画家 齋藤芽生の日記 Twitter/ @meosaito


by meo-flowerless

プロフィールを見る
画像一覧

外部リンク

カテゴリ

全体
絵と言葉



匂いと味



映画
日記
告知
未分類

最新の記事

風景
at 2017-12-16 21:05
ソビエト花葉書
at 2017-12-12 13:07
2017年12月の日記
at 2017-12-02 17:37
2017年11月の日記
at 2017-11-03 23:54
2017年10月の日記
at 2017-10-02 00:56
2017年9月の日記
at 2017-09-06 19:05
珠洲日記1 2017.8.2..
at 2017-09-05 12:52
白玉のブルース
at 2017-08-13 15:27
2017年8月の日記
at 2017-08-08 18:20
2017年8月の夢
at 2017-08-08 01:34

ブログパーツ

以前の記事

2017年 12月
2017年 11月
2017年 10月
2017年 09月
2017年 08月
more...

画像一覧

カテゴリ:旅( 88 )

風景


e0066861_22033063.jpg


風景の酸欠状態、いや風景自体の欠乏状態をここ数年感じる。
風景など何処にでもあるし、いま目の前にあるのも風景だろ、と言われても、それは違う。



旅などから帰るたび、東京の息苦しさに気が滅入る。しかし東京という土地のせいだけでもない気がする。
旅の浮遊感からもとの生活に戻ると結局ネット生活に依存したり、携帯から流れる一方的なニュースに感覚が支配されていく。つい過剰に受け取ってしまう、時代の同調圧力、伝染性。息苦しさにはそういうものが入り混じる。


社会というものが、あたかも大きな一枚岩の塊のように君臨しているように思えてくるのだ。実際に「社会」とは一つの目に見える単体なのではなく、無数の小さな人間のつながり、地域、微細な局面一つ一つが別々に連動しているものなのに。
それにも関わらず、同じ質のメディアの情報を毎日受け取りながら暮らすうち、「一枚岩の塊に組み込まれるか、組み込まれないか」という苦しい決断を迫られているかのような錯覚に陥る。


結局どこにも居ないしなにも見ていない時間、が、非常に長くなるのである。そうして「あらゆる別個の場所のどこかしこにこんな風景がある」いう想像の余地が、次々と薄れていってしまうのだ。


:::


花札の通称「坊主札」。あの何もない禿げ山の札を棄てるとき、「要らない札だけど、この札が一番カッコいい」と思う。他のはただの不動の絵柄だが、禿げ山はもしかすると、揺らぎ続ける「風景」のようなのである。あのニュートラルな空隙にはちゃんと幽かな風が吹いているのだ。それは何か、想像を託せるような余白に満ちているのだ。飛び込んで行けそうな余地、静寂があるのだ。


「風景」とはたぶん、棄て札であるべきなのだ。社会という大きな虚構の塊イメージからピッピッとはねられる、何の役にも立たず大義不在のよりしろこそが「風景」なのだ。


禿げ山の札には、佐渡島の突端、つかみ所のない大きな乳型の丘・大野亀を思い出す。冬の曇天。金色の海面の光。黙りがちな青年たちの寒そうな背。過去からずっと旋回して吹き続けているような重い風。無国籍な地の果ての空模様。
本当に何一つないところだった。枯れた草や石ころががポシャッとあっただけだ。
大学に入って目的もなく行った旅である。


最も風景の怒濤の恩恵を受けていたのはいつだったか、と思い出すと、大学一、二年の頃だとはっきり言える。
住んでいた柏から大学のある取手まで一帯の荒涼とした平野がベースになり、夜の東京、日本の果てへの旅、大学をさぼって流れて行く海辺....愛の鞭のように毎日毎日「風景」に自分は打たれていた。
あの頃の「風景」の総体が記憶にある限り、この先自分の魂は死なない気がするのだ。別に美しい景色ではないが、感情と感覚の全ての温床のようにそれらは今も私の圧倒的な拠り所になっている。


:::


「場所」という言葉には、皆の知っている土地などのイメージだけではなく、自分だけしか知らぬ所在不明の地点の孤絶感も含まれるように思う。しかし「場」という言葉はそれより多くの共有的性質をおびて、みなの場、あらゆるものの交錯ポイントのイメージを纏う。
いまの学生と話していると多くの子が、「場所」を語るより「場」について言及する傾向がある、と感じる。しゃべり場、社交場、のような感覚で。
伝わらなくてもいいから、みなで共有する「場」の話よりも、各々しか知らないそれぞれの「あの場所」の風景を語って欲しい。くどくどと描写して欲しい。
そういう願いがある。

:::


たとえば「思いを馳せる」といったときに、その人の思いは一体どんな天地どんな時空を駆けて飛んでいくのか。どんな距離でどんなスピードなのか。
そんな想像の一連の中にある天地、時空、距離の総体が私にとっての「風景」であるとも言える。


20年前のある湖畔から、たくさんのヘリウムガス風船を身体に装着して空に舞い上がり、アメリカ行きを決行したもののそれ以来消息を絶ったままの【風船おじさん】。都市伝説のようだが、リアルタイムで普通の夕方のニュースになっていたことをぼんやり思い出す。
彼のことをたまに私は考えるのだ。
一度、海上保安庁の飛行機が太平洋上の【風船おじさん】を追跡したのだそうだ。救助のサインをしたのだが、おじさんは装着していた荷物や重しをどんどん身から放して落とし、逃げるように高度を上げていったのだという。救助を拒絶する意志を見て取ったため、海保はそれ以上追跡をせずに戻ったのだという。国家の判断というのがときどき信じ難いようなものにおもえることがあるが、この伝聞にもそれを感じる。


高度を上げて行った時の彼の心に映っていた風景、身体が次第に冷え暗い天空に下界が見えなくなって行く風景、風船が一つ一つ萎み割れていくたびに覚悟とともに反芻したかもしれない人生の風景。
彼のその一連の「風景」について、自分の知る限りの記憶の山河を飛び越えつつ、私はたまに思いを馳せてみるのである。


by meo-flowerless | 2017-12-16 21:05 |

珠洲日記1 2017.8.22~9.5

8月22日


e0066861_13583755.jpg

金沢発、バスで3時間。片側に続く日本海。能登半島の先端の珠洲市へ向かう。今日からまた、海のそばでの生活。



More
by meo-flowerless | 2017-09-05 12:52 |

佐賀日記〜波戸岬講座


8月4日



e0066861_15544426.jpg


新幹線で九州へ。長旅の始まり。飛行機じゃなくても、列車の旅はまあ楽しいからいいや。何もせず景色見て、食べて、寝て。内田百閒みたいだ。
弁当は必ずカツサンドで今日は浅草ヨシカミのもの。凄く美味しい。ウズラのたまご燻製もちゃんと買った。
この旅も、仕事ではあるのだが、兎にも角にも夏休みなのだ。あー夏休み、何と幸せなんだろう。何と有難いのかしら。リラックスして、背が10センチくらい伸びたように感じる。
音楽を聴くのに夢中になっていたら、あっというまに九州入りしてしまった。いつ海を渡ったのか波をくぐったのか…大学から家は死ぬほど遠く感じでも、不思議と東京から博多まではそう遠く感じないものだ。
しかしここからさらに唐津まで。そちらの方は流石に距離を感じそうだ。


ようやく車窓から海が見える。ぎらつく午後の波頭、千切れながら進む雲、九州特有のぽこぽこした山や島並み、濡れたような色の深い木立、全てが立体的だ。
かつて、白い砂浜を自慢していた九州女の母を連れて来たい浜。
そして自分自身が来たかった、理想の夏景色の只中に確かに来たことを感じる。



More
by meo-flowerless | 2017-08-07 23:22 |

カンボジアの絵看板

e0066861_01485250.jpg

本屋の少ないらしいカンボジア。
私はプノンペン滞在中、ちゃんとしたハードカバーの本が充実しているという「モニュメント・ブックス」に立ち寄った。しかし噂通り、洋書ばかりの品揃え。カンボジア史に関する本は、アンコールワットとポルポトのジェノサイドについての本しかない。
そのなかにまぎれて、ふと心をくすぐるスキ間的な脱力系写真集があった。「カンボジアの田舎クラチエ州の手描き看板」(Hand-Painted Signs of Kratie /Sam Roberts)の写真集だ。

e0066861_01492174.jpg

なんと、痒いところに手の届いている本なんだ(私にとって)。
プノンペンをトゥクトゥクで走り回りながら一瞬道路沿いに見かける、なんともいびつなイラスト・クニャクニャした飾りクメール文字の看板にとても魅かれていた。しかしなかなかトゥクトゥクの速度から、それらをカメラに収めるのはきつい。そしてまた「のんびりプラプラと看板探しさんぽ」など、カメラ片手に徒歩で出来そうな安全な街では、絶対にない。



近隣の国と比べるのはナンセンスだとは思うのだが、やはりその国独特の何かを感じ始めると、他と比べることによって妙に感心したくなる。カンボジアに来てすぐ、ほんのたまに目に飛び込んでくる看板の絵のいびつないじらしさ、工具や家電などをいちいち図で示す独特さなどは、気にはなっていた。ホーチミンやチェンマイでは感じなかったことである。ベトナムは思い切り社会主義国のプロパガンダ看板が目立っていたっけ。


e0066861_01493506.jpg
ベトナム・ホーチミンのプロパガンダ看板。ある意味でふるめかしい味はあるが、かわいくない。



e0066861_01502769.jpg
タイ・チェンマイも印象薄い。





e0066861_01505870.jpg
e0066861_01510287.jpg

上のこれらは【Hand-Painted Signs of Kratie】の中に出てくる、カンボジアの手描き看板。他のやつも一つ一つ見ていくごとにカラーといい文字の剥げかたといいヌケ感のあるタッチといい、デヴィッド・サーレ感たっぷりで、プロパガンダ看板のイラストよりもずっとコンテンポラリーアートを感じる。
この本には、看板職人の制作中写真などもあり、日本で言うところの銭湯の壁画職人などの独自の技法を身につけている職種であることが伺える。




e0066861_01524820.jpg
e0066861_10584899.jpg

これは自分が出会った看板たちだ。もはや手で直接ブリキに描いてはおらずプリントなのだろうが、朴訥な味わいは絵の中に残っている。郊外の洗車屋には、秀逸なのがいくつかあった気がする。
歯医者は、このような「歯の断面」を看板にすることが多いようだ。また人の顔の看板は、どこか眼が焦点が合っていないと言うか、「目を黒く縁取りすぎた小さな眼の奥村チヨ」みたいな顔つきが魅力的である。
しかしこういう手描き看板がどこにでもあるというわけではなく、もうあまり見かけることはないのだろう、と推測される。


カンボジアの看板で思い出したのは、日本のローカルな街の床屋や美容室の硝子戸にカッティングで貼られたりしている、線描の外人ぽい男女の顔だ。都会のヘアサロンではお目にかからないイラスト。見かけるたびに反射的に撮ってしまう。カンボジアのイラストと似ているわけではないが、なんとなく心根はどこかで繋がっていそうな気がするのである。
e0066861_02212178.jpg

ネットで何となく情報を集めていると、やはり同じような興味を持っている人がいた。カンボジアの絵看板は、要するに「識字率の低さ」と関係しているらしいことが書いてあり、なるほど、と思った。
カンボジアの国民の平均年齢は20歳代後半という。私のような40歳代以上の年輩者の人口は、極端に低い。ベトナム戦争余波の大国からの爆撃または度重なる内戦で没したか、ポルポト時代に強制労働と貧しさで命を落としたか、国外に逃げたか、大量の知識人・教育者・技能者の虐殺の中に入れられてしまったか。そして生き残っていたとしても、その時期の一切の教育の断絶によって、とくに40歳代は今でも文字が読めない人が多いのだそうだ。東南アジアでも識字率の低さが突出していることの背景にはやむにやまれぬ歴史の被害がある。
だからこの本のなかにあるような懇切丁寧な「釣りをしてはいけない池の様子の図」看板やいちいち絵や図に示して客を呼ぶ看板は、大昔のレトロな様式なのではなく、教育を受けて字も読める今の若者向けのものでもなく、私ぐらいの歳の人間が見てそれが何を指し示しているかわかるように80-90年代に濫発した様式らしい。
そう思うと、深く考えさせられてしまう。


e0066861_02394287.jpg
e0066861_02395087.jpg


コダック島で見かけたちょっとした看板に描いてあった、おおらかな味わいの図...
上の写真の青いペンキだけでスッスッと描いた山と川、その水面の処理など絶妙にセンスとバランスがいい。クメール文字の波打つ形、飛ぶ鳥の波形、山並みのウェーブがリズムよく呼応している!
絵心というものは切ない。どんな人のも、自分のだって、絵心はその人が日常を精一杯生きているいじらしさの宝庫、のような気がするときがある。下手とか上手とかが絵心の所在を決めるのではない、とも思う。

by meo-flowerless | 2017-05-14 01:55 |

プノンペン日記 2017.5.4~9

e0066861_09582206.jpg

プノンペン日記 2017 5/4~9

More
by meo-flowerless | 2017-05-10 09:35 |

旅愁の正体

e0066861_02302488.jpg


旅先のヒナびた土地。宿の蒲団に包まる22時頃、その土地にもいる暴走族のバイクの遠いうなりを、窓の外に聞くことがある。そんな時、夜の影がぐっと黒くなってゆくような悲哀感を感じる。ヒナびた空間に彼らが急激に引き連れてくる、遠い亡霊のような「青年性」が、なぜか旅の心にパンチ力を及ぼすのだ。

空耳のような爆音が過ぎまた静かになってしまうと、わびしさはひとしおである。あの暴風めいた音はどこに消えていくのだろう。夜のどこかを走っているには違いないが、幻の世界に帰っていくようにこちらからは聞こえる。八王子の自宅で聞こえていた甲州街道の暴走族の音よりも、なぜかリリカルで、幽玄である。ああこういうわびしさを「旅愁」というのだな、と思う。



また、峠を越えてゆくトラックのヘッドライトが遠ざかるまで、夜の旅館の窓からしんみりと光を見送ったりすることがある。あのトラックに朝が訪れることがあるのだろうか、訪れやしないのではないか、と想像をめぐらせる。生活感を剥ぎ取られ前進感覚のみが冴え渡った抜き身のドライバーの、魂の行方を追いたくなる。そのドライバーが若者であれ中年であれ初老であれ、そういう真夜中のトラック運転者の孤独にもまた「青年性」を感じるのだ。



青年というものは、他のどの世代の男やましてや女よりも死に近い存在なのだ、などと漠然と思わされる。青年の魂だけがあの世とこの世の境界にいつまでも彷徨しているイメージを思い浮かべ、うっすら怖くなる。青春を続けるうちに人生の幹線道路に二度と乗れなくなった、永遠の山林のロード。そういう勝手な妄想がよく、旅先で起こる。

こういうのはあくまでも自分にとっての「旅愁」だ。旅先の美味しい地のものも楽しい会話を楽しむことももちろんするのだが、それとは全く別に急に襲い来るあの旅愁には、甘いセンチメンタルではなく、一抹の死臭の緊張感がある。その感覚を私はとても、大事にしてもいる。



まがまがしさのない旅愁を、私は、旅愁とは呼ばない。旅愁とは戦慄なのだ。そして漠然とした危機感でもあるのだ。必ずしも旅のたびにそんな旅愁を感じなくてもいい、気楽な旅もしたいから。が、とくに印象に残る旅の記憶を辿るとやはり土地のそこここで、自分をゆさぶる不穏ななにかを敢えて感じとっていた気がする。別世界からだれか知らない青年がでおぼろげに呼んでいるような気がしてくる。「その土地のミステリーゾーンに吸い込まれて消息不明になったような存在」を妄想している時に、その土地で感じる旅愁の度合いが増す。



そもそも旅愁の感覚は、自分で体得したものではなく男の人に教わったような気が昔からしている。最初は父だったかもしれない。逢ったことのない祖父かもしれない。友達、恋人、夫…おそらく誰と特定出来るようなものではない。

地霊との仲立ちをするシャーマンという意味での「巫女」ということばがあるが、私は旅において、心のどこかに必ず「巫男」的な男の存在を必要としている気がする。この巫男が私にとって愛着や憐憫を感じさせる存在とは限らない。旅の同行者でもなくていいし旅先の土地の人でなくてもいい。むしろ寂寥や取り返しのつかないものを感じさせる怖さがなくてはならず、観念の「巫男」でいいのだ。地霊ほど縛られていないし具体的な人の記憶でもない、漠然と浮遊する「青年性」の総体のようなものが、都市の居住空間ではなく「旅」のかなたにふわふわ遊離しているのだ。




海や山より、それに至る道程の谷・峠、崖といったはざまの地形の複雑さのほうが、まがまがしさを感じさせる。車のハンドル操作をコントロールしきれぬ危険。そういう地形の風景の中に、ぽっかり別世界への「黒い孔」があいている....。廃トンネル、廃墟の窓孔。その暗がりに吸い込まれ、視界が黒く塗りつぶされる感じがする。

旅先のトンネルに感じる怖さ。黒い孔が思い出させるものはなんなんだろう。突き詰めていって、放心した青年の黒い目玉をふと思い出す。古い友か知人か、だれともない青年達の仕草や目つきが、何となく思い出される。なにかを真剣に話し込み、頭の後ろで腕を組みながらじっと空や天井を見上げながら考え事をしている。旅の果ての砂の上、安宿の畳の上。考えれば考えるほど思考が抽象的な死のほうに向かっていくときの、穴のように真黒な青年特有の眼。空虚に飲まれている眼。考えてもしょうがない夢想と停滞にボカッとはまっている眼。



むかし大学時代の男友達の部屋で、本棚に一冊の地味な冊子をを見つけて手に取った。それは彼の所属している山岳部発行の、数十年前の遭難レポートだった。一行のひとりが滑落した時間から救助に辿り着くまでの過程が時系列に沿って箇条書きしてある。遭難した男子学生の身体の反応が克明に記されているのが妙に心につきささった。瀕死の遭難者の描写に「ラッセル音あり」という言葉が気にかかかったので友達に聞くと、「ぜいぜい言う音や」と簡潔に答えた。その答えと、淡々と短いレポートに籠っている死の影がなぜか物凄くて、衝撃を感じながら冊子をしまった。友はまた言った。「その人の遭難地点に煙草一本ずつ火をつけて線香みたいにたてるのが慣わしや。一級上の◯◯さんが夜の山のテントで寝取ったとき、顔の逆光になって見えん登山者に火のついた煙草を口にくわえさせられたことがある、ていうてたな。その死んだ先輩やろな」

多分そのことは自分の妄想の一つの引き金になっている。山岳、山林、青年、死、そのイメージが多様な亜種となって自分の旅愁を刺激するようになった。




青春を過ぎていく男が若い希望の上にしだいに蓋をしてゆくときの、観念的な死。いまでは旅愁のなかの死臭とは実際の死ではなく、そういう観念的な死の匂いのほうに近いかもしれない。男はいつまでもやんちゃなガキだとよく言ったって、いつしか青年期は確実にその男のものではなくなる。男だけの遊び、男だけの旅には、私には何か、開き直った明るい「とむらい」の匂いさえする気がする。

廃棄された「青年期」が吹き溜まる場所がどこかの時空にある。神隠しの男がまだ歳をとらずさまよう山林がある。青春の苦い思いが澱のようにとどこおって一大別世界を形成している奈落がある。…..そんな別世界から旅愁の寂しい風は吹いてきて、私の頬を撫でる。

こういう妄想世界は私の作品にもにじみ出ているとは思う。昨年は巫女的なテーマで作品を作っていこうとしたが、難しかった。かつて書いた小説(それが博士論文でもあった)の筋は行方不明の弟を捜す姉という粗筋だったが、それを思い出すと、姿を見せてくれない男の聖性を仮定するほうが、いろんな想像が働くようだ。



男がなにかと訣別していく青年期の岐路が集結し、あの世の広がりのように存在する。終わることも交わることもない分岐がひたすら続く世界を、永遠に迷う旅人がどこかにいる。いつか自分がそちら側へ迷い込むかもしれない。いやいや女の自分はこちら側の世界に踏みとどまっても、見知った男をそちら側へふと迷い込ませてしまうかもしれない。危ない、と感じて気を引き締める。旅というのは、そういう分岐点へのあやうい恐怖と、山岳の薄氷を歩かされる一抹の危機感のようなものと、常にともにあるようだ。





by meo-flowerless | 2017-03-18 18:39 |

秩父三峰行

e0066861_23473921.jpg



休日。海か山かどちらかに出かけたいなどと漠然と呟いてはいるが、私はいつも腰が重い。しかし今朝は夫が「秩父に行こう」と起きた途端に私を駆り立て始めた。三峰神社に行く、というのだ。思いつきだろう。こういうことは日常茶飯事だ。

寝ぼけ眼で普段着のまま、駅まで走る夫に分けも分からずついてゆく。あと数秒のところで何とか電車に間に合い、八王子からの八高線、東飯能からの西武秩父線まで乗り継ぎがうまくいった。



秩父には、大学受験の浪人時代に一度行ったことがある。試験前に予備校のクラス全員で、秩父の神社に合格祈願に行ったのだ。三鷹の予備校から何故はるばる秩父まで連れて行かれたのか知らないし、帰りは電車を間違え、夜に高崎のほうに向かって延々と帰路を遠ざかってしまった記憶がある。しかし無事にその年に芸大に合格した。今日再びそこを訪れるなら、やっとお礼参りということだ。



夫が三峰神社を訪ねたいのは、昨年まで奥多摩の御嶽神社で修復の仕事をしていたことも関係しているだろう。御嶽神社も三峰神社も同じように、「狗=狼」を祀る武蔵国ならではの信仰系に属するのだ。彼自身が犬っぽいし、ひとより犬と心が妙に通じるからかもしれない。



梅花の盛りの村落をぐるりと見下ろしながらカーブする電車に揺られていると、「桃源郷」ということばがまだ廃れてはいない気がしてくる。やがてそんなのどかに深い渓谷や田畑の風景に、鉱山めいた採掘場の光景が入り混じるようになり、虎刈り頭のように段々に切り崩され鋭角になった武甲山が、目前に見え始める。桃源郷感は薄れ、山陰の色も濃くなり、もっとなにか見知らぬ悲哀のなかに歩を進めてゆくような感覚になってくる。



西武秩父駅について、三峰神社行きのバスに並ぶと「急行75分」と書いてある。えっ、一時間以上もバスに乗るほど遠いのか?前に神社に行った時には、そんなに遠くバスに揺られていった記憶がない。とすると私が十八歳のときに参った秩父の神社は、三峰神社ではなく別の神社だったのだ。なんと私は、失敬と言うか無頓着だったんだろう...



古い街道、昔の宿場の名残の道、麓のカーブ、ダムの大橋、そして急峻な山の細道をうねりながら揺られる一時間強の時間は、非常にきつい。景色を観たいが、目を開けばすぐにでも酔いそうな振動と回転。

今まで幾つもの深山の渓谷を旅したことがあるが、ここまで深い谷を見たことがない。たまに薄目を開けて車窓の外を覗き込んでは、背筋を震わせる。

天から地までのダイナミックな奈落がずっと続いているが、遥か下の水面はもう、視界から切れて見えはしない。自然の幽玄とは違う。工業の手が入っている雰囲気からか、ダム地特有の裏側感覚からか、「人の俗世のはて」を感じる山景だ。

家を出てから電車三本を乗り継ぐまでは、まだ何となくぼんやりと寝ぼけ眼の散歩気分だったが、突然我にかえる。なぜこんな地獄のように深い渓谷の崖を、自分はいま、心細くバスに揺られているのか...



一眠りふた眠りして、ようやくバスが三峰神社入り口に到着。二匹の狗が見守る鳥居前の食堂で、手打ちそばを食す。周りの客は、名物わらじカツを食べていた。

やはり以前に合格祈願に来たのは、こんなに遠いこの神社ではなかった、と確信した。それはおそらく駅の案内板にあった「秩父神社」だったのだろう。記憶がどこかで入れ替わったのだ。まあ三峰神社に代わりのお礼参りをしよう。



すこし歩くと、見晴らしのお宮があった。柱に一部分雪の結晶のような彫り物と白い塗装のある美しいあずまやのようなものである。そこからの山の眺めは、美しいというよりは凄絶だった。絶は絶景の絶でもあるが、断絶や孤絶の絶でもある。なにか言葉を失ってしまうような身震いを感じる。高所恐怖症でもあるのだが。

ずっと考えているのはひたすら、何故こんな急峻な山の奥のまた奥の奥に神社を開く気になった人がいたのか、ということだ。



本殿や山門の装飾は大ぶりで堂々としており、鮮やかだった。夫は特にずっとこういう類いの着彩の仕事を習っていたので、興味津々という感じだった。特に白く彩られた手水場の装飾彫刻は見事で、生物のように存在が浮き出してきそうだった。

参拝をすませたあとは、渋い土産販売所に売っている、黒い帆布地の腕に白い狼が刺繍された男物のジャンパーを、夫に買ってあげた。

停留所で待っていたバスが満席だったので「立ったままさっきの長い過酷な道を帰るのか」と肩を落としていると、なんと同じ時間発の、二台目のバスを出してくれた。二台目のバスには私たちとあと二人しか乗らず、すいていた。


e0066861_23480207.jpg

三峰神社は「関東随一のパワースポット」として話題の場所だ。しかし私は俗にいう「パワースポット」という感覚が今ひとつ分かっていない。私が感じるこの場所の心細さや孤絶感と、みながいう霊気やパワーが、果たして同じ感覚なのかどうか。三峰神社に感じたのも、その山並に感じたのも、包容力のある霊力では決してなかった。むしろ拒絶のような。



季節のせいかもしれないが、山の性格が読めない感覚があり、数度訪れることでもなければ行った気のしないようなところだ、と思った。崖下に垣間見える道筋を目でたどっても、この険しい斜面のどこからどこまでの領域を人が理解し往来しているのか、想像がつかない。想像つかないところにこそ、獣道のようにルートがありそうである。三峰講を組んだ参拝客たちの賑やかな道よりも、旅僧や闇の商業人やサンカ等の人々の行き来した秘密の道のイメージのほうが、映像として頭に浮かんでくる。



帰路は、もう少し余裕を持って車窓の風景を眺めた。なにかずっと、重苦しさというか、自分のものでもないような悲哀がぐさりと刺さったままのような気持がしていた。冬枯れの青白い風景だからなのか。渓谷の奈落が地獄のように深すぎるからなのか。死を連想させるような凍り付いた巨大なダムが怖かったからか。



秩父湖の暗い水上に細糸で刺繍したようにかすかな、長い吊り橋が見え、またゾワッとする。岸壁に貼付くようにして残る「バラック製フジツボ」のような旅荘群。日常生活のスケール感や色彩感をふと狂わせる、モノトーンな石灰採石場。ふしぎに青白い、巨大な氷柱の滝。「大血川ドライブイン」と子供の字のような素朴さで描かれた、食堂の屋根....

三峰神社にはなかなか再訪しないだろう、という気がしても、この界隈の殺伐とした山河の風景には、怖くてわびしいながらも惹かれるものがあり、また来そうな気がした。



e0066861_23481388.jpg

by meo-flowerless | 2017-03-05 23:49 |

山の音

e0066861_925502.jpg

トンガリ屋根のドライブイン。前の記事にも、それを目撃する時の、独特の心踊りのことを書いた。その時は書いても上手い言葉は見つからなかった。
幼少時から、幹線道路沿いにトンガリ屋根の飲食店を見かけるたび、なんだか無性に胸苦しいような腹苦しいような切迫感に襲われる。それが山深いロードサイドの廃墟だったりするほど、切なさは緊張感を増す。


かつて誰かがその山に分け入ったが、今は安否不明、消息不明である…というような、「山」のもたらす不安さ。山小屋風のトンガリドライブインへの違和感は、それを思いださせることが決め手なようだ。


今ふと、旅の宿の天井をみつめて寝転がりながら思っている。あれを目撃して感じるのは切なさではなく「心細さ」なんだ、と。切なさにはもっと人間臭い感情が絡む。侘しさや悲哀感と言ってしまうとより精神的になる。侘しさや切なさのもっと前段階に「心細さ」がある。それは半分は感情、半分は説明つかないような身体感覚のふるえだ。自分の全ての世界観には、その「心細さ」の体感こそが何より大切な基準のなのだ、とどんどん思えてくる。
トンガリ屋根のドライブインに感じる心細さは、そこに駐車して休憩、飲食などしてしまえば、違うものに変わる。車で通り過ぎる一瞬の、亡霊的な建物の幻影に、ビクッとする感覚でなくてはいけない。



昨日マルヒの鴻池さんも言っていた。あの型の屋根の流行は、60-70年代の山ブームや歌声喫茶の名残りではないか、と。そういえば、それは子供時代の私にも分かっていた。名残であり、もう既に廃れきった古い型だろうくらいの認識はあった。
ある時期に調子に乗って作られすぎた流行りのものは、それが過ぎた時代には、陰翳の黒さが倍増される。特にああいうロッジやアルペンタイプの建物には、華やかなりし頃の歌声喫茶の「空耳」が虚しくエコーするように感じられる。「空耳」の感覚も、自分の何かを常に遠くで支配する重要な感覚であり、「心細さ」と連動している。



父はよく、幼い私に歌を教えてくれた。ある夜道で「これは登山で死んだ友達に歌う歌だよ」と言いながら【雪山讃歌】を歌いだした。たまたまその日の夜空が曇っていて、黒地に白々と光る雲が空いっぱいに不気味に浮かんでいるのに気づき、何か「死」というものの非常の感じが急に父の歌声の背後に迫って来たように感じた。そのとき覚えた「死」はダイレクトな喪失の悲しみより、「消息不明」の心細さのことだった。




小学校三年の時に初めて学級で旅行に行く行事があった。いま夫が働くのに使っている御岳山の宿坊、そこにかつての私は林間学校宿泊に行ったのだ。
一人の級友が水疱瘡でひどく発熱し、下山することになった。ただでさえ初めてのお泊りで若干殺気立つほどはしゃいでいる子供たちは、その真夜中の下山、という非常事態にものすごく興奮した。私には、彼女がそのまま夜のどこかに忽然と消息を絶つように思えてならなかった。



御岳ロープウェイは18時最終だから、真夜中の下山は記憶違いのはずだ。が、皆で窓の向こうの山の闇をみながら、赤ランプをつけたロープウェイのひっそりとした消息に思いを馳せたことは覚えている。
山の底の方からなにかビーン…という絶え間ない電子音が響いていて、あれはなんの音だろう、と耳を済ました。遠雷が音もなくチカチカ山間に光るのもあいまって、秘密のモールス信号だとか、幽霊ロープウェイだとか、子供じみた憶測にシビれた。
あの山の遠くからなんとなく響いていたビーンという音が今も本当にするか、夫に確かめればよかったが、夫は工期を終え下山している。



あの耳を済ました夜、子供心に、「空耳に対して耳をすましている」という感覚があったのも覚えている。それはまるで今までないがしろにしていた亡霊の微かな声を聞くような不安な悲愴の感覚だった。
ただ単に音が気になるのではなく、夜のあちこちにあるはずの、自分の想像及ばない他者の営みや、土地の過去や、風化した出来事や、封印された時間、そういうものの重い質量に、改めて思いを馳せた時間だったのだ。そういうことに対峙する自己は無防備でたよりなく、未知の暗い地球の半球に剥き身で放り出されていたのかもしれない。



圧倒的に暗い夜の闇に対峙して、必要以上に騒いで怖がるような人はきらいだし、逆に大丈夫大丈夫を連発して不遜な人もきらいだ。怯えながら分け入ってしまうような人には惹かれる。気配は確かにある。その気配との心細いやりとりが、自分が生きているということの基本的な把握なのだと感じる。



トンガリドライブインに対する心細い怯えと怖いものみたさは、そういう、闇に何かを幻視、幻聴する感覚に近い。子供の遠足の道端にポッカリと渇いた傷口を開けている、棄てられた「大人たちの営み」の痕跡。町中で脈々と続く家族の暮らしとは対局にあるような、気まぐれなレジャー感覚の果てに飽きられたそういうものに限って、なんか生々しい人間の慚愧を感じたのかもしれない。
もはや気配と化したかつての人間の念は、いつしか優しい夜風になる。優しいと言っても人の心細さを逆なでするような奥深い怖さをもった優しさだ。トンガリドライブインから発するオーラには、「何かを言おうとしたまま事切れた優しい表情の死骸のような怖さ」がある。



その感覚を、私はもっとちゃんと描けるようになりたい。
by meo-flowerless | 2016-10-05 01:42 |

無為無策旅行・ 愛知めぐり

e0066861_21512820.jpg


バス、電車、またバスを乗り継ぎ、知多半島の先端、師崎港へ。
暗い霧雨の平凡な県道景にうつらうつらしていると、時々夫が私をつついて起こす。目を開けるたび、白金色の眩しい視界のなかに広がる海があった。
師崎の港から、小さな船で日間賀島へ。ひまか島という響きがのんきで良い。着いた港の前に、数軒の魚介土産屋が軒を連ねている。一軒の前には「暇持て余し用」の椅子が三つくらい出してあり、椅子の背後の硝子戸に、ひらがなの「ま」の一字が書いてある。「ま」という字も何かまぬけで良い。
海水浴客や釣客に全く会うことのない集落の路地を、一時間ばかり、ひたすら歩く。
大きく育ったイチジクの木の多い島で、実がたくさんなっていた。

続きを読む
by meo-flowerless | 2016-08-20 21:30 |

別府温泉の海綿手品

e0066861_22101717.jpg



いかにも地獄という言葉を好みそうに思われるが、自分にとっての地獄のイメージを冷静に遡っていくと、温泉に行き着く。
別府鉄輪温泉の「地獄巡り」のせいだ。
いかに地獄のような宿題に終われようと、地獄のような片想いに身を焦がそうと、昔から「はぁ〜地獄だ」と溜息つくたび、脳裏に赤茶色の温泉池がぼこぼこと泡を立てているのが見える。別府血の池地獄である。「もうだめ....死....」くらいにまで疲労が達して見える灰色の不気味な泥世界は、別府坊主地獄である。



思春期に別府を訪れるまでに、私の頭には既に色とりどりの泥地獄のイメージが出来上がっていた。母は大分を点々と移り住んだが、回想する時に一番多いのが別府の話だったからだ。
煉瓦を溶かしたような赤、ミントアイスのような水色。
不思議な温泉池の色たちを事前に正確にイメージ出来ていたのは、母の形容が的確だったのだと思う。おどろおどろしい血の池地獄より、涼やかに青い海地獄が100度の熱さだ、というようなギャップが、「美しいものは怖い」という信念をさらに掻き立てた。



初めて訪れた時には、池そのものよりも、「地獄の釜」的に硫黄汚れした温泉施設の建物や、ホテルからの湯気に圧倒された。工場群が無機質な内臓のように生々しく思えることがあるが、剥き出しの温泉施設の配管やポンプは、別種の黄色な内臓のように感じられた。
くたびれた地獄の動物園の獣たちの倦怠感が、温泉毒にやられる日常を見せつけてくる。濁った水にサンゴ色の嘴の黒鳥が泳いでいたり、巨大な黒い猛禽類が目の前で翼を広げたり、晴天の空が黒いくらいに青かったり、「別府にはコントラストの黒い影がある」というイメージが焼き付いた。



一通り観光を終え、親が疲れて宿で眠ってしまうと、私はぶらぶら土産物漁りに出た。
暇そうなおじさんたちが店番をしている店。ただでさえ古びた温泉世界から、逆レンズで昭和初期を覗いたような色合いが、レジの後ろ辺りにぶちまけられている。見世物小屋の楽屋裏というのはこんなだろう。
蛍光色のエビやカニの玩具をひたひたと水につけている水槽、金魚鉢などがレジまわりにゴチャッと置いてあった気がする。安花火の染料が雨で沁みた色、褪せた水中花、そんな色の空間。



濃い青空の記憶からすると、季節は決して秋冬ではなかったはずだ。
けれど派手な花柄の「ドテラ」を着た男の人がいた。
劇場幕のようなカーテンの向こうの畳には、ストーブの赤い灯があったイメージさえある。ドテラ男はカンカン帽をかぶっていた。古物屋の主人によくいる感じの「シレッとした根暗な丸顔」だったように思う。



私の視線を感じたドテラ男は新聞から二、三度顔をあげて私を見て、三度目でおもむろに話しかけてきた。「手品見せてあげるよ」
唐突だったが、既に先方のいでたちが唐突にふさわしいので、驚きもせず私はうなずいて男の前に立った。散らかった机のどこかから男はポヨッと赤い柔らかいものを手の中につかみあげ、レジの混沌の中のどれかの水槽の水に、一瞬それを浸した。
「手品というよりも、まずこの海綿がチョット珍しいんだよね。大分でしか手に入らない」
「海綿.....」
「こう水につけるのがポイント。海綿だからね」
言いながらドテラ男は手の中で濡れた赤い海綿を揉んでいる。



「城下ガレイはもう食べた?」「いえまだ」「是非食べなさいよ」のような覚束ない会話の間も、ずっと男は海綿を揉んでいる。
「別府湾のね。非常に特殊なところに、この海綿がとれるところがある」
と少し遠い目をして男が言う想像の先にぼんやり別府の海を想像しかけたときだ。男の手から、さっきの塊の子どものような小さな赤い丸い海綿の玉が、ころころ、次々とこぼれだしてきた。
「あっ!!!」



もう一度見せてください。とせがむと男は「何度でも。だって特殊な海綿なんだもん、自由自在」と言いながらまた揉み、手の中ではまた一つの赤い丸い塊に変わっている。
「ええ、どうして?手品ですよねこれ、どういう仕掛けなの」
「仕掛けも何も、そういう海綿なんだって」
揉んではぱっと手を開き、揉んではまた開きを繰り返し、その度に赤い海綿は分離したり親玉に戻ったりする。「海綿」という言葉が私の想像力を狂わせた。暗紅色の海綿が豊後水道に漂っている様を、夢のように思い浮かべた。その海綿だけが、手品、とか仕掛、とかいう言葉から勝ち抜いて、頭に残る。
そして何より一番の魔術的なせりふを、とうとう男は私に言ったのだ。
「こんなの、珍しくもなんでもねえよ。その棚に売ってるよ、いくらでも。800円」



【SPONGE MAGIC】とか何とか商品名が描かれた安っぽい箱を、宿の部屋で私は開けていた。
両親が、何か言いたそうだが言わない、と言う顔でちらっと見ている。
箱から出てきたのは、赤いスポンジの球(大1ケ、小9ケくらい)と赤いスポンジの鳩だった。
自分が思い描いていた豊後水道の海綿と随分違うな、と、いやな予感がした。
説明書の通りに、私はスポンジを弄った。
「スポンジボール小を小さく折り畳んで、スポンジボール大の穴の中に押し入れます」
穴ってなんだよ、と思い手にとると、スポンジボール大は真中がぱっくり空いた袋状になっていた。それに、あれ?水に浸したりしなくてもいいのか。もみもみして、揉んでいるうちに大ボールの穴から、畳んだ小ボールを揉み出します。以上、終わり。




.......そうだよな、魔法の海綿なんかじゃないよな、と独り言を言っている私に、母は「今気付いたの?」と冷静に言い、父は、「ばかだねぇ」とあくびまじりに言った。やけになってその旅行中スポンジ手品をマスターしようとしたが、難しくて出来なかった。



20年近く経って今度は夫と、また別府を訪れた。
硫黄の匂い、温泉卵の湯気のもうもうと立つ中、だみ声の投げやりな調子で、地獄池を解説している拡声器の男がいた。
顔は定かではなかったが、そのカンカン帽姿を見て、瞬間的にあのドテラ男だ、と思った。
だとしたら、相変わらず投げやりながらも、前見たときよりも真剣に仕事をしていた。



九州育ちの母も自分の幼時体験の中にただの一度も地震の記憶はないと言う。
久住高原、別府、博多.....親族がいたり母の縁故の土地だったりするだけではなく、熊本では市立美術館での展示や作品収蔵など、自分にとっても縁が深い九州。
思い出の中にあるというよりも、九州と四国は、いずれ移り住みたいと思うくらい好きな土地である。
被災のことも今後のことも、心配でならない。
by meo-flowerless | 2016-07-23 12:36 |