画家 齋藤芽生の日記 Twitter/ @meosaito


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夜行列車の中島みゆき

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昨年、夫と四国まで夜行列車の旅をした。二十二時に東京駅を出発し、早朝に香川の坂出に着く列車だった。その列車の便が無くなってしまうというので人気があり、駅員に発券のタイミングを頑張ってもらって幸運にも切符が取れたのだった。
何度も東海道本線で通っている景色を深夜に目撃するのは初めて、それだけで心が躍った。
いよいよ発車し、こじんまりした個室の寝台に腰掛けて眺めると、景色が一連の黒い絵巻のように感じられた。



夜が好きだ。一日の出来事の終焉と同時に、記憶と気配の世界が立ち上がる。この時間があるだけで、自分はもう一つの別の人生を持っているような気になる。
闇によって化けた風景は素晴らしい。夜のほうが、その土地の地霊が語りかけてくれる気がする。
谷間に落としたウェディングケーキみたいな熱海の灯。静岡の青暗い茶畑の影。瞬間的な踏切音の余韻。あらゆる夜についての図鑑を、ひもとくようだ。
やがて、どことも分からない単調な田園の闇に列車は突入した。平坦な暗さの中、時折列車と並走するトラックのライトや、線路から斜めに延びる農道の青白さに、感情のどこかがぐっと掴まれる。



田の中にポツンとある農家を目が捕らえる。
階段の窓だけが開いていて、暖かい灯が点っている。家の匂いまで伝わってきそうだ。
階段には何らかの色紙か絵が、申し訳程度に飾ってあるだろう。かつて小さい兄弟が遊びで穴を開けた壁にベニヤ板が貼ってあるかもしれない。銀ラメの混じった砂壁の仏間。部屋の冷たい御座の匂い。母親が階下から「◯◯、電話」と呼ぶ声。
旅先で出会う家の灯は、みな何故か遠い親戚の家のように思える。その家族の佇まいを、既に知っているような気にさせられる。



窓枠に突っ伏して、いろいろなことを考える。
夜はなぜこんなに、様々なことを蘇らせるのだろう。自分の記憶だけでは収まらないほど、深い見知らぬ過去が私の中で溢れる。死ぬ前には脳裏に走馬灯のように過去の場面が流れる、と言うけれど、本当は人は、生きながら何度も記憶の走馬灯に襲われるのじゃないか。



例えば夜風に、横断歩道の鳩の音に、踏切を過ぎ去る電車に、止めどもなく情景が次々と蘇る。あまりに過去が流れるので、もうじきポックリ死ぬんじゃないかと不安になっても、今まで無事に死なずに来れた。
失恋にせよ卒業にせよ、あらゆる別れは小さな死なのだ、とも思う。はっきりした訣別の儀式などなければないほど、喪失の度合いは深い。あれはもう遠い彼方に去った、いつのまにか帰れなくなったと思うたび、「喪」の感覚が止めどもなく走馬灯を流し始める。



受信状態が悪く波音のような列車ラジオの向こうに、女の声の無性に懐かしい歌が聞こえていた。聴き取れないくらいの音声が、遠い土地にいて手の届かない人のように、寂しく優雅だ。
また旅愁の走馬灯が押し寄せる。知床の薄青い霧の民宿。小さい頃に訪れた高原。サーチライトの見える川のほとり。海の宿の赤いカーペット。初めて乗ったフェリー。宮沢賢治を読んだ夏の夜の蒲団.....



聞こえているのは中島みゆきの【歌姫】だった。地味な歌で印象になかったが、切れ切れのサビで分かる。
どこか古き良き日本映画音楽のような曲調だ。白黒の記録映画に残り続ける汚れのない海を思う。彼女は歌詞だけではなく、メロディでも旅愁を表現出来る。遠いラジオと中島みゆきの曲調は合う。特に情景喚起力のあるのが、彼女の故郷の北海道を感じさせる歌だ。原野や農場のイメージではなく、北の海の道という文字通りの、はるかな海原のほうを思い出す。




自分が青春時代にした友との車旅が北海道だった、というのが大きい。
私が歌謡曲十五巻テープを自分で編集し、三台の車でそれを分け合ってかけまくった。そのテープにも中島みゆきは入っていたし、カーラジオから中島みゆきの特別DJ番組が流れていた。土地柄、サハリンかどこかのロシア語の放送が混線して混じってきた。
札幌、小樽、帯広、中標津、別海、襟裳、釧路......何百キロの道のりは、歳のいった男の先輩たちの運転に任せ、ガキの同級生どもと私は、無責任に眠りこけたり景色を見たりしていた。
運転する男達の横顔にはじめて、大人というものの骨格を見た気がした。
知床の夜、あの流転感を感じたい一心で私は、その後も旅をして、人に出会っているのだという気さえする。以後の数知れない旅のディティールは、いつもその北海道旅行の原型の中に収納されていく。収納された記憶の箱を開梱するように、中島みゆきの歌は日本中の見返られない「普通の風景」をひもといてゆく。



松任谷由実のメロディは都会をさすらう逡巡で、中島みゆきのメロディは日本を流転する移動距離だ。自分の中の、東京郊外の逡巡風景から日本各地の流転風景への移行は、聴く曲が松任谷由実から中島みゆきへ移行したのに重なる。熱烈なファンのような聴きかたはしないがそれらの歌は、常に心のどこかにある、
僻地にひとり赴任する男の孤独とそこで男がみる女の亡霊の両方を兼ね備えたように、中島みゆきの歌は両性具有的だ。怨念的であり女神的でもあるそのイメージを総じて考えると、中島みゆきはつまり「地霊」的なのだ、と感じる。その在り方は自分の永遠の憧れでもあるかもしれない。



あの時北海道に一緒に行った人々は、旅景の守り神のような感じでもあり、うらぶれた歌謡曲の音源のようでもあり、懐かしい親戚のイメージの集約のようだった。よく歌い、旅をし、それがなければこの今の私はない。自分にとってのある種の決定的な切なさの原型、私の走馬灯をまわす存在なのだろう。
列車ラジオの遠い雑音の混線感覚が、あの旅行のカーラジオのロシア語や、薄暗い北国の空を蘇らせた。【歌姫】が終わるか終わらないかのあたりで、私は列車の寝台に横たわりながらうつらうつらしていた。
by meo-flowerless | 2016-05-27 22:22 |

東大寺のXJAPAN

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五月。毛穴から自然の霊気が行き来するような気分だ。素晴らしい季節。
そして古美研の季節だ。
古美研とは、勤めている大学の、伝統ある古美術研修旅行のことである。奈良、京都の寺社を巡る二週間の研修。在学中に一度しかいけないところが自分は教員となったので、三年に一度引率をする。油画科の行く時期が、四、五月の一番いい時期。
今年は自分の引率ではない。けれど季節柄、思い出している。



京都もいいが、奈良の包容力のほうにひかれる。特に東大寺は何遍でも行きたい。
先生のくせに毎回たしなめられるが、太い柱の木を頻りに手で撫でてしまう。
季節のせいなのか歴史のせいなのか、風景の全てに「呼吸感」があるように感じる。自分が日頃の生活で深呼吸を忘れ、息を詰めて暮らしているのに気付かされる。
肺が目覚め、器官が震えるような呼吸。光に満ちた晴の日でも、肌寒く濡れる雨の日でも、奈良でならそれが出来ると思ってしまう。



研修中、暗くなってから学生達と一緒に、二月堂の高楼に上がったりする。
そこからの奈良の灯をぼんやり見下ろしながら、他では味わえない感傷に浸る。
時間に対する感傷ではあるのだが、「人の経てきた時間」に対する感傷でも、風景のに対する感傷でもない。「ものの経てきた時間」に対する感傷だ。



奈良の寺社の黒ずんだ色。時を経ても、派手であったであろう当初の色に塗り返さない。
その黒ずみを選んできた奈良人の感性は、情感よりは霊感に近かったのではないかと思う。人の魂以上の「ものの霊魂」をそこに感じない限り、そういう選択はなかったんじゃないか。
現在の修復や色の塗りかえしが悪いとは全く思わない。かつて意味を込めて建造され彩色された建造物や装飾物を、歴史を超えて経験出来るから。でも、奈良の寺院の持つ古色の雰囲気は、また別の次元の感覚の話だ。
あの黒ずみの奥底から、建築や仏が...と言うより、その材質が「息をしている」のが聞こえる気がする。そんな感覚をもって、人々はあれを新しい顔料で塗り籠め「息を詰めさせる」ことをしなかったのだろう。
そう、勝手に想像する。



古美研にいくたび、美術に携わりながらも美術などという言葉は、近現代人の思惑にまみれすぎているのかもな、と思う。今の美術という言葉にどこかつきまとう、何かを理解しようとか学習しようとする集中力は、深呼吸を生むのではなく、逆に「息を詰めさせる」。緊張しながら鍵を解かなくてはいけない、神経的試練のようなものだ。
本当は、奈良の寺社や仏を体験することを、古美術体験などと言うのは抵抗がある。
というか、そもそも、そうではないだろう。あれらの全ては、そこに立つ者が「息を吹き返す」感覚のための環境装置であって、それ以外の要素は不必要なのかもしれない。



夜の春日大社にも、思い入れがある。
春日大社に夜入っていいのかどうか、は知らない。でも学生と探検していて、迷い込んだ。
遠近も分からず手探りでもがく森の暗闇の中、砂利の白さだけが夜の波の航路みたいにぼやっと泡立っていた。あれほどの暗闇は、他にあまり経験していない。
糞の臭気とかすかな音で、木陰に鹿たちが潜んでいるのが分かる。獣の潜む気配とはこういうものか。圧倒的な量の夜気が人間の身の丈を教えてくれる。



歩き尽くしてどこかの広い野原に出た時、学生たちとガキのように野原を走った。興奮の余り、誰かが小川の水に嵌まった。
何故か、泣きたいような気分になっていた。
解放感というのは、哀しみと背中合わせのときがある。日頃どうして、こういう五感の開放を自分に許していないんだろう、という、長い嘆息のような解放感。



解放感の哀しみは、学生時代に若草山でも体験した。
寺社見学の行程が早く終わり、数人で夕暮の若草山に上った。芝というか草原の丘だ。
西日のなかに赤く沈む奈良の街が、何となくせわしない。
「なんかライブがあるらしいよ、東大寺で」「え?東大寺で?」「XJAPANが来てるらしいよ」
などの会話をして、芝に寝転ぶ。
桃色とも水色ともいえない、夕暮の空が流れて行く。
そうやって草の上に寝転ぶことなど、まだ若い大学生でいてさえ、どんどん忘れていく。自分の存在が何か空気に剥き出しになっていることが本当に久しぶりのように感じ、なんともいえない胸の痛みを覚えた。このなんでもない時間、どうでもいい会話、どこともいえない(いや奈良だけど)旅の空。



その時、空一杯にジャバーンというようなギターのこだまが炸裂した。花火大会が始まった最初の一発のような華やぎ。びっくりして、みな草の上から跳ね起きた。
半信半疑だったライブは本当だった。古都の空の幕が開けていくような感じがした。歓声の気配が下方でしている。
なんともミスマッチで不思議な状況。寺の梵鐘がゴーンという静寂の夕景に、金属のお椀をガランガランと落っことしたみたいな音響が重なる。
流れ出した曲が何の曲か私は知らなかったが、高音の声は彼らのもののようだった。様々な山や建物の斜面にこだまして音が揺れていた。



XJAPANと奈良は意外にも、絶妙の相性だ。
遠いビブラートが、何か遥かなものの呼吸を呼び覚ます。宗教的な叫びのようでもある。
音があちらこちらに呼応するせいか、つい数分前よりも下界の街を見下ろす自分の視野が広がり、いっきに風景が全方位パノラマ化する。
普通に考えれば「こんな宗教都市で野外に音が漏れまくるライブなんてけしからん」なのだが、そんな考えを洗ってゆくようなじわじわした余韻の情動が、胸に込み上げてくる。フシギだ。
奈良の包容力が、音韻を風景に取り入れてくれるのだ。もし京都だったら、やっぱりけしからん気にさせられたかもしれない。東儀秀樹とかなら合うのかもしれないが。
皆も何故か笑いながら、「何か妙に感動するな」「寺も粋なことやるな」などと呟いていた。



青く光る東大寺のあたりを見やりながら、こういう奇妙な経験の情動はきっと絶対忘れないのだ、と予感した。
客としての対峙ではなく、行きずりの、バックヤードからの無責任な立ち会い。そうだ、経験というのは「わざわざしにいく」ことだけではない。「図らずも、その場に立ち会う」のも経験だ。
そういう経験は、積み重なるというより、体に浸透して身体そのものになっていくのだろう。
経験を呼吸する器官は自由に開放されている。奈良とXJAPANという奇妙な融合が、不意に私にそう気付かせた。
同時に、再び草に寝転びながら、このような感覚の「自由」を、私という存在はいつまで忘れずに保てるのか、不思議な哀しみを感じていた。


五月......そんなことを思い出した。
by meo-flowerless | 2016-05-22 23:34 |

「はいあかむらさき」と「おイモ色」

絵を描きながら、「アクリル絵具」箱に手を突っ込んで色を探していると、見慣れない、くすんだ赤紫色のチューブが出てきた。普段あまり使用しない某社の絵具だ。
気まぐれに買って忘れていたとしか思えない永久ベンチ入り感に、思わず色名を覗き込む。
【キャパット・モーチャム・バイオレット】。
なんだそれ。
他の色は見慣れたパーマネント◯◯とかブリリアント◯◯、あるいは原材料名の色名が多いのに、この色名は、意味が分からない。



検索してみたらcaput motuumとは、西洋の色材のなかでも酸化鉄系の赤紫の顔料のことで、元の意味は錬金術に使われる原材料の蒸留滓のことらしい。検索画像に謎めいた錬金術のサインが出てきたので、最初は何かと思った。
いつも使うターナーアクリルガッシュに、「オーバージーン」という素晴らしい深赤紫がある。ターナー社はとてもいい色合いをだしているのだが、この美しく便利でもある色に自分は何故か余り手が伸びず、買い忘れも多い。
それは名前のせいなのだと思う。意味が分からないから、つい存在を忘れてしまうのだ。一度、フランス語でオーベルジーヌという単語を聞いて、関連があるかな、と思ったきり意味を調べてもいなかった。今調べたら「ナス」らしい。
おそらくキャパット・モーチャム・バイオレットも、自分にとってはなかなか使いづらい色に当たるだろう。



色名もさることながらくすんだ灰赤紫は、よく使う色なのに、画材として用意されるとどうも手が伸びない。その名も「はいあかむらさき」という色が、子供の教材のぺんてるクレパスにあった。なんともいえない絵具の濁り水のような色だった。分かりやすい鮮やかな色の中その色だけ複雑きわまりなく、子供心に「この色の意味は....?」と思っていた。



今のサクラクレパスには「うすだいだい」という色がある。もと「はだいろ」だ。
肌の色は多様であるという現代の解釈に沿って色名が改められたそうだ。肌色、というのは今後、死語になるかもしれない。
けれど「うす・だいだい」の、新・松戸とか武蔵・浦和とか東・所沢みたいなゴチャゴチャした武蔵野線感が、印象を薄くさせてしまっている。
サクラは、肌色を排した怨念であるかのように、「まつざきしげるいろ」という、個人の肌色(もちろん茶色)を思いっきり差別化したキャンペーン色を打ち出していているのが凄い。



ぺんてるの「はいあかむらさき」の浮遊感のほうが、そういう肌色を巡る分かりやすい物語よりも、私には謎だ。36色セットのほかの「はいみどり」や「さけいろ」などと同列ならば分かるが、「はいあかむらさき」は、もっと少ない基本色セットにも、スタメンで入れられていた記憶がある。
この濁った紫系の色は、もしかすると、多くの色彩関係者にとって「手が届かないかゆいところ」にある色で、「外すにも外せない、かといって王道として愛を告げることが出来ない、愛人」のような厄介者なのではないだろうか。



自分も、この灰赤紫系統の色が、好きなのか嫌いなのかわからない。持っている服には多いのも確かだ。そのくせあまり着ない。母によく服を縫ってもらうが、母も無意識に、小豆色とかくすんだ赤紫の服を作ってしまう時期があった。



随分前、親友夫妻の赤ん坊が生まれたので、他の友とお祝いに駆けつけた。その時私は、上も下も赤紫の服を着ていた。上下同系色で揃えるのは私の悪い癖である。
私があやすと何故か赤ん坊が泣き出してしまうのを、横から友人のY君が、
「あー、かわいそうに。赤紫のおばちゃんこわいなー。おイモのおばけこわいよなー」
と言いながらあやすと、ぴたりと泣き止んだ。



その日から私がいくら憤慨しようと、私=おイモというイメージが気に入った友は、しょっ中私の服を冷やかした。ので、母がサツマイモ色の生地でも弄っていようものなら「待って!おイモ色はやめてよッ」と、先乗りして怒る事態になった。
あの頃の体型ですでにおイモのおばけと言われていたのだから、今の自分がおイモ色を着たらもう、な。
by meo-flowerless | 2016-05-19 08:35 | 絵と言葉

【Yes It Is】 The Beatles

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中学生から高校生にかけて、帰宅中に延々と続けた、夕暮の街の徘徊。
あの頃の途方に暮れた心情にしみる音楽は、今なら幾らも見つけられると思うが、当時は当時で、この曲こそは、と思うものがあった。
ビートルズの【Yes It Is】である。ビートルズの中でも、地味な曲ではないだろうか。



小さい頃バイオリンを習っていたこともあって音楽の「イロハ」と言えば、詳しくこそないけれどクラシックだった。「チリヌルヲ」の部分は大人になってから集めた歌謡曲。その間の12-16歳くらい、「ニホヘト」にはビートルズがある。洋楽的な目で見れば有り得ない流れかもしれないが、音を広く考えれば、クラシックと歌謡曲の間にビートルズにハマったというのは自分には自然なことだった。



戦後ベビーブーム&全共闘世代の母親の影響が絶大なため、60-70年代の文化や音楽を、母の思い出をなぞるように浚ってきて、今の嗜好がある。小学生まで自分で松田聖子なんかの歌謡曲のレコードを買っていたのが、60年代アメリカンポップスやイタリアンポップスのテープ購入に変わり、その流れがビートルズにいった。自分の青春から脱線して、親の青春を追いかけるようなことをしていたのだ。



ギリギリCDではない時代だったから、良かったのかもしれない。赤い透明の特別LP盤が出ていたので、ひと月に一枚買い足していった。
入口が初期の曲だったこともあって、自分が好きなビートルズは、初期から中期までの曲が多い。ちなみにロック好きが必ず筆頭にあげる『Sgt.Pepper`s....』だけ、持っていない。
今ではビートルズはitunesでもかなりマニアックなスタジオのアウトテイク曲なんかまで売っているが、その頃は丁度、レコードからCDへの移行期で、シングル盤が手に入りにくかった。ので、LPに収録されていない「B面曲」が、割と手の届かない幻の曲だったのだ。
そのなかで一番追い求めたのが、【Yes It Is】という渋いB面曲だった。



ラジオか映画でか、【Yes It Is】をたった一度だけ聴いて忘れられなかったわけは、もうほとんど不協和音に近いくらいの絶妙のハーモニーの移行感だった。色のグラデーションのような音の流れだと思った。脳裏に夕方の空の暮色が押し寄せた。
ビートルズ好きにもいろいろあるだろうが、自分はとにかく、圧倒的に和音とその転調の美しさに魅かれた。



あてもない帰宅前の彷徨の時間にレコード漁りなどもしていたが、その時にも、忘れられぬ幻の【Yes It Is】をしきりに探し求めていた。【涙の乗車券】の裏面だったと思うが、それだけたまたま手に入らなかったのだ。結局、在るはずがないと高をくくっていた近所のぼろぼろのレコード店で見つけるという、青い鳥のような状況で手に入れた。



手に入れたシングル盤に針を落とすときの、雫を一滴落とすような緊張感を覚えている。
プカプカいうたよりないイントロはオルガンかと一瞬思うが、ジョージのギターだった。
無邪気なだけの青年から大人の男になっていくかげりが曲を覆い尽くしていて、蒼ざめた色彩感覚があった。朴訥だけど複雑で、情景が浮かびそうだった。
「赤い色は別れたあの娘の着ていた色だから今夜は着ないで、ブルーになるから」という、残り火みたいな歌詞が、曲の印象を絵画的にさせたのかもしれない。
中途半端な濁ったメロディから、地味に感情のボルテージが上がっていき、しかしまた曖昧な感じで終わる。「殺風景、というものは、本当は物凄く美しいのではないか」と思い始めていた時期で、そのような感情のフィルターで世界をまなざすようになっていた。その殺風景の叙情に似合う曲だった。



その頃【ランブルフィッシュ】という映画をビデオで見た。マット・ディロンとミッキー・ロークが確か兄弟役で組み合わせが魅力的だったのだが、曖昧なさまよえる視界が、印象的な映画だった。
面白いかと言ったら面白くないのだが、緊張ではなく弛緩の方に神経がすり減っていく感覚が忘れられなかった。ずっと白黒だった画面に一度だけ、赤か青かの熱帯魚がカラーで写される。その心象の色が、その頃の自分にぴったりとハマった。
その頃からなのか、たまたまそこから気付いたのか、自分の見る夢の多くは、夕暮の蒼ざめた色彩だ。この三十年、夢は九割九分と言っていいほどどこかを彷徨していて帰る当てがなく、途方に暮れている。
夢に出てくる青い夕暮の視界と【Yes It Is】は、印象として分ち難く繋がっている。



停滞感覚のある不機嫌な曲がすきで、前期ならこの【Yes It Is】、【I`llBe Back 】【No Reply】がしっくりきていた。ビートルズはとにかく長調のような短調のような揺らめくメロディラインが素晴らしい。甘酸っぱいとかほろ苦い、という複雑な味覚のミックス感のようなものがある。
ビートルズの殆どの曲が傑作だが、自分にとってはこの三曲の青春の停滞感のようなものは忘れ難い。三曲それぞれに思い出す、自分がうろついた場所の殺風景がある。今聴いても悶々とひたってしまう。
by meo-flowerless | 2016-05-11 00:26 |

喫茶マイアミ感

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十五歳から続けていた文章ノートは、便宜上「日記」と言っているが、事実を克明に記すことが大事だったわけではない。
なにを飽きもせず書きためていたのかというと、ひたすらに、「◯◯感」ということの蓄積だ。他人と共有出来そうで出来ない。あるいは自分の中にしかなさそうでいて意外と他人の中にもある。微妙なあの感じ、「◯◯感」。



梶井基次郎の小説を手にしたのも十五歳頃だ。その文章も「◯◯感」の連続で、主人公の台詞にも「ああ、あの感じ」と感覚を反芻するようなつぶやきが出てくる。肺病による死の焦燥がつくらせた、感覚のラッシュだったんだろう。
自分にとっての「ああ、あの感じ」というのを文章に書き止めておこうと思った。感覚を感覚のまま流さないで文章に記録しておくという意志が働き始めたのだ。



最初の頃に書き留めておきたかった「あの感じ」は、美的体験ではなく、快感というより不快感のようなものだった。



体育系の部活をやめて帰宅部になり、なんとなく早帰りの帰路を持て余していた。活発な年頃には、集団の熱のようなものから疎外されるという心の翳りは案外大きい。
ふらふらと駅ビルをウィンドウショッピングして歩いたり、夕闇迫っても郊外の繁華街を制服姿でひとりうろついた。グレさせるような仲間もまわりにいたわけではなく、もともと一人っ子の孤独は根底にあり、「緻密な退屈」を吟味するように味わった。
雑踏の中間色の中をぼんやりと泳いでいる。都会の夕闇は、泳ぐ、という言語感覚が似合う。何もかもが自分にそぐわず、そのくせ何もかもに有無を言わさず慕情したくなる。心のむなしさというものを、妙に楽しむようになった。



思春期の気怠さの延長線上に、普通だったら煙草などを覚えていくのだろうが、煙草のけむりのかわりに私の心に吹きかかったのは、別のものだった。
古い飲食店の裏の、ダクトから流れ出す排気だ。
結露の染みや廃油が糸を引いたどす黒い汚れがこびりついた、繁華街の飲食店のウラ。壊れかかった換気扇がぶーんと駅の事故時のブザーにも似た音程でうなり続ける、モワッとそこだけ蒸し暑い、夏の疲れのたまった、ポリバケツのある、かつて1970年代頃には流行ったがすでにダサいオーラをかもしだしていた飲食店の店ウラ。
そういう場所の、黄ばんだ空気感が気になって、しょうがなくなった。




新宿か立川か八王子か、どこにあったか覚えてもいない。名前を出して申し訳ないが、【マイアミ】というチェーン店の喫茶店があった。むらのある蛍光灯の光を内包したオレンジ色に青い古くさいロゴの文字看板は、非常に場末感を感じさせた。
入口のガラス戸がブラウンカラーで中が見えづらいような水商売的作りの飲食店がかつてはあったが、マイアミもそういう感じだった気がする。自分はルノアールには入れてもマイアミに入る勇気はなかった。
あとで聞くところによると、マイアミは不良のたまり場だったことが多かったようだ。たしかに不良感はぷんぷんしていたけれども、例えるならマイアミのイメージは、リーゼントの鋭角さではなく、広がってしまったパンチパーマの緩さなのだった。



中を知らないし外側は雑居ビルかなにかだから、その匂いが喫茶マイアミの匂いかどうかわからないのだが、マイアミの付近はいつも同じ匂いがするようだった。
洋食に変質した油脂の匂いがほのかに入り混じっているような。焼鳥屋の裏や小料理屋の裏では感じない匂い。トマトソース缶詰のこごった油のオレンジ色とマイアミの看板のオレンジ色は、シンクロする。オレンジ色というよりその排気口から漏れるものは、心の黄ばみのようなものだった。
わざわざそういう店裏を通って生ぬるい排気を浴びては、「ウッ」と不快感を確認するのが、好きになった。



漠然と未来に感じた浮かび上がれなさ。網の目の都会の細かさにもすくい上げられない微塵。形のはっきりした不幸や不遇ではないかもしれないが、自分は低空飛行のうつろな想いを常に保持するんだろう、という感覚があった。
希望や絶望という明確な感情より、浮かびも沈みもしない澱みの水面下5㎝みたいな感覚が、実は人生の大半をずっと占め続けるのではないか、と思った。
そういうやるせない予感のことを、心で【マイアミ感】と呼びようになったのだ。
喫茶マイアミ、ほんとにごめんなさい。でも、あのやるせなさのBGMには、マイアミ裏の換気扇のぶーん音こそがぴったりとふさわしかったのだ。



褪せてしまって白になれない感情。逆ベクトルの枯れた情欲。暮らしのなかのふとした奈落。幸せそうな世の全てのよそよそしさ。
しかし人間のどこかには、誰にも見返られない時間と空間から発する、不思議な情念がある気がするのだ。
夢の成就も終わりもない中途半端な【マイアミ感】は、窶れ(やつれ)という文字のゴチャゴチャした密度にも似て、じつに複雑で微妙なのだ。私は今も常にこころの【マイアミ感】の維持につとめているのかもしれない。
私の絵を評して「この人は一体何が楽しいんだろう」と書いた言葉を、ネット上に見つけて苦笑いしてしまった。その通り、「どうせ」という投げやりな怨念は、自分にとっては何故か、豊かなディティールに満ちている。口には出さなくても心では、幸福にも愛にも芸術にも、必ずこの【どうせマイアミ】感のくさびを打ち込んでしまう。



【マイアミ感】の詩情化されたものが、自分にとっての歌謡曲だ。とくにその後出会ったザ・ピーナッツの【ウナ・セラディ東京】の歌詞が柔らかく奥ゆかしく、【マイアミ感】の曖昧な疎外感を言い当てていることを知った。



街はいつでも後姿の幸せばかり 
ウナ・セラディ東京 あああ
by meo-flowerless | 2016-05-06 22:25 | 匂いと味

2016年5月の日記

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by meo-flowerless | 2016-05-01 19:50 | 日記

ある兄弟の宿題帳

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探し物をして開かずの引き出しを開けたら、また、古びた子供の日記帳みたいなのが出てきた。
【夏休の友 尋常六學年】【夏休の練習 第四學年】とある。
先日「ある少年の夏日記」という文章を書いた。どうも私は、昔の子供の筆記したものが好きだ。
持っていても何の役にも立たないし、自分の作品などに使えるわけでもないが、古物の山からつい手にしてしまうのだ。
この二冊をいつ手に入れたのかは全く覚えてもいない。なぜその引き出しに入れたのかも。



中を見ると日記ではなく、夏休みの宿題の総合学習帳のようなものだった。小学六年生と四年生、名字が同じなので兄弟のものにちがいない。
国語、古文、算数、歴史、地理、生物、図画など多岐にわたる問題集で、コンパクトにミックスされている。時々、手品のやり方などのお楽しみページもある。
「皇国」などという言葉が出てくるから戦時中、それもまだ戦争初期のもののようだ。しかし何かを読んだあとの読解問題とは言え、内容が難しい。いまの高校生くらいでも出来ない子はいるのではないか。



六年生のとある一日のページは例えばこんな問題がある。カッコ内は子供が漢字で答えている。
【讀方】第八課 蟲の農工業 の復習
二、次の蟲の仕事は何業に似ているか
(紡績業)葉巻蟲(裁縫業)蜜蜂(建築業)クモ(漁業)(土木技師)ミミズ(農業)
【地理】
二、樺太の最近の水産物の産額を棒グラフに作れ。
鰊 一〇、七二萬圓 鱈 二〇六萬圓  鱒 八九萬圓 鰈 六萬圓



四年生の方はもっと素朴。
【修身】冬までつづけて冷水浴が出来ますか(できます)
 つらいことをがまんしてやりとほすことを何といひますか(忌酎)
忍耐、と書きたかったのだろう。
【手工】色紙で家の紋をきりぬいて、次のあいているところにはつてごらんなさい
など。朝顔の塗り絵もある。もともと辞書や童謡の本などの小さな挿図が好きなのだが、この学習帳の図にはことごとくそそられる。



関ヶ原の東軍西軍の主な武将を書かせ、様々な渦巻の図形が何に見えるか想像させ、はまぐりを図に描かせ、工作で水車を作らせる。かと思うと、「【修身】“反省なき生活は危し”これはどういふ意味か、その意味がわかったら毎晩寝るまへに、静かにその日のことを反省してごらんなさい」とか、「【考へ物】お客さまが来ましたが丁度主人が不在であつたのでそのお客さまは五千三十合といつてかへりました何のことでせう」とかいうのもある。わっかんね。



「次のことばはどんな景色の所かを考へなさい。“両岸相迫りて流いよいよ早く風景とみに改る”」この問題に、少年は「コワイヨウナ、美シイヨウナヨウス」と答えている。
怖いような、美しいような.....いいことを言うなあ。
よく出来た子たちだったのだろう。解答にそれほど間違いもないし破綻もない。
自分の小学生のときの何かが、もしこのように出回ったらどうだろう。四年生まで書かされていた日記は貴重だと自分でも思うが、落書きをしまくった教科書のアホさは、ただただ恥ずかしいだけでしかない。



このまえ手に入れた、同じ戦時中の少年夏休み日記と比べると、あれほどには「遠い煌めき」を感じない。生活の様子が書かれていないからだろう。
一枚だけ別紙で、兄さんのほうの作文が差し挟まれていた。
此の頃は夏であるから山の景色は美しい いつか山へ登つて方方を見ていたいと思つている 今ノ山は薄緑色に山を一面に包んでいる 道などには草が茂って道が無いようになつている 昨日友達と私で山に遊びに行つた だんだん山奥へ行つたら其こいらに山ゆりやそのほかの花も咲いていた そして花などをとつていたら草がゆるがつたから見ると長さ三尺くらひのへびがにげていたのであつた それから後は草の中をあるくにもやのやうになつたから内へかへつてきた
この間の少年の日記のようにやはり他愛ない描写だが、この文章には風景が彷彿とした。
青梅の小学生だったようなので、出身地が近いゆえ昔の多摩の夏木立のなかの子供の姿を勝手に思い浮かべてみた。



そういえば最近、清水宏の映画のすばらしさに嵌まった。特に子供の出てくる映画の瑞々しさは、戦前の物とは思えないくらいだ。これらの少年たちのノートは、清水宏の画面の中の夏とシンクロする。スタジオセットではない、あの日本の山河のほんものの光と影と、子供たちの素の声。
古い映画といいこういう古い物といい人の記憶といい、その時の記録だから瑞々しいのであって、現在の人間がどんなに魅かれても、過去の光を現在に再現したりリメイクやリクリエイトすることは、難しいことだと思う。


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by meo-flowerless | 2016-05-01 16:30 |