画家 齋藤芽生の日記 Twitter/ @meosaito


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喫茶マイアミ感

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十五歳から続けていた文章ノートは、便宜上「日記」と言っているが、事実を克明に記すことが大事だったわけではない。
なにを飽きもせず書きためていたのかというと、ひたすらに、「◯◯感」ということの蓄積だ。他人と共有出来そうで出来ない。あるいは自分の中にしかなさそうでいて意外と他人の中にもある。微妙なあの感じ、「◯◯感」。



梶井基次郎の小説を手にしたのも十五歳頃だ。その文章も「◯◯感」の連続で、主人公の台詞にも「ああ、あの感じ」と感覚を反芻するようなつぶやきが出てくる。肺病による死の焦燥がつくらせた、感覚のラッシュだったんだろう。
自分にとっての「ああ、あの感じ」というのを文章に書き止めておこうと思った。感覚を感覚のまま流さないで文章に記録しておくという意志が働き始めたのだ。



最初の頃に書き留めておきたかった「あの感じ」は、美的体験ではなく、快感というより不快感のようなものだった。



体育系の部活をやめて帰宅部になり、なんとなく早帰りの帰路を持て余していた。活発な年頃には、集団の熱のようなものから疎外されるという心の翳りは案外大きい。
ふらふらと駅ビルをウィンドウショッピングして歩いたり、夕闇迫っても郊外の繁華街を制服姿でひとりうろついた。グレさせるような仲間もまわりにいたわけではなく、もともと一人っ子の孤独は根底にあり、「緻密な退屈」を吟味するように味わった。
雑踏の中間色の中をぼんやりと泳いでいる。都会の夕闇は、泳ぐ、という言語感覚が似合う。何もかもが自分にそぐわず、そのくせ何もかもに有無を言わさず慕情したくなる。心のむなしさというものを、妙に楽しむようになった。



思春期の気怠さの延長線上に、普通だったら煙草などを覚えていくのだろうが、煙草のけむりのかわりに私の心に吹きかかったのは、別のものだった。
古い飲食店の裏の、ダクトから流れ出す排気だ。
結露の染みや廃油が糸を引いたどす黒い汚れがこびりついた、繁華街の飲食店のウラ。壊れかかった換気扇がぶーんと駅の事故時のブザーにも似た音程でうなり続ける、モワッとそこだけ蒸し暑い、夏の疲れのたまった、ポリバケツのある、かつて1970年代頃には流行ったがすでにダサいオーラをかもしだしていた飲食店の店ウラ。
そういう場所の、黄ばんだ空気感が気になって、しょうがなくなった。




新宿か立川か八王子か、どこにあったか覚えてもいない。名前を出して申し訳ないが、【マイアミ】というチェーン店の喫茶店があった。むらのある蛍光灯の光を内包したオレンジ色に青い古くさいロゴの文字看板は、非常に場末感を感じさせた。
入口のガラス戸がブラウンカラーで中が見えづらいような水商売的作りの飲食店がかつてはあったが、マイアミもそういう感じだった気がする。自分はルノアールには入れてもマイアミに入る勇気はなかった。
あとで聞くところによると、マイアミは不良のたまり場だったことが多かったようだ。たしかに不良感はぷんぷんしていたけれども、例えるならマイアミのイメージは、リーゼントの鋭角さではなく、広がってしまったパンチパーマの緩さなのだった。



中を知らないし外側は雑居ビルかなにかだから、その匂いが喫茶マイアミの匂いかどうかわからないのだが、マイアミの付近はいつも同じ匂いがするようだった。
洋食に変質した油脂の匂いがほのかに入り混じっているような。焼鳥屋の裏や小料理屋の裏では感じない匂い。トマトソース缶詰のこごった油のオレンジ色とマイアミの看板のオレンジ色は、シンクロする。オレンジ色というよりその排気口から漏れるものは、心の黄ばみのようなものだった。
わざわざそういう店裏を通って生ぬるい排気を浴びては、「ウッ」と不快感を確認するのが、好きになった。



漠然と未来に感じた浮かび上がれなさ。網の目の都会の細かさにもすくい上げられない微塵。形のはっきりした不幸や不遇ではないかもしれないが、自分は低空飛行のうつろな想いを常に保持するんだろう、という感覚があった。
希望や絶望という明確な感情より、浮かびも沈みもしない澱みの水面下5㎝みたいな感覚が、実は人生の大半をずっと占め続けるのではないか、と思った。
そういうやるせない予感のことを、心で【マイアミ感】と呼びようになったのだ。
喫茶マイアミ、ほんとにごめんなさい。でも、あのやるせなさのBGMには、マイアミ裏の換気扇のぶーん音こそがぴったりとふさわしかったのだ。



褪せてしまって白になれない感情。逆ベクトルの枯れた情欲。暮らしのなかのふとした奈落。幸せそうな世の全てのよそよそしさ。
しかし人間のどこかには、誰にも見返られない時間と空間から発する、不思議な情念がある気がするのだ。
夢の成就も終わりもない中途半端な【マイアミ感】は、窶れ(やつれ)という文字のゴチャゴチャした密度にも似て、じつに複雑で微妙なのだ。私は今も常にこころの【マイアミ感】の維持につとめているのかもしれない。
私の絵を評して「この人は一体何が楽しいんだろう」と書いた言葉を、ネット上に見つけて苦笑いしてしまった。その通り、「どうせ」という投げやりな怨念は、自分にとっては何故か、豊かなディティールに満ちている。口には出さなくても心では、幸福にも愛にも芸術にも、必ずこの【どうせマイアミ】感のくさびを打ち込んでしまう。



【マイアミ感】の詩情化されたものが、自分にとっての歌謡曲だ。とくにその後出会ったザ・ピーナッツの【ウナ・セラディ東京】の歌詞が柔らかく奥ゆかしく、【マイアミ感】の曖昧な疎外感を言い当てていることを知った。



街はいつでも後姿の幸せばかり 
ウナ・セラディ東京 あああ
# by meo-flowerless | 2016-05-06 22:25 | 匂いと味

2016年5月の日記

2016年5月の日記

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# by meo-flowerless | 2016-05-01 19:50 | 日記

ある兄弟の宿題帳

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探し物をして開かずの引き出しを開けたら、また、古びた子供の日記帳みたいなのが出てきた。
【夏休の友 尋常六學年】【夏休の練習 第四學年】とある。
先日「ある少年の夏日記」という文章を書いた。どうも私は、昔の子供の筆記したものが好きだ。
持っていても何の役にも立たないし、自分の作品などに使えるわけでもないが、古物の山からつい手にしてしまうのだ。
この二冊をいつ手に入れたのかは全く覚えてもいない。なぜその引き出しに入れたのかも。



中を見ると日記ではなく、夏休みの宿題の総合学習帳のようなものだった。小学六年生と四年生、名字が同じなので兄弟のものにちがいない。
国語、古文、算数、歴史、地理、生物、図画など多岐にわたる問題集で、コンパクトにミックスされている。時々、手品のやり方などのお楽しみページもある。
「皇国」などという言葉が出てくるから戦時中、それもまだ戦争初期のもののようだ。しかし何かを読んだあとの読解問題とは言え、内容が難しい。いまの高校生くらいでも出来ない子はいるのではないか。



六年生のとある一日のページは例えばこんな問題がある。カッコ内は子供が漢字で答えている。
【讀方】第八課 蟲の農工業 の復習
二、次の蟲の仕事は何業に似ているか
(紡績業)葉巻蟲(裁縫業)蜜蜂(建築業)クモ(漁業)(土木技師)ミミズ(農業)
【地理】
二、樺太の最近の水産物の産額を棒グラフに作れ。
鰊 一〇、七二萬圓 鱈 二〇六萬圓  鱒 八九萬圓 鰈 六萬圓



四年生の方はもっと素朴。
【修身】冬までつづけて冷水浴が出来ますか(できます)
 つらいことをがまんしてやりとほすことを何といひますか(忌酎)
忍耐、と書きたかったのだろう。
【手工】色紙で家の紋をきりぬいて、次のあいているところにはつてごらんなさい
など。朝顔の塗り絵もある。もともと辞書や童謡の本などの小さな挿図が好きなのだが、この学習帳の図にはことごとくそそられる。



関ヶ原の東軍西軍の主な武将を書かせ、様々な渦巻の図形が何に見えるか想像させ、はまぐりを図に描かせ、工作で水車を作らせる。かと思うと、「【修身】“反省なき生活は危し”これはどういふ意味か、その意味がわかったら毎晩寝るまへに、静かにその日のことを反省してごらんなさい」とか、「【考へ物】お客さまが来ましたが丁度主人が不在であつたのでそのお客さまは五千三十合といつてかへりました何のことでせう」とかいうのもある。わっかんね。



「次のことばはどんな景色の所かを考へなさい。“両岸相迫りて流いよいよ早く風景とみに改る”」この問題に、少年は「コワイヨウナ、美シイヨウナヨウス」と答えている。
怖いような、美しいような.....いいことを言うなあ。
よく出来た子たちだったのだろう。解答にそれほど間違いもないし破綻もない。
自分の小学生のときの何かが、もしこのように出回ったらどうだろう。四年生まで書かされていた日記は貴重だと自分でも思うが、落書きをしまくった教科書のアホさは、ただただ恥ずかしいだけでしかない。



このまえ手に入れた、同じ戦時中の少年夏休み日記と比べると、あれほどには「遠い煌めき」を感じない。生活の様子が書かれていないからだろう。
一枚だけ別紙で、兄さんのほうの作文が差し挟まれていた。
此の頃は夏であるから山の景色は美しい いつか山へ登つて方方を見ていたいと思つている 今ノ山は薄緑色に山を一面に包んでいる 道などには草が茂って道が無いようになつている 昨日友達と私で山に遊びに行つた だんだん山奥へ行つたら其こいらに山ゆりやそのほかの花も咲いていた そして花などをとつていたら草がゆるがつたから見ると長さ三尺くらひのへびがにげていたのであつた それから後は草の中をあるくにもやのやうになつたから内へかへつてきた
この間の少年の日記のようにやはり他愛ない描写だが、この文章には風景が彷彿とした。
青梅の小学生だったようなので、出身地が近いゆえ昔の多摩の夏木立のなかの子供の姿を勝手に思い浮かべてみた。



そういえば最近、清水宏の映画のすばらしさに嵌まった。特に子供の出てくる映画の瑞々しさは、戦前の物とは思えないくらいだ。これらの少年たちのノートは、清水宏の画面の中の夏とシンクロする。スタジオセットではない、あの日本の山河のほんものの光と影と、子供たちの素の声。
古い映画といいこういう古い物といい人の記憶といい、その時の記録だから瑞々しいのであって、現在の人間がどんなに魅かれても、過去の光を現在に再現したりリメイクやリクリエイトすることは、難しいことだと思う。


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# by meo-flowerless | 2016-05-01 16:30 |

湯殿山麓呪い村の永島瑛子

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私が絵に描く「部屋」は、単なる団地の部屋というより、「孔のような場所」だと思っている。
例えるなら、食虫植物の底に落ちたままそこから出ず朽ちていくかもしれない、無力な生物のおびえのようなものを、そこに描く。



一つの映画のシーンが浮かぶ。
ちゃんと最後まで通して観たわけではなく、テレビ放映で途中から見始めたくらいの記憶だ。



【湯殿山麓呪い村】の永島瑛子。
渋いバイプレイヤーの女優さんだ、と今では知っているが、そのときは何度見ても特徴を捉えられなかった。顔が陰った地味な人相も表情も、状況も、なんだか曖昧でわからない。
うちの小さなテレビのブラウン管の中でそのシーンを見ていたので、ほのかな覗きからくりのような画面だった。記憶は定かではないので間違いかもしれないが、赤暗いような光の「部屋」と、落ちぶれて絶望をポツポツ口にする女が画面にいた。
その女が束の間、男に身体をいじられたかと思うと、何かのはずみで殴られるかタンスに頭をゴンと打つかしてしまい、そのまま動かなくなってしまった。



子供だったので、その場末の「部屋」の頽廃的な雰囲気の意味も、女が零落してその「部屋」で何しているのかということも、よくわからなかった。
一緒に観ていた親に「このヒトだれ」ときくと「さっきでてきた主人公の恋人だったヒト」と言った。
「途中から消えていたあのおねえさんが、こんな暗い穴ぐらにじつははまりこんでいて、助け出されるのかと思ったら、頭打ってあっけなく死んだ。以下沈黙。生涯終わり。 ツーー(脳波)」
の孤絶感にあっけに取られ、子供心に「人生は怖い」と身震いした。



この映画は、他に陰惨なホラー的シーンがかなり出て来るらしいが、一切覚えていない。
焼き付いたのは、あの脇役の永島瑛子の目立たない、あっけない末路だけだ。
温泉地で身体を売っているところをかつての男に再会する、という設定だったようだが、そんなことはまだ子供にはわからなかった。
その男と女がいる「部屋」の、仮寝の宿の感覚、人間の末路の感覚、穴ぐらの感覚、のわびしさだけが焼き付けられた。
その無力な寂寥感は、今でもことあるごとに自分の発想につきまとう。旅先の宿などで蛍光灯のパイロットランプをつけっ放しで寝床に入ったりすると、「赤暗い最期」のイメージがよみがえる。



自分にとって【湯殿山麓呪い村】の永島瑛子は、人はあんなにわびしく死んでしまえるんだ、というタナトス with カタルシスの手本でもある。
壁かタンスに一発だけ頭打って死ぬ割に、なぜかじわじわ腐って溶けるような壊死感覚がある。
映画的というより、リアルだ。無意識に自分の人生の末路に、そういうわびしい死を感じていないとも限らない。そういう生き方がしたいわけではない。けれど生きている限り忘れることのない何か、がそこにある。



幼いころ親がいない隙に、蒲団が積んである四畳半の、ガキながらも妖しい気分になる常夜灯の赤暗い光の下で、近所の男の子にとつぜん腹を数発殴られたことがある。
ショックからか、そのあと独りで吐いて苦しんだ。嗚咽しながら、何故か「許す」感情のカタルシスにも包まれていた。
あとで親が激怒して文句を言いに行き、私にも「あなたも怒りなさい」と苛立ってたが、自分は腰抜けた戦意喪失感で(もういいよ....いいんだよ)と脱力していたのも覚えている。
なんでそうなったのか訊かれても、「部屋」の雰囲気がそうさせた、としか言いようがなかった。



広い親戚の家にも、子供たちだけがうごめく死角のような「部屋」があった。
使われていない客間や蒲団部屋を、わざと常夜灯だけにすると、赤い海底に沈んだようだった。
そういう遊び時間、赤暗い灯のなかで、なにか言いようのない常識外の感情を知っていった。
子供の無邪気な世界でも、ああいう暗がりを通じて一気に、零落した大人の末路に繋がっているような気がする。
子供はその擬似的子宮の暗がりからすぐに這い出し昼間の世界に戻っても、大人がその中に退行する場合はそこで溶解し壊死していくしかない。



娼婦の部屋なり、アジトなり、世に隠された「孔のような部屋」は、子宮的感覚と溶解の危機とをあわせ持つ。食虫植物のウツボカズラのようなものだろうか。
そこでは愛憎や被虐・嗜虐の境界も、溶ける。
あのシーンが強烈なので、【湯殿山麓呪い村】の映画を通しで観ようという気はいまだに起こらない。
# by meo-flowerless | 2016-04-27 00:18 | 映画

マドンナの宝石

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脳天に降り注ぐ夏の陽ざし。
親も子供もまぶしさに眉をしかめ、歯茎まで出して、気怠い表情をしている。
白昼の遊園地、動物園でもいい。白い灼熱から、一気にひんやりとした闇のアトラクションに入る時の立ちくらみは、脳裏が緑色になる感じがした。
アミューズメント施設のギラギラ眩しい圧迫の中で、暗いアトラクションは、数少ない「好きな場所」だった。



プラネタリウム、水族館、夜光虫園、水中バレエ、ジオラマ。
「ひんやりとした闇のアトラクション」には色々あった。
キンとした冷房に、よどんだ意識が回復する。漆黒の地に浮き立つ見世物の色彩に、感覚が覚醒していく。
白昼の一角に区切られたアトラクションの暗がり、その冷たい秘密の宝石箱の感覚、その悲哀は、自分の原風景のひとつだ。そういう場所に流れていた曲の記憶もまた、音の嗜好にいまなお食い込んでくる。



「何億光年の彼方の光が、今、はるかな時を越えて、私達の地球に届いているのです....」
という感じの悠長な女の声の、室内アトラクションの館内放送が大好きだ。
別宇宙から夏のお中元として送られてきたような遠い声。くぐもりつつも、よく通る響き。
33回転を45回転にしたような甲高さ、それでいて不思議と心を癒してくれる、その名調子。
ナレーションもいいが、背後に流れているBGMが素晴らしかった。世界残酷物語の【モア】みたいなのもあるし、モーグ系電子音のようなのもあるし、ピアノのイージーリスニングの場合もあった。
どんな楽器を使っていても、ああいうナレーションの奥の音楽には、ポポピポポロン...みたいな「乙女の竪琴」感覚があった。宇宙と竜宮城は音楽的には繋がるんだなぁ、という感慨に浸る音楽だった。



私のなかに君臨している室内アトラクション館内的音楽は、【マドンナの宝石】だ。
弦を静かにはじく、「乙女の竪琴」感覚に始まる曲。水族館より、秘宝館むきである。
すばらしく、「女」を感じる曲である。
昔の結婚式場のホールにかかっていた、というイメージもまたあるのは、フルートのせいだと思う。この曲の最初のフルートの入り方が、まるで雅楽だ。聴くたび脳裏に、神主とお嫁が登場する。
実際には、暗い曲だから、宴席ではかからないだろう。



フルートの音には何故か、追い立てられて花を散らされていく女の哀しみと言うか、おねえさんの白い肌に秘められた思い、みたいなものを感じる。
和洋折衷な婚礼。鶴の柄の赤い絨毯。滝のある竹薮付き中庭。カマボコ味に似たフランス料理のオードブル。嫁いでしまう色白のお姉さん。式典の緊張から来る子供の吐気を、ゾワっとなでていくような、バロック弦楽奏と、フルートの震え。
自分があの曲【マドンナの宝石】を聴いて感じるそぞろな気持、肛門に重点を置いたような独特の切なさは、他人にこの音楽を聴いてもらっても共有が不可能な気がする。



ウチにはその昔「クラシック名曲大全集」10枚組レコードが二種類あって、子供の独断的な興味をもとによくかけていた。おきにいりは多摩テック(地元の遊園地)でいつもかかっていた【口笛吹きと犬】だった。
それらのレコードジャケットは、19世紀ヨーロッパの名画がそれぞれ表紙になっていた。なので今でもあるクラシック名曲を聴くと、名画が反射的に思い浮かぶ。
その中に一枚、ルノアールの裸婦と思われる表紙の盤があった。
それに【マドンナの宝石】というタイトルがついていて、アダルトめクラシック名曲10曲くらいが入っていたのだ。



ルノアールの、晩年の焼けたパンみたいな裸婦ではなく、初期のまだ締まりのある女の絵が好きだ。
ウチにあった画集で見て初めて「エロス」というものに気付いた、幼い頃の性典のようなものだ。
暗い緑のなかで煩悶するような少女の胸の辺りの光を見て感じる「ああこりゃ見ちゃいかん、でも見たい」の動揺は、今も変わりない。
ジャケット絵の少女は本当に玉(ぎょく)を磨いたような肌合いをしていたように記憶している。まさにマドンナの宝石だった。
家にあるルノアールの画集には、巻末の白黒の参考図版として【浴女 Femme Baigneuse】というタイトルで、横顔の裸婦のその絵が小さく載っている。しかし、ネットで今検索しても、その絵が絶対出て来ないのが謎だ。もしや後年、ルノアールでないと認定されでもしたのか。



暗いアトラクションの秘め事感、結婚式場のフルート音楽の悲哀、ルノアールの裸婦.....を連想させる要素が合わさって、【マドンナの宝石】に、官能的なものの目覚めのいくらかを知らされた、と思う。
# by meo-flowerless | 2016-04-20 08:03 |

オーロラ

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人は各々にとっての「美しい」感覚を、何歳頃に、どういうことに対して、得るものなんだろう。
美術系だと、美しい物品に囲まれて審美眼を磨いてきたのかと思われることもあるが、実際そういうことではない。
自分の場合は、かえって殺風景のほうに不思議な美を感じるようなことが、結果的に多かったと思う。



文学的気質の親はたぶん「美しい」という言葉を子供にも躊躇せず使っていたはずだし、画集も音楽集もうちに沢山あった。しかし親がそれを特に利用して啓蒙的な審美眼を教え込むようなこともなかった。
なので私は、名画にも絶景にも、逆にどうでもいいことにもアホな事柄にも、ランダムに「美」を感じるパッチワーク的感覚を培った。そのことを、親に感謝している。



物心ついてから、はっきり何かを「美しい」と思った記憶。それは、ある建具屋の看板文字だった。
白い小さな看板に、虹色グラデーションの、フニャッとゆがんだ文字体。
【オ〜ロラ】と書いてある。
美的でも何でもないものに、なぜ惹かれたか。
オーロラ、という虹色の目くるめく現象に付いては、雲の図鑑などで知っていたから、その言葉を重ね合わせた幻を見たのだとも言える。とにかく、バスの中から見えたその、文字形や言葉の意味が混ざりあった総合的な雰囲気に、子供心の何かを掴まれた。



団地へ分岐していく道とは反対の、山林への方の道。遠足にもそうそう行く機会がないであろう、暗い峠の入口の、小さな建具屋。
【オ〜ロラ】。
看板に書かれた小さな字でしかないが、「目に飛び込んでくる」とは、まさにあのことだった。暗い山に萌え立つ若葉の道の中空に、ポカっと魔法のサインが、変幻自在に色を変えながら浮かんでいるように見えた。自分の心にとっては、それこそが小さなオーロラ現象だったのだ。
小学校へ入学しても、バス通学でそこを通るたび、その看板を目で確認することを忘れなかった。高尾山麓を切り崩した殺風景と鬱蒼のなか、そこだけが煌めいている気がした。
が、別の町に引越してしまい、数年間はその看板のことなど忘れてしまっていた。



浪人生の頃ふと、オーロラという言葉が好きだな、と思った。クサカベ絵具のオーロラピンクという色名で思い出したのだろう。
あの店の看板のことも、みるみるうち鮮やかに思い出した。床屋のディスプレイ看板みたいに光りながら回転していたような、誤った記憶さえ浮かんだ。
そこで、かつて故郷だった終点駅の、さらにバス終点の団地まで訪ねてみたのだった。



年月が経っていたので、その店が残っていることすら危うかった。バスの窓から見えるのは一瞬だ。埃っぽい繁みや、暗い山影は変わりない。その場所に近づくと、胸が高鳴った。
【オ〜ロラ】。
まだ、そこにあった!
歪んだ文字。幼い頃に魅かれた感覚が、鮮やかに蘇った。
が、看板は光っても回ってもいなくて、文字色もいまや虹色グラデーションなどではなかった。記憶の誤解に一瞬肩すかしを食らったものの、やはり煤けた景色に浮き立つそれは、自分の中のなにかの反射光のように際立って見えた。



虹色のものは美しい、ということは、父からの吹き込みだろう。
オーロラ現象とか、モルフォ蝶蝶とか、ハンミョウや玉虫だとか、「とにかくこの世のものではないほど美しいんだって」と、父は神妙な顔で、私にその存在を教えていた。「この世のものではない」という形容が、子供の心にはとてもいい化学変化を与えてくれたのだと思う。
虹自体が、団地の暗い雨の中、高尾山や貯水池を背に出現する、いわく言いがたい不気味な現象だった。しかもその頃はなぜか、子供一人か二人のときにばかり、誰も助けに来ない無音の圧迫のようなものの中で見た。
不気味なだけではなく、やはりきれいで、「きれいなものは不気味」というアンビバレントのようなものは、それで覚えたようにも思う。



父も私ももちろん北欧にオーロラを見に行ったことなど無い。実際見たら絶対に感動するだろうが、その感動は【オ〜ロラ】へのものではないだろう。
【オ〜ロラ】に感じたのは、言葉と視覚の間にぼやっとうかぶ「暗示的なときめき」、そういうことに魅かれる自分の傾向の、最初のあらわれだったかもしれない。
建具屋のまわりの繁みや竹やぶは一掃されてしまったが、オーロラの看板は今なお健在だ。
そういえば、一度だけ、別の土地で、白黒の【オ〜ロラ】看板にも出会ったことがある。
# by meo-flowerless | 2016-04-13 23:11 | 絵と言葉

ある少年の夏日記

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今日は授業絡みの遠足で、これから神田神保町へ古書店巡りだ。何か戦利品があればいいな。



去年のことだ。神保町の古地図屋、真中の大きなラックに沢山の古い観光地図やパンフレットの類いが山になっている。作品資料に、と漁っている中から、ふと地図ではないものが出てきた。
茶色に褪せた薄い「夏休日誌」。裏表紙に名前も学年もある。ある少年の日記だ。
多分第二次大戦終戦前後のものと思われる。



骨董市などには、昔の人のスクラップブックや日記が、無造作に商品の山に紛れ込んでいることがある。そんなところに転がっているくらいだから歴史的価値はあるわけではないが、それでも独りの人の人生の記録である。記録物というものは、他の商品の中でそこだけ異様なオーラを発しているように感じられる。
しかしぱらぱらとめくっても、人生の真実を赤裸々に吐露しているような日記や手帳は、ほぼ無い。そういうことを書く人は、ちゃんと処分するのだろう。



古地図屋で、手に取った少年の日記をめくってみた。
たった七日間しか書いていない。誤字も多く、あまり書く気はないようだ。特に、最後の方のおざなりさを見て微笑む。店主に、仕入れの時に紛れ込んだに過ぎないものだからあなたにあげる、と言われた。
というわけで昔の一少年の夏の七日間が、私の手の中に収まった。



孤独になりたい時にすっぽり座席に収まるお茶の水の某喫茶店で、紅茶を飲みながら、消え入りそうな鉛筆文字の七日間を辿ってみた。
すると、ふしぎなくらいきらきらと、夏の情景が目の前に立ち上がってきた。
初日、七月二十一日からは、近所の家に英語と数学を学びにいくことになったらしい。
そのあと帰宅、家の手伝い。午後は海水浴だ。
「今日は丑の日だ。海はにぎやかで、あまり多い人でボートに乗る人で一ぱいである」
遊びすぎたのか、帰宅したら家の人は皆夕食をもう先に食べていたようだ。
海の近くに住み、弟がいる。毎日弟を海に連れていき、泳いでいる、という生活が浮かんでくる。
以後の一週間も、淡々とした記述で刻まれる。


晝食後海へ行く途中にドブに魚がいたので魚をとって田ンボの中に池を作ってかつてをいた
海水浴の後 花キチガイ があばをくった 皆んなが助けに行つたら「もいいよ」と言つて、あかを落として居た

***

今日も英語と数学を教はりに行つて早お晝をたべて弟をつれて海へ行つた 三時頃また泳ごうと思つて行くと栗山君の舎弟が泣いて居た、きいてみると「オボレタ」と云つたので「誰と一緒に来た」ときくと「高等三年の子と来た」と云つた その高等の子にきくと「僕は寝て居た」と云ふ 僕は栗山君の舎弟を家へつれていつた

***

近所の子供にたのまれて◯◯まで弟をつれてボールを買に行つた ボールを買って帰る途中「カクテルをかつてくれ」と云つて動かなくなつたのでついに二円とられてしまつた ◯◯から帰って二人で海へしじみをとりに行つた しじみは五合くらいあつた



他愛ないなと思いながらも、花キチガイとは何だろうとか、栗山君の舎弟は結局なぜ泣いていてその後のようすは大丈夫だったのかとか、兄に比べて弟はやんちゃでしたたかだったのかもしれないとか、毎日の少年たちのつるみぶりと、埃に渇いた田舎の夏の道が浮かぶ気がしてくる。
それが私自身の幼時の夏に重なることなのか、映画の中の昭和の夏に重なることなのか、日本人の血で知っているのかもわからないのだが、匂いや空気や温度まで身体に感じるようなのは、なぜだろう。



言葉の情景喚起力は不思議だ。文章力のある小説の名手や絢爛たる言葉をあやつる詩人だからといって、あらゆる情景をうまく立ち上がらせることが出来るか、と言ったらそういうことではない。
読み手の側の経験と結びつくことで、通電のように、情景は「通じる」ものなのなのかもしれない。
淡く宙吊りになったような日記中の一文は、事実の説明というよりむしろ、詩のイメージの含みに満ちている。
そんなことを勝手に考えてほんの一部を、詩情のかけらとして引用させてもらった。



この持主の名前は少し変わった名前だった。所属している学校も、ある専門的な分野の学校らしかった。
そっとネットで検索してみたら、一、二件だけ、本人だろうと思われる手がかりがあった。
その後この少年は専門分野の大学に進み、海が美しいであろう地元の県で、その分野の会社の主になっているらしかった。御存命ならだいぶ老人だろう。
ネットはまた別の意味で、ひとの静かな人生と人生を交錯させる、通電感覚を持つことがある。
# by meo-flowerless | 2016-04-09 10:52 |

入学式のヴァイオリン

音楽学部の澤和樹先生が新しく学長になった。ヴァイオリニストである。
美術と音楽とがあるウチの大学では、実に37年ぶりの音楽学部からの学長選出だ。
長らく続いた宮田先生の書道のパフォーマンスで藝大のセレモニーも注目されるようになってきていたが、今日、新学長のもとで気持も新たにどのような入学式になるのだろう、と楽しみだった。



卒業式に比べ入学式は厳粛で、講堂中の新入生の緊張が空気を引き締めている。新学長も緊張の面持ちに見えた。
「新入生、起立。礼」のあと、学長みずから「着席ください」と言う。ここで学長のお言葉である。さあ何を話されるのか。私が一瞬、目を自分の爪かなんかに逸らしたその瞬間だった。
静かにヴァイオリンの音が流れ始めた。



澤先生が壇の前まで出てきて、言葉を何も発しないまま黙って、たった一人舞台の真中でヴァイオリンを弾き始めたのだ。
しかも、バッハの無伴奏をだ。
何回も器楽演奏を聴いている会場だが、これほどの静けさに包まれたのを見たことがない気がした。すぐ目の前で、幻のような月がゆっくり空に昇っていくのを、皆がじっと見守っているような目をしている。
柔らかいが吸い付くように、息の長い弓使いが、ずーっと後を引く。はじめの「なるほど....さすが音楽学部」というパフォーマンスへの感動は、すぐに「音楽」そのものへの集中に変わっていった。



演奏が終わった後、澤先生は、誰もが知っている大バッハだからこそ選んだこと、この「アダージオ」が、単なるテンポがゆっくりと言う意味だけではなく「くつろぐ」という意味を含んでいること、時代の速度と自分自身の速度のこと、宇宙の広がりのことなどを簡潔な口調で話された。



ああ、音楽だ。と改めて感慨を深くした。
特に今までの、言葉による激励やメッセージを当たり前に待つようになっていたこの頭を溶解しながら、音楽は、水のように無言で体に染入ってきた。
また、なんていい曲をこの一番最初の場に選ぶのだろう、とも思った。
バッハの曲は、奏でる人によっていかようにも解釈し表現出来る音楽だし、また無伴奏となると、孤立無援の時空に浮かびながら音を選び出していかなくてはならない。
心細い裸の状態で入ってきた新入生に、自らも研ぎすまされた裸の演奏で対峙するため、まさにそのための音楽にきこえる。



自分の小学生レベルのバイオリン経験を持ち出すのは阿呆というものだが、それでも、舞台の上でひとりで奏でることの孤絶感だけなら、ほんの少しは体で知っているように思う。
異様な注視、ダウンライトの光、客席の奈落、奏でることへの自問自答、その払拭。そして音楽への没入。客席から映像ショーのようにコンサートを見る気持では想像出来ない、絶対的に孤独な身体経験だ。
今日の音楽とそれを奏でたひとは、芸術とは突き詰めれば孤独な身体経験なのだ、という原点を思い出させてくれた。そして、この大学が芸術大学だ、ということも改めて。
いい入学式だった。
# by meo-flowerless | 2016-04-05 22:51 |

サマーランドの乱反響

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いろんな音にいろんな感情を催すたちだが、「なぜか気が遠くなる」たぐいの音がある。
体がオロオロし、自我がズレるようなめまいを感じる。軽い離人感、というのか。
その音は、巨大な温室や室内プールみたいな「屋根付きの施設の反響音」だ。
常磐ハワイアンセンター(ハワイアンズ)に行き大音響のスティールギターのハワイアンがベンベンと乱反射のように響き渡っていたら、気が遠くなることだろう。



屋根付き熱帯施設、東京で言えば「東京サマーランド」だ。
近くにあるのに、最も遠い南国という感じがする。一度しか行ったことがない。
そもそも子供の割にアミューズメント施設がそれほど好きではなかった。(多摩テックは好き)
人酔いというのがあるが、そういう感覚で「初めての音」酔いや「初めての光」酔いをした。
回転する乗物もだめ。目くるめく混沌に意識がついていかず不安になるのが、私のほとんどの遊園地体験だ。



サマーランドには、幼いとき、ある家族に連れられて行った。
爛々と光る目や服装のせいか、熱帯鳥みたいな印象の女の子がいた。女の子のお父さんは目がサルトル的にぎょろっとしていて、焦点のない威圧感を感じた。家族全員が南国趣味のように見えた。家の中は緑色のものが多く「置物のカオス」のよう。ただのインテリアのはずだが一面鬱蒼とした熱帯雨林の印象しかない。九官鳥も飼っていたんではないか。
あるお昼には、エスニックまぜごはんのようなものをいただいた。一口食べて「よくわからない味だ」と混乱した。今ならばそういう味は好みだと思う。けれどそのときの私は、その家族の南国趣味に、慣れないカオスに接するときの落ちつかなさを感じた。



サマーランドのプール。
半透明な屋根が鉄骨を覆う、巨大温室のなかのイミテーション南国。
生い繁る椰子や棕櫚やモンステラは、本物の植物のはずなのにビニール質の印象。逆光シルエットのハリボテバイキング船に、暗いコロニアル風のあずまや。農業用ネットのような材質のハンモックが、あちこちにだらしなく垂れ下がっている。エメラルド色やターコイズ色のペンキで塗られたプールサイドの地面は硬い材質で、粗い人工芝のような箇所もあり、どこでコケても結構な怪我をする「痛さ」がある。
そこに、大音響のハワイアン音楽が流れていた。
屋根の全てにこだまして、全方位からブレるような反響が耳に帰ってくる。自分の位置がわからなくなる音だった。



プールの人工浅瀬で既に、私は疲れを感じていた。その後、昼食となった。
長い食卓を挟んで人工芝の上に座った。そこにいたほとんどの友達家族が、アロハを着ていた。
食卓の上にはでかい葉っぱに包まれた異国まぜごはんや、パイナップルをくりぬいた中のよくわからないサラダや、甘いケチャップのかかった脂っこいハムカツや、ポリネシアン串焼きのようなものが、これでもかと運ばれてくる。半透明の屋根から漏れる白い光、プールからの増幅した水音、鳴り響くハワイアンの反響。
混沌........
目が回りかけている時に、熱帯鳥一家のお父さんが、私の顔をのぞきこむようにして、異国まぜごはんを薦めてきた。それがそのときの、最後の記憶である。
多分私は「めがまわる」と言ってそこに寝かせてもらったのだろう。記憶の内部では、ほとんど意識を喪っていた。これでもかと押し寄せる異国風味が、小さい私には身に余る情報量だったのだろう。



いやなくせに何度でも聞いたり嗅いだりしたい、「くせになる五感の感覚」というのがある。
いまだに屋根付きの遊興施設に行くと、ゾワゾワする。ボウリング場に響き渡る音、健康ランドでお揃いのアロハ着ている人々の笑い声、などを聞いていると、放心してしまう。
「乱反射」という言葉に対して「乱反響」という言葉があるなら、ああいう場所の音はそれだ。
乱反射の感覚、乱反響の感覚はダイレクトな体感を伴って記憶と接続される。これがもしトラウマだったらフラッシュバックを引き起こす音なのだろうが、そこはかとない記憶にも、そういう鮮やかな接続は起こる。



娯楽のなかに詰め込みすぎた熱帯風情というのは、あの70年代独特のものかもしれない。そういう流行に魅かれつつも辟易した幼児体験のある人もいるのではないか。
流行グッズは資料館に残っても、流行から引き起こされる感覚反応のようなものは、何一つ後世の遺産なんかに残らない。個に閉じ込められたまま明滅する「感覚の記憶」は、同じ光を知りつつどの星の光も孤立して離れている、宇宙のようなものだ。



今は甘いパイナップルライスも、アロハも、ゾッとしながらたしなむ。エキゾチカのような南国探検的音楽を聴き、スティルギターが反響しまくっている屋内イベント会場などで「ウオオオオ」と頭皮を掻きむしりながら、サマーランドで倒れた記憶をゾワゾワ思い出して楽しむ。
でもそれ、なんなんだろう。
# by meo-flowerless | 2016-04-04 12:11 |

2016年4月の日記

2016年4月の日記

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# by meo-flowerless | 2016-04-03 15:47 | 日記

時空とエアポケット

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このごろ、文章に「時空」という言葉を多用してしまう。
一過性の口癖ではない。ある感覚を現すにはこの言葉しかない、という妥当感があり、これからも使っていく言葉だと思う。
五月の講義でも、自分なりの「時空」感覚について話そうかと考えている。



歳をとるにつれ、自分の関わる時間と空間に、権利や義務が付随することが多くなる。
社会に組み込まれれば当たり前のことなのだが、時間的空間的な自由を何とか切り詰め工夫しなければ得られないのと同時に、心の内面的な自由までそうなっていくような気がしている。
ものをつくる仕事をしている以上、「心の自由」を切り詰めることは本当に嫌だが、ものを作るのを「仕事」と思う時点で、もう自由ではないのかもしれない。



けれど、時間空間を併せ「時空」という言葉を使ってみると、何だかすーっと誰にも邪魔されない宇宙に吸い込まれるというか、透明人間になって好きなだけ好きな中空を浮かんでいるような、いい心地になってくる。
特殊相対性理論なんていうものは私の愚かな頭に理解出来るはずもないから、イメージの「時空」でいい。
「自由」という言葉を「自在」に置き替えてみると身体が楽になる感覚がある。自由にはそれなりに自力の飛翔の労力を感じるが、自在にはテレポーテーションの神出鬼没性を感じる。「時空」には、自由より自在が似合うかもしれない。




「時空」という言葉はSF的で、それを動的に「超える」という言い方の時に使われることが多い。
自分にとってのイメージの「時空」には、「嵌まる」という言葉を使いたい。
中空にポカッと、自分にしか見えないカンガルーのポケットみたいに浮かんでいる、じっと潜伏可能な「ふところ」なのだ。
この時の、「中空」という言葉の感覚も大事で、それは決して「空中」ではない。
時空、中空どちらにも出てくる「空」は、私には天ほど高いところにある空をさすのではなく、斜め上に顔をふと上げたときの空気中の空白......ややこしいな、「うわの空」の「空」とでもいっておこう。



同じような感覚で使う言葉に、「エアポケット」がある。
「エアポケット」に関しては時間的なというよりも、空間的に他から切り離された独立した空白、という感覚で使っている。




中学生の夏の終わり、最寄りの駅の反対改札側の町を母とゆっくり散歩していた。
ある程度道を知っているはずなのに、まだ知らない風景や抜け道がある。迷路に迷い込んだ気分だった。入り組んだ住宅街を抜け、視界が広がったと思ったら、驚いた。
突然ひまわり畑が広がっていた。
ひまわりは夕風にかすかに揺れ、うつむいていた。偶然自分は黄色いひまわり柄のワンピースを着ているのだった。ワンピースがこの風景を引き寄せたのか、と思った。
近所にこんな花畑があることに何故か長年気付かなかった。ここだけ夢のように時が収縮している気がした。




母も同じように、狐につままれた気分がしているようだった。そのとき母が言ったのだ。
「エアポケットね」
ひまわり畑の向こうには平屋一戸建住宅の敷地が広がっていて、そこに辿り着くのも初めてだった。帰宅して地図で調べると国鉄職員宿舎だった。
数年経ってふと思い出して行ってみたときは全てが無くなり、痕跡のない更地になっていた。
やがてマンションが建って、記憶も薄れていった。
けれどあれ以来、歩きながら途中でふと夢うつつの「エアポケット」に紛れ込む場所を、いつも探している。




「時空」も「エアポケット」も、ノスタルジーを感じさせる常套句だともいえる。
それらの言葉の口当たりの良さはどうでもいい。あの「ふところ」感覚が私には大事なのだ。
自分自身からも迷子になっているような、抜け穴入口のメビウスの輪っか状に気を取られ延々とねじれの上で輪廻的徒歩をしているような。
行ってるのか帰ってるのかわからない感覚が、私を解放してくれる。




この世界の誰からも忘れられるなんてことは、本能的に寂しい。
けれど、どうか束の間思い出さないでいてくれ、と意味もなく思っていることも、また本能的にある。
夕食を作るのに忙しい母親が、頭の片隅で子供が帰宅しないのを認識しつつ、それほど気にもしていない。そんな黄昏のひととき、まだ帰りたくない子供の、迷子や神隠しとまでは行かずとも「今だけは風船のひもが、ふと切れている」というような遊離感覚を、いまだに心で大事にしている。
自力で帰る力のある限りは。
# by meo-flowerless | 2016-04-01 03:32 |

【春雷】  ふきのとう

     突然の雷が 酔心地 春の宵に
     このままじゃ夜明けまで 野ざらし ずぶぬれ
     春の雷に 白い花が散り
     桜花吹雪 風に消えてゆく



今宵は雷が鳴っていた。春雷である。
春雷に必ず思い出す男友達がいる。大学時代の仲間。
一番近いようで一番遠い、という感覚が残る限り、一対一の「親友」とは呼ばせてはもらえないだろう。
彼は誰に対してもそう、誰からも愛されて、誰をも振り回して、誰からも遠かった。
夏の雷には思い出さない。カラオケで【春雷】を歌ったか、一緒に春の雨に降られでもしたか、それすらも思い出せないが、春雷と言えば彼であり、彼と言えば青春だった。


常に近くにいながら、決して恋人同士などにはならなかった。
飲んで管をまく典型的な泣き上戸で、たまに私も手厳しいことを言って泣かせたりした。
常日頃その酒、パチンコ、煙草、銭湯、雑魚寝の姿を間近に見て、今でも克明にデッサン出来るくらい、浮腫んだ朝の顔も、ごわごわした髪の感じも、服のよれよれした皺も、覚えている。
夜の雨に濡れて飲みの席に転がり込んでくる時の、湿った身体の匂いも覚えている。
そのお腹を枕に何度も眠り、向こうも飲んだくれた末にこっちの膝枕で泣寝入りをし、しかしついに何事も起こらなかった。それはそれで運命だったのだろう。


大学一年の春の夜、彼が自分に投げかけた言葉が今も、青春の始まりの号砲みたいに響き続ける。
夜の墓地や暗い海を無軌道に走る仲間たちの車の中で、どこまで行くのかいつ帰るのか、苛立ちを口にした私に向かい、
「身をまかせなよ、この時に」
と彼はふりむいてきつく言ったのだ。


常識的な時間や空間に拘っていた視界が開けて、星の海に繰り出したような気がした。
あの言葉から、夜の本当の長さを知らされた気もする。人と人の近さの不可解、も同時に。
友達の教えた夜の長さは、朝になりゆく空の色調を、人と向き合うまでの曖昧な距離を、言えない言葉が落ちていく深淵を、風にかき消された未遂の出来事を、たくさんはらんでいた。


面倒くさい彼のような男、面倒くさい私のような女、他の仲間もそれぞれに癖があり面倒くさかったが、共通してどこかのんびりと浮遊していられた。時代がそうだったのだろう。
あの私達の身勝手な時空に、無くてよかったと思う今の時代の言葉、例えば「リア充」「中二病」「ボケと突っ込み」。
もしそんな揶揄的な一言でもあったなら一度に霧散してしまうくらい脆弱な私達は、ほんとうにくだらない夜のかけひきを飽きもせず、緻密にしていたと、思いだす。


e0066861_2292835.png『人生・春・横断』 ふきのとう 1979
# by meo-flowerless | 2016-03-29 00:20 |

卒業修了式

昨日は大学と大学院の卒業式。宮田学長の卒業式での最後のパフォーマンスを見る。

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# by meo-flowerless | 2016-03-26 12:05 | 日記

一橋大学

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他校の学食を食べたくなるお昼がたまにある。今日もそんな日だった。
立川に出る用事があったのでそれならばどうせ、と国立まで足を伸ばす。
国立の大学通りは思い出の道だ。小学校六年間この通りにある私立小に通った。
大学通りは桜が咲き始めていた。むかし珍しい青いスミレが咲いていた苔むしたモルタルの長屋は、バーミヤンに変わっていた。


大学通りの「大学」とは、一橋大学のことだ。
今も三十数年前と変わらぬ門の佇まい。変わったのかもしれないが、同じような文字、同じような色の学生の立て看板がある。大学祭前後には[◯◯ at 兼松講堂]などと書かれたライブの告知の大きな手書き看板がいくつも並んでいた。松任谷由実、大貫妙子なんて名をそのタテカンで知った気がする。


一橋大学の校舎の素晴らしさは、全てが煉瓦で出来ていることだ。古びているようでもあり新しい外国のアパートメントのような趣もある。
首を曲げなくては天が見えないほど背のひょろ長い松が煉瓦の隙間に伸びている。


グラウンドで陸上部がトレーニングしているのが見える学食で、カレーとポテトコロッケを食べる。
一橋大学は昔から「質実剛健」という感じがする。というかオトナっぽい。
自分が小学生の頃のお兄さんたちは、80年代でも長髪にサンダルという、昔の学生感覚をにおわせていた。決して美大のようなルーズな派手さ(イメージ)ではなく、何気に英語の小説くらいはポッケに入れていそうな知的雰囲気があった(イメージ)。


文学部志望だった頃に都心の大学に見学に行ったが、自分が小さい頃に抱いていた「大学」と何かが違い、規模がでかすぎるわなんかチャラいわで憧れがさめ、英・国・社の勉強に身が入らなくなっていくと同時に、美術志望に傾いていった覚えがある。
そのとき比べていた「大学」らしい「大学」は、幼い頃通った道の「一橋大学」だった。


「深い緑があり、建物が奥ゆかしく、アンツーカーのグランドで部活動をしている人がいて、学食で勉強している人がいて、学園祭はDEEPで、ユーミンまで来て、そんな学問空間が賑やかな町中にある」というイメージを全て裏切る、芸大の「取手校地」の一期生になった。体育の時間はグランド(草原)の草むしりだった。学食からは、赤いミニスカートからパンツ出してダンボールを敷き、崖を芝滑りしている同級生が見えた。


今日は食堂の窓際で、ひとりでゆったり勉強をしている渋いおにいさんがいた。横顔が美しい。
おにいさん、と思ったのだが、考えてみれば仮に院生にしたって、私より十以上は年下なんだな、と思い複雑だった。自分は何も成長していない。
# by meo-flowerless | 2016-03-23 20:19 |

2016年3月の日記

2016年3月の日記

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# by meo-flowerless | 2016-03-23 04:56 | 日記

2016年3月の夢

2016年3月の夢

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# by meo-flowerless | 2016-03-23 04:54 |

保健室ホテル

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昨日、茨城県で催されるアートプロジェクトの話し合いをしながら、ちょうど去年の今頃このプロジェクトの下見で茨城北部を訪れた時のことを思い出していた。


昨年三月。マイクロバスに揺られ大学の先生方と一緒に、日立鉱山跡や五浦の海など昼間のうちに十カ所ほどを訪れ、夜になってようやく北茨城市のビジネスホテルに辿り着いた。
夕飯時、どうも先生方の会話がちっとも頭に入ってこない。思えばその時からぐったりしていたのだ。このヒトは無口なのか?と怪訝そうな顔をされつつ、その日は各部屋に引き取って寝た。


胃痛に苛まれ始めたのは、その夜中だった。
付け放しの枕元の灯のなかでパチっと目覚めた。熟睡から突如目を覚ますということは身体がおかしいということだ。胃液の中に溺れているのかというくらいに、おなかが気持が悪い。関節痛がしてきて急激に発熱、吐くこともできず一晩中苦しむ。火のような胸焼けに、逆流性食道炎とはこういうものか、と初めて知る。
苦しみ抜いて一睡も出来ず、朝を迎えた。
同行の事務の方がフロント経由の電話で知り様子を見に来た時には、海老のように腹を丸め、二三歩歩くのが精一杯だった。


心配する先生方に謝り、結局私はそのビジネスホテルに寝付くことになり、皆はマイクロバスで帰路についた。朦朧とした意識でフロントからタクシーを呼んでもらい、一時間弱かかる病院へ一人で行った。
雪が降っているわけでもないのに青白い、関東の平野が延々と続く。体調のせいで視野が青く染まっていたのかもしれない。
よくあるおなかの風邪なので、まあ二、三の薬を呑み、治るまで安静に、と病院で言われた。
灰色ボール紙で造った模型のような病院のロータリーで悪寒に震えていたら、行きに呼んだタクシーの人が遠い駅からまた来た。言葉少なだが事情を察し、心配してくれた。


病院に行ってやはり少し安心し、さて、と考える。あの過酷な出張からも、自分は開放されたのである。
休もう。休むのだ。人間を休む!
ビジネスホテルは本当に簡易で、新しくもなく広くもなく、かと言って不潔でもない、要は私が一番好きなタイプの、「ほっといてくれる」宿だ。
夫にも電話をして、治癒するまでビジネスホテルで安静にしていることを伝える。迎えにくると言ってくれたが、こちらのほうが東京まで四、五時間かけて帰る体力はないので、当分ホテルに留まることになった。


遠い知らない町でたった一人、病床に埋没する。
胃腸の症状は治まってきたが、高熱の疼痛が酷くなり、寝返りを打つ時もいちいちうなる。タクシーの途中で買ったポカリスエットを一口飲んでは寝、一口飲んでは寝、を繰り返す。
白い天井を見ながら、何だか透明な涙がすうっと流れてしょうがない。不思議な涙だ。ものすごく心細いのだが、不安とも違う、逆に幸福感のある心細さなのだ。
何の音もしない、何の動きもない、何の存在理由もない。ただ白い天井と、白い蒲団と、動かない身体と、気怠い涙の感覚だけがあるこの感じを、どこかで知っている。と考えて、小中高校の「保健室」だ、と思い当たった。


常連でこそなかったものの、保健室にたまに眠りにいっていた生徒だった。心の悩みで、という日もある。その時のあの、水槽の底のような密室感。
白いスクリーン衝立ての向こうから休み時間ごとに聞こえてくる、保険医先生と生徒との会話を聴きながら朦朧とする時間。ずっと何かの装置が、ムーンと気怠げな音波を放つだけの静けさ。消毒液の匂い。具合は悪くても、あの解放感と幸福感はなんだったんだろう。最も得難い上級の孤独、という感じだった。
大学以降にはずっと忘れていた独特な幸福の感覚、それを今、この知らない町の知らないホテルの一室で味わっている。こうやって倒れることによって今、手に入れることが出来たのは、時間でも空間でもない。私だけの「時空」という不可思議なヤツだ、と思った。


ようやく熟睡し目覚めた時には、暗い部屋のテレビがもうテストパターンの虹色画面になっていて、「ぷーん」という発信音波が漂っていた。
それを薄目に見て、ああなんて幸せな孤独なんだろう、とまた変な涙をチョロっと流し、眠りに落ちる。
「旅に病んで夢は枯野を駆けめぐる、だ」と何度も夢の中で、松尾芭蕉の辞世の句を思っていた。


結局私は、そこに三日くらい居た。
ぎすぎす軋む身体で、本当に何もない殺風景な町を歩いて、粥や水などを買ってきて、ホテルのレンジでちんして食べた。
こういうときこそのビジネスホテルである。いいホテルや旅館では、このように病で寝付くことは出来なかったかもしれない。ホテルの人は何も干渉をしてこなかったが、とにかく身体を休めたい私の事情を察し、それとなく助けてくれた。


歩いて初めて、そこが磯原という駅の傍だと知った。
人っ子一人歩いていない、白い埃の中のような町をとぼとぼ行くと、何となく岸が荒んだ感じの川があった。なぜこんなに河川敷が荒れているのか、と考えてようやく、この土地が津波にやられた町なのだ、と思い当たった。


三日目の早朝、大学の仕事に戻るため、私はホテルのフロントの人に礼を言い延滞分の料金を払って、その町を出た。
駅で列車の時刻を見ると、十五分ほど時間がある。病み上がりの身体だが、走って、最後にこの土地の海を見に行こうとした。しかし海は遠かった。歩道橋に上がって、海から来る朝の光を見た。
これまで見た中で一番金色な金色だな、と思った。
病気で寝付いて人にも心配をかけたにもかかわらず、極めて満足の行く一人旅をしたあとのような気持で、列車に揺られて東京に向かった。
# by meo-flowerless | 2016-03-22 11:11 |

事情

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顔まで変えてしまった経歴詐称の人への袋叩きが、メディアで繰り広げられているらしい。
「そいつは昔から嘘つきだった」と、今まで出番の無かった知人たちが過去を広める。
その人物の昔の滑稽なあだ名を記事で知ってしまい、かえってやるせなさを感じる。



ふと読んでいた新聞記事の下のほうに、あるドラマの広告が載っていた。
寺島しのぶ主演の、ある女性犯罪者のドキュメンタリードラマだった。
その女性と言えば、顔の整形を繰り返しながら逃亡を続け、時効ぎりぎりで捕まった有名な犯罪者だ。彼女の人生は、【顔】と言う映画にもなっていた。



片方は本物の犯罪者だ。上の二人の罪の重さを、同列で語ってはいけない。
とにかく外野の人間には、「過去を書き換えてまで実人生から逃げ続けること」への興味が潜んでいるようだ。罪からの逃避度、逃亡の距離、嘘の飛躍具合、が大きければ大きいほど、映画化したり伝説化したりする。



某野球監督夫人の経歴詐称が話題になって、周囲の芸能人たちが手のひら返したようにバッシングをしたことがある。
雑誌広告の見出しでそのさわぎを見ながら、母がボソと言ったことが忘れられない。
「まわりで罵倒する人間に、きれいごと言ってんじゃないよ、って思う。あの時代はみな色々やって生き抜いてきた世代のはずで、経歴の秘密の一つや二つある人も多い。その裏には抜き差しならない事情もある。人なんて後ろ暗いところも探せばあるのよ。けどその嘘の部分だけ取り出して、鬼の首を取ったみたいに優位に立とうとする人間は、必ずいるね」
母は穏やかに見えても、こういうことに関して苛烈な物言いをする。
たいてい、世間のゴシップの騒ぎ方とは逆の視点だ。



母のその言葉を聞いた頃だったと思うが、私は松本清張に魅かれていた。
断罪以前に被害者と加害者含めた人間たちの「人生を網羅する視点」に興味を持った。



いろんな大人を知って生きてきたからかもしれないが、「あの人の正体は結局何者なんだろう」と不明を感じさせる存在に、魅かれることがある。
人の嘘と謎。演出でもなく詐欺でもない、「やむにやまれぬ」「人には言えぬ」が絡んだ不分明もあるということを、よく考える。
【ゼロの焦点】に出てくる、失踪夫の二重生活など、今実際には想像がつかないが、父母の時代や祖父母の時代のさまざまな人の話を思い出すと、さぞそういうこともあっただろうと思うのだ。



何一つうしろ暗いところの無いきっぱりと清廉な人、それはそれでいい。けれど、うしろ暗くないのが全ての正しさの基準みたいになって、その価値観でしかものを見れない人となると、苦手だ。
人は生きていると、何かしら「立場」というものを手に入れる。手に入れ、それから逃れられなくもなる。
自分が「立場」から逃れられない圧迫を、私達は、無意識に小さな逆襲に変え、どこかで晴らす。
その矛先として格好なのが、「立場」に脆弱な嘘がある人、「立場」をそもそも持てもしない人、なのだろう。



野村芳太郎の【砂の器】の映画はビデオで見るずっと前の幼い頃から、母からイメージを刷り込まれてきた映画だ。
「ピアニストの青年が最後のピアノを弾くその音楽にあわせて、父親とたった二人で日本中をさすらい歩いた記憶の風景がずっと映し出される。暗い日本海の波打ち際とか風に揺れる草原がね」
一度思春期に観たとは思うが、改めて昨日観た。いつのまにか泣きながら観ていた。



日本人が日本の風景を知る映像として、【砂の器】を観るといい、と思った。
この背景に横たわる事情は、一人の人間の思いや屈辱を越えている。
戦後の日本を現すドキュメンタリーで素晴らしいものはあるだろうが、松本清張というフィルター、さらに野村芳太郎が映像詩にしたというフィルター、が「一つの時代のどこかに視点として共有されていた」という点に興味がある。
この風景を見、この親子を見て、「実際観たことの無いものであっても確かに知っている」と言える人はいると思う。しかし、表面上の差別的言論統制と引き換えに、この種の甘い涙に誘われることもかえって許されない。今はそんな時代だ。



人間は、生きていれば何かしら、逃げ隠れしなければならない事情が出来るかもしれないのだ。
何が起こるかわからない。
「逃げ隠れるその先は、もう人間界からはみ出し、亡き骸と成りさがる」
と世論は幻想する。
けれど、逃げる人間、隠れる人間の、その漂流のときにしか見ていない強烈な光景は、確実に存在するのだろう。
# by meo-flowerless | 2016-03-18 18:25 | 日記

カカシ山

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東京の端の市、そのまた奥地、というようなところに十年前は住んでいた。
薄暗い山を切り開いた丘陵地の団地。建築群をカードみたいに差し込んだような風景がずっと続く。
牧歌的な地元農家暮らしもごくたまに見受けられるが、土地を団地向けの大型スーパーや駐車場に明け渡す家も多い。
殺伐さにさらに山林が陰影を加えている、それが八王子だ。


そんな風景の中、幾年も前の散歩の途中に、とてもインパクトのある山の畑を見つけた。
狭い斜面を無理矢理段々にしたような畑のそこここに、ハロウィーンの後始末のようなカカシが点在していた。


「うわー、手作りなんだろうな」....って、カカシは大体持ち主の手作りだが。
創意に満ちた人形たちに茫然としていると、畑の上のほうの小屋にいたおじさんに「良かったらゆっくりしていけ」と呼ばれた。
小屋でお茶をご馳走になりながら、世間話をしたりしてぼんやりした。
しかし何を話したか全く覚えていない。
烏骨鶏やニワトリが小屋で大騒ぎしていたせいで、その音の記憶しかない。
おじさんはその並びの小屋にベンチと座布団を置き、変わりゆく団地の丘陵を眺めて暮らしているのだった。  
畑の背後は山になっていて、おじさんとともに山を歩いた記憶がある。タケノコの夥しさに手を焼いていた。


日本のいろいろなところを旅するが、時折通りすがりのカカシのなまなましさやズレた創意工夫に心奪われることがある。
これが「カカシコンテスト」とか「時事ネタを織り込んだカカシ作品」とかになってしまったら、もうだめだ。
純粋に烏や雀を除ける道具でもなく、カカシの造形性を芸術性と言い切ってしまうのでもない、その間がいい。
人がお化け屋敷を必要としダッチワイフを必要とする....のとおなじところのハリボテへの情愛に魅かれる。


ずっとここを再訪したかったが、隣町に引越してから、行っていなかった。
さすがに畑もカカシも取り払われたかな、と十年の月日を経て、冷たい雨のそぼ降る中、今日訪れてみた。
カカシはひとまとめになっていたが、まだあった。
そして、雨のせいなのか、記憶よりずっとホラー感覚が色濃かった。おじさんはいなかった。烏骨鶏はまだ騒いでいた。
山の入口のカカシはもはや、道ゆく人を怖がらせるためとしか思えなかった。


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# by meo-flowerless | 2016-03-14 17:45 |

子守唄とパラソル帽

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綺麗な声の子守唄はどこか怖い。それは心霊談などが広げてきたイメージだろう。
実際にそういう唄を聴いた。別に怖い話ではない。
いまの季節の匂いとともに思い出したから、聴いたのは春のことだったんだろう。



大学時代。
アパートの台所で夕飯を作っていて、ふとガスの火や水を止めた無音の一瞬だ。
どこからともなく、女の子守唄が聞こえてくる。
しばらく聞いていても、どこから聞こえているのかはっきりしない。壁の中からのようでも、天井の上からのようでもある。
そこはかとなく寒気がしたのは、心霊的な怖さではない。むしろ時代感がずれた怖さのほうだった。



恐る恐る小窓を開けてみると、夕闇の表通りに、どうもネンネコ姿の女がいるようだ。
暗くてよく見えないが、確かに人はいる。
住宅に隣接した畑のところで、おぶった子供を揺すって歌っているような気配だ。
鼻歌とも笛の音とも違う、細いゆらゆらした声。
単なる鼻歌ではないと直感したのは、語りかけるような歌い方のせいか。
今どきの若い母親があんなネンネコを着て子守唄なんか歌うか、といぶかったが、祖母が孫をあやしているのかもしれなかった。それならば年の割に声が美しい。
短調の、暗い子守唄だった。何かの春の花の匂いとともにそれを覚えている。



その子守唄を、その後も数回聴いた。
偶然だろうが、なぜか私の台所の小窓のすぐ傍で歌っていたときがあり、その時はさすがに気分的に窓から覗けなかった。
通学の通りすがり、そのネンネコらしき姿が普通に近所の人との話の輪にいたような気もした。大体アパート住まいの学生の私はそんなにしげしげと近所の人の顔を確認することもなかった。
どこの誰かは確定しないまま、声の存在だけを知っているのだった。



夜風に消えるか消えないかのそれが伝わって来ると、はっとして私は一切の音を止めた。
五木や島原の子守唄のような、たぶん同じ哀調の歌だった。ああ、となにか言葉にいえない説得力で、その妙な哀調を受け止めている自分がいた。
自分への子守唄ではないのに、自分を呼んで自分に語りかけてくるような気に、ついなった。
赤ん坊は、あんな暗い歌でいつも眠りにつくのだろうか。
私自身は「ねんねんころりよ」という、母の子守唄に育てられた。母はそれを祖母から受け継いだようだ。
他の家庭ではどうなのか。子守唄を歌うか歌わないかは、家伝のようなものかもしれない。



そのネンネコが立っていた畑のあたりには、ごみ捨場があった。
たまに夜遅くその横を通ると、一人の爺さんがそのごみ捨場に一人でいるのを見かけた。そのたび、びっくりして一瞬冷水を浴びたような気持ちになった。
その老人は、ごみの不法な捨て方をしにくる輩を見張って、そこに居るらしかった。一人で怒りまくりながら他人のごみを深夜に整理していた。



雨の深夜。まさかそんな濡れた場所にはいないだろうと思っていたごみ捨場に、また老人がいた。
土砂降りに降られたままパイプ椅子に、人形のように身じろぎもせず腰掛けているのだ。麦わら帽みたいなものをかぶっている。思わず悲鳴がもれそうになった。
それだけではなく、その麦わら帽の頭の中心から、縞縞の「小型のパラソル」が、天に向かってピョコッと伸びているのだ。傘をささずに監視出来るように、自分で帽子に傘を取り付けたのだろう。
滑稽な彼の姿を見てもとても笑うに笑えず、ああ…という気持になった。



今思えば、その畑は変な地場を持ったような、住宅地のエアポケットみたいな場所だった。
私の中では勝手に、子守唄の女とパラソル帽の男は、同じ家族だと思ったりしていた。
子供や老人の声はするが、若い父親や母親の影の不思議とない、通りの一角。
推測に過ぎないが、若い父母は働きに出ていて、子供の小さい間、実家の祖父母(変わり者)に面倒を頼んでいる。やがて子が小学校に上がると同時に、別の場所に住み、祖父母を次第に忘れていく。
大きくなって何かの拍子に誰かの歌声を聞いて、急に子守唄のことを思い出す。
勝手な妄想である。
しかしあのネンネコ姿が若い母親なのだとしたら、それはそれで別の妄想が広がる。



かすかな声を鼻歌ではなく子守唄だと思ったのは、延々と語りかけるようなうわの空な歌い方のせいだ。
揺さぶりすぎてかえって眠れない、祖父母の孫への愛撫にも似た感じ。
赤ん坊が、親からのはっきりした愛情のほかに、うわの空の呪文のような「親族の誰か」の愛の記憶を持って育つ。
近い愛とは違う、おぼろな霊に近いくらいのそんな愛の記憶に限って、あとから胸が痛むような懐かしさを感じる。そんなこともある気がする。
# by meo-flowerless | 2016-03-11 21:46 |

カスドース

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「カスドース」の包みが、うちに届いた。
長崎の平戸の湖月堂からわざわざ取り寄せたお菓子だ。
もう自分の誕生日に関心もなくなると、その日はいつもの日とともにスッと過ぎるのだが、何か特別なものを食べたいという思いはふと生じる。
それは高級な食物でも珍しい食物でもない。「遠い」食物だ。


昔っぽい素朴な包みを開ける。カステラの元祖、というよりは、砂糖のつぼに落っことしてしまった卵焼きのような、手に持ちにくい外観。味も、そうだ。
この「甘いだけ」、の味の描写は、難しい。
塩ではなく砂糖まじりの涙を流しながら疲れ果てて枕に顔を埋めるときのズブズブ感、そんな印象は健在だった。


「カスドース」は、遠いお菓子だ。
今スーパーで買ったポッキーについては何も書くことがなくても、あの長崎平戸の薄暗い店で眠っているようだった原始的なカステラの淡い甘さについては、どうしても留めておきたい、遠い美を感じる。


自分が何かを書く対象は、過去や失われたことに対するものが多い。
過去がただ魅力的だからではなく、私にとって形容の掴みやすい「遠い」ものごとだからだろう。
私は、遠いもののことは、よく記憶する。
景色でも人間でも遠くから、美しい、手に入らぬと思ったことは、刺しこまれるようなような痛覚とともに残り続ける。
痛覚を、私は書き残したいと思う。
日常に大事なことは多くあるが、妄想の助走距離があまりない、慕情の射程距離が短い、それら「近い」ことは、言葉にはしづらい。


十年前、子供向けの「カステラ」についての絵本の挿画を頼まれた。
私は編集者のFさんと長崎の文章家Aさんに連れられ、長崎の平戸まで十時間くらいかけて、日本におけるカステラの歴史について取材に行った。
平戸はかつて長く異国との交易に賑わった土地だが、東京が首都となった今では西の果てのようにも感じられてしまうところである。
その東京からの道中はとにかくもう、遠かった。感覚では、ヨーロッパなどより遠かったくらいだ。


二人の初老の紳士とともに黙々と、今は寂れたさいはての貿易港を歩いた。
松浦屋敷を見、丘の上のキリシタンの礼拝堂も見た。礼拝堂の中は今は滅多にはいる人もないようで、古い小学校のような優しい匂いがした。簡素だが美しい緑のステンドグラスの十字架から光が漏れていた。博識のAさんがさまざまな歴史の解説を、静かにし続けた。


古い商店街の暗くて簡素な洋菓子屋でAさんが、
「これは珍しいから絶対に食べて。ここにしかない、これが本家のカスドース」と言った。
「カステラじゃなくて、カスドースですか?」
「そう。日本でいうカステラになる前の過渡期にあった原型みたいなお菓子。平戸のこれだけが、今手に入る本物のカスドースなんだ」
こんな薄暗い菓子屋が本家か....と思いながら、そのお菓子を買った。


それは、あわあわとしたタマゴの味を良く感じる、黄色の砂糖まみれのカステラの滓のような菓子だった。その単純で素っ気ない甘さの感想に、一瞬悩んだ。まずいのではない。
なんとも美味しい。ただ、「遠い」美味しさなのだ。言葉の形容から遠く遠く離れた味なのだ。
「わかる?これがそもそものポルトガルのパン・デ・ローや、江戸時代に作られていた素朴な釜のカステラに近いものなんです」


弾圧の前のつかの間の時代、長崎に流れてきてキリスト教を布教したポルトガルの宣教師たちが、自ら焼いて、信者の子供たちに配ったかもしれない食物。
カスドースは平戸藩主の御用お菓子として甘く洗練されたものだが、この甘い感覚というのは、もっと素朴なタマゴ菓子であった中世の頃の庶民も、もしかしたらこっそり経験した感覚のはずだ。
手に入り難い砂糖やタマゴの食物を、はじめは遠巻きに見守りながらやがて口に頬簿って、怖くて眩しい海の果ての西洋に思いを馳せたであろう、戦国時代の人々を思う。
私と同じように身体を持ち、丘に登り、海風を吸い、その菓子を口に含んでしばらく黙った....
そう、同じ人間なのだな。
「時間の距離」ということを、今までにない感覚で感じさせられた。
今ある語彙にも経験的背景にも、この甘さを形容するにふさわしいものが見つからなかった。


遠い記憶ばかりを変に捕まえるこの頭が今も覚えているその旅は、長崎から平戸までの沈黙のバスの距離、佐世保やハウステンボスの寂れた道路の凹凸、金色の残光に溶けていたキリシタンの生月島の島影、
宿の水仙の花の香が暖房で気化して眠れなくなり、外に出て崖上から海の夜明けを一人で見ていたこと、そしてあのカスドースの形容しがたい遠い甘さ.....そんなものたちだ。


船着場で見えない貿易船を幻視するかのように海を眺めていた、AさんとFさんもまた、「遠い」ことへはせる想像力、の話をしていたような記憶がある。
その後幾度か年賀状などやり取りしたが、いいかげんな私はまた音信を怠っていて、お二方がどうしているか知らない。
# by meo-flowerless | 2016-03-08 14:06 | 匂いと味

『The Black Light』  Calexico

今でもはっきり覚えている。
大型CD店の視聴のヘッドホンの中で、この一曲目の暗いギターのイントロが、ジャララーンと胸の琴線を強烈にかき鳴らしたこと。


アメリカの夜の原野で、親指を立ててヒッチハイクをしようとしている幻想。
ヘッドライトに照らされた私の顔はホワイトアウトして、目鼻だけが記号のように辛うじて印象に残り、通過する運転手をぞっとさせる。
夜の雲なのか荒野の岩なのか、青い羊のようなものが過ぎる車窓。鉄で出来ている冷たい月。
いつまでも遠ざからぬ山並を背に、やっと辿り着く蛍光緑色の小さな町。風の夜のワン・ナイト・スタンド。棺桶のようなモーテル....
新宿で勤めていた予備校講師の仕事のスキを見て、三丁目に当時あった「ヴァージン・メガストア」に視聴をしに行き、気を紛らわせるのが日課になっていた。
最初の一音で、新宿三丁目のCD屋から「アメリカメキシコ国境」に意識が飛んだ。



映像喚起的な音楽に、何かの映画のサントラだろうか、と、改めて手に持ったジャケットを見ると、ステンシルグラフィティのような味わいの車の絵に、「CALEXICO /THE BLACK LIGHT」とあった。
脳裏に継続中のテキサス妄想風景のなかで、誘蛾灯のようなブラックライトがプンッと点灯し、「テキサコ」と書かれたトラックがブーンと過ぎる。
しかしサントラでもないようだ。



映画がそこにないのに映画的な音楽を作る人には、興味がある。
自分の絵も「一枚の絵画に絵画的に向きあう」というより、「背後のストーリーを妄想しながら」作るからなのかもしれない。
エンニオ・モリコーネみたいな実際の映画音楽も聴くが、あちらはヨーロッパ的かマカロニウェスタン、こちらはハードボイルド化したマリアッチだ。
有名無名に関わらず、ついそういう映像喚起的な音楽を手にすることが多い。
余技のようにローカルな音楽性を取り入れているものは全く好きではないけれど、このアルバムの大音量でかき鳴らす見立て的映像世界は、別の奇妙な宇宙に繋がっていく予感がした。



「CALEXICOはカリフォルニアとメキシコの合成語、もともと老舗バンドのジャイアント・サンドの二人の、アリゾナ州を拠点にしたユニット」とよく書かれている。
中でもこのBLACKLIGHTは、その後のボーカル的な展開に比べ、楽器がボコボコいうインストゥルメンタルが多い。なまじ深みのある歌より、インスト曲のほうが、歌い、泣いているように思う。
雰囲気的には似ているトム・ウェイツの酒場的澱みより、むしろ「ホテル・カリフォルニア」とかTORTOISEの「Along The Banks Of Rivers」のような、店外のはてしない夜に連れ出してくれる、硬質な空気感がある。



ロードムービーという枠組み、というか観念は、私にとってはつねに、魅力的で不思議な存在だ。
「他人の旅」というものを通じて人は、おぼろげな「私の道」ということを考えることがあるのではないか。もしかすると、自己など問題にされることのなかった、はるか昔の宗教巡礼の時代から。
多数のロードムービーを見ているわけでは全然なく、ましてや本物のアメリカを走破したことないのに、アメリカの荒野を車で放浪する風景を、絵巻のように知っている気がする。
別の国の郊外で感じた砂漠感覚と、観たロードムービー系映画の記憶が相互に響きあって、私の中には勝手な「無国籍アメリカ」が存在する。



ローカルの悲哀、という定番化した虚構の部分を、この人たちの音楽は敢えて請け負っているように感じられる。
しかし、誰かの胸の酔いどれ音楽にも、特有の土地の田舎臭い民俗音楽にも流れないで、抽象化された無国籍の荒野にギリギリ踏みとどまっている。
「誰のものでもない誰かの旅」。  私がこの音楽にインスピレーションを受けた部分だった。
どこかにあるような、しかしどこにもない夜の道の、果てしないドライブ。
彼らのこの、徹底して夜しか感じさせない音のように、自分も黒を背景にした「夜の旅」をいつか絵に描いてみたいと思い始めた。



そんな思いや歌謡曲への思いが入り混じって出てきたのが、2003年の『踊場酒場』や、2006年頃から今も続く『密愛村』のシリーズだ。
とくに『密愛村』は、自分の国内外問わない旅の夜の記憶と、今まで「夜の旅」を感じた全ての音楽や映画への思いをミックスした、オムニバス映画のような気持で、描き続けている。



CALEXICOをイヤホンで聴きながら、google mapのストリートビューで、アメリカだけではないフィリピンの田舎や、イスラエルの砂漠などを旅すると、時空が変に歪んだ荒涼感で、なにか胸に迫るものがある。
マフィアや保安官も流血をせず月を眺める、イージーライダーも思わずバイクを止めて闇に歩き出す、虚構性の荒野。
今も引き続き描き続けている『密愛村』の、「誰のものでもない誰かの旅」を想定した車に音楽を積ませるとしたら、その中に入れたい一枚だ。


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『The Black Light』  Calexico 1998
# by meo-flowerless | 2016-03-07 12:49 |

八丁堀

この間、夜の運動場に水の反射がただ揺らめいている夢を見た。
ナイターの灯に照らされる何かの運動場。80年代のB級映画にはそんなテニスコートや夜のプールがたまに出て来る。12チャンネルでよくやっていたようなSF・エロ・ホラーの要素がいい加減にはいった映画。


その夢から覚め、「八丁堀」に、そんな夜のバスケットコートがあったような記憶が蘇った。
八丁堀。江戸前な土地の名と、B級SFの欧米人感覚のミスマッチ。
無人のバスケットコートは集光灯の白光をさえざえと照り返していた。宝石のないショーケースのようだった。
誰かの家に夜お邪魔する途中だった気がする。川もあり、水の照り返しの上ゆらゆらと橋も渡った。


なぜ八丁堀の記憶があるんだったか。経緯の記憶というのは本当にか細く淡い。
意識を遡ると、「Burnableごみ」という下手な字とともにその夜の記憶がある。
あの辺にあった外国人向けアパートの階段下に、誰か留学生が英語と日本語のチャンポンで書いていた貼紙だ。


そういえば、イタリア娘のフランカの下宿だった。
なぜか同い年くらいのイタリアの女の子の家に三回だけイタリア語を習いに通った。
油画科の級友が数人いた。その中の誰かが、殆ど行きずりのようにたまたま知り合ったイタリア人だった。それ以上の経緯が全く思い出せない。
青く浮遊する町と、下宿の壁にあった子供の落書きみたいな外国人たちの貼紙、ささやかなパーティーの残骸の折紙装飾の色彩だけが、次元スリップした別の星の記憶のように残る。


普段寡黙で訥々と喋る親友のワッコが「あなたの喋り方はイタリア語ではなくスペイン語に向いている。まるでスペイン人のようだ」とフランカに妙に褒められていた。フランカの作るカルボナーラスパゲッティに期待していたが、本場のイタリア人のパスタはこんなにまずいのかと思うほどまずかった。
確か三回しかレッスンがないままフランカが帰国してしまったので、イタリア語も全く上達なんかしなかった。ワッコが数を3まで数える「ウーノ、ドゥエッ、トレッ!」という叫び声が浮かぶから、そこまでは習ったのだろう。
そしてそれだけの記憶である。


そんなことを不意に思い出したあとに、たまたま永代橋から近代美術館のフィルムセンターまで歩いて散歩した日があった。
八丁堀も通った。この土地を歩くことは普段滅多にない。真昼の光景から何の記憶も辿れはしない。
あの不思議な時空、宇宙の星のようだと思った空間は夜の光のなせるわざだったのか、それとも土地自体が変わってしまったのかさえ、わからない。たしかに川はあるが、あれはこの橋を渡った記憶ではない。


バスケットコートなんかももうどこにあるのかわからないだろうな、と思った瞬間、斜めに伸びている細い庶民的な道が、急に目に入った。
おそらくここがフランカのアパートのあった路地だろう、と直感した。
赤いクレヨンの「Burnableごみ」の文字が、脳裏にまた揺らめいた。
連れが先を急いでいたので行ってみはしなかったが、記憶の本丸だけが、むきだしの果実の種みたいに最後に残されている気がして、不思議だった。


あの時のまずかったフランカのツナカルボナーラのスパゲッティの味だけはよく覚えている。これを書いてみたら、それが妙に食べたくなった。
自分も幸い料理はそんなにうまくないし、今日は一人だし、ぼそぼそスパゲッティにしてして作ってみようかと思う。
# by meo-flowerless | 2016-03-06 12:19 |

ミートソース感

スパゲッティをパスタと呼ぶようになって久しい。
けど、パスタという語感ゆえに失ってしまった何かがある。
「ミートソース」感だ。


母がひき肉から手作りするミートソーススパゲッティ、場末の喫茶店で出てくるピーマンとタマネギといためてあるミートソーススパゲッティ、スーパーで買える甘ったるい缶詰のミートソーススパゲッティ、どこかの学食のフカフカのウドン麺にかかったほとんど煮こごりのようなミートソーススパゲッティ。
それぞれの位相で全部、好きである。


何か日常で思うところあるときは、必ず何らかのミートソースを食べる。
三歳くらいのときからあれは特別な食べ物だ、と思っていた。


団地の商店街に「春乃屋」という喫茶レストランがあって、そこのミートソースを食べさせてもらうことが子供のころの楽しみだった。 
赤いパンチパーマの、男みたいなきさくなお姉さんがウェイターをしていた。
男かな?と思ったことがあるが、子供心にも、白い上っ張りのすきまの鎖骨を見て、やっぱり女だ、とわかった。
その人は私にとってミートソースの化身だった。今でもオーマイミートソースの缶を食べると、その人の髪の色を思い出す。


ようするに私の「ミートソース」感は、床屋のガラスにカッティングシールで貼ってある「アイパー、パンチパーマ」の情緒に通じる。
それは演歌とも違う「歌謡曲」であり、ヤンキーというよりはいまは死語の「ツッパリ」に通じる。
あらゆる駅の改装工事前の、暗い地下通路のクサい匂いと、「ミートソース」は友達だった。
「ミートソース」にとっては、イタリアという国の名前はきいたことがあっても「イタリ×アン」なんて言い方は知らないし、ましてや、「−ゼ」「−ネ」「ーニ」なんて語尾は別の宇宙の言語である。



孤独になりたいときと、孤独だなあと思う時に、食べる気がする。
孤独というよりは、私の幼い日の何らかの「自立の芽生え」の記念食なのかもしれない。
仕事の隙にも出張の隙にもそこを抜け出し、よく、どうでもいい喫茶店でどうでもいいミートソーススパゲッティを食べる。


もうひとつ私の恥部を言うと、「クラフトのパルメザンチーズ」を、小缶ならば一食に一缶くらいザーッとかけて食べる。
春乃屋でも、どこの喫茶レストランでも、店の人に眉をひそめられていたと思う。


「ミートソース」はスパゲッティの気の置けない相棒であるが、「ボロネーゼ」なんか、高飛車なパスタの奴隷で、駄目である。
腹へった。今日は自分で作って食べよう。
# by meo-flowerless | 2016-03-05 12:33 | 匂いと味

薔薇と瀬川

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夕闇迫る新宿紀伊国屋付近。
なにか他とは気配の違う花壇がある。埃カスのようなパンジーの群れのなかに、変に屹立する鮮やかな色彩。
薔薇の花が、紅白交互にぐさぐさと花壇の土のうえに挿してある。まるで、笑いながら意気消沈する複雑な年頃の娘、みたいなしおれ方で萎れている。
誰かが、もらった花束を解体して挿していったんだろう。謝恩会か送別会か。そんな花束をやり取りする季節だ。知らぬ誰かの別れの夜更け、もしかすると夜明けの旅立ち、そんな場面を想像する。


この季節、前にもそんな風に置き去りに挿された花を見たことがある。それも薔薇だった。
二次会など渡り歩くうちに萎れてしまう花を、帰宅して家の屑箱に捨てるにはしのびない微妙な気持、は自分にも記憶がある。
私はそういう、微妙な人の心理が乗っかった花が好きだ。生花であれ造花であれ、野に咲く花とは違う美しさを感じたくなってしまう。


そこから数メートル先、ふと人混みに見慣れた顔を見つける。
瀬川さん、今年卒業する大学院生だ。出会うはずのないような場所で出会った私に、いつもの独特な仕草の軟体動物みたいな体で何度も飛び上がっている。


瀬川。学生のなかで私が史上一番プニプニと触り、じゃれついた娘。一番恋の話をきいた娘。素晴らしい色彩と眩暈のするようなスピードの絵を描く娘。
あの赤い薔薇のヘタっとした姿は、制作の合間に真赤な作業服で直接床に座り込み、茶漬をすすっていた彼女にそっくりだ。
今年の春は、そんな彼女も、とうとう見送らなければならない。
# by meo-flowerless | 2016-03-03 22:18 |