画家 齋藤芽生の日記 Twitter/ @meosaito


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既視感人

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他人がなんらかの「既視感」を感じている瞬間を、見ているのが好きだ。
「ここ来たことがあるような気がする」とか「ちょっと待ってその話知っているかも」と言いながら遠い目をする時の、蒼白の頬や奇妙に澄んだ目を見ると、嬉しくなる。
懐かしさの中でも「知ってる知ってる」という同感のオンパレードには、そこまでの魅力は感じない。
同世代の回想話も盛り上がりはするが、むしろ、他人のなかの見えづらい記憶の断片のたどたどしい話、が結構好きだ。



既視感を感じている途中の人は、ちょっと何かに取り憑かれているようで、とりつく島がない。
その人が記憶の符牒を合わせながら一歩ずつ時を遡っていってるのを、「知らね。勝手に思い出してな」とぶった切ることは容易いが、目に見えない記憶の糸を自分も横でわけもわからず手伝ってたぐり寄せるのは面白い。「他人の過去なんか面白くも何ともない、犬も喰わないよ」という感覚の人間の方が圧倒的に多いようだが、私はそうではないらしい。
自分も「既視感人」だからだろう。



母が何かの拍子に、よく同じことを言う。
「夕方の早風呂の、窓の外のまだ明るい光を浴びると、芽生がはじめて独り暮らしした家へ遊びに来ている錯覚に陥る。同時に何か南天のような赤い実が浮かぶ。脈絡はない」
本当にどうでもいい話題なのだが、私はその話題がいつでも好きだ。
一人暮らしをはじめたのはもう二十年以上前だが、母は多分今も、同じ光に同じ錯覚を起こすだろう。そのせいで私も早い夕方に誰かのシャンプーの匂いを嗅ぐと、反射的に、そのアパートの窓の外からたまにきこえてきた女の子守唄を思い出す。
既視感というか、まとまりのない記憶がふとした時に集まって整列するような、そんな感覚だ。



記憶の連鎖がはじまると、文章を書きたくなる。今はその時期のようだ。
目の前にあることに、全く脈絡のない過去を閃光のように思い出し、急に体験がダイナミックに立体的になる。そういうことの一連を面白く思い、書き止めておきたくなる。
自分は、ある種の肯定的なフラッシュバック/既視感覚においてこそいきいきと生きていられる気がする。



ふとした既視感から記憶を蘇らせようとすることは、自分自身に何らかの催眠療法をかけているようなものなのかもしれない。
何かが見えますか ? それはいつのことですか ? そばに誰かいましたか?
甘く問いかける声に、恍惚とした過去の自分が、おもわぬ証言を引っぱりだしてくるようなことがある。
既視感から引いてきた風景を集めると、いくつかの根があるのを感じる。それを、原風景だと感じる。



既視感を大袈裟に大事にする傾向は昔からあり、自分の友も「既視感人」が多い。
大学時代の親友のワッコチャンとは、夜が明けるまで「わけもわからず懐かしい原風景のパターン」などの話を、飽きもせずしていた。
「既視感人」には、結論が要らない。散らばった断片から起点へと遡る旅なのだが、起点がわかったところでその起点以前にも何かあるような気がするのが「既視感」だ。
届かない空中の蝶をふらふらと追いかけ、見知らぬ森に迷い込むことが楽しいのだろう。



自分が心を掻き立てられる懐かしい記憶のひとつは、「深い渓谷にひびきわたる女の歌声(詩吟)の反響」だ。五歳くらいにはもうこの感覚を知っていた。なぜか「琵琶湖温泉ホテル紅葉」のCMソングの女の人のこぶしを聴くたびに、行ったことのないはずの霧の渓谷風景を懐かしく思い浮かべていた。
小学生の頃はすでにその渓谷のことを「前世の記憶なのかな」と思っていた気もする。
親に聞いても、そのような深い渓谷に行ったことはない。
ワッコチャンは、「グレーの隣に置かれた青紫色が錯覚で発光しているように見える」ことや、「暗い天井の高い建築の天窓の方から差し込んでいたステンドグラスと思われる青い光」が、無性に懐かしい風景だと言うのだった。その後も彼女は、一貫して光にまつわる作品を作っていた。



私達は、夜にもかかわらず他の友に電撃電話をかけ、唐突にこんな風に切り出した。
「あなたの原風景を教えてよ」
迷惑がられるという予想に反して、ほとんどの人がすぐ話に食いついてきた。
「原風景って、懐かしい風景とかでいいの ? 無性に懐かしい ? うーんと、あるね。滑走路だよ。小さい頃から、飛行機も乗ったことがないのに、滑走している飛行機の足が道路を見ているみたいな映像が浮かぶ」「私は、海の底を何故か小さい頃から知っている気がする」などと、答えてくれた。



今思えば、それを全て記録を取っておけば良かったのに、と悔やまれる。
大人になった今も、周りの人にそれをしてみたい。
が、そんな話題をうっとうしく思う人の方が圧倒的に多いし、あの時代あの年齢の独特な空気感で許されたことだったのか、とも思う。
by meo-flowerless | 2016-06-28 22:10 | 絵と言葉

犬猫とむらい人

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もう何年も前の、ある日の出来事を書き留めないまま過ぎたことを、この写真で思い出した。
散策の途中、強烈な印象の一軒の民家に立ち寄ったときのことだ。
印象が深すぎたので、どうにも書きあぐねて時が過ぎた。


いなかじみた勤務先からテクテク歩き、鄙びた畑地を散策していた。
夏か秋かすら定かではないが、ある住宅の垣の赤い花を撮っていた。新しいカメラを買ったばかりで、何かを撮りたかった。まわりは田畑や林。数軒ずつ建売り住宅が組になって並ぶような集落だ。
撮ったのは縷紅草だと思うから、そんな季節だ。その家の庭先は、割合美しかった。
ブリキの猫の目にビー玉がはめ込んである「カラス除け」のまわりに、様々な花がからんでいた。幾匹もの猫が蛇のような身のこなしで、するすると植物の間を過ぎる。沢山飼っているな、と思った。


ふと気付くと門のところに、笑顔の女主人が立っていた。写真を撮っていた私はバツが悪く、
「すみません、花がきれいだったんで撮りました」
と正直に挨拶した。
女主人は怒りもせず大変嬉しそうな顔をして、花の話や猫の話をはじめたので、少しほっとした。


しかし、それが段々熱心な感じになってきた。
私の肩を掴み、これが縁だからどうか家に上がっていってくれ、一目見て欲しいものがある、と言い始めた。
緊張で顔が強ばる私に、その人はしきりに言った。
「大丈夫よ、何か怖いことを見せるんでも何でもないの。でもね、こういう生きざまもあるということを、誰かが知っておくべきだと思うのよ」
その台詞にそこはかとない恐怖を感じ、振り切って逃げ出したかったが、家の中の窓ガラスを引っ掻くようにして愛らしい犬たちが来客に愛嬌を振りまくのを見て、つい油断した。


一歩玄関に入ってすぐ、何かを悟った。
「靴のままで上がっていいわよ。床は、あの子たちのオシッコやら毛やらで汚れているから」
鼻を突く臭気。犬猫屋敷、とでもいう感じのお宅らしかった。
女主人は見たところ、非常に優雅で穏やかそうな物腰だ。たまにいる、猫に生活を捧げ過ぎて自分の身じまいも収拾がつかなくなっている人、とは少し違うようにも見えた。
が、やはり、犬や猫の幸福に任せ、人の暮らしのスペースがあまりない部屋の有様には、つい身を強ばらせてしまった。


一階では老いた病犬がだるそうに窓の外の光を見ていた。一家の主の老人のように見えた。
ひっきりなしに猫のような犬のようなどちらか、毛むくじゃらのものたちが私に群がった。
女主人は二階に私をいざなった。何とか言って早々に家を退散しようとしたが、
「私はあなたに、迷惑をかけるつもりは無いのよ。誰かに知って欲しい。それだけ、それだけなの」
と切々と言った。その言葉に負けて、二階の部屋に上がった。


破れるに任せた障子が風に揺れている。眺めのよい畳の部屋が、二つほどあった。
「私が見せたいのはこれ」
と、彼女は手を開いて一方の壁を刺さし示した。
壁一面びっしりと何十もの、赤や紫の錦布の飾りを付けた陶器の「骨壺」が、夥しく陳列されている。
おお........ としか感想がでない。
女主人は頷きながら満足げに微笑んだ。
「写真も撮っていってください。一人でも多くの誰かに、この子たちの魂を守っていることを知って欲しい」
ひとつひとつの骨壺の前には、猫の名前の位牌がある。
彼女はその名をいくつか例に挙げ、各々の猫の生前がどうであったかを語った。
その骨壺だけがこの家の中で整理され、埃をかぶらないように手入れされ、細心の注意で美しく守られているものだった。
私はさすがにその壷は、促されても写真を撮る気にならなかった。


猫の生きざまを聞いているうちに、私もいくらか慣れてきて、普通に女主人と猫的世間話などを交わし、笑ったりもした。
猫を拾った傍から次々と死んでしまうのか、長い時を経て骨壺がたまったのかは、わからなかった。
彼女はそれさえ見てくれれば本当に感謝だ、というように、私を玄関へ送り出した。
ひたすら最後まで何度も何度も繰り返していたのは、
「世の中にはね、いろんな人間がいるんです。こういうことに生涯を注ぐ、そんな人間も、忘れられてはいるけれど、いるんです。それを知って欲しかった。誰かに知って欲しかった」
という言葉だった。


どんな受け答えをしていたか、自分自身の言葉は全く記憶に残っていない。あまり言葉が出ず、ひたすら頷いていたように思う。
暗い畳の間に安置されていた骨壺の整然とした姿は、異様に絵画的な光景でもあり、見る人によっては私の作品に似ている、などと言われかねない感じだった。
けれども、そのときの彼女の言葉通りに「ひとつの現実を知った」あとでは、「イメージなんか何ひとつその現実を越えられない」という思いに、しばらく苛まれた。
by meo-flowerless | 2016-06-16 02:05 |

Clusterとマリン・サイエンス

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勤務先の大学まで、公園の道を十分弱。よく公園の前でipodをリセットしてClusterの『Grosses Wasser』や『Sowiesoso』に、音楽を切り替える。
するとなぜか白紙の気持で大学の仕事に従事できる気がする。シリアスなのかふざけているのかわからない内省的な電子音を聴きながら、「仕事だ、私は一応先生だ」という精神統一をはかる。



Clusterの音楽が連想させる「研究機関」感覚が好きだ。ラジオ放送大学のジングルのようにも思える。自分はピコピコいうテクノになってしまうともうあまり聴かないが、Clusterの音楽は何とももどかしい密閉的なミコミコ電子音なのがよい。
NHK教育チャンネルの科学番組の、シャーレのカイワレ大根の芽が伸びる早回しとか、蟻の巣の断面の早回しとか、菌が増殖したり黴が繁茂するようすの映像とか、そういうものが映し出されるときの音楽を思わせる。



「研究機関」感覚には昔から淡い憧れを持っていた。いま技法材料研究室にいて感じるのもそれなのかもしれないが、まあ、もっと理科系の研究機関への憧れである。なぜならば私は理数系が壊滅的に弱く、ほんとうに小学校三年生程度の知識しか頭に残せなかった人間だからだ。研究という雰囲気だけが、大人の世界のものとして、憧憬を呼び覚ますのだ。



きょう母校の中学高校一貫教育校をひさびさにたずねて、教育実習の見学などをさせてもらった。
懐かしいというよりも苦く蘇ったのは、自分の大学四年時の教育実習の記憶ではなく、中高の生徒だった頃の自分のほうだった。
高校時代は特に理科の時間を、睡眠かドローイングにしか使わなかった。上の写真は高三の時のノートであるが、書き留めている学術用語は全く頭には入っていない装飾的な文字である。



高校三年時。
窓の外に深紅のネムの花が揺れていたのを今も覚えている。五時間目の眠さと、ネムの花という響きがシンクロする。
私と似たような馬鹿どもばかりが教室の後部を閉めていた「生物特講」では、高校の先生とは思えない学者然・教授然とした平林先生が、不真面目な生徒といつまでたっても言葉を発さずにダンマリ対峙していた。
スマホこそないものの、私達はこれ以上ないほどやる気のないからだの形で、それぞれ思い思いのことを勝手にやっていた。最低の生徒だった。



ある時、平林先生は【Marine Science】と、それはそれは巨大な美しい字で黒板に板書した。
それは先生の本来の専門分野の呼称だったのだろうと思われる。
それだけで、以降は黙って哀しげに生徒たちを睨みながら、一時間過ごした。もう授業の最終回に近いときだった。
落書きばかりしている不真面目な生徒のひとりでありながら、内心、どんなに先生はやるせないだろう、と胸がきりきり痛んだ。
胸が痛みつつ、その平林先生の細い剥げメガネ姿をデッサンしていた記憶がある。【Marine Science】という、たったひと言の授業の板書も、そこに添えられた。



休み期間など家で絵を描く時に、「ラジオ放送大学」を流す習慣がついたのは、その頃だ。
無機質な電子音のジングルが、学校のチャイムのかわりに、授業の間合いを区切る。全く意味の分からない様々な「学問」が、誰も邪魔されることのない密閉された静けさのなかで、淡々と語られていく。全ての声の主が、平林先生のように思えた。
心の中の学者先生への罪滅ぼしというわけでもないのだが、神妙にその放送の静けさを享受していた。平林先生のような学者先生は、本当はここまでの静けさの中で話したいだろう、と思った。



大学受験のとき、センター試験の会場は東京農工大学だった。
おそらく農工大の教授と思われる学者らしい人々が、ヨレッとしたトレンチコート姿で試験監督にあたっていた。
古い木造の校舎には達磨ストーブの匂いがし、一つ一つの教室には、「家畜病棟」「硬蛋白質研究室」とかいう(イメージ)、筆字のプレートがかかっている。
学問。研究。静けさ。密度。大学の研究室空間への憧れが決定的なものになった。


その試験日は、雪が静かに降っていた。
聞こえてくるわけではないけれど、各研究室のストーブのジジジという音を空想の底に感じながら、センター試験を受けた。
放送大学の静けさを、頻りに思い出した。
一浪してもまた芸大受験を頑張ろうと思えたのは、もしかして芸大そのものではなく、その日の東京農工大の校舎や研究室の雰囲気に「大学」というものを憧憬したからかもしれない。



飛込み台みたいなのがポヤッと描かれた、無機質でとぼけた音楽のジャケット。
Clusterの音楽を聴くとまず放送大学を聴いていた悶々としたデッサンの白昼を思い出し、静かな学問空間への憧憬を思い出し、平林先生の影に行き当たる。
このジャケットも含めたCuster世界の白さと密閉が連れてきてくれるものは、あの試験日の雪と、先生が黒板に残して去った学者らしい文字【Marine Science】と、プランクトン的な「見えない涙」の哀しみだ。



e0066861_18135081.png 『Grosses Wasser』 Cluster 1979
by meo-flowerless | 2016-06-11 22:29 |

新宿射撃場

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美大進学のための予備校に講師として勤めていた八年は、新宿が庭のようなものだった。
帰り際は、伊勢丹の化粧品売場の試用かCD屋で音楽を漁ることで満足して帰路につくのだが、同僚に同年代の男たちが多くいたので、たまに彼らの遊びについていった。
彼らの趣味と言うか存在感じたいが渋かったのが自分にとっても、ほろ苦いような、近くとも手の届かない憧れのような、いい思い出である。


コマ劇場の広場付近に「射撃場」があり、そこに行く彼らに付いていって射撃をした。
物凄く簡易な空間で、飾りも何もない。
ただのテナントビルの空いた一室に薄暗い蛍光灯がついていて、ガラスで仕切られた向こう側の射撃レーンに紙の標的が浮かんでいる。
人生の事情を全部洗い流して清貧になったような感じのおじさんが、静かに銃を渡してくれる。
もちろん実弾が装填されているわけではない。


そこに来る人も若いチャラチャラした者はおらず、酔ったサラリーマンなども皆無で、同じように何かを洗い流したようなシンプルなおっさんたちが黙々と的を撃ち抜いていた。
若い女の私が一人混じろうが誰も不快も興味もなんにも見せず、流れ者しかいない男風呂の脱衣場のように淡々と時間が流れていた。
その無感覚、無感情、無機質に、今まで男に感じていた「男」とは全く違う、男の虚無を見たような気がした。
弾を全て打ったあとは、その撃ち抜いた紙の標的が貰える。肌色の紙にシンプルな黒の印刷。
簡易な紙に穿たれた穴。それがかえって一抹の事件感をにおわせた。


よく「ニュートラル」という言葉を格好よく使う人がいるが、私は何故かニュートラルという言葉に、あの簡易な新宿射撃場をいつも思い出す。
もうひとつ思い出すものは、セロテープの一片を折り畳んだ切れ端の、透明でも白でも黄色でもない色である。
生業は何だったのか知らないが、あの場所にいた、無機質と人間味の狭間に在るような人々の面影は、そんな顔色をしていた。
彼らはなんらかのニュートラルを欲してあの場所にいたのだと想像する。
ただそのニュートラルの本質は多分、女の私に言語化出来るような、勝手にしていいようなことではない。



歌舞伎町のあの辺りが一掃されることにもそこまでの無念は感じなかった。
新宿射撃場が無くなったと聞いた時は、さもありなん、という感じがした。
射撃場に関してだけは、なんだか宇宙に星がひとつ消滅したような喪失感を感じた。
「何かを無くしにいく場所が、無くなる」ということを、しきりに思った。
by meo-flowerless | 2016-06-08 00:05 |

他生への郷愁

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「他生への郷愁」とでも言えばいいのか。
たまに、自分の過去の記憶外のなにかが、感覚として押し寄せることがある。
私のとも言い切れず、でも誰か別の人のものとも言えない。記憶とすら呼べないような、夜風に撫でられるときの寒気のようなもの。未知の領域でも既知の領域でもない知覚たちが、灰汁のように浮上する。



前世というほど過去のことではない。が、必ずしも現在だとも言わない。
自分と同時代を生きていたことのある人が、遠いどこかで感じていたであろう、あるいは今感じている、人生の震えのようなものが、ふと傍受されて、皮膚をゾワッとよぎる気がする。
気がする、だけかもしれないけど。



【ふたりのベロニカ】という映画がある。
ポーランドとフランスの二人の「ベロニカ」は、顔も能力も癖も同一人物のような人間だが、互いの生を知ることもなく、全く別の人生を違う土地で生きている。
が、片方のベロニカはうっすらと、もう一人の存在の死に重ねて自分の生がある、ということを知覚することがある。
あの映画のような「無性に懐かしいが、知りはしない」存在が、私と同じ「私」という生を、どこかのパラレルワールドで生きているのかも、と思ったりする。




日本にいる時にそういう感覚がするときは、どうせ忘れていた自分の過去がフラッシュバックしているのだとか、親の話から想像した過去に感覚ジャックされているのだとか、なにかのテレビドラマが自分の記憶に重なったのだ、と考える。
けれど、海外の町にいるふとした瞬間に、強烈な「縁」の感覚と、その縁の喪失感のようなものにおそわれるとき、その既視感の出所について、つい不思議になってしまう。



ドイツのケルン近郊の小さな町に行った時に、何気ない新緑の風景にふと、幼児の遊ぶワークルームのような場所の匂いや光の記憶がどっと襲ってきた。それは日本の幼稚園の感じとはかなり違う記憶だった。
あと、行ったことないのに小さい頃から、「ロンドンの文具屋か本屋のようなところでインスタントレタリングを選んでいる」という未知の経験が自分のもののように蘇ることがある。そのとき、なにかの鐘の音とともに蘇る気もする。
ほかに、アメリカでも東南アジアでも、町の郊外の高速道路が殺伐とした風景を呈しているような場所に行ったときは、たいてい胸を突くような、何かの記憶が蘇りそうになる。が、映像として思い出せはしない。そういう理由で、まだ旅の始まっていない、或いは終わった時点の、郊外の空港と町を結ぶ経路のどうでもいい殺風景なんかに限って、旅行の一番鮮烈な印象として刻み込まれることが、たまにある。




匂いや光に感じる既視感は、時間や場所などに対する感覚のトリップだ。
が、人の存在に対してさらに「他生遠くへ」いちばん自分を飛ばしてくれるものは、雑音混じりの音楽だ。
通りすがりにある感じの歌声を聴いたとき、ある感じの和音を聞いたとき、エコー感のある時など、いくつかの条件でふとその、未知と既知の狭間のパラレルワールドに、急にシンクロするような気がする。




数年前、ベトナム・ホーチミンで、1950-70年代くらいの女性のくらい歌謡曲ばかりかけている料理屋に入った。
ベトナム歌謡はメロディラインに特徴がある。東南アジアのポップスの曲調は少しずつ違えども結構似ているのだが、ベトナム歌謡のあの何とも言えないラソレ↓と下がっていく音階を聞くと、なぜか記憶の底深くにふと手を触れられたような気分になる。
それを店で聞いた時も急激に、胸が掻きむしられるような気持になった。日本の演歌に対する既知の郷愁とは何かが違う。日本に帰ってきてから、いろいろ探して、声質や歌などからKhanh Lyという女性歌手の1960年代頃の昔の曲が、一番その時聴いたのに近かった。



昨夜からまたKhanh Lyを聴いている。
どこかの知らない、西洋圏のリトルアジア的な渇いた小さな異国の町の空気感、どこかの誰かの死んだ夜の寂しさ、一抹の不吉な腐臭、不遇の感覚が、押しよせている。
この、他生に遠く呼ばれる感覚。一体、ほかの誰の人生に対して胸が詰まるんだろうか? と、気になる。



その他生に対する感覚は、殺伐とした郷愁である。と同時に、とても親しみのある旅愁でもある。
たとえば海外に渡航して、夜に宿のベッドの上でひとりその国のラジオ歌謡をぼんやり聴いていたり、青い深夜テレビを見つめている時間の、孤独が極まれば極まるほど、ああ私は独りではない、と思うことがある。(一人旅をしたことがあるわけではないし、ホームシック的な郷愁のことを言っているのではない)
そういう時想いを馳せるのは家族や友でもない。世界のどこかにいる、未だ顔を見ぬある存在の気配である。



うまく言えないけれど、たぶん目には見えない「因果」や「運命」は、自我などというしろものと契約を取り交わしているわけではないのだ。名前や肩書きにおいての我執的生きざまの果てに、運命などというものがあるのでは決して「ない」、と思う。
そして運命というものは、けっして大袈裟な結末や事件として自分の目の前に降り掛かるだけのものでもない、とも思う。淡々と自分の知らないところで平行する世界を実は持っている、それを普段は知覚することが出来ない、そんな、「手は届かないが確実に備わっている縁や運命」というのがある気がするのだ。



ふと、自分が「どこの何者でもなくなっている」ような時。旅先で疲れてひとり、自我をはぎ取られている時間。国籍も名前も記憶もどうでも良くなった瞬間。そういう時に限って、なにかの密度が、世界ごとどっとこの存在に流れ込む。
危ういジャック感覚の中にだけ、運命との出会いはある気がする。
by meo-flowerless | 2016-06-04 02:44 |

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by meo-flowerless | 2016-06-03 15:49 | 日記