画家 齋藤芽生の日記
by meo-flowerless
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2017年3月の日記
3月24日
研究室旅行で鎌倉に行った。鎌倉は距離が近いためか、泊まりがけで訪れたことはなく、今回初めてだった。旅行幹事のS一郎君は決して歴史好きでも寺好きでもないとは思うが、行程をキッチリと歴史スポット巡りを中心に据えて立ててくれた。
得てして「ダラダラ(バラバラ)&トランプ&飲んだくれて騒ぐ」になりがちな研究室旅行にも、今回は締まりがあった。派手な格好の私達が整然と二列になりながら寺やヤグラを真剣に遠足する姿は我ながらおかしかった。普段結構いろんな土地を歩く私でも山道や崖道を歩き疲れ、夜中には筋肉疲労で発熱した。そんなに真面目に遠足した割には、あとで皆が覚えていたことはたわいもないことばかりだった。
広い空地のど真ん中に団子みたいに盛られていた夏ミカン。結構離れた場所で時間差もあるのに、行く先々の道で何故か必ず一緒になるヘヴィメタ風の老夫婦。どちらも狐狸に化かされている感じがとてもした。
鶴岡八幡宮に出ていた屋台のぶどう飴がびっくりするほどおいしく、お参りの行きと帰りで二つ食べた。
宿は腰越の秋田屋。簡易な船宿民宿だが綺麗で便利で居心地よい。素泊まり5000円ナリ。江の電がとにかくローカルで良く、見飽きた東京からも、かなり距離が離れている錯覚がする。駅前のカラオケスナック花水木にS一郎とA先生と突撃しようとしたがA先生が宿到着後ふらりとどこかに出かけたきり帰らなかったので断念。忽然と帰って来たのでどうしたのか聞くと、散歩していたら江ノ島まで歩けそうな気がして来たので真暗闇の道を江ノ島まで歩いていたという。
宿のすぐ付近を湘南暴走族の大群が唸りながら通る音がしたので、見たい!とベランダに駆け寄ろうとしたら畳で滑って、部屋の中で派手にこけた。宿が振動した。ただでさえ悪い右腰を強打し、夜中に熱が出た。
こういう、一見たいして書くような事柄もない旅が好きだ。
3月25日
近所の美容院に行くと、暇つぶしの雑誌を美容師がそばに置いてくれる。たいてい「ST○RY」か「VE○Y」だ。こっちが40代女だからそれが妥当なのかもしれないが、何せライフスタイルの設定が違い過ぎ、セレブでもママでも専業主婦でも高級住宅地在住でもない自分は、この雑誌の重さを持て余すしかない。紹介されているファッションの着回しのセンスなどは最上級なのかもしれないけれど、変わりもんの私には、読む部分もなければ指名買いの可能性もゼロだ。いつもは渡されても読まないのだが、先日はよく読んでみた。
世間に顔向け出来るような「美しく立派な主婦たち」の生活が、どれだけ大変か分かった。ただコーディネートが良いだけではすまされない、いかにもブランド臭な下品さも回避しつつさりげなく高級良質というコードを巧妙に読み解かせなくてはいけない、他より際立つ華がなくてはいけないがママ友たちの間の暗黙のTPOから浮いていてはいけない、嫌われないように・しかし・うらやまれなくては意味がない、高級地の地元出身でなくとも地元の匂いをさせていたほうがいい、日々繰り広げられる5000円級のランチ会の席で物怖じするようではいけない、子育て終了後は自宅がサロンのように交流の場に変わることが望ましい、PTAでも役員をやるなど活躍しなくてはいけない、肥えた舌がそのまま料理の腕にも直結してなくてはいけない....。すごく忙しそうだな。財閥とまでいかなくとも、社交界なのだな。
世にはVE○Y妻という言葉があるだけでなく、この雑誌が物凄く売れているのだと初めて知り、なんか戦慄した。私は本当に現代に疎い。まあ一生縁のない世界だから、今ごろそれを知ったわけだ。「女子カースト」とか「マウンティング」なる言葉も今ごろ知った。遠く女子高校時代には歴然とそれがクラスの雰囲気にあったことを思い出した。美大で忘れ去ったが。
が『「ST○RY」「VE○Y」に触れる機会が美容院でしかなく、その読むところのなさに驚き、重さにびっくりし、最後は笑いのネタのようにそれを読むしかない女性の層も一定数いる』らしいことを、あとから知りホッとした。
3月27日
雨の中の卒業修了式。卒業生たちの心にも残るであろう。身にしみる寒さ。修了する二年生たちが皆で知恵を出し合って教員助手に残してくれたプレゼントが「抱き枕」。芸大、を感じる瞬間だ。アイディアを出した人、材料を用意した人、デザインした人、原画を描いた人、それをシルクで刷った人、わたしのにはオマケの透けパンツを縫ってくれた人、皆一人一人分担してやったようだ。
他の先生の洒落た図柄と違って私のだけ「大王めおイカ」(そう呼ばれていた)のデザインになっていて、ご丁寧に旦那がその足に巻き込まれている図柄だった。そしてハートのくりぬきのある透けパンツは、私の寸法をまじめに考慮したらしく、サイズがデカかった。夜明けまで続いた「送るカラオケ」、万感の思いで見送る。
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三年間担任をしていた学年が、学部を卒業してゆく。そして、技材研究室に移動してからはじめの三年間の助手をしてくれた千村さんが退任。この三年間の自分の心の様々な揺れ動きは、言葉にすることがちょっとできない。その期間をちょうど駆け抜けていったのが彼らと彼女で、それが揺れ動きの原因でもあり、同時に、それを鎮める拠り所でもあった。
心の中で常に親のように気をもまされた四年生だが、結局は、話したいことの5パーセントくらいしか口に出来なかった気がする。親心とはこうもなってしまうもんなのか。何事も気にしやすくシャイですぐには心を開かない彼らに対し、また複雑化する常勤教員の仕事に対し、私自身の不器用さにも気付いてしまった三年だった。私も心を開くのが下手なのだ。それだけではない自分の奥底にあるコンプレックスがこの年になって怒濤のように噴出するのを、若いときは予測していなかった(克服出来るかわからない)。同時に、出来ることと出来ないこと、私の奥底の基本の素地がむき出されてきたのだとも感じる。
学生達の心理と常勤教員の苦悩をどちらも黙って理解し、なんとか両者を繋げていてくれたのが助手たちだった。千村さんは仕事ができるだけでなく、天性の理解力と言うか人間親和力というべきものがある。ゆくべき道とやるべきことを的確に指し示してくれ、生活の様々な局面で気持を紛らわせてもくれ、悩みを払拭してくれた。つねに私のほうが子供のように守ってもらっていた。自分自身も彼女には率直に心を開いた、という実感がある。もともと優秀ではあったが学生だった時の彼女の表面からは見抜けなかった、多くの柔軟な資質にあらためて出会うことが新鮮だった。
移動しても技法材料的なことの習得がはかどらず、何も出来ないことに苦しい立場の日々は続いている。そんななか千村さんに「めお先生が出来ることをやればいいんです。ひとつには先生には、言葉・文章という武器があると思います」とスッとアドバイスをくれた時にどんなに救われた思いがしたか。まずそれを何とか授業として形にしたいと思う。
3月31日
なんだろう、「要領のいい」「勝ち」にたいしての反感と嫌悪感が、最近、爆発的で半端ない。急にキレるトリガーが完全にそこになっている。それを自分で分かったのなら、もう人前では苛立ちを秘めたほうがいいな。
しかしとにかく、すぐに結果や成果が分からないことにも人は時間を費やし思想を傾けていいんだ、と信じている。