇のヘタっとした姿は、制作の合間に真赤な作業服で直接床に座り込み、茶漬をすすっていた彼女にそっくりだ。
今年の春は、そんな彼女も、とうとう見送らなければならない。
# by meo-flowerless | 2016-03-03 22:18 |

ホーチミン日記8.18-2

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午後は、念願の「チョロン」地区へ。
チョロンとは地名ではなく、大きい市場街というような意味の地域で、屋根つき施設の大きな「ビンタイ市場を」中心とした、中華系問屋街の総称だ。
東京で言えば合羽橋やら蔵前やら浅草橋と、横浜中華街が合わさった感じ。
でもその熱気と言うか混沌の風景は、とてもとても日本人が自国で今の時代お目にかかれるようなものとは違う。


昨日は市の中心部の「ベンタイン市場」へ行ったが、これは観光客にも対応したスレっからしたところのある綺麗な市場だった。
けれどチョロンは、本当の中華系ベトナム庶民の生きる場としての問屋街だ。
タクシーが市中心部からはずれチョロンに近づくごとに、夢のなかで見たような捩じれた猥雑さを持つ混沌景が繰り広げられていく。
ありとあらゆる声の出し方のクラクションでお互いを牽制し注意をしあって、轢かれそうになっても何も気にせずバイクと車が進路を絡ませる。
日本人が住みついてもまずこの交通事情でストレスに陥るだろう。日本の硬質なスピード感覚、真直ぐな進路感覚で道を歩いたり走ったりすると、かえって危険だ。


バイクと同速度でゆく自転車のドラえもんガール。ドラえもんはベトナムで根強い人気キャラクター。

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# by meo-flowerless | 2014-08-19 08:43 |

ホーチミン日記8.18-1

午前中のうちに、ホーチミン市立美大にて、このプログラムの開会式があった。
ベトナム、タイ、カンボジア、ラオスはそれぞれ近いので各美大同士の交流もある。極東から滑り込むような形で、芸大はこの東南アジアの交流に名乗りを上げたのだ。
芸大の偉い先生方は「東京芸大がいずれアジアのリーダーになるべく、交流の礎石を置いてこい」みたいなことを一応私に言っていたんだけど、そんなたやすいことじゃないし、そういう感覚ではいずれ何もかもから取り残されるような気がする。



ベトナムを初めとした東南アジアの国々が経験している様々な他国からの蹂躙と干渉の歴史、少数民族の存在、その結果による複雑な文化の絡まり具合。
一方、自国の文化が奇跡的な形で温存されているタイの人々の優雅さと誇り高さ。
背景を知らないまま近づいたところで、本当の意味での交流はなされないだろう、と感じる。

この市立美術大学にしても、「国立」ではないのは社会主義の国だからだ。国家は自由な芸術活動を奨励するわけがない。ベトナムの美術家たちは先鋭的であればあるほどアンダーグラウンドでの作家活動を余儀なくされていると言ってよい。
学生たちの作品は大まかに言ってやはりソビエト時代の美術の影響を受けたものがほとんどで、素朴な写実油彩や、労働や戦争をテーマにしたプロパガンダ的彫刻などが主だ。
そのなかでベトナムの伝統として温存されているのが「漆絵」「絹絵」のジャンルで、これの専門セクションは芸大で言えば日本画のように、絵画科の一部になっている。


かれらは頑なに自国の歴史をこちらに突きつけるような硬い態度を取るわけではない。
柔らかく細くしなる竹。それが東南アジアの第一印象だ。



日本のメンバーは私の他に、通訳のジャック、彼は米国からの留学生で博識な博士三年生。
高倉君はレバノンから帰国したばかりの第四研究室の卒業生、通訳可能なほど英語は堪能。
後藤さんは技法材料研究室の非常勤講師の女性。
西岡さんは日本画家の教育研究質の女性。


現地へ来てやっとその日その日の細かい時間スケジュールが発表された。
10日間のうちの初めのほうは、午前中に合同で様々な施設を見学、午後は自由、と言った形。
それでも朝、昼、晩はホテルに帰って食卓につくということが基本。
日本の旅館の食事つき宿泊とはまた違うのだろうが、食事に関しては外食抜きではなかなか不便ではある。

ベトナム料理は日本人の口に合うだけではなく、とにかく味のセンスがいいと言うか、何を食べても美味しい、と感じる。
すぐ隣にあるでかいスーパーで買うポテトチップの味付けまでもが、程よくガーリック、程よく肉パウダーが効いていて美味い。
二度目に訪れた漠然とした感想から言うと、悶絶するほど上手いレストラン飯を毎色食べて胃が疲弊するよりも、一汁一飯三菜を毎日違う形で簡易に出してくれるホテル飯のほうが健康的でいいのかもしれないけど。
# by meo-flowerless | 2014-08-19 08:29 |

ホーチミン日記8.17-2

四時ちょうどくらいにお約束のスコールが降ってきて、またお約束のように止んだ。
私達のいる二階建てのホテルは、ビジネスでグループ宿泊するときの離れのヴィラのようなもの。
一日中となりのテニスコートから誰かのプレーする声が聞こえてくる。
赤いカーペットの廊下に新しい旅行客の男性陣、あれはきっとカンボジアの美大の先生方だ。
手を振ってみたら物凄く人なつこくみんなよってきて、お互い挨拶を交わした。


私達日本のグループは、ホテルでの夕食前にちょっとでもいいから、とタクシーで、市の中心部ベンタイン市場へ。
カラフルな虫のようなバイクの光景は、二度目の目にはもう珍しいというより包装紙の模様のようなデザイン的なものに見える。



味のわからない味つき煙草かなにかのエキゾチックな紙箱と銀紙をくしゃくしゃっとしたような、アジア的アルファベットの看板群。
フランスの植民地時代の名残のアパート建築群はどんなボロ屋であっても麗しい感じ。水色にひしゃげたリンドウの花のアールデコ調鉄柵に、安いお菓子色した洗濯物が引っかかっている。
コンクリートの壁がはげて結露とともに腐れ落ちそうだ。しばらく土の眠りから覚めることのない静まりきった過去の怨念を感じる。

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# by meo-flowerless | 2014-08-18 00:58 |

ホーチミン日記8.17-1

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最近偏りきっているtwitterからじゃないのは、ここがベトナム・ホーチミンだから。
wifi環境はあるしネットは繋がり放題だが、twitterだけはアクセス出来ないのは、社会主義国ゆえの制限が掛かっているとかいないとか。
でも、久しぶりに旅行の手記を書くには、ブログのほうがいい。
最近長い文章を書く暇も書く気持ちも持てなかったけれど。ぼつぼつ再開するか。
去年も今ごろ小豆島の手記でブログ再開したんだよな。


観光旅行ではなく、完全に大学の仕事である。
学長が七月に訪越した際に、ホーチミン市立美術大学での、アジア各国美大・絵画系教員サマーセミナーの参加を決めてきた。
けれど、夏休みひと月前に急に東南アジア出張を決められるような余裕のある教授は、あまりいない。
私は話を伺って、二つ返事で承諾したのだが、他の四人の招待枠は教授たちではなく、卒業生、助手、非常勤講師、博士三年の若いチームとして構成された。
ので、気楽で楽しい。


夜中の一時に羽田を発って、タンサンニャット空港についたのは朝の五時。
それでも、先方の漆画のミン先生が、自ら車でホテルに送り迎えしてくださる。
事前にはあまり知らされなかった日程と、10日間の内容が、何となく今朝になって明らかに。
明日から芸大、ラオスの美大、カンボジアの美大、タイのシュラパコ−ン美大各5名ずつ計20名の先生が、同じホーチミンのホテルで寝起きと三食をともにし、ホーチミン市立美大で絵画制作と展示、そして最終的に3日間のセミナーを行うのだ。
自由な観光旅行ではなく、本当に学校の交流のため。
今日だけが完全にフリーな日だ。


早朝からホテルで残りの睡眠を取っていたが、私と同室の日本画の助手の西岡さんは、けっこう自分とも似通った気質があるのか、そわそわしてすぐ起きてしまった。
ので、炎天下の正午前に近所のスーパーまで二人で出て、初買物。
観光客としてまだ緊張感はあるものの、二人ともすぐにカラフルでキッチュな混合アジアグッズの世界に心奪われ、いろいろ買い込んでしまう。

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# by meo-flowerless | 2014-08-17 14:34 |

香星群アルデヒド・第九回

短編小説・香星群アルデヒド
第九回 UPしました。

http://www.geishin.co.jp/comunity/27/9.html
# by meo-flowerless | 2014-06-28 10:55 | 告知

多摩美にてレクチャー

本日6月14日(土)、多摩美術大学芸術学科21世紀文化論の枠で、講義をさせていただきます。た


ー 『其の世の博物学』齋藤芽生 レクチャーホールBホール 13:00開場 ー
多摩美術大学八王子校舎にて。
興味のあるかた是非どうぞ。

# by meo-flowerless | 2014-06-14 10:41 | 告知

香星群アルデヒド・第八回

短編小説連載 『香星群アルデヒド』 第八回、アップしました。


http://www.gei-shin.co.jp/comunity/27/8.html
# by meo-flowerless | 2014-05-27 23:23 | 告知

山下裕二さんとの対談、「美しき畸形」

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齋藤さんはウルトラ・ドメスティックだよね、という言葉で盛り上がった山下裕二先生との対談。
ウルトラ・ドメスティックって、北新宿辺りの雨のアパートで繰り広げられるドメスティックバイオレンスっぽくて、いいですな。
直訳なら超・国産的とかいうことなのだが。
私にとってはずっしりと密度の詰まった、自分への形容を頂いた、と思った。



対談の中で心に刺さった山下先生の言葉は、「美しき畸形」という言葉。
畸形は奇形という字じゃない、とも。
「日本のドメスティックなものを『美しき畸形』と自分は呼びたい。洋楽の刺激を受けながら奇妙に捩じ曲がった昭和の歌謡曲は、『美しき畸形』だ。それに、明治の日本の絵画もそうだといえる。美しき畸形と言える以外のものには心を惹かれたりしない。思春期に洋楽に皆かぶれていたりしたけれど、歌謡曲のあの感覚の前にはなにほどのものでもないと感じていたし、西洋美術だって、自分は本当には心を動かされなかった」
というお話。
大竹さんも都築さんも中野さんもそうだったけれど、やはり自分の憧れる人、陰ながら励ましの言葉を頂ける「おとな」には、どこか共通する感覚がある。

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# by meo-flowerless | 2014-04-20 23:15 | 絵と言葉

個展初日・御礼

昨日は、私の個展の開始日だった。オープニングパーティを開催致しました。
来ていただいた方々、見てくれた学生、手伝ってくれた人々に心からの感謝を申し上げます。
本当にありがとうございます。



私自身は本来パーティやイベントが実は大の苦手なのだが、「美術作家という一つの職種を営む」上で必要な人との関わりの中で、晴れの舞台がどういうように必要なのかということを、年を重ねるにつれ学ばせてもらっています。
本来は静けさの中でいろいろな対話をしたり、作品を自由に眺めていただきたいとも思いはあれど、一度しかない人生の中でああいう場所でいろいろな再会や邂逅が交錯するのは、それも一つのドラマなのだと思います。



そしてトークショーにも沢山の方に集まって頂きました。
山下裕二先生のお話によって会場がとても濃密な一体感に包まれた気がします。
あと一時間長かったら、二人とも歌謡曲を歌いだしたような...気がする。
自分にとってそういう雰囲気ほど幸せなことは、他にない!
# by meo-flowerless | 2014-04-20 22:54 | 告知

香星群アルデヒド・第六回

短編小説連載 『香星群アルデヒド』 第六回、アップしました。


http://www.gei-shin.co.jp/comunity/27/6.html
# by meo-flowerless | 2014-04-11 20:03 | 告知

個展 『香星群アルデヒド』

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『香星群アルデヒド』   
齋藤芽生展
2014.4.19(土)~5.24(土)


ギャラリーアートアンリミテッド

協力:岡部版画工房 芸術新聞社


営業:13:00-19:00 (4.19のみ22:00まで営業)
休廊:日曜、火曜

トークイベント:4月19日(土)
齋藤芽生 (画家)×山下裕二(評論家)
開場16:40、トーク17:00〜18:30
要予約 info@artunlimited.co.jp 定員30名  料金1000円
 
日本美術研究者であり、現代でもっともアクティブな評論家の山下裕二氏をゲストに迎えて齋藤芽生との対談。初個 展以来、齋藤芽生を見続けて来た山下裕二氏と初の対談。


オープニングパーティ:4月19日(土)
20:00~21:30

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# by meo-flowerless | 2014-04-05 22:30 | 告知