画家 齋藤芽生の日記 Twitter/ @meosaito


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ドライブイン愛、再び

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茨城奥地での旅生活での個人的な興奮ポイントは、道路沿いにドライブイン廃墟の良好物件を見かけること、だった。
実際は美容院やスナックなんかだったりすることもある。なんの店であれ、自分にとって「これぞドライブイン」と認定できる、特徴的な家屋の佇まいや色合いがある。
「鮮やかで且つどす黒く、際立って且つ頼りない」。それが私のなかの感覚的なドライブイン条件である。ラブホ廃墟との違いは、「なんか単純」という感覚だ。これがドライブインには大事であり、悲哀を誘いそそるポイントだ。




ドライブイン建築で好きなのは、トンガリ屋根の多用。複合的にアルペン的な三角屋根を折り重ねたり並べたりする構造が多い。「片流れ」の屋根も多い。片方が長辺の三角屋根だ。
もちろん普通の箱型タイプもあり、それはそれで素っ気なく好きだが、トンガリタイプのドライブインの魅力はまた別物なのだ。箱型タイプにはロードムービー的西部音楽なんかが合う。しかしトンガリタイプの背後音には、重い無音がふさわしい。もしくは「…遠くの滝ツボにグランドピアノが落ちたかな…気のせいかな……」くらいの、幽かに猟奇的な気配が。



あの手の建物の窓やドアが、顔の表情に擬人化出来るという怖さもある。その方向で型に羽目過ぎるとオカルト的洋館になってしまうのだが、そこまで行かずに恐怖感を踏みとどめ、日本的「マヨイガ」の懐かしさや、夢から覚めたあとの無常な「砂の城」感もなくてはならない。
自分が閉じこもっていた、まるで子宮みたいな自分の薄皮を脱皮して振り返ってみると、そこに虚しく空洞と化したどす黒い抜け殻があった…普通の箱型ドライブイン廃墟などに感じる切なさは、例えばそういう悲哀かもしれない。廃墟そのものがそういう蝉の抜け殻的いたみを感じさせる。
しかし、子宮的回帰的な切なさとは別の切なさを、トンガリドライブインには感じるのだ。「腸にくる」切なさである。



なんというか、トンガリドライブインを見かけると、「喜びで腸管がブルブルッと震える」。あの感覚は、独特である。しかも、5歳くらいの時から、すでにそうだった。
あの腸管の震える切なさは、一体なんなんだろう。便意だろ、などどいわないでほしい(でも近い)。今でも同じトキメキが体を突き抜ける。



滞在先の大子町へ行く途中、確か名前を「民宿みき」という、素晴らしい建物を見た。三角屋根、ツギハギ建築が橋下部に掘り下げられているような客室構造、テント覆いの多用、グランドの雲梯みたいな鉄筋渡り廊下。しかも色彩が、赤青黄のバタバタした三原色に、ピンクなども入り混じっていそうな幼稚園カラーっぷり。本の一瞬しか見えなかったが、思わず車のなかでも腸が直立スタンダップするような激情を覚えた。
実際行ってみると大したことないのかな。今度きっと行くぞ。



ドライブイン(と自分で認定するところのもの)への愛は、私のなかでは歴史古く、歌謡曲愛や古いものへの執着の、もっと前段階としてあったものだ。
稲垣足穂の【A感覚とV感覚】をかつて読み、最初はその言葉の元である「肛門期的/性器期的」という発達心理学的知識にへえっと思ったくらいだったが、ある日ふと「ドライブインを見た時の腸のふるえ」を思い出し、あれが私のA感覚なのか?と思った。その後そういう趣味に特に目覚めたわけではないのだが。そしてそういう便意にも似たA感覚は、どうも、エロス的体験ではなくタナトス的体験というもののようだ。ある種の子供の感受性には、生の欲動より死の欲動がまず鮮烈な洗礼を浴びせるものなんではないか。しかし何故ドライブインが私にタナトスの魅惑を垣間見せてくれたのかは、わからない。
似たような腸管痙攣的A感覚の切なさを感じるものに、遠くの暴走族バイクの唸りがある。いまビジネスホテルの外にそれが聞こえ、ちょうど思い出した。



そう、茨城県北滞在も終わり、今日は新幹線で岡山まで来たのだ。
ドライブイン動体視力があがっていて、東海道山陽沿線にもたくさんのドライブイン的極彩色建物を見つけた。好きな人を目の前にしながら逃してゆく歯噛みするような思い、を高速濃縮したみたいに、遠く淡く、しかしどす黒く鮮やかなドライブインの姿たちに、腸がキュンキュンした。
書いていてだんだん変態みたいに思えてきたが、言語化しないだけで、皆のなかにも、それぞれのこういうフェティッシュはきっとあるんだろうと思う。
# by meo-flowerless | 2016-09-23 00:34 | 絵と言葉

大子町日記最終日

大子町日記最終日

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# by meo-flowerless | 2016-09-19 14:56 | 日記

大子町日記

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# by meo-flowerless | 2016-09-11 01:45 | 日記

2016年9月の日記

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# by meo-flowerless | 2016-09-08 01:34 | 日記

2016年9月の夢

9月1日

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# by meo-flowerless | 2016-09-01 12:03 |

八月の砂、九月の砂

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焼ける熱い砂の上をビーチサンダルで歩き、波打際で裸足になって立つ。熱さと冷たさの入り混じる中に足が崩れ溶けていく、不思議な感じ。
これをするなら盛夏ではなく、八月と九月の境目の今ごろがいい。日射にひりついた頬を涼しい秋風が撫でていくような、矛盾ある気候のなかがいい。砂の熱さと冷たさ、優しさと残酷さを両方感じる。
「砂の優しさと残酷さを両方感じる」。たとえるならそういう経験で一生を埋め尽くしたいし、そういう経験によって一生をほどきたい。



もし砂というものに自我があったら。それは岩とも水とも違う感情を持つだろう。
陽にも水にも馴染み、熱くも冷たくもある。何かをきつく埋めもし、何者にも掴ませずに散りもする。その変幻自在さは、自我というもののイメージからはほど遠い。けれどそのように存在する自我というのもあるんじゃないか。何をも静かに偲び、ぎっちりと埋め、虚しく風化させる。そういう最終形態のような自我、というのにずっと憧れ続けている気がする。
人らしく暑苦しく蠢かずとも、砂のようでありさえすれば関われる世界もきっとあるはずだ。と、そんなことばかり考える。



八月と九月の境目にはよく、二十代前半の頃を思い出す。様々な場所への旅は、大体この季節に行った。孤独の密度を吟味していた頃。あの孤独は実は、青春を過ぎた今も続いているのかもしれない。
石川セリの【八月の濡れた砂】の、「あたしの夏は明日も続く」という歌詞のように、身体の老いや時の進行とは裏腹に、永遠に時も経ず取り残されたままの自我が、いまもどこかにある気がする。



この歌が、甘い青春の痛みを歌っているのには違いない。が、「あたしの夏は明日も続く」という歌詞の不滅感と不死感には、静かな凄まじさを感じる。打ち捨てられた船や取り残された人の、季節に焼き尽くされる側の痛みではなく、何をかもを焼き尽くしてしまってまだなお残る、太陽の側の孤独を感じる。
「あたしの海」「あたしの夏」、それらを所有するのと引き換えに、この歌の「あたし」は決して、「あたしのあの人」や「あたしの幸福」のようなものは所有出来ないのではないかと思う。



あたしの海を真っ赤に染めて
夕陽が血潮を流しているわ
あの夏の光と影は どこへ行ってしまったの
悲しみさえも焼き尽くされた
あたしの夏は明日もつづく



この曲が大好きで、この晩夏の情緒で一生を生き抜きたい、と思っていた。明るくはじけたりはしない、暗く焦げ付く灼熱。光と影のコントラストの強い、夜のような真昼。不気味に眩しい時間。青春という虚構に冴え渡る孤独。濡れた砂のように、熱さと冷たさ、堅さと柔らかさの入り混じる情緒。



中島みゆきの【船を出すのなら九月】という歌もまた、自分の世界の形成の底にずっと横たわっている一曲である。八月の灼熱が醒めたあとの世界だ。
歌詞の夢幻感だけでない、冷たくはりつめたメロディー、遠い他人の夢の中みたいな声、世界への拒絶や距離をそのまま音にしたような編曲、すべて醒め果てている。
【八月の濡れた砂】の「あたしだけの海」は、つまり「誰もいない海」なのだ。「あたし」のすべては「残骸」のようなものの全てに等しい。濡れて熱い八月と、渇いて醒め果てた九月、この二曲は、自分の中で対のような曲だ。



二十代のころ、薄ら涼しい九月の北海道へ船旅をした光景が、この曲に重なる。
台風後の黒く荒れた海原。銀色のイルカクジラの群れ。遠い国後の島影。ロシア語の混線ラジオ。蜃気楼か国籍不明の難破船か、遠い白い船の影。青々した幻灯のように、脳裏に残っている。



あなたがいなくても 愛は愛は愛は
まるで砂のようにある
人を捨てるなら九月 誰も皆冬を見ている頃の九月
船を出すのなら九月 誰も皆海を見飽きた頃の九月



中島みゆきの歌には、さいはての土地で孤独に生きる時間感覚、たとえば灯台守や誰も来ない山の観測所勤務や、海原の船上で日誌をつけている人々などの持つであろう、ぎっちり密度の詰まった孤独な時間を感じる。
いわゆる「世間」のペースについていけないようなときがたまにある。時勢の雰囲気や様々な風潮に押し流される。そんなとき彼女の歌を聴くと、自分の中の時間の流れ方、ものの見つめ方が、ふと変わる。



この曲もまた「砂」的だ。延々と砂時計で時間が測られている感じ。
砂の凝縮感だけではなく、その脆さや、あらゆる密度が結局無に帰する無常感、も、この歌の底に流れる。
人情の不安定さ、愛の永遠ではなさ、に嫌気がさすとき、無機物や殺風景の非人情にかえって心を寄せたくなる。自分の存在よりも遥か時を超えて残り続けるものたちは、想像を絶するような優しさを持って感じられることがある。風化しようと、言葉なきものであろうと。



これらをよく聴いていた二十代のある日に思ったのだ。
砂のように緻密な孤独を観察することに、一生を賭けよう。徹底的に個と対峙する、そういう人生がこの世の片隅にあることくらいは許されているはずだと。何かを見失いそうになったら、砂を裸足で踏みにいけばいい。
そういう感覚は、今も喪われずに自分にある。
# by meo-flowerless | 2016-08-29 08:10 |

無為無策旅行・ 愛知めぐり

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バス、電車、またバスを乗り継ぎ、知多半島の先端、師崎港へ。
暗い霧雨の平凡な県道景にうつらうつらしていると、時々夫が私をつついて起こす。目を開けるたび、白金色の眩しい視界のなかに広がる海があった。
師崎の港から、小さな船で日間賀島へ。ひまか島という響きがのんきで良い。着いた港の前に、数軒の魚介土産屋が軒を連ねている。一軒の前には「暇持て余し用」の椅子が三つくらい出してあり、椅子の背後の硝子戸に、ひらがなの「ま」の一字が書いてある。「ま」という字も何かまぬけで良い。
海水浴客や釣客に全く会うことのない集落の路地を、一時間ばかり、ひたすら歩く。
大きく育ったイチジクの木の多い島で、実がたくさんなっていた。

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# by meo-flowerless | 2016-08-20 21:30 |

ラシャ紙への愛

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世界堂の紙コーナーで色紙を物色していて、A3、B4などほとんどの紙サイズの棚が「タント紙」に占拠されているのにがっかりした。がっかりした、と言ってはタント紙がかわいそうなのだが、同じようなプレーンな色画用紙でも「ラシャ紙」の各サイズが揃っていて欲しいのだ。



ラシャ紙は、日本人ならたいていの人が図画工作教育で一度は手にしたことがあるであろう、歴史の古い、日本製の色紙である。小学校の図工室の紙棚の匂いや色彩を思い出し、ノスタルジックな気分になる。
色数は現在120色もにのぼり、それぞれ「ひわ」「たばこ」「ときわ」「あざみ」「かすみ」などの日本の色名がついている。特急の名前のようで良い。
町の文房具屋でさすがに120色全てを揃えている所は少ないだろうが、一枚一枚色見本で丁寧に見ていくと、目に優しい懐かしい色合いばかりだ。それとも、幼児体験にラシャ紙の記憶が先に刷り込まれたから、そのような色合いを無意識に好むのか。



ラシャ紙の名前の由来は、起毛服地の「羅紗」の質感のような暖かみを目指して作られているから、らしい。1940年代から作られている、日清紡開発と竹尾販売のロングセラー品である。
世界堂本店では今、ラシャ紙は巨大な四六版の大きさのみ売っており、店員に言って一枚一枚出してもらうような売り方である。椅子に上って恭しく一枚一枚丁寧に引き出してくれる店員さんの姿を見ながらこれを買うと、少し感動が増す。まあ、だからいいのかな。



かたやタント紙を自分が画材屋で見かけるようになったのは、浪人生の頃だった気がする。もっと前からあったのかな。わからないが。
色の美しさや少し凹凸のある表面、高い質に間違いは無いのだが、自分個人は、最初手に取った時から、なぜかこの紙種が好きになれなかった。素材には作り手との相性というものがある。タント紙は特に色彩が、自分にとっては、なにかはねつけるようなよそよそしさがある気がしてならない。
質感にしても、多様な色材ドローイングには耐水性が過ぎ、鉛筆やコンテなどのデッサンには滑り過ぎ(もともと描画用紙ではないだろう)、工作には厚みが薄すぎる。
でも、このタント紙が世間一般に受け入れられることは理解出来る。なにか表面的なキャッチーさはある。PC世代の感性を感じる。
いまこの記事を書いていてキャンソン社の「ミ・タント紙」とこれを間違えていた。タントは日本製のようだ。ちなみに凸凹の強いキャンソン紙も使いづらくて自分はほとんど使えない。



他の紙と比べれば比べるほど、暖かい手ざわりのラシャ紙への愛が募る。
「かつての日本の各企業、職人や技術者のものつくり精神」という自分の中の戦後や昭和のイメージをそのまま地でいくような、堅実な高品質さ、愛着を持てるわかりやすさ、くせのない使いやすさがある。これが無くなってしまったら、自分の寿命も物悲しく縮んでしまう、そんな気さえする。
「ラシャ紙」は「トーヨーの教材おりがみ」の古くからある素晴らしい色出し(特に蛍光に近いピンク群の素晴らしさ)と合わせて、日本人による日本の商品として、決して無くなって欲しくないものである。
どちらも一度、工場見学で制作行程を見てみたい。
# by meo-flowerless | 2016-08-11 17:30 | 絵と言葉

私的昭和キラキラ史

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いま聴くと【キラキラ星】という曲は、その題にふさわしい優しい音楽だと思う。キラというのが英語ではtwinkleという美しい響きなのだと知ったのは、幼時この曲を覚えたおかげだ。しかしまたこの曲から直接的に夜空に光る星をイメージすることが出来ないのは、耳にこびりつく自分のへたくそバイオリンの調べのせいだ。
三歳の時初めて小さなバイオリンを持たされて、同じ団地の若い男の先生のところに習いにいくようになった。とても優しくて素敵な先生なのが良かったが、自分のバイオリンの音は一向に優しくて素敵にはならなかった。
鈴木教本の一番最初の曲が【キラキラ星変奏曲】だった。様々な弓使いの練習のために【キラキラ星】をいろいろなリズムで刻んで弾かなくてはいけない。「ギギギギギッッギ」という潰された蝉みたいな自分の音が、この曲の記憶のすべてを支配してしまった。

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幼いとき、何時頃に寝かしつけられていたのかは覚えていない。真夜中、尿意や寂しさなどで急に起き、寝ぼけ眼でテレビのついている居間にふらふら歩いていく時間帯があった。必ず母が「どうしたの?おトイレ?」と優しく笑って振り向いた。
その必ずの向こうに、もう一つの必ず、があった気がする。【スター千一夜】のオープニングテレビ画面である。同じ時間に起きる癖があったのだろう。言葉を覚えるのは早い子だったので、スターの意味もなんとなく分かったし、発音は分からないが千・一・夜のそれぞれの漢字の意味も分かった。ただ、しばらく「ちいちよ」と読んでいたと思う。



ああ、「夜」…。その文字は印象的だった。「夜」か「タ」の文字のどこかの点が星になっていて、キラリンと煌めていた。
「キラ」という煌めきに、現代人はほぼ、ウィンドベルをかき鳴らした音をイメージするのではないか。形はやはり、十字やダイヤ形の点滅するイメージだろう。それまでその一般的「キラ」をあまり理解出来ていなかったのだが、真夜中の母の笑顔の向こうの【スター千一夜】こそが、キラキラの凝縮形態との出会いだったと思う。親の役目を解放されてぼんやりとくつろぐ新鮮な母の顔と十字&ダイヤ型の光とともに、真夜中の時空への誘い、大人の深い時間帯の憧れ、宇宙の遠い距離…が自分の中に定着された。



それからというものしばらく、なんにでもキラキラの形を書き入れた。ただし、★という星の描きかたを親に教わってしまってからは、十字型のキラキラをほとんど絵に描かなくなってしまった。これは70年代少女漫画から80年代少女漫画絵の移行期の、はやりの記号の変遷ともリンクする。十字形のキラキラが古くさい、というイメージになってしまったのだった。
今では十字形のキラキラのノスタルジックな汎用性のほうが好きだ。



写真にある自作の定期券にも、しきりに★を書き入れている。というより、いまみると「ある所⇔そこの所」という大雑把な時空の広がり感が凄い。昔の私のなかには宇宙が広がっていたのだろう。今辛うじて残っているのは「どういうところ経由」という中途半端な寄り道感だけである。



さきほど調べてみたら【スター千一夜】の放映時間はたかだか20:00前後だったようで、可笑しくなった。私はあれが真の「真夜中」なのだと思っていた。今ならようやく大学の仕事が一段落つき、自分の一日が始まる時間だ。


:::


自分の中の「キラキラ」の五感的最高形態はいったん、小学生頃に発売された【宝石箱アイス】で完成を見た。そんなにロングセラー商品でもなくわりと高かったカップアイスだが、昭和の菓子話ではよく登場する伝説的アイスだ。
縁をラウンドにした立方体に近いカップは、黒い色をしていた。そのデザインが素晴らしかった。蓋に赤、黄色、緑のそれぞれの味に合わせた色の宝石とも氷とも十字星とも言えないキラキラしたものの写真が印刷され、白い細斜体文字で【宝石箱】と印字されている。【スター千一夜】を思い出した。



なんて素晴らしいのだろう、高いけどこれは売れるぞ、と一目見て思った。バニラではなくミルクのアイスに、ザクザクと色のついた氷の粒が混じっている。それを宝石に見立てているのだ。とくに「エメラルド=メロン」の味が最高だった。高級というより、洒落た味わいだった。
やがてどこの菓子屋でもアップルカクテル味しか見かけなくなり、【宝石箱】の廃番に気付いた。子供心に寂しかった。ときめきをもう一度、と思っていた。
その頃にはテレビ番組【スター千一夜】も終わっていたようで、自分が夜の時間にそれを観覧することは、その後なかった。


:::


一回「キラキラ」に撹乱が起こったのは、地元八王子のカルト盆踊り曲【太陽おどり(歌・佐良直美)】によってだった。
盆踊りの時、変なエグい曲がかかるなぁ、とは思っていた。しだいにそのゴーゴーサイケな編曲や中性的ボーカル「はっぱキラキラキンラキラ、ハァ!キンラキラキラキンラキラ」というわけのわからない歌詞が気になり始め、違和感を覚え出した。
丸顔にラウンドカットの、男か女かわからない、いつも笑顔のままで低音の歌を歌う佐良直美が、当時は意味もなく恐くてしょうがなかったので、ご当地盆踊りをあの人が歌っていると思うといやだったのだ。
「葉っぱのなにがキラキラすんだ?キラキラは太陽ではなくスターではないのか?しかも、チラチラともギラギラとも聞こえるあの発音は、何だ?」



しかし大人になるにつけ、昭和の歌謡曲に嵌まり、【いいじゃないの幸せならば】の佐良直美の深い歌唱力に嵌まり、【太陽おどり】が「ひとりGS歌謡」の名曲だと気付いたのだった。
夏祭りには八王子のどこででも、彼女の声の原形をとどめない焼き直しテープの【太陽おどり】を聴けるけれども、音源がちゃんと聴きたくなった。ようやく、八王子中央図書館に三本しかないテープを借りて聴くことができた。が、こともあろうにそのテープを誤って延ばしてしまう、という罪を犯し、貴重な【太陽おどり】テープは、図書館に二本になってしまった。数年後に行ってみたら、もう皆無だった。生涯最悪の罪悪感は、これである。



「はっぱキラキラ」の歌詞は、今でもちゃんとした意味を知らない。葉っぱは、高尾山の葉っぱのことである。
太陽、平和、キラキラ….60年代後期〜70年代初頭のキーワードをただぶち込んだだけなのだろう。平凡な歌謡盆踊りになるところが、GS的アレンジと佐良直美の絶妙なボーカルで、またとない名曲になっている。地元のファンキーモンキーベイビーズがカバーしていた。
youtubeで「世界でいちばんナウい新八王子音頭」という題で太陽おどりをあげている人が居て、馬鹿にされてるなあと思いつつ秀逸。やはり名曲。
先日近所の盆踊りでも、しょっぱなにかかっていた。夏の間、どんなに音声が悪くてもあの「はっぱキラキラ」を聴かないと、夏を過ごした気がしない。
今年初甲子園出場の八王子高校は、ブラスバンドも全日本レベルらしいから、どうか応援のブラス曲に「はっぱキラキラ」を取り入れて欲しい。滅茶苦茶応援してるぞ。テレビないけど。
# by meo-flowerless | 2016-08-02 22:40 | 絵と言葉

2016年8月の夢

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# by meo-flowerless | 2016-08-01 07:29 |

2016年8月の日記

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# by meo-flowerless | 2016-08-01 06:26 | 日記

個展 【密愛村Ⅳ〜不気味な女】

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The Godess of Weather Disturbance / 不安定な気象の女神 2016 60×60cm 紙、アクリル


齋藤芽生個展  【密愛村Ⅳ〜不気味な女】(リンクあり)
7月13日(土)~8月13日(土)、ギャラリーアートアンリミテッド(東京・乃木坂)にて開催です。
営業時間:13時〜19時
休廊:日曜・祝日・火曜

歌謡曲的な男女の虚構の世界を描いてきた『密愛村』シリーズ。その第四シリーズは、私自身を取り巻く女性性を考えるために描き始めた。
女が社会での何らかの役割を演じるのをやめたとき、姿の見えない世論の総攻撃が何故かそこだけに集中する風潮。女という性が不気味に宙吊りになる、新たなる「魔女狩り」時代の幕開けなのだろうか。いまの私は、それに抵抗しようとする自分の中の感覚の蠢きを描こうとしているのかもしれない。



今秋、大原美術館 有隣荘での個展を控え、「密愛村」と「野火族」を発表します。おぼろげな顔の女たちが登場する妖艶で不思議な絵画世界。ご高覧ください。


【予告】
平成二十八年 秋の有隣荘特別公開
齊藤芽生
会期:10月7日(金)〜23日(日)
会場:大原美術館 有隣荘(旧大原家別邸)
住所:岡山県倉敷市中央1-1-15
お問合せ:086-422-0005 (大原美術館)

# by meo-flowerless | 2016-07-26 18:06 | 告知

女の写真

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花園神社は久しぶりである。骨董市をやっている。
中国人のおじさんが番をしている或る露店。
壷や筆などの他に、毛沢東時代の中国人の集合写真、香港辺りのレトロポスター、カー&女の絵が入れ替わるレンチキュラーシート、などが並べてある。
端のほうのダンボールにはどこの露店にもよくある、アルバムの切端や白黒写真の山。兵隊の出征写真や写真館で撮った家族写真などには、触れてはいけない他人の人生の質量を感じる。が結局、いつもその山を、癖のようにぼんやり漁ってしまう。



その山に、ビニール袋に小分けしてある写真の束がいくつかあった。
もしやと中の束を開いてみると、やっぱり。女の局部のドアップの写真が出てきた。思わずデヘッと笑ってしまう。白黒の陰毛写真や、開脚の女の股などの写真も重ねてある。
こういうのを撮っては温泉地などで売って小銭を稼いでいたかもしれない、昔のチンピラのような便利屋のような男を想像した。顔は小沢昭一だ。



その他の普通の家族や観光写真の山の中にも、時折、同様のエロ写真が単独で混じっている。
青いような桃色のような淡さに色褪せた、カラー写真のヌード。白いシーツの上で、顔も体もフツーの女性が、これでもかというくらい開脚してそこを見せている。女のモモには蚊に刺された痕がある。
箸にも棒にも引っかからない素人ポルノグラフィーなのに、なにか妙に魅かれる。エロでも色気でも美でもない、胸がギュッとするような良さがある。
おそらく昭和四十年代くらいの写真だと思うが、多分その頃の商業モデルならばもっと特有の仏頂面をしていたと思う(イメージ)。けれどこの写真の中の女性には、カメラの主にたぶらかされた「その辺の主婦の匂い」がむんむんする。
うまいことのせられおだてられ、ちょっといい気になっている平凡な女の顔は、哀しいほどきれいなことがある。



むかし山林などに捨てられていた雨ざらしビニ本のページに垣間見えるヌード女の顔には、妙なドロンとしたまなざしがあった。
子供の私達は棒でつついて湿ったページをめくった。その中に垣間みる女たちの表情は、当時の自分にとって裸体より衝撃だった。別にスタイルも良くない美人でもない女の、胸に隠し星が乗っかってるような写真に限って、えもいわれぬ暗い恍惚の表情をしていた気がする。いとこの部屋の「平凡パンチ」の女にはない顔だった。



自撮り時代のナルシスティックな現代の女からは、永遠に消えてしまった表情なのではないか。
カメラと目を合わさず伏せているが、とろんとした目。恍惚まではいかない恥じらいの中に一抹のノリと、心身を半分だけ開きかけているツヤのようなもの。自意識から発するのではなく引きずられて出てくる「なまめかしさ」、死語。
決して褒められたものでもないのに妙に感心してしまって「白い蒲団の開脚写真」に真剣に見入っている私に、同じように古写真を漁っていた中国人観光客の女の子が、思い切りドン引いている。
そうだな、私がこの写真を持っていてもしょうがない。



このエロの何が、こんな「純に」胸を打つのか。
単純に、その時空には男と女しかいなかっただろうから、だと思う。それはどんなにうらぶれていても、ある意味の蜜月なのだ。
ジェンダーから性をあぶり出す表現などに立ち会うとき、こっちの意識に絶対に入り込む批評性というか説明的なものを、過剰と感じる。そこに生きざまや社会を読み取らなければいけないときは、尚更だ。表現者本人がその気ではなくとも、表現された場には余計な第三者たちのまなざしが付加される。素人の男が撮った素人の女のド下手写真のドシンプルな蜜月性に、ひっくり返っても叶わない気がしてしまう。



しかしそもそも、この良さを「表現」なんていうものの世界に無理に引っぱってこようとすれば、蜜月性が消えるのはおろか、官能にも情緒にも何かしらの正当な大義名分が必要になり、その本質は泡と消えるだろう。自分自身の表現が超えられないのもそこだ。



そんな写真の中に、ふと、構図も状況も渋いのが一枚あった。
白黒写真、蒲団上の臀部。重ね焼きの失敗なのか、シュミーズの上にもう一枚ベールがかかっているような。畳の上には牛乳瓶....かな?違うかな?。室内の生々しさがいい。
もう一枚別の、それは普通の、男女が婚礼の前に廊下で一緒に歩いている瞬間の写真。
それも絶妙にいいので、その二枚を中国人のおじさんから買った。


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# by meo-flowerless | 2016-07-25 01:51 |

別府温泉の海綿手品

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いかにも地獄という言葉を好みそうに思われるが、自分にとっての地獄のイメージを冷静に遡っていくと、温泉に行き着く。
別府鉄輪温泉の「地獄巡り」のせいだ。
いかに地獄のような宿題に終われようと、地獄のような片想いに身を焦がそうと、昔から「はぁ〜地獄だ」と溜息つくたび、脳裏に赤茶色の温泉池がぼこぼこと泡を立てているのが見える。別府血の池地獄である。「もうだめ....死....」くらいにまで疲労が達して見える灰色の不気味な泥世界は、別府坊主地獄である。



思春期に別府を訪れるまでに、私の頭には既に色とりどりの泥地獄のイメージが出来上がっていた。母は大分を点々と移り住んだが、回想する時に一番多いのが別府の話だったからだ。
煉瓦を溶かしたような赤、ミントアイスのような水色。
不思議な温泉池の色たちを事前に正確にイメージ出来ていたのは、母の形容が的確だったのだと思う。おどろおどろしい血の池地獄より、涼やかに青い海地獄が100度の熱さだ、というようなギャップが、「美しいものは怖い」という信念をさらに掻き立てた。



初めて訪れた時には、池そのものよりも、「地獄の釜」的に硫黄汚れした温泉施設の建物や、ホテルからの湯気に圧倒された。工場群が無機質な内臓のように生々しく思えることがあるが、剥き出しの温泉施設の配管やポンプは、別種の黄色な内臓のように感じられた。
くたびれた地獄の動物園の獣たちの倦怠感が、温泉毒にやられる日常を見せつけてくる。濁った水にサンゴ色の嘴の黒鳥が泳いでいたり、巨大な黒い猛禽類が目の前で翼を広げたり、晴天の空が黒いくらいに青かったり、「別府にはコントラストの黒い影がある」というイメージが焼き付いた。



一通り観光を終え、親が疲れて宿で眠ってしまうと、私はぶらぶら土産物漁りに出た。
暇そうなおじさんたちが店番をしている店。ただでさえ古びた温泉世界から、逆レンズで昭和初期を覗いたような色合いが、レジの後ろ辺りにぶちまけられている。見世物小屋の楽屋裏というのはこんなだろう。
蛍光色のエビやカニの玩具をひたひたと水につけている水槽、金魚鉢などがレジまわりにゴチャッと置いてあった気がする。安花火の染料が雨で沁みた色、褪せた水中花、そんな色の空間。



濃い青空の記憶からすると、季節は決して秋冬ではなかったはずだ。
けれど派手な花柄の「ドテラ」を着た男の人がいた。
劇場幕のようなカーテンの向こうの畳には、ストーブの赤い灯があったイメージさえある。ドテラ男はカンカン帽をかぶっていた。古物屋の主人によくいる感じの「シレッとした根暗な丸顔」だったように思う。



私の視線を感じたドテラ男は新聞から二、三度顔をあげて私を見て、三度目でおもむろに話しかけてきた。「手品見せてあげるよ」
唐突だったが、既に先方のいでたちが唐突にふさわしいので、驚きもせず私はうなずいて男の前に立った。散らかった机のどこかから男はポヨッと赤い柔らかいものを手の中につかみあげ、レジの混沌の中のどれかの水槽の水に、一瞬それを浸した。
「手品というよりも、まずこの海綿がチョット珍しいんだよね。大分でしか手に入らない」
「海綿.....」
「こう水につけるのがポイント。海綿だからね」
言いながらドテラ男は手の中で濡れた赤い海綿を揉んでいる。



「城下ガレイはもう食べた?」「いえまだ」「是非食べなさいよ」のような覚束ない会話の間も、ずっと男は海綿を揉んでいる。
「別府湾のね。非常に特殊なところに、この海綿がとれるところがある」
と少し遠い目をして男が言う想像の先にぼんやり別府の海を想像しかけたときだ。男の手から、さっきの塊の子どものような小さな赤い丸い海綿の玉が、ころころ、次々とこぼれだしてきた。
「あっ!!!」



もう一度見せてください。とせがむと男は「何度でも。だって特殊な海綿なんだもん、自由自在」と言いながらまた揉み、手の中ではまた一つの赤い丸い塊に変わっている。
「ええ、どうして?手品ですよねこれ、どういう仕掛けなの」
「仕掛けも何も、そういう海綿なんだって」
揉んではぱっと手を開き、揉んではまた開きを繰り返し、その度に赤い海綿は分離したり親玉に戻ったりする。「海綿」という言葉が私の想像力を狂わせた。暗紅色の海綿が豊後水道に漂っている様を、夢のように思い浮かべた。その海綿だけが、手品、とか仕掛、とかいう言葉から勝ち抜いて、頭に残る。
そして何より一番の魔術的なせりふを、とうとう男は私に言ったのだ。
「こんなの、珍しくもなんでもねえよ。その棚に売ってるよ、いくらでも。800円」



【SPONGE MAGIC】とか何とか商品名が描かれた安っぽい箱を、宿の部屋で私は開けていた。
両親が、何か言いたそうだが言わない、と言う顔でちらっと見ている。
箱から出てきたのは、赤いスポンジの球(大1ケ、小9ケくらい)と赤いスポンジの鳩だった。
自分が思い描いていた豊後水道の海綿と随分違うな、と、いやな予感がした。
説明書の通りに、私はスポンジを弄った。
「スポンジボール小を小さく折り畳んで、スポンジボール大の穴の中に押し入れます」
穴ってなんだよ、と思い手にとると、スポンジボール大は真中がぱっくり空いた袋状になっていた。それに、あれ?水に浸したりしなくてもいいのか。もみもみして、揉んでいるうちに大ボールの穴から、畳んだ小ボールを揉み出します。以上、終わり。




.......そうだよな、魔法の海綿なんかじゃないよな、と独り言を言っている私に、母は「今気付いたの?」と冷静に言い、父は、「ばかだねぇ」とあくびまじりに言った。やけになってその旅行中スポンジ手品をマスターしようとしたが、難しくて出来なかった。



20年近く経って今度は夫と、また別府を訪れた。
硫黄の匂い、温泉卵の湯気のもうもうと立つ中、だみ声の投げやりな調子で、地獄池を解説している拡声器の男がいた。
顔は定かではなかったが、そのカンカン帽姿を見て、瞬間的にあのドテラ男だ、と思った。
だとしたら、相変わらず投げやりながらも、前見たときよりも真剣に仕事をしていた。



九州育ちの母も自分の幼時体験の中にただの一度も地震の記憶はないと言う。
久住高原、別府、博多.....親族がいたり母の縁故の土地だったりするだけではなく、熊本では市立美術館での展示や作品収蔵など、自分にとっても縁が深い九州。
思い出の中にあるというよりも、九州と四国は、いずれ移り住みたいと思うくらい好きな土地である。
被災のことも今後のことも、心配でならない。
# by meo-flowerless | 2016-07-23 12:36 |

個展 【密愛村Ⅳ〜不気味な女】

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齋藤芽生個展  【密愛村Ⅳ〜不気味な女】(リンクあり)
7月13日(土)~8月13日(土)、ギャラリーアートアンリミテッド(東京・乃木坂)にて開催です。
営業時間:13時〜19時
休廊:日曜・祝日・火曜

【不気味な女】

不気味な女がいる。遠くにひとりでいる。自由に彷徨っている。
こちらの出方を待っているように見える。誘いかけているようにも見える。精霊かなにかなのかもしれない。まがまがしくて、あれに近づきたくはない。きっと、夕陽に闇に乱反射に向かって人の存在をひもといてしまう。狂おしく光る海や深い夜への扉を、開いたりしてしまう。
あれは封印されている女だ。なにかの引導を渡す女だ。霊媒をする女だ。岐路や境界に立つ女だ。眩しさと暗さの、いずれもの元凶。あの女に選ばれても恐いし、選ばれなくても恐い。人からもっと遠く存在する限りはあの女も、ひとつの聖域であり続けるのだろうけれど。


今回の「不気味な女」のシリーズのいくつかには、精霊か地霊のような女が出てくる。【密愛村】のシリーズで隣に寄り添っていた男は姿を消した。【野火賊】で不穏な同盟を結んでいた集団からは放逐されひとりになった。ここにいるのは、そんな解き放たれてぼんやりした女、存在がむだになってしまった少女たちなどだ。いかにも不気味な有様などはしていないが、私は彼女らにまがまがしさを込めて描いている。これからの続編には、もっと自由でうわの空な少女、ひとりで秘事に没頭する狂女、わけもなく孤高な女、そんな者たちが登場するだろう。


ひとり遊びを好み、憧れの何たるかを知らぬまま憧れ、夢想の世界に遊ぶような女は、少女であろうが成人であろうが、世間からたしなめられる。制裁を加えられる。ある種の天然に生きるような女は、きっとなんらかの魔女狩りに遭う宿命にある。古今東西、かわりなく。


魔女狩りを恐れる女たちは今や、自分の社会的価値や役割をうまく纏うようになるばかりだ。しかも、世間からの押しつけでもなく自ら選び取ったかのように纏ってみせる。
世間を渡り歩く女性の生きざまなどを描きたくはない。私なりに節度を持って社会生活していたりするのだけれど辛い。ジェンダーとして語られる女にも興味がない。美少女の市場価値にも興味はない。
立派に役割のある女など、まがまがしくもなんともない。まがまがしさと懐かしさの混在する所にしか私にとっての美はなく、その美にずっとふけっていたい。本当は。


遠い女。神出鬼没の女。孤独な夢に遊ぶ女。自然に近い女。常識から放逐された女。社会を知らない女。
いまの世間からは何となく浮いてしまい沈んでしまう、他者にとって凶と出るか吉と出るか全く読めぬ存在、不穏で扱いにくい不気味な人影が、私には慕わしく懐かしい。



 【懐かしい女】

小川未明の【牛女】は、私にとって忘れられぬ童話の一つだ。
村人から多少の嘲笑を含め【牛女】と呼ばれる、言葉を語れないが気は優しい、力持ちの大女がいた。彼女は村人のぶんまで力仕事を買って出つつ、共同体にささやかな居場所を作った。
彼女はたった一人の息子を残し病死する。しかし冬になると遠くの山に積もる雪の形が、女の面影になって毎年現れる。彼女は、息子や村を見守る、いわば地霊になったのだ。
 

地霊としてあり続ける在りかた。言葉無き無限の言葉。私のなかの究極の「女」というものの原型は、この【牛女】なのかもしれない、とたまに思う。
小さい頃初めて読んだ時に、号泣した。その涙の感覚は、今もあまりうまく説明出来ない。ただ一つ覚えたのは、「懐かしさ」はつねに「取り返しのつかなさ」とともに存在する、という感覚だ。
一児の母親としての包容力でこの童話を読み解こうとするのは簡単だ。が、そういうふくよかさよりもっと深い寂寥を、私はこの童話に感じる。全ての雌が生殖不能にならない限り、生理としての母性はこの先も減少こそすれ生命体に受け継がれ、語り継がれるだろう。しかし【牛女】に漂う、どうにも行き場の無い喪失感は、そのように自然に還ることの循環性とは、ちがうところから来るように思う。
 

村人の見る錯覚の牛女の面影には、彼女を軽く蔑んでいた自分たちの後悔と憐憫がほのかに入り交じる。それ故に牛女の地霊としてのまなざしは、決して優しいだけのものではない。取り返しのつかなさ、手の届かなさ。忌まわしさ、恥ずかしさ、悔い。そして諦め。残された者たちにそういう人間感情を教える存在は、微笑みながらも手厳しい。
 

「懐かしい」という感情は、アンビバレントを帯びた感情だ。レトロ商店街や懐メロ風ポップスのように甘く価値化された暖かみのことを私は言っているのではない。
私達はあの感情に助けられ励まされることもあるが、激しく切なく心身を削られることも多い。人というものはせわしなく人生を送るうちに、この甘美でもあり過酷でもある「懐かしい」感情に耐えられなくなる時が来る気がする。どこかの時点でそんな複雑な心の揺れを、手放す判断を下す気がする。
 

「懐かしんではいけない懐かしいこと」を不意に思い出してしまう時に、手厳しい寂寥は襲いくる。
人は、自分の愛する懐かしい感情をなぜか同時に恥じ、自分の誇る懐かしいものになぜか自嘲を込め、自分が語りたい懐かしいことになぜか押し黙る。懐かしいことはときに不気味であり、さらに罪悪である。私達は懐かしい対象に、制裁を加える。私の描きたい女の姿は、押し殺され封印された懐かしさの、化身の姿もといえる。
# by meo-flowerless | 2016-07-18 02:38 | 告知

【天国と地獄】  黒澤明

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私は全く映画通ではない。が、とにかく好きな映画だけをDVDで何遍も何遍も観る癖がある。
東西新旧問わないが、しかるべき時にしかるべき音楽が流れる、というのが好きな映画の共通点かもしれない。
【天国と地獄】(1963)は黒澤明の大傑作中でも、数多くはないクールな現代劇だ。
原作は、エド・マクベイン【キングの身代金】という推理小説、子供の取り違え誘拐を巡る大人たちの心理劇、という内容。この映画が切っ掛けで、誘拐事件が多発する社会現象になったともいう。



靴会社の常務に三船敏郎、貧しい医大生に若き山崎努、刑事に仲代達矢、という配役。
ギラギラした駆引きを想像するが、前半のモダンな邸宅での室内心理劇のせいか、全体の印象がひんやりクールな感じがする。特に仲代達矢が、他の映画に比べ、抑えた存在感で非常に格好いい。
黒沢好きなら別だが、まだ観たことのない他人にこの映画をお勧めしても、前半のシンプルなセット撮影の演劇のような流れで、退屈してやめてしまう人もいるかもしれない。
逆に映画好きは、前半の緊張感ばかり評価するみたいだ。



後半、カメラが高台の下の貧しい町に紛れ、犯人が暗示されるところから、画面、音楽ともに、目くるめく展開を始める。圧巻の流れをバッチリと支えているのは、その時々その場所に流れ来る、音のキマリ具合だ。
ドブ川のほとりの貧しいアパート、ラジオから流れるシューベルトの【鱒】。緊迫した場面での特急こだまの列車音。酒匂川のシーンで印象的に流れる、テーマ曲の高らかなトランペット。捜査会議での、一人一人の捜査員の冗長なまでな報告。
伊勢佐木町の夜の多国籍ビヤホールで流れる南国的ジャズ。黄金町の麻薬窟で中毒者がトタンを引っ掻く感覚。推理の決定打となる、湘南電車の軋み。
そして、高台の別荘でラジオからの美しい【オー・ソレ・ミオ】。
多くのシーンに、絶好な音楽があり、絶妙な環境音を通過する。何度も観ても「来た!」と毎回、思う。音にこだわりのある映画監督の映画にはPVみたいでイラッとするものもなくはないが、さすがに黒澤明の映画の音楽にはいつも興奮させられる。



犯人はひじょうに冷酷無比で、なににも溺れない。
彼のいるシーンでの、楽園を思わせるクラシック音楽は、どこか「麻薬的」なロマンチシズムの増幅を感じさせる。その楽園は、転落と紙一重の楽園だ。映画タイトルがぴったり来る。
この映画は音楽が違っただけで、犯罪心理の描写が無理なものになっただろう、と思われる。
彼とともに流れるミスマッチな甘ったるい音楽がいちばん、彼の動機のニヒリズムを感覚的にあらわしている。「他人の幸福の音」、「世間の勝ち組の奴らのバックグラウンドミュージック」を、彼は聴いている。



被害者や刑事たちの背後にはテーマのファンファーレ以外に、ほとんど現場の緊迫した音しか聞こえない。それに比べ、犯人の背後には「音楽の絵巻」のようなものがずっとある。憎しみが美に転じた音だ。刑事たちは、最後の緊迫した伊勢佐木町あたりから、その「音楽の絵巻」に飛び込んで合流する。
高台の小さな家の庭に揺れる夜の花。何よりも好きなシーンだ。
月明かりなのか、やけに明るい深夜の海が幻想的だ。変にトロピカルな植物が静かに揺れる中で【オーソレミオ】が流れる。撹乱のためにラジオの音楽をつけたであろう捜査側からの、犯人への皮肉なはなむけにも思える。



この映画で大事な二曲の詞を知っていると、暗示的にそれが使われているのがわかる。(映画には詞は出てこない)例えば【鱒】は、小さい時に父が口ずさんでいた記憶がある。清き流れに鱒は住みて....と言ったか。ここでは、ドブ川のほとりでそれがかかるのだ。オーソレミオも、歌詞を訳すとこの映画の基調感情を言い表しているらしい。
むかしの人は今より西洋音楽の日本語詞を良く知っているはずで、そういうことが当時の日本人に、自然に内面化されていたようにも思う。



悪組織や酒や女なんかをいっさいはしょって、生真面目な生活から一気に、成れの果ての死臭に突入する。天国と地獄の間に、寄り道は無いのだ。犯罪心理的な面では今一歩理解しづらくても、何か別の犯人の情念が伝わってくる。
この映画のアクセントにもなっているのが麻薬ヘロインだが、そのイメージの持つ穿孔のような死の黒さが無ければ成り立たない雰囲気がある。喧噪中の麻薬受渡しシーンの多国籍ビヤホールのような店舗は、実際にあった店らしい。国籍入り乱れた猥雑な人間の顔たちが全て効いている。そのあとにくる麻薬窟のシーンの演劇めいた廃人たちと対比になっている。



捜査陣のうだるような真昼の汗、殺人者の夏の夜の涼しげな顔。実は、全ての場面がわざと冬に撮られたという。「メインシーンのために電車沿いの民家を一軒取り壊させた」「白黒映画と思いきや実は一瞬カラーである」など、様々な逸話もある。
ストーリー、シーン、演技全てにおいて、様々な人が語り尽くしている有名な作品で、自分には映画評などは書けない。しかしとにかく、泣くような粗筋でもないのに「音楽の決定的なキマリ具合」だけでかっこよくて、ついジンと来る映画である。
# by meo-flowerless | 2016-07-10 12:19 | 映画

2016年7月の日記

2016年7月の日記

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# by meo-flowerless | 2016-07-02 22:33 | 日記

既視感人

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他人がなんらかの「既視感」を感じている瞬間を、見ているのが好きだ。
「ここ来たことがあるような気がする」とか「ちょっと待ってその話知っているかも」と言いながら遠い目をする時の、蒼白の頬や奇妙に澄んだ目を見ると、嬉しくなる。
懐かしさの中でも「知ってる知ってる」という同感のオンパレードには、そこまでの魅力は感じない。
同世代の回想話も盛り上がりはするが、むしろ、他人のなかの見えづらい記憶の断片のたどたどしい話、が結構好きだ。



既視感を感じている途中の人は、ちょっと何かに取り憑かれているようで、とりつく島がない。
その人が記憶の符牒を合わせながら一歩ずつ時を遡っていってるのを、「知らね。勝手に思い出してな」とぶった切ることは容易いが、目に見えない記憶の糸を自分も横でわけもわからず手伝ってたぐり寄せるのは面白い。「他人の過去なんか面白くも何ともない、犬も喰わないよ」という感覚の人間の方が圧倒的に多いようだが、私はそうではないらしい。
自分も「既視感人」だからだろう。



母が何かの拍子に、よく同じことを言う。
「夕方の早風呂の、窓の外のまだ明るい光を浴びると、芽生がはじめて独り暮らしした家へ遊びに来ている錯覚に陥る。同時に何か南天のような赤い実が浮かぶ。脈絡はない」
本当にどうでもいい話題なのだが、私はその話題がいつでも好きだ。
一人暮らしをはじめたのはもう二十年以上前だが、母は多分今も、同じ光に同じ錯覚を起こすだろう。そのせいで私も早い夕方に誰かのシャンプーの匂いを嗅ぐと、反射的に、そのアパートの窓の外からたまにきこえてきた女の子守唄を思い出す。
既視感というか、まとまりのない記憶がふとした時に集まって整列するような、そんな感覚だ。



記憶の連鎖がはじまると、文章を書きたくなる。今はその時期のようだ。
目の前にあることに、全く脈絡のない過去を閃光のように思い出し、急に体験がダイナミックに立体的になる。そういうことの一連を面白く思い、書き止めておきたくなる。
自分は、ある種の肯定的なフラッシュバック/既視感覚においてこそいきいきと生きていられる気がする。



ふとした既視感から記憶を蘇らせようとすることは、自分自身に何らかの催眠療法をかけているようなものなのかもしれない。
何かが見えますか ? それはいつのことですか ? そばに誰かいましたか?
甘く問いかける声に、恍惚とした過去の自分が、おもわぬ証言を引っぱりだしてくるようなことがある。
既視感から引いてきた風景を集めると、いくつかの根があるのを感じる。それを、原風景だと感じる。



既視感を大袈裟に大事にする傾向は昔からあり、自分の友も「既視感人」が多い。
大学時代の親友のワッコチャンとは、夜が明けるまで「わけもわからず懐かしい原風景のパターン」などの話を、飽きもせずしていた。
「既視感人」には、結論が要らない。散らばった断片から起点へと遡る旅なのだが、起点がわかったところでその起点以前にも何かあるような気がするのが「既視感」だ。
届かない空中の蝶をふらふらと追いかけ、見知らぬ森に迷い込むことが楽しいのだろう。



自分が心を掻き立てられる懐かしい記憶のひとつは、「深い渓谷にひびきわたる女の歌声(詩吟)の反響」だ。五歳くらいにはもうこの感覚を知っていた。なぜか「琵琶湖温泉ホテル紅葉」のCMソングの女の人のこぶしを聴くたびに、行ったことのないはずの霧の渓谷風景を懐かしく思い浮かべていた。
小学生の頃はすでにその渓谷のことを「前世の記憶なのかな」と思っていた気もする。
親に聞いても、そのような深い渓谷に行ったことはない。
ワッコチャンは、「グレーの隣に置かれた青紫色が錯覚で発光しているように見える」ことや、「暗い天井の高い建築の天窓の方から差し込んでいたステンドグラスと思われる青い光」が、無性に懐かしい風景だと言うのだった。その後も彼女は、一貫して光にまつわる作品を作っていた。



私達は、夜にもかかわらず他の友に電撃電話をかけ、唐突にこんな風に切り出した。
「あなたの原風景を教えてよ」
迷惑がられるという予想に反して、ほとんどの人がすぐ話に食いついてきた。
「原風景って、懐かしい風景とかでいいの ? 無性に懐かしい ? うーんと、あるね。滑走路だよ。小さい頃から、飛行機も乗ったことがないのに、滑走している飛行機の足が道路を見ているみたいな映像が浮かぶ」「私は、海の底を何故か小さい頃から知っている気がする」などと、答えてくれた。



今思えば、それを全て記録を取っておけば良かったのに、と悔やまれる。
大人になった今も、周りの人にそれをしてみたい。
が、そんな話題をうっとうしく思う人の方が圧倒的に多いし、あの時代あの年齢の独特な空気感で許されたことだったのか、とも思う。
# by meo-flowerless | 2016-06-28 22:10 | 絵と言葉

ラメ糸と火事

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無機質な団地空間から川沿いの一軒家に引越したのは、小学校低学年のときだった。
川と街道に挟まれた細長い町。河原を覆い尽くす雑草といい、古い家の佇まいといい、初めて、有機的で生物的な風景の中に飛び込んで暮らし始めたのだ。



甲州街道を一度曲がると、通りの様子は静かでうららかになる。家に辿り着く最後の角の道端に、小さなスミレを見つけ、それが引越したばかりの春の日々の楽しみになった。
ある日、スミレのあるあたりを眺めながら近づくと、何かスミレの株が増えているように一瞬見えた。黒いもじゃもじゃした葉に煌めく青が散ったような塊に近づくと、それはスミレではなくて糸屑だった。
見慣れない光る屑に心を奪われ、しゃがみ込んでそれを眺めた。縮れ髪のような糸に細く青い銀線が、星のようにまだらに光っている。拾おうかな、と思ったが、その日は拾わずに帰った。



毎日、その路肩が気になり始めた。別の日には、もっと違う色の光の糸屑を見つけた。黒髪のようなもじゃもじゃに、赤い光が瞬いていた。そこらを見渡すと、さまざまな色めきの糸屑が落ちている。なかには、虹色の銀線の縺れ合ったのもあり、もうそれは速攻でポッケに収まっていた。
家に帰り、母に「これなに」と、糸屑をつまみ上げて聞いた。子供心に、何か秘密めいたものの断片であって欲しい、という願いもあった。目を凝らして驚きながら推理するかも、と思っていたのだが、母は即座に答えた。
「ああ、これはラメよ」
「ラメ?」
どこで拾ったの?と聞かれて、そこ、と近所を指差したら、母は言った。
「あの建物は織物工場なのよ。そこの織物の糸屑だね。こういう光る糸をラメ糸って言うのよ」



興味は、ラメから織物工場に移った。この町は織物の町である。昔はよく、そのような織機のある小工場があったようだ。その木造の古い小屋も、毎日通るたびにカッチャンカッチャンと機械音がしているのは知っていたが、気をつけて見るほどでもなかった。
しかしその日から、立て付けの悪い磨りガラスの隙間から、毎日織物工場の中を覗くようになった。古い織機の複雑な生物のような動きは案外凄く、見てはいけない何かの内臓を垣間みる気持で覗き込んでいた。
一度、工場の中にいた暗い顔のおばさんとばっちり目が合ってしまったときは、冷水を浴びたような気持で一目散に逃げた。



夜九時頃、寝る時間になっても、その工場の窓の織機が動いていることに、自分の部屋の窓からの眺めで気付いた。
何かを覗き込む無邪気な冒険心が、夜の時間にシフトすると、本当の秘密を垣間みているような感覚に変わる。障子に顔を挟んで、工場の磨りガラスの薄明かりに拡大して映し出される、織機の影を見つめた。
ある夜、音を聞こう、と、そっと硝子戸を開けた。夜の冷たい外気が鼻先をかすめた。
すると、ガチャーン、と瓶かなにかを割る音が大気の中から聞こえてきた。身を強ばらせてその音の方に集中した。どこかの家の中から、男の怒鳴り声、女の鳴き声が微かに聞こえる。その工場の織機の向こうから、それは聞こえるようだった。



人間の秘密、に対して子供は大人よりもずっと慎重だ。その工場のことをあまり詮索しないようになった。
しかし、ほんのたまに夜風に乗って聞こえてくる男の荒い声には、どうしても耳を澄ましてしまう。ある夜またそっと夜の窓から見下ろすと、磨りガラスに巨大な男の頭の影がはげしく蠢いていたので、身が凍り付いた。酒に酔った工場主が光源の近くで酩酊していただけらしいのだが、織機の動物の骨のようなシルエットの一部にその巨大な頭部が組み込まれて見え、この世のものでもない恐ろしいものに見えた。
が、一二年も経つと子供と言えども、その家の事情や人の習性などが飲み込めて、夜風に怒鳴り声が聞こえてきても、驚きもしなくなった。



ある夜。母の鋭い声で起こされた。
「火事!起きて」
眠っているが体は反射的に起き上がった。目を開けると、部屋中が赤い。頭皮が縮む想いがしたが、火元はウチではないと勘で察して、障子を開けた。
あの工場が火に包まれていた。
生まれて初めて間近に見る、躍り上がる炎の柱だった。
母か自分が消防にかけたが、間違えて警察に電話した記憶がある。動揺していたのだろう。私の家に延焼をするほどには、くっついていないのだが、風向き次第でどうなるかわからなかった。
火の音は本当に轟音である。近所のがなぜ静かなのか、もう逃げてしまったのかとやきもきしたが、火の音で聞こえないだけだった。それぞれのベランダや窓から心配そうに声をかけたり見物したりしている。消防車もなかなか早く来てくれないように感じられた。



その日は、父が夜勤でいなかった。普段はあまり取り乱さない母が、その時ばかりは私を連れて、燃え盛る火のすぐ横をすり抜けて、裏の川に逃げた。メキメキとなにかが崩れていく轟音は今でも忘れない。
川沿いの誰かのお宅から、火事を皆で見守るしかなかった。赤い水族館をガラス越しに眺めるような不思議な気持ちだった。
幸い誰も怪我もせず、燃えたのは工場だけで、消防に火は消し止められた。
あとで家を空けて川に逃げたことを、父にこっぴどくしかられたが、あんな状況のことで叱られるのは理不尽な気持もした。
 


工場の機械が黒くドロドロに溶けている焼跡を、私が見たのか、近所の人から聞いたのかは全く覚えていない。それは観念的な記憶に残っているだけだ。
はっきり覚えているのは、更地になった工場の焼跡に、さっぱりしたような諦め顔の工場主のおじさんが、ひとりで佇んでいたことだけだ。
そのとき機械たちと一緒に、その人の夜な夜な怒鳴る声もあのラメ糸たちも、燃え上がって消えたのだな、と妙な感慨があった。
しばらく空地だったが、そのうち新しい家が建って、工場一家は帰ってきた。工場もなくなり、糸屑はもう見られなくなった。以前より温和そうになった工場主の、夜の怒鳴り声ももうそれ以来聞かなくなった。
# by meo-flowerless | 2016-06-19 22:00 |

犬猫とむらい人

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もう何年も前の、ある日の出来事を書き留めないまま過ぎたことを、この写真で思い出した。
散策の途中、強烈な印象の一軒の民家に立ち寄ったときのことだ。
印象が深すぎたので、どうにも書きあぐねて時が過ぎた。


いなかじみた勤務先からテクテク歩き、鄙びた畑地を散策していた。
夏か秋かすら定かではないが、ある住宅の垣の赤い花を撮っていた。新しいカメラを買ったばかりで、何かを撮りたかった。まわりは田畑や林。数軒ずつ建売り住宅が組になって並ぶような集落だ。
撮ったのは縷紅草だと思うから、そんな季節だ。その家の庭先は、割合美しかった。
ブリキの猫の目にビー玉がはめ込んである「カラス除け」のまわりに、様々な花がからんでいた。幾匹もの猫が蛇のような身のこなしで、するすると植物の間を過ぎる。沢山飼っているな、と思った。


ふと気付くと門のところに、笑顔の女主人が立っていた。写真を撮っていた私はバツが悪く、
「すみません、花がきれいだったんで撮りました」
と正直に挨拶した。
女主人は怒りもせず大変嬉しそうな顔をして、花の話や猫の話をはじめたので、少しほっとした。


しかし、それが段々熱心な感じになってきた。
私の肩を掴み、これが縁だからどうか家に上がっていってくれ、一目見て欲しいものがある、と言い始めた。
緊張で顔が強ばる私に、その人はしきりに言った。
「大丈夫よ、何か怖いことを見せるんでも何でもないの。でもね、こういう生きざまもあるということを、誰かが知っておくべきだと思うのよ」
その台詞にそこはかとない恐怖を感じ、振り切って逃げ出したかったが、家の中の窓ガラスを引っ掻くようにして愛らしい犬たちが来客に愛嬌を振りまくのを見て、つい油断した。


一歩玄関に入ってすぐ、何かを悟った。
「靴のままで上がっていいわよ。床は、あの子たちのオシッコやら毛やらで汚れているから」
鼻を突く臭気。犬猫屋敷、とでもいう感じのお宅らしかった。
女主人は見たところ、非常に優雅で穏やかそうな物腰だ。たまにいる、猫に生活を捧げ過ぎて自分の身じまいも収拾がつかなくなっている人、とは少し違うようにも見えた。
が、やはり、犬や猫の幸福に任せ、人の暮らしのスペースがあまりない部屋の有様には、つい身を強ばらせてしまった。


一階では老いた病犬がだるそうに窓の外の光を見ていた。一家の主の老人のように見えた。
ひっきりなしに猫のような犬のようなどちらか、毛むくじゃらのものたちが私に群がった。
女主人は二階に私をいざなった。何とか言って早々に家を退散しようとしたが、
「私はあなたに、迷惑をかけるつもりは無いのよ。誰かに知って欲しい。それだけ、それだけなの」
と切々と言った。その言葉に負けて、二階の部屋に上がった。


破れるに任せた障子が風に揺れている。眺めのよい畳の部屋が、二つほどあった。
「私が見せたいのはこれ」
と、彼女は手を開いて一方の壁を刺さし示した。
壁一面びっしりと何十もの、赤や紫の錦布の飾りを付けた陶器の「骨壺」が、夥しく陳列されている。
おお........ としか感想がでない。
女主人は頷きながら満足げに微笑んだ。
「写真も撮っていってください。一人でも多くの誰かに、この子たちの魂を守っていることを知って欲しい」
ひとつひとつの骨壺の前には、猫の名前の位牌がある。
彼女はその名をいくつか例に挙げ、各々の猫の生前がどうであったかを語った。
その骨壺だけがこの家の中で整理され、埃をかぶらないように手入れされ、細心の注意で美しく守られているものだった。
私はさすがにその壷は、促されても写真を撮る気にならなかった。


猫の生きざまを聞いているうちに、私もいくらか慣れてきて、普通に女主人と猫的世間話などを交わし、笑ったりもした。
猫を拾った傍から次々と死んでしまうのか、長い時を経て骨壺がたまったのかは、わからなかった。
彼女はそれさえ見てくれれば本当に感謝だ、というように、私を玄関へ送り出した。
ひたすら最後まで何度も何度も繰り返していたのは、
「世の中にはね、いろんな人間がいるんです。こういうことに生涯を注ぐ、そんな人間も、忘れられてはいるけれど、いるんです。それを知って欲しかった。誰かに知って欲しかった」
という言葉だった。


どんな受け答えをしていたか、自分自身の言葉は全く記憶に残っていない。あまり言葉が出ず、ひたすら頷いていたように思う。
暗い畳の間に安置されていた骨壺の整然とした姿は、異様に絵画的な光景でもあり、見る人によっては私の作品に似ている、などと言われかねない感じだった。
けれども、そのときの彼女の言葉通りに「ひとつの現実を知った」あとでは、「イメージなんか何ひとつその現実を越えられない」という思いに、しばらく苛まれた。
# by meo-flowerless | 2016-06-16 02:05 |

Clusterとマリン・サイエンス

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勤務先の大学まで、公園の道を十分弱。よく公園の前でipodをリセットしてClusterの『Grosses Wasser』や『Sowiesoso』に、音楽を切り替える。
するとなぜか白紙の気持で大学の仕事に従事できる気がする。シリアスなのかふざけているのかわからない内省的な電子音を聴きながら、「仕事だ、私は一応先生だ」という精神統一をはかる。



Clusterの音楽が連想させる「研究機関」感覚が好きだ。ラジオ放送大学のジングルのようにも思える。自分はピコピコいうテクノになってしまうともうあまり聴かないが、Clusterの音楽は何とももどかしい密閉的なミコミコ電子音なのがよい。
NHK教育チャンネルの科学番組の、シャーレのカイワレ大根の芽が伸びる早回しとか、蟻の巣の断面の早回しとか、菌が増殖したり黴が繁茂するようすの映像とか、そういうものが映し出されるときの音楽を思わせる。



「研究機関」感覚には昔から淡い憧れを持っていた。いま技法材料研究室にいて感じるのもそれなのかもしれないが、まあ、もっと理科系の研究機関への憧れである。なぜならば私は理数系が壊滅的に弱く、ほんとうに小学校三年生程度の知識しか頭に残せなかった人間だからだ。研究という雰囲気だけが、大人の世界のものとして、憧憬を呼び覚ますのだ。



きょう母校の中学高校一貫教育校をひさびさにたずねて、教育実習の見学などをさせてもらった。
懐かしいというよりも苦く蘇ったのは、自分の大学四年時の教育実習の記憶ではなく、中高の生徒だった頃の自分のほうだった。
高校時代は特に理科の時間を、睡眠かドローイングにしか使わなかった。上の写真は高三の時のノートであるが、書き留めている学術用語は全く頭には入っていない装飾的な文字である。



高校三年時。
窓の外に深紅のネムの花が揺れていたのを今も覚えている。五時間目の眠さと、ネムの花という響きがシンクロする。
私と似たような馬鹿どもばかりが教室の後部を閉めていた「生物特講」では、高校の先生とは思えない学者然・教授然とした平林先生が、不真面目な生徒といつまでたっても言葉を発さずにダンマリ対峙していた。
スマホこそないものの、私達はこれ以上ないほどやる気のないからだの形で、それぞれ思い思いのことを勝手にやっていた。最低の生徒だった。



ある時、平林先生は【Marine Science】と、それはそれは巨大な美しい字で黒板に板書した。
それは先生の本来の専門分野の呼称だったのだろうと思われる。
それだけで、以降は黙って哀しげに生徒たちを睨みながら、一時間過ごした。もう授業の最終回に近いときだった。
落書きばかりしている不真面目な生徒のひとりでありながら、内心、どんなに先生はやるせないだろう、と胸がきりきり痛んだ。
胸が痛みつつ、その平林先生の細い剥げメガネ姿をデッサンしていた記憶がある。【Marine Science】という、たったひと言の授業の板書も、そこに添えられた。



休み期間など家で絵を描く時に、「ラジオ放送大学」を流す習慣がついたのは、その頃だ。
無機質な電子音のジングルが、学校のチャイムのかわりに、授業の間合いを区切る。全く意味の分からない様々な「学問」が、誰も邪魔されることのない密閉された静けさのなかで、淡々と語られていく。全ての声の主が、平林先生のように思えた。
心の中の学者先生への罪滅ぼしというわけでもないのだが、神妙にその放送の静けさを享受していた。平林先生のような学者先生は、本当はここまでの静けさの中で話したいだろう、と思った。



大学受験のとき、センター試験の会場は東京農工大学だった。
おそらく農工大の教授と思われる学者らしい人々が、ヨレッとしたトレンチコート姿で試験監督にあたっていた。
古い木造の校舎には達磨ストーブの匂いがし、一つ一つの教室には、「家畜病棟」「硬蛋白質研究室」とかいう(イメージ)、筆字のプレートがかかっている。
学問。研究。静けさ。密度。大学の研究室空間への憧れが決定的なものになった。


その試験日は、雪が静かに降っていた。
聞こえてくるわけではないけれど、各研究室のストーブのジジジという音を空想の底に感じながら、センター試験を受けた。
放送大学の静けさを、頻りに思い出した。
一浪してもまた芸大受験を頑張ろうと思えたのは、もしかして芸大そのものではなく、その日の東京農工大の校舎や研究室の雰囲気に「大学」というものを憧憬したからかもしれない。



飛込み台みたいなのがポヤッと描かれた、無機質でとぼけた音楽のジャケット。
Clusterの音楽を聴くとまず放送大学を聴いていた悶々としたデッサンの白昼を思い出し、静かな学問空間への憧憬を思い出し、平林先生の影に行き当たる。
このジャケットも含めたCuster世界の白さと密閉が連れてきてくれるものは、あの試験日の雪と、先生が黒板に残して去った学者らしい文字【Marine Science】と、プランクトン的な「見えない涙」の哀しみだ。



e0066861_18135081.png 『Grosses Wasser』 Cluster 1979
# by meo-flowerless | 2016-06-11 22:29 |

新宿射撃場

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美大進学のための予備校に講師として勤めていた八年は、新宿が庭のようなものだった。
帰り際は、伊勢丹の化粧品売場の試用かCD屋で音楽を漁ることで満足して帰路につくのだが、同僚に同年代の男たちが多くいたので、たまに彼らの遊びについていった。
彼らの趣味と言うか存在感じたいが渋かったのが自分にとっても、ほろ苦いような、近くとも手の届かない憧れのような、いい思い出である。


コマ劇場の広場付近に「射撃場」があり、そこに行く彼らに付いていって射撃をした。
物凄く簡易な空間で、飾りも何もない。
ただのテナントビルの空いた一室に薄暗い蛍光灯がついていて、ガラスで仕切られた向こう側の射撃レーンに紙の標的が浮かんでいる。
人生の事情を全部洗い流して清貧になったような感じのおじさんが、静かに銃を渡してくれる。
もちろん実弾が装填されているわけではない。


そこに来る人も若いチャラチャラした者はおらず、酔ったサラリーマンなども皆無で、同じように何かを洗い流したようなシンプルなおっさんたちが黙々と的を撃ち抜いていた。
若い女の私が一人混じろうが誰も不快も興味もなんにも見せず、流れ者しかいない男風呂の脱衣場のように淡々と時間が流れていた。
その無感覚、無感情、無機質に、今まで男に感じていた「男」とは全く違う、男の虚無を見たような気がした。
弾を全て打ったあとは、その撃ち抜いた紙の標的が貰える。肌色の紙にシンプルな黒の印刷。
簡易な紙に穿たれた穴。それがかえって一抹の事件感をにおわせた。


よく「ニュートラル」という言葉を格好よく使う人がいるが、私は何故かニュートラルという言葉に、あの簡易な新宿射撃場をいつも思い出す。
もうひとつ思い出すものは、セロテープの一片を折り畳んだ切れ端の、透明でも白でも黄色でもない色である。
生業は何だったのか知らないが、あの場所にいた、無機質と人間味の狭間に在るような人々の面影は、そんな顔色をしていた。
彼らはなんらかのニュートラルを欲してあの場所にいたのだと想像する。
ただそのニュートラルの本質は多分、女の私に言語化出来るような、勝手にしていいようなことではない。



歌舞伎町のあの辺りが一掃されることにもそこまでの無念は感じなかった。
新宿射撃場が無くなったと聞いた時は、さもありなん、という感じがした。
射撃場に関してだけは、なんだか宇宙に星がひとつ消滅したような喪失感を感じた。
「何かを無くしにいく場所が、無くなる」ということを、しきりに思った。
# by meo-flowerless | 2016-06-08 00:05 |

他生への郷愁

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「他生への郷愁」とでも言えばいいのか。
たまに、自分の過去の記憶外のなにかが、感覚として押し寄せることがある。
私のとも言い切れず、でも誰か別の人のものとも言えない。記憶とすら呼べないような、夜風に撫でられるときの寒気のようなもの。未知の領域でも既知の領域でもない知覚たちが、灰汁のように浮上する。



前世というほど過去のことではない。が、必ずしも現在だとも言わない。
自分と同時代を生きていたことのある人が、遠いどこかで感じていたであろう、あるいは今感じている、人生の震えのようなものが、ふと傍受されて、皮膚をゾワッとよぎる気がする。
気がする、だけかもしれないけど。



【ふたりのベロニカ】という映画がある。
ポーランドとフランスの二人の「ベロニカ」は、顔も能力も癖も同一人物のような人間だが、互いの生を知ることもなく、全く別の人生を違う土地で生きている。
が、片方のベロニカはうっすらと、もう一人の存在の死に重ねて自分の生がある、ということを知覚することがある。
あの映画のような「無性に懐かしいが、知りはしない」存在が、私と同じ「私」という生を、どこかのパラレルワールドで生きているのかも、と思ったりする。




日本にいる時にそういう感覚がするときは、どうせ忘れていた自分の過去がフラッシュバックしているのだとか、親の話から想像した過去に感覚ジャックされているのだとか、なにかのテレビドラマが自分の記憶に重なったのだ、と考える。
けれど、海外の町にいるふとした瞬間に、強烈な「縁」の感覚と、その縁の喪失感のようなものにおそわれるとき、その既視感の出所について、つい不思議になってしまう。



ドイツのケルン近郊の小さな町に行った時に、何気ない新緑の風景にふと、幼児の遊ぶワークルームのような場所の匂いや光の記憶がどっと襲ってきた。それは日本の幼稚園の感じとはかなり違う記憶だった。
あと、行ったことないのに小さい頃から、「ロンドンの文具屋か本屋のようなところでインスタントレタリングを選んでいる」という未知の経験が自分のもののように蘇ることがある。そのとき、なにかの鐘の音とともに蘇る気もする。
ほかに、アメリカでも東南アジアでも、町の郊外の高速道路が殺伐とした風景を呈しているような場所に行ったときは、たいてい胸を突くような、何かの記憶が蘇りそうになる。が、映像として思い出せはしない。そういう理由で、まだ旅の始まっていない、或いは終わった時点の、郊外の空港と町を結ぶ経路のどうでもいい殺風景なんかに限って、旅行の一番鮮烈な印象として刻み込まれることが、たまにある。




匂いや光に感じる既視感は、時間や場所などに対する感覚のトリップだ。
が、人の存在に対してさらに「他生遠くへ」いちばん自分を飛ばしてくれるものは、雑音混じりの音楽だ。
通りすがりにある感じの歌声を聴いたとき、ある感じの和音を聞いたとき、エコー感のある時など、いくつかの条件でふとその、未知と既知の狭間のパラレルワールドに、急にシンクロするような気がする。




数年前、ベトナム・ホーチミンで、1950-70年代くらいの女性のくらい歌謡曲ばかりかけている料理屋に入った。
ベトナム歌謡はメロディラインに特徴がある。東南アジアのポップスの曲調は少しずつ違えども結構似ているのだが、ベトナム歌謡のあの何とも言えないラソレ↓と下がっていく音階を聞くと、なぜか記憶の底深くにふと手を触れられたような気分になる。
それを店で聞いた時も急激に、胸が掻きむしられるような気持になった。日本の演歌に対する既知の郷愁とは何かが違う。日本に帰ってきてから、いろいろ探して、声質や歌などからKhanh Lyという女性歌手の1960年代頃の昔の曲が、一番その時聴いたのに近かった。



昨夜からまたKhanh Lyを聴いている。
どこかの知らない、西洋圏のリトルアジア的な渇いた小さな異国の町の空気感、どこかの誰かの死んだ夜の寂しさ、一抹の不吉な腐臭、不遇の感覚が、押しよせている。
この、他生に遠く呼ばれる感覚。一体、ほかの誰の人生に対して胸が詰まるんだろうか? と、気になる。



その他生に対する感覚は、殺伐とした郷愁である。と同時に、とても親しみのある旅愁でもある。
たとえば海外に渡航して、夜に宿のベッドの上でひとりその国のラジオ歌謡をぼんやり聴いていたり、青い深夜テレビを見つめている時間の、孤独が極まれば極まるほど、ああ私は独りではない、と思うことがある。(一人旅をしたことがあるわけではないし、ホームシック的な郷愁のことを言っているのではない)
そういう時想いを馳せるのは家族や友でもない。世界のどこかにいる、未だ顔を見ぬある存在の気配である。



うまく言えないけれど、たぶん目には見えない「因果」や「運命」は、自我などというしろものと契約を取り交わしているわけではないのだ。名前や肩書きにおいての我執的生きざまの果てに、運命などというものがあるのでは決して「ない」、と思う。
そして運命というものは、けっして大袈裟な結末や事件として自分の目の前に降り掛かるだけのものでもない、とも思う。淡々と自分の知らないところで平行する世界を実は持っている、それを普段は知覚することが出来ない、そんな、「手は届かないが確実に備わっている縁や運命」というのがある気がするのだ。



ふと、自分が「どこの何者でもなくなっている」ような時。旅先で疲れてひとり、自我をはぎ取られている時間。国籍も名前も記憶もどうでも良くなった瞬間。そういう時に限って、なにかの密度が、世界ごとどっとこの存在に流れ込む。
危ういジャック感覚の中にだけ、運命との出会いはある気がする。
# by meo-flowerless | 2016-06-04 02:44 |

2016年6月の日記

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# by meo-flowerless | 2016-06-03 15:49 | 日記

夜行列車の中島みゆき

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昨年、夫と四国まで夜行列車の旅をした。二十二時に東京駅を出発し、早朝に香川の坂出に着く列車だった。その列車の便が無くなってしまうというので人気があり、駅員に発券のタイミングを頑張ってもらって幸運にも切符が取れたのだった。
何度も東海道本線で通っている景色を深夜に目撃するのは初めて、それだけで心が躍った。
いよいよ発車し、こじんまりした個室の寝台に腰掛けて眺めると、景色が一連の黒い絵巻のように感じられた。



夜が好きだ。一日の出来事の終焉と同時に、記憶と気配の世界が立ち上がる。この時間があるだけで、自分はもう一つの別の人生を持っているような気になる。
闇によって化けた風景は素晴らしい。夜のほうが、その土地の地霊が語りかけてくれる気がする。
谷間に落としたウェディングケーキみたいな熱海の灯。静岡の青暗い茶畑の影。瞬間的な踏切音の余韻。あらゆる夜についての図鑑を、ひもとくようだ。
やがて、どことも分からない単調な田園の闇に列車は突入した。平坦な暗さの中、時折列車と並走するトラックのライトや、線路から斜めに延びる農道の青白さに、感情のどこかがぐっと掴まれる。



田の中にポツンとある農家を目が捕らえる。
階段の窓だけが開いていて、暖かい灯が点っている。家の匂いまで伝わってきそうだ。
階段には何らかの色紙か絵が、申し訳程度に飾ってあるだろう。かつて小さい兄弟が遊びで穴を開けた壁にベニヤ板が貼ってあるかもしれない。銀ラメの混じった砂壁の仏間。部屋の冷たい御座の匂い。母親が階下から「◯◯、電話」と呼ぶ声。
旅先で出会う家の灯は、みな何故か遠い親戚の家のように思える。その家族の佇まいを、既に知っているような気にさせられる。



窓枠に突っ伏して、いろいろなことを考える。
夜はなぜこんなに、様々なことを蘇らせるのだろう。自分の記憶だけでは収まらないほど、深い見知らぬ過去が私の中で溢れる。死ぬ前には脳裏に走馬灯のように過去の場面が流れる、と言うけれど、本当は人は、生きながら何度も記憶の走馬灯に襲われるのじゃないか。



例えば夜風に、横断歩道の鳩の音に、踏切を過ぎ去る電車に、止めどもなく情景が次々と蘇る。あまりに過去が流れるので、もうじきポックリ死ぬんじゃないかと不安になっても、今まで無事に死なずに来れた。
失恋にせよ卒業にせよ、あらゆる別れは小さな死なのだ、とも思う。はっきりした訣別の儀式などなければないほど、喪失の度合いは深い。あれはもう遠い彼方に去った、いつのまにか帰れなくなったと思うたび、「喪」の感覚が止めどもなく走馬灯を流し始める。



受信状態が悪く波音のような列車ラジオの向こうに、女の声の無性に懐かしい歌が聞こえていた。聴き取れないくらいの音声が、遠い土地にいて手の届かない人のように、寂しく優雅だ。
また旅愁の走馬灯が押し寄せる。知床の薄青い霧の民宿。小さい頃に訪れた高原。サーチライトの見える川のほとり。海の宿の赤いカーペット。初めて乗ったフェリー。宮沢賢治を読んだ夏の夜の蒲団.....



聞こえているのは中島みゆきの【歌姫】だった。地味な歌で印象になかったが、切れ切れのサビで分かる。
どこか古き良き日本映画音楽のような曲調だ。白黒の記録映画に残り続ける汚れのない海を思う。彼女は歌詞だけではなく、メロディでも旅愁を表現出来る。遠いラジオと中島みゆきの曲調は合う。特に情景喚起力のあるのが、彼女の故郷の北海道を感じさせる歌だ。原野や農場のイメージではなく、北の海の道という文字通りの、はるかな海原のほうを思い出す。




自分が青春時代にした友との車旅が北海道だった、というのが大きい。
私が歌謡曲十五巻テープを自分で編集し、三台の車でそれを分け合ってかけまくった。そのテープにも中島みゆきは入っていたし、カーラジオから中島みゆきの特別DJ番組が流れていた。土地柄、サハリンかどこかのロシア語の放送が混線して混じってきた。
札幌、小樽、帯広、中標津、別海、襟裳、釧路......何百キロの道のりは、歳のいった男の先輩たちの運転に任せ、ガキの同級生どもと私は、無責任に眠りこけたり景色を見たりしていた。
運転する男達の横顔にはじめて、大人というものの骨格を見た気がした。
知床の夜、あの流転感を感じたい一心で私は、その後も旅をして、人に出会っているのだという気さえする。以後の数知れない旅のディティールは、いつもその北海道旅行の原型の中に収納されていく。収納された記憶の箱を開梱するように、中島みゆきの歌は日本中の見返られない「普通の風景」をひもといてゆく。



松任谷由実のメロディは都会をさすらう逡巡で、中島みゆきのメロディは日本を流転する移動距離だ。自分の中の、東京郊外の逡巡風景から日本各地の流転風景への移行は、聴く曲が松任谷由実から中島みゆきへ移行したのに重なる。熱烈なファンのような聴きかたはしないがそれらの歌は、常に心のどこかにある、
僻地にひとり赴任する男の孤独とそこで男がみる女の亡霊の両方を兼ね備えたように、中島みゆきの歌は両性具有的だ。怨念的であり女神的でもあるそのイメージを総じて考えると、中島みゆきはつまり「地霊」的なのだ、と感じる。その在り方は自分の永遠の憧れでもあるかもしれない。



あの時北海道に一緒に行った人々は、旅景の守り神のような感じでもあり、うらぶれた歌謡曲の音源のようでもあり、懐かしい親戚のイメージの集約のようだった。よく歌い、旅をし、それがなければこの今の私はない。自分にとってのある種の決定的な切なさの原型、私の走馬灯をまわす存在なのだろう。
列車ラジオの遠い雑音の混線感覚が、あの旅行のカーラジオのロシア語や、薄暗い北国の空を蘇らせた。【歌姫】が終わるか終わらないかのあたりで、私は列車の寝台に横たわりながらうつらうつらしていた。
# by meo-flowerless | 2016-05-27 22:22 |