画家 齋藤芽生の日記 Twitter/ @meosaito


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カテゴリ:宝( 18 )

女の写真

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花園神社は久しぶりである。骨董市をやっている。
中国人のおじさんが番をしている或る露店。
壷や筆などの他に、毛沢東時代の中国人の集合写真、香港辺りのレトロポスター、カー&女の絵が入れ替わるレンチキュラーシート、などが並べてある。
端のほうのダンボールにはどこの露店にもよくある、アルバムの切端や白黒写真の山。兵隊の出征写真や写真館で撮った家族写真などには、触れてはいけない他人の人生の質量を感じる。が結局、いつもその山を、癖のようにぼんやり漁ってしまう。



その山に、ビニール袋に小分けしてある写真の束がいくつかあった。
もしやと中の束を開いてみると、やっぱり。女の局部のドアップの写真が出てきた。思わずデヘッと笑ってしまう。白黒の陰毛写真や、開脚の女の股などの写真も重ねてある。
こういうのを撮っては温泉地などで売って小銭を稼いでいたかもしれない、昔のチンピラのような便利屋のような男を想像した。顔は小沢昭一だ。



その他の普通の家族や観光写真の山の中にも、時折、同様のエロ写真が単独で混じっている。
青いような桃色のような淡さに色褪せた、カラー写真のヌード。白いシーツの上で、顔も体もフツーの女性が、これでもかというくらい開脚してそこを見せている。女のモモには蚊に刺された痕がある。
箸にも棒にも引っかからない素人ポルノグラフィーなのに、なにか妙に魅かれる。エロでも色気でも美でもない、胸がギュッとするような良さがある。
おそらく昭和四十年代くらいの写真だと思うが、多分その頃の商業モデルならばもっと特有の仏頂面をしていたと思う(イメージ)。けれどこの写真の中の女性には、カメラの主にたぶらかされた「その辺の主婦の匂い」がむんむんする。
うまいことのせられおだてられ、ちょっといい気になっている平凡な女の顔は、哀しいほどきれいなことがある。



むかし山林などに捨てられていた雨ざらしビニ本のページに垣間見えるヌード女の顔には、妙なドロンとしたまなざしがあった。
子供の私達は棒でつついて湿ったページをめくった。その中に垣間みる女たちの表情は、当時の自分にとって裸体より衝撃だった。別にスタイルも良くない美人でもない女の、胸に隠し星が乗っかってるような写真に限って、えもいわれぬ暗い恍惚の表情をしていた気がする。いとこの部屋の「平凡パンチ」の女にはない顔だった。



自撮り時代のナルシスティックな現代の女からは、永遠に消えてしまった表情なのではないか。
カメラと目を合わさず伏せているが、とろんとした目。恍惚まではいかない恥じらいの中に一抹のノリと、心身を半分だけ開きかけているツヤのようなもの。自意識から発するのではなく引きずられて出てくる「なまめかしさ」、死語。
決して褒められたものでもないのに妙に感心してしまって「白い蒲団の開脚写真」に真剣に見入っている私に、同じように古写真を漁っていた中国人観光客の女の子が、思い切りドン引いている。
そうだな、私がこの写真を持っていてもしょうがない。



このエロの何が、こんな「純に」胸を打つのか。
単純に、その時空には男と女しかいなかっただろうから、だと思う。それはどんなにうらぶれていても、ある意味の蜜月なのだ。
ジェンダーから性をあぶり出す表現などに立ち会うとき、こっちの意識に絶対に入り込む批評性というか説明的なものを、過剰と感じる。そこに生きざまや社会を読み取らなければいけないときは、尚更だ。表現者本人がその気ではなくとも、表現された場には余計な第三者たちのまなざしが付加される。素人の男が撮った素人の女のド下手写真のドシンプルな蜜月性に、ひっくり返っても叶わない気がしてしまう。



しかしそもそも、この良さを「表現」なんていうものの世界に無理に引っぱってこようとすれば、蜜月性が消えるのはおろか、官能にも情緒にも何かしらの正当な大義名分が必要になり、その本質は泡と消えるだろう。自分自身の表現が超えられないのもそこだ。



そんな写真の中に、ふと、構図も状況も渋いのが一枚あった。
白黒写真、蒲団上の臀部。重ね焼きの失敗なのか、シュミーズの上にもう一枚ベールがかかっているような。畳の上には牛乳瓶....かな?違うかな?。室内の生々しさがいい。
もう一枚別の、それは普通の、男女が婚礼の前に廊下で一緒に歩いている瞬間の写真。
それも絶妙にいいので、その二枚を中国人のおじさんから買った。


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by meo-flowerless | 2016-07-25 01:51 |

ある兄弟の宿題帳

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探し物をして開かずの引き出しを開けたら、また、古びた子供の日記帳みたいなのが出てきた。
【夏休の友 尋常六學年】【夏休の練習 第四學年】とある。
先日「ある少年の夏日記」という文章を書いた。どうも私は、昔の子供の筆記したものが好きだ。
持っていても何の役にも立たないし、自分の作品などに使えるわけでもないが、古物の山からつい手にしてしまうのだ。
この二冊をいつ手に入れたのかは全く覚えてもいない。なぜその引き出しに入れたのかも。



中を見ると日記ではなく、夏休みの宿題の総合学習帳のようなものだった。小学六年生と四年生、名字が同じなので兄弟のものにちがいない。
国語、古文、算数、歴史、地理、生物、図画など多岐にわたる問題集で、コンパクトにミックスされている。時々、手品のやり方などのお楽しみページもある。
「皇国」などという言葉が出てくるから戦時中、それもまだ戦争初期のもののようだ。しかし何かを読んだあとの読解問題とは言え、内容が難しい。いまの高校生くらいでも出来ない子はいるのではないか。



六年生のとある一日のページは例えばこんな問題がある。カッコ内は子供が漢字で答えている。
【讀方】第八課 蟲の農工業 の復習
二、次の蟲の仕事は何業に似ているか
(紡績業)葉巻蟲(裁縫業)蜜蜂(建築業)クモ(漁業)(土木技師)ミミズ(農業)
【地理】
二、樺太の最近の水産物の産額を棒グラフに作れ。
鰊 一〇、七二萬圓 鱈 二〇六萬圓  鱒 八九萬圓 鰈 六萬圓



四年生の方はもっと素朴。
【修身】冬までつづけて冷水浴が出来ますか(できます)
 つらいことをがまんしてやりとほすことを何といひますか(忌酎)
忍耐、と書きたかったのだろう。
【手工】色紙で家の紋をきりぬいて、次のあいているところにはつてごらんなさい
など。朝顔の塗り絵もある。もともと辞書や童謡の本などの小さな挿図が好きなのだが、この学習帳の図にはことごとくそそられる。



関ヶ原の東軍西軍の主な武将を書かせ、様々な渦巻の図形が何に見えるか想像させ、はまぐりを図に描かせ、工作で水車を作らせる。かと思うと、「【修身】“反省なき生活は危し”これはどういふ意味か、その意味がわかったら毎晩寝るまへに、静かにその日のことを反省してごらんなさい」とか、「【考へ物】お客さまが来ましたが丁度主人が不在であつたのでそのお客さまは五千三十合といつてかへりました何のことでせう」とかいうのもある。わっかんね。



「次のことばはどんな景色の所かを考へなさい。“両岸相迫りて流いよいよ早く風景とみに改る”」この問題に、少年は「コワイヨウナ、美シイヨウナヨウス」と答えている。
怖いような、美しいような.....いいことを言うなあ。
よく出来た子たちだったのだろう。解答にそれほど間違いもないし破綻もない。
自分の小学生のときの何かが、もしこのように出回ったらどうだろう。四年生まで書かされていた日記は貴重だと自分でも思うが、落書きをしまくった教科書のアホさは、ただただ恥ずかしいだけでしかない。



このまえ手に入れた、同じ戦時中の少年夏休み日記と比べると、あれほどには「遠い煌めき」を感じない。生活の様子が書かれていないからだろう。
一枚だけ別紙で、兄さんのほうの作文が差し挟まれていた。
此の頃は夏であるから山の景色は美しい いつか山へ登つて方方を見ていたいと思つている 今ノ山は薄緑色に山を一面に包んでいる 道などには草が茂って道が無いようになつている 昨日友達と私で山に遊びに行つた だんだん山奥へ行つたら其こいらに山ゆりやそのほかの花も咲いていた そして花などをとつていたら草がゆるがつたから見ると長さ三尺くらひのへびがにげていたのであつた それから後は草の中をあるくにもやのやうになつたから内へかへつてきた
この間の少年の日記のようにやはり他愛ない描写だが、この文章には風景が彷彿とした。
青梅の小学生だったようなので、出身地が近いゆえ昔の多摩の夏木立のなかの子供の姿を勝手に思い浮かべてみた。



そういえば最近、清水宏の映画のすばらしさに嵌まった。特に子供の出てくる映画の瑞々しさは、戦前の物とは思えないくらいだ。これらの少年たちのノートは、清水宏の画面の中の夏とシンクロする。スタジオセットではない、あの日本の山河のほんものの光と影と、子供たちの素の声。
古い映画といいこういう古い物といい人の記憶といい、その時の記録だから瑞々しいのであって、現在の人間がどんなに魅かれても、過去の光を現在に再現したりリメイクやリクリエイトすることは、難しいことだと思う。


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by meo-flowerless | 2016-05-01 16:30 |

ある少年の夏日記

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今日は授業絡みの遠足で、これから神田神保町へ古書店巡りだ。何か戦利品があればいいな。



去年のことだ。神保町の古地図屋、真中の大きなラックに沢山の古い観光地図やパンフレットの類いが山になっている。作品資料に、と漁っている中から、ふと地図ではないものが出てきた。
茶色に褪せた薄い「夏休日誌」。裏表紙に名前も学年もある。ある少年の日記だ。
多分第二次大戦終戦前後のものと思われる。



骨董市などには、昔の人のスクラップブックや日記が、無造作に商品の山に紛れ込んでいることがある。そんなところに転がっているくらいだから歴史的価値はあるわけではないが、それでも独りの人の人生の記録である。記録物というものは、他の商品の中でそこだけ異様なオーラを発しているように感じられる。
しかしぱらぱらとめくっても、人生の真実を赤裸々に吐露しているような日記や手帳は、ほぼ無い。そういうことを書く人は、ちゃんと処分するのだろう。



古地図屋で、手に取った少年の日記をめくってみた。
たった七日間しか書いていない。誤字も多く、あまり書く気はないようだ。特に、最後の方のおざなりさを見て微笑む。店主に、仕入れの時に紛れ込んだに過ぎないものだからあなたにあげる、と言われた。
というわけで昔の一少年の夏の七日間が、私の手の中に収まった。



孤独になりたい時にすっぽり座席に収まるお茶の水の某喫茶店で、紅茶を飲みながら、消え入りそうな鉛筆文字の七日間を辿ってみた。
すると、ふしぎなくらいきらきらと、夏の情景が目の前に立ち上がってきた。
初日、七月二十一日からは、近所の家に英語と数学を学びにいくことになったらしい。
そのあと帰宅、家の手伝い。午後は海水浴だ。
「今日は丑の日だ。海はにぎやかで、あまり多い人でボートに乗る人で一ぱいである」
遊びすぎたのか、帰宅したら家の人は皆夕食をもう先に食べていたようだ。
海の近くに住み、弟がいる。毎日弟を海に連れていき、泳いでいる、という生活が浮かんでくる。
以後の一週間も、淡々とした記述で刻まれる。


晝食後海へ行く途中にドブに魚がいたので魚をとって田ンボの中に池を作ってかつてをいた
海水浴の後 花キチガイ があばをくった 皆んなが助けに行つたら「もいいよ」と言つて、あかを落として居た

***

今日も英語と数学を教はりに行つて早お晝をたべて弟をつれて海へ行つた 三時頃また泳ごうと思つて行くと栗山君の舎弟が泣いて居た、きいてみると「オボレタ」と云つたので「誰と一緒に来た」ときくと「高等三年の子と来た」と云つた その高等の子にきくと「僕は寝て居た」と云ふ 僕は栗山君の舎弟を家へつれていつた

***

近所の子供にたのまれて◯◯まで弟をつれてボールを買に行つた ボールを買って帰る途中「カクテルをかつてくれ」と云つて動かなくなつたのでついに二円とられてしまつた ◯◯から帰って二人で海へしじみをとりに行つた しじみは五合くらいあつた



他愛ないなと思いながらも、花キチガイとは何だろうとか、栗山君の舎弟は結局なぜ泣いていてその後のようすは大丈夫だったのかとか、兄に比べて弟はやんちゃでしたたかだったのかもしれないとか、毎日の少年たちのつるみぶりと、埃に渇いた田舎の夏の道が浮かぶ気がしてくる。
それが私自身の幼時の夏に重なることなのか、映画の中の昭和の夏に重なることなのか、日本人の血で知っているのかもわからないのだが、匂いや空気や温度まで身体に感じるようなのは、なぜだろう。



言葉の情景喚起力は不思議だ。文章力のある小説の名手や絢爛たる言葉をあやつる詩人だからといって、あらゆる情景をうまく立ち上がらせることが出来るか、と言ったらそういうことではない。
読み手の側の経験と結びつくことで、通電のように、情景は「通じる」ものなのなのかもしれない。
淡く宙吊りになったような日記中の一文は、事実の説明というよりむしろ、詩のイメージの含みに満ちている。
そんなことを勝手に考えてほんの一部を、詩情のかけらとして引用させてもらった。



この持主の名前は少し変わった名前だった。所属している学校も、ある専門的な分野の学校らしかった。
そっとネットで検索してみたら、一、二件だけ、本人だろうと思われる手がかりがあった。
その後この少年は専門分野の大学に進み、海が美しいであろう地元の県で、その分野の会社の主になっているらしかった。御存命ならだいぶ老人だろう。
ネットはまた別の意味で、ひとの静かな人生と人生を交錯させる、通電感覚を持つことがある。
by meo-flowerless | 2016-04-09 10:52 |

骨董 in 桜花

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あーやっぱり春はいい。
もちろん、鬱にもなる。新学期だし。いろいろ、逃げることが出来ないし。
けれど、花が咲きいでているのを見るたび、生きることの奇跡に感謝をする気になる。

今日ようやく今年の桜を夫婦揃ってみることが出来た。
新学期仕事始め、五日間勤務先の学校に泊まって家を空けたせいか、珍しく、春にまったく興味も示さず桜もそれほど好きでないはずの旦那が、「一緒にまだ桜を見ていないので見に行こう」と言ってくれたのが非常に嬉しかった。
初めてじゃないだろうか、そんなことを向こうから言い出したのは。


徹夜明けの朝から、高幡不動尊の市に桜見&物見に出かけた。
緋色の伽藍に白い桜の花が生えて咲き誇る。
色とりどりの骨董たちも、いつもとそれほど変わらぬ品揃えのはずなのになぜか季節ごとに違う物語を演じているように見える。

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by meo-flowerless | 2012-04-20 22:44 |

ベス単 vs 立川スピリチュアルトンネル

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ベス単....受験の参考書にそんな名前は無かったか。
いや、あれはデル単。受験によく出る単語の本という訳で。



ベス単、というカメラのレンズである。
Vest Pocket Kodakというコダック社のカメラは、1912年発売になった当時で言うコンパクトカメラ。
ベストのポケットにも入るという命名らしいが、紳士がベストを着ていた時代の良き絵が浮かぶ。
レンズが単玉タイプのものが日本ではベス単と言われはやったそうだ。



その古いふるい写真機のレンズだけを取り出し、現代の一眼レフやデジカメにくっつけて撮る愛好家は数多いるのだそうだ。
はい、私もそのまねっこですな。



レンズを囲んでいるフードを外して過剰な光を入れ、発光しているかのような明色の滲みを楽しむ撮影の仕方こそが、このレンズの楽しみ方なんだという。
そう、「ベス単フード外し」。....口にしてみるだけでにわかカメラマニアになったような気分になる。

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by meo-flowerless | 2012-03-25 22:25 |

WISC知能診断検査

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実家の書斎の棚から母が引っ張り出してきてくれた、昔使った「知能検査セット」。
先日の記事に『田中びねー式』の検査セットと書いたが、記憶違いだった。
これは『WISC知能検査セット』だ。



小学校受験前、父にこれを試されたのは、本の数回のような気がする。
児童の知能指数=IQを測るんだと!


まあ、調べた感じでは、児童の知能発達に「問題や障害が無いかどうか」というテストですね。
父は教育学をやっていたのでこういうのを持っていたんですね。
IQをどうやって測っていたのかはわからない。
たぶん別添の本かなんかあったんだろう。
この絵入りカードの珍妙なセットからだけでは、とても知能指数がはかれるなどと、想像出来ない。


いやー凄いですね。そんなの測って、どうしたかったんでしょう。

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by meo-flowerless | 2012-03-08 02:29 |

幻燈教育

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何かの真剣なコレクターでもない私だが、古道具屋や骨董市をうろつく時につい手を出しがちな「品」の特徴にあらためて気付いた。


スライドやフィルムや硝子写真などの映写モノか、教育関係グッズがどうも好きらしい。
きょうは有楽町の大江戸骨董市で初めは写真ばかり取っていたが、ある店先の水色の木箱につい磁石のように吸い寄せられた。
映写もの、教育ものの二つの条件を満たす、味なブツがそこにころがっていたのだ。

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by meo-flowerless | 2012-03-04 22:28 |

CONTAX G Biogon

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昨日に引き続き、過去ものレンズに夢中日記。
Contax G Carl Zeiss Biogon 28mm F2.8で撮る東京景、from芸大の窓。
窓が汚れているのが却って昭和の赤焼けた写真みたいなので、他の二枚もそのように弄ってみた。

ビオゴンは、本当は凄絶なまでにシャキッと写る。
あまりに解像しているからなのかなんなのか、画像サイズをいくら調整しても、ネット上にあげると少し甘くなる。

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by meo-flowerless | 2012-02-18 02:10 |

CONTAX Planar

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CONTAX Planar 50mm f1.4 を、ちっちゃいマイカメラに付けて散歩だい。
古いレンズ楽しいな。
ツァイス・レンズ・冥途院・ジャパン。


昔のフィルム式で撮るわけではないし、デジカメは勝手に画像を電子処理してしまうので、古レンズの個々の特性などはあまり意味が無い、といもいわれる。
が、幾つかを試してみると素人の私にでも、やはりレンズの違いというのはあるのだな、と解る。


曇天のなか自宅1km圏内だけの歩きだが、画面を覗き込みながら行くと鮮やかな気持ちになる。

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by meo-flowerless | 2012-02-16 18:54 |

富岡八幡宮骨董市

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門前仲町駅からは、富岡八幡宮や深川不動尊などの著名な参詣場所へ行ける。
初めて訪れた、そのうちのひとつ富岡八幡宮の、骨董市。


先日は横浜アリーナのアンティークフェアに行ったが、結局何も買う気にはなれず。
骨董市は晴れた日の神社が、なんてったって一番良い。

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by meo-flowerless | 2012-02-12 18:38 |