画家 齋藤芽生の日記 Twitter/ @meosaito


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個展【暗虹街道】 2018.1.19より

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画像:齋藤芽生【暗虹街道】より  (各 32×32cm 紙・アクリル)
撮影:加藤健  禁転載


個展 齋藤芽生【暗虹街道】

日時/ 2018年1月19日(金)- 2月24日(土)
営業/ 13:00-19:00
休廊/ 日、火、祝日(2/11-/13は連休)

ギャラリー・アートアンリミテッド
107-0062 東京都港区南青山1-26-4 六本木ダイヤビル3F www.artunlimited.co.jp

:::::::::::::::::::::

齋藤芽生【密愛村】(みつあいむら)は、歌謡曲に歌われるような男女の湿った恋愛と、国道の果てのドライブインやモーテルなどの建築群から触発され、作者の脳裏にいまも広がり続ける仮想の歓楽地。
2016年秋、その【密愛村】シリーズの現時点での集大成の個展を倉敷・大原美術館の有隣荘で展開しました。


今年のギャラリー・アートアンリミテッドでの展示は、その歓楽地から少し脇道にそれた、新たな世界の小さな建物群を、【暗虹街道】(あんこうかいどう)の絵画シリーズ12点、【小箱町】(こばこまち)の立体模型シリーズ6点で展開します。
暗い虹は「玉虫色の煌めき」から発想を得ています。これまでイメージの源泉となって来た日本の旅というよりも、今回はアジアの様々な国で見た極彩色の景色や玉虫色の品物たちに触発された部分もあり、通常の絵画よりはカラフルで楽しげ(?)。
また、ピカピカ灯りが点灯する立体作品【小箱町】の小さな縮尺感が基本となっているので、自分でも、小動物になって小さな巣に出入りするような気持で制作しました。


遠方で展示をご覧頂けない方。展示される作品のブックレットのご用意がございます。今回のブックレットは【暗虹街道】+【小箱町】+【密愛村Ⅳ】と三作品を掲載し、テキストも多数ありますので、興味のある方はギャラリー・アートアンリミテッドまでお問い合わせください。
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# by meo-flowerless | 2018-01-09 14:27 | 告知

夜歩く

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制作の大詰め、気分転換に近所の和食処で夕食。気力を出すためにウナギを食す。
食後、夫が腹ごなしに夜の散歩をしたいと言う。夜歩きが嫌いなはずだが今宵は珍しい。



澄んだ夜である。灯ひとつひとつの存在感が透徹している。
夫は作品の案を巡らせているためか、いろいろなものを探すように丁寧に目を向ける気分らしい。こんなところにこんな店があったか、といちいち立ち止まる。
ここは東京の郊外も郊外、場末中の場末の町。私自身が育った場所であり、愛着もなくはないが、うらぶれすぎていて、何の発見も今さらない。
しかし久しぶりにじっくり歩いてみると、暗い街道に時折光る各店の佇まいに、それぞれの人のドラマが垣間見えるようである。



海外に行って最も旅愁を感じるのは、その都市の「郊外の夜」である。
ベトナム、韓国、台湾、カンボジア、ずっと前に行ったドイツもアメリカも。どこの大都市でも、車や電車で幾つもの町を通り過ぎたころ、やっと旅の恍惚と浮遊感がやってくる。
暗い街角にポツンと灯るスタンドや、どうでも良いような飲食店、何故そんな時間帯にやっているのか解らぬ美容院、地元の人が何もせずたむろしているよくわからないたまり場。そんなわびしい乏しい光であるほど、惹かれるのだ。
この今いるわが故郷も、海外から訪ねて来たとしたら、まさにそんな町だ。
私がたったいま旅人であったなら、都心の観光色から逃れ、心ゆくまでこのわびしい埃と闇と一抹の澄んだ光のなかを浮遊しているといったところだろう。こんな気持で近所の町を歩くことが、あらためて新鮮に思えた。


ワインと珈琲を飲ませる感じのクラシックなカフェの【A】。私の小学生時代からあるそこそこの老舗だ。
店舗の位置が変わって新しくなった店構えは、蔵のように白とマホガニー色で統一されていて、覗き込むと本棚一杯の本かレコードが見え、居心地が良さそうだ。しかし、客がいつもほとんど居ない。自分も入ろうと思うが入ったことがいまだにない。


一つの理由に、中学校時代の【A】の記憶がある。
ある早朝、通学途中に【A】の急店舗の前を通ったとき、シャッターに大きくスプレーの殴り書きがしてあり、面食らったのだった。
そこには「良識派をきどる連中の店」と書いてあったのである。その文言のインパクトはけっこう強烈に心に刺さった。
普通の暴走族のスプレー書きも多い町だが、その文字は明らかにもっとオトナの客、もしかするとそこそこインテリな人間のに描かれたものだと推察出来た。それが薄ら怖かった。いかにもその店に合っているようでもあり、気の毒なような、近寄り難いような。その近寄り難さを壊したくないような気持で、今まで自分もその店に行かずに来た。
今夜も同じように居心地の良さげな灯りの下、質の良さげな材のたくさんのテーブルにも、客の気配はなかった。


バス停付近のゴチャゴチャした、造花の木の実のようにすずなりの小さなスナック長屋。歩道橋の階段の影の通りにくいところに入口があり、年中日も当たらず、どうしようもないくらい場所が悪い。
しかし小学校時代から潰れずに灯りを点している。いや、潰れては新しい店の名前で誰かが入りまた潰れては、を繰り返しているのを、私が記憶していないだけか。二人くらいしか客が入らんのじゃないかと思うくらいだが、ちゃんとどの店舗からも歌声や話し声が幽かに漏れている。小さすぎるし場末すぎる、こんなスナックの時空。非常に興味はあるものの、自分にはまだ何か遠い時空でもある。


幼少期からずっと駅の線路際にあった、平屋の日本家屋にオレンジテントの【O編物学院】。大好きな佇まいだったが、今夜見たら、建物も柿の木も庭も、全てが鉄骨の足場の中に覆われていた。近く壊されるのだろう。
テントに書いてある「ブラザー編み機」の文字。大きな編み機は昔、憧れの機械だった。手芸屋で一二度いじったことがあったようなないような。ジャーッと音がしていた記憶。子供心に「しかしこの機械が流行ることはないだろうな」と何故か思っていた。
毛糸の匂いと鉤針の金属の匂いは、まぎれもなく「昭和」ならではの匂いである。その匂いも大きな編み機も一緒にこの町の記憶から消されて行くのだ。



その通りの数軒先、数ヶ月前に店を構えた小さなカウンター三席しかない角地のラーメン屋【K】の灯り。やけに白々とした蛍光灯の簡素な店で、飾りが一切無い。そして客が入っているのをこれまで見たことが無い。
「ああ、今日も客がいない」と夫がつぶやく。「来ない客のために毎日仕込みをする気分はどんなもんだろう」
暖簾の隙からそっとのぞくと、独りの老爺が突っ立ってカウンターの中で客を待っている。夫はここに来ると、いつも心配そうにそっと外から客をチェックするが、自分ではその客になろうとはしない。
しかし今夜は、「じゃあ、こんど入ってみるかな。応援するか」とボソッと言った。



灯りを煌煌とつけ、いかにも哀愁のあるいじらしいような店舗に限って、いつもそんな風に客がいない。店の外装や内装は何となく不揃いなままにしている。店灯りが暗すぎたり明るすぎたり。中が見えすぎたり見えなさすぎたり。看板の文字体と灯りに書かれた店名の文字体が違ったり。「歌とお酒と手料理&おしゃべりの店」「歌えるスナック&ワインの店」など文言がゴチャゴチャして焦点がぼやけていたり。
そして一年くらいで消え、また同じような「中途半端に手作り感のある」「冷たいような暖かいようなちぐはぐな」別の店灯りに取って代わる。そういう町である。



いまはちょうど、店じまいの前後の時間帯。
店主が一人わびしく暖簾を片付けている。或いはじっとカウンターでテレビを一人見ている。もの静かな老夫婦だけが洋食をすすっている。店の中国人家族とその仲間が灯りを半分消してカウンターで喋っていたりする。そんな一つ一つの物語が見えた。それを今日は、とくに異邦人のような遠い気持で眺める。
駅裏の通り、この町にしては大きめのビルに【国際学院】という文字が見える。新しい外国人向け学校だろう。そういえばここ一二年で東南アジア系の人々をよく見るようになった。年末に郵便局に行ったら外国人の青年たちが故郷に荷物や手紙を送るので込み合っていた、と夫が言った。彼らから見るこの町はどんなふうに見えるのか。



「明日から俺少し夜歩こうかな」と夫がふと言う。運動のためもあるが、夜の空気には新鮮な発見があると思ったのだろう。
「夜歩く、という小説があるね」と私はふと思い出して行った。「誰の」「横溝正史の」
横溝正史ならたぶん幽霊とか夢遊病者の夜歩きのことなのだろうが、読んだことはまだない。しかし良いタイトルだと昔から思っている。「【夜歩く】だけか。良いな。そういうシンプルなタイトル俺好きだ」と夫もつぶやいている。








# by meo-flowerless | 2018-01-07 21:56 |

ソフト・リゾート


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実家の正月テレビで、バブル期を振り返る特集をしていた。
ハウステンボスや新潟ロシア村、戦国村…
「この時代、テーマパークの建設が大流行!」とのナレーションに、真徳が「なんでこの時代にそんなに流行ったんだ」と呟く。9歳上でありバブル期には成年になっていた自分は「それはね」と、知ったかぶって答えようとした。
が、明確には答えられずかえって「?」と考え込んでしまった。




日本初ディズニーランド建設以来の遊園地巨大化ブーム。地方創生の金の流れ。核家族のレジャーに対する意識変化。色々要素はあるだろう。けど何かはっきりしない。
そこで携帯で検索してみて、久々に「リゾート法」というキーワードを思い出したのである。リゾート法.....そのあたりのことをきっちり抑えておかないと、最近モチーフにしているような「痴情と稚情に満ちたデザインの廃墟」の裏が取れない、と改めて思わされる。




正確に言えば、私の好きなドライブインやモーテル建築は70~80年代くらいのもので、80~90年代「リゾート法」施行下で乱立したフルーツ型バス待合室・カッパ橋・カブト型の駅、のような一連のキャラクター風デザインのものではない。そのあたりのデザインの変化の背景、心性をわかっておきたい。
私にとって、両者は全く方向性が違うのである。



今また、破綻したテーマパークのリニューアルブームだというが、インスタ映えSNS映えする、写真の後背・書割としての需要が見直されていることもあるのだろう。この平面的なリニューアルブームがまたいつか成れの果てを迎える時にはどのような有様になっているのか、興味はある。
しかしやはりいまの私が当分魅かれるのは、バブル前後のリゾート観やレジャー感の時差的な違いである。



バブル後期に「リゾート法」「ふるさと創生」などに呼応して出来た巨大テーマパークやその周辺のレジャー施設のデザインには、圧倒的に「エロさがない」と感じる。
いや、エロを目的にして欲しかったなどと言いたいのではない。
国民に課せられた息苦しい余暇、意識的な拝金、遊戯の強制感。「遊ぶこころ本来のゆらゆらした不安定感」を拒絶するようなデザイン性に陥っているのが、あの時期のテーマパークの特徴、と思うのだ。
役場の人々がやれやれと思いながら片棒を担がされているところもあったであろう。行政が家族の余暇と幸福を奨励しているところに、一抹のいかがわしさも生じるわけがない。



最近私がとくに思いを馳せているバブル前夜のエロさ・いかがわしさとは、単純に性産業的なニュアンスではない。「そのへんのカップルのプライベートな」「ソフトな下心」のエロさである。たまの休日だから「あの娘と」「チョット」「はめをはずす」非日常の草いきれ。
レジャーも性慾も、目的の価値というよりは気分に価値があったのかもしれない。
そのものズバリのラブホなどよりむしろ、普通のレストランやファンシーな土産屋のほうが、そこはかとなくソフトポルノ感があった、と思う。



70年代後期だったか80年代初頭だったか。とにかく自分の幼時、清里など高原リゾートが流行っていて、レイヤーカットの女子大生グループが女3人旅行などをこぞってしていた。
子供目線ながら、あの頃流行したメルヘンな白い建物やレースのカーテンに、どこか少し吐気混じりの淫猥さを感じていた。盛り場のイカニモという暗さより、高原のそよかぜにスカートが翻って生じるパンチラの「誘う眩しさ」。ソフトリゾートは、うたかたの青春の甘酸っぱさとおしっこ臭さ、観光向け牧場の乳臭さのいりまじった甘い匂いがした。



ちなみに、このレースの白さは、当時のスケ番女子高生などの奇妙な妖艶さ、赤さが対になっている。暴走族全盛期のスケ番の色気というのは、その前の和田アキ子や杉本美樹などの不良性ともおそらく違い、いまのヤンキーのわびしい感じとも違い、異様に際立った夜叉のような妖気を放っていたように思う。



しかし、中学生高校生くらいになると、アレ?というほど文化にも風景にも淫猥な匂いが消えた。
あれはどういう世の流れだったんだろうか。
テレビでも、どこにでもいる隣家の高校生のような子(そのくせ純潔性は普通に喪っている)、内輪うけで手を叩いて笑っているだけのタレントなどを毎日見ていなければならなくなり、憧れもなくなりテレビを消した。
ちなみに、ミッキーマウスなどのディズニー的価値・サンリオのファンシー価値からエキゾチックな臭いが消え、よりローカルにドメスティックに意味を再生産されていった気がするのも、その頃だ。サンリオは国産ブランドであるが、初期のハローキティや、もう廃れ果てたパティ&ジミーなどにはもう少し、敢えて演出された外国感があったのだったが。



90年代後期、自分の大学生時代には、書店に「廃墟本」が並んでいた。あれも一種のブームだったように記憶している。世紀末に合わせたというのもあるだろう。自分もその影響は、多分に受けていたと思う。
廃墟には魅かれ続けたものの、バブル崩壊に伴い破綻したテーマパーク廃墟のアフターユートピア感、ディストピア感というのは、その後のゲームやマンガ世代に受け継がれて行った。新たな「ファンタジーの戦場」として舞台になって行くのである。そこまで行くと、もう私の好みでは追う気になれない、別の文化圏のものになる。
ディストピア戦士感に満ちたゼロゼロ世代の手で、ソフトなへその緒にくっついていた白いレース付きテニス用パンティーは、いったん断ち切られて行ってしまった。



リゾート法前夜の、「プライベート・ソフトリゾート期」のような感覚。そんなものがあったのかなかったのか正確な時代性など解らないが、私の心の襞にはそう刻み込まれている。
あの頃眩しく思えたレースの白さは、今や表面的には、100均の写真立てにくっついているちっさいイミテーションカーテンなんかにささやかに受け継がれている。
妖艶なスケ番の髪の赤さもまた、何回も消費されたイミテーション和風な「紅」となって、ヨサコイの衣装に息づいているが、鬼気迫る輝きはさすがに喪ってしまっている。



しかし「プライベート・ソフトリゾート」は実は、中高年のこころと身体の水面下に俄然続いているんだ、と私は信じているところがある。いろんなかたちで、しぶとくね。

# by meo-flowerless | 2018-01-03 16:57 |

瑣末で切実な望み

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他県の県庁所在地のバスが見知らぬ大通りをなんども曲がるうち、初めて乗っている私は「あれ、まだ曲がるのか」と完全に方向感覚がわからなくなる。
やけに甲高い女声放送が、「○○通り二番」とか「○○町四丁目」と似たようなバス停を二度ずつ連呼する。
その声はまた、停留所案内の合間に「銘菓は何々屋」「贈答品のご用命は○○町、何デパート」などと、地元ならではのローカル商店情報をも早口にアナウンスする。



生花を白紙に包んで持った和裁の先生のような着物の老女がバスに乗っている。生花には猫柳と、何か1本くらいは香る花が混じる。
その人のもう一方の手に提げている紙袋の文字を眺め、私は「ああ、今放送で言った何々屋の銘菓だな…」とぼんやり思っている。
その人からなのか、他の老女からなのか、かすかにナフタリンの匂いがする。



.....というような、何てことはないのに懐かしい一連の感じを味わいたい。



そのようなバスを降りた先の、宿か知人宅か、とにかくよそ様の日本家屋に泊まるとする。
夜まだ眠くはないが、客間の六畳の布団に寝かせてもらう。
目が暗がりに慣れて来た頃、部屋の襖に書いてある山水の模様を眺めているうち「実際、あの中にいたらどんな距離感か」とか「あれは何処の山なのか」などと考え始め、さらに眠れなくなる。



朝見ると、その家の電話のそばに「何々屋の銘菓」の文字の入ったカレンダーかメモ帳が貼ってある。路線バスの時刻表も貼ってあるが、随分昔のものである。
また、そんなメモ用紙にボールペンで走り書きしてあるタクシー会社の電話番号などをとても風情があると感じる。古くからありそうな油性ペンの黄ばんだメモには、局番一けたの電話なども走り書きしてある。



そういう経験がしたいのである。切実に。
いつかむかし確実に経験済みのようでいて、いつ何処でとは言えず、別人の記憶が乗り移っている錯覚を起こすくらい遠く、しかし近い将来にそんな経験を不意にまたしそうな。



ああ、こういうことが本当にしたいなあ、と思うことが、大抵他人にはどうでもいいことが多い。しかし、他人にはどうでもいいのだろうと思えば思うほど、そんなどうでもいい経験の望みが愛おしく感じるのである。
しかしそれは、わざわざそれをしに出向くような事柄ではない。日常の隙間にはらりと落とす塵紙のような、いつかの儚い経験の薄い積層が、ふとした風にもう一度動くのである。


:::


どこか関東の僻地のだだっ広い国道の十字路に、バスから降りてポツンと1人残される。
十字路の四角はそれぞれ広大な工場、トラック出入りする広大な資材置場、産廃処理場まわりの銀の塀、田んぼである。
店など一軒もないが、遠くにつぶれた道産子ラーメンの廃屋はある。
雨がボソボソ降ってこの上なく陰惨である。自分も用事を済ませるまで、そんな寂しい道を辿るのが憂鬱である。


雨の野のドラム缶から煙がくすぶっていて、何か人工物を燃やしているのが匂う。ああこれがダイオキシンの匂いだな、となんとなく思う。
二度とこんなさびしいところには来たくはないと思いつつ、何故かそういう記憶は鮮やかで、時間が経つともう一度経験したくなる。夜の夢の合間に、遠く懐かしくその雨の暗さを思い出す。



そういう国道沿いの殺伐とした中に、奇妙なほど優しげな洋菓子屋がちょっと奥まって店を構えていることがある。白い80年代的な店構えである。
恐る恐る入ると、太りじしで暗い瞳の中年男性が、白い上っ張りで静かに店内にいる。客に少し驚くような感じで、高い小さな声でいらっしゃいませ、という。



丁寧な手作りの洋菓子はクッキー系が多く、生ケーキは二種類くらいしかない。しかし手描きの貼紙を見ると、ロールケーキは自慢のようだから、買ってみる。店主の暗い目が少し潤んだような錯覚がある。ケーキを静かに渡してくれる店主の腕毛が、物凄く濃い……悲哀感をもって、腕毛を思い出しながらロールケーキひと巻を自宅でモソモソと食べるのである。



…というような妄想の旅を、この正月は楽しむぞ。

# by meo-flowerless | 2018-01-01 21:43 |

2018年1月の日記

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# by meo-flowerless | 2018-01-01 08:18 | 日記

【何も死ぬことはないだろうに】北原ミレイ

雪が降る 雪が降る

涙こおらせ 雪が降る

あとでみんなはこう云うだろう

何も死ぬことはないだろうに



北原ミレイの歌う【何も死ぬことはないだろうに】というタイトルを見るたびに、なにも何も死ぬことはないだろうになんていう歌を作ることはないだろうに…とニヤリとしてしまう。

普通の歌謡曲タイトルに「死」という言葉を平気で使うのは、現代では考えられない感覚かもしれない。しかし6-70年代には割とあった。



歌謡曲に凝り始めたころ。

カセット懐メロコンピレーションに、弘田三枝子【私が死んだら】、カルメン・マキ【私が死んでも】、北原ミレイ【何も死ぬことはないだろうに】を続けて編集して聴いたりした。【死】とはいってももちろんリアルな苦悩は描かれず、さしたる理由も語られず、とにかく恋の相手に(と一緒に)美しい死をほのめかす、どれもそんな歌詞世界である。



最初は冗談のように連続して入れたのだが、全て佳曲で絶唱でもあり、聴きこむうちにその三曲のところで、必ず涙が浮かんでくるほどになった。失恋した時などには聴かない。幸福な状態の時ほど逆説的にしっくりくる三曲だ。その方が悲劇にたっぷり酔えるのである。

「幸福とはしょせん薄氷、いつか無惨にも美しく破れるのだ…」と、なんだかんだ言っても若気の至りで思い込んでいた。



年取った今は、やはり「死ぬほどのことかいな」と心でツッコミながら聴く。しかし何故この不幸志向の感性が存在したのかはいまでこそ心底、理解できる。

男が人生の中でヒーローの幻影と戯れずにいられないのと同じく、女はヒロインの呪縛からどこかで逃れられない。特に「悲劇の」ヒロインでなければ納得できない本能が若いときには働いていた。自分が老いて庇護の対象から次第に外れていくことに、本能的に抗うのだろうか。

同じ死ぬなら劇愛の顛末のはてに死にたい.....愛された者としての烙印を刻んで散りたい....そういうベタな憧れの数々を、今も私は決して、自らに恥じることが出来ない。



「見ていてくれないならもう私、死んじゃうから!」

あの、ヒロイズム的駆け引きの激情。ひょっとすると恋愛がらみというよりは、そもそもは、幼児の「母親との分離体験」の名残なのでは、とも思ったりもする。メメント・モリ(死を思え)の指令は他者から観念で教えられるのではなく、成長過程の分離不安をもって自らの身体で自覚する指令だ。各自がその意味と折り合いを付けながら死を知り死に憧れ、死を諦め死を越えて、やがて死んで行くものなのだろう。




6-70年代頃までは、若く鬱陶しい悲劇の駆け引きを、充分にさせてくれる温床が文化のなかにあったのだ。

しかし21世紀の日本、若年層の間でこれら悲劇のヒロイズムは【中二病】などの一言で揶揄され、嘲笑される。

「自分に酔う」「悲しみに酔う」「感情に溺れる」ということは、ありえないほどダサく、ウザく、恥ずかしいことなのだ。彼らはいやというほどモラトリアムの曖昧な長さに人生を埋めながらもモラトリアムの質的価値のほとんどを否定してしまう。

【中二病】という言葉は特に、大人からの愛ある目線というより、若い人自身の自嘲「ww」「笑」を帯びて定着してしまった厄介さがあるように思う。今の若い人にとって、死への情動やタナトスの発散は、大人の愛や庇護を引きよせる目的より、若い同世代間の牽制のために働くのだろうう。


「自分に酔える」余地の広さ、迷いの道の長さ、逡巡のしつこさが、若さに許された重要な「距離」だったと思う。かつては。その距離は、実際の死への長い遠い距離と等しかったはずだ。

しかし今はもしかすると、砂浜無しのいきなりの海のように、その実際の死への距離が唐突に近いのかもしれない。一歩先には、本当に笑うことも酔うことも出来ない乾いた絶望が、ただ広がっているのかもしれない。



【キラキラ女子】【インスタ映え】という近年の言葉や文化。不幸自慢に対抗して、こちらは幸福自慢や充実自慢の類いか。

とすると【中二病】を毛嫌いする人々が肯定的に使いそうな感じだが、何周か回って結局肯定的な言葉になるのか自嘲的な言葉になるのかを、私は把握できていない。ので、これらの語を私などは使えない。

不遇を覆すきらめきというより「不幸に酔ってはいけない時代の、まやかしでも言い張るべき保守的な幸福の正当性」という....ややこしい構造を感じる。うわべのリッチさや明るさへの陶酔にむしろ、実際の悲劇の底恐ろしさを見るような気がする。



「惜しまれたい」は押し殺されても「褒められたい」は我先にとひしめきあう時代なのである。しかし考えてみれば「惜しむ」とは心で感じる真の情であり、「褒める」というのは単なる言語行為をさすに過ぎない。

惜しまれたい人と褒められたい人、行き道がはっきり別れるかもしれない。


# by meo-flowerless | 2017-12-25 23:14 |

風景


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風景の酸欠状態、いや風景自体の欠乏状態をここ数年感じる。
風景など何処にでもあるし、いま目の前にあるのも風景だろ、と言われても、それは違う。



旅などから帰るたび、東京の息苦しさに気が滅入る。しかし東京という土地のせいだけでもない気がする。
旅の浮遊感からもとの生活に戻ると結局ネット生活に依存したり、携帯から流れる一方的なニュースに感覚が支配されていく。つい過剰に受け取ってしまう、時代の同調圧力、伝染性。息苦しさにはそういうものが入り混じる。


社会というものが、あたかも大きな一枚岩の塊のように君臨しているように思えてくるのだ。実際に「社会」とは一つの目に見える単体なのではなく、無数の小さな人間のつながり、地域、微細な局面一つ一つが別々に連動しているものなのに。
それにも関わらず、同じ質のメディアの情報を毎日受け取りながら暮らすうち、「一枚岩の塊に組み込まれるか、組み込まれないか」という苦しい決断を迫られているかのような錯覚に陥る。


結局どこにも居ないしなにも見ていない時間、が、非常に長くなるのである。そうして「あらゆる別個の場所のどこかしこにこんな風景がある」いう想像の余地が、次々と薄れていってしまうのだ。


:::


花札の通称「坊主札」。あの何もない禿げ山の札を棄てるとき、「要らない札だけど、この札が一番カッコいい」と思う。他のはただの不動の絵柄だが、禿げ山はもしかすると、揺らぎ続ける「風景」のようなのである。あのニュートラルな空隙にはちゃんと幽かな風が吹いているのだ。それは何か、想像を託せるような余白に満ちているのだ。飛び込んで行けそうな余地、静寂があるのだ。


「風景」とはたぶん、棄て札であるべきなのだ。社会という大きな虚構の塊イメージからピッピッとはねられる、何の役にも立たず大義不在のよりしろこそが「風景」なのだ。


禿げ山の札には、佐渡島の突端、つかみ所のない大きな乳型の丘・大野亀を思い出す。冬の曇天。金色の海面の光。黙りがちな青年たちの寒そうな背。過去からずっと旋回して吹き続けているような重い風。無国籍な地の果ての空模様。
本当に何一つないところだった。枯れた草や石ころががポシャッとあっただけだ。
大学に入って目的もなく行った旅である。


最も風景の怒濤の恩恵を受けていたのはいつだったか、と思い出すと、大学一、二年の頃だとはっきり言える。
住んでいた柏から大学のある取手まで一帯の荒涼とした平野がベースになり、夜の東京、日本の果てへの旅、大学をさぼって流れて行く海辺....愛の鞭のように毎日毎日「風景」に自分は打たれていた。
あの頃の「風景」の総体が記憶にある限り、この先自分の魂は死なない気がするのだ。別に美しい景色ではないが、感情と感覚の全ての温床のようにそれらは今も私の圧倒的な拠り所になっている。


:::


「場所」という言葉には、皆の知っている土地などのイメージだけではなく、自分だけしか知らぬ所在不明の地点の孤絶感も含まれるように思う。しかし「場」という言葉はそれより多くの共有的性質をおびて、みなの場、あらゆるものの交錯ポイントのイメージを纏う。
いまの学生と話していると多くの子が、「場所」を語るより「場」について言及する傾向がある、と感じる。しゃべり場、社交場、のような感覚で。
伝わらなくてもいいから、みなで共有する「場」の話よりも、各々しか知らないそれぞれの「あの場所」の風景を語って欲しい。くどくどと描写して欲しい。
そういう願いがある。

:::


たとえば「思いを馳せる」といったときに、その人の思いは一体どんな天地どんな時空を駆けて飛んでいくのか。どんな距離でどんなスピードなのか。
そんな想像の一連の中にある天地、時空、距離の総体が私にとっての「風景」であるとも言える。


20年前のある湖畔から、たくさんのヘリウムガス風船を身体に装着して空に舞い上がり、アメリカ行きを決行したもののそれ以来消息を絶ったままの【風船おじさん】。都市伝説のようだが、リアルタイムで普通の夕方のニュースになっていたことをぼんやり思い出す。
彼のことをたまに私は考えるのだ。
一度、海上保安庁の飛行機が太平洋上の【風船おじさん】を追跡したのだそうだ。救助のサインをしたのだが、おじさんは装着していた荷物や重しをどんどん身から放して落とし、逃げるように高度を上げていったのだという。救助を拒絶する意志を見て取ったため、海保はそれ以上追跡をせずに戻ったのだという。国家の判断というのがときどき信じ難いようなものにおもえることがあるが、この伝聞にもそれを感じる。


高度を上げて行った時の彼の心に映っていた風景、身体が次第に冷え暗い天空に下界が見えなくなって行く風景、風船が一つ一つ萎み割れていくたびに覚悟とともに反芻したかもしれない人生の風景。
彼のその一連の「風景」について、自分の知る限りの記憶の山河を飛び越えつつ、私はたまに思いを馳せてみるのである。


# by meo-flowerless | 2017-12-16 21:05 |

ソビエト花葉書

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憧れの地ロシアから小包が届くのは、初めてである。ネットでロシアの人が出品していた1970年前後の写真葉書を購入したのだ。
深夜にモスクワ放送ラジオの微弱電波に夢中になっていた、中学生の頃のときめき。旧ソビエト圏の風景は、今だに自分の遠き桃源郷である。




また一方で、こういう「修正写真のような違うようなギリギリ現実感のない生け花写真」には、もっと古くから憧れていた。
そもそも小さい頃から学研の図鑑を飽きもせず眺めていたが、小学校高学年ころに「図鑑のこの写真の色彩の飛び具合、カッコいいなあ。ロングセラーで古い本の方が、そういう写真があるな」と気づいた。



科学図鑑などで、明るいブルーの背景の前に実験器具を置いている写真を見かける。このブルーは何だろう、と不思議な無機質さに魅入られた。
同じブルーが、レンチキュラー下敷き(動かすと絵が変わる)の図柄によくある「猫や造花の写真」の背景に使われていることにも気づいた。コバルトブルーや空色ではない、少しだけ黄みのある、浅葱色やセルリアンブルー系統の青であることも気になった。擬似的な空のようでいて水槽の中でもありそうな、くぐもった空間をその背景は演出するのだった。
写真館で記念写真を撮るときになんとも曖昧カラーオーラが漂うスクリーンを背後に吊り下げられるが、あのような「距離感のわからない空間性」が気になるのだ。



大学時代には、自分で活けた花瓶の背景に原色のラシャ紙などを敷いて、実験写真や図鑑写真めいたものを撮った。結局それが【百花一言絶句】という150枚ほどのアクリル画の連作に繋がりもした。自分にとっては大事な作品シリーズで、手放さず手元にある。



中国のチープな70年代花カードなどはこれまでに持っていたが、最近、旧ソビエトのグリーティングカードにああいう「背後感の曖昧なカラー花写真」がよく使われていたことを知った。そして手に入れることにした。
紫系統がオレンジに浮いてしまったり、群青によけいな黄味がはいったり、赤だけがやたらつぶれて彩度が高かったりする、絶妙な印刷色彩空間。澱んだ熱帯魚の水槽をぼんやり漂うような感覚におちいる。



素晴らしいのが「緑」の色感だ。マゼンタとイエローに逃げられた頼りない青緑、氷河の水の深緑、青と黄のフィルターをかさねて微妙に光の弱まるスポットライト、一人一人にとっての「エメラルドグリーン」のイメージが幅広くぶれている不安定さ…
写真界、印刷界では緑の表現が難しい、ときいたことがある。物理的に難しいだけではなく、人間の網膜の個人差が緑色感受性に凝縮されているのでは、とも思う。



ロシアから送られてきた旧ソビエト花葉書は、とても平凡なバラやかすみ草、水仙などの生け花写真が多かった。だがブルーや緑ではなくあらゆる色の魅力的な印刷色彩空間、くぐもった曖昧な距離感が、期待を裏切らずに広がっている。
このくぐもった感じ、レンズの内側に水分があるが拭けないもどかしさ、みたいな感じは、私の使っているアクリルガッシュでは出しにくい質感だ。油彩なら合っていると思うが、ボケ写真を油彩画にするスタイルはよく見かけるので、まあ自分がそこまで質感再現性を高める必要もない。遠因のように花写真や科学写真が在ってくれればそれでいい。



葉書の裏にも不思議な文字世界が広がっていた。ひたすらeeeeeuuuuuのようにしか見えないような箇所もある。



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# by meo-flowerless | 2017-12-12 13:07 | 絵と言葉

2017年12月の日記

2017年12月の日記



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# by meo-flowerless | 2017-12-02 17:37 | 日記

2017年11月の日記

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# by meo-flowerless | 2017-11-03 23:54 | 日記

2017年10月の日記

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# by meo-flowerless | 2017-10-02 00:56 | 日記

2017年9月の日記

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# by meo-flowerless | 2017-09-06 19:05 | 日記

珠洲日記1 2017.8.22~9.5

8月22日


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金沢発、バスで3時間。片側に続く日本海。能登半島の先端の珠洲市へ向かう。今日からまた、海のそばでの生活。



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# by meo-flowerless | 2017-09-05 12:52 |

白玉のブルース



ここ数日の夏風邪のあいだ、いつも部屋の隅に小さくラジオを流していた。
ある夜に「高校古文」らしき放送があり、内容は【伊勢物語・芥川】だった。訥々とした男性教師のしずかな解説だったが、妙に心に沁みる。最近短歌など読んでいるのもあるかもしれない。


プレイボーイの在原業平が、位の高い姫君をさらい出して負ぶって逃げる途中、嵐の御堂で鬼に姫君をふとした隙に喰われ、地団駄踏んで悔しがる…という筋は高校生の頃読んで覚えている。これは実際の在原業平と藤原高子の関係を下敷きにし、食った鬼は実際は、政略結婚の為の大事な女子を取り返しに来た藤原家親族だという。


負われている女は逃げる途中、草に光る露をみて「あれなあに」と訊くが、男の方は逃げることに一心で余裕がなく、その時には応えない。しかしいよいよ女を奪われて喪ってしまったときにどうしようもない悔恨とともに、なぜかその女の一言が蘇る。


白玉かなにぞと人の問ひし時露とこたへて消えなましものを



「この和歌こそが、クライマックスなのです」とラジオの先生が言う。
「あれなあに?真珠かなにかなの?と彼女が言った時に、ちゃんと『夜露だよ』と応えてやって、夜露のように二人で消えて仕舞えばよかった、という悔恨を歌った」愛おしさと切なさ極みなのだ、とも言った。
むかし授業でやったときに、このかなしさは殆ど分からなかったことを思い出した。男一人茫然と残され、たった一言のつぶやくような女の最後の台詞を空耳に何度も反芻している、この痛切。


高校のころは姫様が「あれなあに」と呑気そうに訊く状況が理解できなかったのに、今は脳裏に思い描ける。恐れ戦いておぶさっていた女が次第に宮中の監視から解放され、男との流転に身を任せ始め、一瞬間甘えた一言なのである。意訳すれば女の言葉は「ねえ、死んでもいいのよ」なのである。露はこの時代、消えてしまう儚い命の比喩である。なぜやっと二人の世界になった瞬間のその会話に応えてやらなかったか、心の声を聴きのがしたのか…という悔恨も男にはあるのだ。
無邪気な恋の逃避行にはこの苦い悔恨は有り得ないだろう。女の言葉も含めこの逃避行は初めから苦くアンニュイなのである。
言葉は悪いが、この和歌のブルース感は凄い、と感慨にふけった。


# by meo-flowerless | 2017-08-13 15:27 | 絵と言葉

2017年8月の日記

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# by meo-flowerless | 2017-08-08 18:20 | 日記

2017年8月の夢

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# by meo-flowerless | 2017-08-08 01:34 |

佐賀日記〜波戸岬講座


8月4日



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新幹線で九州へ。長旅の始まり。飛行機じゃなくても、列車の旅はまあ楽しいからいいや。何もせず景色見て、食べて、寝て。内田百閒みたいだ。
弁当は必ずカツサンドで今日は浅草ヨシカミのもの。凄く美味しい。ウズラのたまご燻製もちゃんと買った。
この旅も、仕事ではあるのだが、兎にも角にも夏休みなのだ。あー夏休み、何と幸せなんだろう。何と有難いのかしら。リラックスして、背が10センチくらい伸びたように感じる。
音楽を聴くのに夢中になっていたら、あっというまに九州入りしてしまった。いつ海を渡ったのか波をくぐったのか…大学から家は死ぬほど遠く感じでも、不思議と東京から博多まではそう遠く感じないものだ。
しかしここからさらに唐津まで。そちらの方は流石に距離を感じそうだ。


ようやく車窓から海が見える。ぎらつく午後の波頭、千切れながら進む雲、九州特有のぽこぽこした山や島並み、濡れたような色の深い木立、全てが立体的だ。
かつて、白い砂浜を自慢していた九州女の母を連れて来たい浜。
そして自分自身が来たかった、理想の夏景色の只中に確かに来たことを感じる。



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# by meo-flowerless | 2017-08-07 23:22 |

冥婚

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台湾からの交換留学生のR君は、当初全くできなかった日本語を必死に三ヶ月勉強し続け、中国からの留学生Eちゃんの的確な通訳もあり、最近では硬かった表情も取れて皆と談笑するようになった。皆で夕食を作って食べている時、日本のお盆の話題から、台湾や中国に霊魂の話に話題が移った。



【冥婚】の風習は、日本では東北のムカサリ絵馬などで知られている。判で押したような顔の稚拙な花嫁の絵に、青年たちの実際の遺影写真を組み合わせた奉納品。記事で見るそれらの写真には、異様さと懐かしさと悲しさが一気に襲ってくるような怖さがあり、一発で私の涙を誘うものがある。が、冥婚はむしろ、中国圏を中心とした習俗のようである。中国奥地のある地方では、死者と生者を実際に婚儀までさせていたとか。



R君の話す台湾の冥婚の話は、さらに印象に残った。

ある日、道に落ちている何やら赤い一通の封筒。それを通りすがりの青年が拾う。中にはお金と、誰か娘の写真と髪の毛。そこへ見知らぬおばさんが飛んできて青年の腕を掴み「お前は死んだ娘の伴侶だ」と言いわたす....そんな状況を想像しよう。その封筒のお金は、死んでしまった女の子との婚儀の結納金を意味するのだ。一旦受け取ったら、青年は結婚を宿命づけられる。のちにその青年が生きた別の人と結婚することは構わないのだが、あくまで死んだ娘の方が正妻であり、一生死者に誠意を尽くすことが約束されるのだ。



「ほら先生、この写真怖いね」とR君が見せてくれた携帯画像は白黒写真だった。50cmくらいの丈の、やけに悲劇的な演歌歌手のようなウェディングドレス姿の人形と、人間の青年との生真面目な婚儀の写真だった。見た途端に、不気味さというよりは悲哀で、感覚がささーっと銀色になるような寒気に襲われた。人形の湿っぽいうつむきがちな目元が、習俗的拘束力の神秘と絆の狂気を、色濃く醸し出している。




台湾のコンビニで私は赤い封筒セットを買ったことがある。日本にはない珍しいものだったから土産にした。それを思い出して青くなっていると、Eちゃんが「先生の買ったのは大丈夫。普通の祝儀袋だよ。この冥婚の封筒はもっとなんか、色が違うの」と言った。私はベトナムの市場からも、研究しようと思って「紙製の衣類や人形などの副葬品(死体とともに燃やす)」を多数買って帰ったのだが、すっかり忘れて研究もしなかった。「忘れるな」と冥界から警告を受けたような気がしてぞわぞわした。




迷信のような冥婚談だが、実際、幼い頃のR君はそのような封筒を道で拾おうとし、母親にダメ!と厳しく制止された、という。今も生きるリアルなのだ。死んだ娘の母親が物陰から見ていた場面が思い浮かぶ。中に大金や紙が入っていたかは知らない。拾っていたならR君は、「選ばれし冥界の婿殿」として生きたのかもしれない。



生きた人間を「民間」、死んだ人間を「地間」と言うのだが、その間の彷徨う存在もあるのだ、とEが教えてくれる。普段私たちには見えないものを目撃しながら普通に暮らしている日本人のKちゃんが身を乗り出してその話に聞き入る。

【孤魂野鬼(グーホェンイェグェ)】とその彷徨う魂を呼ぶのだそうだ。その字面の凄み.....Kちゃんが日頃フツーに報告してくる、人獣霊肉入り混じった何者かたちのイメージと、合致する。冥婚とは、死んだ若者が【孤魂野鬼】としていつまでも彷徨わずあの世で幸せになるための、魂鎮めの重要な風習なのだ。



また、中国版ゾンビのピョンピョン跳ねるキョンシーの姿、これは伝説として作られた所作なんかではなく、かつて実際山岳地帯で葬送屋が何人もの遺体をまとめて竹の棒につなぎ合わせて運ぶ時に、前に突き出した腕だけで固定された遺体が揺れでピョンピョン跳ねる様なのだ、と今更知った。リアルにその山道を運んでゆく葬送屋が浮かんで、また怖くなる。人の通らない道を密やかに、夜に運ぶのだそうだ。寂しい山の狭い夜道でそれらとすれ違うことを想像した。「実際は遺体の目とかは少し覆われていたかもね」と淡々と話すEに、可愛げのあるゾンビの装束イメージなどは吹っ飛んだ。



そんな話の合間にも、「この世ならぬもの」が私たちに近づいてきていたようだ。あとから知ったが、見知らぬ【孤魂野鬼】の白い男が物陰からじっと見ているのから魔除けをするため、Kちゃんが念のために包丁を入口に置いておいたようだ。



# by meo-flowerless | 2017-07-06 02:01 | 日記

2017年7月の日記

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# by meo-flowerless | 2017-07-03 21:51 | 日記

2017年6月の日記

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# by meo-flowerless | 2017-06-07 02:11 | 日記

アクの強い辞書たち

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ずらりとならんだ辞典、辞書の数々。いま大学の課題で教材として使用しているものの一部だ。
通常の国語辞典や漢和辞典のほかに、日本語の辞書にも様々な種類がある。文章を書くのに持っていて便利なのは「類語辞典」「表現辞典」などと呼ばれるものだろうか。
しかしここに集まって来たのはさらに使用目的の特化された辞書たちだ。ある人には抱腹絶倒(?)の面白さ、ある人には全く役に立たない紙製のマクラ程度のもの。



もともとなんとなくいつまでも辞書を読むのが好き。更に英語辞書なんかに小さく書いてある図なども好きで、学生時代も授業中はほとんど、そういう絵に色を塗ったり拡大化してノートに書いたりして遊んでいた。
大人になった今日この日.....それを編纂した人の労力や想いなども含め、辞書というものがどれだけ想像生活を豊かにさせてくれるか、をあらためて実感する機会になった。
ネタ本みたいな辞典ではなく、割と真面目な辞書のなかでとくに面白いと思ったものを、いくつか記しておこうと思う。


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1.【片仮名語和改辞典】

和製ヨコモジ英語やカタカナ語の単なる意味引き辞書はたくさん売っているが、これはカタカナ語から、漢字を使った和語、への翻訳である。
正確にもともとある言葉を引くというより、新しい造語の提案という感じもする。
著者センスがいいのか、「和改語」というアイデアがが面白いのか、この辞書はかなり面白い。


第二次世界大戦中は「鬼畜米英の言語を使わぬ」ように、全てのものの呼び名が漢字で書き改められたという。ここに載っているものの多くは、そういうことを現代の言葉にまで当てはめた、と思えばいい。
けど、だれがどこでそんな和改の仕事をしてるの?著者が勝手に?
ここまで無用でありながら、成る程ねえ、と考えさせられてしまう日本語もなかなかない。


サロン→【談話室】、バーチャルリアリティ→【仮想現実】なんて当たり前の和解には興味が無い。ネオンサイン→【走華灯 そうかとう】などは作品タイトルなんかにも使えそうな。セルフケア→【自己世話 じこぜわ】などは直訳過ぎるのがかえって笑える。
しかしもっと傑作「和改」語はたくさんある。


サスペンス→【手汗物 てあせもの】、ノーブラ→【素胸 すむね】、サファリ→【腕獅子毛 うでししげ】、カルパッチョ→【絵画盛り】、フォースアウト【強制お陀仏 きょうせいおだぶつ】。うでししげとはなんだ?
ジャンキー→【薬兵衛 やくべえ】、サディズム→【惨太郎沙汰 ざんたろうざた】、バリケード→【邪魔樽 じゃまだる】、パンクロック→【反俗陽転 はんぞくようてん】、ダッチワイフ→【情人形 じょうにんぎょう】あたりになってくると、考えた人のヤケクソ感や悪ノリまで感じてられてくる。







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2.【当て字・当て読み 漢字表現辞典】

とってつけたようなルビを振る。本気と書いてマジと読み、都会と書いてマチと読むような、様々な言葉に当て読み、宛て字をした用例をたくさん集めてきたもの。
ただの外来語宛字辞書とは違います。個人の陶酔のハズカシさが所々に匂う良書。
耽美小説から演歌、Jポップからヤンキー語、キラキラネームまで、取材した分野は広い。広い分、ランダムすぎて辞書として使えるかどうかは微妙だが、読むだけで面白い。


【発作的殺戮集団(なちずむ)】、【情熱男・灼熱女(なつおとこ・なつおんな)】、【破滅的な(とんでもねー な)】、【戦闘服(どれす)】、【異空間(どこか)】、【土雷根子(どらねこ)】、【敵影いまだ見えず(のーぷろぶれむ)】。
....この類いの言葉、このブログの書式では無理なのだが、小さいルビを横に振ったほうが恥ずかしさが倍増する。









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3.【集団語辞典】

隠語や俗語の辞典の中でもこれは、サイズやデザイン、内容、どれをとってもバランスがとれている。
様々なしごとの業種や職能、仲間の中のみだけで通用する日本のスラングを集めた辞書。芸能用語、犯罪用語、エロ界用語の奥深い世界はもちろん、普通の市井の業種用語なども網羅。


【松桜梅 しょうおうばい】は工事のダイナマイトの強度を表す言葉で、梅の下は榎....とか、【俊寛 しゅんかん】は警察用語で無期懲役を意味し、語源は島流しのまま死ぬまで帰れなかった俊寛僧都の悲劇から来ている....とか。
知っていてもしょうがないが、知っていると日本の裏側まで想像力が及んでいくような気がして、味わい深い。







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4.【省略言葉事典】

言葉を端折って縮めた略語の辞典。
世の中にはどれだけの省略語が溢れているのか。言葉と言うのはリズムであり、ノリであり、キャッチフレーズ的に語感を簡単にすることでコミュニケーションをとりやすい言葉にカスタマイズしていくものなんだろう。
テレビ番組の略称から芸能人の愛称、【スタバ】などの店名や【キモかわ】【なるはや】などの日常語から多くをとっている。ただし、十年後に読んだら何か物凄くダサい『死語辞典』の仲間入りしそうな言葉が多い。要するに略語とは軽さや先取り性を気取っているのである。だから劣化も早いんだろう。
若い子たちの使っている言葉がわからないのに何となく分かった振りをしている、苦しい中年世代にとっては、実は使える辞書かもしれない。


できるかぎりこういう略語はあまり使いたくないほうだが。ただ現代の手垢に塗れた言葉の中で【ツメシボ 冷たいおしぼり】だけブッと吹いた。
「つめしぼくださーい」とか小洒落たカフェで使ってみたい。








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5.【正式名称大百科】

読んで字の如く、よく知った言葉の背後に実はちゃんとある「正式名称」をたくさん集めた辞書だ。
使っかわねー、けど、面白い。理屈っぽい堅い言葉には、青ざめたゴス感がある。
これら一つ一つを正確に知っていることよりも、これからいろいろな言葉に対し「ほんとうはコレ、長ったらしい正式名称があるんじゃないのか....?」などと邪推してみることのほうが楽しそうである。
【ああ食べ過ぎ、また太ったなぁ → 後天的加速度的食欲制御能力不全】とか。








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6.【宛字外来語辞典】

先に紹介した宛字辞典はキラキラした陶酔とあほらしさに満ちていたが、こちらはもっとフォーマルな、錚々たる言語学者がちゃんといた時代を感じさせる公式文書感のある外来宛字辞書
読んでもそんなに面白くは感じなくて、へー、くらいの感想しか出ない。しかし、作品のタイトルを付けるときなどには俄然、実用として活躍しそうだとも思う。







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7.【日本語オノマトペ辞典】

擬音語、擬態語の辞典。
「べろ」とか「ぎら」など、語源ごとに歴史などが書いてあるので勉強になる。これは、海外から来て日本語を勉強している人は面白く感じるかもしれない。逆に言えば、人間はどれだけ言い慣れた母国語で無意識にいろいろな擬音・擬態語を使いこなしているのだろうか。


先ほども、あまり日本語の出来ない台湾の学生Rくんに、皆が擬音語を教えていた。たとえば「どんどん行く」などの慣用的になったことばは、説明が難しい。ドン!と叩く音との違い。
それをはたで聴きながら、例えば身体の部位を叩く音でも、背はドン、おなかはポン、肘はトン、あたまはゴン、肩はポンだよな....とずーっと考え始め、そこまでの熟思は無用ながらも、擬音語の使い方の限りない奥の深さを感じた。






# by meo-flowerless | 2017-05-22 20:00 |

カンボジアの絵看板

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本屋の少ないらしいカンボジア。
私はプノンペン滞在中、ちゃんとしたハードカバーの本が充実しているという「モニュメント・ブックス」に立ち寄った。しかし噂通り、洋書ばかりの品揃え。カンボジア史に関する本は、アンコールワットとポルポトのジェノサイドについての本しかない。
そのなかにまぎれて、ふと心をくすぐるスキ間的な脱力系写真集があった。「カンボジアの田舎クラチエ州の手描き看板」(Hand-Painted Signs of Kratie /Sam Roberts)の写真集だ。

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なんと、痒いところに手の届いている本なんだ(私にとって)。
プノンペンをトゥクトゥクで走り回りながら一瞬道路沿いに見かける、なんともいびつなイラスト・クニャクニャした飾りクメール文字の看板にとても魅かれていた。しかしなかなかトゥクトゥクの速度から、それらをカメラに収めるのはきつい。そしてまた「のんびりプラプラと看板探しさんぽ」など、カメラ片手に徒歩で出来そうな安全な街では、絶対にない。



近隣の国と比べるのはナンセンスだとは思うのだが、やはりその国独特の何かを感じ始めると、他と比べることによって妙に感心したくなる。カンボジアに来てすぐ、ほんのたまに目に飛び込んでくる看板の絵のいびつないじらしさ、工具や家電などをいちいち図で示す独特さなどは、気にはなっていた。ホーチミンやチェンマイでは感じなかったことである。ベトナムは思い切り社会主義国のプロパガンダ看板が目立っていたっけ。


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ベトナム・ホーチミンのプロパガンダ看板。ある意味でふるめかしい味はあるが、かわいくない。



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タイ・チェンマイも印象薄い。





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上のこれらは【Hand-Painted Signs of Kratie】の中に出てくる、カンボジアの手描き看板。他のやつも一つ一つ見ていくごとにカラーといい文字の剥げかたといいヌケ感のあるタッチといい、デヴィッド・サーレ感たっぷりで、プロパガンダ看板のイラストよりもずっとコンテンポラリーアートを感じる。
この本には、看板職人の制作中写真などもあり、日本で言うところの銭湯の壁画職人などの独自の技法を身につけている職種であることが伺える。




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これは自分が出会った看板たちだ。もはや手で直接ブリキに描いてはおらずプリントなのだろうが、朴訥な味わいは絵の中に残っている。郊外の洗車屋には、秀逸なのがいくつかあった気がする。
歯医者は、このような「歯の断面」を看板にすることが多いようだ。また人の顔の看板は、どこか眼が焦点が合っていないと言うか、「目を黒く縁取りすぎた小さな眼の奥村チヨ」みたいな顔つきが魅力的である。
しかしこういう手描き看板がどこにでもあるというわけではなく、もうあまり見かけることはないのだろう、と推測される。


カンボジアの看板で思い出したのは、日本のローカルな街の床屋や美容室の硝子戸にカッティングで貼られたりしている、線描の外人ぽい男女の顔だ。都会のヘアサロンではお目にかからないイラスト。見かけるたびに反射的に撮ってしまう。カンボジアのイラストと似ているわけではないが、なんとなく心根はどこかで繋がっていそうな気がするのである。
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ネットで何となく情報を集めていると、やはり同じような興味を持っている人がいた。カンボジアの絵看板は、要するに「識字率の低さ」と関係しているらしいことが書いてあり、なるほど、と思った。
カンボジアの国民の平均年齢は20歳代後半という。私のような40歳代以上の年輩者の人口は、極端に低い。ベトナム戦争余波の大国からの爆撃または度重なる内戦で没したか、ポルポト時代に強制労働と貧しさで命を落としたか、国外に逃げたか、大量の知識人・教育者・技能者の虐殺の中に入れられてしまったか。そして生き残っていたとしても、その時期の一切の教育の断絶によって、とくに40歳代は今でも文字が読めない人が多いのだそうだ。東南アジアでも識字率の低さが突出していることの背景にはやむにやまれぬ歴史の被害がある。
だからこの本のなかにあるような懇切丁寧な「釣りをしてはいけない池の様子の図」看板やいちいち絵や図に示して客を呼ぶ看板は、大昔のレトロな様式なのではなく、教育を受けて字も読める今の若者向けのものでもなく、私ぐらいの歳の人間が見てそれが何を指し示しているかわかるように80-90年代に濫発した様式らしい。
そう思うと、深く考えさせられてしまう。


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コダック島で見かけたちょっとした看板に描いてあった、おおらかな味わいの図...
上の写真の青いペンキだけでスッスッと描いた山と川、その水面の処理など絶妙にセンスとバランスがいい。クメール文字の波打つ形、飛ぶ鳥の波形、山並みのウェーブがリズムよく呼応している!
絵心というものは切ない。どんな人のも、自分のだって、絵心はその人が日常を精一杯生きているいじらしさの宝庫、のような気がするときがある。下手とか上手とかが絵心の所在を決めるのではない、とも思う。

# by meo-flowerless | 2017-05-14 01:55 |

プノンペン日記 2017.5.4~9

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プノンペン日記 2017 5/4~9

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# by meo-flowerless | 2017-05-10 09:35 |

2017年5月の日記

2017年5月の日記

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# by meo-flowerless | 2017-05-05 22:41 | 日記

2017年4月の日記

2017年4月の日記

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# by meo-flowerless | 2017-04-02 05:07