画家 齋藤芽生の日記 Twitter/ @meosaito


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日記

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親友が神楽坂の小さな画廊で展覧会をやっている。
夢の中にでてくるような鋭角の坂を上り下り、重苦しく静かな古い印刷工場の隙間を縫っていく。
もと印刷工場の建物だったらしいところの三階、裏口めいた螺旋階段、まるで飾り気のないガラガラ戸だが中は「白い箱」的画廊。
友のつくる、この世のものではないような食虫植物は、繊細な毒気を増していた。

テラスからは、近く迫った隣の工場のトタン屋根が見える。
親友は画廊にいなかったので、独りテラスに立ち、煙草は吸わないのだが何となく心の中で一服する。
こういうモルタル色、ボヤ火事一歩手前のくすんだ焦茶色、汚れたインク色、石材アパート色の町を小さい頃から何度か夢に見ていた。
むかしNHKでやっていた「匂いガラス」というドラマを何となく思い出した。その頃母に、「匂いガラスって何」と訊くと、母は、「昔、擦るといい匂いのするガラスがあったのよ」と言った。
撃墜された米軍戦闘機の硝子破片、という話は本当なのだろうか。
どういう匂いかは遂に知らないままだ。
でも私の中では、それは、湿った土にほのかに便所臭さと「ナントカ空木(ウツギ)の花の香」の混じったものにちがいないのだ。
たしか「匂い釦」というのもあると、その時聞いた記憶がある。
でも今ネットで検索するとその言葉では何も引っかからない。ずっとあると信じていたのだが。
匂いボタンは、糸屑と白塗料の溶ける匂いのようなものが混じった甘い匂いだろう、とこれも勝手に思い込んでいた。
                   *
七日の誕生日には親友が「フルーツパフェ食玩型マグネット」をくれた。冷蔵庫等にメモをはさんだりする庶民的だが美しいモノ。
神楽坂の商店街で買ったという。
                   *

九日はその友を誘い、坂本弘道ソロライブ「〜蝶と骨と虹と〜」へ。
前も何度か書いたが、このひとは素晴らしいのでとにかくソロライブと来れば何があっても行くのだ。
チェロにたくさんのエフェクターや電気を繋ぎ、手も膝も足もあらん限りに駆使する。時にのこぎり(テルミンみたいな音がでる)で啜り泣き、弓の毛を切りながら軋むチェロは命の限り泣く蝉のようでもある。
小豆をばらまく雨の中、宇宙にシャラーッと銀の砂糖菓子鏤めたように無機的な音もある。色彩の洪水というのも美しいが、「音の洪水」もまた美しい。

何をどうやったらああいう烈しく繊細な音になるのか、最前席で瞬きもせず見ていたが、目まぐるしい手足の動きは音を出す操作と言うより、もう身体表現の所作のようだ。拡散し飛び回る音を一つ所に捕らえて見事に凝縮させてしまうのは、旋律の美しさ。
「他の誰にも似ていない」と言うことほど、表現者として素晴らしいことはない。
とにかく確実に、目の当たりにするこちらの五官が嬉しく軋む。
錆び付いていた歯車が動き出すように頭の中の「絵・製造器」が動き出して絵が次々うかんで来る。

感激で呆然としてしまい終わった後もしばらく会場入口に残り、そこにいた御本人に思いきって話しかけてしまったら、言葉を交わすことが出来た。
演劇音楽(”*「野草天堂」-放浪芸能である「説経節」のいくつかの物語から想を得た演劇”)のために台湾に行った話をしていた。放浪者の芸能だった「説教節」。社会の枠組みから逸脱した者たちの原初的な語りの芸と、排除されていたハンセン病患者始め「穢れ」という名の下においての差別の構造とは、切っても切れぬ関わりのあるものだったという。それを精神的骨子にした演劇。
舞台となった台湾、其処には、苛酷な対ハンセン病政策のために一つの山ごと隔離されていた土地があるという。山の上が最後の場所。

「橋を渡るともう帰ってはこれない場所、というような。」
という坂本さんの言葉の余韻が鈴のように後を引いた。

                   *
橋を渡るともう帰ってこれない。
最近生徒に借りた浅川マキのcdの「赤い橋」という曲をふと思い出した。
聞いてすぐに恐ろしいような懐かしいような気分になった曲。
曲調のせいなのかぼんやりとしたエコーのかかった暗い声のせいか。
おぼろげに昔から知っていたはずの、でも思い出したくない気のする何か。
この唄が何か特別の場合や意味合いを指したものかどうかは知らないが、口ずさんでいると何か非常に深いところに引きずられる。

橋。
あの世とこの世との境。現世においても社会においても、いつの時代でも、目に見えない彼岸と此岸と、そして目に見えない「橋」があるんだろう。

不思議な橋がこの街にある
渡った人は帰らない
昔 むかしから 橋は変わらない
水は流れない いつの日も

いろんな人がこの橋を渡る
渡った人は帰らない
赤く赤く塗った橋のたもとには
赤い赤い花が咲いている

不思議な橋がこの街にある
渡った人は帰らない




(浅川マキ「赤い橋」: 作詞 北山修 / 作曲 山本幸三郎)
by meo-flowerless | 2006-03-15 01:52 | 日記