画家 齋藤芽生の日記 Twitter/ @meosaito


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私的昭和キラキラ史

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いま聴くと【キラキラ星】という曲は、その題にふさわしい優しい音楽だと思う。キラというのが英語ではtwinkleという美しい響きなのだと知ったのは、幼時この曲を覚えたおかげだ。しかしまたこの曲から直接的に夜空に光る星をイメージすることが出来ないのは、耳にこびりつく自分のへたくそバイオリンの調べのせいだ。
三歳の時初めて小さなバイオリンを持たされて、同じ団地の若い男の先生のところに習いにいくようになった。とても優しくて素敵な先生なのが良かったが、自分のバイオリンの音は一向に優しくて素敵にはならなかった。
鈴木教本の一番最初の曲が【キラキラ星変奏曲】だった。様々な弓使いの練習のために【キラキラ星】をいろいろなリズムで刻んで弾かなくてはいけない。「ギギギギギッッギ」という潰された蝉みたいな自分の音が、この曲の記憶のすべてを支配してしまった。

:::

幼いとき、何時頃に寝かしつけられていたのかは覚えていない。真夜中、尿意や寂しさなどで急に起き、寝ぼけ眼でテレビのついている居間にふらふら歩いていく時間帯があった。必ず母が「どうしたの?おトイレ?」と優しく笑って振り向いた。
その必ずの向こうに、もう一つの必ず、があった気がする。【スター千一夜】のオープニングテレビ画面である。同じ時間に起きる癖があったのだろう。言葉を覚えるのは早い子だったので、スターの意味もなんとなく分かったし、発音は分からないが千・一・夜のそれぞれの漢字の意味も分かった。ただ、しばらく「ちいちよ」と読んでいたと思う。



ああ、「夜」…。その文字は印象的だった。「夜」か「タ」の文字のどこかの点が星になっていて、キラリンと煌めていた。
「キラ」という煌めきに、現代人はほぼ、ウィンドベルをかき鳴らした音をイメージするのではないか。形はやはり、十字やダイヤ形の点滅するイメージだろう。それまでその一般的「キラ」をあまり理解出来ていなかったのだが、真夜中の母の笑顔の向こうの【スター千一夜】こそが、キラキラの凝縮形態との出会いだったと思う。親の役目を解放されてぼんやりとくつろぐ新鮮な母の顔と十字&ダイヤ型の光とともに、真夜中の時空への誘い、大人の深い時間帯の憧れ、宇宙の遠い距離…が自分の中に定着された。



それからというものしばらく、なんにでもキラキラの形を書き入れた。ただし、★という星の描きかたを親に教わってしまってからは、十字型のキラキラをほとんど絵に描かなくなってしまった。これは70年代少女漫画から80年代少女漫画絵の移行期の、はやりの記号の変遷ともリンクする。十字形のキラキラが古くさい、というイメージになってしまったのだった。
今では十字形のキラキラのノスタルジックな汎用性のほうが好きだ。



写真にある自作の定期券にも、しきりに★を書き入れている。というより、いまみると「ある所⇔そこの所」という大雑把な時空の広がり感が凄い。昔の私のなかには宇宙が広がっていたのだろう。今辛うじて残っているのは「どういうところ経由」という中途半端な寄り道感だけである。



さきほど調べてみたら【スター千一夜】の放映時間はたかだか20:00前後だったようで、可笑しくなった。私はあれが真の「真夜中」なのだと思っていた。今ならようやく大学の仕事が一段落つき、自分の一日が始まる時間だ。


:::


自分の中の「キラキラ」の五感的最高形態はいったん、小学生頃に発売された【宝石箱アイス】で完成を見た。そんなにロングセラー商品でもなくわりと高かったカップアイスだが、昭和の菓子話ではよく登場する伝説的アイスだ。
縁をラウンドにした立方体に近いカップは、黒い色をしていた。そのデザインが素晴らしかった。蓋に赤、黄色、緑のそれぞれの味に合わせた色の宝石とも氷とも十字星とも言えないキラキラしたものの写真が印刷され、白い細斜体文字で【宝石箱】と印字されている。【スター千一夜】を思い出した。



なんて素晴らしいのだろう、高いけどこれは売れるぞ、と一目見て思った。バニラではなくミルクのアイスに、ザクザクと色のついた氷の粒が混じっている。それを宝石に見立てているのだ。とくに「エメラルド=メロン」の味が最高だった。高級というより、洒落た味わいだった。
やがてどこの菓子屋でもアップルカクテル味しか見かけなくなり、【宝石箱】の廃番に気付いた。子供心に寂しかった。ときめきをもう一度、と思っていた。
その頃にはテレビ番組【スター千一夜】も終わっていたようで、自分が夜の時間にそれを観覧することは、その後なかった。


:::


一回「キラキラ」に撹乱が起こったのは、地元八王子のカルト盆踊り曲【太陽おどり(歌・佐良直美)】によってだった。
盆踊りの時、変なエグい曲がかかるなぁ、とは思っていた。しだいにそのゴーゴーサイケな編曲や中性的ボーカル「はっぱキラキラキンラキラ、ハァ!キンラキラキラキンラキラ」というわけのわからない歌詞が気になり始め、違和感を覚え出した。
丸顔にラウンドカットの、男か女かわからない、いつも笑顔のままで低音の歌を歌う佐良直美が、当時は意味もなく恐くてしょうがなかったので、ご当地盆踊りをあの人が歌っていると思うといやだったのだ。
「葉っぱのなにがキラキラすんだ?キラキラは太陽ではなくスターではないのか?しかも、チラチラともギラギラとも聞こえるあの発音は、何だ?」



しかし大人になるにつけ、昭和の歌謡曲に嵌まり、【いいじゃないの幸せならば】の佐良直美の深い歌唱力に嵌まり、【太陽おどり】が「ひとりGS歌謡」の名曲だと気付いたのだった。
夏祭りには八王子のどこででも、彼女の声の原形をとどめない焼き直しテープの【太陽おどり】を聴けるけれども、音源がちゃんと聴きたくなった。ようやく、八王子中央図書館に三本しかないテープを借りて聴くことができた。が、こともあろうにそのテープを誤って延ばしてしまう、という罪を犯し、貴重な【太陽おどり】テープは、図書館に二本になってしまった。数年後に行ってみたら、もう皆無だった。生涯最悪の罪悪感は、これである。



「はっぱキラキラ」の歌詞は、今でもちゃんとした意味を知らない。葉っぱは、高尾山の葉っぱのことである。
太陽、平和、キラキラ….60年代後期〜70年代初頭のキーワードをただぶち込んだだけなのだろう。平凡な歌謡盆踊りになるところが、GS的アレンジと佐良直美の絶妙なボーカルで、またとない名曲になっている。地元のファンキーモンキーベイビーズがカバーしていた。
youtubeで「世界でいちばんナウい新八王子音頭」という題で太陽おどりをあげている人が居て、馬鹿にされてるなあと思いつつ秀逸。やはり名曲。
先日近所の盆踊りでも、しょっぱなにかかっていた。夏の間、どんなに音声が悪くてもあの「はっぱキラキラ」を聴かないと、夏を過ごした気がしない。
今年初甲子園出場の八王子高校は、ブラスバンドも全日本レベルらしいから、どうか応援のブラス曲に「はっぱキラキラ」を取り入れて欲しい。滅茶苦茶応援してるぞ。テレビないけど。
# by meo-flowerless | 2016-08-02 22:40 | 絵と言葉

2016年8月の夢

2016年8月の夢

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# by meo-flowerless | 2016-08-01 07:29 |

個展 【密愛村Ⅳ〜不気味な女】

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The Godess of Weather Disturbance / 不安定な気象の女神 2016 60×60cm 紙、アクリル


齋藤芽生個展  【密愛村Ⅳ〜不気味な女】(リンクあり)
7月13日(土)~8月13日(土)、ギャラリーアートアンリミテッド(東京・乃木坂)にて開催です。
営業時間:13時〜19時
休廊:日曜・祝日・火曜

歌謡曲的な男女の虚構の世界を描いてきた『密愛村』シリーズ。その第四シリーズは、私自身を取り巻く女性性を考えるために描き始めた。
女が社会での何らかの役割を演じるのをやめたとき、姿の見えない世論の総攻撃が何故かそこだけに集中する風潮。女という性が不気味に宙吊りになる、新たなる「魔女狩り」時代の幕開けなのだろうか。いまの私は、それに抵抗しようとする自分の中の感覚の蠢きを描こうとしているのかもしれない。



今秋、大原美術館 有隣荘での個展を控え、「密愛村」と「野火族」を発表します。おぼろげな顔の女たちが登場する妖艶で不思議な絵画世界。ご高覧ください。


【予告】
平成二十八年 秋の有隣荘特別公開
齊藤芽生
会期:10月7日(金)〜23日(日)
会場:大原美術館 有隣荘(旧大原家別邸)
住所:岡山県倉敷市中央1-1-15
お問合せ:086-422-0005 (大原美術館)

# by meo-flowerless | 2016-07-26 18:06 | 告知

女の写真

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花園神社は久しぶりである。骨董市をやっている。
中国人のおじさんが番をしている或る露店。
壷や筆などの他に、毛沢東時代の中国人の集合写真、香港辺りのレトロポスター、カー&女の絵が入れ替わるレンチキュラーシート、などが並べてある。
端のほうのダンボールにはどこの露店にもよくある、アルバムの切端や白黒写真の山。兵隊の出征写真や写真館で撮った家族写真などには、触れてはいけない他人の人生の質量を感じる。が結局、いつもその山を、癖のようにぼんやり漁ってしまう。



その山に、ビニール袋に小分けしてある写真の束がいくつかあった。
もしやと中の束を開いてみると、やっぱり。女の局部のドアップの写真が出てきた。思わずデヘッと笑ってしまう。白黒の陰毛写真や、開脚の女の股などの写真も重ねてある。
こういうのを撮っては温泉地などで売って小銭を稼いでいたかもしれない、昔のチンピラのような便利屋のような男を想像した。顔は小沢昭一だ。



その他の普通の家族や観光写真の山の中にも、時折、同様のエロ写真が単独で混じっている。
青いような桃色のような淡さに色褪せた、カラー写真のヌード。白いシーツの上で、顔も体もフツーの女性が、これでもかというくらい開脚してそこを見せている。女のモモには蚊に刺された痕がある。
箸にも棒にも引っかからない素人ポルノグラフィーなのに、なにか妙に魅かれる。エロでも色気でも美でもない、胸がギュッとするような良さがある。
おそらく昭和四十年代くらいの写真だと思うが、多分その頃の商業モデルならばもっと特有の仏頂面をしていたと思う(イメージ)。けれどこの写真の中の女性には、カメラの主にたぶらかされた「その辺の主婦の匂い」がむんむんする。
うまいことのせられおだてられ、ちょっといい気になっている平凡な女の顔は、哀しいほどきれいなことがある。



むかし山林などに捨てられていた雨ざらしビニ本のページに垣間見えるヌード女の顔には、妙なドロンとしたまなざしがあった。
子供の私達は棒でつついて湿ったページをめくった。その中に垣間みる女たちの表情は、当時の自分にとって裸体より衝撃だった。別にスタイルも良くない美人でもない女の、胸に隠し星が乗っかってるような写真に限って、えもいわれぬ暗い恍惚の表情をしていた気がする。いとこの部屋の「平凡パンチ」の女にはない顔だった。



自撮り時代のナルシスティックな現代の女からは、永遠に消えてしまった表情なのではないか。
カメラと目を合わさず伏せているが、とろんとした目。恍惚まではいかない恥じらいの中に一抹のノリと、心身を半分だけ開きかけているツヤのようなもの。自意識から発するのではなく引きずられて出てくる「なまめかしさ」、死語。
決して褒められたものでもないのに妙に感心してしまって「白い蒲団の開脚写真」に真剣に見入っている私に、同じように古写真を漁っていた中国人観光客の女の子が、思い切りドン引いている。
そうだな、私がこの写真を持っていてもしょうがない。



このエロの何が、こんな「純に」胸を打つのか。
単純に、その時空には男と女しかいなかっただろうから、だと思う。それはどんなにうらぶれていても、ある意味の蜜月なのだ。
ジェンダーから性をあぶり出す表現などに立ち会うとき、こっちの意識に絶対に入り込む批評性というか説明的なものを、過剰と感じる。そこに生きざまや社会を読み取らなければいけないときは、尚更だ。表現者本人がその気ではなくとも、表現された場には余計な第三者たちのまなざしが付加される。素人の男が撮った素人の女のド下手写真のドシンプルな蜜月性に、ひっくり返っても叶わない気がしてしまう。



しかしそもそも、この良さを「表現」なんていうものの世界に無理に引っぱってこようとすれば、蜜月性が消えるのはおろか、官能にも情緒にも何かしらの正当な大義名分が必要になり、その本質は泡と消えるだろう。自分自身の表現が超えられないのもそこだ。



そんな写真の中に、ふと、構図も状況も渋いのが一枚あった。
白黒写真、蒲団上の臀部。重ね焼きの失敗なのか、シュミーズの上にもう一枚ベールがかかっているような。畳の上には牛乳瓶....かな?違うかな?。室内の生々しさがいい。
もう一枚別の、それは普通の、男女が婚礼の前に廊下で一緒に歩いている瞬間の写真。
それも絶妙にいいので、その二枚を中国人のおじさんから買った。


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# by meo-flowerless | 2016-07-25 01:51 |

別府温泉の海綿手品

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いかにも地獄という言葉を好みそうに思われるが、自分にとっての地獄のイメージを冷静に遡っていくと、温泉に行き着く。
別府鉄輪温泉の「地獄巡り」のせいだ。
いかに地獄のような宿題に終われようと、地獄のような片想いに身を焦がそうと、昔から「はぁ〜地獄だ」と溜息つくたび、脳裏に赤茶色の温泉池がぼこぼこと泡を立てているのが見える。別府血の池地獄である。「もうだめ....死....」くらいにまで疲労が達して見える灰色の不気味な泥世界は、別府坊主地獄である。



思春期に別府を訪れるまでに、私の頭には既に色とりどりの泥地獄のイメージが出来上がっていた。母は大分を点々と移り住んだが、回想する時に一番多いのが別府の話だったからだ。
煉瓦を溶かしたような赤、ミントアイスのような水色。
不思議な温泉池の色たちを事前に正確にイメージ出来ていたのは、母の形容が的確だったのだと思う。おどろおどろしい血の池地獄より、涼やかに青い海地獄が100度の熱さだ、というようなギャップが、「美しいものは怖い」という信念をさらに掻き立てた。



初めて訪れた時には、池そのものよりも、「地獄の釜」的に硫黄汚れした温泉施設の建物や、ホテルからの湯気に圧倒された。工場群が無機質な内臓のように生々しく思えることがあるが、剥き出しの温泉施設の配管やポンプは、別種の黄色な内臓のように感じられた。
くたびれた地獄の動物園の獣たちの倦怠感が、温泉毒にやられる日常を見せつけてくる。濁った水にサンゴ色の嘴の黒鳥が泳いでいたり、巨大な黒い猛禽類が目の前で翼を広げたり、晴天の空が黒いくらいに青かったり、「別府にはコントラストの黒い影がある」というイメージが焼き付いた。



一通り観光を終え、親が疲れて宿で眠ってしまうと、私はぶらぶら土産物漁りに出た。
暇そうなおじさんたちが店番をしている店。ただでさえ古びた温泉世界から、逆レンズで昭和初期を覗いたような色合いが、レジの後ろ辺りにぶちまけられている。見世物小屋の楽屋裏というのはこんなだろう。
蛍光色のエビやカニの玩具をひたひたと水につけている水槽、金魚鉢などがレジまわりにゴチャッと置いてあった気がする。安花火の染料が雨で沁みた色、褪せた水中花、そんな色の空間。



濃い青空の記憶からすると、季節は決して秋冬ではなかったはずだ。
けれど派手な花柄の「ドテラ」を着た男の人がいた。
劇場幕のようなカーテンの向こうの畳には、ストーブの赤い灯があったイメージさえある。ドテラ男はカンカン帽をかぶっていた。古物屋の主人によくいる感じの「シレッとした根暗な丸顔」だったように思う。



私の視線を感じたドテラ男は新聞から二、三度顔をあげて私を見て、三度目でおもむろに話しかけてきた。「手品見せてあげるよ」
唐突だったが、既に先方のいでたちが唐突にふさわしいので、驚きもせず私はうなずいて男の前に立った。散らかった机のどこかから男はポヨッと赤い柔らかいものを手の中につかみあげ、レジの混沌の中のどれかの水槽の水に、一瞬それを浸した。
「手品というよりも、まずこの海綿がチョット珍しいんだよね。大分でしか手に入らない」
「海綿.....」
「こう水につけるのがポイント。海綿だからね」
言いながらドテラ男は手の中で濡れた赤い海綿を揉んでいる。



「城下ガレイはもう食べた?」「いえまだ」「是非食べなさいよ」のような覚束ない会話の間も、ずっと男は海綿を揉んでいる。
「別府湾のね。非常に特殊なところに、この海綿がとれるところがある」
と少し遠い目をして男が言う想像の先にぼんやり別府の海を想像しかけたときだ。男の手から、さっきの塊の子どものような小さな赤い丸い海綿の玉が、ころころ、次々とこぼれだしてきた。
「あっ!!!」



もう一度見せてください。とせがむと男は「何度でも。だって特殊な海綿なんだもん、自由自在」と言いながらまた揉み、手の中ではまた一つの赤い丸い塊に変わっている。
「ええ、どうして?手品ですよねこれ、どういう仕掛けなの」
「仕掛けも何も、そういう海綿なんだって」
揉んではぱっと手を開き、揉んではまた開きを繰り返し、その度に赤い海綿は分離したり親玉に戻ったりする。「海綿」という言葉が私の想像力を狂わせた。暗紅色の海綿が豊後水道に漂っている様を、夢のように思い浮かべた。その海綿だけが、手品、とか仕掛、とかいう言葉から勝ち抜いて、頭に残る。
そして何より一番の魔術的なせりふを、とうとう男は私に言ったのだ。
「こんなの、珍しくもなんでもねえよ。その棚に売ってるよ、いくらでも。800円」



【SPONGE MAGIC】とか何とか商品名が描かれた安っぽい箱を、宿の部屋で私は開けていた。
両親が、何か言いたそうだが言わない、と言う顔でちらっと見ている。
箱から出てきたのは、赤いスポンジの球(大1ケ、小9ケくらい)と赤いスポンジの鳩だった。
自分が思い描いていた豊後水道の海綿と随分違うな、と、いやな予感がした。
説明書の通りに、私はスポンジを弄った。
「スポンジボール小を小さく折り畳んで、スポンジボール大の穴の中に押し入れます」
穴ってなんだよ、と思い手にとると、スポンジボール大は真中がぱっくり空いた袋状になっていた。それに、あれ?水に浸したりしなくてもいいのか。もみもみして、揉んでいるうちに大ボールの穴から、畳んだ小ボールを揉み出します。以上、終わり。




.......そうだよな、魔法の海綿なんかじゃないよな、と独り言を言っている私に、母は「今気付いたの?」と冷静に言い、父は、「ばかだねぇ」とあくびまじりに言った。やけになってその旅行中スポンジ手品をマスターしようとしたが、難しくて出来なかった。



20年近く経って今度は夫と、また別府を訪れた。
硫黄の匂い、温泉卵の湯気のもうもうと立つ中、だみ声の投げやりな調子で、地獄池を解説している拡声器の男がいた。
顔は定かではなかったが、そのカンカン帽姿を見て、瞬間的にあのドテラ男だ、と思った。
だとしたら、相変わらず投げやりながらも、前見たときよりも真剣に仕事をしていた。



九州育ちの母も自分の幼時体験の中にただの一度も地震の記憶はないと言う。
久住高原、別府、博多.....親族がいたり母の縁故の土地だったりするだけではなく、熊本では市立美術館での展示や作品収蔵など、自分にとっても縁が深い九州。
思い出の中にあるというよりも、九州と四国は、いずれ移り住みたいと思うくらい好きな土地である。
被災のことも今後のことも、心配でならない。
# by meo-flowerless | 2016-07-23 12:36 |

個展 【密愛村Ⅳ〜不気味な女】

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齋藤芽生個展  【密愛村Ⅳ〜不気味な女】(リンクあり)
7月13日(土)~8月13日(土)、ギャラリーアートアンリミテッド(東京・乃木坂)にて開催です。
営業時間:13時〜19時
休廊:日曜・祝日・火曜

【不気味な女】

不気味な女がいる。遠くにひとりでいる。自由に彷徨っている。
こちらの出方を待っているように見える。誘いかけているようにも見える。精霊かなにかなのかもしれない。まがまがしくて、あれに近づきたくはない。きっと、夕陽に闇に乱反射に向かって人の存在をひもといてしまう。狂おしく光る海や深い夜への扉を、開いたりしてしまう。
あれは封印されている女だ。なにかの引導を渡す女だ。霊媒をする女だ。岐路や境界に立つ女だ。眩しさと暗さの、いずれもの元凶。あの女に選ばれても恐いし、選ばれなくても恐い。人からもっと遠く存在する限りはあの女も、ひとつの聖域であり続けるのだろうけれど。


今回の「不気味な女」のシリーズのいくつかには、精霊か地霊のような女が出てくる。【密愛村】のシリーズで隣に寄り添っていた男は姿を消した。【野火賊】で不穏な同盟を結んでいた集団からは放逐されひとりになった。ここにいるのは、そんな解き放たれてぼんやりした女、存在がむだになってしまった少女たちなどだ。いかにも不気味な有様などはしていないが、私は彼女らにまがまがしさを込めて描いている。これからの続編には、もっと自由でうわの空な少女、ひとりで秘事に没頭する狂女、わけもなく孤高な女、そんな者たちが登場するだろう。


ひとり遊びを好み、憧れの何たるかを知らぬまま憧れ、夢想の世界に遊ぶような女は、少女であろうが成人であろうが、世間からたしなめられる。制裁を加えられる。ある種の天然に生きるような女は、きっとなんらかの魔女狩りに遭う宿命にある。古今東西、かわりなく。


魔女狩りを恐れる女たちは今や、自分の社会的価値や役割をうまく纏うようになるばかりだ。しかも、世間からの押しつけでもなく自ら選び取ったかのように纏ってみせる。
世間を渡り歩く女性の生きざまなどを描きたくはない。私なりに節度を持って社会生活していたりするのだけれど辛い。ジェンダーとして語られる女にも興味がない。美少女の市場価値にも興味はない。
立派に役割のある女など、まがまがしくもなんともない。まがまがしさと懐かしさの混在する所にしか私にとっての美はなく、その美にずっとふけっていたい。本当は。


遠い女。神出鬼没の女。孤独な夢に遊ぶ女。自然に近い女。常識から放逐された女。社会を知らない女。
いまの世間からは何となく浮いてしまい沈んでしまう、他者にとって凶と出るか吉と出るか全く読めぬ存在、不穏で扱いにくい不気味な人影が、私には慕わしく懐かしい。



 【懐かしい女】

小川未明の【牛女】は、私にとって忘れられぬ童話の一つだ。
村人から多少の嘲笑を含め【牛女】と呼ばれる、言葉を語れないが気は優しい、力持ちの大女がいた。彼女は村人のぶんまで力仕事を買って出つつ、共同体にささやかな居場所を作った。
彼女はたった一人の息子を残し病死する。しかし冬になると遠くの山に積もる雪の形が、女の面影になって毎年現れる。彼女は、息子や村を見守る、いわば地霊になったのだ。
 

地霊としてあり続ける在りかた。言葉無き無限の言葉。私のなかの究極の「女」というものの原型は、この【牛女】なのかもしれない、とたまに思う。
小さい頃初めて読んだ時に、号泣した。その涙の感覚は、今もあまりうまく説明出来ない。ただ一つ覚えたのは、「懐かしさ」はつねに「取り返しのつかなさ」とともに存在する、という感覚だ。
一児の母親としての包容力でこの童話を読み解こうとするのは簡単だ。が、そういうふくよかさよりもっと深い寂寥を、私はこの童話に感じる。全ての雌が生殖不能にならない限り、生理としての母性はこの先も減少こそすれ生命体に受け継がれ、語り継がれるだろう。しかし【牛女】に漂う、どうにも行き場の無い喪失感は、そのように自然に還ることの循環性とは、ちがうところから来るように思う。
 

村人の見る錯覚の牛女の面影には、彼女を軽く蔑んでいた自分たちの後悔と憐憫がほのかに入り交じる。それ故に牛女の地霊としてのまなざしは、決して優しいだけのものではない。取り返しのつかなさ、手の届かなさ。忌まわしさ、恥ずかしさ、悔い。そして諦め。残された者たちにそういう人間感情を教える存在は、微笑みながらも手厳しい。
 

「懐かしい」という感情は、アンビバレントを帯びた感情だ。レトロ商店街や懐メロ風ポップスのように甘く価値化された暖かみのことを私は言っているのではない。
私達はあの感情に助けられ励まされることもあるが、激しく切なく心身を削られることも多い。人というものはせわしなく人生を送るうちに、この甘美でもあり過酷でもある「懐かしい」感情に耐えられなくなる時が来る気がする。どこかの時点でそんな複雑な心の揺れを、手放す判断を下す気がする。
 

「懐かしんではいけない懐かしいこと」を不意に思い出してしまう時に、手厳しい寂寥は襲いくる。
人は、自分の愛する懐かしい感情をなぜか同時に恥じ、自分の誇る懐かしいものになぜか自嘲を込め、自分が語りたい懐かしいことになぜか押し黙る。懐かしいことはときに不気味であり、さらに罪悪である。私達は懐かしい対象に、制裁を加える。私の描きたい女の姿は、押し殺され封印された懐かしさの、化身の姿もといえる。
# by meo-flowerless | 2016-07-18 02:38 | 告知

【天国と地獄】  黒澤明

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私は全く映画通ではない。が、とにかく好きな映画だけをDVDで何遍も何遍も観る癖がある。
東西新旧問わないが、しかるべき時にしかるべき音楽が流れる、というのが好きな映画の共通点かもしれない。
【天国と地獄】(1963)は黒澤明の大傑作中でも、数多くはないクールな現代劇だ。
原作は、エド・マクベイン【キングの身代金】という推理小説、子供の取り違え誘拐を巡る大人たちの心理劇、という内容。この映画が切っ掛けで、誘拐事件が多発する社会現象になったともいう。



靴会社の常務に三船敏郎、貧しい医大生に若き山崎努、刑事に仲代達矢、という配役。
ギラギラした駆引きを想像するが、前半のモダンな邸宅での室内心理劇のせいか、全体の印象がひんやりクールな感じがする。特に仲代達矢が、他の映画に比べ、抑えた存在感で非常に格好いい。
黒沢好きなら別だが、まだ観たことのない他人にこの映画をお勧めしても、前半のシンプルなセット撮影の演劇のような流れで、退屈してやめてしまう人もいるかもしれない。
逆に映画好きは、前半の緊張感ばかり評価するみたいだ。



後半、カメラが高台の下の貧しい町に紛れ、犯人が暗示されるところから、画面、音楽ともに、目くるめく展開を始める。圧巻の流れをバッチリと支えているのは、その時々その場所に流れ来る、音のキマリ具合だ。
ドブ川のほとりの貧しいアパート、ラジオから流れるシューベルトの【鱒】。緊迫した場面での特急こだまの列車音。酒匂川のシーンで印象的に流れる、テーマ曲の高らかなトランペット。捜査会議での、一人一人の捜査員の冗長なまでな報告。
伊勢佐木町の夜の多国籍ビヤホールで流れる南国的ジャズ。黄金町の麻薬窟で中毒者がトタンを引っ掻く感覚。推理の決定打となる、湘南電車の軋み。
そして、高台の別荘でラジオからの美しい【オー・ソレ・ミオ】。
多くのシーンに、絶好な音楽があり、絶妙な環境音を通過する。何度も観ても「来た!」と毎回、思う。音にこだわりのある映画監督の映画にはPVみたいでイラッとするものもなくはないが、さすがに黒澤明の映画の音楽にはいつも興奮させられる。



犯人はひじょうに冷酷無比で、なににも溺れない。
彼のいるシーンでの、楽園を思わせるクラシック音楽は、どこか「麻薬的」なロマンチシズムの増幅を感じさせる。その楽園は、転落と紙一重の楽園だ。映画タイトルがぴったり来る。
この映画は音楽が違っただけで、犯罪心理の描写が無理なものになっただろう、と思われる。
彼とともに流れるミスマッチな甘ったるい音楽がいちばん、彼の動機のニヒリズムを感覚的にあらわしている。「他人の幸福の音」、「世間の勝ち組の奴らのバックグラウンドミュージック」を、彼は聴いている。



被害者や刑事たちの背後にはテーマのファンファーレ以外に、ほとんど現場の緊迫した音しか聞こえない。それに比べ、犯人の背後には「音楽の絵巻」のようなものがずっとある。憎しみが美に転じた音だ。刑事たちは、最後の緊迫した伊勢佐木町あたりから、その「音楽の絵巻」に飛び込んで合流する。
高台の小さな家の庭に揺れる夜の花。何よりも好きなシーンだ。
月明かりなのか、やけに明るい深夜の海が幻想的だ。変にトロピカルな植物が静かに揺れる中で【オーソレミオ】が流れる。撹乱のためにラジオの音楽をつけたであろう捜査側からの、犯人への皮肉なはなむけにも思える。



この映画で大事な二曲の詞を知っていると、暗示的にそれが使われているのがわかる。(映画には詞は出てこない)例えば【鱒】は、小さい時に父が口ずさんでいた記憶がある。清き流れに鱒は住みて....と言ったか。ここでは、ドブ川のほとりでそれがかかるのだ。オーソレミオも、歌詞を訳すとこの映画の基調感情を言い表しているらしい。
むかしの人は今より西洋音楽の日本語詞を良く知っているはずで、そういうことが当時の日本人に、自然に内面化されていたようにも思う。



悪組織や酒や女なんかをいっさいはしょって、生真面目な生活から一気に、成れの果ての死臭に突入する。天国と地獄の間に、寄り道は無いのだ。犯罪心理的な面では今一歩理解しづらくても、何か別の犯人の情念が伝わってくる。
この映画のアクセントにもなっているのが麻薬ヘロインだが、そのイメージの持つ穿孔のような死の黒さが無ければ成り立たない雰囲気がある。喧噪中の麻薬受渡しシーンの多国籍ビヤホールのような店舗は、実際にあった店らしい。国籍入り乱れた猥雑な人間の顔たちが全て効いている。そのあとにくる麻薬窟のシーンの演劇めいた廃人たちと対比になっている。



捜査陣のうだるような真昼の汗、殺人者の夏の夜の涼しげな顔。実は、全ての場面がわざと冬に撮られたという。「メインシーンのために電車沿いの民家を一軒取り壊させた」「白黒映画と思いきや実は一瞬カラーである」など、様々な逸話もある。
ストーリー、シーン、演技全てにおいて、様々な人が語り尽くしている有名な作品で、自分には映画評などは書けない。しかしとにかく、泣くような粗筋でもないのに「音楽の決定的なキマリ具合」だけでかっこよくて、ついジンと来る映画である。
# by meo-flowerless | 2016-07-10 12:19 | 映画

2016年7月の日記

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# by meo-flowerless | 2016-07-02 22:33 | 日記

既視感人

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他人がなんらかの「既視感」を感じている瞬間を、見ているのが好きだ。
「ここ来たことがあるような気がする」とか「ちょっと待ってその話知っているかも」と言いながら遠い目をする時の、蒼白の頬や奇妙に澄んだ目を見ると、嬉しくなる。
懐かしさの中でも「知ってる知ってる」という同感のオンパレードには、そこまでの魅力は感じない。
同世代の回想話も盛り上がりはするが、むしろ、他人のなかの見えづらい記憶の断片のたどたどしい話、が結構好きだ。



既視感を感じている途中の人は、ちょっと何かに取り憑かれているようで、とりつく島がない。
その人が記憶の符牒を合わせながら一歩ずつ時を遡っていってるのを、「知らね。勝手に思い出してな」とぶった切ることは容易いが、目に見えない記憶の糸を自分も横でわけもわからず手伝ってたぐり寄せるのは面白い。「他人の過去なんか面白くも何ともない、犬も喰わないよ」という感覚の人間の方が圧倒的に多いようだが、私はそうではないらしい。
自分も「既視感人」だからだろう。



母が何かの拍子に、よく同じことを言う。
「夕方の早風呂の、窓の外のまだ明るい光を浴びると、芽生がはじめて独り暮らしした家へ遊びに来ている錯覚に陥る。同時に何か南天のような赤い実が浮かぶ。脈絡はない」
本当にどうでもいい話題なのだが、私はその話題がいつでも好きだ。
一人暮らしをはじめたのはもう二十年以上前だが、母は多分今も、同じ光に同じ錯覚を起こすだろう。そのせいで私も早い夕方に誰かのシャンプーの匂いを嗅ぐと、反射的に、そのアパートの窓の外からたまにきこえてきた女の子守唄を思い出す。
既視感というか、まとまりのない記憶がふとした時に集まって整列するような、そんな感覚だ。



記憶の連鎖がはじまると、文章を書きたくなる。今はその時期のようだ。
目の前にあることに、全く脈絡のない過去を閃光のように思い出し、急に体験がダイナミックに立体的になる。そういうことの一連を面白く思い、書き止めておきたくなる。
自分は、ある種の肯定的なフラッシュバック/既視感覚においてこそいきいきと生きていられる気がする。



ふとした既視感から記憶を蘇らせようとすることは、自分自身に何らかの催眠療法をかけているようなものなのかもしれない。
何かが見えますか ? それはいつのことですか ? そばに誰かいましたか?
甘く問いかける声に、恍惚とした過去の自分が、おもわぬ証言を引っぱりだしてくるようなことがある。
既視感から引いてきた風景を集めると、いくつかの根があるのを感じる。それを、原風景だと感じる。



既視感を大袈裟に大事にする傾向は昔からあり、自分の友も「既視感人」が多い。
大学時代の親友のワッコチャンとは、夜が明けるまで「わけもわからず懐かしい原風景のパターン」などの話を、飽きもせずしていた。
「既視感人」には、結論が要らない。散らばった断片から起点へと遡る旅なのだが、起点がわかったところでその起点以前にも何かあるような気がするのが「既視感」だ。
届かない空中の蝶をふらふらと追いかけ、見知らぬ森に迷い込むことが楽しいのだろう。



自分が心を掻き立てられる懐かしい記憶のひとつは、「深い渓谷にひびきわたる女の歌声(詩吟)の反響」だ。五歳くらいにはもうこの感覚を知っていた。なぜか「琵琶湖温泉ホテル紅葉」のCMソングの女の人のこぶしを聴くたびに、行ったことのないはずの霧の渓谷風景を懐かしく思い浮かべていた。
小学生の頃はすでにその渓谷のことを「前世の記憶なのかな」と思っていた気もする。
親に聞いても、そのような深い渓谷に行ったことはない。
ワッコチャンは、「グレーの隣に置かれた青紫色が錯覚で発光しているように見える」ことや、「暗い天井の高い建築の天窓の方から差し込んでいたステンドグラスと思われる青い光」が、無性に懐かしい風景だと言うのだった。その後も彼女は、一貫して光にまつわる作品を作っていた。



私達は、夜にもかかわらず他の友に電撃電話をかけ、唐突にこんな風に切り出した。
「あなたの原風景を教えてよ」
迷惑がられるという予想に反して、ほとんどの人がすぐ話に食いついてきた。
「原風景って、懐かしい風景とかでいいの ? 無性に懐かしい ? うーんと、あるね。滑走路だよ。小さい頃から、飛行機も乗ったことがないのに、滑走している飛行機の足が道路を見ているみたいな映像が浮かぶ」「私は、海の底を何故か小さい頃から知っている気がする」などと、答えてくれた。



今思えば、それを全て記録を取っておけば良かったのに、と悔やまれる。
大人になった今も、周りの人にそれをしてみたい。
が、そんな話題をうっとうしく思う人の方が圧倒的に多いし、あの時代あの年齢の独特な空気感で許されたことだったのか、とも思う。
# by meo-flowerless | 2016-06-28 22:10 | 絵と言葉

犬猫とむらい人

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もう何年も前の、ある日の出来事を書き留めないまま過ぎたことを、この写真で思い出した。
散策の途中、強烈な印象の一軒の民家に立ち寄ったときのことだ。
印象が深すぎたので、どうにも書きあぐねて時が過ぎた。


いなかじみた勤務先からテクテク歩き、鄙びた畑地を散策していた。
夏か秋かすら定かではないが、ある住宅の垣の赤い花を撮っていた。新しいカメラを買ったばかりで、何かを撮りたかった。まわりは田畑や林。数軒ずつ建売り住宅が組になって並ぶような集落だ。
撮ったのは縷紅草だと思うから、そんな季節だ。その家の庭先は、割合美しかった。
ブリキの猫の目にビー玉がはめ込んである「カラス除け」のまわりに、様々な花がからんでいた。幾匹もの猫が蛇のような身のこなしで、するすると植物の間を過ぎる。沢山飼っているな、と思った。


ふと気付くと門のところに、笑顔の女主人が立っていた。写真を撮っていた私はバツが悪く、
「すみません、花がきれいだったんで撮りました」
と正直に挨拶した。
女主人は怒りもせず大変嬉しそうな顔をして、花の話や猫の話をはじめたので、少しほっとした。


しかし、それが段々熱心な感じになってきた。
私の肩を掴み、これが縁だからどうか家に上がっていってくれ、一目見て欲しいものがある、と言い始めた。
緊張で顔が強ばる私に、その人はしきりに言った。
「大丈夫よ、何か怖いことを見せるんでも何でもないの。でもね、こういう生きざまもあるということを、誰かが知っておくべきだと思うのよ」
その台詞にそこはかとない恐怖を感じ、振り切って逃げ出したかったが、家の中の窓ガラスを引っ掻くようにして愛らしい犬たちが来客に愛嬌を振りまくのを見て、つい油断した。


一歩玄関に入ってすぐ、何かを悟った。
「靴のままで上がっていいわよ。床は、あの子たちのオシッコやら毛やらで汚れているから」
鼻を突く臭気。犬猫屋敷、とでもいう感じのお宅らしかった。
女主人は見たところ、非常に優雅で穏やかそうな物腰だ。たまにいる、猫に生活を捧げ過ぎて自分の身じまいも収拾がつかなくなっている人、とは少し違うようにも見えた。
が、やはり、犬や猫の幸福に任せ、人の暮らしのスペースがあまりない部屋の有様には、つい身を強ばらせてしまった。


一階では老いた病犬がだるそうに窓の外の光を見ていた。一家の主の老人のように見えた。
ひっきりなしに猫のような犬のようなどちらか、毛むくじゃらのものたちが私に群がった。
女主人は二階に私をいざなった。何とか言って早々に家を退散しようとしたが、
「私はあなたに、迷惑をかけるつもりは無いのよ。誰かに知って欲しい。それだけ、それだけなの」
と切々と言った。その言葉に負けて、二階の部屋に上がった。


破れるに任せた障子が風に揺れている。眺めのよい畳の部屋が、二つほどあった。
「私が見せたいのはこれ」
と、彼女は手を開いて一方の壁を刺さし示した。
壁一面びっしりと何十もの、赤や紫の錦布の飾りを付けた陶器の「骨壺」が、夥しく陳列されている。
おお........ としか感想がでない。
女主人は頷きながら満足げに微笑んだ。
「写真も撮っていってください。一人でも多くの誰かに、この子たちの魂を守っていることを知って欲しい」
ひとつひとつの骨壺の前には、猫の名前の位牌がある。
彼女はその名をいくつか例に挙げ、各々の猫の生前がどうであったかを語った。
その骨壺だけがこの家の中で整理され、埃をかぶらないように手入れされ、細心の注意で美しく守られているものだった。
私はさすがにその壷は、促されても写真を撮る気にならなかった。


猫の生きざまを聞いているうちに、私もいくらか慣れてきて、普通に女主人と猫的世間話などを交わし、笑ったりもした。
猫を拾った傍から次々と死んでしまうのか、長い時を経て骨壺がたまったのかは、わからなかった。
彼女はそれさえ見てくれれば本当に感謝だ、というように、私を玄関へ送り出した。
ひたすら最後まで何度も何度も繰り返していたのは、
「世の中にはね、いろんな人間がいるんです。こういうことに生涯を注ぐ、そんな人間も、忘れられてはいるけれど、いるんです。それを知って欲しかった。誰かに知って欲しかった」
という言葉だった。


どんな受け答えをしていたか、自分自身の言葉は全く記憶に残っていない。あまり言葉が出ず、ひたすら頷いていたように思う。
暗い畳の間に安置されていた骨壺の整然とした姿は、異様に絵画的な光景でもあり、見る人によっては私の作品に似ている、などと言われかねない感じだった。
けれども、そのときの彼女の言葉通りに「ひとつの現実を知った」あとでは、「イメージなんか何ひとつその現実を越えられない」という思いに、しばらく苛まれた。
# by meo-flowerless | 2016-06-16 02:05 |

Clusterとマリン・サイエンス

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勤務先の大学まで、公園の道を十分弱。よく公園の前でipodをリセットしてClusterの『Grosses Wasser』や『Sowiesoso』に、音楽を切り替える。
するとなぜか白紙の気持で大学の仕事に従事できる気がする。シリアスなのかふざけているのかわからない内省的な電子音を聴きながら、「仕事だ、私は一応先生だ」という精神統一をはかる。



Clusterの音楽が連想させる「研究機関」感覚が好きだ。ラジオ放送大学のジングルのようにも思える。自分はピコピコいうテクノになってしまうともうあまり聴かないが、Clusterの音楽は何とももどかしい密閉的なミコミコ電子音なのがよい。
NHK教育チャンネルの科学番組の、シャーレのカイワレ大根の芽が伸びる早回しとか、蟻の巣の断面の早回しとか、菌が増殖したり黴が繁茂するようすの映像とか、そういうものが映し出されるときの音楽を思わせる。



「研究機関」感覚には昔から淡い憧れを持っていた。いま技法材料研究室にいて感じるのもそれなのかもしれないが、まあ、もっと理科系の研究機関への憧れである。なぜならば私は理数系が壊滅的に弱く、ほんとうに小学校三年生程度の知識しか頭に残せなかった人間だからだ。研究という雰囲気だけが、大人の世界のものとして、憧憬を呼び覚ますのだ。



きょう母校の中学高校一貫教育校をひさびさにたずねて、教育実習の見学などをさせてもらった。
懐かしいというよりも苦く蘇ったのは、自分の大学四年時の教育実習の記憶ではなく、中高の生徒だった頃の自分のほうだった。
高校時代は特に理科の時間を、睡眠かドローイングにしか使わなかった。上の写真は高三の時のノートであるが、書き留めている学術用語は全く頭には入っていない装飾的な文字である。



高校三年時。
窓の外に深紅のネムの花が揺れていたのを今も覚えている。五時間目の眠さと、ネムの花という響きがシンクロする。
私と似たような馬鹿どもばかりが教室の後部を閉めていた「生物特講」では、高校の先生とは思えない学者然・教授然とした平林先生が、不真面目な生徒といつまでたっても言葉を発さずにダンマリ対峙していた。
スマホこそないものの、私達はこれ以上ないほどやる気のないからだの形で、それぞれ思い思いのことを勝手にやっていた。最低の生徒だった。



ある時、平林先生は【Marine Science】と、それはそれは巨大な美しい字で黒板に板書した。
それは先生の本来の専門分野の呼称だったのだろうと思われる。
それだけで、以降は黙って哀しげに生徒たちを睨みながら、一時間過ごした。もう授業の最終回に近いときだった。
落書きばかりしている不真面目な生徒のひとりでありながら、内心、どんなに先生はやるせないだろう、と胸がきりきり痛んだ。
胸が痛みつつ、その平林先生の細い剥げメガネ姿をデッサンしていた記憶がある。【Marine Science】という、たったひと言の授業の板書も、そこに添えられた。



休み期間など家で絵を描く時に、「ラジオ放送大学」を流す習慣がついたのは、その頃だ。
無機質な電子音のジングルが、学校のチャイムのかわりに、授業の間合いを区切る。全く意味の分からない様々な「学問」が、誰も邪魔されることのない密閉された静けさのなかで、淡々と語られていく。全ての声の主が、平林先生のように思えた。
心の中の学者先生への罪滅ぼしというわけでもないのだが、神妙にその放送の静けさを享受していた。平林先生のような学者先生は、本当はここまでの静けさの中で話したいだろう、と思った。



大学受験のとき、センター試験の会場は東京農工大学だった。
おそらく農工大の教授と思われる学者らしい人々が、ヨレッとしたトレンチコート姿で試験監督にあたっていた。
古い木造の校舎には達磨ストーブの匂いがし、一つ一つの教室には、「家畜病棟」「硬蛋白質研究室」とかいう(イメージ)、筆字のプレートがかかっている。
学問。研究。静けさ。密度。大学の研究室空間への憧れが決定的なものになった。


その試験日は、雪が静かに降っていた。
聞こえてくるわけではないけれど、各研究室のストーブのジジジという音を空想の底に感じながら、センター試験を受けた。
放送大学の静けさを、頻りに思い出した。
一浪してもまた芸大受験を頑張ろうと思えたのは、もしかして芸大そのものではなく、その日の東京農工大の校舎や研究室の雰囲気に「大学」というものを憧憬したからかもしれない。



飛込み台みたいなのがポヤッと描かれた、無機質でとぼけた音楽のジャケット。
Clusterの音楽を聴くとまず放送大学を聴いていた悶々としたデッサンの白昼を思い出し、静かな学問空間への憧憬を思い出し、平林先生の影に行き当たる。
このジャケットも含めたCuster世界の白さと密閉が連れてきてくれるものは、あの試験日の雪と、先生が黒板に残して去った学者らしい文字【Marine Science】と、プランクトン的な「見えない涙」の哀しみだ。



e0066861_18135081.png 『Grosses Wasser』 Cluster 1979
# by meo-flowerless | 2016-06-11 22:29 |

新宿射撃場

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美大進学のための予備校に講師として勤めていた八年は、新宿が庭のようなものだった。
帰り際は、伊勢丹の化粧品売場の試用かCD屋で音楽を漁ることで満足して帰路につくのだが、同僚に同年代の男たちが多くいたので、たまに彼らの遊びについていった。
彼らの趣味と言うか存在感じたいが渋かったのが自分にとっても、ほろ苦いような、近くとも手の届かない憧れのような、いい思い出である。


コマ劇場の広場付近に「射撃場」があり、そこに行く彼らに付いていって射撃をした。
物凄く簡易な空間で、飾りも何もない。
ただのテナントビルの空いた一室に薄暗い蛍光灯がついていて、ガラスで仕切られた向こう側の射撃レーンに紙の標的が浮かんでいる。
人生の事情を全部洗い流して清貧になったような感じのおじさんが、静かに銃を渡してくれる。
もちろん実弾が装填されているわけではない。


そこに来る人も若いチャラチャラした者はおらず、酔ったサラリーマンなども皆無で、同じように何かを洗い流したようなシンプルなおっさんたちが黙々と的を撃ち抜いていた。
若い女の私が一人混じろうが誰も不快も興味もなんにも見せず、流れ者しかいない男風呂の脱衣場のように淡々と時間が流れていた。
その無感覚、無感情、無機質に、今まで男に感じていた「男」とは全く違う、男の虚無を見たような気がした。
弾を全て打ったあとは、その撃ち抜いた紙の標的が貰える。肌色の紙にシンプルな黒の印刷。
簡易な紙に穿たれた穴。それがかえって一抹の事件感をにおわせた。


よく「ニュートラル」という言葉を格好よく使う人がいるが、私は何故かニュートラルという言葉に、あの簡易な新宿射撃場をいつも思い出す。
もうひとつ思い出すものは、セロテープの一片を折り畳んだ切れ端の、透明でも白でも黄色でもない色である。
生業は何だったのか知らないが、あの場所にいた、無機質と人間味の狭間に在るような人々の面影は、そんな顔色をしていた。
彼らはなんらかのニュートラルを欲してあの場所にいたのだと想像する。
ただそのニュートラルの本質は多分、女の私に言語化出来るような、勝手にしていいようなことではない。



歌舞伎町のあの辺りが一掃されることにもそこまでの無念は感じなかった。
新宿射撃場が無くなったと聞いた時は、さもありなん、という感じがした。
射撃場に関してだけは、なんだか宇宙に星がひとつ消滅したような喪失感を感じた。
「何かを無くしにいく場所が、無くなる」ということを、しきりに思った。
# by meo-flowerless | 2016-06-08 00:05 |

他生への郷愁

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「他生への郷愁」とでも言えばいいのか。
たまに、自分の過去の記憶外のなにかが、感覚として押し寄せることがある。
私のとも言い切れず、でも誰か別の人のものとも言えない。記憶とすら呼べないような、夜風に撫でられるときの寒気のようなもの。未知の領域でも既知の領域でもない知覚たちが、灰汁のように浮上する。



前世というほど過去のことではない。が、必ずしも現在だとも言わない。
自分と同時代を生きていたことのある人が、遠いどこかで感じていたであろう、あるいは今感じている、人生の震えのようなものが、ふと傍受されて、皮膚をゾワッとよぎる気がする。
気がする、だけかもしれないけど。



【ふたりのベロニカ】という映画がある。
ポーランドとフランスの二人の「ベロニカ」は、顔も能力も癖も同一人物のような人間だが、互いの生を知ることもなく、全く別の人生を違う土地で生きている。
が、片方のベロニカはうっすらと、もう一人の存在の死に重ねて自分の生がある、ということを知覚することがある。
あの映画のような「無性に懐かしいが、知りはしない」存在が、私と同じ「私」という生を、どこかのパラレルワールドで生きているのかも、と思ったりする。




日本にいる時にそういう感覚がするときは、どうせ忘れていた自分の過去がフラッシュバックしているのだとか、親の話から想像した過去に感覚ジャックされているのだとか、なにかのテレビドラマが自分の記憶に重なったのだ、と考える。
けれど、海外の町にいるふとした瞬間に、強烈な「縁」の感覚と、その縁の喪失感のようなものにおそわれるとき、その既視感の出所について、つい不思議になってしまう。



ドイツのケルン近郊の小さな町に行った時に、何気ない新緑の風景にふと、幼児の遊ぶワークルームのような場所の匂いや光の記憶がどっと襲ってきた。それは日本の幼稚園の感じとはかなり違う記憶だった。
あと、行ったことないのに小さい頃から、「ロンドンの文具屋か本屋のようなところでインスタントレタリングを選んでいる」という未知の経験が自分のもののように蘇ることがある。そのとき、なにかの鐘の音とともに蘇る気もする。
ほかに、アメリカでも東南アジアでも、町の郊外の高速道路が殺伐とした風景を呈しているような場所に行ったときは、たいてい胸を突くような、何かの記憶が蘇りそうになる。が、映像として思い出せはしない。そういう理由で、まだ旅の始まっていない、或いは終わった時点の、郊外の空港と町を結ぶ経路のどうでもいい殺風景なんかに限って、旅行の一番鮮烈な印象として刻み込まれることが、たまにある。




匂いや光に感じる既視感は、時間や場所などに対する感覚のトリップだ。
が、人の存在に対してさらに「他生遠くへ」いちばん自分を飛ばしてくれるものは、雑音混じりの音楽だ。
通りすがりにある感じの歌声を聴いたとき、ある感じの和音を聞いたとき、エコー感のある時など、いくつかの条件でふとその、未知と既知の狭間のパラレルワールドに、急にシンクロするような気がする。




数年前、ベトナム・ホーチミンで、1950-70年代くらいの女性のくらい歌謡曲ばかりかけている料理屋に入った。
ベトナム歌謡はメロディラインに特徴がある。東南アジアのポップスの曲調は少しずつ違えども結構似ているのだが、ベトナム歌謡のあの何とも言えないラソレ↓と下がっていく音階を聞くと、なぜか記憶の底深くにふと手を触れられたような気分になる。
それを店で聞いた時も急激に、胸が掻きむしられるような気持になった。日本の演歌に対する既知の郷愁とは何かが違う。日本に帰ってきてから、いろいろ探して、声質や歌などからKhanh Lyという女性歌手の1960年代頃の昔の曲が、一番その時聴いたのに近かった。



昨夜からまたKhanh Lyを聴いている。
どこかの知らない、西洋圏のリトルアジア的な渇いた小さな異国の町の空気感、どこかの誰かの死んだ夜の寂しさ、一抹の不吉な腐臭、不遇の感覚が、押しよせている。
この、他生に遠く呼ばれる感覚。一体、ほかの誰の人生に対して胸が詰まるんだろうか? と、気になる。



その他生に対する感覚は、殺伐とした郷愁である。と同時に、とても親しみのある旅愁でもある。
たとえば海外に渡航して、夜に宿のベッドの上でひとりその国のラジオ歌謡をぼんやり聴いていたり、青い深夜テレビを見つめている時間の、孤独が極まれば極まるほど、ああ私は独りではない、と思うことがある。(一人旅をしたことがあるわけではないし、ホームシック的な郷愁のことを言っているのではない)
そういう時想いを馳せるのは家族や友でもない。世界のどこかにいる、未だ顔を見ぬある存在の気配である。



うまく言えないけれど、たぶん目には見えない「因果」や「運命」は、自我などというしろものと契約を取り交わしているわけではないのだ。名前や肩書きにおいての我執的生きざまの果てに、運命などというものがあるのでは決して「ない」、と思う。
そして運命というものは、けっして大袈裟な結末や事件として自分の目の前に降り掛かるだけのものでもない、とも思う。淡々と自分の知らないところで平行する世界を実は持っている、それを普段は知覚することが出来ない、そんな、「手は届かないが確実に備わっている縁や運命」というのがある気がするのだ。



ふと、自分が「どこの何者でもなくなっている」ような時。旅先で疲れてひとり、自我をはぎ取られている時間。国籍も名前も記憶もどうでも良くなった瞬間。そういう時に限って、なにかの密度が、世界ごとどっとこの存在に流れ込む。
危ういジャック感覚の中にだけ、運命との出会いはある気がする。
# by meo-flowerless | 2016-06-04 02:44 |

2016年6月の日記

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# by meo-flowerless | 2016-06-03 15:49 | 日記

夜行列車の中島みゆき

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昨年、夫と四国まで夜行列車の旅をした。二十二時に東京駅を出発し、早朝に香川の坂出に着く列車だった。その列車の便が無くなってしまうというので人気があり、駅員に発券のタイミングを頑張ってもらって幸運にも切符が取れたのだった。
何度も東海道本線で通っている景色を深夜に目撃するのは初めて、それだけで心が躍った。
いよいよ発車し、こじんまりした個室の寝台に腰掛けて眺めると、景色が一連の黒い絵巻のように感じられた。



夜が好きだ。一日の出来事の終焉と同時に、記憶と気配の世界が立ち上がる。この時間があるだけで、自分はもう一つの別の人生を持っているような気になる。
闇によって化けた風景は素晴らしい。夜のほうが、その土地の地霊が語りかけてくれる気がする。
谷間に落としたウェディングケーキみたいな熱海の灯。静岡の青暗い茶畑の影。瞬間的な踏切音の余韻。あらゆる夜についての図鑑を、ひもとくようだ。
やがて、どことも分からない単調な田園の闇に列車は突入した。平坦な暗さの中、時折列車と並走するトラックのライトや、線路から斜めに延びる農道の青白さに、感情のどこかがぐっと掴まれる。



田の中にポツンとある農家を目が捕らえる。
階段の窓だけが開いていて、暖かい灯が点っている。家の匂いまで伝わってきそうだ。
階段には何らかの色紙か絵が、申し訳程度に飾ってあるだろう。かつて小さい兄弟が遊びで穴を開けた壁にベニヤ板が貼ってあるかもしれない。銀ラメの混じった砂壁の仏間。部屋の冷たい御座の匂い。母親が階下から「◯◯、電話」と呼ぶ声。
旅先で出会う家の灯は、みな何故か遠い親戚の家のように思える。その家族の佇まいを、既に知っているような気にさせられる。



窓枠に突っ伏して、いろいろなことを考える。
夜はなぜこんなに、様々なことを蘇らせるのだろう。自分の記憶だけでは収まらないほど、深い見知らぬ過去が私の中で溢れる。死ぬ前には脳裏に走馬灯のように過去の場面が流れる、と言うけれど、本当は人は、生きながら何度も記憶の走馬灯に襲われるのじゃないか。



例えば夜風に、横断歩道の鳩の音に、踏切を過ぎ去る電車に、止めどもなく情景が次々と蘇る。あまりに過去が流れるので、もうじきポックリ死ぬんじゃないかと不安になっても、今まで無事に死なずに来れた。
失恋にせよ卒業にせよ、あらゆる別れは小さな死なのだ、とも思う。はっきりした訣別の儀式などなければないほど、喪失の度合いは深い。あれはもう遠い彼方に去った、いつのまにか帰れなくなったと思うたび、「喪」の感覚が止めどもなく走馬灯を流し始める。



受信状態が悪く波音のような列車ラジオの向こうに、女の声の無性に懐かしい歌が聞こえていた。聴き取れないくらいの音声が、遠い土地にいて手の届かない人のように、寂しく優雅だ。
また旅愁の走馬灯が押し寄せる。知床の薄青い霧の民宿。小さい頃に訪れた高原。サーチライトの見える川のほとり。海の宿の赤いカーペット。初めて乗ったフェリー。宮沢賢治を読んだ夏の夜の蒲団.....



聞こえているのは中島みゆきの【歌姫】だった。地味な歌で印象になかったが、切れ切れのサビで分かる。
どこか古き良き日本映画音楽のような曲調だ。白黒の記録映画に残り続ける汚れのない海を思う。彼女は歌詞だけではなく、メロディでも旅愁を表現出来る。遠いラジオと中島みゆきの曲調は合う。特に情景喚起力のあるのが、彼女の故郷の北海道を感じさせる歌だ。原野や農場のイメージではなく、北の海の道という文字通りの、はるかな海原のほうを思い出す。




自分が青春時代にした友との車旅が北海道だった、というのが大きい。
私が歌謡曲十五巻テープを自分で編集し、三台の車でそれを分け合ってかけまくった。そのテープにも中島みゆきは入っていたし、カーラジオから中島みゆきの特別DJ番組が流れていた。土地柄、サハリンかどこかのロシア語の放送が混線して混じってきた。
札幌、小樽、帯広、中標津、別海、襟裳、釧路......何百キロの道のりは、歳のいった男の先輩たちの運転に任せ、ガキの同級生どもと私は、無責任に眠りこけたり景色を見たりしていた。
運転する男達の横顔にはじめて、大人というものの骨格を見た気がした。
知床の夜、あの流転感を感じたい一心で私は、その後も旅をして、人に出会っているのだという気さえする。以後の数知れない旅のディティールは、いつもその北海道旅行の原型の中に収納されていく。収納された記憶の箱を開梱するように、中島みゆきの歌は日本中の見返られない「普通の風景」をひもといてゆく。



松任谷由実のメロディは都会をさすらう逡巡で、中島みゆきのメロディは日本を流転する移動距離だ。自分の中の、東京郊外の逡巡風景から日本各地の流転風景への移行は、聴く曲が松任谷由実から中島みゆきへ移行したのに重なる。熱烈なファンのような聴きかたはしないがそれらの歌は、常に心のどこかにある、
僻地にひとり赴任する男の孤独とそこで男がみる女の亡霊の両方を兼ね備えたように、中島みゆきの歌は両性具有的だ。怨念的であり女神的でもあるそのイメージを総じて考えると、中島みゆきはつまり「地霊」的なのだ、と感じる。その在り方は自分の永遠の憧れでもあるかもしれない。



あの時北海道に一緒に行った人々は、旅景の守り神のような感じでもあり、うらぶれた歌謡曲の音源のようでもあり、懐かしい親戚のイメージの集約のようだった。よく歌い、旅をし、それがなければこの今の私はない。自分にとってのある種の決定的な切なさの原型、私の走馬灯をまわす存在なのだろう。
列車ラジオの遠い雑音の混線感覚が、あの旅行のカーラジオのロシア語や、薄暗い北国の空を蘇らせた。【歌姫】が終わるか終わらないかのあたりで、私は列車の寝台に横たわりながらうつらうつらしていた。
# by meo-flowerless | 2016-05-27 22:22 |

東大寺のXJAPAN

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五月。毛穴から自然の霊気が行き来するような気分だ。素晴らしい季節。
そして古美研の季節だ。
古美研とは、勤めている大学の、伝統ある古美術研修旅行のことである。奈良、京都の寺社を巡る二週間の研修。在学中に一度しかいけないところが自分は教員となったので、三年に一度引率をする。油画科の行く時期が、四、五月の一番いい時期。
今年は自分の引率ではない。けれど季節柄、思い出している。



京都もいいが、奈良の包容力のほうにひかれる。特に東大寺は何遍でも行きたい。
先生のくせに毎回たしなめられるが、太い柱の木を頻りに手で撫でてしまう。
季節のせいなのか歴史のせいなのか、風景の全てに「呼吸感」があるように感じる。自分が日頃の生活で深呼吸を忘れ、息を詰めて暮らしているのに気付かされる。
肺が目覚め、器官が震えるような呼吸。光に満ちた晴の日でも、肌寒く濡れる雨の日でも、奈良でならそれが出来ると思ってしまう。



研修中、暗くなってから学生達と一緒に、二月堂の高楼に上がったりする。
そこからの奈良の灯をぼんやり見下ろしながら、他では味わえない感傷に浸る。
時間に対する感傷ではあるのだが、「人の経てきた時間」に対する感傷でも、風景のに対する感傷でもない。「ものの経てきた時間」に対する感傷だ。



奈良の寺社の黒ずんだ色。時を経ても、派手であったであろう当初の色に塗り返さない。
その黒ずみを選んできた奈良人の感性は、情感よりは霊感に近かったのではないかと思う。人の魂以上の「ものの霊魂」をそこに感じない限り、そういう選択はなかったんじゃないか。
現在の修復や色の塗りかえしが悪いとは全く思わない。かつて意味を込めて建造され彩色された建造物や装飾物を、歴史を超えて経験出来るから。でも、奈良の寺院の持つ古色の雰囲気は、また別の次元の感覚の話だ。
あの黒ずみの奥底から、建築や仏が...と言うより、その材質が「息をしている」のが聞こえる気がする。そんな感覚をもって、人々はあれを新しい顔料で塗り籠め「息を詰めさせる」ことをしなかったのだろう。
そう、勝手に想像する。



古美研にいくたび、美術に携わりながらも美術などという言葉は、近現代人の思惑にまみれすぎているのかもな、と思う。今の美術という言葉にどこかつきまとう、何かを理解しようとか学習しようとする集中力は、深呼吸を生むのではなく、逆に「息を詰めさせる」。緊張しながら鍵を解かなくてはいけない、神経的試練のようなものだ。
本当は、奈良の寺社や仏を体験することを、古美術体験などと言うのは抵抗がある。
というか、そもそも、そうではないだろう。あれらの全ては、そこに立つ者が「息を吹き返す」感覚のための環境装置であって、それ以外の要素は不必要なのかもしれない。



夜の春日大社にも、思い入れがある。
春日大社に夜入っていいのかどうか、は知らない。でも学生と探検していて、迷い込んだ。
遠近も分からず手探りでもがく森の暗闇の中、砂利の白さだけが夜の波の航路みたいにぼやっと泡立っていた。あれほどの暗闇は、他にあまり経験していない。
糞の臭気とかすかな音で、木陰に鹿たちが潜んでいるのが分かる。獣の潜む気配とはこういうものか。圧倒的な量の夜気が人間の身の丈を教えてくれる。



歩き尽くしてどこかの広い野原に出た時、学生たちとガキのように野原を走った。興奮の余り、誰かが小川の水に嵌まった。
何故か、泣きたいような気分になっていた。
解放感というのは、哀しみと背中合わせのときがある。日頃どうして、こういう五感の開放を自分に許していないんだろう、という、長い嘆息のような解放感。



解放感の哀しみは、学生時代に若草山でも体験した。
寺社見学の行程が早く終わり、数人で夕暮の若草山に上った。芝というか草原の丘だ。
西日のなかに赤く沈む奈良の街が、何となくせわしない。
「なんかライブがあるらしいよ、東大寺で」「え?東大寺で?」「XJAPANが来てるらしいよ」
などの会話をして、芝に寝転ぶ。
桃色とも水色ともいえない、夕暮の空が流れて行く。
そうやって草の上に寝転ぶことなど、まだ若い大学生でいてさえ、どんどん忘れていく。自分の存在が何か空気に剥き出しになっていることが本当に久しぶりのように感じ、なんともいえない胸の痛みを覚えた。このなんでもない時間、どうでもいい会話、どこともいえない(いや奈良だけど)旅の空。



その時、空一杯にジャバーンというようなギターのこだまが炸裂した。花火大会が始まった最初の一発のような華やぎ。びっくりして、みな草の上から跳ね起きた。
半信半疑だったライブは本当だった。古都の空の幕が開けていくような感じがした。歓声の気配が下方でしている。
なんともミスマッチで不思議な状況。寺の梵鐘がゴーンという静寂の夕景に、金属のお椀をガランガランと落っことしたみたいな音響が重なる。
流れ出した曲が何の曲か私は知らなかったが、高音の声は彼らのもののようだった。様々な山や建物の斜面にこだまして音が揺れていた。



XJAPANと奈良は意外にも、絶妙の相性だ。
遠いビブラートが、何か遥かなものの呼吸を呼び覚ます。宗教的な叫びのようでもある。
音があちらこちらに呼応するせいか、つい数分前よりも下界の街を見下ろす自分の視野が広がり、いっきに風景が全方位パノラマ化する。
普通に考えれば「こんな宗教都市で野外に音が漏れまくるライブなんてけしからん」なのだが、そんな考えを洗ってゆくようなじわじわした余韻の情動が、胸に込み上げてくる。フシギだ。
奈良の包容力が、音韻を風景に取り入れてくれるのだ。もし京都だったら、やっぱりけしからん気にさせられたかもしれない。東儀秀樹とかなら合うのかもしれないが。
皆も何故か笑いながら、「何か妙に感動するな」「寺も粋なことやるな」などと呟いていた。



青く光る東大寺のあたりを見やりながら、こういう奇妙な経験の情動はきっと絶対忘れないのだ、と予感した。
客としての対峙ではなく、行きずりの、バックヤードからの無責任な立ち会い。そうだ、経験というのは「わざわざしにいく」ことだけではない。「図らずも、その場に立ち会う」のも経験だ。
そういう経験は、積み重なるというより、体に浸透して身体そのものになっていくのだろう。
経験を呼吸する器官は自由に開放されている。奈良とXJAPANという奇妙な融合が、不意に私にそう気付かせた。
同時に、再び草に寝転びながら、このような感覚の「自由」を、私という存在はいつまで忘れずに保てるのか、不思議な哀しみを感じていた。


五月......そんなことを思い出した。
# by meo-flowerless | 2016-05-22 23:34 |

「はいあかむらさき」と「おイモ色」

絵を描きながら、「アクリル絵具」箱に手を突っ込んで色を探していると、見慣れない、くすんだ赤紫色のチューブが出てきた。普段あまり使用しない某社の絵具だ。
気まぐれに買って忘れていたとしか思えない永久ベンチ入り感に、思わず色名を覗き込む。
【キャパット・モーチャム・バイオレット】。
なんだそれ。
他の色は見慣れたパーマネント◯◯とかブリリアント◯◯、あるいは原材料名の色名が多いのに、この色名は、意味が分からない。



検索してみたらcaput motuumとは、西洋の色材のなかでも酸化鉄系の赤紫の顔料のことで、元の意味は錬金術に使われる原材料の蒸留滓のことらしい。検索画像に謎めいた錬金術のサインが出てきたので、最初は何かと思った。
いつも使うターナーアクリルガッシュに、「オーバージーン」という素晴らしい深赤紫がある。ターナー社はとてもいい色合いをだしているのだが、この美しく便利でもある色に自分は何故か余り手が伸びず、買い忘れも多い。
それは名前のせいなのだと思う。意味が分からないから、つい存在を忘れてしまうのだ。一度、フランス語でオーベルジーヌという単語を聞いて、関連があるかな、と思ったきり意味を調べてもいなかった。今調べたら「ナス」らしい。
おそらくキャパット・モーチャム・バイオレットも、自分にとってはなかなか使いづらい色に当たるだろう。



色名もさることながらくすんだ灰赤紫は、よく使う色なのに、画材として用意されるとどうも手が伸びない。その名も「はいあかむらさき」という色が、子供の教材のぺんてるクレパスにあった。なんともいえない絵具の濁り水のような色だった。分かりやすい鮮やかな色の中その色だけ複雑きわまりなく、子供心に「この色の意味は....?」と思っていた。



今のサクラクレパスには「うすだいだい」という色がある。もと「はだいろ」だ。
肌の色は多様であるという現代の解釈に沿って色名が改められたそうだ。肌色、というのは今後、死語になるかもしれない。
けれど「うす・だいだい」の、新・松戸とか武蔵・浦和とか東・所沢みたいなゴチャゴチャした武蔵野線感が、印象を薄くさせてしまっている。
サクラは、肌色を排した怨念であるかのように、「まつざきしげるいろ」という、個人の肌色(もちろん茶色)を思いっきり差別化したキャンペーン色を打ち出していているのが凄い。



ぺんてるの「はいあかむらさき」の浮遊感のほうが、そういう肌色を巡る分かりやすい物語よりも、私には謎だ。36色セットのほかの「はいみどり」や「さけいろ」などと同列ならば分かるが、「はいあかむらさき」は、もっと少ない基本色セットにも、スタメンで入れられていた記憶がある。
この濁った紫系の色は、もしかすると、多くの色彩関係者にとって「手が届かないかゆいところ」にある色で、「外すにも外せない、かといって王道として愛を告げることが出来ない、愛人」のような厄介者なのではないだろうか。



自分も、この灰赤紫系統の色が、好きなのか嫌いなのかわからない。持っている服には多いのも確かだ。そのくせあまり着ない。母によく服を縫ってもらうが、母も無意識に、小豆色とかくすんだ赤紫の服を作ってしまう時期があった。



随分前、親友夫妻の赤ん坊が生まれたので、他の友とお祝いに駆けつけた。その時私は、上も下も赤紫の服を着ていた。上下同系色で揃えるのは私の悪い癖である。
私があやすと何故か赤ん坊が泣き出してしまうのを、横から友人のY君が、
「あー、かわいそうに。赤紫のおばちゃんこわいなー。おイモのおばけこわいよなー」
と言いながらあやすと、ぴたりと泣き止んだ。



その日から私がいくら憤慨しようと、私=おイモというイメージが気に入った友は、しょっ中私の服を冷やかした。ので、母がサツマイモ色の生地でも弄っていようものなら「待って!おイモ色はやめてよッ」と、先乗りして怒る事態になった。
あの頃の体型ですでにおイモのおばけと言われていたのだから、今の自分がおイモ色を着たらもう、な。
# by meo-flowerless | 2016-05-19 08:35 | 絵と言葉

【Yes It Is】 The Beatles

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中学生から高校生にかけて、帰宅中に延々と続けた、夕暮の街の徘徊。
あの頃の途方に暮れた心情にしみる音楽は、今なら幾らも見つけられると思うが、当時は当時で、この曲こそは、と思うものがあった。
ビートルズの【Yes It Is】である。ビートルズの中でも、地味な曲ではないだろうか。



小さい頃バイオリンを習っていたこともあって音楽の「イロハ」と言えば、詳しくこそないけれどクラシックだった。「チリヌルヲ」の部分は大人になってから集めた歌謡曲。その間の12-16歳くらい、「ニホヘト」にはビートルズがある。洋楽的な目で見れば有り得ない流れかもしれないが、音を広く考えれば、クラシックと歌謡曲の間にビートルズにハマったというのは自分には自然なことだった。



戦後ベビーブーム&全共闘世代の母親の影響が絶大なため、60-70年代の文化や音楽を、母の思い出をなぞるように浚ってきて、今の嗜好がある。小学生まで自分で松田聖子なんかの歌謡曲のレコードを買っていたのが、60年代アメリカンポップスやイタリアンポップスのテープ購入に変わり、その流れがビートルズにいった。自分の青春から脱線して、親の青春を追いかけるようなことをしていたのだ。



ギリギリCDではない時代だったから、良かったのかもしれない。赤い透明の特別LP盤が出ていたので、ひと月に一枚買い足していった。
入口が初期の曲だったこともあって、自分が好きなビートルズは、初期から中期までの曲が多い。ちなみにロック好きが必ず筆頭にあげる『Sgt.Pepper`s....』だけ、持っていない。
今ではビートルズはitunesでもかなりマニアックなスタジオのアウトテイク曲なんかまで売っているが、その頃は丁度、レコードからCDへの移行期で、シングル盤が手に入りにくかった。ので、LPに収録されていない「B面曲」が、割と手の届かない幻の曲だったのだ。
そのなかで一番追い求めたのが、【Yes It Is】という渋いB面曲だった。



ラジオか映画でか、【Yes It Is】をたった一度だけ聴いて忘れられなかったわけは、もうほとんど不協和音に近いくらいの絶妙のハーモニーの移行感だった。色のグラデーションのような音の流れだと思った。脳裏に夕方の空の暮色が押し寄せた。
ビートルズ好きにもいろいろあるだろうが、自分はとにかく、圧倒的に和音とその転調の美しさに魅かれた。



あてもない帰宅前の彷徨の時間にレコード漁りなどもしていたが、その時にも、忘れられぬ幻の【Yes It Is】をしきりに探し求めていた。【涙の乗車券】の裏面だったと思うが、それだけたまたま手に入らなかったのだ。結局、在るはずがないと高をくくっていた近所のぼろぼろのレコード店で見つけるという、青い鳥のような状況で手に入れた。



手に入れたシングル盤に針を落とすときの、雫を一滴落とすような緊張感を覚えている。
プカプカいうたよりないイントロはオルガンかと一瞬思うが、ジョージのギターだった。
無邪気なだけの青年から大人の男になっていくかげりが曲を覆い尽くしていて、蒼ざめた色彩感覚があった。朴訥だけど複雑で、情景が浮かびそうだった。
「赤い色は別れたあの娘の着ていた色だから今夜は着ないで、ブルーになるから」という、残り火みたいな歌詞が、曲の印象を絵画的にさせたのかもしれない。
中途半端な濁ったメロディから、地味に感情のボルテージが上がっていき、しかしまた曖昧な感じで終わる。「殺風景、というものは、本当は物凄く美しいのではないか」と思い始めていた時期で、そのような感情のフィルターで世界をまなざすようになっていた。その殺風景の叙情に似合う曲だった。



その頃【ランブルフィッシュ】という映画をビデオで見た。マット・ディロンとミッキー・ロークが確か兄弟役で組み合わせが魅力的だったのだが、曖昧なさまよえる視界が、印象的な映画だった。
面白いかと言ったら面白くないのだが、緊張ではなく弛緩の方に神経がすり減っていく感覚が忘れられなかった。ずっと白黒だった画面に一度だけ、赤か青かの熱帯魚がカラーで写される。その心象の色が、その頃の自分にぴったりとハマった。
その頃からなのか、たまたまそこから気付いたのか、自分の見る夢の多くは、夕暮の蒼ざめた色彩だ。この三十年、夢は九割九分と言っていいほどどこかを彷徨していて帰る当てがなく、途方に暮れている。
夢に出てくる青い夕暮の視界と【Yes It Is】は、印象として分ち難く繋がっている。



停滞感覚のある不機嫌な曲がすきで、前期ならこの【Yes It Is】、【I`llBe Back 】【No Reply】がしっくりきていた。ビートルズはとにかく長調のような短調のような揺らめくメロディラインが素晴らしい。甘酸っぱいとかほろ苦い、という複雑な味覚のミックス感のようなものがある。
ビートルズの殆どの曲が傑作だが、自分にとってはこの三曲の青春の停滞感のようなものは忘れ難い。三曲それぞれに思い出す、自分がうろついた場所の殺風景がある。今聴いても悶々とひたってしまう。
# by meo-flowerless | 2016-05-11 00:26 |

喫茶マイアミ感

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十五歳から続けていた文章ノートは、便宜上「日記」と言っているが、事実を克明に記すことが大事だったわけではない。
なにを飽きもせず書きためていたのかというと、ひたすらに、「◯◯感」ということの蓄積だ。他人と共有出来そうで出来ない。あるいは自分の中にしかなさそうでいて意外と他人の中にもある。微妙なあの感じ、「◯◯感」。



梶井基次郎の小説を手にしたのも十五歳頃だ。その文章も「◯◯感」の連続で、主人公の台詞にも「ああ、あの感じ」と感覚を反芻するようなつぶやきが出てくる。肺病による死の焦燥がつくらせた、感覚のラッシュだったんだろう。
自分にとっての「ああ、あの感じ」というのを文章に書き止めておこうと思った。感覚を感覚のまま流さないで文章に記録しておくという意志が働き始めたのだ。



最初の頃に書き留めておきたかった「あの感じ」は、美的体験ではなく、快感というより不快感のようなものだった。



体育系の部活をやめて帰宅部になり、なんとなく早帰りの帰路を持て余していた。活発な年頃には、集団の熱のようなものから疎外されるという心の翳りは案外大きい。
ふらふらと駅ビルをウィンドウショッピングして歩いたり、夕闇迫っても郊外の繁華街を制服姿でひとりうろついた。グレさせるような仲間もまわりにいたわけではなく、もともと一人っ子の孤独は根底にあり、「緻密な退屈」を吟味するように味わった。
雑踏の中間色の中をぼんやりと泳いでいる。都会の夕闇は、泳ぐ、という言語感覚が似合う。何もかもが自分にそぐわず、そのくせ何もかもに有無を言わさず慕情したくなる。心のむなしさというものを、妙に楽しむようになった。



思春期の気怠さの延長線上に、普通だったら煙草などを覚えていくのだろうが、煙草のけむりのかわりに私の心に吹きかかったのは、別のものだった。
古い飲食店の裏の、ダクトから流れ出す排気だ。
結露の染みや廃油が糸を引いたどす黒い汚れがこびりついた、繁華街の飲食店のウラ。壊れかかった換気扇がぶーんと駅の事故時のブザーにも似た音程でうなり続ける、モワッとそこだけ蒸し暑い、夏の疲れのたまった、ポリバケツのある、かつて1970年代頃には流行ったがすでにダサいオーラをかもしだしていた飲食店の店ウラ。
そういう場所の、黄ばんだ空気感が気になって、しょうがなくなった。




新宿か立川か八王子か、どこにあったか覚えてもいない。名前を出して申し訳ないが、【マイアミ】というチェーン店の喫茶店があった。むらのある蛍光灯の光を内包したオレンジ色に青い古くさいロゴの文字看板は、非常に場末感を感じさせた。
入口のガラス戸がブラウンカラーで中が見えづらいような水商売的作りの飲食店がかつてはあったが、マイアミもそういう感じだった気がする。自分はルノアールには入れてもマイアミに入る勇気はなかった。
あとで聞くところによると、マイアミは不良のたまり場だったことが多かったようだ。たしかに不良感はぷんぷんしていたけれども、例えるならマイアミのイメージは、リーゼントの鋭角さではなく、広がってしまったパンチパーマの緩さなのだった。



中を知らないし外側は雑居ビルかなにかだから、その匂いが喫茶マイアミの匂いかどうかわからないのだが、マイアミの付近はいつも同じ匂いがするようだった。
洋食に変質した油脂の匂いがほのかに入り混じっているような。焼鳥屋の裏や小料理屋の裏では感じない匂い。トマトソース缶詰のこごった油のオレンジ色とマイアミの看板のオレンジ色は、シンクロする。オレンジ色というよりその排気口から漏れるものは、心の黄ばみのようなものだった。
わざわざそういう店裏を通って生ぬるい排気を浴びては、「ウッ」と不快感を確認するのが、好きになった。



漠然と未来に感じた浮かび上がれなさ。網の目の都会の細かさにもすくい上げられない微塵。形のはっきりした不幸や不遇ではないかもしれないが、自分は低空飛行のうつろな想いを常に保持するんだろう、という感覚があった。
希望や絶望という明確な感情より、浮かびも沈みもしない澱みの水面下5㎝みたいな感覚が、実は人生の大半をずっと占め続けるのではないか、と思った。
そういうやるせない予感のことを、心で【マイアミ感】と呼びようになったのだ。
喫茶マイアミ、ほんとにごめんなさい。でも、あのやるせなさのBGMには、マイアミ裏の換気扇のぶーん音こそがぴったりとふさわしかったのだ。



褪せてしまって白になれない感情。逆ベクトルの枯れた情欲。暮らしのなかのふとした奈落。幸せそうな世の全てのよそよそしさ。
しかし人間のどこかには、誰にも見返られない時間と空間から発する、不思議な情念がある気がするのだ。
夢の成就も終わりもない中途半端な【マイアミ感】は、窶れ(やつれ)という文字のゴチャゴチャした密度にも似て、じつに複雑で微妙なのだ。私は今も常にこころの【マイアミ感】の維持につとめているのかもしれない。
私の絵を評して「この人は一体何が楽しいんだろう」と書いた言葉を、ネット上に見つけて苦笑いしてしまった。その通り、「どうせ」という投げやりな怨念は、自分にとっては何故か、豊かなディティールに満ちている。口には出さなくても心では、幸福にも愛にも芸術にも、必ずこの【どうせマイアミ】感のくさびを打ち込んでしまう。



【マイアミ感】の詩情化されたものが、自分にとっての歌謡曲だ。とくにその後出会ったザ・ピーナッツの【ウナ・セラディ東京】の歌詞が柔らかく奥ゆかしく、【マイアミ感】の曖昧な疎外感を言い当てていることを知った。



街はいつでも後姿の幸せばかり 
ウナ・セラディ東京 あああ
# by meo-flowerless | 2016-05-06 22:25 | 匂いと味

2016年5月の日記

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# by meo-flowerless | 2016-05-01 19:50 | 日記

ある兄弟の宿題帳

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探し物をして開かずの引き出しを開けたら、また、古びた子供の日記帳みたいなのが出てきた。
【夏休の友 尋常六學年】【夏休の練習 第四學年】とある。
先日「ある少年の夏日記」という文章を書いた。どうも私は、昔の子供の筆記したものが好きだ。
持っていても何の役にも立たないし、自分の作品などに使えるわけでもないが、古物の山からつい手にしてしまうのだ。
この二冊をいつ手に入れたのかは全く覚えてもいない。なぜその引き出しに入れたのかも。



中を見ると日記ではなく、夏休みの宿題の総合学習帳のようなものだった。小学六年生と四年生、名字が同じなので兄弟のものにちがいない。
国語、古文、算数、歴史、地理、生物、図画など多岐にわたる問題集で、コンパクトにミックスされている。時々、手品のやり方などのお楽しみページもある。
「皇国」などという言葉が出てくるから戦時中、それもまだ戦争初期のもののようだ。しかし何かを読んだあとの読解問題とは言え、内容が難しい。いまの高校生くらいでも出来ない子はいるのではないか。



六年生のとある一日のページは例えばこんな問題がある。カッコ内は子供が漢字で答えている。
【讀方】第八課 蟲の農工業 の復習
二、次の蟲の仕事は何業に似ているか
(紡績業)葉巻蟲(裁縫業)蜜蜂(建築業)クモ(漁業)(土木技師)ミミズ(農業)
【地理】
二、樺太の最近の水産物の産額を棒グラフに作れ。
鰊 一〇、七二萬圓 鱈 二〇六萬圓  鱒 八九萬圓 鰈 六萬圓



四年生の方はもっと素朴。
【修身】冬までつづけて冷水浴が出来ますか(できます)
 つらいことをがまんしてやりとほすことを何といひますか(忌酎)
忍耐、と書きたかったのだろう。
【手工】色紙で家の紋をきりぬいて、次のあいているところにはつてごらんなさい
など。朝顔の塗り絵もある。もともと辞書や童謡の本などの小さな挿図が好きなのだが、この学習帳の図にはことごとくそそられる。



関ヶ原の東軍西軍の主な武将を書かせ、様々な渦巻の図形が何に見えるか想像させ、はまぐりを図に描かせ、工作で水車を作らせる。かと思うと、「【修身】“反省なき生活は危し”これはどういふ意味か、その意味がわかったら毎晩寝るまへに、静かにその日のことを反省してごらんなさい」とか、「【考へ物】お客さまが来ましたが丁度主人が不在であつたのでそのお客さまは五千三十合といつてかへりました何のことでせう」とかいうのもある。わっかんね。



「次のことばはどんな景色の所かを考へなさい。“両岸相迫りて流いよいよ早く風景とみに改る”」この問題に、少年は「コワイヨウナ、美シイヨウナヨウス」と答えている。
怖いような、美しいような.....いいことを言うなあ。
よく出来た子たちだったのだろう。解答にそれほど間違いもないし破綻もない。
自分の小学生のときの何かが、もしこのように出回ったらどうだろう。四年生まで書かされていた日記は貴重だと自分でも思うが、落書きをしまくった教科書のアホさは、ただただ恥ずかしいだけでしかない。



このまえ手に入れた、同じ戦時中の少年夏休み日記と比べると、あれほどには「遠い煌めき」を感じない。生活の様子が書かれていないからだろう。
一枚だけ別紙で、兄さんのほうの作文が差し挟まれていた。
此の頃は夏であるから山の景色は美しい いつか山へ登つて方方を見ていたいと思つている 今ノ山は薄緑色に山を一面に包んでいる 道などには草が茂って道が無いようになつている 昨日友達と私で山に遊びに行つた だんだん山奥へ行つたら其こいらに山ゆりやそのほかの花も咲いていた そして花などをとつていたら草がゆるがつたから見ると長さ三尺くらひのへびがにげていたのであつた それから後は草の中をあるくにもやのやうになつたから内へかへつてきた
この間の少年の日記のようにやはり他愛ない描写だが、この文章には風景が彷彿とした。
青梅の小学生だったようなので、出身地が近いゆえ昔の多摩の夏木立のなかの子供の姿を勝手に思い浮かべてみた。



そういえば最近、清水宏の映画のすばらしさに嵌まった。特に子供の出てくる映画の瑞々しさは、戦前の物とは思えないくらいだ。これらの少年たちのノートは、清水宏の画面の中の夏とシンクロする。スタジオセットではない、あの日本の山河のほんものの光と影と、子供たちの素の声。
古い映画といいこういう古い物といい人の記憶といい、その時の記録だから瑞々しいのであって、現在の人間がどんなに魅かれても、過去の光を現在に再現したりリメイクやリクリエイトすることは、難しいことだと思う。


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# by meo-flowerless | 2016-05-01 16:30 |

湯殿山麓呪い村の永島瑛子

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私が絵に描く「部屋」は、単なる団地の部屋というより、「孔のような場所」だと思っている。
例えるなら、食虫植物の底に落ちたままそこから出ず朽ちていくかもしれない、無力な生物のおびえのようなものを、そこに描く。



一つの映画のシーンが浮かぶ。
ちゃんと最後まで通して観たわけではなく、テレビ放映で途中から見始めたくらいの記憶だ。



【湯殿山麓呪い村】の永島瑛子。
渋いバイプレイヤーの女優さんだ、と今では知っているが、そのときは何度見ても特徴を捉えられなかった。顔が陰った地味な人相も表情も、状況も、なんだか曖昧でわからない。
うちの小さなテレビのブラウン管の中でそのシーンを見ていたので、ほのかな覗きからくりのような画面だった。記憶は定かではないので間違いかもしれないが、赤暗いような光の「部屋」と、落ちぶれて絶望をポツポツ口にする女が画面にいた。
その女が束の間、男に身体をいじられたかと思うと、何かのはずみで殴られるかタンスに頭をゴンと打つかしてしまい、そのまま動かなくなってしまった。



子供だったので、その場末の「部屋」の頽廃的な雰囲気の意味も、女が零落してその「部屋」で何しているのかということも、よくわからなかった。
一緒に観ていた親に「このヒトだれ」ときくと「さっきでてきた主人公の恋人だったヒト」と言った。
「途中から消えていたあのおねえさんが、こんな暗い穴ぐらにじつははまりこんでいて、助け出されるのかと思ったら、頭打ってあっけなく死んだ。以下沈黙。生涯終わり。 ツーー(脳波)」
の孤絶感にあっけに取られ、子供心に「人生は怖い」と身震いした。



この映画は、他に陰惨なホラー的シーンがかなり出て来るらしいが、一切覚えていない。
焼き付いたのは、あの脇役の永島瑛子の目立たない、あっけない末路だけだ。
温泉地で身体を売っているところをかつての男に再会する、という設定だったようだが、そんなことはまだ子供にはわからなかった。
その男と女がいる「部屋」の、仮寝の宿の感覚、人間の末路の感覚、穴ぐらの感覚、のわびしさだけが焼き付けられた。
その無力な寂寥感は、今でもことあるごとに自分の発想につきまとう。旅先の宿などで蛍光灯のパイロットランプをつけっ放しで寝床に入ったりすると、「赤暗い最期」のイメージがよみがえる。



自分にとって【湯殿山麓呪い村】の永島瑛子は、人はあんなにわびしく死んでしまえるんだ、というタナトス with カタルシスの手本でもある。
壁かタンスに一発だけ頭打って死ぬ割に、なぜかじわじわ腐って溶けるような壊死感覚がある。
映画的というより、リアルだ。無意識に自分の人生の末路に、そういうわびしい死を感じていないとも限らない。そういう生き方がしたいわけではない。けれど生きている限り忘れることのない何か、がそこにある。



幼いころ親がいない隙に、蒲団が積んである四畳半の、ガキながらも妖しい気分になる常夜灯の赤暗い光の下で、近所の男の子にとつぜん腹を数発殴られたことがある。
ショックからか、そのあと独りで吐いて苦しんだ。嗚咽しながら、何故か「許す」感情のカタルシスにも包まれていた。
あとで親が激怒して文句を言いに行き、私にも「あなたも怒りなさい」と苛立ってたが、自分は腰抜けた戦意喪失感で(もういいよ....いいんだよ)と脱力していたのも覚えている。
なんでそうなったのか訊かれても、「部屋」の雰囲気がそうさせた、としか言いようがなかった。



広い親戚の家にも、子供たちだけがうごめく死角のような「部屋」があった。
使われていない客間や蒲団部屋を、わざと常夜灯だけにすると、赤い海底に沈んだようだった。
そういう遊び時間、赤暗い灯のなかで、なにか言いようのない常識外の感情を知っていった。
子供の無邪気な世界でも、ああいう暗がりを通じて一気に、零落した大人の末路に繋がっているような気がする。
子供はその擬似的子宮の暗がりからすぐに這い出し昼間の世界に戻っても、大人がその中に退行する場合はそこで溶解し壊死していくしかない。



娼婦の部屋なり、アジトなり、世に隠された「孔のような部屋」は、子宮的感覚と溶解の危機とをあわせ持つ。食虫植物のウツボカズラのようなものだろうか。
そこでは愛憎や被虐・嗜虐の境界も、溶ける。
あのシーンが強烈なので、【湯殿山麓呪い村】の映画を通しで観ようという気はいまだに起こらない。
# by meo-flowerless | 2016-04-27 00:18 | 映画

マドンナの宝石

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脳天に降り注ぐ夏の陽ざし。
親も子供もまぶしさに眉をしかめ、歯茎まで出して、気怠い表情をしている。
白昼の遊園地、動物園でもいい。白い灼熱から、一気にひんやりとした闇のアトラクションに入る時の立ちくらみは、脳裏が緑色になる感じがした。
アミューズメント施設のギラギラ眩しい圧迫の中で、暗いアトラクションは、数少ない「好きな場所」だった。



プラネタリウム、水族館、夜光虫園、水中バレエ、ジオラマ。
「ひんやりとした闇のアトラクション」には色々あった。
キンとした冷房に、よどんだ意識が回復する。漆黒の地に浮き立つ見世物の色彩に、感覚が覚醒していく。
白昼の一角に区切られたアトラクションの暗がり、その冷たい秘密の宝石箱の感覚、その悲哀は、自分の原風景のひとつだ。そういう場所に流れていた曲の記憶もまた、音の嗜好にいまなお食い込んでくる。



「何億光年の彼方の光が、今、はるかな時を越えて、私達の地球に届いているのです....」
という感じの悠長な女の声の、室内アトラクションの館内放送が大好きだ。
別宇宙から夏のお中元として送られてきたような遠い声。くぐもりつつも、よく通る響き。
33回転を45回転にしたような甲高さ、それでいて不思議と心を癒してくれる、その名調子。
ナレーションもいいが、背後に流れているBGMが素晴らしかった。世界残酷物語の【モア】みたいなのもあるし、モーグ系電子音のようなのもあるし、ピアノのイージーリスニングの場合もあった。
どんな楽器を使っていても、ああいうナレーションの奥の音楽には、ポポピポポロン...みたいな「乙女の竪琴」感覚があった。宇宙と竜宮城は音楽的には繋がるんだなぁ、という感慨に浸る音楽だった。



私のなかに君臨している室内アトラクション館内的音楽は、【マドンナの宝石】だ。
弦を静かにはじく、「乙女の竪琴」感覚に始まる曲。水族館より、秘宝館むきである。
すばらしく、「女」を感じる曲である。
昔の結婚式場のホールにかかっていた、というイメージもまたあるのは、フルートのせいだと思う。この曲の最初のフルートの入り方が、まるで雅楽だ。聴くたび脳裏に、神主とお嫁が登場する。
実際には、暗い曲だから、宴席ではかからないだろう。



フルートの音には何故か、追い立てられて花を散らされていく女の哀しみと言うか、おねえさんの白い肌に秘められた思い、みたいなものを感じる。
和洋折衷な婚礼。鶴の柄の赤い絨毯。滝のある竹薮付き中庭。カマボコ味に似たフランス料理のオードブル。嫁いでしまう色白のお姉さん。式典の緊張から来る子供の吐気を、ゾワっとなでていくような、バロック弦楽奏と、フルートの震え。
自分があの曲【マドンナの宝石】を聴いて感じるそぞろな気持、肛門に重点を置いたような独特の切なさは、他人にこの音楽を聴いてもらっても共有が不可能な気がする。



ウチにはその昔「クラシック名曲大全集」10枚組レコードが二種類あって、子供の独断的な興味をもとによくかけていた。おきにいりは多摩テック(地元の遊園地)でいつもかかっていた【口笛吹きと犬】だった。
それらのレコードジャケットは、19世紀ヨーロッパの名画がそれぞれ表紙になっていた。なので今でもあるクラシック名曲を聴くと、名画が反射的に思い浮かぶ。
その中に一枚、ルノアールの裸婦と思われる表紙の盤があった。
それに【マドンナの宝石】というタイトルがついていて、アダルトめクラシック名曲10曲くらいが入っていたのだ。



ルノアールの、晩年の焼けたパンみたいな裸婦ではなく、初期のまだ締まりのある女の絵が好きだ。
ウチにあった画集で見て初めて「エロス」というものに気付いた、幼い頃の性典のようなものだ。
暗い緑のなかで煩悶するような少女の胸の辺りの光を見て感じる「ああこりゃ見ちゃいかん、でも見たい」の動揺は、今も変わりない。
ジャケット絵の少女は本当に玉(ぎょく)を磨いたような肌合いをしていたように記憶している。まさにマドンナの宝石だった。
家にあるルノアールの画集には、巻末の白黒の参考図版として【浴女 Femme Baigneuse】というタイトルで、横顔の裸婦のその絵が小さく載っている。しかし、ネットで今検索しても、その絵が絶対出て来ないのが謎だ。もしや後年、ルノアールでないと認定されでもしたのか。



暗いアトラクションの秘め事感、結婚式場のフルート音楽の悲哀、ルノアールの裸婦.....を連想させる要素が合わさって、【マドンナの宝石】に、官能的なものの目覚めのいくらかを知らされた、と思う。
# by meo-flowerless | 2016-04-20 08:03 |

オーロラ

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人は各々にとっての「美しい」感覚を、何歳頃に、どういうことに対して、得るものなんだろう。
美術系だと、美しい物品に囲まれて審美眼を磨いてきたのかと思われることもあるが、実際そういうことではない。
自分の場合は、かえって殺風景のほうに不思議な美を感じるようなことが、結果的に多かったと思う。



文学的気質の親はたぶん「美しい」という言葉を子供にも躊躇せず使っていたはずだし、画集も音楽集もうちに沢山あった。しかし親がそれを特に利用して啓蒙的な審美眼を教え込むようなこともなかった。
なので私は、名画にも絶景にも、逆にどうでもいいことにもアホな事柄にも、ランダムに「美」を感じるパッチワーク的感覚を培った。そのことを、親に感謝している。



物心ついてから、はっきり何かを「美しい」と思った記憶。それは、ある建具屋の看板文字だった。
白い小さな看板に、虹色グラデーションの、フニャッとゆがんだ文字体。
【オ〜ロラ】と書いてある。
美的でも何でもないものに、なぜ惹かれたか。
オーロラ、という虹色の目くるめく現象に付いては、雲の図鑑などで知っていたから、その言葉を重ね合わせた幻を見たのだとも言える。とにかく、バスの中から見えたその、文字形や言葉の意味が混ざりあった総合的な雰囲気に、子供心の何かを掴まれた。



団地へ分岐していく道とは反対の、山林への方の道。遠足にもそうそう行く機会がないであろう、暗い峠の入口の、小さな建具屋。
【オ〜ロラ】。
看板に書かれた小さな字でしかないが、「目に飛び込んでくる」とは、まさにあのことだった。暗い山に萌え立つ若葉の道の中空に、ポカっと魔法のサインが、変幻自在に色を変えながら浮かんでいるように見えた。自分の心にとっては、それこそが小さなオーロラ現象だったのだ。
小学校へ入学しても、バス通学でそこを通るたび、その看板を目で確認することを忘れなかった。高尾山麓を切り崩した殺風景と鬱蒼のなか、そこだけが煌めいている気がした。
が、別の町に引越してしまい、数年間はその看板のことなど忘れてしまっていた。



浪人生の頃ふと、オーロラという言葉が好きだな、と思った。クサカベ絵具のオーロラピンクという色名で思い出したのだろう。
あの店の看板のことも、みるみるうち鮮やかに思い出した。床屋のディスプレイ看板みたいに光りながら回転していたような、誤った記憶さえ浮かんだ。
そこで、かつて故郷だった終点駅の、さらにバス終点の団地まで訪ねてみたのだった。



年月が経っていたので、その店が残っていることすら危うかった。バスの窓から見えるのは一瞬だ。埃っぽい繁みや、暗い山影は変わりない。その場所に近づくと、胸が高鳴った。
【オ〜ロラ】。
まだ、そこにあった!
歪んだ文字。幼い頃に魅かれた感覚が、鮮やかに蘇った。
が、看板は光っても回ってもいなくて、文字色もいまや虹色グラデーションなどではなかった。記憶の誤解に一瞬肩すかしを食らったものの、やはり煤けた景色に浮き立つそれは、自分の中のなにかの反射光のように際立って見えた。



虹色のものは美しい、ということは、父からの吹き込みだろう。
オーロラ現象とか、モルフォ蝶蝶とか、ハンミョウや玉虫だとか、「とにかくこの世のものではないほど美しいんだって」と、父は神妙な顔で、私にその存在を教えていた。「この世のものではない」という形容が、子供の心にはとてもいい化学変化を与えてくれたのだと思う。
虹自体が、団地の暗い雨の中、高尾山や貯水池を背に出現する、いわく言いがたい不気味な現象だった。しかもその頃はなぜか、子供一人か二人のときにばかり、誰も助けに来ない無音の圧迫のようなものの中で見た。
不気味なだけではなく、やはりきれいで、「きれいなものは不気味」というアンビバレントのようなものは、それで覚えたようにも思う。



父も私ももちろん北欧にオーロラを見に行ったことなど無い。実際見たら絶対に感動するだろうが、その感動は【オ〜ロラ】へのものではないだろう。
【オ〜ロラ】に感じたのは、言葉と視覚の間にぼやっとうかぶ「暗示的なときめき」、そういうことに魅かれる自分の傾向の、最初のあらわれだったかもしれない。
建具屋のまわりの繁みや竹やぶは一掃されてしまったが、オーロラの看板は今なお健在だ。
そういえば、一度だけ、別の土地で、白黒の【オ〜ロラ】看板にも出会ったことがある。
# by meo-flowerless | 2016-04-13 23:11 | 絵と言葉

ある少年の夏日記

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今日は授業絡みの遠足で、これから神田神保町へ古書店巡りだ。何か戦利品があればいいな。



去年のことだ。神保町の古地図屋、真中の大きなラックに沢山の古い観光地図やパンフレットの類いが山になっている。作品資料に、と漁っている中から、ふと地図ではないものが出てきた。
茶色に褪せた薄い「夏休日誌」。裏表紙に名前も学年もある。ある少年の日記だ。
多分第二次大戦終戦前後のものと思われる。



骨董市などには、昔の人のスクラップブックや日記が、無造作に商品の山に紛れ込んでいることがある。そんなところに転がっているくらいだから歴史的価値はあるわけではないが、それでも独りの人の人生の記録である。記録物というものは、他の商品の中でそこだけ異様なオーラを発しているように感じられる。
しかしぱらぱらとめくっても、人生の真実を赤裸々に吐露しているような日記や手帳は、ほぼ無い。そういうことを書く人は、ちゃんと処分するのだろう。



古地図屋で、手に取った少年の日記をめくってみた。
たった七日間しか書いていない。誤字も多く、あまり書く気はないようだ。特に、最後の方のおざなりさを見て微笑む。店主に、仕入れの時に紛れ込んだに過ぎないものだからあなたにあげる、と言われた。
というわけで昔の一少年の夏の七日間が、私の手の中に収まった。



孤独になりたい時にすっぽり座席に収まるお茶の水の某喫茶店で、紅茶を飲みながら、消え入りそうな鉛筆文字の七日間を辿ってみた。
すると、ふしぎなくらいきらきらと、夏の情景が目の前に立ち上がってきた。
初日、七月二十一日からは、近所の家に英語と数学を学びにいくことになったらしい。
そのあと帰宅、家の手伝い。午後は海水浴だ。
「今日は丑の日だ。海はにぎやかで、あまり多い人でボートに乗る人で一ぱいである」
遊びすぎたのか、帰宅したら家の人は皆夕食をもう先に食べていたようだ。
海の近くに住み、弟がいる。毎日弟を海に連れていき、泳いでいる、という生活が浮かんでくる。
以後の一週間も、淡々とした記述で刻まれる。


晝食後海へ行く途中にドブに魚がいたので魚をとって田ンボの中に池を作ってかつてをいた
海水浴の後 花キチガイ があばをくった 皆んなが助けに行つたら「もいいよ」と言つて、あかを落として居た

***

今日も英語と数学を教はりに行つて早お晝をたべて弟をつれて海へ行つた 三時頃また泳ごうと思つて行くと栗山君の舎弟が泣いて居た、きいてみると「オボレタ」と云つたので「誰と一緒に来た」ときくと「高等三年の子と来た」と云つた その高等の子にきくと「僕は寝て居た」と云ふ 僕は栗山君の舎弟を家へつれていつた

***

近所の子供にたのまれて◯◯まで弟をつれてボールを買に行つた ボールを買って帰る途中「カクテルをかつてくれ」と云つて動かなくなつたのでついに二円とられてしまつた ◯◯から帰って二人で海へしじみをとりに行つた しじみは五合くらいあつた



他愛ないなと思いながらも、花キチガイとは何だろうとか、栗山君の舎弟は結局なぜ泣いていてその後のようすは大丈夫だったのかとか、兄に比べて弟はやんちゃでしたたかだったのかもしれないとか、毎日の少年たちのつるみぶりと、埃に渇いた田舎の夏の道が浮かぶ気がしてくる。
それが私自身の幼時の夏に重なることなのか、映画の中の昭和の夏に重なることなのか、日本人の血で知っているのかもわからないのだが、匂いや空気や温度まで身体に感じるようなのは、なぜだろう。



言葉の情景喚起力は不思議だ。文章力のある小説の名手や絢爛たる言葉をあやつる詩人だからといって、あらゆる情景をうまく立ち上がらせることが出来るか、と言ったらそういうことではない。
読み手の側の経験と結びつくことで、通電のように、情景は「通じる」ものなのなのかもしれない。
淡く宙吊りになったような日記中の一文は、事実の説明というよりむしろ、詩のイメージの含みに満ちている。
そんなことを勝手に考えてほんの一部を、詩情のかけらとして引用させてもらった。



この持主の名前は少し変わった名前だった。所属している学校も、ある専門的な分野の学校らしかった。
そっとネットで検索してみたら、一、二件だけ、本人だろうと思われる手がかりがあった。
その後この少年は専門分野の大学に進み、海が美しいであろう地元の県で、その分野の会社の主になっているらしかった。御存命ならだいぶ老人だろう。
ネットはまた別の意味で、ひとの静かな人生と人生を交錯させる、通電感覚を持つことがある。
# by meo-flowerless | 2016-04-09 10:52 |