画家 齋藤芽生の日記 Twitter/ @meosaito


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2016年12月の日記

2016年12月の日記



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夫、メキシコ旅行より帰還。山ほどの土産物を持ち帰った。
これまで、旅から作品を作る彼が何故か今まで海外に興味を示さず日本一辺倒だったのは、なんだか残念な気がしていた。一度異国に行けば変わるよ、と私はずっと言っていたのだが。
私についてきた人生初の韓国への海外旅行と違い、二回目の今回は彼にとって初めての本格的な異国への旅になったのだ。働いて貯めたお金で思い切って旅立ったのだった。
先輩のKさんの滞在先でもあってその人をたより、随分お世話になったようだ。
生き生きしながら夢中で旅の記憶を語ってから、コトっと眠りに落ちた。行ってたいへんな変化があったようでよかった。今後に繋がることと思う。


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スーツケースいっぱいに入っていた、紙製の家の玩具は、私にとってもタイムリーな興奮を呼んでくるモノ。
魔除けの飾りなのか、赤鬼カップルのほかにバラバラな身体のアルミパーツが、さらりと猟奇的。
その他、薔薇や蓮の真紅のチープなイルミネーションや、黒肌の聖母「グアダルーペ」の沢山の装飾、フェルトの家畜人形、オジサンの顔の塗り絵、極彩色の赤と青に偏光するメタリック天使の短冊、ネオンのようなビーズ細工指輪、幼虫入りの銘酒…それと私には小さなアコーディオンを持ち帰った。数年前事故でぶっ壊れた私のアコーディオンのことを思い出したらしい。技材で銀ちゃんと合奏しよう。


12月4日
昔よく足を運んでいた古道具屋。私というより夫の行きつけだったのだが、しばらく御無沙汰していたが昨日久しぶりに立ち寄ってみた。

古いゲーム盤やカードゲームを物色する夫をよそに、私の目は、雑然と置かれた椅子や戸棚に紛れ立てかけてある「昭和かなり古い年代の美容室の硝子ドア」に釘付けになっていた。『ヤマジ美容室』という特徴のある丸っこいデザイン文字が絵具で描かれた、硝子のはめてある、褪せた水緑色の木のドアだ。ドアだけ外して、立てかけてあるのだ。解体した家屋から持ってきたのだろう。
こんな代物を誰が買うのかという興味で見つめていたのではない。
「このドア、知ってる」と思ったからだ。しかし、何処で見たのかはどうにも思い出せない。記憶の触手を何百本も掻き毟るように動かしても思い出せない。が、何度見ても、確かにこのドアを初めて見た気はしない。
店の主人に、あのドアはどこから持ってきたのか聞いたが、人づてに引き取ったので何処のかはしらない、と言われた。「このドアを確かに自分は知ってんだけど」と呟いても、夫も店主も素っ気ない反応しかしない。当たり前だ。他人のなかの既視感なんて犬も食わない。
しかし私のなかでは新たな重要事項になってしまった。


東京美容組合、とかなんとかシールが貼ってあったので、確かに東京だ。今住んでいるところの数件先にあったボロ美容室だった気がしてならない。しかしそこにある時は気にもとめなかったので思い出せない。
古風だがチェーン店だった可能性もなきにしもあらず。なんせロゴの見覚えが非常に濃厚で、しょっ中見ている気さえする。
ふだんは店名や建物の位置関係などまったく覚えようともせず注視しないのにも関わらず、ほんの断片でも印象に残った細部に関してはいつまでも正確に憶えている。雑誌の記事にされていたほんの数センチ四方の小さな町の一画の写真でも、ある旅でとおりがかった商店街だと当てたりすることはある。
こういうことばかりが、気になってしょうがない。気のせいなのか。


:::

コーントルティーヤや美味いサルサソースを探しに、吉祥寺の輸入食材屋までわざわざ出かけていった。そこでメキシカンとは関係ない、ギリシャの「フェタチーズ」を見つけたので買った。
中東やバルカンで広く食べられている山羊の白チーズである。昨年のちょうど今頃イスラエルに出張したのだが、そこの宿のバイキングで毎朝そればかり食べていた。ヨーグルトで出来た真白な木綿豆腐、という感じで、爽やかな酸味と塩気がある。トルコ航空の機内食にもそれが出て、再び食べたいと願いつつあっという間に一年経ってしまった。
塩気が強いので牛乳に浸して塩抜きをする。このギリシャの白チーズは、中東で私が食べたものよりチーズ味が強かった。しかし美味しい。小麦製トルティーヤにメキシコものをくるまず、これとオリーブ、あとはヨーグルトに浸してから焼いた牛肉などを挟んで食べたい。



12月19日

ラジオ深夜便をつけると、藤圭子のするどい歌声が響いてきた。
この声を久々に聴く気がする。大きなガラスの破片で出血するような、野太い衝撃を感じる。藤圭子の破壊力はやはり凄まじいな。
ここ最近つまらないストレスの蓄積なのか、幽霊みたいに暮らしていたが、みるみる目覚めるようだ。
その次に朱里エイコ【北国行きで】浅川マキ【夜が明けたら】と目覚ましい選曲が続き、ゲストの初老男性の解説がぼそぼそ絡む。誰だ?と思ったら五木寛之だった。成る程これは暗いインテリな選曲なわけだ。
しかも最後が八代亜紀【愛の終着駅】、切なさで心臓発作になりそうだ。ほんの十分くらいのラジオの選曲で、自分の数ヶ月の憂鬱の雲が吹き飛んだくらいに思えた。
彼女達の唄に共通するものはなんだろう。好きではあるが五輪真弓や中島みゆきには無いもの。眼差しの先にある「死」か。黒い夜の。ああ、それだという気がしてきた。
「汽車の出てくる歌謡曲特集」ということだった。



12月23日
人間関係の構築をインスタントに考える人間が、とくに近頃増えていて、耐えられない。
まーなんとも言葉がカルくなったこと。約束も言い訳も自己主張も。それを聞かされる貴重な時間の釣り合わなさよ。距離感にも致命的に鈍感になってるよな。インターネットや携帯のせいだろうか。それだけでもないであろうところがもっと怖い。
なにかと関わるということには、恩恵と快楽だけがついてくるわけではない。難しさや痛みを負う覚悟も引き受けなければ、関わるということにはならない。それを共有した人間としか親しくしたくないし、ましてや世話などしたくない、とつくづく思わされる。


大人がちゃんと怒れなくなったのが一番たちが悪い。大人がええかっこしいでうわべだけの寛容を気取るのは、恥ずべきことだと思う。ここで言っている大人に対するコドモというのが中学生などではなく三十絡みの大学生達、という場合が多く、二重三重に腹が立つ。




12月24日

テレビのないラジオ生活をしていると、流れてくる音楽の季節感や時代感や傾向が、増幅されて頭に入り込む。
クリスマスソングには聖歌であれポップスであれ、メロディラインに共通した何かがある気がするんだが、そう言や「メロディライン」ほど言語化するのが難しいものはない。
自分もいいメロディだなあと思う曲は、やはり皆もそう思ったもんらしく、歴史のなかを勝ち抜いて残っているのだ。
【もみの木】(ドイツ民謡)、【ママがサンタにキスをした】(アメリカン50sポップス)、【あわてんぼうのサンタクロース】(小林亜星)…どれもつい口ずさんでしまうんだが、発祥が違うのに、共通した「護られた幸福感」を感じる。歌詞がなくても、ちゃんとメロディラインだけで幸福感を感じるんじゃないか。気分の問題かな。と思っていたら、竹内まりやの【すてきなホリデイ】がラジオでかかった。これでもか!と、クリスマス風味の盛り合わせだけで出来た曲。作曲者にコントロールできる「クリスマス的ツボ」のメロディが、やはりあるんだろうな。


自分が昔から大好きなクリスマスソングは【荒野のはてに】(フランス賛美歌)だった。お気に入りの子供レコードに入っていたのだ。「グローーーーーリャン、インレーセーシーデーエ」と間違ったラテン語を、このんで口ずさんでいた。渋い曲で、今でも好きだ。
しかしこのレコードに入っていた「トロイカ」(ロシア民謡)がもっとも自分に影響をあたえ、その後のマイナーコード好き・演歌好きに繋がったんだと思う。
ラジオで聞いて今いちばんいらいらさせられるのは、ジングルベルを高速で歌うヒャダインの【クリスマス?何それ?おいしいの?】であり、「うっるっせえなああああ‼︎おのれ黙れ‼︎」と、心の飛び蹴りを喰らわさせる力を秘めた迷曲である。


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松任谷由実【恋人がサンタクロース】は元々好きではない。好き嫌いが別れる曲だろう。
自分は単に、ユーミンのもっと内省的な歌がすきだから、比較してこういうアッパー路線に魅力を感じないだけだ。
けれど、先日ユーミン自身が「【恋人がサンタクロース】について今は反省する」と語ったらしい、と何かの記事で見て、へえ、と思った。「ある種の呪縛を与えた(彼氏がいないといけないという恋愛信仰)」と。作者がそうまで言うのもいまの風潮のはてに、だろうし、ああいう曲を作ったのは逆に当時の風潮のなかで、なのだろう。ユーミンの言っている呪縛感は凄く解るし、自分もそれで好まなかった。でも反省までしなくても。
「ハッピーの同調圧力には屈しないぞ」という闘魂を私に感じさせた一曲では確かにある。


12月25日

とても西日の美しい日だった。暗さから明るさまでの階調が繊細で、空がはりつめていた。
たとえば飛行機から見下ろすと晴れた海面にたくさんの船の描く白波の線が見えるが、今日の夕空にはそれの鏡面であるかのように、飛行機の描く白い光線がいくつも浮かんでいた。


展示を観た帰り、川口から赤羽まで歩く。普段ほとんど縁のない町だ。
タワーマンションが目立つ街並にははじめは何の感慨もなかったが、河川敷に近づくにつれ、鋳物の町であった昔の建物がちらほら見られた。
大正文士の家のような文化住宅は、かつての「歯車製作所」、所長が住む住居だったのだろう。モルタルづくりの食堂、花壇壁の深緑のタイル前面に咲き乱れる白菊。「理容」看板の二文字の上側だけがカタヌキみたいにパコッと外れている味のある床屋を覆い尽くす、ネズミモチの黒い実。


川の上、橋付近のマンション群を振り返りながら、高校時代を思い出す。一度だけ、この橋のあたりにきたことがあるのだ。予備校の恩師の女性の、彼氏のような人物の住むマンションの広い部屋に、何故か14、5人で泊まりにきたのだ。
ベランダから下界に点在する鋳物工場群の灯を、夜明けまでずっと飽きもせず見ていたことだけ覚えている。丈の低い街並、当時は目立つように建っていた高層マンションを見ながら、「光る葡萄だ」と思っていた。そしてしきりに大橋純子の【シルエットロマンス】をベランダで歌っていた。いまだにカラオケで歌うが、考えてみればまだ少女の当時から好きだったのだ。シルエットロマンスの歌詞に思い浮かべるマンションの一室のような場所だったからだ。
恩師の女性がその日鼻歌で口ずんでいた賛美歌も、まだちゃんと耳に残っている。彼女は私にその歌を覚えさせようと、教え込んだのだ。あめのきさき、天の門、海の星と輝きます.....
恩師はその美容師の彼氏と結ばれることもなく、もしかしたら恋人以前だったのかもしれず、別の人に嫁いでいった。


広い河川敷を渡る橋は、えんえんと長かった。まともに顔を上げられないほどの眩しい夕陽と川面の照り返しで、遠くのスカイツリーに目をそらしながら橋を渡った。
橋を渡り終え、赤羽側の河川敷に広がる野球場を見て、はっとした。「全く別の時、この野球場にも一度きたことがある」
男性数人と、野球の練習をしていた。しかし記憶があまりにおぼろで、また唐突に蘇ったので、それが誰らだったかすぐには思い出せない。たぶん数日後に忘年会で会うはずの、取手勤務時代の助手たちだろう。しかしそうではなく、もっとよく記憶をたどってみて、予備校勤務時代の同僚たちだと突き止めた。
ほんのちょっと野球の練習をしても盛り上がらず、どうしようかと手持ち無沙汰にしていたそのあとの記憶は、全く消えている。
彼らとは、新宿歌舞伎町のど真中の公園でバスケをしたりもした。射撃場にも行った。男ばかりの職場、半人前の男のような感じで、私ひとり女が彼らにくっついて遊びにいっていた。仲は良かったが男の話題に芯からなじめるわけでもなく、女性として恋愛対象になるわけでもなく、時折気がつけば、とても宙ぶらりんな心細い気持になって傍に居た気がする。


うまくはいえないが、どちらのおぼろげな記憶に対しても、むしょうにやるせなくてしょうがない。
赤羽駅前の商店街は、時代のチャンネルを少しひねった大阪みたいだった。昔風の灯の商店街で、とんこつラーメンを食べて帰った。


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友人、知人、好きな人...あらゆる「他者」というのは、ほんとうは、自分のおもう願望が投影されただけの、自身の目に映る「幻影の総体」に過ぎない。昔から、たまにそう感じるときがあった。人は互いに、そんなものなのだろうとは思うが。


12月26日

2016年。二つの個展などを振り返れば充実したものだったが、自分自身では「健康面の曲がり角」をいよいよ迎えた一年、としか言いようがない。
体感的には、ハードスケジュールも乗り切りそんなに具合の悪い日はなかった。しかしそれは婦人科に通院し半年に渡り「ホルモン薬」をのんでいたからなのかもしれない。こんなにちゃんと通院と投薬してるのは人生初である。


昨年冬に出張から帰国してすぐの頃から、夏までの半年、今まで経験したことのない婦人科系の出血が毎日続いた。婦人科では、原因不明だが、まあ年齢的なものだろうということだった。検査も診察もし、経過を見つつ漢方などで具合を見ていたが全く改善しない。「半年血を流していることは見過せない」と言われホルモン療法に踏み切らざるを得なかった。
40歳以上のホルモン投与は様々な病気併発の危険性があると言われている。が、二カ所いった病院でもそういうことは説明なしだ。不安を抱えながらも、飲めば婦人科の症状は改善しすっかり慣れてしまったのだが、やはり高まっていく血圧やコレステロール値にじわじわと難が忍び寄る。もともと血栓系の家系なので、不安は拭えない。


色々なストレスの種類を自分で理解していて、割とそれとつきあうのは出来るほうだ。制作で平均睡眠時間四時間くらいのハードさでも、身近な対人関係でも、今の所は乗り切れている。しかし何故か、11~12月の面談や講評が集中する時期に、最もストレスが回避出来ない。この時期は毎度辛く、一、二度は必ずダウンする。神経を一番使うのだろう。
家が遠くて通勤に往復四時間かかることは、今の所は適度な運動にも仮眠(電車中の)にもなっているけれど、これから歳をとるにつれて、こんな生活が果たして続くのだろうか。大体むかしからマイペースで「頑張る」のが嫌いなのに、おとなになって頑張らざるを得ない生活スパイラルになった。体力は落ちるのに。まーそれが自然と人間の成熟と老いに繋がるのか....
大学で20時まで仕事し22時に帰宅して、荷物置いたらすぐ夕食を作り、午前零時から制作、朝の4時に寝る。こんなひどいリズムは、もうそろそろやめないと近いうち健康を害すると思う。更年期はまず乗り切れないだろう。血栓系の家系だから一瞬で逝っちゃうかもしれない。本当に色々考えなくてはいけない。



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歳をとるに連れて何故か楽しくなってきたのが、スキンケアである。肌はどんどん若さを喪っていき戻れはしないのだが、その老いやシワにがっかりする度合いよりも、肌の声を聴いてさまざまなスキンケアにトライする楽しさの度合いが増してきた。いい化粧品は本当に、精魂込めて作られているように感じる。オーガニックのものに手が伸びるのは、アンチケミカルやロハス嗜好だからではなく、オーガニックものに「職人魂」まで感じる商品が多いからだと思う。
十数年、yonka愛用を通し、その隣の店舗のjurliqueを敢えて完全無視してきたのだが、このたび、完全に陥落した。高っかーいーーが、素晴らしすぎる。店のおねえさんもyonkaに負けず劣らずやさしい。あんな、花の花粉の香気にふがふが顔を埋めているような幸せ感のなかで、肌がピッとひきしまるんだから。その上、どうやら肌だけではなく地球に相当やさしくしているつもりらしく、パッケージの印字インクまでオーガニックだそうなんだから。スキンケアに合わせて化粧も粉をパフッとはたくだけのミネラルファンデーションに変えた。女は結局楽しい。

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これはこれからずっと使ってみたい、と思えたもの。
ヴェルトゥーのフィト オーセンティックフェイス ローション。りんごや人参や柑橘を二年も漬け込んで発酵させたものを化粧水にしている。ビネガーのような匂いで驚くが、肌が美味しがって何度もつけたくなる。
ジュリークのスキンバランシングフェイスオイル。バラやすみれや何かの菊や…花々の精油が含まれていて甘い花粉の匂い。春に咲くストックの花の強い匂いに似ている。
アルジタルのインテンシブエキナセアクリーム。肌荒れを速攻でおさめる、薬草エキナセアほかミントやユーカリでスーッとしピターッと心も鎮静するクリーム。
上善如水の化粧水とクリーム。なんてことはないが、日本の冬の水を感じさせ、気持良い。たぶん保湿としてもかなり優秀と思う。


12月27日

ニュースになることの、真実を自分でみたわけでも調べたわけでもないのに、なんでも負の面のゴシップを引き起こすように、微妙な表現で記事めいたものを書くマスコミ…特にネット上のそれらの姿勢は本当に下衆だと思う。が、それにも増して嫌いなのは、何も考えずにそれを「拡散」「リツイート」してみる、自称普通の人間たちだ。自分も今後気をつけて、血迷ってそうなることのないようにしたい。自分は中立であるかのような姿勢、議論を活発化させることはとりあえずいいことだという粗いジャッジメント、自分自身の無責任という功罪に気付かない凡庸ぶり。気づいた方がいい。


12月31日

2016年はあまり大学生達とカラオケすることはなく、昭和歌謡に理解を示す旧研究室のグループや、年配の人に連れられてのスナックカラオケ、古い歌なんでもこいの柚木さんに連れられていった小料理屋カラオケなどで、すっかり静かな演歌路線が居心地よくなっていた。
久々にかつてのカラオケ仲間である、同世代の元助手達と歌いにいったのだが、もう歌う歌に溝ができすぎてしまったのか、私の番のたびに気まずいような無言にさせてしまった。みな時節柄、SMAPや星野源など唄いこなすなかで。
それに、思い出した。皆、ポジティブなのだ。人生にも結局前向きなのだ。そうだな…能力も愛も溢れる人たち、いまではみな幸福な家族の大黒柱だし。
みなに申し訳ないような、情けないような、しかしながらもう私にはこうしみったれた世界の道しか残されてはいないような。
だんだん大勢でのカラオケボックスは引退かなあ。
by meo-flowerless | 2016-12-01 01:00 | 日記