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カテゴリ:絵と言葉( 31 )

白玉のブルース



ここ数日の夏風邪のあいだ、いつも部屋の隅に小さくラジオを流していた。
ある夜に「高校古文」らしき放送があり、内容は【伊勢物語・芥川】だった。訥々とした男性教師のしずかな解説だったが、妙に心に沁みる。最近短歌など読んでいるのもあるかもしれない。


プレイボーイの在原業平が、位の高い姫君をさらい出して負ぶって逃げる途中、嵐の御堂で鬼に姫君をふとした隙に喰われ、地団駄踏んで悔しがる…という筋は高校生の頃読んで覚えている。これは実際の在原業平と藤原高子の関係を下敷きにし、食った鬼は実際は、政略結婚の為の大事な女子を取り返しに来た藤原家親族だという。


負われている女は逃げる途中、草に光る露をみて「あれなあに」と訊くが、男の方は逃げることに一心で余裕がなく、その時には応えない。しかしいよいよ女を奪われて喪ってしまったときにどうしようもない悔恨とともに、なぜかその女の一言が蘇る。


白玉かなにぞと人の問ひし時露とこたへて消えなましものを



「この和歌こそが、クライマックスなのです」とラジオの先生が言う。
「あれなあに?真珠かなにかなの?と彼女が言った時に、ちゃんと『夜露だよ』と応えてやって、夜露のように二人で消えて仕舞えばよかった、という悔恨を歌った」愛おしさと切なさ極みなのだ、とも言った。
むかし授業でやったときに、このかなしさは殆ど分からなかったことを思い出した。男一人茫然と残され、たった一言のつぶやくような女の最後の台詞を空耳に何度も反芻している、この痛切。


高校のころは姫様が「あれなあに」と呑気そうに訊く状況が理解できなかったのに、今は脳裏に思い描ける。恐れ戦いておぶさっていた女が次第に宮中の監視から解放され、男との流転に身を任せ始め、一瞬間甘えた一言なのである。意訳すれば女の言葉は「ねえ、死んでもいいのよ」なのである。露はこの時代、消えてしまう儚い命の比喩である。なぜやっと二人の世界になった瞬間のその会話に応えてやらなかったか、心の声を聴きのがしたのか…という悔恨も男にはあるのだ。
無邪気な恋の逃避行にはこの苦い悔恨は有り得ないだろう。女の言葉も含めこの逃避行は初めから苦くアンニュイなのである。
言葉は悪いが、この和歌のブルース感は凄い、と感慨にふけった。


by meo-flowerless | 2017-08-13 15:27 | 絵と言葉

ドライブイン愛、再び

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茨城奥地での旅生活での個人的な興奮ポイントは、道路沿いにドライブイン廃墟の良好物件を見かけること、だった。
実際は美容院やスナックなんかだったりすることもある。なんの店であれ、自分にとって「これぞドライブイン」と認定できる、特徴的な家屋の佇まいや色合いがある。
「鮮やかで且つどす黒く、際立って且つ頼りない」。それが私のなかの感覚的なドライブイン条件である。ラブホ廃墟との違いは、「なんか単純」という感覚だ。これがドライブインには大事であり、悲哀を誘いそそるポイントだ。




ドライブイン建築で好きなのは、トンガリ屋根の多用。複合的にアルペン的な三角屋根を折り重ねたり並べたりする構造が多い。「片流れ」の屋根も多い。片方が長辺の三角屋根だ。
もちろん普通の箱型タイプもあり、それはそれで素っ気なく好きだが、トンガリタイプのドライブインの魅力はまた別物なのだ。箱型タイプにはロードムービー的西部音楽なんかが合う。しかしトンガリタイプの背後音には、重い無音がふさわしい。もしくは「…遠くの滝ツボにグランドピアノが落ちたかな…気のせいかな……」くらいの、幽かに猟奇的な気配が。



あの手の建物の窓やドアが、顔の表情に擬人化出来るという怖さもある。その方向で型に羽目過ぎるとオカルト的洋館になってしまうのだが、そこまで行かずに恐怖感を踏みとどめ、日本的「マヨイガ」の懐かしさや、夢から覚めたあとの無常な「砂の城」感もなくてはならない。
自分が閉じこもっていた、まるで子宮みたいな自分の薄皮を脱皮して振り返ってみると、そこに虚しく空洞と化したどす黒い抜け殻があった…普通の箱型ドライブイン廃墟などに感じる切なさは、例えばそういう悲哀かもしれない。廃墟そのものがそういう蝉の抜け殻的いたみを感じさせる。
しかし、子宮的回帰的な切なさとは別の切なさを、トンガリドライブインには感じるのだ。「腸にくる」切なさである。



なんというか、トンガリドライブインを見かけると、「喜びで腸管がブルブルッと震える」。あの感覚は、独特である。しかも、5歳くらいの時から、すでにそうだった。
あの腸管の震える切なさは、一体なんなんだろう。便意だろ、などどいわないでほしい(でも近い)。今でも同じトキメキが体を突き抜ける。



滞在先の大子町へ行く途中、確か名前を「民宿みき」という、素晴らしい建物を見た。三角屋根、ツギハギ建築が橋下部に掘り下げられているような客室構造、テント覆いの多用、グランドの雲梯みたいな鉄筋渡り廊下。しかも色彩が、赤青黄のバタバタした三原色に、ピンクなども入り混じっていそうな幼稚園カラーっぷり。本の一瞬しか見えなかったが、思わず車のなかでも腸が直立スタンダップするような激情を覚えた。
実際行ってみると大したことないのかな。今度きっと行くぞ。



ドライブイン(と自分で認定するところのもの)への愛は、私のなかでは歴史古く、歌謡曲愛や古いものへの執着の、もっと前段階としてあったものだ。
稲垣足穂の【A感覚とV感覚】をかつて読み、最初はその言葉の元である「肛門期的/性器期的」という発達心理学的知識にへえっと思ったくらいだったが、ある日ふと「ドライブインを見た時の腸のふるえ」を思い出し、あれが私のA感覚なのか?と思った。その後そういう趣味に特に目覚めたわけではないのだが。そしてそういう便意にも似たA感覚は、どうも、エロス的体験ではなくタナトス的体験というもののようだ。ある種の子供の感受性には、生の欲動より死の欲動がまず鮮烈な洗礼を浴びせるものなんではないか。しかし何故ドライブインが私にタナトスの魅惑を垣間見せてくれたのかは、わからない。
似たような腸管痙攣的A感覚の切なさを感じるものに、遠くの暴走族バイクの唸りがある。いまビジネスホテルの外にそれが聞こえ、ちょうど思い出した。



そう、茨城県北滞在も終わり、今日は新幹線で岡山まで来たのだ。
ドライブイン動体視力があがっていて、東海道山陽沿線にもたくさんのドライブイン的極彩色建物を見つけた。好きな人を目の前にしながら逃してゆく歯噛みするような思い、を高速濃縮したみたいに、遠く淡く、しかしどす黒く鮮やかなドライブインの姿たちに、腸がキュンキュンした。
書いていてだんだん変態みたいに思えてきたが、言語化しないだけで、皆のなかにも、それぞれのこういうフェティッシュはきっとあるんだろうと思う。
by meo-flowerless | 2016-09-23 00:34 | 絵と言葉

ラシャ紙への愛

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世界堂の紙コーナーで色紙を物色していて、A3、B4などほとんどの紙サイズの棚が「タント紙」に占拠されているのにがっかりした。がっかりした、と言ってはタント紙がかわいそうなのだが、同じようなプレーンな色画用紙でも「ラシャ紙」の各サイズが揃っていて欲しいのだ。



ラシャ紙は、日本人ならたいていの人が図画工作教育で一度は手にしたことがあるであろう、歴史の古い、日本製の色紙である。小学校の図工室の紙棚の匂いや色彩を思い出し、ノスタルジックな気分になる。
色数は現在120色もにのぼり、それぞれ「ひわ」「たばこ」「ときわ」「あざみ」「かすみ」などの日本の色名がついている。特急の名前のようで良い。
町の文房具屋でさすがに120色全てを揃えている所は少ないだろうが、一枚一枚色見本で丁寧に見ていくと、目に優しい懐かしい色合いばかりだ。それとも、幼児体験にラシャ紙の記憶が先に刷り込まれたから、そのような色合いを無意識に好むのか。



ラシャ紙の名前の由来は、起毛服地の「羅紗」の質感のような暖かみを目指して作られているから、らしい。1940年代から作られている、日清紡開発と竹尾販売のロングセラー品である。
世界堂本店では今、ラシャ紙は巨大な四六版の大きさのみ売っており、店員に言って一枚一枚出してもらうような売り方である。椅子に上って恭しく一枚一枚丁寧に引き出してくれる店員さんの姿を見ながらこれを買うと、少し感動が増す。まあ、だからいいのかな。



かたやタント紙を自分が画材屋で見かけるようになったのは、浪人生の頃だった気がする。もっと前からあったのかな。わからないが。
色の美しさや少し凹凸のある表面、高い質に間違いは無いのだが、自分個人は、最初手に取った時から、なぜかこの紙種が好きになれなかった。素材には作り手との相性というものがある。タント紙は特に色彩が、自分にとっては、なにかはねつけるようなよそよそしさがある気がしてならない。
質感にしても、多様な色材ドローイングには耐水性が過ぎ、鉛筆やコンテなどのデッサンには滑り過ぎ(もともと描画用紙ではないだろう)、工作には厚みが薄すぎる。
でも、このタント紙が世間一般に受け入れられることは理解出来る。なにか表面的なキャッチーさはある。PC世代の感性を感じる。
いまこの記事を書いていてキャンソン社の「ミ・タント紙」とこれを間違えていた。タントは日本製のようだ。ちなみに凸凹の強いキャンソン紙も使いづらくて自分はほとんど使えない。



他の紙と比べれば比べるほど、暖かい手ざわりのラシャ紙への愛が募る。
「かつての日本の各企業、職人や技術者のものつくり精神」という自分の中の戦後や昭和のイメージをそのまま地でいくような、堅実な高品質さ、愛着を持てるわかりやすさ、くせのない使いやすさがある。これが無くなってしまったら、自分の寿命も物悲しく縮んでしまう、そんな気さえする。
「ラシャ紙」は「トーヨーの教材おりがみ」の古くからある素晴らしい色出し(特に蛍光に近いピンク群の素晴らしさ)と合わせて、日本人による日本の商品として、決して無くなって欲しくないものである。
どちらも一度、工場見学で制作行程を見てみたい。
by meo-flowerless | 2016-08-11 17:30 | 絵と言葉

私的昭和キラキラ史

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いま聴くと【キラキラ星】という曲は、その題にふさわしい優しい音楽だと思う。キラというのが英語ではtwinkleという美しい響きなのだと知ったのは、幼時この曲を覚えたおかげだ。しかしまたこの曲から直接的に夜空に光る星をイメージすることが出来ないのは、耳にこびりつく自分のへたくそバイオリンの調べのせいだ。
三歳の時初めて小さなバイオリンを持たされて、同じ団地の若い男の先生のところに習いにいくようになった。とても優しくて素敵な先生なのが良かったが、自分のバイオリンの音は一向に優しくて素敵にはならなかった。
鈴木教本の一番最初の曲が【キラキラ星変奏曲】だった。様々な弓使いの練習のために【キラキラ星】をいろいろなリズムで刻んで弾かなくてはいけない。「ギギギギギッッギ」という潰された蝉みたいな自分の音が、この曲の記憶のすべてを支配してしまった。

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幼いとき、何時頃に寝かしつけられていたのかは覚えていない。真夜中、尿意や寂しさなどで急に起き、寝ぼけ眼でテレビのついている居間にふらふら歩いていく時間帯があった。必ず母が「どうしたの?おトイレ?」と優しく笑って振り向いた。
その必ずの向こうに、もう一つの必ず、があった気がする。【スター千一夜】のオープニングテレビ画面である。同じ時間に起きる癖があったのだろう。言葉を覚えるのは早い子だったので、スターの意味もなんとなく分かったし、発音は分からないが千・一・夜のそれぞれの漢字の意味も分かった。ただ、しばらく「ちいちよ」と読んでいたと思う。



ああ、「夜」…。その文字は印象的だった。「夜」か「タ」の文字のどこかの点が星になっていて、キラリンと煌めていた。
「キラ」という煌めきに、現代人はほぼ、ウィンドベルをかき鳴らした音をイメージするのではないか。形はやはり、十字やダイヤ形の点滅するイメージだろう。それまでその一般的「キラ」をあまり理解出来ていなかったのだが、真夜中の母の笑顔の向こうの【スター千一夜】こそが、キラキラの凝縮形態との出会いだったと思う。親の役目を解放されてぼんやりとくつろぐ新鮮な母の顔と十字&ダイヤ型の光とともに、真夜中の時空への誘い、大人の深い時間帯の憧れ、宇宙の遠い距離…が自分の中に定着された。



それからというものしばらく、なんにでもキラキラの形を書き入れた。ただし、★という星の描きかたを親に教わってしまってからは、十字型のキラキラをほとんど絵に描かなくなってしまった。これは70年代少女漫画から80年代少女漫画絵の移行期の、はやりの記号の変遷ともリンクする。十字形のキラキラが古くさい、というイメージになってしまったのだった。
今では十字形のキラキラのノスタルジックな汎用性のほうが好きだ。



写真にある自作の定期券にも、しきりに★を書き入れている。というより、いまみると「ある所⇔そこの所」という大雑把な時空の広がり感が凄い。昔の私のなかには宇宙が広がっていたのだろう。今辛うじて残っているのは「どういうところ経由」という中途半端な寄り道感だけである。



さきほど調べてみたら【スター千一夜】の放映時間はたかだか20:00前後だったようで、可笑しくなった。私はあれが真の「真夜中」なのだと思っていた。今ならようやく大学の仕事が一段落つき、自分の一日が始まる時間だ。


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自分の中の「キラキラ」の五感的最高形態はいったん、小学生頃に発売された【宝石箱アイス】で完成を見た。そんなにロングセラー商品でもなくわりと高かったカップアイスだが、昭和の菓子話ではよく登場する伝説的アイスだ。
縁をラウンドにした立方体に近いカップは、黒い色をしていた。そのデザインが素晴らしかった。蓋に赤、黄色、緑のそれぞれの味に合わせた色の宝石とも氷とも十字星とも言えないキラキラしたものの写真が印刷され、白い細斜体文字で【宝石箱】と印字されている。【スター千一夜】を思い出した。



なんて素晴らしいのだろう、高いけどこれは売れるぞ、と一目見て思った。バニラではなくミルクのアイスに、ザクザクと色のついた氷の粒が混じっている。それを宝石に見立てているのだ。とくに「エメラルド=メロン」の味が最高だった。高級というより、洒落た味わいだった。
やがてどこの菓子屋でもアップルカクテル味しか見かけなくなり、【宝石箱】の廃番に気付いた。子供心に寂しかった。ときめきをもう一度、と思っていた。
その頃にはテレビ番組【スター千一夜】も終わっていたようで、自分が夜の時間にそれを観覧することは、その後なかった。


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一回「キラキラ」に撹乱が起こったのは、地元八王子のカルト盆踊り曲【太陽おどり(歌・佐良直美)】によってだった。
盆踊りの時、変なエグい曲がかかるなぁ、とは思っていた。しだいにそのゴーゴーサイケな編曲や中性的ボーカル「はっぱキラキラキンラキラ、ハァ!キンラキラキラキンラキラ」というわけのわからない歌詞が気になり始め、違和感を覚え出した。
丸顔にラウンドカットの、男か女かわからない、いつも笑顔のままで低音の歌を歌う佐良直美が、当時は意味もなく恐くてしょうがなかったので、ご当地盆踊りをあの人が歌っていると思うといやだったのだ。
「葉っぱのなにがキラキラすんだ?キラキラは太陽ではなくスターではないのか?しかも、チラチラともギラギラとも聞こえるあの発音は、何だ?」



しかし大人になるにつけ、昭和の歌謡曲に嵌まり、【いいじゃないの幸せならば】の佐良直美の深い歌唱力に嵌まり、【太陽おどり】が「ひとりGS歌謡」の名曲だと気付いたのだった。
夏祭りには八王子のどこででも、彼女の声の原形をとどめない焼き直しテープの【太陽おどり】を聴けるけれども、音源がちゃんと聴きたくなった。ようやく、八王子中央図書館に三本しかないテープを借りて聴くことができた。が、こともあろうにそのテープを誤って延ばしてしまう、という罪を犯し、貴重な【太陽おどり】テープは、図書館に二本になってしまった。数年後に行ってみたら、もう皆無だった。生涯最悪の罪悪感は、これである。



「はっぱキラキラ」の歌詞は、今でもちゃんとした意味を知らない。葉っぱは、高尾山の葉っぱのことである。
太陽、平和、キラキラ….60年代後期〜70年代初頭のキーワードをただぶち込んだだけなのだろう。平凡な歌謡盆踊りになるところが、GS的アレンジと佐良直美の絶妙なボーカルで、またとない名曲になっている。地元のファンキーモンキーベイビーズがカバーしていた。
youtubeで「世界でいちばんナウい新八王子音頭」という題で太陽おどりをあげている人が居て、馬鹿にされてるなあと思いつつ秀逸。やはり名曲。
先日近所の盆踊りでも、しょっぱなにかかっていた。夏の間、どんなに音声が悪くてもあの「はっぱキラキラ」を聴かないと、夏を過ごした気がしない。
今年初甲子園出場の八王子高校は、ブラスバンドも全日本レベルらしいから、どうか応援のブラス曲に「はっぱキラキラ」を取り入れて欲しい。滅茶苦茶応援してるぞ。テレビないけど。
by meo-flowerless | 2016-08-02 22:40 | 絵と言葉

既視感人

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他人がなんらかの「既視感」を感じている瞬間を、見ているのが好きだ。
「ここ来たことがあるような気がする」とか「ちょっと待ってその話知っているかも」と言いながら遠い目をする時の、蒼白の頬や奇妙に澄んだ目を見ると、嬉しくなる。
懐かしさの中でも「知ってる知ってる」という同感のオンパレードには、そこまでの魅力は感じない。
同世代の回想話も盛り上がりはするが、むしろ、他人のなかの見えづらい記憶の断片のたどたどしい話、が結構好きだ。



既視感を感じている途中の人は、ちょっと何かに取り憑かれているようで、とりつく島がない。
その人が記憶の符牒を合わせながら一歩ずつ時を遡っていってるのを、「知らね。勝手に思い出してな」とぶった切ることは容易いが、目に見えない記憶の糸を自分も横でわけもわからず手伝ってたぐり寄せるのは面白い。「他人の過去なんか面白くも何ともない、犬も喰わないよ」という感覚の人間の方が圧倒的に多いようだが、私はそうではないらしい。
自分も「既視感人」だからだろう。



母が何かの拍子に、よく同じことを言う。
「夕方の早風呂の、窓の外のまだ明るい光を浴びると、芽生がはじめて独り暮らしした家へ遊びに来ている錯覚に陥る。同時に何か南天のような赤い実が浮かぶ。脈絡はない」
本当にどうでもいい話題なのだが、私はその話題がいつでも好きだ。
一人暮らしをはじめたのはもう二十年以上前だが、母は多分今も、同じ光に同じ錯覚を起こすだろう。そのせいで私も早い夕方に誰かのシャンプーの匂いを嗅ぐと、反射的に、そのアパートの窓の外からたまにきこえてきた女の子守唄を思い出す。
既視感というか、まとまりのない記憶がふとした時に集まって整列するような、そんな感覚だ。



記憶の連鎖がはじまると、文章を書きたくなる。今はその時期のようだ。
目の前にあることに、全く脈絡のない過去を閃光のように思い出し、急に体験がダイナミックに立体的になる。そういうことの一連を面白く思い、書き止めておきたくなる。
自分は、ある種の肯定的なフラッシュバック/既視感覚においてこそいきいきと生きていられる気がする。



ふとした既視感から記憶を蘇らせようとすることは、自分自身に何らかの催眠療法をかけているようなものなのかもしれない。
何かが見えますか ? それはいつのことですか ? そばに誰かいましたか?
甘く問いかける声に、恍惚とした過去の自分が、おもわぬ証言を引っぱりだしてくるようなことがある。
既視感から引いてきた風景を集めると、いくつかの根があるのを感じる。それを、原風景だと感じる。



既視感を大袈裟に大事にする傾向は昔からあり、自分の友も「既視感人」が多い。
大学時代の親友のワッコチャンとは、夜が明けるまで「わけもわからず懐かしい原風景のパターン」などの話を、飽きもせずしていた。
「既視感人」には、結論が要らない。散らばった断片から起点へと遡る旅なのだが、起点がわかったところでその起点以前にも何かあるような気がするのが「既視感」だ。
届かない空中の蝶をふらふらと追いかけ、見知らぬ森に迷い込むことが楽しいのだろう。



自分が心を掻き立てられる懐かしい記憶のひとつは、「深い渓谷にひびきわたる女の歌声(詩吟)の反響」だ。五歳くらいにはもうこの感覚を知っていた。なぜか「琵琶湖温泉ホテル紅葉」のCMソングの女の人のこぶしを聴くたびに、行ったことのないはずの霧の渓谷風景を懐かしく思い浮かべていた。
小学生の頃はすでにその渓谷のことを「前世の記憶なのかな」と思っていた気もする。
親に聞いても、そのような深い渓谷に行ったことはない。
ワッコチャンは、「グレーの隣に置かれた青紫色が錯覚で発光しているように見える」ことや、「暗い天井の高い建築の天窓の方から差し込んでいたステンドグラスと思われる青い光」が、無性に懐かしい風景だと言うのだった。その後も彼女は、一貫して光にまつわる作品を作っていた。



私達は、夜にもかかわらず他の友に電撃電話をかけ、唐突にこんな風に切り出した。
「あなたの原風景を教えてよ」
迷惑がられるという予想に反して、ほとんどの人がすぐ話に食いついてきた。
「原風景って、懐かしい風景とかでいいの ? 無性に懐かしい ? うーんと、あるね。滑走路だよ。小さい頃から、飛行機も乗ったことがないのに、滑走している飛行機の足が道路を見ているみたいな映像が浮かぶ」「私は、海の底を何故か小さい頃から知っている気がする」などと、答えてくれた。



今思えば、それを全て記録を取っておけば良かったのに、と悔やまれる。
大人になった今も、周りの人にそれをしてみたい。
が、そんな話題をうっとうしく思う人の方が圧倒的に多いし、あの時代あの年齢の独特な空気感で許されたことだったのか、とも思う。
by meo-flowerless | 2016-06-28 22:10 | 絵と言葉

「はいあかむらさき」と「おイモ色」

絵を描きながら、「アクリル絵具」箱に手を突っ込んで色を探していると、見慣れない、くすんだ赤紫色のチューブが出てきた。普段あまり使用しない某社の絵具だ。
気まぐれに買って忘れていたとしか思えない永久ベンチ入り感に、思わず色名を覗き込む。
【キャパット・モーチャム・バイオレット】。
なんだそれ。
他の色は見慣れたパーマネント◯◯とかブリリアント◯◯、あるいは原材料名の色名が多いのに、この色名は、意味が分からない。



検索してみたらcaput motuumとは、西洋の色材のなかでも酸化鉄系の赤紫の顔料のことで、元の意味は錬金術に使われる原材料の蒸留滓のことらしい。検索画像に謎めいた錬金術のサインが出てきたので、最初は何かと思った。
いつも使うターナーアクリルガッシュに、「オーバージーン」という素晴らしい深赤紫がある。ターナー社はとてもいい色合いをだしているのだが、この美しく便利でもある色に自分は何故か余り手が伸びず、買い忘れも多い。
それは名前のせいなのだと思う。意味が分からないから、つい存在を忘れてしまうのだ。一度、フランス語でオーベルジーヌという単語を聞いて、関連があるかな、と思ったきり意味を調べてもいなかった。今調べたら「ナス」らしい。
おそらくキャパット・モーチャム・バイオレットも、自分にとってはなかなか使いづらい色に当たるだろう。



色名もさることながらくすんだ灰赤紫は、よく使う色なのに、画材として用意されるとどうも手が伸びない。その名も「はいあかむらさき」という色が、子供の教材のぺんてるクレパスにあった。なんともいえない絵具の濁り水のような色だった。分かりやすい鮮やかな色の中その色だけ複雑きわまりなく、子供心に「この色の意味は....?」と思っていた。



今のサクラクレパスには「うすだいだい」という色がある。もと「はだいろ」だ。
肌の色は多様であるという現代の解釈に沿って色名が改められたそうだ。肌色、というのは今後、死語になるかもしれない。
けれど「うす・だいだい」の、新・松戸とか武蔵・浦和とか東・所沢みたいなゴチャゴチャした武蔵野線感が、印象を薄くさせてしまっている。
サクラは、肌色を排した怨念であるかのように、「まつざきしげるいろ」という、個人の肌色(もちろん茶色)を思いっきり差別化したキャンペーン色を打ち出していているのが凄い。



ぺんてるの「はいあかむらさき」の浮遊感のほうが、そういう肌色を巡る分かりやすい物語よりも、私には謎だ。36色セットのほかの「はいみどり」や「さけいろ」などと同列ならば分かるが、「はいあかむらさき」は、もっと少ない基本色セットにも、スタメンで入れられていた記憶がある。
この濁った紫系の色は、もしかすると、多くの色彩関係者にとって「手が届かないかゆいところ」にある色で、「外すにも外せない、かといって王道として愛を告げることが出来ない、愛人」のような厄介者なのではないだろうか。



自分も、この灰赤紫系統の色が、好きなのか嫌いなのかわからない。持っている服には多いのも確かだ。そのくせあまり着ない。母によく服を縫ってもらうが、母も無意識に、小豆色とかくすんだ赤紫の服を作ってしまう時期があった。



随分前、親友夫妻の赤ん坊が生まれたので、他の友とお祝いに駆けつけた。その時私は、上も下も赤紫の服を着ていた。上下同系色で揃えるのは私の悪い癖である。
私があやすと何故か赤ん坊が泣き出してしまうのを、横から友人のY君が、
「あー、かわいそうに。赤紫のおばちゃんこわいなー。おイモのおばけこわいよなー」
と言いながらあやすと、ぴたりと泣き止んだ。



その日から私がいくら憤慨しようと、私=おイモというイメージが気に入った友は、しょっ中私の服を冷やかした。ので、母がサツマイモ色の生地でも弄っていようものなら「待って!おイモ色はやめてよッ」と、先乗りして怒る事態になった。
あの頃の体型ですでにおイモのおばけと言われていたのだから、今の自分がおイモ色を着たらもう、な。
by meo-flowerless | 2016-05-19 08:35 | 絵と言葉

オーロラ

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人は各々にとっての「美しい」感覚を、何歳頃に、どういうことに対して、得るものなんだろう。
美術系だと、美しい物品に囲まれて審美眼を磨いてきたのかと思われることもあるが、実際そういうことではない。
自分の場合は、かえって殺風景のほうに不思議な美を感じるようなことが、結果的に多かったと思う。



文学的気質の親はたぶん「美しい」という言葉を子供にも躊躇せず使っていたはずだし、画集も音楽集もうちに沢山あった。しかし親がそれを特に利用して啓蒙的な審美眼を教え込むようなこともなかった。
なので私は、名画にも絶景にも、逆にどうでもいいことにもアホな事柄にも、ランダムに「美」を感じるパッチワーク的感覚を培った。そのことを、親に感謝している。



物心ついてから、はっきり何かを「美しい」と思った記憶。それは、ある建具屋の看板文字だった。
白い小さな看板に、虹色グラデーションの、フニャッとゆがんだ文字体。
【オ〜ロラ】と書いてある。
美的でも何でもないものに、なぜ惹かれたか。
オーロラ、という虹色の目くるめく現象に付いては、雲の図鑑などで知っていたから、その言葉を重ね合わせた幻を見たのだとも言える。とにかく、バスの中から見えたその、文字形や言葉の意味が混ざりあった総合的な雰囲気に、子供心の何かを掴まれた。



団地へ分岐していく道とは反対の、山林への方の道。遠足にもそうそう行く機会がないであろう、暗い峠の入口の、小さな建具屋。
【オ〜ロラ】。
看板に書かれた小さな字でしかないが、「目に飛び込んでくる」とは、まさにあのことだった。暗い山に萌え立つ若葉の道の中空に、ポカっと魔法のサインが、変幻自在に色を変えながら浮かんでいるように見えた。自分の心にとっては、それこそが小さなオーロラ現象だったのだ。
小学校へ入学しても、バス通学でそこを通るたび、その看板を目で確認することを忘れなかった。高尾山麓を切り崩した殺風景と鬱蒼のなか、そこだけが煌めいている気がした。
が、別の町に引越してしまい、数年間はその看板のことなど忘れてしまっていた。



浪人生の頃ふと、オーロラという言葉が好きだな、と思った。クサカベ絵具のオーロラピンクという色名で思い出したのだろう。
あの店の看板のことも、みるみるうち鮮やかに思い出した。床屋のディスプレイ看板みたいに光りながら回転していたような、誤った記憶さえ浮かんだ。
そこで、かつて故郷だった終点駅の、さらにバス終点の団地まで訪ねてみたのだった。



年月が経っていたので、その店が残っていることすら危うかった。バスの窓から見えるのは一瞬だ。埃っぽい繁みや、暗い山影は変わりない。その場所に近づくと、胸が高鳴った。
【オ〜ロラ】。
まだ、そこにあった!
歪んだ文字。幼い頃に魅かれた感覚が、鮮やかに蘇った。
が、看板は光っても回ってもいなくて、文字色もいまや虹色グラデーションなどではなかった。記憶の誤解に一瞬肩すかしを食らったものの、やはり煤けた景色に浮き立つそれは、自分の中のなにかの反射光のように際立って見えた。



虹色のものは美しい、ということは、父からの吹き込みだろう。
オーロラ現象とか、モルフォ蝶蝶とか、ハンミョウや玉虫だとか、「とにかくこの世のものではないほど美しいんだって」と、父は神妙な顔で、私にその存在を教えていた。「この世のものではない」という形容が、子供の心にはとてもいい化学変化を与えてくれたのだと思う。
虹自体が、団地の暗い雨の中、高尾山や貯水池を背に出現する、いわく言いがたい不気味な現象だった。しかもその頃はなぜか、子供一人か二人のときにばかり、誰も助けに来ない無音の圧迫のようなものの中で見た。
不気味なだけではなく、やはりきれいで、「きれいなものは不気味」というアンビバレントのようなものは、それで覚えたようにも思う。



父も私ももちろん北欧にオーロラを見に行ったことなど無い。実際見たら絶対に感動するだろうが、その感動は【オ〜ロラ】へのものではないだろう。
【オ〜ロラ】に感じたのは、言葉と視覚の間にぼやっとうかぶ「暗示的なときめき」、そういうことに魅かれる自分の傾向の、最初のあらわれだったかもしれない。
建具屋のまわりの繁みや竹やぶは一掃されてしまったが、オーロラの看板は今なお健在だ。
そういえば、一度だけ、別の土地で、白黒の【オ〜ロラ】看板にも出会ったことがある。
by meo-flowerless | 2016-04-13 23:11 | 絵と言葉

山下裕二さんとの対談、「美しき畸形」

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齋藤さんはウルトラ・ドメスティックだよね、という言葉で盛り上がった山下裕二先生との対談。
ウルトラ・ドメスティックって、北新宿辺りの雨のアパートで繰り広げられるドメスティックバイオレンスっぽくて、いいですな。
直訳なら超・国産的とかいうことなのだが。
私にとってはずっしりと密度の詰まった、自分への形容を頂いた、と思った。



対談の中で心に刺さった山下先生の言葉は、「美しき畸形」という言葉。
畸形は奇形という字じゃない、とも。
「日本のドメスティックなものを『美しき畸形』と自分は呼びたい。洋楽の刺激を受けながら奇妙に捩じ曲がった昭和の歌謡曲は、『美しき畸形』だ。それに、明治の日本の絵画もそうだといえる。美しき畸形と言える以外のものには心を惹かれたりしない。思春期に洋楽に皆かぶれていたりしたけれど、歌謡曲のあの感覚の前にはなにほどのものでもないと感じていたし、西洋美術だって、自分は本当には心を動かされなかった」
というお話。
大竹さんも都築さんも中野さんもそうだったけれど、やはり自分の憧れる人、陰ながら励ましの言葉を頂ける「おとな」には、どこか共通する感覚がある。

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by meo-flowerless | 2014-04-20 23:15 | 絵と言葉

ノートの最終頁

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新年会はカラオケ会なのだが、最近歌を怠っているので、若干焦る。カラオケ人の習慣のような焦りである。
カラオケを本気でやる人なら分かると思うが(本気でやる人にしか分からないと思うが)、自分の得意曲リストというのは案外大事である。とくに「カラオケ本体の各曲の設定キーが、自分の音域に合うか合わないか」を、把握していることが大事だ。例えば私が森進一の唄を歌いたくても、原曲キーが低すぎる場合は「+2」など音域をあげて歌う。唄の途中でこの作業をやるのがいやなので、得意曲の最適音域はあらかじめメモっておいたりする。



自分の場合は、メモ帳やノートの一番最後の頁などに、この曲リストと最適キーを殴り書きメモしてあることが多い。「暗い港のブルース +5」とか。
iphoneや手帳にやればいいのだが、だいたいカラオケ中に焦って、かばんからその日たまたま持っているノートを取り出して走り書くので、そうなってしまう。



今日その自分の習慣を思い出し、膨大な量の創作ノートやメモや日記の最終頁をあさって、明日歌いたい曲のキーをメモしてないかどうか探しているんだけど、こんな時に限って、ない。

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by meo-flowerless | 2014-01-04 01:41 | 絵と言葉

うま年はんこ

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うま年はんこを作った。
年が明けてから作った。消しゴムはんこは難しいね!
作るのに根を詰めすぎて、もう葉書にはんこを押す余力が残っていない。体調悪い。寝る。
でも気に入った。


……


2日未明を初夢とするなら、自分がテルミン奏者で、「テルミンの女王」というCDを出す準備をしている夢だった。何故か時計の文字盤に手をかざし、1時が一曲目、2時が二曲目、という要領で、フィーンと音鳴らしてレコーディングしていた。こっちの夢の方が昨日のより、いい。
by meo-flowerless | 2014-01-02 03:39 | 絵と言葉