画家 齋藤芽生の日記 Twitter/ @meosaito


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八月の砂、九月の砂

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焼ける熱い砂の上をビーチサンダルで歩き、波打際で裸足になって立つ。熱さと冷たさの入り混じる中に足が崩れ溶けていく、不思議な感じ。
これをするなら盛夏ではなく、八月と九月の境目の今ごろがいい。日射にひりついた頬を涼しい秋風が撫でていくような、矛盾ある気候のなかがいい。砂の熱さと冷たさ、優しさと残酷さを両方感じる。
「砂の優しさと残酷さを両方感じる」。たとえるならそういう経験で一生を埋め尽くしたいし、そういう経験によって一生をほどきたい。



もし砂というものに自我があったら。それは岩とも水とも違う感情を持つだろう。
陽にも水にも馴染み、熱くも冷たくもある。何かをきつく埋めもし、何者にも掴ませずに散りもする。その変幻自在さは、自我というもののイメージからはほど遠い。けれどそのように存在する自我というのもあるんじゃないか。何をも静かに偲び、ぎっちりと埋め、虚しく風化させる。そういう最終形態のような自我、というのにずっと憧れ続けている気がする。
人らしく暑苦しく蠢かずとも、砂のようでありさえすれば関われる世界もきっとあるはずだ。と、そんなことばかり考える。



八月と九月の境目にはよく、二十代前半の頃を思い出す。様々な場所への旅は、大体この季節に行った。孤独の密度を吟味していた頃。あの孤独は実は、青春を過ぎた今も続いているのかもしれない。
石川セリの【八月の濡れた砂】の、「あたしの夏は明日も続く」という歌詞のように、身体の老いや時の進行とは裏腹に、永遠に時も経ず取り残されたままの自我が、いまもどこかにある気がする。



この歌が、甘い青春の痛みを歌っているのには違いない。が、「あたしの夏は明日も続く」という歌詞の不滅感と不死感には、静かな凄まじさを感じる。打ち捨てられた船や取り残された人の、季節に焼き尽くされる側の痛みではなく、何をかもを焼き尽くしてしまってまだなお残る、太陽の側の孤独を感じる。
「あたしの海」「あたしの夏」、それらを所有するのと引き換えに、この歌の「あたし」は決して、「あたしのあの人」や「あたしの幸福」のようなものは所有出来ないのではないかと思う。



あたしの海を真っ赤に染めて
夕陽が血潮を流しているわ
あの夏の光と影は どこへ行ってしまったの
悲しみさえも焼き尽くされた
あたしの夏は明日もつづく



この曲が大好きで、この晩夏の情緒で一生を生き抜きたい、と思っていた。明るくはじけたりはしない、暗く焦げ付く灼熱。光と影のコントラストの強い、夜のような真昼。不気味に眩しい時間。青春という虚構に冴え渡る孤独。濡れた砂のように、熱さと冷たさ、堅さと柔らかさの入り混じる情緒。



中島みゆきの【船を出すのなら九月】という歌もまた、自分の世界の形成の底にずっと横たわっている一曲である。八月の灼熱が醒めたあとの世界だ。
歌詞の夢幻感だけでない、冷たくはりつめたメロディー、遠い他人の夢の中みたいな声、世界への拒絶や距離をそのまま音にしたような編曲、すべて醒め果てている。
【八月の濡れた砂】の「あたしだけの海」は、つまり「誰もいない海」なのだ。「あたし」のすべては「残骸」のようなものの全てに等しい。濡れて熱い八月と、渇いて醒め果てた九月、この二曲は、自分の中で対のような曲だ。



二十代のころ、薄ら涼しい九月の北海道へ船旅をした光景が、この曲に重なる。
台風後の黒く荒れた海原。銀色のイルカクジラの群れ。遠い国後の島影。ロシア語の混線ラジオ。蜃気楼か国籍不明の難破船か、遠い白い船の影。青々した幻灯のように、脳裏に残っている。



あなたがいなくても 愛は愛は愛は
まるで砂のようにある
人を捨てるなら九月 誰も皆冬を見ている頃の九月
船を出すのなら九月 誰も皆海を見飽きた頃の九月



中島みゆきの歌には、さいはての土地で孤独に生きる時間感覚、たとえば灯台守や誰も来ない山の観測所勤務や、海原の船上で日誌をつけている人々などの持つであろう、ぎっちり密度の詰まった孤独な時間を感じる。
いわゆる「世間」のペースについていけないようなときがたまにある。時勢の雰囲気や様々な風潮に押し流される。そんなとき彼女の歌を聴くと、自分の中の時間の流れ方、ものの見つめ方が、ふと変わる。



この曲もまた「砂」的だ。延々と砂時計で時間が測られている感じ。
砂の凝縮感だけではなく、その脆さや、あらゆる密度が結局無に帰する無常感、も、この歌の底に流れる。
人情の不安定さ、愛の永遠ではなさ、に嫌気がさすとき、無機物や殺風景の非人情にかえって心を寄せたくなる。自分の存在よりも遥か時を超えて残り続けるものたちは、想像を絶するような優しさを持って感じられることがある。風化しようと、言葉なきものであろうと。



これらをよく聴いていた二十代のある日に思ったのだ。
砂のように緻密な孤独を観察することに、一生を賭けよう。徹底的に個と対峙する、そういう人生がこの世の片隅にあることくらいは許されているはずだと。何かを見失いそうになったら、砂を裸足で踏みにいけばいい。
そういう感覚は、今も喪われずに自分にある。
by meo-flowerless | 2016-08-29 08:10 |

無為無策旅行・ 愛知めぐり

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バス、電車、またバスを乗り継ぎ、知多半島の先端、師崎港へ。
暗い霧雨の平凡な県道景にうつらうつらしていると、時々夫が私をつついて起こす。目を開けるたび、白金色の眩しい視界のなかに広がる海があった。
師崎の港から、小さな船で日間賀島へ。ひまか島という響きがのんきで良い。着いた港の前に、数軒の魚介土産屋が軒を連ねている。一軒の前には「暇持て余し用」の椅子が三つくらい出してあり、椅子の背後の硝子戸に、ひらがなの「ま」の一字が書いてある。「ま」という字も何かまぬけで良い。
海水浴客や釣客に全く会うことのない集落の路地を、一時間ばかり、ひたすら歩く。
大きく育ったイチジクの木の多い島で、実がたくさんなっていた。

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by meo-flowerless | 2016-08-20 21:30 |

ラシャ紙への愛

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世界堂の紙コーナーで色紙を物色していて、A3、B4などほとんどの紙サイズの棚が「タント紙」に占拠されているのにがっかりした。がっかりした、と言ってはタント紙がかわいそうなのだが、同じようなプレーンな色画用紙でも「ラシャ紙」の各サイズが揃っていて欲しいのだ。



ラシャ紙は、日本人ならたいていの人が図画工作教育で一度は手にしたことがあるであろう、歴史の古い、日本製の色紙である。小学校の図工室の紙棚の匂いや色彩を思い出し、ノスタルジックな気分になる。
色数は現在120色もにのぼり、それぞれ「ひわ」「たばこ」「ときわ」「あざみ」「かすみ」などの日本の色名がついている。特急の名前のようで良い。
町の文房具屋でさすがに120色全てを揃えている所は少ないだろうが、一枚一枚色見本で丁寧に見ていくと、目に優しい懐かしい色合いばかりだ。それとも、幼児体験にラシャ紙の記憶が先に刷り込まれたから、そのような色合いを無意識に好むのか。



ラシャ紙の名前の由来は、起毛服地の「羅紗」の質感のような暖かみを目指して作られているから、らしい。1940年代から作られている、日清紡開発と竹尾販売のロングセラー品である。
世界堂本店では今、ラシャ紙は巨大な四六版の大きさのみ売っており、店員に言って一枚一枚出してもらうような売り方である。椅子に上って恭しく一枚一枚丁寧に引き出してくれる店員さんの姿を見ながらこれを買うと、少し感動が増す。まあ、だからいいのかな。



かたやタント紙を自分が画材屋で見かけるようになったのは、浪人生の頃だった気がする。もっと前からあったのかな。わからないが。
色の美しさや少し凹凸のある表面、高い質に間違いは無いのだが、自分個人は、最初手に取った時から、なぜかこの紙種が好きになれなかった。素材には作り手との相性というものがある。タント紙は特に色彩が、自分にとっては、なにかはねつけるようなよそよそしさがある気がしてならない。
質感にしても、多様な色材ドローイングには耐水性が過ぎ、鉛筆やコンテなどのデッサンには滑り過ぎ(もともと描画用紙ではないだろう)、工作には厚みが薄すぎる。
でも、このタント紙が世間一般に受け入れられることは理解出来る。なにか表面的なキャッチーさはある。PC世代の感性を感じる。
いまこの記事を書いていてキャンソン社の「ミ・タント紙」とこれを間違えていた。タントは日本製のようだ。ちなみに凸凹の強いキャンソン紙も使いづらくて自分はほとんど使えない。



他の紙と比べれば比べるほど、暖かい手ざわりのラシャ紙への愛が募る。
「かつての日本の各企業、職人や技術者のものつくり精神」という自分の中の戦後や昭和のイメージをそのまま地でいくような、堅実な高品質さ、愛着を持てるわかりやすさ、くせのない使いやすさがある。これが無くなってしまったら、自分の寿命も物悲しく縮んでしまう、そんな気さえする。
「ラシャ紙」は「トーヨーの教材おりがみ」の古くからある素晴らしい色出し(特に蛍光に近いピンク群の素晴らしさ)と合わせて、日本人による日本の商品として、決して無くなって欲しくないものである。
どちらも一度、工場見学で制作行程を見てみたい。
by meo-flowerless | 2016-08-11 17:30 | 絵と言葉

私的昭和キラキラ史

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いま聴くと【キラキラ星】という曲は、その題にふさわしい優しい音楽だと思う。キラというのが英語ではtwinkleという美しい響きなのだと知ったのは、幼時この曲を覚えたおかげだ。しかしまたこの曲から直接的に夜空に光る星をイメージすることが出来ないのは、耳にこびりつく自分のへたくそバイオリンの調べのせいだ。
三歳の時初めて小さなバイオリンを持たされて、同じ団地の若い男の先生のところに習いにいくようになった。とても優しくて素敵な先生なのが良かったが、自分のバイオリンの音は一向に優しくて素敵にはならなかった。
鈴木教本の一番最初の曲が【キラキラ星変奏曲】だった。様々な弓使いの練習のために【キラキラ星】をいろいろなリズムで刻んで弾かなくてはいけない。「ギギギギギッッギ」という潰された蝉みたいな自分の音が、この曲の記憶のすべてを支配してしまった。

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幼いとき、何時頃に寝かしつけられていたのかは覚えていない。真夜中、尿意や寂しさなどで急に起き、寝ぼけ眼でテレビのついている居間にふらふら歩いていく時間帯があった。必ず母が「どうしたの?おトイレ?」と優しく笑って振り向いた。
その必ずの向こうに、もう一つの必ず、があった気がする。【スター千一夜】のオープニングテレビ画面である。同じ時間に起きる癖があったのだろう。言葉を覚えるのは早い子だったので、スターの意味もなんとなく分かったし、発音は分からないが千・一・夜のそれぞれの漢字の意味も分かった。ただ、しばらく「ちいちよ」と読んでいたと思う。



ああ、「夜」…。その文字は印象的だった。「夜」か「タ」の文字のどこかの点が星になっていて、キラリンと煌めていた。
「キラ」という煌めきに、現代人はほぼ、ウィンドベルをかき鳴らした音をイメージするのではないか。形はやはり、十字やダイヤ形の点滅するイメージだろう。それまでその一般的「キラ」をあまり理解出来ていなかったのだが、真夜中の母の笑顔の向こうの【スター千一夜】こそが、キラキラの凝縮形態との出会いだったと思う。親の役目を解放されてぼんやりとくつろぐ新鮮な母の顔と十字&ダイヤ型の光とともに、真夜中の時空への誘い、大人の深い時間帯の憧れ、宇宙の遠い距離…が自分の中に定着された。



それからというものしばらく、なんにでもキラキラの形を書き入れた。ただし、★という星の描きかたを親に教わってしまってからは、十字型のキラキラをほとんど絵に描かなくなってしまった。これは70年代少女漫画から80年代少女漫画絵の移行期の、はやりの記号の変遷ともリンクする。十字形のキラキラが古くさい、というイメージになってしまったのだった。
今では十字形のキラキラのノスタルジックな汎用性のほうが好きだ。



写真にある自作の定期券にも、しきりに★を書き入れている。というより、いまみると「ある所⇔そこの所」という大雑把な時空の広がり感が凄い。昔の私のなかには宇宙が広がっていたのだろう。今辛うじて残っているのは「どういうところ経由」という中途半端な寄り道感だけである。



さきほど調べてみたら【スター千一夜】の放映時間はたかだか20:00前後だったようで、可笑しくなった。私はあれが真の「真夜中」なのだと思っていた。今ならようやく大学の仕事が一段落つき、自分の一日が始まる時間だ。


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自分の中の「キラキラ」の五感的最高形態はいったん、小学生頃に発売された【宝石箱アイス】で完成を見た。そんなにロングセラー商品でもなくわりと高かったカップアイスだが、昭和の菓子話ではよく登場する伝説的アイスだ。
縁をラウンドにした立方体に近いカップは、黒い色をしていた。そのデザインが素晴らしかった。蓋に赤、黄色、緑のそれぞれの味に合わせた色の宝石とも氷とも十字星とも言えないキラキラしたものの写真が印刷され、白い細斜体文字で【宝石箱】と印字されている。【スター千一夜】を思い出した。



なんて素晴らしいのだろう、高いけどこれは売れるぞ、と一目見て思った。バニラではなくミルクのアイスに、ザクザクと色のついた氷の粒が混じっている。それを宝石に見立てているのだ。とくに「エメラルド=メロン」の味が最高だった。高級というより、洒落た味わいだった。
やがてどこの菓子屋でもアップルカクテル味しか見かけなくなり、【宝石箱】の廃番に気付いた。子供心に寂しかった。ときめきをもう一度、と思っていた。
その頃にはテレビ番組【スター千一夜】も終わっていたようで、自分が夜の時間にそれを観覧することは、その後なかった。


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一回「キラキラ」に撹乱が起こったのは、地元八王子のカルト盆踊り曲【太陽おどり(歌・佐良直美)】によってだった。
盆踊りの時、変なエグい曲がかかるなぁ、とは思っていた。しだいにそのゴーゴーサイケな編曲や中性的ボーカル「はっぱキラキラキンラキラ、ハァ!キンラキラキラキンラキラ」というわけのわからない歌詞が気になり始め、違和感を覚え出した。
丸顔にラウンドカットの、男か女かわからない、いつも笑顔のままで低音の歌を歌う佐良直美が、当時は意味もなく恐くてしょうがなかったので、ご当地盆踊りをあの人が歌っていると思うといやだったのだ。
「葉っぱのなにがキラキラすんだ?キラキラは太陽ではなくスターではないのか?しかも、チラチラともギラギラとも聞こえるあの発音は、何だ?」



しかし大人になるにつけ、昭和の歌謡曲に嵌まり、【いいじゃないの幸せならば】の佐良直美の深い歌唱力に嵌まり、【太陽おどり】が「ひとりGS歌謡」の名曲だと気付いたのだった。
夏祭りには八王子のどこででも、彼女の声の原形をとどめない焼き直しテープの【太陽おどり】を聴けるけれども、音源がちゃんと聴きたくなった。ようやく、八王子中央図書館に三本しかないテープを借りて聴くことができた。が、こともあろうにそのテープを誤って延ばしてしまう、という罪を犯し、貴重な【太陽おどり】テープは、図書館に二本になってしまった。数年後に行ってみたら、もう皆無だった。生涯最悪の罪悪感は、これである。



「はっぱキラキラ」の歌詞は、今でもちゃんとした意味を知らない。葉っぱは、高尾山の葉っぱのことである。
太陽、平和、キラキラ….60年代後期〜70年代初頭のキーワードをただぶち込んだだけなのだろう。平凡な歌謡盆踊りになるところが、GS的アレンジと佐良直美の絶妙なボーカルで、またとない名曲になっている。地元のファンキーモンキーベイビーズがカバーしていた。
youtubeで「世界でいちばんナウい新八王子音頭」という題で太陽おどりをあげている人が居て、馬鹿にされてるなあと思いつつ秀逸。やはり名曲。
先日近所の盆踊りでも、しょっぱなにかかっていた。夏の間、どんなに音声が悪くてもあの「はっぱキラキラ」を聴かないと、夏を過ごした気がしない。
今年初甲子園出場の八王子高校は、ブラスバンドも全日本レベルらしいから、どうか応援のブラス曲に「はっぱキラキラ」を取り入れて欲しい。滅茶苦茶応援してるぞ。テレビないけど。
by meo-flowerless | 2016-08-02 22:40 | 絵と言葉

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