画家 齋藤芽生の日記 Twitter/ @meosaito


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多摩河原

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静かな日。晴れてはいるけれど、なんとなく世界中から血の気が引いたような日だ。たんに人の気配がないだけかもしれない。みなどこへいったのだろう。
暮れの買物客は立川駅でも一定数は見かけた。けれどバスに揺られて多摩川近くの団地に降り立つと、ゴーストタウンのように誰もいなかった。


特にその団地に用があったわけではなかった。
去年買ってあげたハーモニカを最近あまり吹かないね、と夫に言ったら、人のいない所に吹きに行くのだと言いながら、当てずっぽうに夫に連れて来られたのだ。


彼は最近、住宅街にある平凡な「公園」に興味があるようだ。この団地のバス停に降り立ったのは地図上の「めいろ公園」「おもしろ公園」「せんべい山公園」が気になったかららしい。
団地内の片隅の、なんてことない遊具しかない場所だが、人の気配のなさがシュールさをかきたててとても良い光景に映った。まるで、ソビエト時代の遺構か、火星のパラレル世界か何かのようだ。


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コンクリートのきのこのようなテーブルやいす、誰も興味を示さなくなった地球ののりもの、宇宙のタコ的生命体を模したような滑り台。丸い体の鳩たちが、落葉の中に種を探して忙しげにしている、それだけがいきものの気配だ。
最後に辿り着いた公園に、西日にあてられ銅像のように場所になじんでいる無言の子供が三人くらいいて、異物を見るようにこちらを凝視していた。団地内のよそ者....それはそうだろう。
しかしこちらも不意に出会ってぎょっとさせられ、宇宙人の子供を目撃した気分だった。



団地の壁は幾度か塗り替えたのか、白く清潔で、洗濯物に垣間見える人々の暮らしもしっとりと奥ゆかしい。老夫婦ばかりなのだろう。
比べると、自分のかつて住んでいた団地はもう少し雑草にはびこられ、無人化していたな、と思い出した。
かつて商店が建ち並んで居たであろう通りは、なんとなく面影でわかるのだが、今は住宅に立て替えられていたり、正体不明の空店舗がただ冬日に晒されたりしているだけだった。



そしてその後、多摩河原をひたすら歩いた。
枯野はあまりに広大で、夕空は不思議なグラデーションで丸みを帯びて見える。更に火星に居るかのような気分で、黙々と地面を踏みしめた。
会話は何もない。ずっと私は私の考え事に没頭していた。夫もそうだろう。
どちらもそれぞれ、孤独を欲する質だと思う。中でも今は「荒涼に圧倒的に呑まれるような孤独」のようなものに飢えている。
葦の野原を一面雑に刈り取った敷地が、遠くの水面までずっと続いている。しかし葦の鋭い根が至る所に残り、自分のボロ運動靴の底に突き刺さり、靴が壊れ始めた。靴底に「くつたろうくん」と書いてある愛用のボロ靴だ。瀕死のくつ太郎をいたわりながら歩いた。


この場所。小学校一年から電車通学をし、来る日も来る日も車窓から見下ろしていた河原である。
高校生の頃の学習塾の講師が、この葦野原が火事で燃え上がって炎のカーテンになっていた、という話をしていたのを思い出した。その話の後でしばらく自分は、焼跡らしき広大な黒い三日月型を電車で見下ろしながら通学した。
抽象的な想像だが、言葉にならない形容も出来ないものがいろいろ燃えたに違いない、と思っていた。宿無し人の生活の痕跡も、水害などの歴史も、他の様々な気配たちも。
別の時には、彼岸花の真紅の横に打ち捨てられた綺麗な桃色のスクーターを見た。
また別の時には、誰にも邪魔されずにススキの中を追いかけ合う男女の高校生を見て胸が憑かれるような気持もした。


この河原を一度も歩いたことがないのに、何度もこの河原を歩く空想が自分の文章にでてきた。絵にも描いた。他の町の多摩河川敷では駄目。この中央線高架下こそが、自分にとって生涯心に残る私の多摩川だろうと思う。
が実際降り立つのは43歳になって初めてなのだ。複雑な思いがする。


十分ほどひたすら葦を踏んで歩くと、石がゴロゴロした河原にようやくでる。
そこからは、見事に中央線の鉄橋が見晴らせる。後ろを向くと、富士山がくっきり遠くに全容を見せている。今度は長々と、歩きにくい石の上を歩いた。
中央線を見ながら、プープカとハーモニカを吹いた。離れた場所に座り込んだ夫はへたくそなので、すぐ吹き止めた。私はいくつか曲がふけるが、「冬景色」「旅愁」「ふるさと」「朧月夜」そういうのを吹いた。しかし何だかわびしくなってしまい、私も吹き止めた。
中央線を見上げながら、その車両から河原を見下ろしている「もうひとりの自分」の視線を想像した。実際には、誰もこちらなど見ていないようだった。



夕陽はちょうど、富士山の真後ろに沈んでいった。沈む瞬間を私達だけではなく、どこかの妙にダンディーな父娘が、「なんだあっけない」などと実況しながら、後方で見守っていた。
とても体が冷えきった。夫の心はたいやきを求め、私の心はたこやきを求めていたが、殺伐とした多摩郊外の町にそんな店は見つからなかったので、凍えながら帰路についた。

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by meo-flowerless | 2016-12-28 23:32 |