画家 齋藤芽生の日記


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【昇天峠】ルイス・ブニュエル

ルイス・ブニュエル【昇天峠】をビデオで観る。ヘンっな映画。乗合バスのロードムービーだという部分は清水宏の戦前の傑作【有りがたうさん】を思いださせる。



内容というより【昇天峠】というタイトルに惹かれる。タイトルに掻き立てられる妄想と同じ量の妄想が…質は違ったけど、映画中のその難攻不落の峠道にはあった。



母の瀕死に際しての遺産相続のトラブルを回避するために、青年は急いで乗合バスで山越えをし、公証人に会いに行かなければならない。早くしなければ母は死に、母の財産は全て悪徳の兄たちに占領される。新婚の妻との初夜もお預けのまま、様々な人々の乗り合うバスに、悲壮な気持で青年は乗り込む。



そこまでのシリアスな筋と裏腹に、バスに乗ってから、もう無茶苦茶。気だけ良いが気分屋で支離滅裂な運転手と悪路に翻弄され、まったくバスは目的地を目指してくれない。妊婦は産気づくし、ひとの生き死にや冠婚葬祭にいちいち付き合いながらツアー旅行のように昼夜が経っていく。実直で必死な青年だけがひたすら苛々しているはずだったが…



私は神仏を敬虔に信じているのではなく日和見な人間だと思うが、漠然と思う「神様」にはふたとおりある気がしてならない。厳しさと引き換えにすべての生に加護をくれるおごそかで超越的な神様。一方で「全てのことはそんなにうまくいきゃーしないんだよ!願いなんか叶わないからこそ、脱線や適当さが大事な時もあんだ」と教えてくれる人間の写し鏡のような神様が、いるような気がするのだ。私にだけかしら。



この映画の「気分次第で行路を変える運転手」「ムキになって青年を誘惑する色気爆弾女」の二人物は、観ている時にはいらっとするのに、観終わるとなにか、前述したようにテキトーな味のある「男神」と「女神」とに思えてくるから不思議だ。
女が果物の種をプッと吐きながら冷淡に言い放つ「欲しいものは全て手に入れたわ」というサヨナラの台詞が、あとあとまで気になって考えていた。子どもな青年を男にしてやった満足感、なんてことよりは少し含蓄のある一言。山頂に至るまでの(いろんな意味で)長い苛々する道のりの意味こそを教えてやったんだわ、という感じ。


昇天峠じたいが人生の縮図なのは確かだ。そうだとするなら「人生の山とは結局、妄想の嵩にほかならない」とブニュエルは言っているようにも思える。言っているというか、そんな世界観で自然に生きていたのかもしれない。
青年が無事下界におりて戻る家族との世界は、非常に現実的で実直な世界だ。
けれど人生はたぶんその実直を台本通りに読み合わせるようなものではない。人はだれも自分のなかに、昇天峠のように支離滅裂に変幻する妄想の聖山を持っている。その妄想もまたひとつの人生と呼べるのじゃないか。
by meo-flowerless | 2016-12-06 05:35 | 映画