画家 齋藤芽生の日記 Twitter/ @meosaito


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湯殿山麓呪い村の永島瑛子

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私が絵に描く「部屋」は、単なる団地の部屋というより、「孔のような場所」だと思っている。
例えるなら、食虫植物の底に落ちたままそこから出ず朽ちていくかもしれない、無力な生物のおびえのようなものを、そこに描く。



一つの映画のシーンが浮かぶ。
ちゃんと最後まで通して観たわけではなく、テレビ放映で途中から見始めたくらいの記憶だ。



【湯殿山麓呪い村】の永島瑛子。
渋いバイプレイヤーの女優さんだ、と今では知っているが、そのときは何度見ても特徴を捉えられなかった。顔が陰った地味な人相も表情も、状況も、なんだか曖昧でわからない。
うちの小さなテレビのブラウン管の中でそのシーンを見ていたので、ほのかな覗きからくりのような画面だった。記憶は定かではないので間違いかもしれないが、赤暗いような光の「部屋」と、落ちぶれて絶望をポツポツ口にする女が画面にいた。
その女が束の間、男に身体をいじられたかと思うと、何かのはずみで殴られるかタンスに頭をゴンと打つかしてしまい、そのまま動かなくなってしまった。



子供だったので、その場末の「部屋」の頽廃的な雰囲気の意味も、女が零落してその「部屋」で何しているのかということも、よくわからなかった。
一緒に観ていた親に「このヒトだれ」ときくと「さっきでてきた主人公の恋人だったヒト」と言った。
「途中から消えていたあのおねえさんが、こんな暗い穴ぐらにじつははまりこんでいて、助け出されるのかと思ったら、頭打ってあっけなく死んだ。以下沈黙。生涯終わり。 ツーー(脳波)」
の孤絶感にあっけに取られ、子供心に「人生は怖い」と身震いした。



この映画は、他に陰惨なホラー的シーンがかなり出て来るらしいが、一切覚えていない。
焼き付いたのは、あの脇役の永島瑛子の目立たない、あっけない末路だけだ。
温泉地で身体を売っているところをかつての男に再会する、という設定だったようだが、そんなことはまだ子供にはわからなかった。
その男と女がいる「部屋」の、仮寝の宿の感覚、人間の末路の感覚、穴ぐらの感覚、のわびしさだけが焼き付けられた。
その無力な寂寥感は、今でもことあるごとに自分の発想につきまとう。旅先の宿などで蛍光灯のパイロットランプをつけっ放しで寝床に入ったりすると、「赤暗い最期」のイメージがよみがえる。



自分にとって【湯殿山麓呪い村】の永島瑛子は、人はあんなにわびしく死んでしまえるんだ、というタナトス with カタルシスの手本でもある。
壁かタンスに一発だけ頭打って死ぬ割に、なぜかじわじわ腐って溶けるような壊死感覚がある。
映画的というより、リアルだ。無意識に自分の人生の末路に、そういうわびしい死を感じていないとも限らない。そういう生き方がしたいわけではない。けれど生きている限り忘れることのない何か、がそこにある。



幼いころ親がいない隙に、蒲団が積んである四畳半の、ガキながらも妖しい気分になる常夜灯の赤暗い光の下で、近所の男の子にとつぜん腹を数発殴られたことがある。
ショックからか、そのあと独りで吐いて苦しんだ。嗚咽しながら、何故か「許す」感情のカタルシスにも包まれていた。
あとで親が激怒して文句を言いに行き、私にも「あなたも怒りなさい」と苛立ってたが、自分は腰抜けた戦意喪失感で(もういいよ....いいんだよ)と脱力していたのも覚えている。
なんでそうなったのか訊かれても、「部屋」の雰囲気がそうさせた、としか言いようがなかった。



広い親戚の家にも、子供たちだけがうごめく死角のような「部屋」があった。
使われていない客間や蒲団部屋を、わざと常夜灯だけにすると、赤い海底に沈んだようだった。
そういう遊び時間、赤暗い灯のなかで、なにか言いようのない常識外の感情を知っていった。
子供の無邪気な世界でも、ああいう暗がりを通じて一気に、零落した大人の末路に繋がっているような気がする。
子供はその擬似的子宮の暗がりからすぐに這い出し昼間の世界に戻っても、大人がその中に退行する場合はそこで溶解し壊死していくしかない。



娼婦の部屋なり、アジトなり、世に隠された「孔のような部屋」は、子宮的感覚と溶解の危機とをあわせ持つ。食虫植物のウツボカズラのようなものだろうか。
そこでは愛憎や被虐・嗜虐の境界も、溶ける。
あのシーンが強烈なので、【湯殿山麓呪い村】の映画を通しで観ようという気はいまだに起こらない。
by meo-flowerless | 2016-04-27 00:18 | 映画

マドンナの宝石

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脳天に降り注ぐ夏の陽ざし。
親も子供もまぶしさに眉をしかめ、歯茎まで出して、気怠い表情をしている。
白昼の遊園地、動物園でもいい。白い灼熱から、一気にひんやりとした闇のアトラクションに入る時の立ちくらみは、脳裏が緑色になる感じがした。
アミューズメント施設のギラギラ眩しい圧迫の中で、暗いアトラクションは、数少ない「好きな場所」だった。



プラネタリウム、水族館、夜光虫園、水中バレエ、ジオラマ。
「ひんやりとした闇のアトラクション」には色々あった。
キンとした冷房に、よどんだ意識が回復する。漆黒の地に浮き立つ見世物の色彩に、感覚が覚醒していく。
白昼の一角に区切られたアトラクションの暗がり、その冷たい秘密の宝石箱の感覚、その悲哀は、自分の原風景のひとつだ。そういう場所に流れていた曲の記憶もまた、音の嗜好にいまなお食い込んでくる。



「何億光年の彼方の光が、今、はるかな時を越えて、私達の地球に届いているのです....」
という感じの悠長な女の声の、室内アトラクションの館内放送が大好きだ。
別宇宙から夏のお中元として送られてきたような遠い声。くぐもりつつも、よく通る響き。
33回転を45回転にしたような甲高さ、それでいて不思議と心を癒してくれる、その名調子。
ナレーションもいいが、背後に流れているBGMが素晴らしかった。世界残酷物語の【モア】みたいなのもあるし、モーグ系電子音のようなのもあるし、ピアノのイージーリスニングの場合もあった。
どんな楽器を使っていても、ああいうナレーションの奥の音楽には、ポポピポポロン...みたいな「乙女の竪琴」感覚があった。宇宙と竜宮城は音楽的には繋がるんだなぁ、という感慨に浸る音楽だった。



私のなかに君臨している室内アトラクション館内的音楽は、【マドンナの宝石】だ。
弦を静かにはじく、「乙女の竪琴」感覚に始まる曲。水族館より、秘宝館むきである。
すばらしく、「女」を感じる曲である。
昔の結婚式場のホールにかかっていた、というイメージもまたあるのは、フルートのせいだと思う。この曲の最初のフルートの入り方が、まるで雅楽だ。聴くたび脳裏に、神主とお嫁が登場する。
実際には、暗い曲だから、宴席ではかからないだろう。



フルートの音には何故か、追い立てられて花を散らされていく女の哀しみと言うか、おねえさんの白い肌に秘められた思い、みたいなものを感じる。
和洋折衷な婚礼。鶴の柄の赤い絨毯。滝のある竹薮付き中庭。カマボコ味に似たフランス料理のオードブル。嫁いでしまう色白のお姉さん。式典の緊張から来る子供の吐気を、ゾワっとなでていくような、バロック弦楽奏と、フルートの震え。
自分があの曲【マドンナの宝石】を聴いて感じるそぞろな気持、肛門に重点を置いたような独特の切なさは、他人にこの音楽を聴いてもらっても共有が不可能な気がする。



ウチにはその昔「クラシック名曲大全集」10枚組レコードが二種類あって、子供の独断的な興味をもとによくかけていた。おきにいりは多摩テック(地元の遊園地)でいつもかかっていた【口笛吹きと犬】だった。
それらのレコードジャケットは、19世紀ヨーロッパの名画がそれぞれ表紙になっていた。なので今でもあるクラシック名曲を聴くと、名画が反射的に思い浮かぶ。
その中に一枚、ルノアールの裸婦と思われる表紙の盤があった。
それに【マドンナの宝石】というタイトルがついていて、アダルトめクラシック名曲10曲くらいが入っていたのだ。



ルノアールの、晩年の焼けたパンみたいな裸婦ではなく、初期のまだ締まりのある女の絵が好きだ。
ウチにあった画集で見て初めて「エロス」というものに気付いた、幼い頃の性典のようなものだ。
暗い緑のなかで煩悶するような少女の胸の辺りの光を見て感じる「ああこりゃ見ちゃいかん、でも見たい」の動揺は、今も変わりない。
ジャケット絵の少女は本当に玉(ぎょく)を磨いたような肌合いをしていたように記憶している。まさにマドンナの宝石だった。
家にあるルノアールの画集には、巻末の白黒の参考図版として【浴女 Femme Baigneuse】というタイトルで、横顔の裸婦のその絵が小さく載っている。しかし、ネットで今検索しても、その絵が絶対出て来ないのが謎だ。もしや後年、ルノアールでないと認定されでもしたのか。



暗いアトラクションの秘め事感、結婚式場のフルート音楽の悲哀、ルノアールの裸婦.....を連想させる要素が合わさって、【マドンナの宝石】に、官能的なものの目覚めのいくらかを知らされた、と思う。
by meo-flowerless | 2016-04-20 08:03 |

オーロラ

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人は各々にとっての「美しい」感覚を、何歳頃に、どういうことに対して、得るものなんだろう。
美術系だと、美しい物品に囲まれて審美眼を磨いてきたのかと思われることもあるが、実際そういうことではない。
自分の場合は、かえって殺風景のほうに不思議な美を感じるようなことが、結果的に多かったと思う。



文学的気質の親はたぶん「美しい」という言葉を子供にも躊躇せず使っていたはずだし、画集も音楽集もうちに沢山あった。しかし親がそれを特に利用して啓蒙的な審美眼を教え込むようなこともなかった。
なので私は、名画にも絶景にも、逆にどうでもいいことにもアホな事柄にも、ランダムに「美」を感じるパッチワーク的感覚を培った。そのことを、親に感謝している。



物心ついてから、はっきり何かを「美しい」と思った記憶。それは、ある建具屋の看板文字だった。
白い小さな看板に、虹色グラデーションの、フニャッとゆがんだ文字体。
【オ〜ロラ】と書いてある。
美的でも何でもないものに、なぜ惹かれたか。
オーロラ、という虹色の目くるめく現象に付いては、雲の図鑑などで知っていたから、その言葉を重ね合わせた幻を見たのだとも言える。とにかく、バスの中から見えたその、文字形や言葉の意味が混ざりあった総合的な雰囲気に、子供心の何かを掴まれた。



団地へ分岐していく道とは反対の、山林への方の道。遠足にもそうそう行く機会がないであろう、暗い峠の入口の、小さな建具屋。
【オ〜ロラ】。
看板に書かれた小さな字でしかないが、「目に飛び込んでくる」とは、まさにあのことだった。暗い山に萌え立つ若葉の道の中空に、ポカっと魔法のサインが、変幻自在に色を変えながら浮かんでいるように見えた。自分の心にとっては、それこそが小さなオーロラ現象だったのだ。
小学校へ入学しても、バス通学でそこを通るたび、その看板を目で確認することを忘れなかった。高尾山麓を切り崩した殺風景と鬱蒼のなか、そこだけが煌めいている気がした。
が、別の町に引越してしまい、数年間はその看板のことなど忘れてしまっていた。



浪人生の頃ふと、オーロラという言葉が好きだな、と思った。クサカベ絵具のオーロラピンクという色名で思い出したのだろう。
あの店の看板のことも、みるみるうち鮮やかに思い出した。床屋のディスプレイ看板みたいに光りながら回転していたような、誤った記憶さえ浮かんだ。
そこで、かつて故郷だった終点駅の、さらにバス終点の団地まで訪ねてみたのだった。



年月が経っていたので、その店が残っていることすら危うかった。バスの窓から見えるのは一瞬だ。埃っぽい繁みや、暗い山影は変わりない。その場所に近づくと、胸が高鳴った。
【オ〜ロラ】。
まだ、そこにあった!
歪んだ文字。幼い頃に魅かれた感覚が、鮮やかに蘇った。
が、看板は光っても回ってもいなくて、文字色もいまや虹色グラデーションなどではなかった。記憶の誤解に一瞬肩すかしを食らったものの、やはり煤けた景色に浮き立つそれは、自分の中のなにかの反射光のように際立って見えた。



虹色のものは美しい、ということは、父からの吹き込みだろう。
オーロラ現象とか、モルフォ蝶蝶とか、ハンミョウや玉虫だとか、「とにかくこの世のものではないほど美しいんだって」と、父は神妙な顔で、私にその存在を教えていた。「この世のものではない」という形容が、子供の心にはとてもいい化学変化を与えてくれたのだと思う。
虹自体が、団地の暗い雨の中、高尾山や貯水池を背に出現する、いわく言いがたい不気味な現象だった。しかもその頃はなぜか、子供一人か二人のときにばかり、誰も助けに来ない無音の圧迫のようなものの中で見た。
不気味なだけではなく、やはりきれいで、「きれいなものは不気味」というアンビバレントのようなものは、それで覚えたようにも思う。



父も私ももちろん北欧にオーロラを見に行ったことなど無い。実際見たら絶対に感動するだろうが、その感動は【オ〜ロラ】へのものではないだろう。
【オ〜ロラ】に感じたのは、言葉と視覚の間にぼやっとうかぶ「暗示的なときめき」、そういうことに魅かれる自分の傾向の、最初のあらわれだったかもしれない。
建具屋のまわりの繁みや竹やぶは一掃されてしまったが、オーロラの看板は今なお健在だ。
そういえば、一度だけ、別の土地で、白黒の【オ〜ロラ】看板にも出会ったことがある。
by meo-flowerless | 2016-04-13 23:11 | 絵と言葉

ある少年の夏日記

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今日は授業絡みの遠足で、これから神田神保町へ古書店巡りだ。何か戦利品があればいいな。



去年のことだ。神保町の古地図屋、真中の大きなラックに沢山の古い観光地図やパンフレットの類いが山になっている。作品資料に、と漁っている中から、ふと地図ではないものが出てきた。
茶色に褪せた薄い「夏休日誌」。裏表紙に名前も学年もある。ある少年の日記だ。
多分第二次大戦終戦前後のものと思われる。



骨董市などには、昔の人のスクラップブックや日記が、無造作に商品の山に紛れ込んでいることがある。そんなところに転がっているくらいだから歴史的価値はあるわけではないが、それでも独りの人の人生の記録である。記録物というものは、他の商品の中でそこだけ異様なオーラを発しているように感じられる。
しかしぱらぱらとめくっても、人生の真実を赤裸々に吐露しているような日記や手帳は、ほぼ無い。そういうことを書く人は、ちゃんと処分するのだろう。



古地図屋で、手に取った少年の日記をめくってみた。
たった七日間しか書いていない。誤字も多く、あまり書く気はないようだ。特に、最後の方のおざなりさを見て微笑む。店主に、仕入れの時に紛れ込んだに過ぎないものだからあなたにあげる、と言われた。
というわけで昔の一少年の夏の七日間が、私の手の中に収まった。



孤独になりたい時にすっぽり座席に収まるお茶の水の某喫茶店で、紅茶を飲みながら、消え入りそうな鉛筆文字の七日間を辿ってみた。
すると、ふしぎなくらいきらきらと、夏の情景が目の前に立ち上がってきた。
初日、七月二十一日からは、近所の家に英語と数学を学びにいくことになったらしい。
そのあと帰宅、家の手伝い。午後は海水浴だ。
「今日は丑の日だ。海はにぎやかで、あまり多い人でボートに乗る人で一ぱいである」
遊びすぎたのか、帰宅したら家の人は皆夕食をもう先に食べていたようだ。
海の近くに住み、弟がいる。毎日弟を海に連れていき、泳いでいる、という生活が浮かんでくる。
以後の一週間も、淡々とした記述で刻まれる。


晝食後海へ行く途中にドブに魚がいたので魚をとって田ンボの中に池を作ってかつてをいた
海水浴の後 花キチガイ があばをくった 皆んなが助けに行つたら「もいいよ」と言つて、あかを落として居た

***

今日も英語と数学を教はりに行つて早お晝をたべて弟をつれて海へ行つた 三時頃また泳ごうと思つて行くと栗山君の舎弟が泣いて居た、きいてみると「オボレタ」と云つたので「誰と一緒に来た」ときくと「高等三年の子と来た」と云つた その高等の子にきくと「僕は寝て居た」と云ふ 僕は栗山君の舎弟を家へつれていつた

***

近所の子供にたのまれて◯◯まで弟をつれてボールを買に行つた ボールを買って帰る途中「カクテルをかつてくれ」と云つて動かなくなつたのでついに二円とられてしまつた ◯◯から帰って二人で海へしじみをとりに行つた しじみは五合くらいあつた



他愛ないなと思いながらも、花キチガイとは何だろうとか、栗山君の舎弟は結局なぜ泣いていてその後のようすは大丈夫だったのかとか、兄に比べて弟はやんちゃでしたたかだったのかもしれないとか、毎日の少年たちのつるみぶりと、埃に渇いた田舎の夏の道が浮かぶ気がしてくる。
それが私自身の幼時の夏に重なることなのか、映画の中の昭和の夏に重なることなのか、日本人の血で知っているのかもわからないのだが、匂いや空気や温度まで身体に感じるようなのは、なぜだろう。



言葉の情景喚起力は不思議だ。文章力のある小説の名手や絢爛たる言葉をあやつる詩人だからといって、あらゆる情景をうまく立ち上がらせることが出来るか、と言ったらそういうことではない。
読み手の側の経験と結びつくことで、通電のように、情景は「通じる」ものなのなのかもしれない。
淡く宙吊りになったような日記中の一文は、事実の説明というよりむしろ、詩のイメージの含みに満ちている。
そんなことを勝手に考えてほんの一部を、詩情のかけらとして引用させてもらった。



この持主の名前は少し変わった名前だった。所属している学校も、ある専門的な分野の学校らしかった。
そっとネットで検索してみたら、一、二件だけ、本人だろうと思われる手がかりがあった。
その後この少年は専門分野の大学に進み、海が美しいであろう地元の県で、その分野の会社の主になっているらしかった。御存命ならだいぶ老人だろう。
ネットはまた別の意味で、ひとの静かな人生と人生を交錯させる、通電感覚を持つことがある。
by meo-flowerless | 2016-04-09 10:52 |

入学式のヴァイオリン

音楽学部の澤和樹先生が新しく学長になった。ヴァイオリニストである。
美術と音楽とがあるウチの大学では、実に37年ぶりの音楽学部からの学長選出だ。
長らく続いた宮田先生の書道のパフォーマンスで藝大のセレモニーも注目されるようになってきていたが、今日、新学長のもとで気持も新たにどのような入学式になるのだろう、と楽しみだった。



卒業式に比べ入学式は厳粛で、講堂中の新入生の緊張が空気を引き締めている。新学長も緊張の面持ちに見えた。
「新入生、起立。礼」のあと、学長みずから「着席ください」と言う。ここで学長のお言葉である。さあ何を話されるのか。私が一瞬、目を自分の爪かなんかに逸らしたその瞬間だった。
静かにヴァイオリンの音が流れ始めた。



澤先生が壇の前まで出てきて、言葉を何も発しないまま黙って、たった一人舞台の真中でヴァイオリンを弾き始めたのだ。
しかも、バッハの無伴奏をだ。
何回も器楽演奏を聴いている会場だが、これほどの静けさに包まれたのを見たことがない気がした。すぐ目の前で、幻のような月がゆっくり空に昇っていくのを、皆がじっと見守っているような目をしている。
柔らかいが吸い付くように、息の長い弓使いが、ずーっと後を引く。はじめの「なるほど....さすが音楽学部」というパフォーマンスへの感動は、すぐに「音楽」そのものへの集中に変わっていった。



演奏が終わった後、澤先生は、誰もが知っている大バッハだからこそ選んだこと、この「アダージオ」が、単なるテンポがゆっくりと言う意味だけではなく「くつろぐ」という意味を含んでいること、時代の速度と自分自身の速度のこと、宇宙の広がりのことなどを簡潔な口調で話された。



ああ、音楽だ。と改めて感慨を深くした。
特に今までの、言葉による激励やメッセージを当たり前に待つようになっていたこの頭を溶解しながら、音楽は、水のように無言で体に染入ってきた。
また、なんていい曲をこの一番最初の場に選ぶのだろう、とも思った。
バッハの曲は、奏でる人によっていかようにも解釈し表現出来る音楽だし、また無伴奏となると、孤立無援の時空に浮かびながら音を選び出していかなくてはならない。
心細い裸の状態で入ってきた新入生に、自らも研ぎすまされた裸の演奏で対峙するため、まさにそのための音楽にきこえる。



自分の小学生レベルのバイオリン経験を持ち出すのは阿呆というものだが、それでも、舞台の上でひとりで奏でることの孤絶感だけなら、ほんの少しは体で知っているように思う。
異様な注視、ダウンライトの光、客席の奈落、奏でることへの自問自答、その払拭。そして音楽への没入。客席から映像ショーのようにコンサートを見る気持では想像出来ない、絶対的に孤独な身体経験だ。
今日の音楽とそれを奏でたひとは、芸術とは突き詰めれば孤独な身体経験なのだ、という原点を思い出させてくれた。そして、この大学が芸術大学だ、ということも改めて。
いい入学式だった。
by meo-flowerless | 2016-04-05 22:51 |

サマーランドの乱反響

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いろんな音にいろんな感情を催すたちだが、「なぜか気が遠くなる」たぐいの音がある。
体がオロオロし、自我がズレるようなめまいを感じる。軽い離人感、というのか。
その音は、巨大な温室や室内プールみたいな「屋根付きの施設の反響音」だ。
常磐ハワイアンセンター(ハワイアンズ)に行き大音響のスティールギターのハワイアンがベンベンと乱反射のように響き渡っていたら、気が遠くなることだろう。



屋根付き熱帯施設、東京で言えば「東京サマーランド」だ。
近くにあるのに、最も遠い南国という感じがする。一度しか行ったことがない。
そもそも子供の割にアミューズメント施設がそれほど好きではなかった。(多摩テックは好き)
人酔いというのがあるが、そういう感覚で「初めての音」酔いや「初めての光」酔いをした。
回転する乗物もだめ。目くるめく混沌に意識がついていかず不安になるのが、私のほとんどの遊園地体験だ。



サマーランドには、幼いとき、ある家族に連れられて行った。
爛々と光る目や服装のせいか、熱帯鳥みたいな印象の女の子がいた。女の子のお父さんは目がサルトル的にぎょろっとしていて、焦点のない威圧感を感じた。家族全員が南国趣味のように見えた。家の中は緑色のものが多く「置物のカオス」のよう。ただのインテリアのはずだが一面鬱蒼とした熱帯雨林の印象しかない。九官鳥も飼っていたんではないか。
あるお昼には、エスニックまぜごはんのようなものをいただいた。一口食べて「よくわからない味だ」と混乱した。今ならばそういう味は好みだと思う。けれどそのときの私は、その家族の南国趣味に、慣れないカオスに接するときの落ちつかなさを感じた。



サマーランドのプール。
半透明な屋根が鉄骨を覆う、巨大温室のなかのイミテーション南国。
生い繁る椰子や棕櫚やモンステラは、本物の植物のはずなのにビニール質の印象。逆光シルエットのハリボテバイキング船に、暗いコロニアル風のあずまや。農業用ネットのような材質のハンモックが、あちこちにだらしなく垂れ下がっている。エメラルド色やターコイズ色のペンキで塗られたプールサイドの地面は硬い材質で、粗い人工芝のような箇所もあり、どこでコケても結構な怪我をする「痛さ」がある。
そこに、大音響のハワイアン音楽が流れていた。
屋根の全てにこだまして、全方位からブレるような反響が耳に帰ってくる。自分の位置がわからなくなる音だった。



プールの人工浅瀬で既に、私は疲れを感じていた。その後、昼食となった。
長い食卓を挟んで人工芝の上に座った。そこにいたほとんどの友達家族が、アロハを着ていた。
食卓の上にはでかい葉っぱに包まれた異国まぜごはんや、パイナップルをくりぬいた中のよくわからないサラダや、甘いケチャップのかかった脂っこいハムカツや、ポリネシアン串焼きのようなものが、これでもかと運ばれてくる。半透明の屋根から漏れる白い光、プールからの増幅した水音、鳴り響くハワイアンの反響。
混沌........
目が回りかけている時に、熱帯鳥一家のお父さんが、私の顔をのぞきこむようにして、異国まぜごはんを薦めてきた。それがそのときの、最後の記憶である。
多分私は「めがまわる」と言ってそこに寝かせてもらったのだろう。記憶の内部では、ほとんど意識を喪っていた。これでもかと押し寄せる異国風味が、小さい私には身に余る情報量だったのだろう。



いやなくせに何度でも聞いたり嗅いだりしたい、「くせになる五感の感覚」というのがある。
いまだに屋根付きの遊興施設に行くと、ゾワゾワする。ボウリング場に響き渡る音、健康ランドでお揃いのアロハ着ている人々の笑い声、などを聞いていると、放心してしまう。
「乱反射」という言葉に対して「乱反響」という言葉があるなら、ああいう場所の音はそれだ。
乱反射の感覚、乱反響の感覚はダイレクトな体感を伴って記憶と接続される。これがもしトラウマだったらフラッシュバックを引き起こす音なのだろうが、そこはかとない記憶にも、そういう鮮やかな接続は起こる。



娯楽のなかに詰め込みすぎた熱帯風情というのは、あの70年代独特のものかもしれない。そういう流行に魅かれつつも辟易した幼児体験のある人もいるのではないか。
流行グッズは資料館に残っても、流行から引き起こされる感覚反応のようなものは、何一つ後世の遺産なんかに残らない。個に閉じ込められたまま明滅する「感覚の記憶」は、同じ光を知りつつどの星の光も孤立して離れている、宇宙のようなものだ。



今は甘いパイナップルライスも、アロハも、ゾッとしながらたしなむ。エキゾチカのような南国探検的音楽を聴き、スティルギターが反響しまくっている屋内イベント会場などで「ウオオオオ」と頭皮を掻きむしりながら、サマーランドで倒れた記憶をゾワゾワ思い出して楽しむ。
でもそれ、なんなんだろう。
by meo-flowerless | 2016-04-04 12:11 |

2016年4月の日記

2016年4月の日記

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by meo-flowerless | 2016-04-03 15:47 | 日記

時空とエアポケット

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このごろ、文章に「時空」という言葉を多用してしまう。
一過性の口癖ではない。ある感覚を現すにはこの言葉しかない、という妥当感があり、これからも使っていく言葉だと思う。
五月の講義でも、自分なりの「時空」感覚について話そうかと考えている。



歳をとるにつれ、自分の関わる時間と空間に、権利や義務が付随することが多くなる。
社会に組み込まれれば当たり前のことなのだが、時間的空間的な自由を何とか切り詰め工夫しなければ得られないのと同時に、心の内面的な自由までそうなっていくような気がしている。
ものをつくる仕事をしている以上、「心の自由」を切り詰めることは本当に嫌だが、ものを作るのを「仕事」と思う時点で、もう自由ではないのかもしれない。



けれど、時間空間を併せ「時空」という言葉を使ってみると、何だかすーっと誰にも邪魔されない宇宙に吸い込まれるというか、透明人間になって好きなだけ好きな中空を浮かんでいるような、いい心地になってくる。
特殊相対性理論なんていうものは私の愚かな頭に理解出来るはずもないから、イメージの「時空」でいい。
「自由」という言葉を「自在」に置き替えてみると身体が楽になる感覚がある。自由にはそれなりに自力の飛翔の労力を感じるが、自在にはテレポーテーションの神出鬼没性を感じる。「時空」には、自由より自在が似合うかもしれない。




「時空」という言葉はSF的で、それを動的に「超える」という言い方の時に使われることが多い。
自分にとってのイメージの「時空」には、「嵌まる」という言葉を使いたい。
中空にポカッと、自分にしか見えないカンガルーのポケットみたいに浮かんでいる、じっと潜伏可能な「ふところ」なのだ。
この時の、「中空」という言葉の感覚も大事で、それは決して「空中」ではない。
時空、中空どちらにも出てくる「空」は、私には天ほど高いところにある空をさすのではなく、斜め上に顔をふと上げたときの空気中の空白......ややこしいな、「うわの空」の「空」とでもいっておこう。



同じような感覚で使う言葉に、「エアポケット」がある。
「エアポケット」に関しては時間的なというよりも、空間的に他から切り離された独立した空白、という感覚で使っている。




中学生の夏の終わり、最寄りの駅の反対改札側の町を母とゆっくり散歩していた。
ある程度道を知っているはずなのに、まだ知らない風景や抜け道がある。迷路に迷い込んだ気分だった。入り組んだ住宅街を抜け、視界が広がったと思ったら、驚いた。
突然ひまわり畑が広がっていた。
ひまわりは夕風にかすかに揺れ、うつむいていた。偶然自分は黄色いひまわり柄のワンピースを着ているのだった。ワンピースがこの風景を引き寄せたのか、と思った。
近所にこんな花畑があることに何故か長年気付かなかった。ここだけ夢のように時が収縮している気がした。




母も同じように、狐につままれた気分がしているようだった。そのとき母が言ったのだ。
「エアポケットね」
ひまわり畑の向こうには平屋一戸建住宅の敷地が広がっていて、そこに辿り着くのも初めてだった。帰宅して地図で調べると国鉄職員宿舎だった。
数年経ってふと思い出して行ってみたときは全てが無くなり、痕跡のない更地になっていた。
やがてマンションが建って、記憶も薄れていった。
けれどあれ以来、歩きながら途中でふと夢うつつの「エアポケット」に紛れ込む場所を、いつも探している。




「時空」も「エアポケット」も、ノスタルジーを感じさせる常套句だともいえる。
それらの言葉の口当たりの良さはどうでもいい。あの「ふところ」感覚が私には大事なのだ。
自分自身からも迷子になっているような、抜け穴入口のメビウスの輪っか状に気を取られ延々とねじれの上で輪廻的徒歩をしているような。
行ってるのか帰ってるのかわからない感覚が、私を解放してくれる。




この世界の誰からも忘れられるなんてことは、本能的に寂しい。
けれど、どうか束の間思い出さないでいてくれ、と意味もなく思っていることも、また本能的にある。
夕食を作るのに忙しい母親が、頭の片隅で子供が帰宅しないのを認識しつつ、それほど気にもしていない。そんな黄昏のひととき、まだ帰りたくない子供の、迷子や神隠しとまでは行かずとも「今だけは風船のひもが、ふと切れている」というような遊離感覚を、いまだに心で大事にしている。
自力で帰る力のある限りは。
by meo-flowerless | 2016-04-01 03:32 |