画家 齋藤芽生の日記 Twitter/ @meosaito


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2017年7月の日記

2017年7月の日記








7月3日


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駅の仄白い灯の下、灰色の蝶がふらふらと飛んでいく。飛び方が蛾だが姿はカラスアゲハのようだ。私の前で力なく地面に止まって羽を広げた。やはり止まりかたから、蛾だと思った。蛾はとても暗い哀しげな飛び方をする。蝶に擬態したやつは特に。人生に拗ねてひとり深夜酔って帰る人のようだし、「どうせ」の心に満ちたブルース的情念も感じる。蛾にとっちゃそんなつもりはなく余計なお世話だろう。


帰って調べてみたら、名前を【アゲハモドキ】という蛾なのだそうだ。
ああ、モドキ…モドキとは、切ない言葉5ケツくらいには入りそうな言葉だ。ジャコウアゲハという毒蝶に擬態して敵から身を守る機能的なやつなはずなのだが、人間からは最初から偽物認定され、個別性を剥ぎ取られたやつでもあるのだ。とても繊細で美しいのに。


自分だけは特別、自分だけはイケてるというエゴを見せ付けあう「アーティスト」の世界に居て(自分も含めてだが)ドッと疲弊してる時だったから、このモドキに逆に非常に愛おしさと崇高さを感じた。



7月7日

七夕だ、と思うだけでそのイメージの美しさに今日は救われそうである。

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様々な蛾の姿をした陶器の箸置きが思い浮かび、作りたくてしょうがないが技術がない。その次に思い浮かんだのは、熱海秘宝館のテラスから和凧グラインダーで飛ぼうとして海に落ちて死ぬまでの極彩色事故映像。


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いつも通る曲がり角の家の出窓に、気になるガラスの置きものがあるのに気づいた。今日の日差しが少し晩夏のようなへんな金色だから、光の反射で気づいたのだ。スワンの胴体をした鳥なのだが、首だけは長すぎて鶴に見え、うつむいて床につきそうな頭には鶏のトサカが付いている。全体的に透き通り美しく、首のカーブはぬめぬめと浅葱色と金色、頭はエメラルドにルビーをくっつけたようだった。



7月8日


最近大学にいる時、辺りに人はたくさん居て、自分も人と話などしても居るのに、ふと誰も居ないゴーストタウンにいるような気分になることがある。前はあまり無かった感覚だ。我にかえると生い茂った草と自分しかない、という妄想。勝手な話だ。自分の心の何かを反映しているのだろう。



7月9日

出張中、新幹線で熱海通過。熱海の景色は私にとって夢の景色、ほんの束の間見るだけで感激の溜息がでる。(でも実際街に繰り出すとそう面白くもないんだけど)
最近とくにぼんやりと考えごとの合間に、CMのように熱海景の妄想があたまに浮かぶのはなぜか。
片側が山で何か隠され、片側が海で何か圧倒され…という地形は好きだ。美しい不健康感と停滞感があるのだ。


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車窓からの眺めでもう一ついつも思うこと。どこにでもある普通の町の単調な景色の繰り返しのなか、様々な店の看板が目に飛び込む(動体視力がいいのかも)。ローカルなパチンコ屋などの看板はまあビジュアル的に好みなのだが、そのほかに、たまたま小さな「町の和菓子屋」を見つけたときに、なんだか必要以上にホッと癒される。
和菓子好きでは全くないし自分でも行かないのに。しかし町には和菓子屋があってほしい。人々の贈答のささやかな心をずっと見守り続けている存在、という気がするからだろう。


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同じ藝大の芸術学科の須賀みほ先生の講演『宵のサロン 第18回 /楽園の秘密』にゲスト出演させて頂いた。会場は岡山大学にある、福武純子氏を記念するホール。テントのどきどき感とガラス建築のモダンさを合わせたような建築。
そして、須賀先生は美しくミステリアスな、憧れの方である。
会場演出からポスターデザインまでとにかく須賀先生の美意識が徹底されている。しかも照明や映像照射、音響までをご家族が担当して協力、手づくりながらも手づくりとはわからないスタイリッシュな完成度で会場が作られていた。赤い電飾の舞台に驚く。



伊藤若冲の花の在り方と描き方についてまずお話し。私が最も影響をうけた若冲の「動植綵絵」や版画の連作から、私の作品紹介への導入という展開に感激。事前に互いにこういう話をする、とは敢えて打ち合わせがなかったのにも関わらず。自分の「毒花/徒花図鑑」は若冲の版画の連作なしには存在しなかったかもしれない作品だったので、須賀先生の洞察力は流石に凄い。


「日本美術は具象とも抽象とも言えないのだ」という言葉が響く。若冲のあとに私の画像紹介は気遅れしてしまうが、思うまま語らせて頂いた。
「私の絵画はあの世ともこの世とも言えないその世を描く」というのが、須賀先生の講義に導かれた上での自分のまとめだった。
最近の無気力と自信喪失に鬱々と昨日まで苦しんでいたが、頑張ろうという気になった。自分の原点、原風景、美意識を、行うことの全て細部まで凝らして、打ち込んでいかないと。

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7月10日

ああ 日本のどこかに 私を待ってる人がいる
「いい日旅立ち」のこの遥かな感覚は、旅愁というのでもなく、単なる未来への期待感とも違う、言い難い深みを持っている。ポルトガルのサウダージの感覚(曰く言い難い郷愁)などとちょうど「帰る⇄往く」において逆になりそうな感覚という気もする。


新幹線とローカル列車だと後者の方が好きなのだが、あの遥かな感覚「日本のどこかで今日も知らぬ誰かが知らぬ人生を送っている」感動は、新幹線の車窓風景のほうにむしろ感じることが多い。ローカル列車の無人駅の趣に感じるものはそういう感じではなくもっとホッコリ近しい感じだ。
飛行機でロシア上空などを飛び大雪原のなかの小さな集落の光を遥か下界に見る時に感じる感動や胸の痛み、これに通じるものが新幹線景にも時折ある。横から街を見ている視点なのだが、新幹線景は「俯瞰的」に街を見ているに等しいのだと思う。速度、街との距離、目に飛び込むときの瞬間性。人間の暮らしを網羅しながらすれ違って過ぎていく儚さを感じやすい視野なんだろう。


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いつも描きたい世界観のひとつ、深い森の折り重なる頂点にた看板だけ頭をのぞかせる山中の「婚礼場付きホテル」の感覚。炎天下の夏の森が良い。
焼津過ぎたあたり、「松鳳閣」という立派な看板文字が見える。ほんとは結婚式場などついていない観光ホテルかもしれないが。


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2日後の「絵画創作概論」という油画教員ローテーションによる座学の講義は、私の番で、なぜか全回のシメでもある。
それなのに【歌謡道】などと講義を銘打ってしまって、どーすんのよアンタという自問。まあ、言葉が絵のベースにあるから。自分の信じる言霊について話したいことはいつも胸いっぱいあるが、最近8割9割、伝わるわけもないと諦めていた気がする。昨日の須賀先生との機会で久々にパワーチャージしたので、その勢いで歌謡道講義も頑張ろう…


とりあえず景気付けに、やはりひとカラへ。
様々な歌詞の世界を画面の字幕で堪能。【かもめはかもめ】はやはり伸びやかなスケール感も繊細な悲哀もある傑作。作は中島みゆき。その後ひとりでみゆき特集をして【寄り添う風】【かもめの歌】を初めて歌い、あらためて歌詞を読みながら歌い泣きした。ウウと一人で咽び泣く個室の前を、トラやパンダやAKBの着ぐるみを着たサラリーマンの団体が通り過ぎて行った。






7月12日

大学では、座学の講義「絵画創作概論」、私の番は【歌謡道】という題で講義を。日本の和歌文化に連なる(かわからないが)昭和期の歌謡曲のエモーショナルな湿気について、その影響下で自然と作り貯めた自分の文章作品と、絡めて語る。
二年前に【歌の旅】と銘打って軽いバージョンの講義をしたときは、かなり受けが良かった。
しかし今回はどうかなあ?学部一年男子たちなどは、流石にわけわかんなくてボーゼンとしていたようだけど。学年が上の女の子になるとニタニタしながら聴いていたな。


JASRACに事情聴取受けそうな…ウタの聴き比べ。私が古い歌ばかり聴くきっかけになってしまった、学生時90年代JPOPの「負けてはいけない」強迫的ポジティブソングへの違和感。それらと、70-80年代の気怠く「諦め、嘆き、宙ぶらりん、負けて、堕ちる」歌謡曲との対比。
【それが大事】大事マンブラザーズバンド、【愛は勝つ】KAN、【どんなときも】槇原敬之、【負けないで】ZARDがポジティブ陣営。
ネガティブ陣営は、【探偵物語】薬師丸ひろ子、【あの日に帰りたい】荒井由実、【時の過ぎ行くままに】沢田研二、【時には母のない子のように】カルメンマキ、【かもめはかもめ】研ナオコ、【悲しくてやりきれない】フォーククルセダーズ。


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紹介した詩歌は、
高熱の鶴青空に漂えり (日野草城)
蟻地獄松風をきくばかりなり(高野素十)
中年や遠くみのれる夜の桃(西東三鬼)
歌にきけな誰れ野の花に紅き否む おもむきあるかな春罪もつ子
やは肌のあつき血汐にふれもみで さびしからずや道を説く君 (与謝野晶子)
あひみてののちの心にくらぶれば 昔はものを思はざりけり (権中納言敦忠)


歌の一節は、【19:00の街】野口五郎、【化石の荒野】しばたはつみ、【北の宿から】都はるみ、【私の子供になりなさい】中島みゆき、【酒と泪と男と女】河島英五、【夜と朝のあいだに】ピーター、【舟歌】八代亜紀、【圭子の夢は夜ひらく】藤圭子。
自分の絵画作品【密愛村】【野火賊】と取材写真のスライドショーには、そのイメージソースの一部になった【リバーサイドホテル】井上陽水、【月】桑田佳祐。






7月14日


自分の嫌味も他人の感じ悪さも含め、ああいやだな、と思うことが一つあったら、その都度一回ずつ、どっかに夜の俯瞰景を観に行きたい。もともと大勢の人間の中にいるのは苦手だったはずだ。その頃の自分を思い出して自らに何かを許したい。
もう無理して人に意見したり関わったりしなくていいじゃない。疎まれるだけだしやめろやめろ。
くさい芝居めいていようが、遠い夜景というものには本物のグッとくる憂いを感じる。憂いをつきつけらることが必要なのだ。大人になると自分にセンチメンタルや陶酔や恥ずかしい想いをつい禁じるからね。


この俯瞰景の夥しい光の中にいくらかは自分と通じ合い交錯する人間がいるかもしれない…大事なのは結局そういう未遂の希望そのものなのかもしれない。人は時として、近づくほど、未知の部分を見過ごして錆びついた印象しか互いに抱けなくなる。それをさらに突破して信じあえるのは余程の愛憎の時間か経験の風雨を共有した時だけだ。





7月16日

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朝、小岩あさがお市。出が遅かったので、多くは萎んでいた。2鉢買った。
商店街の七夕飾り、地元の人が照れながら売る屋台の慣れない掛声、日高屋の冷やし中華、有線のだっさいJPOP(これ大事)、カウンターで話しかけてくる前歯のないおっさん…
夏が来た、という感じ。


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幼い頃持っていた図鑑のある図版の記憶が、20年くらいずっと気になっていた。アンモニア蒸気を当てエメラルドグリーンに変色した青い朝顔の写真。そのなんとも言えない発光するような青緑の色はずっと自分の色彩感覚の取って置きの領域にしまってあった。実験をしてみたかったがずっとなんとなくそれをせずじまいで来てしまった。そのうちそんな図鑑の図版も本当にあったのか定かでないように思えてきた。

小岩で買った朝顔をもいで、アンモニアを解いた水に漬けてみたら、紫のものは美しい青に。アルカリ性の反応だからそれは予測できだけど。
なんとかしてあの美しいミドリ色を見たい。それには青い西洋朝顔が必要かな。
絞った汁は藍色に。すぐに褪せてしまうだろうけど。


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シリーズ2枚め描きあがり。午前2時台にケリがつくととても気分がスッとする。四時を回ると目覚めから鬱々としている。時間にしたら大差ないはずだが。
数ヶ月描いていない時期すこし肩周りが痩せたのだが、描き始めるとすぐ背肉がつきまたずんぐりする。





7月17日

中学生の頃、「丸善」の便箋が好きで、集めていた。シンプルな洋風飾り罫の表紙と素っ気ない中身の、厚手の冊子。今でも東京丸の内店で見かけると手に取りたくなるが、そう手紙を書く時代ではなくなり、書くとしても鳩居堂などの洒落た礼状用のなどしか使わない。
丸善の便箋はもっぱら授業中の友人との手紙のやりとりなどに使っていた。授業中通信はノートを破ったものなどが一番多かったのだが、たまに奮発して便箋にしたためていたのだ。今の子ならラインやメールなのだろう。当時の私たちは授業などそっちのけで一体何をそんなに書くことがあったのだか。ラインなどとは随分違う内容、現代の子からすれば中二病などと言われそうな酔いしれた内容だったと思う。


しかしそんな手紙の内容より思い出せないのは、どうやって「丸善」に通っていたのかという経路や道のりだ。おそらく日本橋店であろう店舗の中や、そこでクリスマス用の飾り罫ブックを買ったこと、インスタントレタリングを漁っていたことも覚えている。しかし学校のある仙川からそこまで何を乗り継いでいたのか、誰と行ったのか、そこから遠い八王子までどう帰ったのか、何度も何度も行ったはずなのに、他の記憶からも抜け落ちて、そこだけ全く記憶がない。





7月18日


今日は雹が降った。外にいる時のカミナリは死ぬほど怖いが、屋内で見物する分には花火を観るような気分である。魚の網を仕掛けるように、研究室のザルを庭に置いてようすを伺っていたが、雹は一粒しかザルにかからなかった。





7月19日

80年代アイドルはあまたいるが、時折無性に、近藤真彦の曲が聴きたくなる。もうウアーッというほど聴きたい。
別にファンではない。かつて好きだったなどということもない。歌も上手いと思わない。同時代の田原俊彦には全くその気を覚えないし、松田聖子や中森明菜もあえて今聴き返したくはない。しかしマッチの楽曲(【ギンギラギンにさりげなく】から【ふられてBANZAI】あたりまでが特に)には変な渇望感を感じることがある。
なんなんだ、何かに似ているこの感じ....と考えたが、「夏祭りの屋台の焼きそばにマヨネーズをかけたやつ」だ、と思い当たった。あの油ギラギラのソース感、有無を言わせぬジャンク感、中毒になる塩気。


研究室、夕方たまたま浴衣の着付けをしていた女子学生たちがいたので、そのまま花火、炭火で焼き鳥、手羽先そして焼きそばという流れになった。研究室にいながらにして夏祭感を満喫した。





7月20日

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独りになると相変わらず悶々と朦朧としている日々だが、今日は豊田駅のこの手作りポスターでなんか元気出た。

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いま大学美術館で開催の展覧会に、自分の卒制の自画像が展示されている。観に行きたいが、行きたくない…複雑だ。決してうまくもないし何でもない自画像だが、かなり自分と生々しく向き合っていた頃の絵なので、自分自身だ、という実感が強い絵だ。だからたった一人で再会したいのが本音だ。特に精神的にまいっている今、彼女(昔の私)に会ったら泣いちゃうかもな。会って泣いて頑張ろう!という類いの涙でもないだろうな。互いに、何も変われない怒りや虚しさで睨み合うだけかもな…




7月22日



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時代…そういう感覚が私を癒す。

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本質からずれた無駄な闘争ほど疲れるものはない。でもあらゆることがそういう闘争にばかり費やされる風潮。


7月23日


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高校生への授業で「架空の観光地の淡彩画」描かせたいのだが、まず自分が、淡彩できない。あっさりラフに描きたいよ…どうすりゃいいの。

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「想像力」というものは使っても疲れないのに、それとともに「判断力」も絶えず使わなくてはいけなくなると、恐ろしく疲れる。もちろん絵や文章の一筆一筆も無意識の判断力であり無意識であるうちは疲れないが、「これが有効か?」「これが理解されるか?」「これが伝わるか?」と判断させられている状態になったらもういけない。
けれど教える仕事というのは「判断」の絶え間ない連続だ。技術についてのことというより、責任の持ち方、言葉の選び方、予見のしかたなどの。神経がすり減ってしまうのは仕方ないのである。つかの間でいいから「判断」を止めて、無責任になりたい。

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疲労から自分の身を守るような言語量、コミュニケーション量をこの先考えていかないと、いまあまり耐えきれていない。
歌うこととはどういうことか、を考えるように、語ることとは何か、を考えたい。それはガナることや喚くこととは違うから。いい歌い手であるかのようにいい語り手であることを目指したいのだが。



7月26日

iPhoneの着信音。こういう短い音楽にもコンポーザーがいて、その人の表現なんだな…と思うと味わい深い。私的な好みで言えばiPhoneの着信音はどうもイライラするものが多い。好みの問題だけど。
ガラケーの時は作曲アプリのように自分で多重編曲できたので、好きな音楽を一度パートごとに楽譜に起こしてからタッチボタンで一音一音登録し曲に仕上げて着信音にしていた。これでもかとマイナーコードの暗い曲ばかり…tortoiceの【Along the Bank of Rivers】とか、映画【太陽はひとりぼっち】のテーマとか、五十嵐浩晃の【愛は風まかせ】。我ながら完成度高い編曲していたのでガラケーが壊れた時は悲しかった。


学生が「iPhoneの着信音のなかで一番ブサイクなやつをアラームにしてる」と言った。ブサイクなやつはどれだ?とタイトルを聞くと、私も一番イライラするあの一曲だった。曲としては可愛らしいしインパクトもあるし、明るくてよく出来ているんだが、絶妙に気持ちがざわつく。なぜだろう。
ブサイクというのは貶し言葉とも言えない。何というか…言い換えれば「絶妙に間が悪いアップテンポ」という感じ。小学生男子がいつまでもふざけてカニ歩きしている授業前なんかにピタリとくる音楽で、それを先生が「いい加減にしろ!」と怒るときみたいなかんじ。



しかしアラームには、イライラするやつや、どうも好きになれない曲を使う方がいいみたいだ。今は好きなダウンロード曲で8曲くらい目覚ましを登録しているのにも関わらず、毎朝その8曲近くの音楽に合わせた夢をいちいち見るだけで、逆に目覚めなくなってしまった。また名唱で大好きなザ・ピーナッツ版【朝日のあたる家】も長いことアラームに使ってしいたが段々嫌いになりそうになったので、やめた。
今のところ、優秀なイライラ音楽は、iPhoneの【プレイタイム】、KANの【愛は勝つ】、ペレス・プラードのマンボ。名曲ちゃ名曲だけど、「うるせえ!」と言いながら起きたくなる迷曲でもある、私には。


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KANの【愛は勝つ】ばかり、先日の歌謡曲講義でも攻撃して甚だ申し訳なくおもう。誤解を避けるために言えば、あれはとても名曲だなあ、とは思うのだ。メロディラインもキャッチーさも。自分にとっての愛のデフォルト(=負け越し)と余りに真逆の世界観だからいろいろ「物思う」だけだ。対極の昭和歌謡として講義では【19:00の街】の歌詞を挙げたが、もう1つあげたかった曲をどうしても講義で思い出せずにいた。今ふと思い出した。Charのの【気絶するほど悩ましい】だ。次回のために書いとこ。聴講する学生にとってはおそらく、本当にどーっでもいいことだがな。


7月27日

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妙高・苗名滝は物凄い水量。昨日までのこの地方の大雨の影響らしい。人間のくだらんストレスなど吹き飛ばす怒涛だ。
下の方の滝の水量も凄かったが、その飛沫になぜか挑んでまとわりつこうとする二匹の黒い蝶がいた。つがいだろうか。虫や小さい生きものは、人よりずっと烈しいのかもしれない。


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自己マネジメント能力ゼロに近いくらいに低下している日々。明日からと信じていた山への出張が今日からだと昼に指摘され、着の身着のまま慌ててアトリエを飛び出してきて、汽車に飛び乗り、いま高原でヒグラシの声を聴いている。どうしようか、なにも現実感がない。


7月28日

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夏の芸術学校。笹ヶ峰にバスで登るまでには雲海も見下ろせた。なだらかな高原の牧場と森を進むと清水池。静寂。しかしコムラサキ蝶の襲撃に遭う。色は綺麗だが若干攻撃的。動物の糞の水分をウットリ吸った後に私に突進してきたので逃げる。
芸術学校の生徒さんは年輩の方中心、手慣れたもので、思い思いの場所にさっと席を設置して描き始めている。


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蛇の文化史の研究家でもある、水彩画コースのY先生。いもり池にて、念願の蛇との遭遇一匹目。私は首に巻く気にはならないが、蛇は触れる。すべすべしていて、乾いた真夏のモザイクタイルのようだった。顔も愛らしかった。


Y先生は、本来の専門の絵画についてだけではなく、あらゆる人間生活習慣の根底には蛇信仰があるのだと語り、すべての会話が蛇につながっていく面白いお方。
昨夜は「なぜ火曜サスペンス劇場の犯人は最後に崖で日本海を見つめるか、演歌は日本海へ向かうのか。その根底にも蛇がある」とまで言うので、私はそこにだけ大いに興味を持った。要約すると…「中国画の画面の縦の流れは龍に発し、日本の絵巻や屏風の横に進展する絵画世界は蛇の蛇行に発する。日本文化の根底には水平的な蛇の伸展運動が隠されてのだ。例えば我々は、祈りや信仰にまつわることで天を仰がず彼方水平線に心を遣るではないか。日本のルーツは百済、そしてインドのなんとかにあり、それを懐かしむ水平の視線がどうのこうの…」あれ、忘れちゃった。が、演歌=蛇ルーツ説に妙に納得。


昨年の妙高ではしきりにY先生にFacebookを皆で勧めた。先生がSNS否定派だったのでワザと「蛇研究を広めるためにはゼーッタイ必要ですよ」と説得した。私など自分もやってないのだが…
説得2日目に心が動き、3日目にFacebookを立ち上げ、4日目には仕事そっちのけでFacebookに嵌ってネットの一挙手一投足に大騒ぎし…という展開で昨年はお別れ。
そして今年、また話のノリで勧められた企業版のFacebookを立ち上げ、いまそのことしか頭にないようだ。


7月29日


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笹ヶ峰は霧。神秘と恐怖感。

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夜、スナックでカラオケ。八代亜紀【舟歌】、中島みゆき【時代】歌わせてもらう。おじ様方は「もう一曲歌って」などと喜んでくれる。100年ぶりくらいに自分の存在価値を認められた感じ。受け入れられた気がして嬉しいと感じつつも「職業変えた方がいいんじゃない」という野次はいまツラい。夜の旅館街を帰りながらふとまた落ち込む。


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25年も前、学生の頃にこの赤倉に来た。無国籍な幻想感のある雪の中だった。
たいして深い付き合いではない女先輩に強引に誘われ、スキーに来たのだ。メンバーは皆知らない人で、いい人達だったが、人見知りの私は何故自分がいまそこにいるのか把握出来ない感覚のまま居た。メンバーの中に女先輩がナンパか何かした高校生が混じっていたが、その子が具合を悪くし、バスの床に転がるように寝たりあまりに辛そうなので誰かが病院に連れて行った。あとから、かなりな病気の発病だったときいた。あれからどうしたのか。知る術もない。


いまたまたま縁の出来たこの赤倉のおじ様方もそのとき、若い働き盛りの男衆として同じ雪の中にいたのだろう。人の過ごして来た時間、自分の過ごしてきた時間、いまこの交錯している人間関係の時間…色々なことを思う。


7月31日

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「片流れの屋根」というのは母に昔教わった言葉だ。よくあるシンメトリーに被さった屋根ではなく、片方に重心があるナナメな感じの家のことだ。通用語かどうかは知らない。
地方の県道によく見る古いドライブイン建築には片流れの屋根もよくある。去年からそういうドライブイン模型に取り組んでいて、旅先では視線の先がそういう建築を探すようになった。
妙高は片流れ天国で、興奮した。雪国ならではの屋根なんだろうな。もう数年妙高で仕事しているのに、気づかなかった。今年はもう目が屋根屋根を見るのに大忙しだったが、なかなか写真などはうまく撮れず。もう帰京してしまったが、もう一度ゆっくり取材に行こうかな?




by meo-flowerless | 2017-07-03 21:51 | 日記