画家 齋藤芽生の日記 Twitter/ @meosaito


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2017年2月の日記

2017年2月の日記




2月1日

卒業制作展に合わせて、ベトナム・ホーチミン美大のMin先生とVinh先生が来日した。
二年前、同大学のワークショップの時にお世話になった先生方。ホーチミンへの旅は、自分の土地や人に対する関わりかたに次なる変化を与えてくれた。楽しく生き生きした旅だった。お互い片言の英語でもゆったりと楽しい時間が過ごせるのは、二人の人柄なのだろう。ずっと昔から自分が彼らの教え子のような気がする。ややこしいストレスなどもスーッと消えていく。
短時間の滞在だが、卒展を案内した。とても興味を持って下さったらしく、楽しそうだった。本当はもっとゆっくり日本の様々な土地を案内したい。


ミン先生が故郷ロンアンの話をしていた。一面に蓮の葉花が咲き乱れる静かな土地。ミン先生の気品と穏やかさ、まっすぐさはそこから来ているのか。いつか案内したいよ、と言ってくださった。
接していると、ベトナムの時間の流れ方が、自分の時間とは違うことがすぐ感じ取れる。タイの人たちの感じともまた違う、と思う。何れにせよ彼らと接すると、隙もなく仕事や懸案に追われて小刻みになっている息が、深呼吸に変わるような気がする。


互いの大学で交換授業やプロジェクトをしていきたいのだが、ミン先生が「都市だけではなく地方の土地に行くような授業をしたい」と言った。自分もそれをしたく、そういう話をしようと思っていた。両学生が、東京から行ける一番近い山奧/海辺の土地に小旅行をする。そしてまた東京の雑踏のなかに帰ってくる……実現させたいな。


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ただでさえ疲弊した世界に、さらに強迫的・恫喝的・狭量な人物モデルが君臨する時代。目に見える部分だけではなく、知らず知らず内部まで冒されるように、人間はこのハイプレッシャーに変化させられてしまうだろう。その疲弊なかでアジアは異なる時空として重要だと思っている。とくに東南アジアの時空間は。変わらないでほしい。


2月2日

夕空に巨大な輪を描く虹の夢。
ある部分は嵐の後の暗い青、ある部分は夕日を受けて赤く、雲があちこち別々に騒いでいるので、空全体が大きな絵の画面のように見える。
自分はどこかの簡易な小窓からそんな夕空を見物している。黒い煙のように流れる雲の隙から、輪っかの虹が姿を表す。丸だ、円だ、とかつての教え子の中学生が騒いでいる。
風向きによって虹の色が濃くなったり、白虹になったり、黒い影の輪になったりする。虹の輪の下には幾本もの線路があり、黒い汽車が走り過ぎる。とても綺麗なものを見ているのだが、何故か自分はとても哀しい気持でいる。
虹の夢はたまにみるが、現実の虹より夢の虹の方がはっきりしていて、滞空時間が長い。
自分が虹を見て何か別のことに思い耽る深さと長さの分だけ、滞空していてくれるようだ。

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ラジオ深夜便の午前1時。いつもは何か音楽を流していたりする。聴き手が静けさを望んでも、パーソナリティによっては目が冴え冴えしてしまう派手な曲も流したりする。
けれど昨日きょうの二日は、「日本のローカル電車の音」をひたすら流す、音の旅だった。
発車ブザー、ドア閉まりますの声、ゴトゴトという揺れや乗降の音が地味に繰り返されるのに乗せ、男性アナウンサーが静かに視覚的な情景をナレーションしていく。
昨日は箱根伊豆電鉄で修善寺まで。きょうは香川の琴電で屋島を通り、志度までの旅。


琴電は近年乗ったので、臨場感があった。金刀比羅宮のある琴平まで行ったのだ。斜陽の雰囲気の、忘れがたい町だった。街角の肉屋のコロッケに行列が出来ていて、うまそうだった。
琴電はかつて社の雰囲気がぞんざいで、住民に「電車は要るが琴電は要らない」と言われてきらわれ、生まれ変わる努力をして、今があるんだそうだ。ICカードのイルカという通称も「要るか」から来ているのだとか。ラジオで言っていた。
忘れられない旅の、良い電車だったので、その話はなにか切なく聞こえた。
静かな生活音や旅の移動音は、いろいろな記憶を馳せることができる。それだけ流すなんてラジオとしてもマニアックな放送だが、深夜便はこうでなくちゃ、と思う。く


2月4日

キェシロフスキ監督の映画【デカローグ】10巻をかなり前にDVDで買ったのに、2巻ほど見て以来、手をつけていない。10巻全てが、ヨーロッパ都市郊外のとある高層団地の住人たちの話だ。たった一話で、殺伐としながらも油彩の原色が滲むような光景の毒気に当てられ、何となく別の巻を見る気がしなくなったのだ。面白くないとかではない。好きか嫌いかで言えば好きな毒気だ。毒気と言ってもストーリーは地味で淡々としている。我が子が事故で不慮の死を遂げたとわかるまでの親の動揺と不安、重苦しい話ではあった。
その舞台となった高層住宅の光景が、懐かしくも胸苦しいような、戦慄を起こさせたのだった。自分特有の、あるツボを突いてくるような光景なのだ。たとえ映画の中ででも、そういう光景に出会った時は、咀嚼して味わうのに時間がかかる。なんというか、自分の血をドリンクとして味わって飲まなけりゃいけない気の重さのような。


あの高層建物群のみょうな殺気。勝手に舞台は北欧と思っていたが、ワルシャワ郊外の高層住宅であった。同じような殺気を感じる建物群が、他の監督が映した土地の光景にも存在する。アントニオー二映画の北イタリアの団地、アンゲロプロス映画のギリシアやマケドニアの都市、ヴェンダース映画のドイツの寒気のなかの住宅群、ハネケの映画で在フランス移民が喉を掻き切って血に染まる低所得者住宅、トリュフォーの【華氏451度】のイギリス郊外・近未来都市。
それらの建物群のシーンから受ける、下腹の痛いような生理的プレッシャー....
ある部分は確実に、自分の住んでいた団地の光景に重なるゆえの重苦しさだろうし、ある部分は実際旅で見た、予想以上に暗いヨーロッパの光景を思い出すからだ。そのほかの部分はなにかもっと、見知らぬ人の人生をパラレルワールドの中に垣間見ているようなふしぎな悲哀感だ。


決して過去のものではなくこれから未来に、そのような光景のなかで疎外感と孤立感を感じながら生きて老いていく自分が、見える気がする。どこの国かは知らないが、あらゆる国の磁場が交差するところに、その架空の住宅都市がある気がする。

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海外に行くとどこの国でも、「なま乾きのカサブタの上に硬いものを乗せた」ような建築群や町を見る。都市のはずれの空港から町の中心部に向かう高速道路の脇に不意に見かける、郊外の高層住宅街など。周りは荒地。豊かな緑や歴史の彩りなどとは全く無縁で殺伐とした、急ごしらえの収容施設のような佇まい。「なま乾きのカサブタ」なんて描写はもちろん感覚言語で言っているのだが。土というより「人間の地盤」がゆるく揺らいでいる感じに見える。
日本にも郊外景はあるのに、そんなことを感じたことがないのは、自国だからか。島国だからか。海外のそういう風景には、悲哀だけではなくどことなく血なまぐささを感じる。どこかに戦争の影を感じるような。多文化多人種が共生する緊張からくるのかもしれない。癒えない傷の上をお前は歩いているんだぞ、と思わされる緊張感。疲弊して逃げ出したくなるのだが、遠く離れるとまた、その緊張の上に足を踏み入れてみたくなる。

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20年まえ大学院生の頃、ドイツのデュッセルドルフに滞在した。向こうのアカデミーの学生との交流展のためだ。ドイツでは休暇中に学生寮を海外旅行学生に開放することがある。私も無機質な高層の建物に10日ほど宿泊した。
交流展の展示ギャラリーは、街のはずれ、もう少し古い高層住宅の一階にあった。灰色の重厚な、それでいて簡易な建物。森はないのに森を感じる薄暗い郊外。日本におき換えれば、市営住宅一角の集会所や児童館みたいな雰囲気かもしれない。数日に渡って他の学生とともに展示作業のため、その一階ギャラリーに詰めた。
瞳の影の濃い中東系の子供たちが、興味津々でギャラリーを覗き込む。その高層住宅はトルコ系の移民が多く住む場所だった。初日、ハローと声をかけるとはにかんで逃げていった。可愛いと思った。


が、二日目同じように挨拶すると、同じ子がニヤリと不適な笑みを浮かべた途端、こちらに唾を吐いてきた。その日からは石を投げてきたり、作品に触ろうとしたり、罵声を浴びせる子供たちとの格闘の日々だった。子供だからと笑って見過していてもどんどんエスカレートしてくる。怒って拳を振り上げてもまたエスカレートする。何より焼き付いたのは彼らの目の中に確実にある私達への「蔑み」だ。おそらくはドイツの都市の中では肩身の狭い思いも経験している移民の目に、初めて見るアジア人は自分たちより「下」の存在に映ったのだと思う。が、私たちとしては深刻な摩擦にならないように、「悪戯っ子とオトナ」という構図をなるべ崩さないようにした。


展覧会がオープンした日、警戒していたはずの子供たちの襲撃もなく、不思議に思った。展示作業が終わったら飽きたのか。ふとギャラリーの窓の外を見ると、中庭で住民のトルコ人たちが、何かの儀式をしている。みな整然と民族衣装を着飾り、静かな宗教的儀式に祝祭要素をほんの少し足したような厳かさで佇み、何かを読み上げたりしている。その色彩の美しさと、慎ましい悲哀。何の儀式かは分からなかった。あの子供たちは皆それに参加し、晴着に身を包み神妙な顔をしていた。じっと窓の外を見つめながら何とも言えない気持に襲われた。あれを旅愁というのか、いやそれよりもっと複雑だった。
20年経ち子供たちも30歳近いオトナになっているだろう。私のあまり変わらない20年と比べらないほどの流転を経験しているに違いない。そう思うと渇いた胸の疼きを感じる。
あの場所自体が、あるのかどうか。既に漂っていた民族間摩擦のきな臭い匂いは、あの時も感じたけれども、いまのこのような時代になるとは、無自覚な旅人の私などは、さすがに夢にも思っていなかった。

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家の近所のケヤキ並木を歩いていると、頭の上に木の皮のくずがバラバラッと落ちてきた。なんだ?と見上げるとケヤキのこずえに、木をつつく鳥「コゲラ」がいる。張り切って一心に木をつついている。人間で言えば、ブイブイブイブイッと勢いでバイクを走らせるときのような目つき、白黒ボーダーのセーターを着た少しヤンキーめの少年、という感じがする。


2月5日


寒いけれど春の雨の匂いがする、と思っていたらやはり降ってきた。そこはかとなく花の匂いが入り混じる。あからさまな蜜の匂いではないが、木の幹から漂う何かが一月と二月では違う。

近くの畑に何かのそのそした大きめの鳥がいた。鳩よりは小さいが重量感が鳩並みだ。哀愁のある不器用そうな歩き方で、ヨッコラヨッコラ枯葉の山を上っている。ドンくさいがムクドリほど頭悪そうでもなく、どこか申し訳無さげな佇まい。人間に喩えると「独り言や独り笑いを他人に見つかり、きまり悪そうに赤面する人」のような....まさに漫画【とりぱん】のツグミではないか、と思い至った。家に帰って調べたらやはりツグミだった。


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ネーミングセンスに魅かれて買ったオレンジ色のトマト。あまえぎみ。


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書いていて気付いたが、私は鳥を人に喩えるのが好きらしい。散歩の途中などでもよく鳥に話しかけたり、鳥に成り代わってそれに答えてみたりする。感情移入したくなるのだ。なんなんだ。

魚に対しては、そこまでではない。しかし先日、とうとう一匹になってしまった研究室の水槽のグッピーに「お前ひとりぼっちで寂しいねえ」などと話しかけているとき、なんかコイツ....ガラス面近くに留まったまま私を必死で見つめていやしないか?孤独を訴えてんの?と気になり始め、しばらく観察していたら、水温が13度までに下がっていることが分かった。

助手の銀ちゃんが慌てて薬鑵のお湯を水槽に入れた途端、グッピーは電気が通ったかのように泳ぎ回り始め、元気になった。死にそうだ、というSOSは辛うじて感知したのだ。魚とも、もっと会話している気分になってみたい。



2月14日


白箱に明朝体の縦書きで「おなやか」と書かれてある、おなかの薬の夢。



2月18日


親知らずが出てきそうで出てこない。そして痛くてお粥しか食べられない。歯医者に行ったら歯肉を切らなければいけないのかと思うと怖くて泣きたくなる。



2月20日


最近、ひとの作品や仕事に対しての批評文や推薦文の原稿、審査要旨の文章などを執筆する仕事が増えている。

苦しみながら書き最終稿をチェックして一応自信もって送り出すのだが、数日後読み返し、もうほんとに駄目だと頭を抱えることが多い。「感覚的な描写や情景描写を入れないと自分の文章のような気がしない」というのが、文の大意の邪魔をしているんだろう。そんな描写が無駄な場合が多いのに。そっちの比重ばかり大きく、批評性が薄い。自分のことに関する文章だけなら、もう少しは良いんだけど。でも頭の中がそうなんだからしょうがないな。


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金正男の殺害のニュースが世界を駆け巡る。なぜだか特別に悲哀感のある大風のように駆け巡る。

陰惨で恐ろしく悲しい死のニュースは日々溢れ帰っていて、遠い話ばかりではではなく身近にも存在する。しかしそれらに感じる恐しさとは全く違う種の、何とも言えない、青白い怖さを、あの毒殺のニュースに感じてしまう。



「末路」という言葉がふと浮かぶ。多分その言葉に、自分の感じる「青白い怖さ」の質は凝縮されている。

事故死や突然死の悲劇とは違い、世界中からその人生の経過を観察され、「末路」を予測され、想像通りの運命をたどる人間の死。こんなひとの人生に対しては、死ぬことの悲しみよりも生きることの哀れのほうが勝って感じられてしまう。



恐と怖。悲と哀。言葉は言葉に過ぎなくとも、言葉の発生は人間の本性に厳密だ。「悲」より「哀」のほうが遥かに空々しく肌寒く、ぞっとするほど寂しい。自分の人生に置き換えられないような事件ではあるが「人生とはなんなのか」と鬱々としてしまう。どうすることも出来ないが、人間は怖い、人生も怖い。


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こんなのはおそらく私の「判官びいき」に慣らされた古風な日本人の感性から来ているに過ぎなくて、世界じゃこの事件を、もっとドライにゴシップ的に観ているだろう。



自分にもある「判官びいき」の感覚に関しては、文化的刷り込みが先なのか、「哀れ」に対する本能的な動揺が先だったのか、分からない。後者のような気がする。

文化的刷り込みだけなら、たとえば義経にも新撰組隊士にも、美化された贔屓心しか感じないと思う。でも歌舞伎の【義経千本桜】でも【勧進帳】を観ても、「逃げ延びる義経」にある種の底恐ろしさと寂寥を感じるのは、けっして美学的なものから感じる感覚ではない。

維新の志士も、坂本龍馬はもちろん近藤勇も芹沢鴨も、志半ばで犬死にした悲哀はあるのだけれども、自分はなんと言っても土方歳三の「逃げ延びる」執念とその果ての死に一番底恐ろしさと寂寥を感じる。何故彼らは最後まで逃げ延びて生きようとしたのか?その問いは、自分のなかの、見えない闇の部分と関係があるような気もする。


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落武者の【落ちる】は、通常の【落っこちる】の示す「転落の高度」ではなく、逃走する際のあてどない「地上の距離」を描写している。

堕落の【堕ちる】のなかにもその「地上の距離」はニュアンスとして含まれている。その「地上の距離」が気になる。私には、昔から常に。



2月21日

なぜか「齋藤 濃霧」という名前になってしまい、「齋藤ノーム」などと分かりやすく書き記してみるが、ノームだと寒い国の精霊みたいで、余計に暗いな、と困っている夢。
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家のすぐ前が大変だ。消火栓破裂。シュワシュワと別府の噴泉みたいになっている。
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ものすごくポツネンとしている。孤独感。



2月24日


東京ステーションギャラリーで開催の【パロディ、二重の声】展をみた。
「パロディ」という言葉自体がどうしても好きになれない自分ではあるが、大正期の黒白の簡易な広告みたいなポスターに惹かれた。展示内容は60〜80年代の日本のカルチャーの一側面としての「パロディ」。時代感には興味あった。
ポスターは亀倉雄策の東京オリンピック広告をパロディ化した横尾忠則のもので、図柄の地味さが意外でもあった。


アート系作品群は横尾、ハイレッド、秋山祐徳太子、篠原有司男あたりの感じで「ふうん…まあ…」と予想通りだった。
「パロディ」が鋭い威力を発揮していたのはむしろグラフィックデザイン系の方だった。横尾忠則もタブローよりやはりグラフィックや映像【かちかち山夫婦庭訓】で天才性を見せていた。


なにより、80年代若者の間で流行ったという雑誌【ビックリハウス】の表紙がズラッと並んでいる展示に、グッと来た。この上なくいい加減で軽く、POPで無責任なカラフルさ。私が子供だった頃の、良くも悪くも「翔んでる」時代感をまざまざと目の前に思い出し、切なくなった。


脱力しているように見えても、この頃のデザインはパワフルで緊張漲っていた。パロディであれ風刺であれ、お巫山戯であれ、「ちゃんとデザインされた巧妙な無責任」であり、幻惑の裏にはそれを産み出した仕掛人であるクリエイターがいる、有名無名に限らず渾身で産み出していたのだ。軽くなりきれない生真面目さと重さがあるのだ。
ではなぜそんな何かを嗤うパロディなんかに数多くのクリエイターが渾身の力を込めていたか、はわかんないんだが。
例えば江戸人の「洒落」が世を風刺するインテリジェンスのようなものが現代に引き続いているのか、と考えると、そういうものは現代にはどんどんなくなっているだろう。


これも良くも悪くもだが、私達は「大衆としての表現」と引き換えに「個人としての表現」や「自己愛的な世界」を手に入れた。が、それは無数に細分化し、内面の瑣末な趣味性を現状肯定するだけで似たようなものになってしまいがちだ、ということは否定出来ない。表現が似ているというだけでなく、評価の基準がなくなったということだ。体制批判でも耽美性でも、なにかモヤッと均質な世間の雲を突破できない。吸い込まれてしまう。そういう歯痒い実感がある。


【パロディ、二重の声】の二重とは、オリジナルとパロディの両方という意味の「二重」だろうが、裏返してみればそれまでの世の価値観が大雑把に二項対立的だったとも言える。しかし展示を見てるだけでも、表現世界がどんどん入れ子化するというか、パロディの乱反射というのか、メタ的になっていくのがわかった。




2月25日

ラジオ深夜便を低くかけながら寝る習慣が、もう結構長く続いている。夫がそもそもラジオ好きだし、私は真暗・無音では眠れない人間だ。NHKの不器用な静けさは子守唄にはちょうどいい。


ただし「ラジオ深夜便の歌」という季節ごといろんな歌手のラジオテーマソングをかけるのが、あまりよかった試しがない。
少し忘れかけられたかつての有名歌手の新曲だったり、今も現役で人気だが意外な楽曲、という傾向がある。言っては悪いのだが、曲としてなんかこう心を掴まないというか、自分にはしっくり来ず、うつらうつらしながら聴いていると苛立って、かえって目が冴えてしまうことが多い。


だが最近、そんな深夜便のある歌の物凄いインパクトで、まどろみを覚まされた。出だしは80年代くらいのベタなバラードという感じだが、吠えるようなオッさんの声が「オオぅオオぅバンバよう〜ッ‼︎」と力みながら捻りだされた時には、のっけからプッと吹いてしまった。この歌詞は何を言ってんのか?バンバとは?
泥臭さに土団子をさらになげつけた時の埃シブキに朝陽がカーッと差したようなシャウト声が、あまりにもわざとらしいように最初は感じた。あからさまな熱さには聴いてるこっちが赤面してしまうことがある。寝ていた夫も寝ぼけながら「なんだこれ…やな歌い方」と目を覚ましてしまった。その時は笑っただけで、また二人とも眠りに落ちた。


毎晩その曲が深夜にかかるようになり、歌い手は三好鉄生(かつて【涙をふいて】を流行らせた)、曲名は「バンバゴーバン」、どうやら北海道の馬を歌った歌だ、とわかった。
もう二回目に聴いたくらいで私は笑いながらも引き摺り込まれてしまい、最後は不思議に感動していた。
クセがあるが、とにかくものすごく上手い。
バンババンバと叩きつけるように叫んで語りかけている相手は、北海道の「ばんえい競馬」で必死で重荷を引くガタイのでかい「ばん馬」なのである。テレビでしか見たこともないが、あのひたむきな「ばん馬」かあ…と思うとなにかジワリと涙腺まで緩んでくる。


久しぶりに骨太な歌声を聴いたのだ。なつメロの中でなくこの現代において…聴き込むうちクソ熱さも臭さも含め、その本物感にビリビリと痺れるような感銘を受けた。「涙をふいて」以降はどういう歌手遍歴を送っていたのかは知らないのだが、もうずっと歌っているのだろう。
この魂の唄を聞いたあとで、たまたま民放局に変えてしまい、チャラチャラと早口の小洒落ゲスjpopなどが流れてくると、布団を跳ね除けてラジオをぶっ飛ばしたくなる。


バンバがかかったある真夜中、ボソッと夫に「これ、名曲だよね」と話しかけると、夫もボソッと「俺もそう思えてきた」と言った。
正確なタイトルは【輓馬GO BANG!(バンバゴーバン)】。三貴鉄成と名を変えていた。故郷北海道のばん馬に捧げた歌らしい。思いのある歌は強い。


2月27日

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気持がくさっているので、川べりを歩く。
遠く桜並木がもう白く咲き誇っているように見え、驚いて歩いていくと、桜並木の向かいに植えられた梅並木だった。いつのまにこんなに大木になったのか、と驚いた。梅の花の匂いは、酒に酔う気持良さと似た感じを起こさせる。



様々な鳥を見ると安らいだ気持になる。干潟化した岸には椋鳥、ツグミ(多分)、背黒セキレイが、仲良く群れで何かをつついている。
見たことのないくらい立派で巨大な白鷺が、五位鷺と微妙に距離を持って並び、魚を狙って水面を見ている。
時々目を奪われるような青にはっとして目をやるとカワセミがいる。今日は計4匹も、方々でカワセミを見かけた。カワセミは色もいいが形もいい。



木の高いところに、黒い文字か何かを書かれた白い巻物のようなものが絡まって、風に騒いでいる。遠くから見ると、妙な祈祷のしるしのようで気になる。しかし、木の下まで行って、それが色あせた黒い鯉のぼりが裂けて絡みついているのだ、と理解した。五月に行われる盛大な川の鯉のぼり流しの時に飛んで行って引っかかったのを、誰も取ってくれないまま時が経ち、朽ちたのだ。



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by meo-flowerless | 2017-02-01 22:38 | 日記