画家 齋藤芽生の日記 Twitter/ @meosaito


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2017年3月の日記

2017年3月の日記



3月1日
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春もまだまだという季節なのに、スーパーに葡萄がたくさん出ていた。値段を見ると300円弱、高級品でもなさそうだ。色は薄赤の、チリ産。種無しで皮ごと食べられると書いてある。期待しないで買って帰った。
しかし夜何気なくつまんで一粒口に入れて、美味しさに驚いた。しゃりしゃりとした皮の酸味、苦味、香りが、いかにも野性の果実、という感じ。ブルーベリーにも林檎の皮にもにている爽やかさ。夢中でポイポイ口に頬張った。
日本の市場に出ている果実は、完成度の高い甘さと熟成ぶりで、何を食べても満足出来るけど、「木苺や野葡萄を摘んで食べる」味覚からは遠く離れてしまったのかもしれない。もちろんこのチリ産「ラリーシードレス」も管理された完成品ではあるのだが、味に自由な野性が残っている感じが凄くいい。


:::


飽きっぽい自分が最近「これは凄く良いな」と思った品。手にさえ入るならずっと定番にしたいくらいなんだが。
めいらくの「ザクロブレンドジュース」そのまま血液に乗って巡ってるんじゃないかと思うくらい気だるいカラダに即効。テオドーのハーブ茶「ティザンヌ・ドゥ・ラ・ベイ」修道院で作っていた薬草茶の構成、リンデンやらレモングラスやらミントやらめざましくスッキリするものばかり。鬼頭天薫堂の奥ゆかしい線香「由比ヶ浜」初夏の白檀という感じ。ヴェリマの「バランスクリーム」一見素朴なアボカドオイル入りクリーム、しかしどんな日でも静かに安定する過去最高の使用感。ディアテックの「カウンセリング・プレシャンプー」評判の通り無駄の一切ない洗髪に特化したシャンプー、洗い髪の清浄感がずっと続く。





3月5日

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先日、国分寺から東小金井辺りまでにかけて「野川」の川沿いを歩いた。近所でもなく、一、二度ばかりずっと前に歩いたことがあるだけだが、自分の中では「春の小川」のイメージと言えば、武蔵野の野川なのだ。
東京郊外の平凡な住宅街のなかに、古い町の掘割のようにゆったりと水路が引かれ、その上に家々の裏庭の梅の木や柑橘の木の枝がこぼれるようにはみ出している。幹線道路の殺風景から一転して住宅のなかに思いがけない情趣があるのだ。


流れを追って歩いていると、やがて狭い芝の河川敷が現れる。階段からその河川敷に降りることが出来る。河川敷というよりちょっとした庭のようだ。護岸工事というほどのものでもない飛び石のようなものが置かれ、チョロチョロと水がそれに当たって音を立てる。
やはりここにも鷺やカワセミがいる。黄セキレイや、名前の分からない、山吹色の腹の綺麗な鳥も見た。

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相当歩いてやっと辿り着いたのは、武蔵野公園と野川公園のだだっ広い野原である。その中を突っ切るように野川の水路が行く。
野川公園は自然林になっていて、どこまで続くか覚束ないので、その辺で散歩を終わりにした。
むかし野川に遊びにいた時、野川のほとりで友人が小さなピストルを拾った。後日聞いたら、戦時中の古いもので、本物だったそうだ。



付近駅の「多磨」は昔「多磨墓地前」という駅で、小学生時代の一夏そこのアメリカンスクールに通ったことがある。のどかな小川・アメリカ・基地・墓地のミックスするこの土地の記憶は、私の中で「ローカル兼エキゾチック」という奇妙な魅力を持っている。
今回は、その隣駅の新小金井駅にたどり着いたのだが、ここも今どきの東京都は思えないほどの鄙びた駅前だった。駅をおりてまず見えるのが四軒長屋の古い商店ビルの裏側。表に回ると、数軒はシャッターが閉ざされ、空いているところには共産党議員の小さな事務所がはいっている。二階の窓辺には海の泡模様のレトロモダンな鉄柵が張り巡らされている。
そこの四つ角から数軒、本当に小規模の商店街があった。それなりに客の来る和菓子屋の今川焼、肉屋のコロッケなどを買った。



電車は西武多摩川線である。起点は武蔵境、終点は是政。
住んでいる人はそう思わないだろうが、この辺りは東京市部のエアポケットのように思える。東京に長く住んでもいまだに未知の地のにおいがする。思っているのは実は私だけではなく、皆そう思うようである。
国分寺から出ている西武線網とも全く繋がっていない。地下鉄の乗入れからは遠く離れ、郊外への延長工事の予兆も全くない。完全に独立した数駅だけの短い路線。もとは西武系列の電車ではなく多磨鉄道といって、多摩川からの砂利を運ぶ工業鉄路だったようだ。文学の舞台にもなった薄暗い郊外、昔の武蔵野の風景をいろいろに妄想する余地が、まだ風景の中に残っている。



多摩川線だけではなく、西武線自体が夢の中の迷路を走る電車のような趣がある。よく、西武線で遠く迷子になってゆく夢をいまだに見る。通勤通学で使ったことがそうあるわけでもないのに。
武蔵野のその辺りはまだ探検しがいのある土地だと思うが、今のこの、地勢がよくわかっていない迷子感覚が残っているほうが、歩き尽くして知ってしまうより楽しいのかもしれない。


:::


今日は、突然の思いつきで秩父の山奥まで行って帰って来た。複数の乗り継ぎやバスでの長い悪路を考えると、ほんとうに一苦労な旅だったはずなのだが、不思議とそんな気がしない。束の間のシュールな夢を見ていたような気がする。
渓谷の深さと山の高さが、自分の身の尺度をはるかに凌駕していて、物凄く浮遊感があった。実際、存在としては私はずっとなにかの中空に存在したのだから。夢のような時空だった。
このような立脚の不安定のなかに感覚を投げ出す体験を、敢えて日帰りでして帰ってくるようなことが、自分の精神には効く気がする。
自分の存在が不確定な時間にこそ感じられる風景の鮮烈さ、というのがある。そこでの存在に慣れてしまえば、重力感も色彩感も空気の震えも、だんだん自分の身の丈がよく知ったものと同じにしか感じられなくなる。
記憶というのは、あまり手なづけてはいけないのだろう。得体の知れないままお蔵入りにしておく記憶のほうが、のちのちに良質の錯覚や空耳を呼び起こしてくれる。


3月17日
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実家の庭は狭いのだが、隣家の広い庭の木々にはよく鳥たちが来る。体がだいぶ効かなくなった父のため手すりを設置しに夫と実家に行ったのだが、夫はその次の日、父母が楽しめるように小鳥の餌台を作った。隣家との境の柵に取り付けた。


今日は実家で3時間ばかり小鳥を待っていた。いじわるヒヨドリを筆頭に気弱なスズメ、白メガネ顔の画眉鳥、アオジかと思われる夫婦がもう興味津々で周りをうろつくのだが、なかなか餌台には止まろうとしない。ヒヨドリはどんな時も根性ワルというのか独占欲が強いのか、一匹餌台に近づいても別の一匹が邪魔しにくるのを互いに繰り返すばかり。メジロたちやシジュウカラは今日はあまり見かけず。鳩の夫婦は地面の方ばかりに興味があるよう。


アオジという鳥は内田百閒の随筆に出てくるのを知っていたが、見たことはなかった。夫が「緑ががった雀」を見かけたというので図鑑をみたら、アオジのようだった。同サイズの茶色いマダラな鳥は、ヒバリかと思ったが、アオジの雌だろうと後から納得した。
母と買物がてら川原を歩くと、ツグミが干潟にいた。カワセミのつがいもピチッと泣きながら飛んでいた。母と別れ帰宅後電話があり、ヒヨドリがこっそりきていてパンと苺を食べていた、と報告があった。


3月19日

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ジュースの自動販売機のポスターにかぶせて、ゆるい味のある絵が貼ってある。付近で漬物かなにかを路上で売っていたオジさんが「オレが描いた」と得意げに言った。「外国の写真なんかつまんないからよ」「いい絵ですね」「ありがとよ」。隣の販売機にも海の絵が黄色い紙に描いてあったので写メしようとしたら、携帯電話を弾みで落とし硝子面に見事な亀裂が。バッテリーも駄目だし、替え時だな。

3月20日

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雑司が谷界隈を歩く。山の手の古い住宅地だが、静かな家並のなか突然現れる闇市場的マーケットのアーケード。殆どシャッターが閉まっているのは、廃屋だからか、休日で休んでいるだけなのか。「雑二」というのが良い。お雑煮みたいだ。


しばらく歩いて高田のほうにはもとパン屋を自販機コーナーにした家屋。こういう感覚が結構すきだ。もとタバコ屋を煙草自販機コーナーにしているのもあるね。なぜかそういうところのテイストは似ていて、壁に風景写真とかを貼り付け和み感を出している。元店主からの注意書きも多い。憩いのためにか、ひとつ置かれた箱イスのデザインが味わい深い。南国娘のポスターで飾られている。ビールケースを応用したのか。

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3月24日



研究室旅行で鎌倉に行った。鎌倉は距離が近いためか、泊まりがけで訪れたことはなく、今回初めてだった。旅行幹事のS一郎君は決して歴史好きでも寺好きでもないとは思うが、行程をキッチリと歴史スポット巡りを中心に据えて立ててくれた。

得てして「ダラダラ(バラバラ)&トランプ&飲んだくれて騒ぐ」になりがちな研究室旅行にも、今回は締まりがあった。派手な格好の私達が整然と二列になりながら寺やヤグラを真剣に遠足する姿は我ながらおかしかった。普段結構いろんな土地を歩く私でも山道や崖道を歩き疲れ、夜中には筋肉疲労で発熱した。そんなに真面目に遠足した割には、あとで皆が覚えていたことはたわいもないことばかりだった。



広い空地のど真ん中に団子みたいに盛られていた夏ミカン。結構離れた場所で時間差もあるのに、行く先々の道で何故か必ず一緒になるヘヴィメタ風の老夫婦。どちらも狐狸に化かされている感じがとてもした。


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鶴岡八幡宮に出ていた屋台のぶどう飴がびっくりするほどおいしく、お参りの行きと帰りで二つ食べた。


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宿は腰越の秋田屋。簡易な船宿民宿だが綺麗で便利で居心地よい。素泊まり5000円ナリ。江の電がとにかくローカルで良く、見飽きた東京からも、かなり距離が離れている錯覚がする。駅前のカラオケスナック花水木にS一郎とA先生と突撃しようとしたがA先生が宿到着後ふらりとどこかに出かけたきり帰らなかったので断念。忽然と帰って来たのでどうしたのか聞くと、散歩していたら江ノ島まで歩けそうな気がして来たので真暗闇の道を江ノ島まで歩いていたという。



宿のすぐ付近を湘南暴走族の大群が唸りながら通る音がしたので、見たい!とベランダに駆け寄ろうとしたら畳で滑って、部屋の中で派手にこけた。宿が振動した。ただでさえ悪い右腰を強打し、夜中に熱が出た。

こういう、一見たいして書くような事柄もない旅が好きだ。



3月25日


近所の美容院に行くと、暇つぶしの雑誌を美容師がそばに置いてくれる。たいてい「ST○RY」か「VE○Y」だ。こっちが40代女だからそれが妥当なのかもしれないが、何せライフスタイルの設定が違い過ぎ、セレブでもママでも専業主婦でも高級住宅地在住でもない自分は、この雑誌の重さを持て余すしかない。紹介されているファッションの着回しのセンスなどは最上級なのかもしれないけれど、変わりもんの私には、読む部分もなければ指名買いの可能性もゼロだ。いつもは渡されても読まないのだが、先日はよく読んでみた。


世間に顔向け出来るような「美しく立派な主婦たち」の生活が、どれだけ大変か分かった。ただコーディネートが良いだけではすまされない、いかにもブランド臭な下品さも回避しつつさりげなく高級良質というコードを巧妙に読み解かせなくてはいけない、他より際立つ華がなくてはいけないがママ友たちの間の暗黙のTPOから浮いていてはいけない、嫌われないように・しかし・うらやまれなくては意味がない、高級地の地元出身でなくとも地元の匂いをさせていたほうがいい、日々繰り広げられる5000円級のランチ会の席で物怖じするようではいけない、子育て終了後は自宅がサロンのように交流の場に変わることが望ましい、PTAでも役員をやるなど活躍しなくてはいけない、肥えた舌がそのまま料理の腕にも直結してなくてはいけない....。すごく忙しそうだな。財閥とまでいかなくとも、社交界なのだな。



世にはVE○Y妻という言葉があるだけでなく、この雑誌が物凄く売れているのだと初めて知り、なんか戦慄した。私は本当に現代に疎い。まあ一生縁のない世界だから、今ごろそれを知ったわけだ。「女子カースト」とか「マウンティング」なる言葉も今ごろ知った。遠く女子高校時代には歴然とそれがクラスの雰囲気にあったことを思い出した。美大で忘れ去ったが。


が『「ST○RY」「VE○Y」に触れる機会が美容院でしかなく、その読むところのなさに驚き、重さにびっくりし、最後は笑いのネタのようにそれを読むしかない女性の層も一定数いる』らしいことを、あとから知りホッとした。



3月27日


雨の中の卒業修了式。卒業生たちの心にも残るであろう。身にしみる寒さ。修了する二年生たちが皆で知恵を出し合って教員助手に残してくれたプレゼントが「抱き枕」。芸大、を感じる瞬間だ。アイディアを出した人、材料を用意した人、デザインした人、原画を描いた人、それをシルクで刷った人、わたしのにはオマケの透けパンツを縫ってくれた人、皆一人一人分担してやったようだ。


他の先生の洒落た図柄と違って私のだけ「大王めおイカ」(そう呼ばれていた)のデザインになっていて、ご丁寧に旦那がその足に巻き込まれている図柄だった。そしてハートのくりぬきのある透けパンツは、私の寸法をまじめに考慮したらしく、サイズがデカかった。夜明けまで続いた「送るカラオケ」、万感の思いで見送る。


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三年間担任をしていた学年が、学部を卒業してゆく。そして、技材研究室に移動してからはじめの三年間の助手をしてくれた千村さんが退任。この三年間の自分の心の様々な揺れ動きは、言葉にすることがちょっとできない。その期間をちょうど駆け抜けていったのが彼らと彼女で、それが揺れ動きの原因でもあり、同時に、それを鎮める拠り所でもあった。


心の中で常に親のように気をもまされた四年生だが、結局は、話したいことの5パーセントくらいしか口に出来なかった気がする。親心とはこうもなってしまうもんなのか。何事も気にしやすくシャイですぐには心を開かない彼らに対し、また複雑化する常勤教員の仕事に対し、私自身の不器用さにも気付いてしまった三年だった。私も心を開くのが下手なのだ。それだけではない自分の奥底にあるコンプレックスがこの年になって怒濤のように噴出するのを、若いときは予測していなかった(克服出来るかわからない)。同時に、出来ることと出来ないこと、私の奥底の基本の素地がむき出されてきたのだとも感じる。


学生達の心理と常勤教員の苦悩をどちらも黙って理解し、なんとか両者を繋げていてくれたのが助手たちだった。千村さんは仕事ができるだけでなく、天性の理解力と言うか人間親和力というべきものがある。ゆくべき道とやるべきことを的確に指し示してくれ、生活の様々な局面で気持を紛らわせてもくれ、悩みを払拭してくれた。つねに私のほうが子供のように守ってもらっていた。自分自身も彼女には率直に心を開いた、という実感がある。もともと優秀ではあったが学生だった時の彼女の表面からは見抜けなかった、多くの柔軟な資質にあらためて出会うことが新鮮だった。


移動しても技法材料的なことの習得がはかどらず、何も出来ないことに苦しい立場の日々は続いている。そんななか千村さんに「めお先生が出来ることをやればいいんです。ひとつには先生には、言葉・文章という武器があると思います」とスッとアドバイスをくれた時にどんなに救われた思いがしたか。まずそれを何とか授業として形にしたいと思う。



3月31日

なんだろう、「要領のいい」「勝ち」にたいしての反感と嫌悪感が、最近、爆発的で半端ない。急にキレるトリガーが完全にそこになっている。それを自分で分かったのなら、もう人前では苛立ちを秘めたほうがいいな。

しかしとにかく、すぐに結果や成果が分からないことにも人は時間を費やし思想を傾けていいんだ、と信じている。


by meo-flowerless | 2017-03-02 01:34 | 日記