画家 齋藤芽生の日記 Twitter/ @meosaito


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アクの強い辞書たち

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ずらりとならんだ辞典、辞書の数々。いま大学の課題で教材として使用しているものの一部だ。
通常の国語辞典や漢和辞典のほかに、日本語の辞書にも様々な種類がある。文章を書くのに持っていて便利なのは「類語辞典」「表現辞典」などと呼ばれるものだろうか。
しかしここに集まって来たのはさらに使用目的の特化された辞書たちだ。ある人には抱腹絶倒(?)の面白さ、ある人には全く役に立たない紙製のマクラ程度のもの。



もともとなんとなくいつまでも辞書を読むのが好き。更に英語辞書なんかに小さく書いてある図なども好きで、学生時代も授業中はほとんど、そういう絵に色を塗ったり拡大化してノートに書いたりして遊んでいた。
大人になった今日この日.....それを編纂した人の労力や想いなども含め、辞書というものがどれだけ想像生活を豊かにさせてくれるか、をあらためて実感する機会になった。
ネタ本みたいな辞典ではなく、割と真面目な辞書のなかでとくに面白いと思ったものを、いくつか記しておこうと思う。


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1.【片仮名語和改辞典】

和製ヨコモジ英語やカタカナ語の単なる意味引き辞書はたくさん売っているが、これはカタカナ語から、漢字を使った和語、への翻訳である。
正確にもともとある言葉を引くというより、新しい造語の提案という感じもする。
著者センスがいいのか、「和改語」というアイデアがが面白いのか、この辞書はかなり面白い。


第二次世界大戦中は「鬼畜米英の言語を使わぬ」ように、全てのものの呼び名が漢字で書き改められたという。ここに載っているものの多くは、そういうことを現代の言葉にまで当てはめた、と思えばいい。
けど、だれがどこでそんな和改の仕事をしてるの?著者が勝手に?
ここまで無用でありながら、成る程ねえ、と考えさせられてしまう日本語もなかなかない。


サロン→【談話室】、バーチャルリアリティ→【仮想現実】なんて当たり前の和解には興味が無い。ネオンサイン→【走華灯 そうかとう】などは作品タイトルなんかにも使えそうな。セルフケア→【自己世話 じこぜわ】などは直訳過ぎるのがかえって笑える。
しかしもっと傑作「和改」語はたくさんある。


サスペンス→【手汗物 てあせもの】、ノーブラ→【素胸 すむね】、サファリ→【腕獅子毛 うでししげ】、カルパッチョ→【絵画盛り】、フォースアウト【強制お陀仏 きょうせいおだぶつ】。うでししげとはなんだ?
ジャンキー→【薬兵衛 やくべえ】、サディズム→【惨太郎沙汰 ざんたろうざた】、バリケード→【邪魔樽 じゃまだる】、パンクロック→【反俗陽転 はんぞくようてん】、ダッチワイフ→【情人形 じょうにんぎょう】あたりになってくると、考えた人のヤケクソ感や悪ノリまで感じてられてくる。







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2.【当て字・当て読み 漢字表現辞典】

とってつけたようなルビを振る。本気と書いてマジと読み、都会と書いてマチと読むような、様々な言葉に当て読み、宛て字をした用例をたくさん集めてきたもの。
ただの外来語宛字辞書とは違います。個人の陶酔のハズカシさが所々に匂う良書。
耽美小説から演歌、Jポップからヤンキー語、キラキラネームまで、取材した分野は広い。広い分、ランダムすぎて辞書として使えるかどうかは微妙だが、読むだけで面白い。


【発作的殺戮集団(なちずむ)】、【情熱男・灼熱女(なつおとこ・なつおんな)】、【破滅的な(とんでもねー な)】、【戦闘服(どれす)】、【異空間(どこか)】、【土雷根子(どらねこ)】、【敵影いまだ見えず(のーぷろぶれむ)】。
....この類いの言葉、このブログの書式では無理なのだが、小さいルビを横に振ったほうが恥ずかしさが倍増する。









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3.【集団語辞典】

隠語や俗語の辞典の中でもこれは、サイズやデザイン、内容、どれをとってもバランスがとれている。
様々なしごとの業種や職能、仲間の中のみだけで通用する日本のスラングを集めた辞書。芸能用語、犯罪用語、エロ界用語の奥深い世界はもちろん、普通の市井の業種用語なども網羅。


【松桜梅 しょうおうばい】は工事のダイナマイトの強度を表す言葉で、梅の下は榎....とか、【俊寛 しゅんかん】は警察用語で無期懲役を意味し、語源は島流しのまま死ぬまで帰れなかった俊寛僧都の悲劇から来ている....とか。
知っていてもしょうがないが、知っていると日本の裏側まで想像力が及んでいくような気がして、味わい深い。







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4.【省略言葉事典】

言葉を端折って縮めた略語の辞典。
世の中にはどれだけの省略語が溢れているのか。言葉と言うのはリズムであり、ノリであり、キャッチフレーズ的に語感を簡単にすることでコミュニケーションをとりやすい言葉にカスタマイズしていくものなんだろう。
テレビ番組の略称から芸能人の愛称、【スタバ】などの店名や【キモかわ】【なるはや】などの日常語から多くをとっている。ただし、十年後に読んだら何か物凄くダサい『死語辞典』の仲間入りしそうな言葉が多い。要するに略語とは軽さや先取り性を気取っているのである。だから劣化も早いんだろう。
若い子たちの使っている言葉がわからないのに何となく分かった振りをしている、苦しい中年世代にとっては、実は使える辞書かもしれない。


できるかぎりこういう略語はあまり使いたくないほうだが。ただ現代の手垢に塗れた言葉の中で【ツメシボ 冷たいおしぼり】だけブッと吹いた。
「つめしぼくださーい」とか小洒落たカフェで使ってみたい。








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5.【正式名称大百科】

読んで字の如く、よく知った言葉の背後に実はちゃんとある「正式名称」をたくさん集めた辞書だ。
使っかわねー、けど、面白い。理屈っぽい堅い言葉には、青ざめたゴス感がある。
これら一つ一つを正確に知っていることよりも、これからいろいろな言葉に対し「ほんとうはコレ、長ったらしい正式名称があるんじゃないのか....?」などと邪推してみることのほうが楽しそうである。
【ああ食べ過ぎ、また太ったなぁ → 後天的加速度的食欲制御能力不全】とか。








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6.【宛字外来語辞典】

先に紹介した宛字辞典はキラキラした陶酔とあほらしさに満ちていたが、こちらはもっとフォーマルな、錚々たる言語学者がちゃんといた時代を感じさせる公式文書感のある外来宛字辞書
読んでもそんなに面白くは感じなくて、へー、くらいの感想しか出ない。しかし、作品のタイトルを付けるときなどには俄然、実用として活躍しそうだとも思う。







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7.【日本語オノマトペ辞典】

擬音語、擬態語の辞典。
「べろ」とか「ぎら」など、語源ごとに歴史などが書いてあるので勉強になる。これは、海外から来て日本語を勉強している人は面白く感じるかもしれない。逆に言えば、人間はどれだけ言い慣れた母国語で無意識にいろいろな擬音・擬態語を使いこなしているのだろうか。


先ほども、あまり日本語の出来ない台湾の学生Rくんに、皆が擬音語を教えていた。たとえば「どんどん行く」などの慣用的になったことばは、説明が難しい。ドン!と叩く音との違い。
それをはたで聴きながら、例えば身体の部位を叩く音でも、背はドン、おなかはポン、肘はトン、あたまはゴン、肩はポンだよな....とずーっと考え始め、そこまでの熟思は無用ながらも、擬音語の使い方の限りない奥の深さを感じた。






by meo-flowerless | 2017-05-22 20:00 |

カンボジアの絵看板

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本屋の少ないらしいカンボジア。
私はプノンペン滞在中、ちゃんとしたハードカバーの本が充実しているという「モニュメント・ブックス」に立ち寄った。しかし噂通り、洋書ばかりの品揃え。カンボジア史に関する本は、アンコールワットとポルポトのジェノサイドについての本しかない。
そのなかにまぎれて、ふと心をくすぐるスキ間的な脱力系写真集があった。「カンボジアの田舎クラチエ州の手描き看板」(Hand-Painted Signs of Kratie /Sam Roberts)の写真集だ。

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なんと、痒いところに手の届いている本なんだ(私にとって)。
プノンペンをトゥクトゥクで走り回りながら一瞬道路沿いに見かける、なんともいびつなイラスト・クニャクニャした飾りクメール文字の看板にとても魅かれていた。しかしなかなかトゥクトゥクの速度から、それらをカメラに収めるのはきつい。そしてまた「のんびりプラプラと看板探しさんぽ」など、カメラ片手に徒歩で出来そうな安全な街では、絶対にない。



近隣の国と比べるのはナンセンスだとは思うのだが、やはりその国独特の何かを感じ始めると、他と比べることによって妙に感心したくなる。カンボジアに来てすぐ、ほんのたまに目に飛び込んでくる看板の絵のいびつないじらしさ、工具や家電などをいちいち図で示す独特さなどは、気にはなっていた。ホーチミンやチェンマイでは感じなかったことである。ベトナムは思い切り社会主義国のプロパガンダ看板が目立っていたっけ。


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ベトナム・ホーチミンのプロパガンダ看板。ある意味でふるめかしい味はあるが、かわいくない。



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タイ・チェンマイも印象薄い。





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上のこれらは【Hand-Painted Signs of Kratie】の中に出てくる、カンボジアの手描き看板。他のやつも一つ一つ見ていくごとにカラーといい文字の剥げかたといいヌケ感のあるタッチといい、デヴィッド・サーレ感たっぷりで、プロパガンダ看板のイラストよりもずっとコンテンポラリーアートを感じる。
この本には、看板職人の制作中写真などもあり、日本で言うところの銭湯の壁画職人などの独自の技法を身につけている職種であることが伺える。




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これは自分が出会った看板たちだ。もはや手で直接ブリキに描いてはおらずプリントなのだろうが、朴訥な味わいは絵の中に残っている。郊外の洗車屋には、秀逸なのがいくつかあった気がする。
歯医者は、このような「歯の断面」を看板にすることが多いようだ。また人の顔の看板は、どこか眼が焦点が合っていないと言うか、「目を黒く縁取りすぎた小さな眼の奥村チヨ」みたいな顔つきが魅力的である。
しかしこういう手描き看板がどこにでもあるというわけではなく、もうあまり見かけることはないのだろう、と推測される。


カンボジアの看板で思い出したのは、日本のローカルな街の床屋や美容室の硝子戸にカッティングで貼られたりしている、線描の外人ぽい男女の顔だ。都会のヘアサロンではお目にかからないイラスト。見かけるたびに反射的に撮ってしまう。カンボジアのイラストと似ているわけではないが、なんとなく心根はどこかで繋がっていそうな気がするのである。
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ネットで何となく情報を集めていると、やはり同じような興味を持っている人がいた。カンボジアの絵看板は、要するに「識字率の低さ」と関係しているらしいことが書いてあり、なるほど、と思った。
カンボジアの国民の平均年齢は20歳代後半という。私のような40歳代以上の年輩者の人口は、極端に低い。ベトナム戦争余波の大国からの爆撃または度重なる内戦で没したか、ポルポト時代に強制労働と貧しさで命を落としたか、国外に逃げたか、大量の知識人・教育者・技能者の虐殺の中に入れられてしまったか。そして生き残っていたとしても、その時期の一切の教育の断絶によって、とくに40歳代は今でも文字が読めない人が多いのだそうだ。東南アジアでも識字率の低さが突出していることの背景にはやむにやまれぬ歴史の被害がある。
だからこの本のなかにあるような懇切丁寧な「釣りをしてはいけない池の様子の図」看板やいちいち絵や図に示して客を呼ぶ看板は、大昔のレトロな様式なのではなく、教育を受けて字も読める今の若者向けのものでもなく、私ぐらいの歳の人間が見てそれが何を指し示しているかわかるように80-90年代に濫発した様式らしい。
そう思うと、深く考えさせられてしまう。


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コダック島で見かけたちょっとした看板に描いてあった、おおらかな味わいの図...
上の写真の青いペンキだけでスッスッと描いた山と川、その水面の処理など絶妙にセンスとバランスがいい。クメール文字の波打つ形、飛ぶ鳥の波形、山並みのウェーブがリズムよく呼応している!
絵心というものは切ない。どんな人のも、自分のだって、絵心はその人が日常を精一杯生きているいじらしさの宝庫、のような気がするときがある。下手とか上手とかが絵心の所在を決めるのではない、とも思う。

by meo-flowerless | 2017-05-14 01:55 |

プノンペン日記 2017.5.4~9

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